フォーラムへの返信
-
投稿者返信
-
聞き込みを終えたシルフィーモンが戻る途中、滝沢邸から数ブロック離れた地区で石原警部補の姿が見えた。
この時どんよりとした、これからの一日を想起させる空模様が広がっているためか。
かなり古びた家の前で石原警部補の聞き込みに応じていた若い女はフードを目深にしてレインコートを着ていた。
「……そうですか、いえ、ご協力に感謝します」
シルフィーモンが着地する頃に、石原警部補の聞き込みは終わっていた。
軽い会釈をして女は去っていく。
「……それで、何か情報は得られたか?」
声をかけると、石原警部補は振り向きながら首を横に振った。
「悪いが、これは警察の管轄だ。探偵には…」
「貸し1」
「なんだと?」
「今ここで返させてもらうぞ。こちらも依頼なんでな」
シルフィーモンの言葉に、石原警部補はやれやれと肩をすくめた。
「……滝沢裕次郎の負傷だが、後頭部に打撲、腹部に刺し傷、腕などに裂傷。鑑識の調査結果で発見現場の血痕が少ない事がわかっている」
「つまり、打撲はともかく発見現場で刺されたとは考えにくいわけか」
「血痕は雨で流されたと、そう上層部は決めつけてるけどな……鑑識班は発見現場周辺で微かな血痕の痕跡を見つけている。おそらく滝沢裕次郎は血を流しながらこの辺りを通ったんだ」
シルフィーモンはうなずいた。
「後は目撃者だ」
「ああ。さっきの女性は昨日何も見ていなかった、と言っていた。この辺りに住んでいるらしいが」
今、一人と一体がいる場所は、木々の茂った中にある住宅地のような土地だ。
目の前にある空き家は、一年と半年前に家主が土地を売り払い買い手がまだついていない状態だそうな。
「この辺りに……あれか」
「ん?」
シルフィーモンの視線の先を見れば、いつからそこにあったのか屋台がある。
明らかに閑静な場所にはそぐわないが、売られているのはベビーカステラ。
一袋360円也。
近場の牧場で絞った牛乳の優しい甘さとふかふかの生地が嬉しい一品。
「…ちょっと行ってくる」
「え、なんで、おいっ?」
屋台へシルフィーモンが近寄ると、主人の男性が営業スマイルで反応した。
「いらっしゃい」
「ベビーカステラを一つ。……裏メニューとセットで」
その言葉を聞いて、屋台の主人の表情が変わる。
「あいよ。何の情報が要り用かね?」
「昨日この近辺で起こった、滝沢裕次郎なる男の負傷事件についてだ。目撃者の情報を知りたい」
数千円と引き換えに、屋台……を兼用した情報屋はシルフィーモンへベビーカステラの紙袋を渡しながら話す。
「直接的な目撃者はいないが、一人この辺りで警察に連行された奴ならいる。無職(フリーター)の男だ。昨晩、居酒屋で呑んで代金に出処不明の金塊を出したもんだから怪しまれて留置所に一泊だ」
戻ってきたシルフィーモンに石原警部補が口を開く。
「なんか買ってきたと思ったらカステラか?」
「ひとまず、いたぞ。目撃者と思しき男が。昨日、出処不明の金塊で金を払おうとして留置所に入れられた…」
「ああ、いたな」
「釈放がまだならそいつへの聴取を今から頼めるか?私は美玖達と合流に行く」
シルフィーモンの言葉に、何か意図があるものと感じたか。
石原警部補はパトカーを停めた方へ歩いていく。
「一足先に署に戻ってるぞ。あんたらが来る頃には全部聞き出してやるよ」
「助かる、任せたぞ」
ーーー
「昨日、取り調べ室にいた男が?」
「ああ。今、石原警部補が取調べ中のはずだ」
美玖と無事に合流し、遅い昼食の時間。
ベンチに腰掛けながら、弁当を開く。
「それと、グルルモン、血痕の臭いは覚えたな」
「アア」
「先程、石原警部補から聞いたが発見現場周辺で血痕の微かな痕跡が残っていたそうだ。出処を追えるか?」
「サテナ…ヨリ血ノ濃イ場所ヲ追エルカドウカハ…コノ天気次第ダ」
言いながら、空を見上げるグルルモン。
先程よりも雲の色は暗くなってきている。
「今日も降りそうね……」
不安げに美玖がつぶやく。
降水確率は70%、そこそこに高い値だ。
ベビーカステラをラブラモンと分けっこして口に入れる美玖に、シルフィーモンは聞く。
「ところで、そちらは?賢者の石について調べに行ったんだろう」
「うん。……やはり、あの石が関係してるんだと思う」
「…あのペンダントの石か」
「直美さんとは別に、あの開かずの部屋にはクローンがいたのは間違いない。ミオナって名前の……」
「こちらも宝石店で聞いたが、一年前に石を持ち込んでのペンダント作製の依頼を滝沢氏が出していたそうだ。…店の者にもどんな宝石かはわからなかったらしい。それを除けば、定期的に金を店から発注していた程度には常連だったようだ」
「……昨日は、頼まれていたという金を受け取って、滝沢さんは宝石店を出た……」
「娘を探して、な。直美さん本人ではなく、ミオナの方なのは間違いない」
ーーー
夕方近く。
昼食を終えた美玖達が長野県警に戻ると、気難しげな石原警部補が立っていた。
「どうした?」
シルフィーモンが聞く。
「シルフィーモン…、あの男、だんまりだ。口を全く聞こうともしない」
美玖が尋ねる。
「私達に、彼と話をさせてもらえませんか?あくまで、聞くだけです」
「……」
それに言葉で返さず、踵を返す。
「……俺は筋トレしてくる。一般人が取調べの真似事なんかするんじゃないぞ」
「……感謝します」
男がいる取調べ室の前まで来ると、シルフィーモンは美玖を振り返った。
「美玖はここにいてくれ。私が話を聞いてくる」
「でも……」
「人間の男というのはどうも、弱い奴に対して態度がデカい奴が多いからな。君が行けばナメられる」
部屋にシルフィーモンが入ると、男は驚きに目を見開いた。
「うおっ、アンタは…もしかして、昨日ここを通ったデジモンだよな?」
「ああ。…少し座るぞ」
さすがに相手がデジモンとなると、男も大人しく、素直に反応する。
パイプ椅子に腰掛け、シルフィーモンが言った。
「お互い、昨日はついてなかったな」
「あ、ああ。そういや、女と一緒じゃなかったか?」
「私の雇い主だ。昨日、彼女と目的地に向かう途中で犯人と間違われかけてな」
「犯人…?」
「身元不明死体の事件のだ。死体を目撃しただけなのに、怪しまれて犯人と断定されかけて、トラ箱に一泊コース。……お前はなぜ捕まった?」
身元不明死体。
その言葉を聞いた男が固まった。
それに追い討ちをかけるため、シルフィーモンは続ける。
「昨日…一人の男が負傷した事件があったそうだな。滝沢裕次郎という、身元不明死体の犯人と目された男だ。宝石店で金を受け取った帰りに、誰かに殴られ、刃物で刺されたらしい」
「な……っ」
男が身体を震わせる。
ぶるぶると唇を震わせながら、
「……して、ない……俺は、…てなんか…」
「なんだ?」
尋ねるシルフィーモンへ、男は思いきった様子でしがみついた。
「お、俺はやってない!刺してなんか、ない!」
「何を、やってないんだ?なら、金の出処が滝沢裕次郎なのは、認めるんだな?」
グスグスと泣きっ面になりながら、男はうなずいた。
ーー昨日の事を、男は話した。
男は、派遣先での倉庫業務を終えて帰る途中だった。
元々町の住人ではなく、バスで一時間と離れた所からの通いだ。
少なくとも、昨日も、いつものようにバス停へ向かっていた途中に。
よたよたと一人の男が暗い道の中を歩いてきて、声をかけてきた。
「すみません」
薄暗い闇の中、顔もよく見えなかったが。
「どうか、どうか、手を貸してくれませんか?」
成り行きで、男に肩を貸し、自宅だという道を共に歩いた。
その最中に、見知らぬ男の名が滝沢裕次郎と聞き、恐怖心に心が満たされた。
ーー今、ネットの大型掲示板で、この町の事件の犯人だと噂の殺人鬼。
ふと、滝沢裕次郎がつまづき、懐から袋が落ちた。
中からこぼれた金塊に、恐怖心はピークに達する。
(こいつは俺を家に連れ込んで殺すつもりだ。この金だって、殺した奴のーー)
「どうした?私の家は、すぐそこ」
咄嗟に。
近くにあった石で裕次郎を殴り、金塊の入った袋を掴んで逃げた。
無我夢中だった。
今夜くらいはバスに乗り遅れようが構うものか、忘れよう、と……
「居酒屋に駆け込んで、呑んで騒いで、気づいたら警察署だった」
「……」
「なあ、頼む!金を取った事を認める!殴ったことも!でも俺はあの男を刺してない、刺してないんだ!殺してない、信じてくれ…」
シルフィーモンは一瞥をくれた。
「なら、昨日どこで滝沢裕次郎と遭遇したか、案内しろ」
「頼む、頼む…!」
「言っておくが私は警察じゃない、お前を釈放するかどうかは警察の仕事だからな。ともかく、おかしな真似はするなよ?石原警部補の極真空手とかいうやつを食らいたくなければな。来るんだ」
シルフィーモンが男を連れ立って取調べ室を出る。
美玖に目配せし、石原警部補を探す。
彼は玄関前に立っていた。
「おい、どうする気だ?」
石原警部補は慌てて美玖達の前を塞ぐように立った。
「ちょうど良い所に、石原警部補。この男が昨日滝沢氏を殴った事を認めた。今からこの男が滝沢氏と会った場所へ案内してもらうから、一緒に来てくれ」
「いくら貸し1にしたからってムチャクチャを言うな!…仕方ねえ、おーい、柏!」
石原警部補は近くを通りがかった若い警官へ声をかける。
「はい!」
「ちょっとこの男を参考人として外部へ同行させにゃならん。一緒に来てくれ。山口と榊原も呼んでこい」
「了解しました」
柏と呼ばれた警官が奥へ引っ込む。
「俺の部下を連れてく。逃げ出されちゃ困るしな」
「感謝する。それじゃ美玖、ラブラモンとグルルモンを待たせるわけにいかない。行こう」
場所は先程、石原警部補とシルフィーモンが合流した地域に移る。
「…この辺りだ。この辺りで、あの男を……」
男は言いながら、十字路を指差した。
「グルルモン」
美玖の言葉にグルルモンが動く。
鼻をうごめかせ、臭いを探す。
今にも泣き出しそうな空が、ついに雨を降らせていた。
まもなく、グルルモンの動きが止まった。
「ココダ、血ノ臭イガ一番濃イ」
見れば、血痕が大きく残っている。
そこから、点々と残っているようだ。
「思い出せ、滝沢氏は負傷していたか?」
「わ、わからない…暗かったし、覚えてない」
問いかけに男は首を横に振る。
美玖がグルルモンに言った。
「滝沢さんの血の匂いを追って、グルルモン。どこから来たか、辿りましょう!」
グルルモンはうなずき、早足で歩いて行った。
そして、たどり着いた先は、石原警部補が若い女に聞き込みを行っていた家の前。
血痕は、そこから続いていた。
「ここで、刺された?」
「ソノヨウダナ。別ノ奴ノ臭イガスル。……人間ノ臭イジャナイナ」
美玖がツールのライトで照らすと、二種類の足跡が入り乱れていた。
裕次郎のものらしき足跡とは別に、もう一つの足跡はどうやら女性のもの。
「……こちらの足跡を追いましょう。グルルモンもついてきて」
美玖がライトを照らしながら、行先を辿る。
そこは、空き家であるはずの家へ続いていた。
石原警部補が部下の若い警官三人に指示を出す。
「突入だ、裏口へ回れ!」
「「「はい!」」」
ーー空き家の玄関にカギはかかっていない。
足跡は暗い建物の中へ続いている。
警官三人とはそこで鉢合わせた。
「そっちもダメか」
「申し訳ありません」
「気にするな」
たどり着いた先はリビングだ。
リビングには家具は大きなソファ以外にない。
そのソファの下に敷かれたカーペットは、たっぷりと水気を吸っていた。
「……もしかして、乾燥を防ぐためかしら?」
足跡はその周辺で途切れている。
周辺の埃から、最近動かした形跡があった。
「ソファとカーペットをどかして下さい!」
「ああ!」
それらの物をどかすと、隠し階段が現れた。
滝沢邸の開かずの部屋にあった、地下への階段と同じ作りだ。
「ここは…下へ降りるしかなさそうだな」
シルフィーモンはつぶやき、石原警部補に言った。
「石原警部補、その男を部下に連れ帰らせろ。それで、急いでさっきお前が聞き込みをしていた若い娘を探させるんだ!……もう一つ、この町の人間に、不要に下水周辺に近寄らないように発令を!」
石原警部補は驚き、尋ねる。
「何が起こるって言うんだ!?」
シルフィーモンと美玖は互いにうなずき合い、こう返した。
「「何かが起こってしまう前に」」
階段を降りた先は地下水道。
真っ暗で、鼻を塞ぎたくなる臭いが辺りに満ちている。
滝沢邸の下と違い、こちらは水の流れが非常に緩やかだ。
シルフィーモンを先頭に、石原警部補、ラブラモン、美玖、グルルモンの順に並んで進んだ。
「石原警部補、これを。壁に掛かっていました」
「これは、懐中電灯か」
単1形乾電池を四つ使用するタイプの大きな懐中電灯。
付いていた汚れを見るに、かなり使い込まれたもののようだ。
「デジタルポイントではないからモーショントラッカーは作動できないようね…気をつけて」
「わかった」
探査機が作動しないということは、相手にこちらの動きを気取られたり逃走や奇襲の予測ができないということだ。
シルフィーモンはうなずき、歩みを進める。
「それにしても、地下水道に繋がってたとはな。こりゃ余程の事とは言わんが、犯罪者の巣窟になる可能性はあるぞ」
石原警部補はうなる。
家に細工をしておけば直通で逃げ道の確保が可能は捜査網には中々厄介な話だろう。
そこで、ラブラモンが美玖を振り返った。
「せんせい、なんかへんなにおいがする」
「えっ?」
前方、10m先。
そこで、何やら壁と地面が、黒く焦げている。
近寄れば、黒く燃えた何かが転がっていた。
「何かが炭化した?」
「誰だ、こんな所でゴミを燃やしたのは」
だが、もっと近寄って明かりを照らせばーー
嗚呼、それは、人体だ。
昨日、美玖とシルフィーモンが目にした…
黒く焦げたトルソーのような胴体、ちぎれた手足が散乱している。
「ここで燃やしてから、外に運んだのね…。燃やせばDNA鑑定はともかく外見での判別が難しくなる」
なにより、DNA鑑定や歯型だけで身元特定のための照合サンプルが必要になり時間もかかる。
必ずも一発で身元が割れるわけではない。
「……?」
手首までちぎれた左手のみのパーツに違和感。
美玖がそちらを見ると、その左手は微かに指を動かしているように見えた。
断面は黒い靄のようなものがかかり、やがて。
「!」
それは、五本の指を支えに動き出した。
「おい、どうし…手だけが動き出した!?」
美玖の反応から異常に気づいた一同が驚いて一歩退いた。
美玖が、震える手でそれを指差す。
「あ、あの手……」
「美玖、何かわかっ」
「はんど君!本物のはんど君だ!!」
「…………は?」
シルフィーモンが呆気にとられて美玖を見た。
彼女は目を輝かせ興奮している。
石原警部補が納得したような声音をあげた。
「ああ、確かに…似てるな」
手はカサカサと這い回るばかり。
「何のことだ?」
「昔にあった映画で動く手だけの…登場人物っていうのか?まあ、映画に出てたそれに似てるって話だ」
「…今一歩理解できないが、人間の身体は切り離されれば普通は動かないんだよな?」
「おう」
「…ひとまず追い払うか」
シルフィーモンの足が跳ね上がる。
ポーンとサッカーボールの要領で蹴り上げられ、動く手はたちどころに姿が見えなくなった。
「あっ、はんど君が……」
「美玖、あんなものに構うな。先を急ぐぞ」
どことなく残念そうな美玖を急かし、シルフィーモンはさらに奥へと進む。
やがて、扉が見えてきた。
扉には複雑な鍵がかかっている。
電子錠でもないため、ツールを使ってのハッキングもできない。
だが、シルフィーモンはそのピッキングに取り掛かった。
「これは難解だが……ここをこうして……」
「大丈夫?」
「ああ」
知恵の輪を解くようなもので、解くのに時間がかかってしまったものの。
「……よし、やっと開いた。手こずったな」
「スゲェな…」
「二年前の仕事の時の方が色々と楽だったよ」
そんなやりとりを石原警部補と交わしながら、シルフィーモンは扉を開いた。
……その先は。
「こ、これは……」
そこは、滝沢邸の研究室と似通いながらもより異様だった。
幾つも並ぶ2mほどのガラス管。
その中には裸体の女性が、一本につき一人ずつ、それが十組以上も入れられている。
ガラス管の培養液の中で揺蕩う、同じ顔、同じ髪の色と長さ。
全員の口からかすれた声で、同じ名前がつぶやかれた。
「……滝沢、直美……」
十数個もの屹立したガラス管、その中を満たす培養液、その中に浮かぶ十何人もの”直美”。
それはまさに、美玖が直美から直接聞かされた夢の一部そのものだった。
しかし、あるものは腕がなく。
あるものは脚がなく。
ある悲惨なものは内側から胴体が裂け、心臓があるべき部分には空洞が広がるばかり。
「こ、これが全部直美さんのクローン!?こんな事が人間にできるのか…!」
「グウゥゥ……コンナモノ、デジタルワールドデモ見タコトガナイゾ」
「おぞましい!おぞましいが…!直視出来ないほどじゃない」
シルフィーモン、グルルモンがたじろぐ一方で石原警部補は呻きながらもその光景を見据えた。
ラブラモンは変わらず、鋭い目つきでガラス管を睨みつけている。
「これまでの身元不明死体は、クローンを何体も作って持て余したものを、処分してたのね…」
美玖はつぶやきながら、部屋に置かれた机を見た。
そこには幾冊もの本と、殴り書きがされたメモが置かれていた。
『1.21ジゴワット』
『心臓は作れない』
『私はだれ?』
『お父さんの本当の娘に』
そんな脈絡のない殴り書きが目に入る。
そして、ある一文が大きく赤ペンで何重にも囲うように書かれ、
『ホムンクルスは短命で長くも二年までしか生きられない』
「ホムンクルス?」
書き込みを見た問いかけ。
美玖はそんな問いかけに答えるため、自身が図書館で調べてわかったことを話した。
「…だから、直美さんのクローン…ううん、ミオナは自身がいつ死んでもおかしくない状況に不安になって、何をするかわからなくなっている」
「それが身元不明死体の真相というわけか?」
「多分、ね…だから、彼女を止めましょう」
その時、突然ガラス管に接続されていたコイルが電気を纏い回り出した。
直後、頭上で大きな音。
「何だ、今の?」
「雷だろ、今の。どっかで落ちたか…音からして結構大きい雷みたいだな」
「それより、見て!機械……が……」
指差そうとした美玖の手が止まった。
「どうした?」
「……皆、ガラス管から離れて!」
「えっ?」
美玖は見てしまったのだ。
ガラス管の一つ、その中で動くものがガラスを内側から殴りつけている姿を。
ガシャーン!!
ガラス管が破られ、這い出る人影。
だらりと垂れ下がった長い髪の間からこちらを見る目には感情が一切宿っていない。
壊れたマリオネットのように立ち上がる姿は、元が美しいだけに醜悪だ。
「…まさか、さっきの雷…」
(そういえば…)
開かずの部屋に置かれていた、フランケンシュタインの本を思い出す。
フランケンシュタインの怪物は、つぎはぎの死体に雷の電力を流し込む事で生み出された存在。
そう、小説の中でしかないと思っていた事が、目の前で起きている。
「……石原警部補!」
バッグから小麦粉を取り出す。
これも買ってきたカッターで袋の一部を大きく切り裂く。
「石原警部補、これを投げつけて下さい!」
「何を……小麦粉!?そんな物でどうするんだ?」
「後で説明します!効果があるとわかるのならこちらとしても助かる事なんです」
有無を言わさぬ彼女から小麦粉の袋を受け取ると、肩に力を込め。
「でぇありゃああ!!」
ほぼ絹を裂くような叫びと共に投げられた小麦粉。
辺りに白い粉が舞い散る。
その中で、こちらに襲いかかるため動き出していたクローンは、先程よりも緩慢な様子を見せていた。
小麦粉をかぶった皮膚は水分を失ってか徐々に老婆の肌のように乾き、皺が寄っていく。
「効果が全くないわけじゃないね」
シルフィーモンもグルルモンも、その様子を、戦闘態勢をとりながら見ていた。
「だが、これで本当に倒せるのか!?」
「それは、わたしがみる」
前へ進み出たのはラブラモン。
「おまえのなかのいのちのありかた…みせろ!」
ラブラモンの赤い瞳が一瞬、緑色へ変化する。
アヌビモンとしての権能だ。
本来ならデジモンの魂の善悪を見抜く力だ。
その力を持って、ラブラモンは目の前のクローンを凝視する。
(……これは……!)
魂のないヒトガタの内部に、幾つもの球状の物質が生成され、それらは互いに”共喰い”をし合っていた。
共喰いを重ねる程に肥大化していくはずの球状の何かは小麦粉をかぶった影響からか少しずつ縮小。
だが、ラブラモン、否、アヌビモンが驚愕したのはその球状の物質。
それは、紛れもなく電脳核(デジコア)だ。
電脳核が電脳核を喰い合う状況。
しかし、デジモンという範疇で、アヌビモンはこれに似たものを知っている。
(まさか、死の進化(Death-X(デクス)か!)
X抗体デジモンに見られたある現象。
死んでなお、存在し続けるためだけに他のデジモンの電脳核を喰らい続けて死にながら生き続けるという、アヌビモンからすれば身の毛のよだつ恐るべきもの。
アンデッド型デジモンに分類されるが、これまでこの死のX-進化(Death-X-Evolution)を初めて行ったのは……皮肉な事に、ドルモンから成る進化形態のデジモン達だ。
だが、アヌビモンとしての権能で視ている間に、クローンはやがて電池が切れたかのように倒れ、動かなくなった。
「……どうなの?ラブラモン?」
美玖が尋ねる。
「…うん。こいつのなかで、でくすりゅーしょんが起こってた。しんじられないことだけど」
「死のX-進化(デクスリューション)だと!?」
シルフィーモンとグルルモンが愕然とする。
「まさか、ドルグレモンのデータを使っていた影響からか?」
「たぶん、そう」
「だとしたら、滝沢氏の研究はかなり危険だったことになるぞ!」
死の進化によって生まれたデジモンの恐ろしさを、シルフィーモン達も知っている。
生存、いや、存在するためだけに他者を喰らい続ける悪鬼が如き在り方。
それは、ミオナにも起こり得る可能性を示唆している。
「ひとまず、☆☆病院へ戻ろう。今頃に目を覚ましているかもわからんが…」
「移動中、石原警部補には、なぜ小麦粉を投げさせたか説明しますので…」
「お、おう!」
ーーー
そして、☆☆病院の受付へ、美玖達は駆け込んだ。
「警察だ。すまないが、滝沢裕次郎の今の容態について聞きたい!」
警察手帳の掲示と共に尋ねる石原警部補。
対応に出たのは、直美を連れて行った時に出てきた看護師とは別の人物だった。
「警察の方ですか、滝沢裕次郎さんでしたら先程目を覚まされましたよ」
「本当か!」
「すみません、今から面談させていただいても構いませんか?至急、滝沢さんにお尋ねしたいことがあって…」
美玖の問いに、看護師は待つよう伝えると、他の看護師と何やら話し合う。
そして、戻ってくると、
「10分の間でなら。御用が済みましたら必ず退室をお願いしますね」
「わかりました!」
部屋番号を教わりそこへ向かう。
美玖、シルフィーモン、石原警部補の三人だけで入室すると、そこには写真で見た男性がベッドにいた。
「初めまして、滝沢裕次郎さんですね?」
「ええ、初めまして。…あなた方は…」
「長野県警の石原警部補です。こちらは、五十嵐探偵所の者達です」
美玖とシルフィーモンが一礼する。
彼女の顔を見た裕次郎は口を開いた。
「あなたは…ニュースで顔を見た事が…」
「五十嵐探偵所所長の、五十嵐美玖です。この度は、あなたを案じたある方からの依頼で身元不明死体の事件を調査しておりました」
「ある方?」
「匿名希望のためお名前は出せません。ですが、依頼人はあなたをたいへん心配しておりました」
そこへ、病室のドアが開かれた。
チャッチャッと爪の硬い音が聞こえ、ラブラモンが入ってくる。
裕次郎はハッとラブラモンの方を見た。
「……けんきゅうしつをみせてもらった。おまえは、きんきをおかしたな?」
「ラブラモン!」
美玖が慌ててラブラモンを抱き上げる。
「すみません、この子は…」
「いや、良いんだ。…あなた方も、私の研究室を見たんだね?」
「ああ」
「……そうか」
石原警部補の返答にうつむく裕次郎。
ラブラモンを抱えながら、美玖は頭を下げた。
「…お願いします、あなたの力を貸してください。このままでは、あなたの…もう一人の娘さんであるミオナが、何をするか…」
「!!」
裕次郎の顔が勢いよく上がった。
「ミオナの事も知ってるのか!」
「…はい」
しばらく黙った後、彼は美玖の目を見ながら言った。
「私は、罪を犯した。だが…あの子に、ミオナに罪はない。約束してくれ。ミオナには手を出すな」
その言葉と目に、強い意志が感じられる。
美玖も静かにうなずいた。
……そこから裕次郎は、昨日の事を話し出した。
その日。
夕方になってもお使いへ寄越したミオナが帰ってこない事に、悪い予感を覚えた裕次郎は。
贔屓にしていた宝石店を初めに町のあちこちを走り回った。
そして、あの空き家の前でミオナを見つけた。
二人はそこで口論になり、そして裕次郎はその最中で”怪我”をした。
……事故だった。
「そこから戻る途中で、無職の男に助けを求めたが、ネットでの噂を鵜呑みにしていた彼に殴られて病院送りになったのか」
シルフィーモンがつぶやく。
元々、ミオナは、直美の延命のため賢者の石を作成に行き詰まった所落ちてきたデジモンから発想を得て生まれたホムンクルス。
そのデジモン、ドルグレモンのデータを消滅寸前のところで抽出し、直美の遺伝子データに加え人体に含まれるとされる成分を元に精製された肉体に注入されて生み出された。
…しかし、成功例は、ミオナ以降いなかった。
「その頃の私は、ミオナを直美の心臓移植用のクローンとしか考えてなかった。…だが」
移植を実行する前に、二人の細胞で実験をした。
その結果…拒絶反応が出た。
「それで、私は気付かされたんだ。自分の愚かさに。直美とミオナ。よく似ているが、他人だったんだと。そこから、ミオナへの感情も変わっていったんだ。どちらも、私の大切な娘だ。片方を犠牲に片方を生かす。そんな残酷な事はできない」
そこで、シルフィーモンは尋ねる。
「念の為に聞きたいが、地下水道にあなたの研究室とよく似たものが作られていた事はご存知ですか?」
「地下水道…?いや、私の研究室は私の家の中だけだ」
「じゃああれは、ミオナが作った研究室か」
かさり
サイドテーブルからベッドへ、一枚の紙が落ちた。
その紙には、短い一文で
『さよなら お父さん』
と書かれていた。
これを見た石原警部補が尋ねる。
「もしかして、直美さんが我々より先に訪ねてきていましたか?」
「いや、私は先程目覚めたばかりだ。…誰も来てない、と思うが…」
「それなら…きっと、ミオナだわ」
美玖が紙を見つめた。
「…それでも、ミオナはあなたからすれば血の繋がらない存在だ。その上、ホムンクルスとしての寿命が近づいているらしい。あなたの本当の娘になるために何をするかわからないぞ」
「そんな!」
シルフィーモンの言葉に裕次郎は目を剥いた。
「ミオナは寿命なんかじゃない!」
「えっ?」
「どういうことです?」
「ミオナはデジモンのデータから強い生命力を引き継がせることに成功したホムンクルスだ。…むしろ、デジモンとホムンクルスのハイブリッド、といっていい。だから……今が寿命だなんて、ありえない」
喘ぐように言う裕次郎。
その言葉に嘘は見受けられない。
「それなら」
「ミオナは思い違いから身元不明死体事件を起こしていたってことになる!」
美玖がラブラモンを下ろして言った。
「直美さんの部屋へ!もうじき面会時間も終わるし、ミオナがここに来ていたって事は」
「直美さんの部屋へ急ぐんだ」
石原警部補とシルフィーモン、ラブラモンが部屋を出る。
一人、敢えて遅れて残った美玖は、しかし背を向けたまま尋ねた。
「……もう一度、確かめさせて下さい。あなたにとって、ミオナは本当に大切な娘さんなんですよね?ただの臓器移植用の道具ではなく?」
裕次郎は答えた。
「ああ、臓器移植のための存在じゃない。ミオナも……私の大切な娘だ」
「……わかりました。必ず、ミオナも直美さんも、無事にあなたの元へ帰せるようお約束します」
美玖が駆けつけると、直美の病室には倒れた男性看護師しかいなかった。
石原警部補が起こしながら尋ねる。
「おい!しっかりしろ、何があった!?」
「な、……直美さんが、ふたり、いて…一人が…」
男性看護師の答えはまるで要領を得ない。
「くそっ、先を越されたか!どこへ行った?」
「それなら近くにいた人に!」
美玖が部屋を出て、近くにいた看護師をつかまえる。
「すみません、この近くでよく似た二人の若い女性を見ませんでしたか!?」
「え、ええ…さっき、階段を上がって行きましたよ」
看護師が言うに、意識のない一人をもう一人が支えていて、心配して尋ねれば
「気分が悪いようなのでちょっと屋上まで、と…」
「屋上か、急ぐぞ!」
「あ、あのっ!?」
階段を駆け上がっていく。
石原警部補が舌打ちした。
「一体何のために滝沢直美を?復讐するつもりか!」
「違う!」
美玖は首を横に振った。
「多分、復讐するにしても見せしめとかではありません!そんな形の復讐なら、とっくにさっきの部屋で殺してもおかしくない」
「じゃあ、何が目的だっていうんだ!」
「……本人に聞きましょう」
「そうだな」
屋上に上がった美玖達。
その先には、意識を失った状態でストレッチャーに載せられた直美と、彼女に接続された謎の機械を操作するミオナがいた。
美玖達に気づくと、傍らの直美にメスを突きつける。
「やめて、ミオナ!」
美玖が叫ぶ。
戸惑った表情でミオナは彼女の方を向いた。
「あなた達、誰!?なぜ私の名前を」
「滝沢さんから聞いたわ。他にも、色々と知ってる!」
「なら…なら、私が紛い物の生命だってことは知ってるでしょ!?お願い…役に立つ形で死なせてちょうだい」
そう訴えるミオナに問いかけを投げる美玖。
「何をするの」
「私の心臓を、直美に移植する。直美はそれで……生きられる」
ああ、だからか。
一歩、進む。
かすかな光を吸って、メスが光った。
「ミオナ、あなたの人生は、あなたの物よ。無理矢理自分を誰かの人生のレールにする必要はないわ」
「そもそも心臓いしょ……むぐぅ」
口にしかけた石原警部補を、シルフィーモンが強引に引っ張っていく。
ラブラモンも空気を読んでかついていく。
小声でシルフィーモンが言った。
(交渉(ネゴシエイト)中だ、外野の我々は様子を見よう)
美玖の言葉にミオナは言い淀む。
「でも…それだと、直美の命が…」
「あなたのお父さんは言っていたわ、ミオナ。あなたも直美さんも大切な娘だ、片方を犠牲にもう片方を生かす。そんな残酷なことはできないって」
「……でも……」
雨の中、涙がぼろぼろとミオナの目からこぼれ落ちた。
堰を切ったように彼女は訴える。
「でも、私……もうじき、死んじゃう……」
(そうだよね、寿命が近いと思ってるから…けれど)
不安を取り除く。
心臓移植ができない、その事実を彼女に知らせるのは…後だ。
「大丈夫よ。あなたのお父さんは言っていたわ。あなたはデジモンの強い生命力を受け継いだホムンクルス。まだ、寿命じゃない」
「え…………?じゅ、寿命じゃ……ない…?」
しばしの間時間は過ぎて。
ミオナはメスを取り落とし、膝から崩れ落ちた。
自分はまだ寿命ではない、父は自分の生存を望んでいる。
それを知ったゆえの脱力感だろう。
その時、頭上を一際大きな稲光がよぎった。
轟音と共に、病院の周辺がまっ暗闇に包まれる。
辺りで驚きの声があがるのを聞いた。
「…終わったようだな」
「それにしてもまたデカい雷だな。しかも停電か……ん?」
突然、何かが屋上へとよじ登る気配。
目の前を飛び出したのがグルルモンと知って、石原警部補は危うく気絶しかけた。
「どうした?グルルモン」
「地面ノ下カラ何カ来ルゾ!」
「地面の下?」
どぉん!!
「!?」
「何?一体なんなの!?」
真下から突き上げるような振動。
シルフィーモンが屋上から下を見下ろし、彼の目は闇の中で道路を引き裂き現れる蛇のようなシルエットを捉えた。
それは、コンクリートの下から汚水と共に現れ、粘土のように自らの形を形作っていく。
蛇のように見えるそれは、そこに集合して合体した全てが、滝沢直美のパーツだ。
やがて、長い首、大きな翼、短い脚に長い尾。
それは、遠目に見ていた美玖達の前でおぞましい吠え声をあげた。
「あれは……」
シルフィーモンがその姿をつぶさに見た。
両目を覆う肉のプレート。
鼻をうごめかす姿。
口からしゅるりと覗く蛇のような長い舌。
姿はドルグレモンに酷似していたが、先程のクローンの様子から大体想像がつく。
つまり……
「デクスドルグレモンになったのか…!あれを野放しにするのは危険だ!」
「いや、それより」
石原警部補がうめく。
「こっちに来るぞ!」
クローンがより集まって生まれたデクスドルグレモン。
それが、猛烈な勢いで病院めがけて地面を走ってきた。
「な、なにあれ、こっちに」
その姿に声を震わせるミオナ。
美玖が咄嗟に振り返る。
「直美さんと一緒に私達の後ろへ下がってて!」
デクスドルグレモンは病院前にたどり着くと、前足の爪を壁に突き立てた。
鼻先を屋上へ覗かせ、匂いを嗅ぐ。
その鼻先は、シルフィーモン、ラブラモン、グルルモンと移動し、ミオナと直美の方へしきりに鼻腔が開閉を繰り返す。
「まさか…直美さんとミオナを狙って…!」
美玖はグルルモンに背負わせていた小麦粉の袋を即座に切り裂き、石原警部補に渡した。
「石原警部補!」
「お、おう!」
「姿と大きさが変わっても弱点は同じはず…頼みます」
渡された小麦粉を、石原警部補は抱えて走る。
そして、鼻先を覗かせていたデクスドルグレモンの胴体めがけてその袋を落とした。
小麦粉の当たった部分が煙をあげ、グズグズに崩れていく。
そんな状態であるにも関わらず、デクスドルグレモンは屋上へ上体を乗り上げようとした。
その時、美玖に見えた。
崩れた肉の間に現れた、大きな球状の塊を。
「あれ、もしかして電脳核?」
「あれを壊してしまえば、動きは止まるかもしれない」
「ヴァルキリモン、出てこい!お前も手伝え!」
ラブラモンの声にヴァルキリモンが出現した時。
タイミングを同じくして、デクスドルグレモンは遂に屋上へ上体を乗せ上がった。
首をもたげ、睥睨しているデクスドルグレモン。
小麦粉を浴びて崩れたはずの身体が、クローン個々にある電脳核の喰らい合いからくる増殖・新陳代謝に似た死の進化の働きにより瞬く間に再生していく。
たちどころに、最も大きな電脳核は見えなくなった。
「傷を修復しやがった!?」
ーーーそのようだ、だが手はあるよ。
「て、誰だあんた!?」
驚く石原警部補にヴァルキリモンは薄く笑んで。
ーーーあの電脳核が弱点ならば砕くこともできようさ。
「そうだな、おまえのけんのれいきなら、でじこあをはかいしつつしゅうへんのさいぼうのでくすりゅーしょんをおさえられるだろう。やるぞ」
「凍らせる事で、細胞組織を破壊し、再生させにくくするんですね」
『フェンリルソード』の冷気を近くで浴びた感覚を思い出す美玖にヴァルキリモンはうなずく。
ーーーさあ、こじ開けてくれたまえ。
「やるぞ…!」
「ええ!」
胸元が熱い。
光の矢で狙いを定める美玖の胸で、光が生まれた。
薄桃色とオレンジゴールドの光を放つ、二つの紋章が、燃えるように輝いた。
(約束したから…必ず、滝沢さんの元に帰すって!)
その想いを込め、美玖はデクスドルグレモンに向けて聖なる光の矢を放った。
小麦粉が投げられ、
「『トップガン』!」
「『カオスファイヤー』!」
「『レトリバーク』!」
集中攻撃を受けたデクスドルグレモンは大きくよろめく。
崩れた体組織がボロボロとこぼれ落ちる中、再びその姿を現した電脳核は、死の進化の影響か不気味な赤い輝きを放っていた。
ーーー『フェンリルソード』!!
高速、斬撃。
ヴァルキリモンの剣が電脳核を真っ二つに切断。
その周りが凍りつく。
魔剣の凍気を受け壊死していく細胞は死の進化を継続する事が難しくなり、電脳核なしで集合体となった肉体の維持ができなくなる。
デクスドルグレモンの形を成していたモノは、形を失い大きく崩壊していった。
「ーーミオナ!」
声に美玖達が振り返る。
石原警部補の部下達に支えられた裕次郎がいた。
「…お父さん!!」
ミオナが駆け寄り、裕次郎はそれを抱き止める。
嗚咽が、屋上に響き渡った。
「……終わったな」
「帰りましょう。直美さんも、元の病室へまた寝てもらわないと…」
………
未だ眠ったままの直美を元の病室へ運び、改めて二人の話を聞くことになった。
先程も伝えられた通り、裕次郎は直美の延命のため賢者の石を研究しており、その途中ホムンクルスの技術と死ぬ間際のドルグレモンから抽出したデータからミオナを生み出した。
一方ミオナは、ホムンクルスが短命と知った一年前から、自らの延命のためミオナ自身のクローンを造っていた事を話す。
しかし、裕次郎と同じように、試みは全て失敗した。
「……殺人事件なんて、最初からなかったんだ」
シルフィーモンがつぶやいた。
あのクローン達も、雷のような強烈な電気がなければただの肉の人形だ。
生命など始めからない状態だったのだ。
「最初から、ミオナと滝沢氏が素直にお互いの事を話していれば」
無職の男が、裕次郎を殴らなければ。
周りの悪意や無意味な義憤、無知が、存在しない殺人鬼の影を作り出していたのだ。
「……でも、良かった。一人も犠牲者が出なくて、本当に良かった」
「ただ、あのデクスドルグレモンもどきの後始末やら、結局滝沢裕次郎に向けられた犯人と見なす向きをどうにかしなければだがな」
「そこは…ほら」
美玖が意味ありげに、シルフィーモンの方を向く。
「うちには、コネやツテを持った優秀な助手がいますから」
「何から何まで私任せにする気か、どいつもこいつも…」
盛大にため息をつき呆れるシルフィーモン。
石原警部補がニヤついた顔を見せた。
「だな、うちの署にも欲しいくらいだ」
ふと、美玖はある考えがよぎった。
そうだ、ミオナは寿命を心配する必要はない。
けれど。
「……シルフィーモン」
「何だ?」
「直美さんの、心臓のことを考えてた」
人間だけでは打つ手がないのなら。
「シルフィーモンのコネで、腕の良い医者なデジモンはいないの?」
「…美玖」
彼女が何を考えているかわかる。
だから。
「美玖、そこは私達の管轄じゃない。いないとは言わないが…それに君が私情を持ってまで対応する必要はないよ」
「でも、なんとかしてあげたい。人間の方で治すのが絶望的なら、デジモンの力でどうにかできない?」
「………」
シルフィーモンは沈黙。
ジッと見つめる美玖。
やがて、観念したように、シルフィーモンは言った。
「いないわけじゃない。腕は確かだ。……だが、人間をやたら手術したがるド変態だぞ。そこに目をつむれば、タダ同然で手術するとうそぶいてるが…やめるなら今のうちだ」
それでも、意思は変わらなかった。
「お願い」
ーーーー
☆☆病院に出没した巨大な化け物の噂は、たちまち病院周辺の目撃者の証言や撮影されてネットに投稿された動画から広まった。
これに対し、一部の報道をシルフィーモンのコネから複数のパブリモン達による情報操作で対応。
数多の誤情報をネットに流すことで、怪物に関する詮索を牽制した。
『怪物はデジモンであり、これまで発見された身元不明のバラバラ死体は怪物による犠牲者のものだった。これに対し、長野県警の石原警部補と出張中の五十嵐探偵所所長とメンバーのデジモン達が応戦。怪物は退治された』
このような話がネットに流され、やがて裕次郎を犯人視する声はなりを潜めていった。
遠くないうちに、死体騒ぎと化け物騒ぎは、忘れられていくだろう。
ーーー
一方、シルフィーモンの紹介を受け、美玖と裕次郎、直美は医者をしている一体のナノモンの元を訪れる。
「おっほほほほほーう!!なんとこれはこれは!本当にあいつの言う通り、人間の患者が来てくれたぁ…ありがたい。これで我が寿命が一年延びるというもの、あっはははー……おっと、失礼失礼!」
エキセントリックな言動に、不安がよぎったものの。
結果的には、手術は成功。
ナノモンが自らのウイルスを改造した医療用ナノマシンを注入することで、直美の体内の弾丸は無事に摘出された。
(…確かに、デジモンは危険な存在だけれど…人を幸せにすることだって、できる)
そんな事を、美玖は思った。
ーーー
裕次郎、ミオナを交えての話し合いで、ミオナは五十嵐探偵所へと同居することになった。
裕次郎は、ミオナが人間らしく暮らせるようにと、以前から戸籍の取得や免許証取得など彼女に取らせていたという。
「これから、よろしくね。美玖、シルフィーモン、ラブラモン、グルルモン」
彼女は笑った。
「こちらこそ!」
その胸に、赤い石が光る。
事件の後に裕次郎がミオナへ贈った、デジコア・インターフェースを模したペンダント。
…その石は、直美のものと同じ、ただの石ではなかった。
賢者の石、完成には一歩及ばずも極めて近い性質を持って作成の実現したものが。
ミオナが生まれた日、ミオナが”寿命を迎える”と怯えていた日に贈られたのである。
結果を言えば、ミオナは確かに、寿命を迎えることはなかったわけだ。
……その後日、五十嵐探偵所を訪れた直美は、美玖にお礼を言いに来た。
「ありがとうございます。何からにまで…父への嫌がらせもなくなって、本当に、感謝しています」
……その様子を、ミオナは陰から見つめていた。
シルフィーモンが声をかける。
(会わないのか?)
(…うん。これからも、私は、直美に会わない方が良い。そう思うの)
ーーー
美玖は、のちに近況報告を、三澤警察庁長官へ行った。
通話のやりとりで、美玖は、今回の事件の事を話した。
「……三澤警察庁長官」
『なんです?』
「警察というのは、やはり、誰かに信頼される仕事であるべき…ですよね?」
『…正義や信念に縛られなくて良いのですよ。五十嵐さん』
三澤の声はいつもより穏やかで。
『肝心なのは、正義や信念に囚われ過ぎず、市民が安心して暮らせる土台を築き、守ることです。……最近は、それをわかっていない者が多いようですがね』
……………
後日。
一通のメールが、探偵所に届く。
送り主は滝沢裕次郎。
内容は、謝礼と人探しの依頼。
『私の友人を探して欲しい』
裕次郎の話によると、友人が姿を消したのは四年前。
時を同じくして、世界各地で、ある事件が起きてもいた。
…デジタルウェイブの研究者が、何者かにより殺害されていたのだ。
『私の兄と、妻の花江も、デジタルウェイブの研究者でした。それが、あんなことに』
裕次郎の兄は、同じ年に何者かによって妻とは別の場所で殺害された。
そして、デジタルウェイブの研究者が狙われ、殺害されていく背後に友人が関わっているという情報を得ていたのである。
『どうか、彼を探して欲しい。デジタルウェイブの研究者はデジタルウェイブを操作・管理する権限を持つ。でなければ…』
25年前に世界中に襲いかかったイーターの脅威。
イーターを制する鍵は、デジタルウェイブにある。
それを制御する者がいなくなったら、誰もイーターを止める術がなくなる。
送られた友人の情報と顔写真。
それを見た美玖とシルフィーモンは、険しい表情になった。
「……こいつが……」
その人物の名は、湯田悟。
その顔はまさしく、数ヶ月前にホテルの支配人と依頼人を装い、美玖とシルフィーモンを罠に陥れたあの男のものに他ならなかった。
(続き
その夜。
墨田区にある渡部巡査の家は、彼の人生の中でもとても騒がしい事になった。
彼女もまだいない独り身には少しばかり広い家だが、時々友人を呼び込んでいたよりも大所帯である。
「……っかーっ!これが人間の飲む酒かい!中々オツなものだねぇ!」
「は、はあ…」
缶ビールを丸々カラにしたベルスターモンを前に、渡部巡査はぽかんとした。
急な客でもあるため頼んだ出前のピザも、かなりの早さでなくなっていく。
独身貴族でないとはいえ、まだ余裕はある方なのだが不安になる。
唯一、沢山食べそうだったグルルモンだけが庭で早くも寝についていたのは救いのように思えた。
「おまわりさん、これおいしい!」
「そ、そうかい、ははは…」
ミックスチーズのピザをはぐはぐ食べながらしゃべるラブラモンに乾いた笑いを返し、渡部巡査はその毛並みを撫でた。
「…こうして触ってると、実家のタロウを思い出すなあ」
「たろう?」
「ああ、うん。飼ってた犬だよ」
「ふうん」
ラブラモンは犬にかなり近い容姿をしたデジモンであるため、渡部巡査には余計犬との区別がつかなくなってきている様子。
その後ろからベルスターモンが、今夜四本目の缶ビールを手に絡んできた。
「結構良いねェ!アイツらへの土産に何本かお持ち帰りしたいけど良いかい?」
「ちょっと困るよ…」
「ベルスターモン、早々に酔っ払ってない?」
呆れた口調でノワールとブランがベルスターモンを引き離す。
渡部巡査は思わずホッとした。
馬鹿力でないが、人型デジモンの力は見た目より強いことが多いので加減なしに絡まれると痛い目を見る。
ましてや、渡部巡査は知るよしもないが相手は究極体だ。
究極体デジモンが本気を出せば人間の家屋の一つや二つ、風穴がいつ空いてもおかしくないだろう。
「しかし………あああ…今度飲む分が、もうなくなって…」
冷蔵庫の中のビールの残り本数に沈んだ声と面持ち。
そこへ鳴るインターホン。
ブランが出ると、すぐにがちゃりとドアを開けた。
「しるふぃーもん!」
「すまない、遅くなった」
尻尾を振って迎えるラブラモン。
ますます犬のようだと思いながらも、思考の切り替えの為にも渡部巡査はシルフィーモンに聞いた。
「その…彼女、大丈夫でしたか?」
「緊急手術で弾丸の除去と輸血をした。医師から的確な措置がなければ間に合わなかっただろう、と言われたよ。…輸血に必要な血液があったことも幸いだとさ」
「良かった…」
いや、とシルフィーモンは首を横に振る。
命こそ取り留めたものの、美玖は現在意識不明の状態だ。
いつ目を覚ますか、その見当はつかない。
「そうでしたか…」
「美玖の両親と、彼女の元同僚だった刑事の夫妻が駆けつけてきた。彼らに仔細を伝えたところで端末に知らせを受け取ってこっちに来たよ」
ところで、とシルフィーモンはシスタモン達姉妹を振り向く。
気づけばノワールまで飲んでおり、ブランは収拾に手間取っている。
「これは一体どういう騒ぎだ?」
「ええと…あそこのベルスターモンさんてデジモンが僕の冷蔵庫から出したビール飲み始めまして…」
やれやれ、とシルフィーモンは外へ向かう。
「あれ、どっかいくの?」
「コンビニだ。何かいるか?」
「うーん…あ、おかし!」
「なんでもかい?…少し待っててくれ」
ーーー
馬鹿騒ぎが落ち着いたのは22時を過ぎてやっと。
気づけばベルスターモンもノワールも大の字に伸びていた。
シルフィーモンとブランは半ば呆れた顔をしながら、彼女達を隅へ転がしておいた。
シルフィーモンが気遣いに買ってくれた追加の缶ビールの一本で一服し、安堵する渡部巡査。
「すみません、我が家ながら世話をかけさせてしまって」
「いえ、こちらこそ急に押しかけてしまって本当にすみませんでした。姉さん達ってばだらしない…」
そう返し、ため息をつくブラン。
腰を落ち着け、シルフィーモンは改めてブランの方を向いた。
「それでだが、私と美玖に話したい事があると言っていたな」
「はい。私達は今日遭遇した人間達と同じ人間に、以前もあなたと彼女が遭遇していると聞いてやってきたのです」
「エジプトの件か」
「師匠からハックモンへの知らせついでに聞いてきて欲しいと」
「師匠……ああ、ガンクゥモンの事か」
ガンクゥモン。
ロイヤルナイツの一人であり、最も新たに加わったロイヤルナイツの一人ジエスモンとは師弟関係にある。
他のロイヤルナイツと異なり、他のデジモンとも柔軟に対応・連携を取るという方針と主義を持っておりこれは弟子のジエスモンにも受け継がれている。
初めてジエスモン、…それが退化(スケールダウン)したハックモンに遭遇するまで、シルフィーモンはその情報に半信半疑だった。
「するとお前達はガンクゥモンの関係者か」
「関係者であり、彼は私と姉さんの恩人です。…そのおかげで色々と大変だった事もありましたが」
こほん、と咳払いしてブランは話を戻す。
「それでですが、エジプトであなたと彼女が遭遇した人間について詳しく話してもらっても良いですか?」
「それは構わないが、美玖でなければ詳しく話せない情報もあるぞ」
「あなたから、詳しく話せるものであれば」
「……そうか」
エジプトで遭遇した時の出来事を、シルフィーモンは話した。
ーーー
「…というわけだ。スカルバルキモンにやられた後の車にソウルモンが殺到したその後からは、残念だが私達は知らなかった」
「なるほど…ロイヤルナイツが確保したのは一人だけでしたので、彼の証言とも合致しますね」
シルフィーモンから聞いた話にブランは納得したようにうなずいた。
「しかし、中国語の一つとは…私達は人間達の言語を多くは理解していなくて…」
「私も。できるのはいくらかの英語のみ。…今のところ、身近な人間であの言葉がわかるのは美玖だけだ」
「弱りましたね…」
渡部巡査は脇で眠りに入ったラブラモンを撫でながら、ビールを一口。
「広東語ですか…私もそれどころか中国語はさっぱり」
「少なくとも、今回でのあのやりとりからしてやはり大元は友好的な相手の集まりではないようだな」
「これまで襲撃されたケースでも、無言で攻撃を仕掛けてくることが多かったそうです」
シルフィーモンは美玖を射撃してきた男達の言動を思い出した。
あの雰囲気や装備は、そこらのヤクザとは明らかに違う。
軍事ほどとは言わないが、明らかに妙でもあった。
「美玖の様子はまた明日確認するとして、今日の駅での調査の話を聞きに本所警察署へ行く」
「でしたら、私達も行きますよ。イグドラシルの件はなるべく多くの人間達に通達した方が良いと師匠も言っていました」
「なら、それで」
話を切り上げ、その夜は全員寝に入った。
………
「………んん………ん?」
夜が明け、渡部巡査が目を覚ますと何やら匂いがする。
誰かが朝食を作っているようだが…。
「ふぁ……」
「あ、おはよう、おまわりさん」
「おはっ…… !?」
渡部巡査は驚き、目をこする。
ラブラモンが台所に、椅子を台にして立っていた。
探偵所では見慣れたものだが、渡部巡査からすればデジモンが食事を作る光景は初めてだ。
「おまわりさん、かってにれいぞうこのなかつかっちゃったけどごはんつくったよ!すくらんぶるえっぐとさらだ!」
「す、すごいね…」
犬のような見た目ながら、包丁も危なげなく使える事に二度見してしまう。
「こ、こういうのもやってるのかい?」
「うん!せんせいと、しるふぃーもんにおそわっててつだってるの」
「偉いなぁ」
「えっへん」
他のデジモン達はまだ目を覚ましていない。
渡部巡査がハッとして時計を見る。
時刻は朝の8時。
「そういえば今日は燃えるゴミの日だ…急いで出しに行かないと」
「わたしもいっしょにいってもいい?」
ラブラモンが前足を拭きながら椅子から降りた。
「良いのかい?ちょっとゴミが多いから人手…デジモン手というのかな。助かるよ」
少しして、二袋分のゴミ袋を一袋ずつ持った一人と一体が外へ出た。
だが、この時は渡部巡査もラブラモンも尾行の気配に気づくことはなかった。
ーー
「よっ、せ…」
「うんしょ、と…」
ゴミ捨て場は少し離れた場所にある。
カラス避けのネットをかき分けてゴミ袋を置き終えた。
それじゃ戻ろう、と渡部巡査がラブラモンを振り返りかけた時。
パチッ
不穏な物音と、ラブラモンが叫ぶ。
「おまわりさん、うしろ!」
渡部巡査がそれに反応するより早く、彼の背中に電撃が突き刺さった。
「が、ああ…っ!」
「おまわりさん!」
倒れる渡部巡査の後ろから現れたのは、数人の男達。
いずれもパーカーのフードを目深にかぶり、手には警棒のようなものを手にしている。
…間違いない。
「……っ!」
渡部巡査が心配だが、彼らの狙いは自分だ。
とっさに走り出したラブラモンに、男達が声をあげ追いかけてきた。
途中、犬を散歩中の年配の女性が通ったが、ラブラモンと後を追いかける数人の男を見て不思議そうに首を傾げた。
どうやら、ラブラモンを本物の犬と見間違え、散歩中に犬が逃げたと思ったようす。
ラブラモンにしても、助けを求めようにも男数人に対して小型犬を連れた女性一人では危ない。
後を追いかける男達が何かやりとりを交わすのが聞こえる。
だがそれに構う余裕もない。
「…っ!!」
ラブラモンの足が止まる。
目の前に行き止まりの壁。
背後から迫る複数の足音。
振り向くと、電流の走る警棒を握りしめた男達が道を塞ぐ。
ぐっと四つ足を踏ん張ると、ラブラモンは吠えた。
「『レトリバーク』!」
「っ!」
吠え声による超振動が一人二人を吹き飛ばす。
成長期といえどデジモンの力は侮れない。
だが。
昨日の男達同様に、彼らもタフだ。
「ーー!」
構わず立ち上がった者も含め、男達は一斉にラブラモンへ殺到した。
複数の手がラブラモンの毛を掴み、地面に引き倒す。
「はなせ!はなせーっ!!」
暴れるラブラモンの耳元に、バチバチという音が聞こえる。
警棒が首元に押しつけられた瞬間。
強い衝撃が電脳核(デジコア)を襲い、意識が遠のいた。
ラブラモンが気を失うのを確認すると、男の一人が何かを取り出す。
ベルスターモンが持ち帰ってきたものと同じ球状の機械だ。
突出したボタンをラブラモンの体に押し付けると、青い光がラブラモンを包み込む。
ラブラモンの身体が光に包まれ、ボタンから機械の中に吸い込まれると、機械の透明な部分にDNAの螺旋のホログラムが生まれた。
実体化したデジモンの身体をデータに、その体重をデジモン各個のデータ量に還元し、収納するシステム。
デジモンの身体がデータで構成されている事を利用した、質量保存の法則をクリアした代物だ。
ラブラモンをその機械に収納した男達が立ち去ろうとした時。
「ホアアチョオオオオー!!」
一人がどこからともなく飛んできた紫色の影に蹴り倒される。
トゥルイエモンだ。
「その機械に今入れたデジモンを放してもらおうか!ーー『雷撃踵(しょう)』!」
続いて高速で回転しながら飛び出し、もう一人へ踵落としを浴びせたのはバウトモンだ。
だが彼らだけではない。
彼らが現れた後ろから声がした。
「頼む!あの子をあいつらの手に渡してはいかん!」
そこにいたのは黄色い身体をした恐竜の子どものような見た目のデジモン。
アグモンと呼ばれる成長期デジモンだが、ハンチング帽にコートとステレオタイプの探偵のような格好をしていた。
「わかってるが、あいつら逃げ足が速いぞ!」
一人を倒したバウトモンが舌打ちしながら振り返る。
男達は、ラブラモンを閉じ込めた機械を持った一人を守ろうと、積極的にトゥルイエモンやバウトモンへ向かってくる。
肉壁になるつもりのようだ。
どこからともなく車が走り、男達の前へ止まる。
「こいつ、また邪魔するアルか!」
肉壁に押されてトゥルイエモンがうんざりと叫ぶ。
その間にラブラモンの入った機械を持っている男が車に乗り込んだ。
ギュリィィィイイイイイイイ!!!
タイヤがアスファルトを荒々しく擦る。
バウトモンとトゥルイエモンを蹴散らす勢いで、車はどこかへ走り去った。
男達も、打ちのめされた仲間を抱え逃走する。
「くそっ!」
「焦るな」
「でもよ!」
バウトモンが歯軋りしながらアグモンの方を向き直る。
アグモンはハンチング帽を軽く爪の先で持ち上げ、去っていく車を見た。
「バックナンバーはすでに確保しておる。ともかく、先程の彼を起こして戻るぞ」
「………わかりましたアル」
ーーーー
一時間後。
…渡部巡査の家の中は重い空気に包まれていた。
当の家主でさえ、未だかつて勤務中にあって味わったことのないものだ。
ラブラモンがさらわれた。
不覚にも、自分は注意を払えず、守れなかった。
「……それで」
口を開いたのはシルフィーモン。
「彼らの居場所について足掛かりは?」
「先程、奴らが乗った車のナンバープレートは押さえた。むろん、これだけでは場所の特定には行きつかぬ。そこで…」
シルフィーモンの問いに答えながら、探偵の姿をしたそのアグモンは、シルフィーモンやグルルモンにはあまりにも見慣れた道具を付けた片腕を示した。
「ウイルスの一種を車に仕込んだ」
「それは…美玖が着けているものと…」
「うむ。わしが着けているこれはプロトタイプだが、あの子に与えたものはデバイスも含めこれがなければアップロードがままならんでな」
渡部巡査を拾って家へ駆け込み、事態を話す傍らでこのアグモンは自らを探偵であり美玖の師と名乗った。
どこで聞いたか美玖の現状を知って、トゥルイエモンとバウトモンにコンタクトを取り合流。
そこで美玖の探偵所の関係者たる三体に会おうと向かった先で、ラブラモンがさらわれたところに居合わせたわけである。
「あの子がまさか奴らと接触してしまうとは、そのうえ撃たれるなどと…」
探偵アグモンはしかめ面で顔に手を当て、嘆息した。
「だが、まずはさらわれたラブラモンを救わねば。良いか、車にウイルスを打ち込んでおいた。それをこのツールで探知する。奴らは極力人目を避けるだろうが、ラブラモンの匂いを知っとるならそこの彼に追跡を任せられるはずだ」
「ソレハ構ワナイガ…」
探偵アグモンに目を向けられたグルルモンはシルフィーモンと顔を見合わせる。
「俺ダケデ行クベキカ?」
「うむ。大人数で追えば却って追跡を気づかれよう。なにより、主らの顔は向こうへとうに割れておるゆえ素で行くのも勧められん。ワシと主だけで行けば偽装コマンドによるカバーはできるはずだ。やれるか?」
「………アア」
グルルモンが立ち上がると、探偵アグモンはその背中にひらりと乗った。
かなりの差であるに関わらず随分と身軽である。
「では、ワシはこのグルルモンと追跡に出るゆえしばし待て!」
「そ、そんな急に………行っちゃった…」
一飛びで庭を飛び越えるグルルモンに、ノワールは呼び止められず。
ブランがシルフィーモンに尋ねる。
「あのアグモンさんが、美玖さんのお師匠様なんですか」
「彼が着けているあの道具で疑う余地はない。あれと同じものを美玖も着けているし、彼女から以前に話は聞いていた」
「……にしてもねぇ」
ベルスターモンはあぐらの姿勢をとりながら考え事をしていた。
「ありゃ、多分だがそれなりに名のあるデジモンなんじゃないか」
「え?」
「あそこまで雰囲気の違うアグモンなんざ見たことないし、纏ってる雰囲気が成長期やそこら辺の成熟期とは段違いなんだよ」
そう言うベルスターモンにノワールは目を瞬かせる。
「じゃあ、あのアグモンって」
「アタシの見立てじゃありゃおそらく完全体…それも相当に長く生きてる奴か究極体が退化(スケールダウン)したものだろうね」
「………退化、か」
シルフィーモンはハックモンもといジエスモンのことを思い出した。
究極体デジモンがおいそれと人間の世界に来れないのは、イグドラシルと人間の契約ゆえ。
完全体デジモンまでをギリギリのラインとして、イグドラシルは人間の世界へ入る事を許した。
究極体デジモンはデジタルワールドに強い影響を及ぼす者が多い。
それが人間世界に飛びだせば、いずれは強い悪影響を人間世界を通じてこちらに及ぼしかねない危険がある。
イグドラシルはそう判断した。
そのような判断から、デジタルワールドから究極体デジモンが人間世界に入ることも、人間がデジタルワールドへ入る事もイグドラシルは厳重に規制した。
……依然、デジタルワールドに人間が迷い込む事があるにも関わらず。
一方で、イグドラシルが例外として人間世界への進入を許している者達もいる。
その例外の一部が、イグドラシルの傘下に入るロイヤルナイツ達。
デジタルワールドの秩序を護るため彼らは滅多に自らの意志で人間世界に足を踏み入る事はない。
ならジエスモンが何の意図で、自身ら探偵所の者と接触を図ったのか。
「それに、あのラブラモン、あれ元があのアヌビモンだろ?」
「え?」
「は??」
バウトモンとトゥルイエモンが唖然とする。
「お、おい、アヌビモンって…」
「デジマアルか!?さっきのよりも衝撃的アルよ!?」
「…………すまない」
シルフィーモンが真顔で言う。
「事実、なんだ。私と美玖が前にエジプトで行方を絶ったとの事で探すようにと依頼されていたデジタマが、ある理由からアヌビモンが自身の力を使ってなったものでな。ラブラモンは、そのデジタマから孵ったものなんだ」
「なんと!?」
「あ、あの…」
渡部巡査が割って入る。
「そ、そのアヌビモンっていうのは凄いデジモンなんですか?」
「ああ、デジモン知らない奴(クチ)かいアンタ。まあ、一言で言えばそうさね…こっちで言うところの閻魔大王とかいうのみたいなものさ」
「え、閻魔大王…」
「デジモン達が死んだ後に行くダークエリアという世界の管理人でもある」
ベルスターモンとシルフィーモンが言うと、渡部巡査は何やら混乱した様子。
「ぼ、僕らはそんなデジモンに朝ごはん作ってもらったり、ゴミ出しに手伝ってもらったりしてたのか…!」
「……そう考えるとすげぇな…」
バウトモンがぼやいた。
ダークエリアの管理者にして裁判官がそれをやるギャップ。
だが今はそれよりも。
「美玖には今、阿部警部の奥さんがついている。何かあれば連絡をくれるよう頼んでいるので私達は一度待機。アグモン達が戻ってきたら本所警察署へ行くことを提案しよう」
シルフィーモンは全員の顔を見ながら言った。
…………
目を覚まし、一番最初に感じたのは冷たく固い床。
空気を鼻から吸い込めば、鉄錆と薬品が混ざったような嫌な臭い。
「……っ……うう…」
まだ力が入らない体を無理矢理起こし、ラブラモンは自分が今いる場所を見回した。
そこは、暗い部屋の中だった。
あまり大きな部屋ではなく、鉄の格子が付いているのを見るあたり独房のようだ。
所々にデジモンのものらしき毛や髪が散らばり、壁や床には引っ掻き痕が残されている。
ここへ閉じ込められたままでは、いずれロクな事にならないだろう。
「……」
格子に耳を押し付け、わずかでも音声を拾おうと努める。
まもなく、二人分の足音が近づいてきた。
話し声も聞こえる…が。
「……………」
「………、………。………」
やはり中国語っぽい言葉…美玖が言っていた『広東語』なのだろう、会話が全くわからない。
やがて足音はラブラモンが入れられた部屋に近づいてきた。
すぐ横になってまだ気を失っているふりをする。
(いま、わたしがおきてるってわかったらだめ…!)
人の気配がすぐ近くに来るのを感じる。
薄目を開けてちらりと見やると、痩せ型の男と豊満なバストをした黒髪ショートヘアの女がいる。
二人ともに白衣を纏い、薬品の臭いを漂わせていた。
「………、…………」
「…?………、……………」
「…」
二人は話しながらラブラモンを見やる。
(だいじょうぶ…きづいてない…)
しかし。
ラブラモンは不吉なものを覚えていた。
二人連れのうち、女の方にである。
女はぱっと見で年齢30代ほど、濃い紫のアイラインが目立つ派手めな化粧をしている。
だが、ケバケバしさは感じず、むしろ匂いたつような色気を帯びていた。
(このけはい…どこかで…)
まもなく、男からの言葉に女が応じて、それをきっかけに二人は部屋から去った。
と、その時。
女がラブラモンの方を振り向く。
そして、唇が紡いだのは、ラブラモンにも馴染みのある言葉。
「そうよ…あなたのことはたっぷりともてなさなくちゃね、アヌビモン……ふふふ」
(……!?)
意味深く含み笑いを浮かべながら、女は背を向けた。
二人が立ち去ると、ラブラモンはのそりと起き上がった。
女の正体が気になるが、それよりまずはここを抜け出し、情報を引き出さないと。
(ええと…あ、とられてない!よかった!)
耳の裏に仕込まれた小型の機械に爪で触れると、がしゃりと変形してバッグのような形態になった。
物をデータ化して持ち歩くバックパックのようなツールだ。
ジャンク屋で買い取った物を、シルフィーモンのコネで修理し美玖がラブラモンにプレゼントしたのだ。
中は大体、あって困らないようなものを美玖が選んで入れている。
「このへんに……あった!てるみっとできるやつ!」
耳からツールを外してぽちぽちと押すと、丈夫に梱包されたポチ袋とチャッカマンが出てきた。
このポチ袋の中には、事前に混ぜ合わせておいた酸化鉄の粉とアルミ粉末が入っている。
「せんせいがおしえてくれたほーほーで…しんちょうに…」
包みを少し開けて格子を中心に粉を撒いていく。
粉を撒いた後は、かなり後ろまで下がりながらチャッカマンの火を着け、粉を撒いた部分に近づけた。
……まもなくして、粉を撒いた部分から凄まじい熱と光が起き始めた。
テルミット反応は酸化鉄とアルミ粉末に火を近づけることで起きる化学反応のひとつ。
本来は専門家の指示を受けながらやるべきものだ。
美玖がラブラモンにこのテルミット反応の利用法を教えたのにはむろん訳がある。
ひとつは、成長期デジモンとしての非力さをカバーするためのもの。
もうひとつは、このような囚われの状況等に陥った時のもしもの対処法としてのものだ。
「……おりが、とけてく!」
熱されて真っ赤に格子が溶け落ちる。
格子から3000度レベルの高熱が引くまで時間を待つ必要こそあったものの、誰も来なかったのが幸いした。
「……えいっ!」
格子に体当たりすると、高熱から冷えた格子は大きくひしゃげる。
廊下へ出ると、ラブラモンは物陰に隠れながらそっと空間の把握のために周辺を見回した。
廊下は乱雑に段ボールが置いてある以外はごく普通の廊下だ。
ドアが幾つもあり、ラブラモンだけでは調べるのに時間がかかるかもわからない。
(……わたしだってたんていじょのひとりだ。せんせいのためにも、がんばらなきゃ!)
…………
探偵アグモンの連絡があったのは、待機してから30分弱。
指定された場所へ渡部巡査以外の全員で向かうことにした。
「本所警察署に連絡して貰って良いだろうか?実際に被害を受けたわけだし、昨日から早々に発見があったと言う事は他の場所でも目撃証言はあると思う」
「わかりました」
シルフィーモンの言葉にうなずく渡部巡査。
神田巡査部長の耳にも入れておきますと告げる彼とその家を後にしたデジモン達一同が向かった先は、隣の台東区、上野公園の噴水前。
「おう、ここだ」
探偵アグモンがグルルモンのそばで手を振った。
合流すると、彼は早速探索の結果を話した。
「場所の特定は完了した。場所は吉原の一角だ」
「吉原?」
「人間達の娯楽の街…で良いかね。そこの廃ビルを連中は拠点にしてるようだ」
言葉をだいぶ濁しているが、無理もない。
濁された言葉の意味がわかったのはシルフィーモン一人だけだった。
「車をその駐車スペースに入れて奴らは中に入ったのを見届けた」
「俺達ニ気ヅクコトナク、ナ」
「すると問題はその侵入方法だな。廃ビルということなら、我々揃って一斉に入るか?」
「でもラブラモンだけじゃなく他にもデジモン達が捕まってるのよ。人質にとられるような事態は避けたいわ」
「……ふむ」
やりとりを眺めながら、探偵アグモンは考え込んだ。
「なら、少数でいくというのはどうでしょう」
「でも顔が割れてるって話なら、不意打ちされるかもだろう?あいつらには、こっちの動きを奪える手段があるんだぞ」
そこで、探偵アグモンが片手を上げた。
「ふむ、ならシスタモンブランの言うように始めから少数で行くのはどうだ。…むろん、そのまま、ではない」
「どう行くつもりだい?」
探偵アグモンはツールをなでさするようにした。
「…シルフィーモンよ、お主が美玖と共にいたのなら、あの子の持つデバイスの機能のうち偽装コマンドについて知っとると思うがどうかね?」
「何度かあれには世話になったが…そうか、そういうこと…」
「何がよ?」
ノワールが聞くと、探偵アグモンは説明を始めた。
偽装コマンドを使い、人間の姿になりきる。
二体までとし、他のデジモン達は携帯や端末からネット空間に待機。
先んじて廃ビルに侵入し、中を探索。
ある程度中を調べてラブラモンや他のデジモン達の居場所を把握し確保したか、あるいは…。
「我々と知られて交戦状態になった時は飛び出してくれ」
「悪クナイ案ダトハ思ウガ、ソレハ誰ガ行クンダ?」
「それは、ワシが今決めた。彼と行こう」
探偵アグモンが言いながらシルフィーモンの肩を叩いた。
何度か経験がある者なら、柔軟な対応が可能なはずだ。
……なにより。
「あの子の助手として助けになったというその手腕、頼りにさせてもらおう」
ーーーー
ラブラモンは廊下を注意深く歩きながら、扉の一つをそっと開ける。
中はこれまた薬品の臭いが充満しており、思わず尻込みした。
薄暗いが、中には実験器具が所狭しと置かれている。
そろりそろりと中に入った時、テーブルの上から物音と声がした。
「おい、誰かいるのか!?」
「!」
びっくりして見上げると、テーブルの上に水槽が置かれその中に一匹のネズミのようなものが閉じ込められている。
「ここだ、ここ!早く出してくれ。ちくしょう、あいつら、オイラをその辺のネズミみたいに扱いやがってー!オイラだってれっきとしたデジモンだってのによお!!」
泣きわめきながらそのネズミ…のようなデジモンはケースを叩いていた。
「まってて!いま、たすけるから」
「ありがてえ!」
ラブラモンが近くにあった椅子を引いて踏み台にし、ケースの蓋を外す。
ネズミのようなその小柄なデジモンは、ケースから飛びだすと大喜びで跳ねた。
「ありがとうよ!同じ成長期デジモン同士のよしみだ、一緒にここから出ようぜ!」
そのデジモン、チューモンは言いながら、ラブラモンの頭の上に乗った。
チューモンというデジモンは非力だがズル賢く、危険が迫ると逃げてしまうせこさを持っている。
「まって、わたしもつかまったしここからにげたいんだけど、まずやりたいことがあるの!」
「はああ!?」
「だから、さきにきみだけにげて!」
信じられないといった顔でチューモンが頭を抱える。
それでもラブラモンの気が変わらないのを見ると、意を決したように身を乗り出す。
「一体何をしたいんだ?」
「わたし、たんていじょにいるでじもんなの。ここのにんげんがでじもんをつかまえる、わるいにんげんらしくて…ちょうさちゅうに、つかまっちゃった」
「なーるほど?」
「そのにんげんたちに、せんせいがうたれたの。やさしくて、わたしたちでじもんのことがだいすきな、いいせんせい(人間)。せんせいのためにも、ここのにんげんたちのじょうほうがほしい」
「また命知らずなマネするなあ!……探偵ねえ。無理に命張るまでもないと思うけどなあ」
うーん、と唸るチューモン。
「……しかし、そうだな。最近、人間の中に、オイラ達デジモンを捕まえて何か企んでる連中がいるって噂がホントだったってのは皆に伝えないとな」
「うん、ありがとう。……もしものときがあったら、きみだけでもにげてね」
「良い子ちゃんすぎるぜお前…でもありがとよ」
………
ラブラモンが目を覚ます一時間前に遡ろう。
ソープランドが立ち並ぶ吉原の一角。
呼び込みの女性が歩く二人組の男を見てネズミ鳴きをした。
それをちらりと流し見し、黙殺して去る二人。
一人は色黒の壮年で、190cm超えの身長に精悍な体つきだ。
バサついたダークグレーの短髪に、ステテコとタンクトップという吉原には似つかわしい組み合わせの格好である。
もう一人は後ろへおろしたロングヘアの茶髪に、中性的で整った顔立ち。
連れと比べてかなり年若い。
長身痩躯でその足取りはかなり軽い。
鮮やかなライトブルーの目は注意深く周囲を窺うように煌めくが、それが男女問わず彼にひと目惹かれる要素ともなっていた。
言わずもがな。
この二人は、探偵アグモンとシルフィーモンだ。
探偵アグモンの持つツールに搭載された偽装コマンドで、人間の姿に擬態しているのである。
連れ立ちながら、探偵アグモンーー壮年の男の方ーーが、若い中性的な男…シルフィーモンに言った。
「連中がいる廃ビルは信号を二つ過ぎた先だ。侵入経路だが、裏口から入る。そこを入ってすぐ連中がいる可能性は高い」
「侵入して誰かいた場合は気絶を狙った方が良いか?」
「そうだな。あの子が言うその広東語という言葉が我々には使えない以上、多少の強硬手段はやむを得まい。一人だけなら我々でもどうにかできるが、それ以上人数がいるようならその時点で待機した皆を呼ぶとしよう」
「場合によっては私が陽動する」
そう話し合いながら、二人はまもなくその廃ビルの近くへとたどり着いた。
廃ビルは見た目だけなら誰も住んでいる気配も様相もない。
何食わぬ顔で二人は廃ビルより手前の通路へ曲がり、先程まで歩いた街並みの向こう側へ移動する。
廃ビルの裏手口はそこから侵入ができるはずだと探偵アグモンは言った。
裏手口まで着くと、緑色の古びたスチール製のドアが一つ。
探偵アグモンがシルフィーモンに目配せ。
シルフィーモンがうなずくと、先んじてノブに手を掛けて開けた。
…建物内は薄暗く、人の気配はあまり感じられない。
探偵アグモンが壁にある案内を見つけて見上げた。
「最上三階、地下一階…」
シルフィーモンも案内を見ると、元はソープランドを経営していた会社だったのか社名と見取り図が書かれていた。
「ラブラモンが閉じ込められているとしたら、地下か二階辺りだろうか?」
「二手に分かれて探すのは悪手だ、手がかり探しも兼ねて一階を固く探すか」
…………
廊下はとても暗い。
ラブラモンの頭の上からきょろきょろと見回しつつ、チューモンは尋ねた。
「手がかりってたけど捕まってる皆がどこにいるのかわかるか?」
「ううん」
「それを先に探そうぜ」
「うん。そういえばちゅーもんはどうしてつかまったの?」
「オイラ?…しくじったんだよ、ダチ助けようとした先でさ」
チューモンは自身の友達と言ってはばからない相手であるスカモンが捕まったのを、助けるために乗り込んだのである。
しかし、ドジを踏んで見つかり、そのまま捕まってしまったのだ。
「あいつら、オイラをモルモットみたいに扱うつもりだったらしくてよ。色んな薬揃えてやがったんだ。ひでぇ臭いだったぜ」
チューモンは言いながら鼻をむず痒そうにした。
「おいといて、ひとまず人間の匂いはまだしないみたいだ。今のうちに探せるところを探そうぜ」
ひとまず目についた先の扉へと入ってみる。
そこは資料室だろう、本棚と机、デスクトップパソコンが置いてある。
パソコンは起ち上がっていない状態だ。
「ぱそこん…!」
「やったぜ!逃げ道はひとまず見つかったな」
ひらりと机の上に飛び乗ると、チューモンはパソコンの電源を起ちあげた。
画面はすぐについたが、それを見ていた彼は舌打ちした。
「くっそ、ご丁寧にパスワード付けてやがる!」
「ぱすわーど?」
「このままじゃネット空間に入れない」
パソコンへのログインができなければ、ネット回線に繋げられずデジモンもネット空間に入ることが叶わない。
とはいえ、パソコンを常々使っているのなら、パスワードを見えやすいところに貼る人間もそうそういないだろう。
「ぱすわーど、さがさなきゃ」
「やっぱりそうだよな…くっそー!」
近くにあったマウスを蹴飛ばしかけ、チューモンの耳がピンっとまっすぐ立った。
たちまちその表情に焦りが浮かぶ。
「おい、誰か来るぞ。隠れろ」
「!」
一人分の足音。
チューモンが何かを見つけて指差す方を見れば、部屋のドア近くに逆さに置かれた段ボール箱が目に入った。
咄嗟に下へ潜り込む。
間一髪、白衣を着た一人の男が中へ入ってきた。
先程、女と一緒にいた痩せぎすの男だ。
男は段ボールに隠れたラブラモンとチューモンに気づかず通り過ぎ、パソコンの前まで来た。
「…?……?」
訝しげな声音をあげて男がパソコンの前に座る。
それも束の間、すぐに、パソコンをタイプしログインした。
おそらく、パソコンが付いていたのを、自分が消し忘れただけと思ったのだろう。
(ろぐいんした…!)
(でもどうするよ…人間はオイラ達に気付いてないけど、あいつらみたいにタフだったら嫌だぞ)
チューモンは複雑な面持ち。
抵抗した際に彼らがデジモン並みに打たれ強い存在だと知っているからだ。
(うーん……)
ラブラモンは段ボールの隙間から辺りを見回す。
そこで、ある物が目についた。
(ねえ、あれ使えるんじゃない?)
(あ?)
指した先に落ちていたのはPPバンド…ポリマー素材の、荷物の積載の固定などによく使われているものだ。
(あれをどう使うんだ?)
(もってこれる?)
(それなら…)
チューモンはソロソロと箱の下から抜け出し、男の様子に気をつけながらPPバンドを持ってきた。
幸いあまり物が落ちていないため、バンドで物音を起こすこともない。
(持ってきた。で、これで何するんだ?)
(まえに、えいがでみたことあるの!これでうしろからくびしめられるしーん)
(えっ!?)
思わず大きな声を出しかけ、チューモンは口元を押さえた。
(人間の首をこれで絞めろって!?)
(せんせいがいってたんだけど、ころせなくてもいきができなかったら、くるしさにたえられなくてきぜつするんだって)
(それは……お前、とんだ発想だぞ…。しかし、うーん…)
本当にやるのか?とチューモンは手の中のバンドを握る。
しかし、どのみち目の前の男をどうにかしなければせっかく見つけた逃走ルートの確保もままならない。
(本当に、やるんだな?)
(うん)
ラブラモンが力強くうなずくと、チューモンも観念した。
(で、どうやって首を絞める?)
(わたしがきをひくから、チューモンはそのすきにあいつのくびを)
(わかった)
静かな室内で、一層響くタイピング音。
どこかへのメールだろう内容を打ち込んでいる男の耳に、かさり、とかすかな音が聞こえる。
「……?」
スツールをやや右に傾けながら振り向く男。
その時。
突如首に硬く長い触感が巻かれたと思うと、強い力で締め付けられた。
「!?」
しまった、と男は巻かれたPPバンドをほどこうとするが、かなりキツく締められていて手指が入らない。
「……!」
「がんばって、ちゅーもん!」
「やってやらあ、ふんぬううううう!!」
男の背中にぶら下がるようにしながら、チューモンはありったけの力を込めてPPバンドを握る手に力を込める。
男は抵抗しながら、あちらこちらへとよろめく。
「こんのぉー!!」
そう叫ぶチューモンの顔も真っ赤だ。
だが。
「……!…!!」
男も力を振り絞ったのだろう、バンドのたるんだところに指がひっかかり、そのままチューモンごと振り払った。
「うわー!」
「チューモン!」
「……、……!」
男は息を切らしながらよろよろと起き上がった。
声をかすれさせながら、連絡をするつもりか白衣のポケットをまさぐりだす。
「くそー…あいつ、他の連中呼ぶつもりだ!」
「それなら!『レトリバー……」
「バカ!必殺技はダメだ!それよりは頭突きかなんかお見舞いしてやれ!」
ラブラモンの必殺技『レトリバーク』は吠えて超振動を起こす技。
それこそ、自分達は逃げましたと周りに告げるようなものだとチューモンは叫ぶ。
「わかった!」
携帯電話を取り出した男めがけ、ラブラモンは突進した。
「てやーっ!!」
「!」
どすん!
男の腹に刺さるように頭突きが入る。
大きくよろけ、後ろ向けに倒れると男はそのまま気を失ってか動かなくなった。
「はあ…、はあ……、やったぜ!」
「うん…!」
あまり外に漏れた音でもないのか、追加の足音はない。
ひとまずと二人がかりで男をPPバンドで縛り付けたうえにどこからか拾ってきた雑巾をその口の中へ詰めた。
「よし、こいつは目立たないとこに隠して…携帯電話も取り上げとこう。音鳴らされないように電源落として…と」
男を運ぶのに手間はかかったが、どうにかパソコンという手段を確保することに成功した。
そこで、ラブラモンがツールからメモリーカードを取り出す。
「せんせいからあずかってたやつ!」
以前に、美玖が預けていたブランクのメモリーカードだ。
これにパソコンの中のデータを移せば情報として持ち帰れる。
「さすが探偵様様…てか?準備良すぎだろ」
「でもこれで、わたしのやるべきことのひとつはできたね」
「…オイラ達が無事に逃げられたらの話だけどな」
…………
「あ、ぐぅ………」
背後からシルフィーモンによる打撃を受け、崩れ落ちる白衣の男。
二体が探索しているのは、一階の部屋の一つだ。
白衣の人物がいたため、背後から不意打ちを狙ったがあっさりだった。
「手応えは…普通の人間だったな」
「うむ、おそらく研究員のような人材は肉体を強化されてはいないのだろう」
今のところ、特に成果らしいものはない。
棚を漁ってみたものの、中は研究員の私物なのか服やバッグ、ぬいぐるみくらいだ。
「さすがにここにはないか」
「一階に人間がほとんどいない。ということは上か、下か」
人影のない廊下を見ながら、二人は顔を見合わせる。
「行こう」
「行くか」
白衣を奪うと、探偵アグモンはそれをシルフィーモンに渡した。
「見た目だけでもワシよりお主が着た方がそれっぽくて良かろうて」
サイズは少しキツかったが、それでもどうにか形にはなる。
それから二体は階段を上がった。
二階は一階よりかは明るく、人の気配がする。
廊下の向こうから気配がした。
シルフィーモンが振り向くとこちらも白衣の人物が歩いてくる。
女のようだ。
探偵アグモンは偽装コマンドを使い、シルフィーモンの背後で目立たないようにしている。
ショートヘアの黒髪に厚めの化粧をした女が白衣の裾をはためかせながらやってきた。
軽く会釈し、女が通り過ぎるのを待つ。
白衣の下に着た露出の高いワンピースドレスから、惜しげもなく谷間を主張させて女は歩いて行く。
男なら迷わず視線が食い込んでもおかしくないが、シルフィーモンは女の背を見届けるに徹し探偵アグモンに目配せした。
「こっちだ」
小声でやりとりし、進む。
しかしこの時。
女の足が止まった。
女は訝しげに首を傾げ、ゆっくりとシルフィーモンの方を向いた。
「……おかしいわねぇ。研究員にあんな男いたかしらぁ?」
………
『データの移動完了まで残り30分です』
メモリーカードにパソコンの中のデータを移動させると共に進捗画面が表示される。
「これからほかのへやにもいかない?」
「いいぜ、でも部屋入られたら事だからひとまずー…」
チューモンは先程男を隠した場所へ戻り、しばらくまさぐった後チャリチャリと音を立てて戻ってきた。
「よっし、鍵があった!これで、オイラ達が探してる最中、邪魔されないで済むな!」
「うん」
部屋を出て鍵をかけ、暗いところに鍵を隠す。
こうすれば、部屋に入られてデータの吸い出しを止められる事もないだろう。
暗がりを移動しながら、チューモンは先んじて他の部屋を順繰りに偵察する事にした。
ラブラモンは後をそっとついていきながら、鼻をうごめかす。
「…この部屋は、何人かいやがるな」
薄く開いたドアを覗いて呟くチューモン。
ラブラモンも覗いてみると、青の蛍光色に照らされた部屋の中に数人の男達がいる。
両国駅で遭遇した者達のような装備はしていないが、独特の異臭に加えて防弾チョッキと思しきものを着込んでいた。
「このへやじゃない?」
「オイラも臭いと思う。けど、どうしよう?」
今入っていくのは危険すぎる。
別の場所も探そう、ということになりがらんどうな場所へと移動する。
ラブラモン達がいる地下は、部屋数が少なく電源などの施設があるだけだ。
「こっちは……んん?」
階段から離れた所で、チューモンがひたすら鼻を動かす。
ラブラモンもつられて臭いを嗅ぐと、嗅ぎなれない臭いがつん…と漂った。
揃って向かうと、薄暗がりの中赤いガソリンタンクが十個ほど置かれていた。
電気が通らないため発電機用の燃料だろうか。
「こいつは…ガソリンじゃないか。人間達が乗る車の」
「がそりん?」
タンクのそばに近寄り、くんくん臭いを嗅ぐ。
「これが、がそりん?」
「おう、オイラは何度も見てる」
ラブラモンはガソリンタンクをしばらく見ていたが、やがてあっ、と声をあげた。
「そうだ!”ひ”だ!」
「へ?」
「ちゅーもん、いいことおもいついた!これに……」
そこへ、突如扉の開く音がした。
中から人が出てくる気配。
「…!マズい、隠れろ」
先程の部屋にいた数人が慌ただしく出てきた。
彼らは手に手に得物を持って、階段の方へと駆け上がっていく。
「なんだ?」
「わかんない…でも、いまのうちにへやにはいれるんじゃない!?」
「そうだな!戻ってみようぜ」
…………
部屋へ近寄り、ドアノブへ手をかけたところに声がかかる。
「ねぇ、あなた。ちょっと良いかしら?」
ハッと振り返るシルフィーモンは、後ろから女が歩いてくるのを見た。
やっぱり、というふうに、女の唇に一種凄惨な笑みが浮かぶ。
「あなた、だぁれなの?日本語で聞かれて振り返るなんてお馬鹿さん」
(しまった!)
身構えるシルフィーモン。
女はわざとらしく困った、という仕草で見つめる。
「私のこのボディにシラフなだけじゃなく、日本語に反応しちゃう時点でバレバレじゃない。ここの男達はみぃんな、私が骨抜きにしてるから不自然すぎて目立っちゃってるわよ。どうやって来たか知らないけど……そこのあなたも出てきたらいかがかしら?」
その言葉に込められた剣呑なものに背筋が凍る。
やや長めの沈黙があったが、観念したかのように探偵アグモンが偽装コマンドを解く。
「お利口さんね、そっちのあなた。……で、何の用があって潜り込んできたのかしら?お仲間さんを取り戻しに?」
「……こやつ……」
探偵アグモンの頬に汗がひとつ筋を残しながら落ちた。
「気をつけろ、こやつ…」
女が手元に取り出した機械をいじる。
スイッチを押すとけたたましいブザーが上下階に鳴り響いた。
ザッザッザッザッザッザッ!!
一階を経由して地下から、三階から、大勢押し寄せてきた。
手に手に、スタンロッドやナイフ、拳銃を所持している。
「シルフィーモン!」
「ああ」
携帯電話の液晶から光が放たれる。
狭い通路だが、幅ギリギリを占有するように待機していたデジモン達が飛び出した。
「出番か!」
「てか、狭いわよ!?よくこんな狭いところで戦おうってなったわね」
「前後を挟まれてるからな!互いに干渉しないためにも必殺技を使うようにするんだ」
「わかってますが…!キツいですこの状況!」
気づけば女の姿はない。
仕方なしとシルフィーモンは前方を見据えた。
探偵アグモンの身体が光に包まれる。
「アグモン、進化!!」
縦にも横にもギリギリに、大きな赤い身体をしたティラノサウルスのようなデジモンが現れた。
「ーーティラノモン!!」
………
「うん、だれもいない」
「なんだ、この機械?」
先程まで男数人がいた部屋は無人の状態。
これ幸いと部屋に入ったラブラモンとチューモンが見たものは、円筒形の機械が羅列された光景だった。
青の蛍光色が部屋を満たしていた。
二体が近づいていくと、機械には何かが嵌め込まれている。
それにラブラモンは見覚えがあった。
「のわーるがいってた、でじもんをなかにいれるきかいだ!」
「デジモンを?この中に?」
チューモンが訝しげに近づき、一つを引き抜いた。
DNA螺旋のホログラムが浮かび上がっている。
「ただのオモチャとかそんなんじゃないのか?」
「ちがうよ!でもここにみんないるのならきみのともだちも」
「スカモンも!?……なら、どうするよ?」
チューモンが振り返ると、ラブラモンは後ろを振り向きながら手招きした。
「さっき、いいかんがえがあるっていったよね?」
「おう、言ったな」
「さっきの、がそりんのあるところにもどろう」
「おう…?」
部屋を出て、ガソリンタンクが置かれたスペースへ戻る。
チューモンが何をするつもりか聞こうとした矢先で、ラブラモンがタンクの一つにとりついた。
「おい、何やってんだよ!?」
驚いたチューモンを前に、ラブラモンはタンクの蓋を外し始めた。
それも一つに限らず全部のタンクを順繰りに開けていく。
「おい、おい!?何するつもりだ!」
「”ひ”をつかうんだよ」
「ひ…火ぃ!?」
タンクを全部開けると、ラブラモンは一番手前にあるタンクを両前足で押し始める。
「うん…しょ、うんん…しょ…!」
タンクはかなり重く、一度に押し倒すには力が足りない。
体当たりをくわえて、やっとタンクを倒す事に成功した。
ガコン!と音を立てて、中からガソリンが流れ出ていく。
「なにするんだ?」
「がそりんをこのあたりにまくんだ。ぱそこんのあるへやからちょっとはなれたあたりまで」
ラブラモンはガソリンについて事前に調べていたのだ。
美玖の知らないところでラブラモンはガソリンについて調べていたのである。
勉強という範疇で。
「がそりんって”ひ”がつきやすいんだって。ちょっとはなれたとこから”ひ”をつけても、がそりんがきはつしたとこからひがついてばくはつするってあった!」
「なんてこった」
ラブラモンが立てた計画を話すと。
ガソリンのタンクをいくつか倒しておき、ある程度パソコンの部屋に近い位置までガソリンを垂れ流しておく。
その後、円筒形の機械から、デジモンが入ったもののみを抜き取る。
ツールがあるからこそ可能といえるだろう。
その後はパソコンの部屋へ戻ってパソコンをチェック。
データの抜き取りが完了したのを確認してから、火を部屋の外に投げ入れてすぐにパソコンから電子世界に逃げる。
火が投げ込まれればその頃にはガソリンの揮発した範囲は広くなっているため、投げ入れてすぐドアを閉めるのが良いという話だ。
「ほんと、お前なんか恐ろしい子だな…」
「えへへ」
「いや、本気で怖いからな!?」
計画に鳥肌が立ったチューモンは、改めてラブラモンへの見解が変わるのをうすら恐ろしく感じたのだった。
ーー
「これで最後だ……よいっ、しょ!!」
「よいしょー!」
ガコン!!
四個目。
パソコンの部屋から5mほど離れた位置までタンクを押す。
ガソリンに濡れないようにしながら押す作業は、重労働であると共に危険な作業でもあった。
「うん、これくらいのきょりでいいかな」
「で、火だけどどうするんだ?お前さっき長いライターっぽいの持ってたろ?あれじゃドアを閉める前にオイラ達が爆発しちまうぞ」
「だいじょうぶ、ぱそこんのへやにかみがいっぱいあったからそれにひをつけてなげる!」
そうこう話をつけながら来た廊下を折り返す。
向かった先は円筒形の機械の部屋。
まだ誰も戻ってきていないのを確認し、手分けして機械からボール型の機械を抜き取っていく。
「ほろぐらむがあるのだけね!」
「このなんか青い所にぼーって浮かんでるやつか、よっし」
少し力を入れる必要があるが、機械を抜き取っていってカバン型ツールにどんどんと投げ込んでいく。
作業には十分もかかったろうか。
円筒形の機械はほとんど空になった。
「だいぶあったな…」
「きみのともだちもなかにいるといいね…もどろう」
パソコンの部屋の施錠を解除し、中へ入る。
画面を確認すると、データ移動の完了を報せる表示のウインドウ。
「やった!」
「ゲート開ける準備しとくぜ」
パソコンがオンラインであることを確かめる。
それからチューモンがゲートを開く作業を行なっている間に、ラブラモンは棚からファイルを一冊抜き取った。
その中の一枚を外し、チャッカマンで火をつけた。
「げーと、どう?あきそう?」
「もうちょい……よし、開いた!」
チューモンが跳ねた。
「じゃあ、なげるよ!さきにはいってて!」
「ほんとに大丈夫だよな!?」
「うん!」
念のために、メモリーカードもツールもチューモンに預けている。
後は、タイミングだ。
ラブラモンは火の付いた紙を持った前足に力がこもるも、ドアのノブにもう片前足をかける。
そして。
…………
ドォン!!!!!
「なんだ!?」
突如の轟音。
戦闘中、ビルそのものが揺らぐほどの衝撃にシルフィーモン達も男達も驚愕の声をあげる。
「………マズいぞ」
熱気が下から迫り上がる。
それも、かなりの早さで。
ティラノモンが叫んだ。
「全員窓から飛び出せ!!」
後ろの部屋との間をふさぐ男達はベルスターモンとグルルモンが倒している。
「な、何が起こったんです?」
「わからないが、誰かが下で爆発物の類を起動させたらしい!急いで外へ出るんだ」
「待て、だとしたらラブラモンが…… くっ!」
気がかりから珍しく焦りを見せたシルフィーモンだが時間がない。
他のデジモン達に連れ立ち、部屋の窓へ走る。
男達は戸惑い立ち尽くし…そのまま爆風と炎に吹き飛ばされた。
最後に窓から飛び降りたのはノワール。
その背後から迫る爆炎。
飛び降りながら彼女は叫んだ。
「爆発オチなんてサイテー!!!」
ーーー
吉原のソープランドはたちまち混乱に陥った。
ビルのほぼ全階から噴き出した爆炎と煙に周囲から悲鳴があがる。
消防車のサイレンが夕焼けの空に鳴り響く。
外へ脱出してしばらく、ソープランドから抜け出したデジモン達が向かった先は上野公園。
噴水の近くに腰を下ろした面々は、息をついた。
「ホンット…なんなんだい、あの爆発は」
ベルスターモンが言いながら汗を拭う。
その様子を通りすがった男子学生が、鼻の下を伸ばしていたのは敢えて見なかった事にする。
シルフィーモンはしばらく沈んだ面持ちであったが、ふと携帯電話から信号が出ていることに気づいた。
「これは…」
急ぎ、携帯電話を開く。
その瞬間、液晶から光が溢れた。
「しるふぃーもん!!」
「うわっと!?」
「!?」
飛び出したラブラモンとチューモンに、全員の目が集中した。
「ラブラモン…!!」
シルフィーモンが声をあげ、ラブラモンを抱きしめる。
震える腕にキツく力がこもった。
「し、しるふぃーもん、くるしいよ…」
「無事だったんですね!良かった」
ブランが胸を撫で下ろす。
ベルスターモンはすんっと鼻先を上に向けたかと思うと、腕で鼻を覆うようにした。
「なんだい、この臭い?アンタ達すごく臭うよ」
「俺モダ。鼻ガ曲ガリソウナンダガ…」
グルルモンも鼻がむず痒そうにする。
チューモンが気まずそうな顔になった。
「お、オイラから話そうか?」
…………
『なるほど、ガソリン……』
なんて無茶を、と神田巡査部長は頭を抱えた。
『だがおかげで、得る物があったのも事実か』
本所警察署からの調べは吉原の廃ビルにも入り、ラブラモンとチューモンが持って帰ってきたメモリーカードという情報源もあって謎の組織に関しての調査も一歩前進した。
神田巡査部長と連絡をとりながら、シルフィーモンは傍らで眠るラブラモンを見やる。
シルフィーモン、ラブラモン、グルルモンは今、五十嵐探偵所まで戻ってきている。
ラブラモンは戻って夕食を摂って早々、眠りに入ってしまった。
「それで、我々の探偵所はしばらく休業になるかもしれない」
『五十嵐さんが入院中だからか』
「………ああ」
シルフィーモンは拳を握りしめた。
「もう少し早く、新手に気づいていれば良かった」
美玖は未だ目を覚さない。
……用心棒失格だ。
『君が気に負う事はない。彼女は少なくとも、君を責めはしないだろう』
「………そうだろうな」
彼女の性格を思えば、そうか。
シルフィーモンはため息をついた。
『例の組織について何か情報があればまた』
「わかった」
通話を切り、ひと息吐く。
今、探偵所はとても静かだった。
出かける数日前とはあまりにもうってかわって。
(……美玖……)
シルフィーモンはうなだれた。
ラブラモンや謎の組織にさらわれたデジモン達は無事戻ってきた。
聞くところ、唯一の生存者たる白衣の男が廃ビルの地下で見つかった。
その男は軽傷のため、現在本所警察署に勾留の後、広東語に堪能な通訳者が到着次第に聴取が始まる。
だが、今はそれより、この探偵所をどうするかだ。
「……美玖がいなければ当然その分を私達で埋めなくてはいけない。だが、それだけではおそらく足りない」
そう呟いた時。
来客を報せるインターホンが鳴った。
出ると、そこにいたのは……
「随分と変わったのう…ここも」
「あなたは…」
シルフィーモンは目を見張る。
そこにいたのは、確かに上野公園で別れたうちの一体。
「しばらくの間はワシが、あの子の代わりに、久方ぶりに腕を振るわせてもらおう」
探偵アグモンその人だった。
-
投稿者返信