-
トピック
-
「ジュレイモンほどカクテルに影響を与えたデジモンもいないだろう」
キンカクモンが刺々しい手甲に覆われた指で、緑色の液体がなみなみと注がれたゴブレットを揺らしている。
何言ってんだこの女性型。と思いつつ、彼女の突発的な発言は今に始まった事でも無い。
俺はお行儀良くカウンター席に腰掛けたまま、黙ってキンカクモンの言葉に耳を傾けた。
「緑のカクテルに赤いチェリーが添えられがちなのは、死を招くほどに甘美なサクランボ『チェリーボム』を豊かに実らせたジュレイモンをリスペクトしての事なのさ。お酒はデジモンにとっても人にとっても、悦楽であると同時に、仄かな、しかし確かな危険である訳だからね」
「彩りじゃねーかな……」
結局俺は堪えられなかったが、キンカクモンは気にも留めやしない。
「エバー・グリーン。“常緑樹”の意味を持つこのカクテルは、その代表例だと言えるだろう。ジュレイモンというのは、常に緑を生い茂らせた、樹木のデジモンである訳だから」
そう続けると、キンカクモンは相も変わらず、ロングドリンクであろうとお構いなしに、ゴブレットの中身を一気に煽ってしまう。
ミントの清涼感溢れる香りが、隣で飲んでいるだけの俺の鼻にもふわりと漂ってきた。
「こんな話をしたのも、君が飲んでいるそれも、ジュレイモンと大層縁の深いカクテルだからなのさ」
「……」
いや、まあ。
そんな気はしていた。そんな流れだろうとは。
俺はバーテンダーであるギンカクモン(キンカクモンの弟だ)に勧められた、カクテル・グラスに注がれた一杯を軽く口に含む。
名前からして甘いカクテルだろうと、イマイチ気乗りしていなかったのだが、思いの外レモンジュースの風味が効いているお陰か、案外くどさは無く、さっぱりとしていて飲みやすい。
赤みがかかった茶褐色――時に琥珀に例えられる、ブランデーの色だ――を有した、このカクテルの名は――
「チェリー・ブロッサム」
――桜の木。
2ヶ月以上前に過ぎ去った季節を思うと、いやに地味な色合いではあるが、名前そのものに偽りはなく、チェリーリキュールをベースに作られたカクテルだと聞いている。
……だから、そこにいくら頭にチェリーが生っているからといって、ジュレイモンが介入する余地は無いと思うのだが。
「弟。チェリー・ブロッサムのレシピはふた通り存在する。そうだね?」
ギンカクモンが頷く。
「お客さんにお出ししたそちらのチェリー・ブロッサムが日本で考案されたものであるのに対し、もう片方は海外で好まれているものです。ブランデーでは無くジンを使用し、卵白を一緒にシェイクする事でまろやかかつ、優しい色合いをしている事が特徴です」
見た目からは考えられない程真っ当なバーテンダーの彼がそう言うなら、この点は真実なのだろう。
「甘みにもチェリーリキュールではなくラズベリーシロップが使われているのだったかな。とはいえ色だけで言うなら、多少黄みがかっている事も多いが海外のチェリー・ブロッサムの方が随分と桜の花の色に近い。故に海外のチェリー・ブロッサムは、文句なしに“桜をイメージして作ったカクテル”と言えるだろう」
「じゃあ、日本のは?」
「どう見てもジュレイモンの色だろう」
キンカクモンは仮面の下でウインクしてみせた。
美人のそれは大層サマにはなるが、ドヤ顔で言う程の考察では無い。
「……チェリー・ブロッサムって、かなり歴史の有るカクテルだと聞いた事があるんだが」
「大正時代に横浜で考案されたらしいね。きっと発案者は、目まぐるしく移り変わる時代の狭間に、なんかこう、ある意味“未来の桜”とも言えるジュレイモンを、何らかの方法で垣間見たのだろう」
「……」
「大正浪漫。というヤツだ」
無敵か?
「そういう訳だ。『チェリーボム』を食べる事はオススメできないが、君達ニンゲンが『チェリーボム』とその使い手から着想を得たカクテルは、こうして人・デジモン問わず楽しむ事ができる。文化と文明の入り交じる横浜港さながらに、今宵は乾杯という形で、デジモンである弟の作った酒を楽しんでいってくれたまえ」
「……どうも」
しかも良い感じにまとめられてしまったなと思いつつ、俺は改めてグラスの中身を光に透かす。
チェリー・ブロッサム。桜の名を冠する、地味な色のカクテル。……絶対無いとは思うが、桜では無くジュレイモンを模したと言われた方がしっくりくる程に、華やかさを欠いているというのは事実ではあり。
と、ふいに。湾曲した硝子の向こうで、ギンカクモンの口元がどことなくほころんだように見えた。
「ん?」
「ああ、失礼しました。……名前に反して地味なカクテルだとお思いかもしれませんが、自分は、割合。チェリー・ブロッサムがその色である事が好きなんです」
「?」
「お客さんは、桜が染料にもなる事はご存知ですか?」
ギンカクモン曰く、桜で染めた布は、方法や品質にもよるが、花と同じ薄紅色に染まるらしい。
「にもかかわらず、桜染めに使用されるのは、花ではなく枝なんです」
「へえ、そうなのか」
「はい。一見、花と比べて特筆すべきところが無さそうに見える木肌にも、花に負けず劣らず美しい春の色彩が眠っている。そういった部分を「木の色」と「華やかな味」で表現するという意味では、チェリー・ブロッサムはこれ以上無いくらい“日本”と“桜”を感じられるカクテルだと――自分は、そう思っていまして」
染料の話は知らなかった。
なるほど、そんな風に説明されると、途端にこのカクテルに詫び寂だとか風情だとか、そういったものが感じられるようになる。
春の麗らかさは過ぎ去って久しいし、桜というよりはさくらんぼの旬という事で出てきたカクテルではあるが。俺も日本人の端くれとして、「桜の心をいつでも楽しめるカクテル」だと思うと、年甲斐も無く、僅かに弾む感情も有り――
「……弟」
改めてキンカクモンの方を見やると、彼女は艶やかな唇をすぼめ、軽く尖らせていた。
「推測でなんだかエモーショルな話をされてしまっては、あたしの解説が霞んでしまうじゃないか」
わ……解りやすく拗ねてる……!
解説も何も、と思ったが、ギンカクモンは気を悪くした風も無く「失礼しました」と姉に対して頭を下げた。
「お詫びに姉さんには、先のお話にも登場した港町と同じ名前のカクテル、“ヨコハマ”をご用意しますね」
「ん」
酒が出るとなれば、キンカクモンもそれ以上不機嫌を拗らせるつもりはないらしい。
すぐに何を考えているかイマイチわからない意味深な微笑みを唇に描き直し、彼女は空のグラスをギンカクモンへと返却した。
「……」
デジモンの美女と安全かつ合法的に酒が飲めるバー。
『べにひさご』に最初に訪れたきっかけは、まあ、そんなしょうもない噂を聞きつけての事だったのだが――今となっては、どう考えても。『べにひさご』の魅力は“美女”にある訳では無いと、理解せざるを得ず。
キンカクモン・ギンカクモン姉弟のやり取りを横目に、残りのチェリー・ブロッサムを傾ける。
キンカクモンは新たに出てきた赤いカクテルを眺めて、どう足掻いても地名なこの一杯に何らかのこじつけが出来ないものかと、どこか首を捻っている風だ。ギンカクモンはそんな姉の胡乱な仕草を、なんとなく暖かみのある眼差しで見守っている。
そんなサマが思わぬ肴になり過ぎるものだから、俺は今後も『べにひさご』に訪れるし、今日ももう1杯、ギンカクモンに何か頼んでみようかと考えているところなのだ。
- このトピックに返信するにはログインが必要です。