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トピック
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女性が1人でも安心して飲める。という点も、バー『べにひさご』の大きなウリだ。
マスターのギンカクモンはアーカイブの記載よりも大人しいデジモンだけれど、お姉さんが大好きという特徴自体が変わるわけでは無いらしい。
姉のキンカクモンによこしまな目を向けられるのはもちろん嫌がるし、だからといって姉そっちのけで女性を口説く男というのも、それはそれでいただけないようで。
そんなワケで、『べにひさご』ではナンパは御法度。厳つくて実際に強いギンカクモンのお陰で、変な気を起こす人間の野郎もまずいない。
出会うのはおいしいお酒だけで良いアタシのような客には、まさに打って付けの酒場なのである。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
扉を開けると、吊されたベルがからんからんと小気味良い音色を奏でる。
音につられて、カウンターの定位置で既にタンブラーを傾けていたキンカクモンが振り返った。
……随分と赤いお酒を飲んでいる。何だろう。
「ああ、これかい。“レッド・アイ”だよ」
「トマトジュースとビールのカクテルです」
「トマトジュースと」
「海外では、アルコールの度数を下げる際にトマトジュースでお酒を割るのは割とポピュラーな手法なんですよ。レッド・アイは二日酔いを覚ますためのお酒……いわゆる“迎え酒”としても親しまれていたりします」
「昨日は飲み過ぎていたから、今日はこのくらいにしておけと弟がうるさくてね」
手指に比べればかなり華奢な肩を竦めつつ、まあ弟が出した以上は飲むけれど。と、キンカクモン。
女性型とはいえ“鬼”の要素も強い彼女に、赤いお酒はなかなかサマになる。……迎え酒の効能の程も、そもそもキンカクモンが二日酔いなんてするのかという疑問も、一旦脇に置いておくとして。
「よければ同じものをお作りしましょうか? ビールは苦手というお客さんでも、トマトジュースで割ると飲めるという方は結構いらっしゃいますよ」
うーん。少し気になるけれど……。
「今日は甘いお酒の気分なので、またの機会に」
「それは失礼しました」
カウンターと棚の間で、ギンカクモンがぺこりと頭を下げる。こういうひとつひとつの仕草にも嫌味が無いのが、彼というバーテンダーの良さを物語っている。
と、
「それなら」
空になったタンブラーを置いたキンカクモンが、アタシの方へと身体を捻った。
「弟。確か“ミドリ”があっただろう。あたしの奢りだ、アレを作ってあげてほしい」
「ミドリ?」
色として馴染みはあるが、お酒としては聞き慣れない名称にアタシは首を横に傾け――しかしすぐに慌てて両手を振る。
「いや、悪いですよ。奢りだなんて」
「遠慮しないでくれたまえ。このレッド・アイとも縁深いお酒だから、折角の機会に紹介しておきたいんだ」
ギンカクモンの方を横目で見やる。
表情の乏しい顔ではあるけれど、その頷きに拒否は感じられない。
「……では、お言葉に甘えて」
「うん。では頼んだよ弟。ついでにレッド・アイのおかわりも」
「了解しました」
しばらくして響いたのは、ブレンダーの駆動音。
激しく掻き混ぜられて泡立つ材料とその色合いは、百貨店の地下で飲むお高いジュースを彷彿とさせた。
「こちら、“グリーン・アイズ”となります」
ストローまで添えられてしまったら、もはや「そのもの」だ。
ミドリ――ギンカクモンの説明してくれたところによると、これは日本で作られたメロン・リキュールの事を指すらしい。
「ん、おいしい」
一口啜ると、本当にジュースじみている。
攪拌の甲斐あって口当たりはまろやか。それでいて氷も一緒くたに混ぜてあるからかキンと冷たく、お酒である事を忘れてごくごく飲んでしまいそうになる。
親と訪れたデパートで背伸びをした気になっていた童心を思い出させてくれる、まさに大人のメロンミックスジュースだ。ココナッツミルクの甘ったるい香りが、今は殊更、心地良い。
「ありがとうございます、これ、すごく好きです」
お気に召したようであれば何よりです。と、姉に追加のレッド・アイを差し出しながら、ギンカクモン。
「それで、お客さん」
こちらはグラスそのものを冷やしてあるのか、氷無しでたぷんと赤い中身の揺れるタンブラーを掲げて、キンカクモンがにこりと微笑んだ。
「不思議には思わなかったかな。こちらが“レッド・アイ”で、そちらが“グリーン・アイズ”……同じ“アイ”が付いているのに、方や単数形で、方や複数形である点を」
「……言われてみれば」
特に思いはしなかったけれど、確かに不思議といえば不思議ではある。
答えを催促するようにキンカクモンへと目配せすると、彼女は青い目でウインクしてみせた。
「これには、プッチーモンというデジモンが深く関わっているのだよ」
「いや嘘ですよね」
ギンカクモンに同意を求めようとすると、彼はブレンダーを洗うために、シンクのある方にその巨体を引っ込んでいた。
そっか、毎回洗わないとだから、大変だよね。
いや、大変なんだろうけれども。
「ご存知の通り、プッチーモンには“赤”と“緑”の2種が存在している」
「それは知っていますけれど」
知っているからこそ、あんなマスコット然としたプッチーモンがカクテルと関連性のあるデジモンには到底思えないのだが。
「赤と緑……即ち、レッド・アイとグリーン・アイズだ」
「色だけで関連性を語れるなら、赤いき○ねと緑のた○きとかでも話が通ってしまう気がするんですが」
「いや、赤い○つねと緑の○ぬきではこの話は成立しないんだよ。赤いきつ○と緑のたぬ○では、赤の方が売れているからね」
「そうなんだ……」
いや、売れているからなんだって話なんだけれども。
「というのも」
キンカクモンは見透かすような眼差しで続けた。
「プッチーモンというのは赤い方が通常種で、緑の方が希少種……即ち、数が少ないんだ」
「へぇ~……ん?」
となると、ますますおかしいじゃないか。
てっきり、「プッチーモンは緑の方が多いから、グリーン・アイズが複数形になっている」みたいなオチになるとばかり思っていたのに。
率直に意見をぶつけると、「いや、そもそもプッチーモンの目は2種とも黒一色だから、プッチーモン本体でこの“Eye”の名を冠するカクテルを語る事はできないんだ」と至極真面目な表情で、キンカクモン。
「だが同時に、プッチーモンには自前の瞳以外にも、Eyeと形容できる装飾品を身につけているのさ」
「と、言いますと?」
「胸元の宝玉だよ」
視線を宙で泳がせ、思い返す。
プッチーモンの胸元……そういえば、丸い飾りがついていて、赤い方が緑の、緑の方が赤い玉を、付けていたよう、な……。
「赤が緑で、緑が赤。そうなると必然的に、プッチーモン自体は赤の個体が多くても、宝玉の数は緑の方が多くなる。そんな“プッチーモン・アイ”の数学に取り憑かれた人々がこっそりと残した数式こそが、レッド・アイとグリーン・アイズの関係性なのさ」
仮に。
仮にそれが事実だとして、数学と言う程のものだろうか。
算数が関の山ではなかろうか。
いやでも、プッチーモンと小学生の学習課程を並べて語るのは、なんだかとてもいけない事をしている気分になる。
成人らしくお酒のせいにして、深くは考えない方が良いだろう。
「というか、目って言うぐらいなら、プッチーモンの玉飾りってクリソベリルキャッツアイなんですか?」
「さあ。でもまあ宝石ってだいたいベリルらしいからそうなんだろう」
「暴論過ぎる」
「ふふ、そんな風にあたしの知識を羨んではいけないよ。それこそ言うだろう、「嫉妬は緑色の目をしたモンスターだ」と」
「やかまし過ぎる……!」
羨んでの発言では無いし、シェイクスピアは胡乱知識をお披露目した後で引用するものではない。
ただ……まあ、いいか。
話は恐ろしく嘘くさくても、キンカクモンがこの話をするためにグリーン・アイズを奢ってくれた事と、グリーン・アイズがおいしい事は真実だ。その体験は、彼女の知識の胡散臭さを補って有り余る。
それに、彼女の信用はできない話に、これといって害は無い。むしろただの1人飲みより可笑しくて、望まぬ2人飲みになるよりはずっと楽しい彩りであるとも言えない事は無い訳で。
酒の肴にするのなら、ちょっとぐらいクセがあるのも、オツという事で。
「ちなみにベリルとクリソベリルは、名前が近いだけで全く別の鉱石らしいです」
と、いつの間にかすっかり空になっていたレッド・アイのグラスを取り替えながら、こっそりと、ギンカクモン。
「そうなんだ……」
別に必須では無いが本物の知識も増えたりしながら、『べにひさご』での夜が更けていく。
近い内に、また足を運ぶだろう。
プッチーモンとの関連性はさておき、レッド・アイの味とのどごしが気になるのも、本当の事ではあるのだから。
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