ドレンチェリーを残さないでep18

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      「理由はわかりますけれど……警察病院で人間ドック受けてるのなんか奇妙な気分です」

      「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」

      「……なんで鳥羽さんも?」

      「ここ数ヶ月二週に一度の定期検診をサボってたのが公竜さんにバレました」

      だって輸血パックだけ貰えば大体なんとかなるんだもーんと恵理座は笑った。

      「……そういえば、小林さんのベルトは誰が作ってるんですか? 協力者の素性は鳥羽さんしか知らないって小林さんが言ってました」

      「それは、ナイショです。その人はその人でなかなかヘビーめなアレなので、お二人に会わせる機会はない方がいいかなーと私としては思ってます」

      「そんな面倒な人なんですか?」

      「雰囲気としては、そちらの斎藤さん系ですけど……推しはなんか丸が三つ並んでるやつらしいですよ。世代らしいんですけど、人間になりたい怪物に情緒がぐちゃぐちゃにされたとかなんとか」

      斉藤さんより少し年上なんですけどねと恵理座は言った。

      「……年齢的には私と同じくらい?」

      「え、姫芝って年齢幾つ……?」

      「28ですが、今年で29ですね」

      「……私と10歳差、うちの店で最年長……?」

      そういいながら、猗鈴は自分の胸の辺りに手を持っていくと、スライドさせて杉菜の頭の上とを行ったり来たりさせた。

      「ちなみに彼女は公竜さんと同じ三十路です。ところで三十路って響きちょっとセクシーですよね、公竜さんもセクシーだと思いませんか?」

      恵理座はそう言った。

      「……ベルトの持ち主の話を広げたくないんですね」

      「あと、普通に恋バナって楽しくありません? 公竜さんは私の吸血衝動がアレすぎると優しいので噛ませてくれたりするんですけど、吸血鬼嫌い過ぎて一瞬すごい味わい深い顔するんですよ」

      恵理座はどうせ話す時間はいっぱいありますとそう言った。

      「恋バナというより惚気じゃないですか」

      「公竜さんが吸血鬼の私を相手にすることはないので惚気ではないです」

      気にしてませんよという明るい口調と作った笑顔が痛々しく、空気が一瞬で悪くなる。

      「……猗鈴は、何かあります? 夏祭りの彼とか」

      「彼はいい人なので私は絶対付き合ったりしないです」

      恋バナに向いてなさすぎるなこの面子と姫芝は自分のことも鑑みて思った。

      「……恋バナ、やめませんか?」

      杉菜の提案に、猗鈴も恵理座も確かにという顔を一瞬した。しかし、猗鈴がふと何かに気づいた様に発言した。

      「でも私、姫芝の恋バナは聞きたい」

      「私も聞きたいですねー、姫芝さんの恋バナ」

      「……あなた達、ハイエナみたいな性質してますね」

      二人の言葉に杉菜はじとっと嫌そうな顔をしたが、猗鈴は無表情のまま見つめ返した。

      「……正直、最近は恋愛とかしてないですよ」

      「なら過去の話でいいから」

      「王果オチの恋愛なら何個かありますけど、まともなのはあんまないですね」

      「王果オチってなんです?」

      「思想犯を騙った愉快犯、ただ人の心を動かしたかったと動機を語った希代のサイコ殺人犯、風切王果に近づきたくて私に近づいていたパターン」

      「ろくな恋愛してないんですね」

      恵理座が可哀想な顔をするのが、杉菜にはどうにも解せなかった。

      「あなたが言います?」

      「まぁ、公竜さんがイケメンなのも優しいのも首筋美味しいのも本当ですからね。偽物の恋愛とは比べるまでもありません」

      「目くそに笑われた鼻くそってこんな気分なんですね。はじめて知りましたよ」

      杉菜ははわざとらしく笑ったが、恵理座はけろっとしていた。

      「応える気はないですけれど、米山君に普通に好かれて真っ当にデートに誘われた私の話が一番まともだったりします?」

      「謎カードゲームの大会に連れていかれるデートが真っ当かは一考の余地がありますが」

      杉菜はまぁ今も私はデッキ持ち歩いてるんだけどと思いつつ、自分のことは棚上げしてそう言った。

      「あと、それは私達知ってますからね……告白シーンの話とかないんですか?」

      猗鈴はなるほどと、便五による告白シーンを詳細に説明し、そして最後にフリましたけど。で締めくくった。

      「……もう恋バナやめませんか? おしまいです」

      「具体的なエピソードじゃなくて好みの人物像とか話す感じならまだ……」

      再度の提案に猗鈴がそう言って、恵理座もうんうんと頷くのを見て、杉菜はマジかと思ったが、ではどうぞと投げやりに返した。

      「私としてはやはり頼り甲斐のある年上派ですね。あとはイケメンで、肌白くて、首筋が噛みやすい人がいいです」

      「小林さんの話になったらそれは具体的過ぎるんですよ」

      「……でも、頼り甲斐がある相手は素敵じゃないですか?」

      まぁ言わんとすることはと頷くものの、杉菜にはあまりその良さはわかっていなかった。

      「想像してみてください、誰しも時には寝込む時とかあると思うんですよ」

      「まぁ、体調不良は誰でもありますからね」

      「そうですそうです。世界を呪って呪詛を吐いたり自傷したり涙が訳わからないままボロボロこぼれたりして、とりあえず落ち着かなきゃ眠れば治るはずだってベッドにこもって、でも眠れないまま一日が過ぎたりしますよね」

      「……あまりしませんけど続けてください」

      「そういう時に、何も聞かずに温かいご飯作ってくれて、せめて何か食べろと言ってくれて、私が辛い気持ちを八つ当たり気味にぶつけても大丈夫だって慰めて頭撫でてくれたりする人、よくないですか?」

      「……猗鈴はどう思う?」

      「そうですね。前提がちょっと特殊過ぎて話が入って来ないです。あと、小林さんの顔がチラチラ浮かびます」

      そうですかと首を傾げる恵理座に、杉菜はまぁでもまだわからなくはないかと思った。

      弱ってる時に支えて欲しいというのは誰でもあるし、それが好きな人ならなおさらいいというのもわからなくはない。前提が少し引く内容だったが、杉菜もメモリ依存者の限界生活なんかは見たことがあるので一応想像できなくはない。

      「姫芝はどっちかと言えば、頼って欲しい派?」

      猗鈴に言われて、杉菜はどうだろうと首を傾げた。

      王果のせいもあって初恋らしい初恋も杉菜は覚えていない。王果オチの男達は男らしさみたいなのを見せようとしている節はあったが、別にそれが特別いいと思ったこともなかった。

      「まぁ、どっちかと言えばそうですかね。猗鈴は?」

      「頼れる頼れないより、お菓子作ってくれる人とかいいですね。作れなくとも買って来て欲しい」

      それは恋愛感情の話なのかと杉菜は思ったが、恵理座は耳をぴくっと動かすと、おもむろに立ち上がって病室の扉を開いた。

      「こんな風にですか?」

      「え? なに?」

      扉の先には便五が立っていた。

      「……なんでここに?」

      「喫茶店行ったら入院したって聞いて……」

      「ありがとう。検査入院だから大丈夫、じゃあもらうね」

      便五の持っていた包みを受け取ると、猗鈴は扉を閉めようとした。

      「いや、いくらなんでも帰すの早いでしょう」

      恵理座が閉めようとした扉を開いて、便五を部屋の中に引き入れる。

      「検査してない時間暇なので、恋バナをしてたんですよ。わかりますね? そういうことです」

      「え、どういうことですか?」

      困惑する便五と中に引き入れようとする恵理座に、猗鈴はあまり表情を動かさず、しかし口は出した。

      「この前私は彼のことフッてるのに、その彼の前で恋バナするの残酷じゃないですか?」

      「その事実を改めて突きつける猗鈴も残酷な気がしますが」

      それはそれと猗鈴は杉菜に言った。

      「でも、僕は諦めるつもりないから」

      「とりあえず、和菓子はありがとう。じゃあ帰って」

      便五を病室から締め出した猗鈴の顔を見て、杉菜はチラッと恵理座の方を見た。恵理座はよくわかってない様で首を傾げていた。

      「恋バナしないで普通にお見舞いしてもらえばよかったんですよ」

      「姫芝はともかく鳥羽さんなんかこういう時ことあるごとにいじりそうだから」

      「いじりますけど、それはそれとして普通にかわいそうじゃないですか?」

      「……じゃあ、出口まで送ってくる」

      猗鈴はそう言って、病室から出ていく。

      それを見て、恵理座はにまぁと笑い、少し迷った後入り口の扉を再度開こうとする。

      「トイレですか?」

      「いえ、どこかで二人でなんかしてないかなぁと」

      「恋愛脳にも程がありますよ」

      と杉菜は言ったが、それでも恵理座は扉を開けた。そして、その直後、即座に扉を閉めた。

      「……どうしたんです?」

      一瞬でひどく青ざめた恵理座に、杉菜が問いかけると恵理座はまずはベルトをと促した。

      「この病院にグランドラクモンがいます。今の私達じゃ勝てません」

      「……そんな馬鹿なことが」

      「あります。私の鼻は知ってる臭いならまず間違えません、公竜さんに近い吸血鬼の臭い。猗鈴さんが倒れた現場に残ってた女性の臭い……」

      「いや、でもですよ?警察病院なんてグランドラクモンからしたら敵側の拠点の一つみたいなものじゃないですか、何か騒ぎを起こすでもなくいるなんてあるんですか?」

      「ありますよ、というかきっとグランドラクモンは私達のことを敵と認識してないんです。吸血鬼王の目と声に耐えられる人間なんてまずあり得ない、声をかけて視線を向ければどこだってフリーパスになるのがグランドラクモンなんですから」

      「それにしたって何故……」

      「わかりません。気まぐれかもしれないし、私達でもわかる理由かもしれないし、理解できない理由かもしれない」

      「とりあえず、猗鈴をどうにかしないと」

      「いえ、逆に猗鈴さんは無事、かも。グランドラクモンは人間の身体から出てこないので臭い薄いですから……本当に今廊下を通った筈。病院の入り口にいれば、きっと……」

      そう恵理座がつぶやくと、部屋の扉がガラリと開きピンクの袖を揺らしながらマタドゥルモンが部屋に入ってきた。

      「やぁやぁお初にお目にかかる。とても強い吸血鬼の香りがしたもので、ついお邪魔してしまったが……面白い組み合わせだ」

      とりあえず、と前置きしてマタドゥルモンは姫芝の首にその刃物の足を突き立てようとする。それを、マントと化した恵理座の肉体が受け止めた。

      「変身して!早く!」

      「駄目です、今の私のベルトは変身できない!」

      「しょうがないですねぇ!」

      恵理座の肉体がパッと黒い影の様なものになったかと思うと、杉菜のベルトにまとわりついてその形を変えた。

      『これでできる筈です!』

      そう言われて、杉菜はベルトにザッソーモンのメモリを挿してレバーを押した。

      『ザッソーモン』『クロスアップ』『ヴァンデモンX』

      「素晴らしい……」

       

       

       

      「……美園、猗鈴」

      「柳さん」

      便五を入り口まで帰した猗鈴は、産婦人科のベンチに座る真珠と出会っていた。

      「捕まえるつもりなら、やめた方がいいわ。すぐそこにグランドラクモンがいる」

      「とりあえず、病院通えるぐらい回復しててホッとしました」

      「無表情で言われても感慨ねーのよ。というか会話って理解してる?」

      「お子さん何週目なんですか?」

      隣に座るなと真珠だったが、むやみに立ち上がったりもしない。

      「まだお腹目立ってませんよね」

      「……そうね、服脱いでも私でもわからないもの。ちゃんと育ってくれているのかどうか、戦いのせいで何か悪い影響とか起きてないのかどうかとか、考えることはいっぱいあるけど……」

      真珠は自分のお腹を撫でながら、不安そうなでもどこか幸せを噛み締めているような顔をした。

      「そういえば、妊娠おめでとうございますって言ってなかったですね」

      「……人がセンチになってる時にそういうとこ嫌いだわ。お前達姉妹の悪いとこよそれ」

      柳がそう苦言を呈すると、猗鈴は袋から酒饅頭を一つだけ取り出して食べ始めると、残りを袋ごと真珠に渡した。

      「とりあえずお祝いです。ここの和菓子屋さんのお菓子美味しいので、特に酒饅頭が」

      「ありがとう……」

      そう言いながら真珠は袋の中を見て、せっかくだしと目で酒饅頭を探した。

      「酒饅頭、それだけじゃない……?」

      「そうでした? でも、これは私のなので」

      笑みを浮かべる猗鈴に、真珠ははぁーと怒りを殺しながら深くため息を吐いた。

      「というか、とりあえずグランドラクモンが来る前にあっち行きなさいよ。戦いになって病院変えたりしたくないし」

      「……確かに、少し喋り過ぎたみたいですね」

      猗鈴はそう言って酒饅頭の残りを口に押し込み、立ち上がりながら振り返る、それに次いで真珠も振り返ると、そこには佐奈が立っていた。

      「あまり良くないと思うんだ、柳さん。君は彼女を殺したいとあの方にお願いした筈なのに、どうしてそう仲良さそうなのかな」

      「……今は戦って勝てるコンディションじゃないからなんとか手を引かせようとしてたのよ」

      「じゃあ、僕が来た今は形勢逆転、君自身が止めをさせる様にお膳立てしてあげようか?」

      「あんたこそ、黙って戦ったりしていいの? あいつは自分の目で観戦したいんじゃないかしら?」

      佐奈は大丈夫さと言いながらメモリを取り出す。

      「すぐ近くにはいるんだからね」

      「……ここ、病院ですよ」

      「そうだね、君が戦い難そうでこっちとしては都合が……」

      猗鈴は佐奈が返事を仕切る前に動いた。椅子を踏み台にジャンプして佐奈の手を蹴り持っていたデスメラモンのメモリを弾き飛ばすと、それを拾って病院の入り口へと走った。

      そうして駐車場まで来ると、猗鈴はそのメモリからカードを取り出すと、指で粉砕した。

      「お返しします」

      空になったメモリを猗鈴がそう言って渡すと、佐奈ははぁとため息を吐いた。

      「乱暴な子だな君は……念の為にこっちに予備を入れておいてよかった」

      佐奈はそう言いながら袖口から彩色されてないメモリを取り出し、ボタンを押して挿した。

      『デスメラモン』

      「なら、仕方ないですね」

      『ウッドモン』『セイバーハックモン』

      猗鈴はそう呟いて、ベルトにメモリをセットして変身する。

      全身に青い炎と鎖をまとった魔人に、白い仮面と脚甲を着けた猗鈴が対峙する。デスメラモンの足元ではアスファルトは柔らかくなり、それなりに距離を保っている猗鈴のところまでも熱が届いていた。

      『セイバーハックモン』『セイバー』

      徒手では危険と判断した猗鈴は、すぐに剣を手にした。

      その時、ふと猗鈴の脳裏に赤い炎が過ぎった。両親を焼いた赤い炎が。

      その隙を佐奈は見逃さず、鎖を伸ばすと猗鈴の腕に巻き付けた。

      赤、赤、赤、猗鈴の視界にチラチラと存在しない赤が侵食していく。

      そうしてうまく動けない猗鈴を、佐奈は鎖で引き寄せて殴りつける。

      一発、二発、三発と相手に避けられるかもなんて考えないただ思いっきり殴る。それに、猗鈴はただ耐えて受けるしかない。

      「……どうなっているの」

      遅れて追いついた真珠は、それを見て思わずそう呟いた。

      「グランドラクモンの目を彼女は見た。ある程度の耐性があっても、既に目を逸らしたとしても見たことには違いがない」

      そう言いながら佐奈は猗鈴の剣を手で握って溶かす。

      「私は……」

      目の前の佐奈に視点が合わない。火の中で両親が互いの手を握っている。何か諦めた様に微笑んでいる。

      その微笑みに隠された佐奈の膝が腹に捩じ込まれて、猗鈴は思わず手と膝をついた。

      熱されて柔らかくなったアスファルトが手に膝にまとわりついて焼いてくる。それでも目の前にいる敵が見えない。

      「グランドラクモンの目を見たものに許されるのは堕ちるか苦しみの果てに死ぬか。その二択だ。僕は堕ちる道を選べたが……彼女はなまじ耐性があったばかりに堕ち方を示されていない様だ」

      「……どうなるの」

      「まぁ誰も殺さなければ自死するだけだね。君がいつの間にか仲良くなってたのは意外だけども……グランドラクモンに知られたら本当に君の身は危ういだろうし、彼女にはもう君に殺されるか自殺するかぐらいしか選択肢はない」

      そう聞いて、真珠はあまり喜ぶ様な気持ちが湧いてこない自分に驚いていた。

      憎いし嫌いだしぶん殴ってやりたいとは今も思っている。でも、子供がいることをその未来を他に穏やかに祝福してくれた人は誰もいない。人でなしの吸血鬼王が本当にそう思ってるのかもわからない笑みを浮かべていたぐらいだ。

      「お膳立てはしてあげるから、とどめは君がすればいい」

      そう言われても、真珠はそうねとは言えなかった。

      これは望んでいるものではないという確信と自分への困惑、しかしグランドラクモンを騙したことになればどうなるかという恐怖、それらがぐちゃぐちゃになって自分でもどうすればいいのかわからなかった。

      「……まだ、私は戦える」

      猗鈴は立ち上がって拳を構える。

      殴られながら猗鈴は考えていた。この見えている光景や音と現実との間に関連はないのかと。

      炎が鍵になって記憶がフラッシュバックしているならば、それがより苦痛でより鮮明な時はそれだけ敵が近くにいるかもしれない。

      「……結構渾身のパンチを何度も喰らわせたんだけど、立ち上がれるのか」

      佐奈の呟きは猗鈴の耳には入っていない。聞こえているのはばちばちと爆ぜる炎の音、幼い自分の泣き声、自分の頭を撫でる母の声は歪んで聞きとれない。

      「ィ鈴は……」

      声がはっきりと聞こえそうになって、猗鈴は目の前に足を突き出した。

      「ぐっ……」

      それは腹を確かに捉えたものの、体格は佐奈が勝っている。少し怯みこそすれ決定打には程遠い。

      足が焼かれる痛みで猗鈴は佐奈に当たったことを知り、蹴った足を踏み出して、拳を腹の高さで振るう。

      またそれは佐奈に当たる。距離を測れてない一撃では大したダメージにはならないものの、当たり続ける内は、殴られる内は敵がどこにいるかわかる。

      だから、お互いにノーガードの殴り合いに発展した。

      猗鈴の拳の回転は佐奈より速かったから、佐奈は体重を乗せた重い一撃をそうそう出せず、しかし猗鈴の拳も綺麗にはヒットしない。

      しかも、猗鈴はデスメラモンの炎に常に晒されているだけで体力も削られていく。

      「よく頑張ってるよ君は、でも、この前見た君よりも明らかに弱々しい」

      佐奈は感心半分呆れ半分でそう呟いた。

      その呟きが、猗鈴の視界を支配する幻をもう一段鮮明にした。

      殴られている感触も殴っている感触もなくなって、猗鈴は幼い自分と一体になっていた。

      熱されたフローリングも周りを取り巻く炎もデスメラモンのそれに比べれば大したことはない。でも、生身で耐えられるものでもない。

      足は痛むし涙は出る。不安で姉の手を握りしめると、姉の大きな手も痛いぐらいに強く握り返してきた。

      父と母は座り込んで諦めていて、母は泣いている猗鈴の頭を撫でる。

      「泣き止んで、猗鈴……大丈夫よ、何も怖くない」

      何も怖くないなんてことはなかった。怖かった、恐ろしかった、訳がわからなくて仕方がなかった。

      ママがなぜ笑っているのか、わからなかった。

      「猗鈴は、強い子。そうでしょう?」

      猗鈴はあの日、この言葉に頷けなかった。

      頷けないまま、夏音に手を引かれて二人だけ炎から生き延びた。泣きながら、喚きながら、猗鈴はずっと夏音を困らせた。

      「ママ、私は……」

      突如膝をつき、顔から突っ伏した猗鈴がそう呟く。

      それを見て、真珠は感情がさらにぐちゃぐちゃになるのを感じた。

      「痛くても我慢できる様になったよ、ママ……」

      猗鈴は何かに手を伸ばそうと虫の様に這いずった。それを見下ろして、佐奈は見てられないと言った。

      「もう虫の息だ。早く殺してあげるのが優しさだよ」

      「で、でも……」

      真珠はためらい、ためらいながら思わず猗鈴の伸ばした手を握ってしまった。何をしているのか真珠自身にもよくわからないまま、そして、猗鈴の頭を撫でた。

      幻の中で、猗鈴は母親に両親に呼びかけ続ける。あの日とは違うともう強くなったと、だから、もう迷惑もかけないからと。

      「ママ……パパ……みんなで死ぬなんてやめようよ……」

      その猗鈴の呟きは真珠の耳には届いたものの、過去の幻影に届くはずもない。

      「猗鈴は強い子、そうでしょう? だから、ここでみんなで死にましょうね」

      母親はそう柔らかく微笑み、夏音はその母の手を叩いて猗鈴の手を引いた。

      「何するの夏音、夏音! このクソガキ! 戻ってきなさい夏音!! あんた達はここで私達と死ぬのが幸せなの!! 行くな!! 戻って!! なんで私の言うことを聞けないの!!」

      「そうだ、戻ってこい夏音。パパもいるんだ怖くない……早く戻ってこい!!」

      屋根から柱が落ちて夏音に伸ばされた父の手が下敷きになり、両親の姿は火に包まれていく。

      「戻ってって言ってるのに!! こんなに……こんなにママは辛いのに!!」

      自分達から猗鈴を奪い生き延びようとする夏音を罵りながら火に包まれていく。

      醜くて悍ましくて、でも愛している両親で、姉は自分の為を思っていて、炎の恐怖に猗鈴はただ泣くしかできなくて。

      そうして、猗鈴のことを守ってくれた姉もあの日死んだ。遺体は棺桶に入り、両親と同じ様に炎の中に消えていった。

      真珠はあまりに痛々しい猗鈴の姿に、理解できないまま手を握り締め続け、ついには涙をこぼした。

      こぼした涙が猗鈴の手に触れて、猗鈴のベルトに挿さったウッドモンメモリのボタンが一人でに押される。

      『ウッドモン』

      その音声に、音の奇妙さに真珠はハッと我に返って猗鈴から手を離して距離を取った。

      『ウッドモン』

      『セイバーハッ』『セイ』『セッ』

      ずりゅと、ウッドモンメモリの刺さったベルトから木の枝が生えてセイバーハックモンメモリにまとわりついて包み込んでいく。

      猗鈴の変身も一度解け、そして、もがく様に虚空を見つめて猗鈴が手を伸ばすと、またウッドモンメモリのボタンが押され、レバーも勝手に動き出す。

      『ウッドモン』『ぷ』『ラ』『ス』『セイバーハックモン』

      『トロ』『ぴ』『ア』『モン』

      耳障りに歪んだ音声が二つのメモリ音の間に挟まり、同じような音声は聞き慣れないデジモンの名前を告げた。

      ゆっくり起き上がる猗鈴の身体は、ピンクの触覚の生えた黄緑の仮面は赤と黄色の花弁の様な飾りまでついて派手で、身体を覆うのも同じ様な明る過ぎる黄緑色のコートに、さらに派手なピンクの襟までついた様な服、指先にはあまりに長い水色の爪までつけていた。

      「何が起きてるのかわからないが……」

      佐奈はそう呟いて、火のついた鎖を猗鈴に投げかける。

      ぼんっと音がして鎖は猗鈴に辿り着く前に爆発して勢いを失って地面に落ちた。

      「私は、強い……」

      猗鈴はぼんやりとそう呟いて、佐奈をその身にまとった炎を見ると、長い爪の先に液体を滴らせたかと思うとそれを腕を振るって飛ばした。

      「炎も私を止められない」

      「そんな液体なんて、辿り着く前に蒸発して……」

      確かに、液体は佐奈に辿り着く前に蒸発したが、その気体を浴びた胸元と吸い込んだ喉はにわかに爛れ出しし、目もひどい痛みに襲われ出す。

      「私は、強くなった……あの日よりずっと……」

      猗鈴の胸元から何か粉の様なものが溢れ出す。

      「近づいて、毒を使わせない様にするしか……」

      目をやられて佐奈は粉が見えていなかった。宙を漂う粉に佐奈が触れると、それは即座に爆発した。爆発は連鎖して佐奈の全身を衝撃が走る。

      「私は強い子、だから」

      猗鈴はそう言い、自分の胸元から噴き出す粉を掴むとそれを握りしめたまま佐奈の喉を掴む。

      猗鈴の手諸共に爆発が佐奈の喉を襲う。爆発の熱で爪の先の毒液も気化して顔の周りを漂い、一呼吸ごとに喉も肺も爛れていく。

      悲鳴さえ上げられない中で佐奈は手足に力が入らなくなるのを感じた。

      猗鈴は自身の手も焼け爛れたのを見ると、ベルトのウッドモンメモリを押し、佐奈を踏みつける。

      『ウッドモン』『ブランチドレイン』

      佐奈は間一髪で踏みつけられていた足から逃れるが、地面を通じて伸びた枝の一部に腕を取られる。その枝は一瞬で燃えたものの、その一瞬で吸ったエネルギーで猗鈴の手は回復していた。

      「今の私なら、炎の向こうに消えたママもパパも取り戻せる」

      猗鈴の目は佐奈ではなく、炎に向けられていた。

      今も猗鈴の頭の中に溢れているのは、自分を助ける姉と姉に助けられる自分を最期に罵った両親、両親と真逆で既に物言わぬ死体だった姉、そのどちらもが炎に包まれていく様。別れの瞬間。

      両親が心中を選んでも猗鈴には何もできなかった。ただ、ただ、泣いているだけで弱かった。

      猗鈴は幻影の中の両親を救いたかった。姉を自分を救いたかった。

      殴れて倒せる炎と佐奈をぼんやりと認識していたから、猗鈴は佐奈を倒そうとした。

      猗鈴の見ている光景自体は殴られている時と変わりない。炎に猗鈴の最悪が映し出され続けている。

      「もうやめようって……ずっと言えなかったのが心残りだった……」

      それは猗鈴にとっては独り言だった。

      「止められなかった……一緒に死ぬこともできなかった……」

      猗鈴は、そう言いながら疲労している佐奈に近づくと、その脚を踏み砕いた。

      「だからせめてママの言葉を嘘にしないって決めたの」

      次は腹を蹴り付けた。

      「私はあの日死ねた方が幸せだった様に生きる」

      這って逃げようとしたら、その手を踏みつけた。

      「そして、強い子であり続ける」

      踏みつけたまま、逆の手を高く掲げる。

      「超絶喇叭蹴!」

      ふと、そんな猗鈴の手を何か上から降下してきたマタドゥルモンが蹴って肘から砕いた。

      次いで、マントを翼の様に広げながら杉菜が降りてくる。

      「……何がどうなってるんですこれ」

      『私にわかるわけないです。あの猗鈴さんの姿も何も聞いてませんよ』

      「奇遇ですね。私も聞いてませんし、あなたに答えは期待してません」

      杉菜の言葉に恵理座が答えたが、それを杉菜はサクッと一蹴した。

      猗鈴は自分の折れた肘に枝を添えると、その枝を器用に動かして元々の動きを取り戻す。

      「猗鈴、何があったんですか」

      杉菜がそう呼びかけると、猗鈴はぴたっと動きを止めた。

      その隙にとマタドゥルモンは佐奈の頭の中へ入っていくと、佐奈の肉体からデスメラモンのメモリが抜け落ちて、マタドゥルモンへと変わっていく。

      「僕達もまだ奥の手がある……」

      『デスメラモン』

      マタドゥルモンの肉体に、デスメラモンのメモリを突き刺す。

      すると、マタドゥルモンの服の袖がちらちらと燃える炎の様になり、袖口からは刃だけでなく鎖ものぞかせた。

      その光景を猗鈴は見ているようでやはり見ていなかった。

      猗鈴、と誰かが名前を呼んだのはわかった。でも、子供の猗鈴にはそれが誰かわからなかった。

      大人なのに子供で、家族を戻したいだけなのに、何かを壊す形でしか出力できない。

      自分が歪んでいること自体の自覚はどこかであるのにどこから歪んでいるのかは猗鈴自身もよくわからない。

      ただ、その声の持ち主は敵だったはずだということは覚えていた。

      猗鈴は杉菜に向けて爪を振りかぶり走り出した。

       

       

       

       

      あとがき

      今週も更新できてよかったです、へりこです。皆さんお待ちかねの主人公暴走回です。やっぱこういうの必要ですよね。

      ではでは、また次回お会いできましたら……

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    • #3964

       熱いカモンデジモンオマージュ。いやアレはデスメラモンではなくデス・メラモンでしたが、ワンちゃん死ぬのを超越して心中図る両親というエグいトラウマ級の過去がようやく描写されてしまいました。おかげで猗鈴サンが胸から毒ガス撒き散らす系女子に超進化、トロピアモン見た目は超カッコいい一方で技はグロい奴だらけとはいえなんて時代だ。
       前半は前回ラストに引き続いて女子会っぽくワイワイキャピキャピやってたんだというのを失念させるぐらい急転直下で事態が悪化している。便五クンいたとはいえ女子会っぽい雰囲気だし検査入院終わったら皆で入浴だろなと思っていたらこんなことに。アラサーだと明言されてしまった姫芝が遠い過去の女のようだ、最後に出てきましたが。
       
       平成ライダーと言えば暴走回。〇が三つある奴がお好みってお前、ドクター真木ィ!!
       てっきり暴走回は最初にセイバーハックモンメモリ登場した時点で熟した扱いなのかと思っていましたが、ここで容赦ない展開が来てしまいました。凄まじく便利かつ凶悪な能力を持っておられるグランドラクモン様。デスメラモンも相俟って炎に纏わるトラウマで心を抉ってくる様はまさに平成ライダーというかWや〇が三つある奴000というよりむしろブレイド。剣崎ー!!
       骨の髄まで草タイプなのに炎タイプに対抗し得るパワーを得てしまい、主人公の腕が問答無用でへし折られて速攻で添え木修復されるの恐怖過ぎる。鬼滅の映画公開に合わせて鬼となる猗鈴サン。

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