White Rabbit No.9 塔‐Ⅰ/ 赤の錠剤

トップページ フォーラム 作品投稿掲示板 White Rabbit No.9 塔‐Ⅰ/ 赤の錠剤

  • 作成者
    トピック
  • #3890

    「我々が忘れてはいけないのは、ランダマイザ理論を提唱したのは彼らの方であるということです。あの論文は、新たな地球の支配種族たる彼らが、自分たちに何一つとして勝るところのない、哀れな原形質の塊に向けた、嘲りを含んだ慰めでしかなかったはずなのです。これが喜劇でなく悲劇であるとすれば、そのお慰みの紙切れは、それを受け取った下等種族にとっては、自分たちの時代の終焉を前に、唯一それだけは自分たち固有のものだと思っていたかった点を、完全に肯定しきっていた、その一点によるところなのでしょう。我々は既に、自分たちの有り様を自分たちで定義し、美しく静かに人類史を終わらせる機会を失いました。残っているのは、優位者が時折投げるパンくずを、地に這いつくばって舐め取るだけの余生でしょう。そしてそのパンくずこそが、我々が遥か昔から、あのバカ女のパンドラの時代から後生大事に抱きしめている『希望』というものの正体なのです」

    ──ヨシャファト・ベイリ「もろびとほろびて」より

     

     ●

     

    「──ん、染野サン。ねえ、旦那、旦那ったら!」

     

     騒がしい声に呼ばれ、僕は車の後部座席で目を覚ました。古いビニールの香りが鼻をつく。昔から使われているタクシーの匂いだった。今しがた僕を起こした”彼”が元はタクシーだったこの車を買い取って2年になるが、未だにこの匂いは取れてくれないのだ。

     

    「ねえ、もうすぐ新宿ですよ。最初に細かく目的地を教えてくれたらギリギリまで寝かせてあげられたんですがね。旦那ったら、おれが『目的地は?』って聞いたら『新宿』とだけ答えて眠っちまうんだもんなあ。昨夜も徹夜ですか」

    「旦那って呼ぶな」

     

     僕の抗議に対して、運転席の”彼”は悪びれもせずに答える。

     

    「そうは言ってもねえ。染野サン、じゃあどうにもしまんねえや。旦那は旦那ですよ。おれの雇い主なんだから、間違っちゃいないでしょう」

    「人間はもうそんな言葉を使わないよ」

    「あんたがたの世界と出会う前に、おれたちがどうやって話してたと思うんです? 言葉はこの国に合わせてるけど、おれはむかしからずうっと持ってる、おれらしい喋り方で話してるだけですよ」

    「君を解雇したら、旦那呼びをやめて、そのよく回る口も閉じてくれるかい、ブギーモン」

     

     僕の言葉に、運転席の彼が振り返る。くすんだグリーンの帽子を被り、同じ色のスーツで12歳の子どもほどの大きさしかない小柄な体を包んでいる。それとは対象的に、帽子の下の顔は毒々しいほどの赤。尖った鷲鼻と、耳まで裂けた口から覗く牙は、正しく悪魔そのものだった。

     

    「そしたら旦那はどうするんですか。たすきでもかけて、誰かと一緒にこの”塔京”を交代ばんこに走り回るとか?」

    「ヒッチハイクでもするさ」

    「ヒッチハイクじゃ、探偵は務まりませんよ」

    「君には関係ない。クビになるんだから」

    「ひどいな、旦那」

     

     ──そうだそうだ。いじめちゃかわいそうだよ。ハルキ。

     

     不意にそんな声が聞こえた気がして、僕はうんざりとしたように身を倒し、窓に頭を付けた。ひんやりとしたガラスの温度が伝わってくる。また寝ないでくださいよ、旦那、と、どこか遠くでブギーモンが言った。

     

     9年だ。9回目の冬だ。僕とつばめが交際して、もうそれほど長い間、僕は彼女の声を聞いている。きっとそれはもう、本当の彼女の声ではないのだろう。彼女の体温を、声を、匂いを、もう僕は思い出すことができない。思い出すことができたとして、つばめはどこにもいない。

     

     ──だから、あなたはわたしを見ても、ただ過去を忘れられない自分を惨めに感じるだけ。

     

     それなら、さっさと消えてくれればいいのに。

     

     ──それなら、さっさと消してくれればいいのにね。

     

     僕の舌打ちに、彼女は、もう、と言った。

     

    「失礼、揺れましたかね」

    「君にも、君の運転にも不満はないよ。ブギーモン」

    「それなら」

     

     ブギーモンがまた軽くこちらを振り返った。小狡いことで有名な魔人型のくせに、彼の目には穏やかで、小市民的な親しみだけがあった。ブギーモンという種全体のことは知らないが、僕の運転手をしてくれている彼に関しては「小狡さ」というのは、スーパーマーケットで醤油の小袋を余分に取っていくような、そういう態度のことを指しているのかもしれない。

     

    「旦那、このままだと“カンパニー”の輸送用デジモンの波にのまれちまいますよ。さっさとどこで世界大戦をおっぱじめるつもりなのか教えてくれなけりゃあ」

    「大げさだね」

    「冗談じゃない、おれは経験から言ってるんですよ。はっきり言っときますけどね、おれは銀行強盗のピックトラック係に志願した覚えはねえんだ。前みたいなのは無しで頼みますよ」

    「あのときは助かったよ。今回はなんてことない仕事だから大丈夫だ」

     

     そう言いながらも、僕は少しだけ居住まいを正す。何かが起きる心づもりくらいはしておいた方がいいかもしれない、と僕の第六感は言っていた。それを臆病なブギーモンに話すつもりはなかったけれど。

     

    「どうだか。で、どこに行きゃいいんですか」

    「待ってくれ」

     

     交差点に差し掛かり、しびれを切らしたように聞いてくるブギーモンに息をついて、僕は後部座席から身を乗り出した。

     

    「待つも何も、別に逐一案内しろとは言ってねえや。おれはドライバーですよ。“塔京”の地図は頭に入ってる。どこそこに行きたいってはっきり言ってくれりゃ、手間を取らせずに済むんですけどね」

    「だから、待ってくれよ。僕も分かってないんだ」

     

     そう言って僕は少し目を細め、ぐっと眉間に力を入れて交差点を見つめた。そのままこめかみ、耳の下にひとさし指をあて、くるくると回すようになでる。右のこめかみは時計回り、左のこめかみは反時計回り。

     そうしてしばらくすると、僕の口が勝手に言葉を紡いだ。

     

    「右」

    「へいへい」

    「返事は一回でいい」

    「へーい」

    「セブンイレブンのある角を左、それからしばらく直進だ」

    「どこにもセブンなんてありませんが」

    「依頼人の情報が古いな。えーと、そこ、そこの角だ」

     

     僕のたどたどしい案内に従ってハンドルを切りながら、ブギーモンが口をへの字に曲げて呟く。

     

    「乱数器《ランダマイザ》ですか。人間をデータ化して、暗号器代わりにして、情報を詰め込むなんて、ぞっとしない。もしもおれが、体を人間の、えっと、タンパク質とやらに変えてやるって言われても、絶対断りますけどね」

    「それを言えるのは、君たちが勝った側だからだ」

    「嫌なこと言うなあ。別におれは“コレクティブ”とは関係がねえ。ただ向こうじゃうだつが上がらねえから、景気がいいっていうこっちに来ただけの野良ブギーモンですよ」

    「じゃあ口出しするなよ」

    「へいへい、でも気持ち悪くないですか。自分でも分からない情報が、自分の中に入れられているって」

    「この世界で探偵をやるには必要だよ」

    「人を雇えばいい。そういう専門職のランダマイザもいるでしょう」

    「価値基準の問題だ。どこかの探偵は人に重要情報を任せて自分で運転する。僕は重要情報は自分の中に入れて、君に運転させる」

    「へいへい、それでおまんまが食えてるんですから文句は言いませんよ。突き当りだ、どっちです」

    「左」

    「へい。って、これ、“塔”の方面じゃないですか」

    「そうなるな」

    「勘弁してくださいよ。おれ、あそこ嫌なんですよ。世界を開いた槍なんて、気持ち悪い。見上げても見上げても先っちょ見えねえし」

    「じゃあなんで“塔京”に住んでるんだよ」

     

     9年前の“天使の日”に空から降りそそいだ黒い7本の槍の一本が突き刺さって以来、東京は“塔京”になった。胡蝶抜きで雲を貫く高さのその塔は、この区域のどこから見ても見えるが、決して先は見えない。

     

    「僕だってあれは怖い。誰だって怖いよ」

    「まったくでさ。デジモン側がやったわけでも、人間が呼び込んだわけでもない、とにかく、あれで二つの世界の境界は貫かれちまった」

    「そして君たちがやってきた」

    「で、タクシードライバーになったと、いうわけだ。つきましたよ。“カンパニー”の所有地の近くだ。うっかり警備兵に撃ち殺されないでくださいね、旦那。」

    「その時は、代わりに逃げる犯人を追ってくれ」

     

     そう言いながら、僕はコートのボタンを閉め、簡素な肩掛け鞄を持って、車の外に出た。

     

    「やめてくださいよ。そんな物騒な事件なんですかい?」

    「いいや、でも、“天使の日”からこっち、この国は壊れた。何が起こってもおかしくないよ」

     

     ふん、とブギーモンが同調する。

     

    「そりゃあそうだ。ねえ、聞きましたか、旦那」

    「なに」

    「最近この町じゃ、人が“天使”になって死んじまうらしいですよ」

     

     それは恐ろしいね、そう言って僕はブギーモンに背を向けた。

     僕の中に隠された地図が示したのは、古びた4階建ての商業ビルだった。

     カンパニー系列の商社の後ろに隠れるように建っていて、地下に音楽スタジオ、1階には整骨院、2階には喫茶店、3階には消費者金融があった。今でもやっているのはスタジオと喫茶店だけだ。階段のわきにある郵便受けには、かすれた字で、おそらく30年くらい前にここにあったであろう何かの店の名前が書かれていた。

     こういう時代に取り残されたようなビルは”塔京”のあちこちにある(僕の事務所があるビルだってそうだ)けれど、塔のほど近くにはとりわけ多い。当たり前だ。人間の時代を終わらせた神の槍を見ながら仕事をしたがる奴なんていない。”カンパニー”以外は。

     塔の周囲の土地を全て買い上げることが、人間社会で公的にビジネスができるようになって最初に”カンパニー”が行ったことだった。いや、実際のところ、公的なビジネスの許可など待たずに彼らは動いていた。なにせ空から槍が突き刺さった災害現場なのだ。そこに見たこともない化け物の一段が退去して現れれば、できることは何もかも捨てて逃げることくらいだ。もとより特別何かがあった場所というわけでもないから、”カンパニー”はいかなる拒否も抵抗も受けず、首尾良くその土地を手に入れることができたらしい。

     次いで機械たちがしたのは、塔を取り巻くように研究施設を建設することだった。そこまでものものしくないこじんまりとした施設だったが、周囲には電気柵が張り巡らされ、警備のシールズドラモンがいつでも立っていた。二つの世界をつなげた槍の研究という題目が唱えられ、人間、デジモン問わず多くの優秀で奇特な研究者たちがそこで勤務を始めたらしい。

     当然の帰結として、施設は多くの陰謀論の的にされた。”カンパニー”が何を企んでいるか、インターネットでは今でも多くの憶測が飛び交っている。しかし結局の所、彼らが何を考えていたにしろ、人間にできることはなかった。これまで多くの憶測が政府や銀行を前にして味わった無力感を、新たな時代の支配種を前に、生物種レベルで味わうだけだった。

     そうして、一帯に寄りつく人は居なくなった。今この地域に来るのは、”カンパニー”との取引がある人物か、ただ人目に付きたくない人物、あるいは人目に付きたくない人物に雇われた哀れで無力な探偵だけだ。

     ふと、耳に幾つかの足音が飛び込んできて、僕はとっさに身構える。すると地下からの階段を上って現れたのは、バンドマンの一団だった。財布を開きながら料金を分け合うやりとりをしていて意識が向いていなかったのか、先頭を歩いていた青年が僕にぶつかった。

     

    「あ、す、すいません」

     

     こんなところで人に会うことがこれまでなかったのか、青年たちは驚いたように頭を下げた。全員示し合わせたように黒いスキニー・ジーンズとTシャツを着ており、年は僕より少し下に見えた。

     

    「えっと、次の予約ですか」

     

     ドラムのペダルをバッグに入れた青年が言った。

     

    「いいや、違う」

     

     あ、それじゃ。そう言って帰りたがる彼らのために、僕は道をあけた。こんな場所に用もなくやってくるバンドマン以外の人間は、皆ヤクザか何かだと思っているのだ。

     

    「あ、ねえ、君たち」

     

     かわいそうに思いながらも、僕は彼らの背中に話しかけた。

     

    「な、なんすか」

    「このビルで妙なことなかった? 僕このビルの管理業者から頼まれて、電気系統の修理に来てるんだけど」

     

     僕の自己紹介に彼らは少し安心したように胸をなで下ろし、首を振った。

     

    「いや、特になかったですよ」

    「ほんとに? 細かいとこでもいいんだ。楽器のアンプとかって、電気周りデリケートだろう? 変なことがないようにしときたいんだよね」

    「そういわれてもな」

    「あ、ほら、あったじゃん。あれ」

     

     と、ドラムのペダルが入っているとおぼしき鞄を提げた、周りより少しだけ背の高い青年が言った。

     

    「ん、なに?」

    「いや、練習終わって、片付けてるときなんですけど、ヤバい音したんですよね」

    「ヤバい音?」

    「なんか、ばん、みたいな」

    「片付けてるとき、ってことは、ついさっきだよね」

    「そうです」

    「ありがとう。ギターアンプが変な音拾ったりとかは?」

     

     具体的な指摘に、一人が声を上げる。

     

    「あ! それ、ありまし。おれのエフェクター、あ、ギターの音変える……」

    「大丈夫、知ってる」

    「っす。それ、ゲルマニウムとか使ってて、時々変な音拾うんすよね」

    「韓国語のラジオとかな」

    「そうそう」

     

     隣の青年が茶々を入れて、彼らは笑い合う。僕も曖昧な笑みを浮かべた。

     

    「それで、それが今日はえらい機嫌悪くて、ざーーーとか、がーーーみたいな」

    「施設の方でなんかあったのかもな」

    「なるほどね。ありがとう。助かった」

    「っす」

     

     バンドマンたちは人の好い笑みを浮かべ、手を振って去っていく。僕は不意に、あの夏の自殺同好会に集まっていたバンドマンたちを思い出した。彼らはみなティーン・エイジャーだったはずなのに、みんな彼らほどには若くはなかったように思えた。

     バンドマンたちが小さな粒になって見えなくなったのを確認して、僕は雑居ビルのと雑居ビルの間の路地に足を踏み入れた。吐瀉物の臭いのする薄暗がりは、エアコンの室外機の音が規則的にいつまでもなり続けていて、また、そこから出る熱のせいか、日の当たる表通り以上に暑かった。巨大な青いごみ箱が、僕に手招きをしていた。

     煙草の吸殻の化石が、そこかしこに落ちていた。建物の入り口に灰皿もあるというのに、こんなところで煙草を吸いたがる人間がいるとは思えなかったが、きっと石器時代あたりにそういう変わり者もいたのだ。

     吐瀉物の臭いに猫の古い糞尿が加わる。けれど不思議なことに、どこの路地裏にでもある腐敗したモラルの臭いはここではしなかった。

     

    「石器時代よりも昔かもしれないな」

     

     僕は声に出して呟いてみた。それは今日言ったり聞いたりしたどんな言葉よりも真実らしく聞こえた。あれは石器時代よりも昔の吸い殻なのだ。きっとハイヒールを履いて官能的な口紅をさしたメスのヴェロキラプトルが、オスのヴェロキラプトルを撃ち殺して、物憂げに一服したのだろう。そんなことが、ジュラ紀から白亜紀にかけて何度もあって、でもある日突然空から隕石と隣人愛が降ってきて、ここには物憂げな殺人者も冷血のとかげもいなくなったのだろう。

     そのなかで一つだけ、新しい吸殻を拾い上げて、僕はため息を付いた。乱数器〈ランダマイザ〉手術を受けた人間向けの電脳煙草だ。通常のニコチンと何ら変わりはないが、依存性を高める改造も容易いという代物だ。僕は吸口に鼻を近づけて、顔をしかめる。相当強烈なたぐいの改造だ。頭の中の乱数機を、常にスリーセブンが出るいかさまスロットに変えてしまう。どこの誰かは知らないが、高くついたデータ化の費用をまるっきり無駄にしたものだ。

     僕は立ち上がり、先程から空気を揺らめかせるほどの熱を放っている室外機に目を向けた。縦長だったり横長だったりするそれらは、海底神殿の構造物のように、雑多かつ荘厳に並んでいる。

     見れば、その中の一つに、無惨に上部が凹んでいるものがあった。近づけば、まるで何かが凄まじい勢いで落下したかのような有様だ。見上げれば、ちょうど大きな窓が各階に開かれているのが見える。幼い頃に読んだ恐竜図鑑のロジックだった。恐竜の糞の化石があって、恐竜の足跡の化石があったなら、そこには恐竜がいるのだ。

     僕は立ち上がり、巨大な青いゴミ箱に近づき、その蓋をひと思いに持ち上げた。

     死体の女と目があった。女の方では、合わせてくれたのは右目の方だけだった。額がぱっくりと割れて、目はそれぞれ反対の方を向いていた。

     女は仕立てのいいブラウスにトレンチ・コートを羽織り、首には赤いペイズリーのスカーフを巻いていた。脇には無惨に割れたサングラスが転がっている。

     服はところどころ乱れていて、顔にひとつ見事なみみずばれがある。それでも彼女は美しかったし、整った鼻筋もあいまって、ハリウッド女優のお忍びもかくやといった格好だった。

     

    「けれど、彼女専属のスタントマンはどこにもいなかったのだ」

     

     そう声に出して呟いた。この路地裏で、それは再び紛れもない真実だった。

     彼女は僕の依頼人だった。彼女は不安げに僕の事務所にやってきて、分厚い紙幣の入った封筒を差し出して、仕事上知った秘密について調査を頼みたいことがあると言った。身の危険を感じてもいたようで、何を調べるのかわからないと受けようがないと僕が言ってもだんまりだった。

     ランダマイザ技術を使い暗号化した情報は乱数器本人にもわからないと言っても、彼女はその情報を自分の手元意外のどこにも置く気は無かった。今は時間がない、今度また会って話す。そう言って、彼女は僕の頭に、この待ち合わせ場所だけを残して去ったのだった。

     葬儀なら、はじめからそう言ってくれれば、こっちもそれなりの格好をしていったのに、僕はそう呟いて、その悪趣味さに自分で顔をしかめた。でも、これで殺人者に対して義憤を抱けというのが無理はある。彼女は5つのオレンジの種を受け取って探偵を訪ねたかもしれないが、何も話さなかったのだ。

     それでも、僕は彼女の身体を探る。彼女は僕に依頼をするつもりだった。僕に渡す情報を何かにまとめていたはずなのだ。

     情報端末もUSBメモリの一つも出てこなかったが、コートの内ポケットに、写真が1枚だけ入っていた。どこか都会の街並みを間を写した写真で、ビルとビルの間に曇り空が覗いている。

     しかしよく見てみれば、その写真には黒い何かの影が映っていた。一方のビルから一方のビルに飛び移っているようで、あまりの速さにカメラのレンズもそのシルエットをとらえきれていない。でも、このシルエットは。

     

    「兎……?」

    「そこでなにしてんだよ」

     

     僕が呟くのと同時に、路地の入口から声がかかった。

     

    「やめてくれよ、せっかく俺が死体の始末をして、血までふいたってのに、あっさり見つけられたらいみねーじゃん」

     

     僕と同じくらいの歳の男だった。派手なシャツを着て、目は血走っている。あの麻薬タバコは十中八九彼のものだと分かった。

     

    「隠すのが下手なのが悪い」

    「んな理屈、ここじゃ通んねーよ。見つけに来るのが悪いに決まってんだろ。じゃ、殺すから」

     

     男が懐に手を入れ、銃を構えるのと同時に、僕も鞄から取り出した拳銃を彼に向けた。男が良そうにひゅう、と口笛を吹く。

     

    「へえ、ナヨってんなとおもったけど、イカすの持ってんじゃん」

    「動くな」

    「おいおい、銃を突き付けてんのはこっちもだぜ。お前はアレだろ、探偵だろ」

    「だったらなんだ」

    「あっちもこっちも化け物だらけのこのご時世に、人間の探偵ねえ、身が持たないだろ」

    「人間の吐かせ屋はどうなんだよ」

     

     僕がうんざりしたように言った言葉に、男はぴくりと眉をあげる。

     

    「吐かせ屋、俺は殺し屋だっての」

    「いいや、吐かせ屋、拷問士、それも三流のやつだ。プロの殺し屋にしちゃお粗末すぎる。彼女に情報を吐かせる仕事にありついて喫茶店にいるところを襲ったが、思わぬ抵抗にあい、何も情報を聞き出せないまま窓から突き落としてしまった、ってとこか」

    「語って聞かせるじゃねえか。続けろよ」

    「そういうセリフはマフィアの大物が言うものだよ。さっきも言った通り、君は標的に一言もしゃべらせず殺してしまった驚異の吐かせ屋だ。せめてもと思ってあさましく彼女の服から漁ったものがあるだろう、渡せよ」

    「てめえ、さっきから黙って聞いてりゃ……」

     

     そう言って引き金に指をかけた男の身体が、宙に浮いた。

     

    「え?」

     

     その顔が段々と赤くなるのを見ながら、僕は銃を構えなおす。かたん、男の銃が地面に落ちる音がした。

     こんなご時世でも、人間の殺し屋も吐かせ屋も多い。デジタル・モンスターたちの方がずっと殺しはうまいのにだ。プロの腕で雇われて続けている者もいるだろうが、今人間を雇う理由の大半は──。

     

    「あ、あ」

     

     男の顔が赤黒く染まり、そのまま、口を開けると、けたけたと、笑いだした。

     

    「そうよ、この子分かってなさすぎなの」

    「自分が使い捨てられてるだけだって!」

    「そういうのが可愛くて使ってたんだけどお」

    「吐かせ屋のくせに、何も言ってない探偵さん殺すのはダメ」

     

     機械の手口じゃない。“コレクティブ”の悪魔たちなら、たのしい拷問を人に任せたりはしないだろう。

     

    「悪趣味だ。さっさと出て来いよ。ソウルモン」

    「あら、なーにぃ──知ってたんだ」

     

     男の体がどさりと落ちて、どこからか、帽子をかぶった布切れがあらわれる。その見た目は恐ろしいゴーストそのもので、その見た目にアンバランスなつやつやした黒い帽子が妙に滑稽だ。あれがある方が魔力は増すというのだから、世界とはままならない。

     

    「悪魔の側のデジモンたちで、このあたりで幅を利かせている一派は君たちだけからな」

    「それじゃあ、ウチらの恐さは知ってるんだ。探偵」

    「随分あくどくやってるようだね。まさしくおばけみたいにあちこちに逃げるから、“カンパニー”のお膝元でも好き勝手やれるって話だ」

    「そうそう、そーなのよぉ」

    「で、これは誰の下請け仕事だ」

     

     得意げに笑っていたソウルモンの声が凍り付く。

     

    「下請け? そんなんないよお。完全ウチらのオリジナル仕事」

     

     返事をする代わりに僕は肩をすくめた。

     

    「嘘つけ。そこで死んでる僕の依頼人は仕事がらみで知った秘密のせいで身の危険を感じてたんだ。それで面会に指定したのがここなら、それは“カンパニー”絡みの案件に決まってる。そんな案件に君たちが首を突っ込めるもんか。そうだろう」

    「はん、かわいくない探偵ね」

     

     ソウルモンは肯定の代わりにそう言って、今までよりも一段、ふわりと浮かび上がった。

     

    「でも、だから何さ。あんたはここで死ぬ」

    「さっきは殺そうとした男を止めたじゃないか」

    「あら、全部言わなきゃダメ? あんたは頭にウチの手を突っ込まれて、知ってること全部ゲロって、それから死ぬんだ」

    「この件について、僕は何も知らない」

    「この件じゃない。あんた、“天使殺し”の事件に随分深く食い込んでるそうじゃないか。それを聞きだして来いってお達しさ」

     

     ぴりり、と、背中に電気が走るような気がした。

     

    「そうか」

     

     目を細めて、鞄に手を入れる。

     

    「それなら、僕からも話を聞かないとな」

    「あんたに何ができんのさ。銃を振り回したって、ウチには痛くもかゆくもないよ」

    「そうだ、僕には何もできない」

     

     僕は息をついて、それを取りだして、指に挟んだ。

     

    「は、なにさ、それ」

    「君には教えない。教えたくない」

     

     それは一枚の白い、天使の羽。

     あの夜、僕がむせび泣きながらかき集めた、つばめだったものの一枚。

     

    「ごめん」

     

     そう呟きながら僕はその羽を放る。それは宙で輝く塵になって、銃に吸い込まれていく。

     

    「何を」

    「避けろよ。避けなきゃ死ぬぞ」

    「はん、ウチは、こうするだけでいいの」

     

     その言葉と同時に、ソウルモンは体を半透明にする。

     

    「こうなったウチはあんたたち人間の言うユーレイと同じ! 人の武器は全部すり抜けてくだけ!」

     

     そうして、ソウルモンはこちらに向かって突進してくる。布の下から、おぞましい手がのぞく。

     

    「そうか、避けないなら」

     

     僕は引き金に指をかける。

     

    ──そうやって、きみはまた、わたしを少し殺すんだね。

     

     耳元で懐かしい声が響く。

     

    「それは違うよ」

     

     引き金を引く。銃口から放たれるのは、眩しい光の束、弾丸と言うより、矢に近いそれが、ソウルモンを貫いた。

     

    「だって、君はもう死んでる」

     

     ──あれ、そうだっけ。

     

     愛しい笑い声と、ソウルモンの絶叫が、同時に路地に響いた。

     

    「ひ、う、ぐ」

    「暴れるのはよせよ。痛むだけだ」

     

     僕は光の矢で壁に縫い留められたソウルモンに近寄った。

     

    「あ、あんた、なにを……」

    「ちょっと静かにしろ」

     

     矢に触れ、それをぐりぐりと動かせば、ソウルモンは先ほどよりも大きく叫んだ。

     

    「ぎゃあああああああああああああ!」

    「わかったかい。静かにしてくれ」

     

     無言という形で負けを認めたソウルモンに、僕は顔を近づける。

     

    「この矢は《ホーリー・アロー》。そっちの神話に出てくる天使と同質の力が宿ってる、らしい。君にはこうかばつぐん、ってやつだ。一度刺さっただけで、光が体中に回って死ぬ」

    「……」

    「一瞬で殺すこともできたけど、今は出力を抑えて、殺さず君を拘束するだけに留めた。焼いた鉄のとげで体を貫かれたみたいなものだ。痛いだろう」

     

    ソウルモンは震えながら歯をかちかちと鳴らしている。きっと想像を絶する痛みが走っているのだろう。

     

    「いいか、君はどうせ死ぬ。これから僕が聞くことに素直に応えれば、この矢を抜いてやる。もし口答えや嘘を言えば、さらに押し込む。おばけも死ぬなら楽な方がいいってこと、僕に教えてくれ」

    「……」

    「それじゃあ、始めるよ。まずは──」

    「──テメェのいうことなんか、きくかっての! 死ね!」

     

     負け惜しみじゃない。そう思った時には、背後にいくつもの気配があらわれていた。しまった、と思うよりも早く、手は銃を取る。

     

    「遅ェよ! バーカ! バケモンども! ウチはもうだめだから、こいつやっちまえ!」

     

     振り返った僕の目に、無数のゴーストが、恐ろしい悪魔の手を構えているのが見えた。

     一瞬だった。

     僕の鼻先に死の手が触れるその刹那に、ゴーストたちは消えた。

     

    「な……」

    「──おい、なんだよそりゃ! バケモン共が……一瞬で?」

     

     怒気を含んで発せられたソウルモンの言葉は、事態を呑み込むと同時にしぼんでいく。

     

    「おい、探偵! ありゃ、テメエの仲間か?」

    「……あいつ?」

    「あの女のガキだ! いま、どんなイカサマか知らねえが、ウチの舎弟をひとまとめに殺しやがった! さっきのテメエと同じ手品かよ!?」

    「女の……」

     

     僕は、目の前に立つ“それ”に目を向けた。

     

    「君には、あれが女の子に見えるのかい?」

    「どっからどう見ても人間のガキだろうが!?」

     

     ソウルモンの言葉に、僕は首を振った。

     

    「違う、僕には、僕にはあれは──」

     

     おとなの背丈二つ分もある、二足歩行の、獣の化け物。純白の中華服に身を包んだ、一匹の──。

     

    「──うさぎだ。白兎に見える」

     

     僕がそう呟くのと同時に、兎は、その膝を曲げ、次の瞬間、高く空に飛んだ。

    ──さあ、9年越しの“白兎”だよ。ハルキ。ぼおっとしてちゃダメ。

     

    「──待て!」

     

    脳の裏側で聞こえたその声に背中を押されたように、僕は走り出す。

     

    ──さあ、追って、白兎を。

     

    「ブギーモン!」

     

     ポケットから取り出したスマートフォンに叫べば、僕の運転手へと電話をかかり、気の抜けた声が聞こえる。

     

    「へい、旦那、遅いっすね。依頼人とどっかにしけこむっていうなら、おれは──」

    「いまからそっちに一体デジタル・モンスターが行く。追ってくれ」

    「はあ? そういうのはしないって、さっきも」

     

     ──さあ、急いで、追って、追って!

     

    「種族はアンティラモン、僕は図鑑でしか見たことの無い種だけど、その時の写真と違って体中真っ白だ。ビルの高さに届く跳躍ができるようだから、上に注意を払え」

    「白いアンティラモン? そんなの聞いたこと……なんだありゃ?」

     

     ──追って! 追って! 追って!

     

    「旦那、アンティラモンはいませんが。女の子が空飛んでます」

    「っ! それなら、その子を追うんだ!」

    「旦那、時間外勤務手当とか──」

    「後で何でも聞く。だから、いまは!」

     

     ──Follow the white Rabbit!!!

     

    オリジナルデジモンストーリー

    「White Rabbit No.9」

1件の返信を表示中 - 1 - 1件目 (全1件中)
  • 投稿者
    返信
  • #3906

    >「小狡さ」というのは、スーパーマーケットで醤油の小袋を余分に取っていくような、そういう態度
     ここから新章ということで9年の時が経ってハルキも随分とスレて大人になった所為か渋い言い回しが増えたなと思いましたが、ここが一番「言いたいことはわかるが、どういうことだってばよとも聞きてえ!」ともなったこじゃれた台詞回しに感じました。ブギーモンは呆れたように語るも慣れているのか一番の理解者、現時点だとヒロインのようだぜ。
     気付きませんでしたが、世界中に立てられた七本の神の矢、それこそ塔宮のが塔とも呼ばれているように02後半の世界編におけるダークタワーがモチーフだったんか……?
     
     地の文が渋い言い回しやなと言いましたが、最初に出てきた敵性デジモンがソウルモンというのもまた渋い。
     通りすがりのバンドマンの諸君はチンピラかと見せかけて話の通じるいい奴らだったのに、直後にいきなり女の死体が出てくるわ下手人の吐かせ屋が出てくるわで塔京の治安が数千字で既にピンチ。実はブギーモンも描写されないだけで旦那を待ってる間、毎回チンピラデジモンに襲われてタクシー守るべく奮戦している説。
     先を知っているため把握している部分もあるのですが、このホーリー(↑)アロー(↑)弾丸が無数にあれば人類に敗北は無かったのだろうな……。

1件の返信を表示中 - 1 - 1件目 (全1件中)
  • このトピックに返信するにはログインが必要です。