デジモンに成った人間の物語 第二章の① ー牙と弩ー

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    ユキサーンユキサーン
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      その空間には、人の気配が存在しない。

      辺りに存在するのは紛れもなく都会に数多く存在するコンクリートの壁であり、外側から内部を覗き見る事も出来うる窓も存在し、人間の能力に見合った数多くの機材だって数え切れないほど有るにも関わらず、その空間には人間と呼べる存在がただの一つも存在しておらず、建物として全く機能していないように『普通の人間には』見える。

      そんな、現実の世界でも電子の世界でも無い場所に、来訪者が存在していた。

      上半身から下半身までを覆い隠すほどの蒼いコートを着た、紛れも無い人間の男性が。

      男性は室内に存在する一つの『一般的な』デスクトップパソコンの前に立ち、何も言わないまま電源を起動させると、そのまま液晶画面の傍にある端末へ手で触れる。

      それだけで、本来人間が電子上の情報に介入するために必要とする、キーボードもマウスも何も使っていないにも関わらず、液晶画面には男性が必要とする情報が自動で浮き出てきた。

      それは、本来厳重に管理されていて然るべきはずの個人情報。

      名前や年齢、経歴など様々な情報が記されているそれは、過言でも無く個人の強みや弱みを握りかねない代物だ。

      躊躇も無く情報を閲覧する男性は、ある一名の『人間』の情報を視界に入れると、表情を変えずに反応する。

       

      「……ふむ」

       

      記述された個人情報の中には、証明写真を元とした『顔』も存在している。

      男性が見ている物には、肌の色はいかにも『一般的な』日本人のそれをしていて、黒色の髪を持ち、推測されるに歳は10代後半の男の子の顔が写されている。

      証明写真を撮る際の服装は基本的に正装である事が多く、身だしなみや顔立ちも大抵が『嫌なイメージを持たれないために』ある程度整えられているため、写真一枚で個人の特徴を読み取る事は難しい。

      そればっかりは、実際に会うぐらいしか確認する方法は無いのだ。

      七月の十二日の夕方――――紅炎勇輝と呼ばれる『人間』を捕まえた時と同じように。

       

      (……現実世界では、紅炎勇輝が行方不明になった事が流石に報道されている頃か。まぁ、現実世界の技術で『我々』の犯行を調べ上げる事は難しいだろうから、気にする必要も無いのだが……)

       

      悩むような表情を見せる男性だが、実際に悩んでいるのか、そもそも何に悩んでいるのかまでは誰も分からない。

      そんな『彼』の手には、一つの白い携帯電話があった。

      彼はその小さな液晶画面を立ち上げると、電話番号も入れないまま音声を発信及び受信するためのスピーカーに向けて――より厳密には、自身の話相手に向けて声を出した。

       

      「どうせ機関の情報か何かから知っているのだろうが、この数週間の間に、お前からのオーダーである『作業』を俺の方は必要な数だけやり終えた。そろそろ大題的に『組織』が活動を開始する時期に入ったと見て良いのか?」

      『わざわざ問う必要も無いと思うのだがな。既に「種植え」は済んだのだから』

       

      聞こえたのは、異常なまでに透き通った邪な物を感じられない声だった。

      ドキュメント番組で表情をモザイクで隠した状態の人物の出す音声よりも、人間の声とは明らかにかけ離れた声。

      喜怒哀楽の全てを内包しているその言葉を聞いた男性は、軽くため息を吐いて言う。

       

      「……まったく、やる事を大きさを考えれば理解も出来るが、随分な回り道を通っているものだな」

      『「紅炎勇輝」が手順に必要な要素である事ぐらいは君も理解しているはずだが?』

      「分かっている」

       

      声の主に向けて皮肉染みた声を漏らす男性は、一切の迷いも見えない表情のまま言葉を紡ぐ。

       

      「役割は果たす。私自身の目的を果たすためにも、な」

       

      携帯電話の電源を切り、男性は窓の外へと視線を向ける。

      時は、七月十三日の午前九時を切った所だった。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      友達の行方が消失した。

      先日、互いに顔を見合わせ、遊びあった友達――紅炎勇輝が事件に巻き込まれた事を知ったのは、本日の朝にニュースを確認した時だった。

      現在、白色のカッターシャツを黒色のズボンに入れ込み、革のベルトで固定させた一般的な学生の衣装をした少年――牙絡雑賀(がらくさいが)は、自分の通っている学校で科学の授業を受けている最中であるのだが、どうしてもモチベーションが上がらずにいた。

       

      (……どうして、よりにもよってお前が巻き込まれるんだよ……)

       

      先日別れた後に何かがあったのか、推測しても何かが思い浮かぶわけでもない。

      実際に事件の現場に立ち会った事があるわけでも無く、外部から与えられた情報を元にしているだけな所為だ。

      テレビや新聞に自分自身が本当に納得を得られる情報は無いし、仮に納得が出来たとしても、それは友達が消えた事を『受け入れる』事になってしまう。

      それだけは、絶対にしたくない。

      してしまったら、彼は『友達を失った』という事実を本当の意味で飲み込むしか無くなってしまうから。

       

      (大体、最近のこの事件は何なんだよ。こんな事が現実に存在してるんだったら、既に何か解決のための行動が行われて『手がかり』の一つぐらい掴めてるはずだ。犯人の意図は分からねぇけど、こんなの拉致と変わり無い。何十人かの子供とかを人質にでも取って、政府に交渉しようとでもしてんのか……?)

       

      それが今のところ、『消失』した人達が生存している事を前提とした現実味のある回答だとは思う。

      現実に『行方不明』が題となる事件での生存者は少なくて、大抵は見知らぬ場所まで連れられた後に『最悪な末路』を辿る事ばかりだとしても、今回の事件までそうだとは思いたくない。

      現実を飲み込むのは、実際に事件に巻き込まれた『被害者』の姿を確認した後でも遅くない。

      だけど。

       

      (……警察『だけ』で、本当にこの事件は解決出来んのか?)

       

      根本的な問題として、ただの一般人が何をしても事件を解決する事は出来ないだろう。

      だけど、身内という『関係者』であるにも関わらず、助けになるような情報に何一つ心当たりが無い事が、どうしてももどかしい。

      推理小説などで地の文にひっそりと隠されている『ヒント』も、何らかの形で描かれたダイイングメッセージのような『痕跡』さえも見つからないのがこの数ヶ月の間に続いている事件の特徴である事は分かっていても、何かが欲しい。

      警察が事実を隠蔽している可能性は低いだろう。

      何か『手がかり』さえ発見出来ているのなら、それだけでも市民が浮かべる不安を少しは払拭出来る。

      その効果を分かっていながら隠しているのならば、既に警察という機関が機能を発揮していないとも言える。

      市民の安全を守る事に重点を置いているはずの機関が、むざむざ捜査に手を抜いているとは思えない――思いたくない。

      結局、この事件を引き起こした人物は何を目的に様々な人の行方を『消失』させているのだろうか。

      殺戮から繋がり生まれる快楽のためか、もしくは拉致をした後に遠い場所まで居を移しての人身売買か。

      不思議と、雑賀にはそれ等すべてが間違っている気がした。

       

      「…………はぁ」

       

      思考を繰り返している間に、マシンガントークのように教科の内容を口にしていた教師による授業が終わり、次の授業が始まるまでの休み時間を迎えていた。

      適当に一礼してから教室を出る。

      目的の教室まで歩を進めている途中、横合いから声を掛けられた。

       

      「お~い雑賀。随分と沈んでるみたいだが大丈夫か~?」

      「……なんだ、お前か」

       

      雑賀に話しかけてきた眠そうな目の人物の名は縁芽苦郎(ゆかりめくろう)。

      雑賀や勇輝と同じく高校三年生で、友達――と呼べるような存在では無い知り合い程度の関係を持つ男だ。

       

      「朝礼の時に先生からも言ってたし、お前だってもう知ってるだろ。勇輝のやつが事件に巻き込まれて行方不明になった事」

      「あん? なんだ、そんな事で気落ちしてたのか。てっきり小遣い大量に吐き出したのに期待していた物が手に入らなかったとか、そういうもんだと思ってたのに」

      「喧嘩売ってんの?」

      「俺の性格は知ってるだろ。他人がどうなろうが、いちいち気にするほど慈愛に満ちちゃいないよ俺は」

      「……だとするなら、俺に話しかけたのは何が理由だ? 用件も無く話し掛けて来るような奴じゃないだろお前は」

      「あ~、それはアレだ。単純に言いたい事があるだけだ」

       

      苦郎は本当に退屈そうに欠伸を漏らしながら言う。

       

      「別に強制はしねぇけど、そんな風に同じ場所で暗い雰囲気を撒き散らしてるとこっちの気分に害が出んの。少しは割り切ろうと努力しろ」

      「……それがあっさり出来るのなら、ただの薄情者だな」

      「学校にまで来て、割り切れずにうじうじしてるだけの奴もどうかと思うが」

       

      何も知らない癖に、知った風な口を利く。

      この苦郎という男と出会ってから、今まで一度も他者の出来事に対して大した反応を示した所を見た事が無い。

      今回のように生き死にに関わるほどのものであっても、対岸の火事やテレビの中のニュース程度の認識しか持とうとしない。

      表情からも声質からも、切迫とした色を感じない。

      ついでに、嫌味染みた悪意も。

       

      (……それでいて天才なんだからタチが悪いんだよなぁ)

       

      ハッキリと言って、雑賀はこの男の事が苦手だった。

      こちらから何を言っても言葉を受け取っているのかどうかすら分からず、一方で自分の意見は堂々と言ってくる辺りが気に食わない。

      一応憎めない部分もあるので、嫌いと言う程では無いのだが……やはり苦手だ。

      そんな思考を雑賀がかべている事を知ってか知らずか(高確率で後者)、苦郎は歩きながら言葉を紡いだ。

       

      「あ、そうそう。もう一つ言いたい事があったんだった」

      「お前ともあろう奴が珍しいな。何なんだ?」

      「そんなに『事件』が気になるんなら、自分の目と足で調べるこったな。他者から与えられる情報よりは信憑性のある物が得られるだろうし」

       

      好き放題言って、苦郎は歩き去ってしまった。

      雑賀は思わず呟く。

       

      「……安楽椅子探偵か何かかよアイツは」

       

      学校に来る時以外はほとんど外に出かけたりしていないのにあんな言葉が出るのだから、やはり苦手な男である。

      しかし、言葉には頷けた。

      無知な状態から脱却するためにも、学校が終わったら何かしてみようと雑賀は心に誓った。

      尤も、具体的な案は何も無いのだが。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      その青年は、病院の一室で窓を眺めていた。

      寝床から掛け布団までも真っ白いベッドの上で横になり、その目で外だけを眺めていた。

       

      「………………」

       

      憂鬱そうにしている青年は、溜め息すら吐いていなかった。

      そんな事をしても意味が無いという事を、きちんと理解しているからだった。

       

      「………………」

       

      病院での生活も、何日経ったのかさえどうでも良い。

      時折、両親や友達が見舞いに来てくれる事はあっても、心境に変化は無かった。

       

      「………………」

       

      青年は片手で布団の端を掴み、そのまま立ち上がろうとしてみた。

      だけど、一本の腕と一本の足のみでは、バランスを取る事も出来そうに無い。

      無駄な行為だと分かっていても、納得なんて出来るわけが無かった。

      奇跡的に命は助かっても、その先に自分の見ていた『夢』が見えなくなった。

      大らかに膨張させた表現などでも無く、青年は本当に『それ』を体験しているのだ。

      生きている心地なんてしていないし、このまま退院したとしても出来る事なんて高が知れていた。

      だから。

      自分のすぐ傍に『誰か』が近付いている事に気がついていても、驚いたような反応の一つさえ無かった。

       

      「……ほぇ~、こりゃあ想像してたより思いっきり絶望してんなあ」

       

      知った風な口を利かれても、青年の知った事では無かった。

      ただ、事情を知っているのなら話相手ぐらいにはなるか、程度の認識を青年は持っていたらしく、首さえ動かさないまま後ろの『誰か』に声を掛けた。

       

      「…………誰なんだ?」

      「誰でもいいだろ。俺が来なくても、別の誰かが代わりに行くだろうし」

      「?」

       

      どうやら、見舞い目的に来たわけでは無いらしい。

      その声質自体は三十台前半の大人のような雰囲気を感じるが、大前提として聞き覚えの無い声だった。

       

      「なぁ。突然だが、お前の望みを叶える方法があるって言ったらどうする?」

      「……望み?」

      「お前が一番願ってるだろう事だよ。なぁに、方法はシンプルだ」

       

      その『誰か』は、わざととでも言わんばかりに悪意をチラ付かせながら、青年に向けて自分の告げたい事を告げた。

      言葉通り、望みを叶えるのにとてもとてもシンプルな方法を。

       

      「なぁ、お前は『人間』をやめてみる気はあるか?」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      第三時間目の授業科目は体育。

      そして、夏場の学校の名物と言えば水泳である。

      男子女子、それぞれがプールサイドにて学生指定の水着を着用しており、現在進行形で準備体操の真っ最中。

      当然その中には、別に水泳が好きなわけでも何でもない男子高校生こと雑賀の姿もある。

       

      (……水泳とはよく言うけど、ぶっちゃけこれって水遊びみたいなもんだよなぁ)

       

      学校で行われている水泳の授業をやっても泳ぎが上手くならないという話はよく聞くが、その原因はそもそも『泳げるようになるため』に練習するためでは無く、どちらかと言えば『水の中での運動』を意識しているからだという。

      その上で『泳ぎ』そのものを上手くしたい、もしくは選手を目指したいと思っている人物が、主に水泳の部活動に参加するらしい。

      プール特有のハイターを混ぜた水のようなニオイに慣れない雑賀だが、とりあえず教師の指示に従って泳ぐ。

      手のひらで水を搔き分け進んだ先には、当然ながら反対側の壁がある。

      基本的に生徒はプールの端から端まで足を床に付けずに泳ぎ切り、それを何回か繰り返すのだ。

       

      (しんどいなぁ……そりゃあ、夏だからこういうのがあるってのは分かりきってるんだが……)

       

      ゴーグルのお陰で目に水は入らないが、泳ぐ途中で呼吸した際にうっかり水を飲んでしまう時だってあり、おまけに例の『消失』事件もあって、正直言って気分は良くなかった。

      正直、夏場の水泳というシチュエーションには飽きている。

      とっとと終わらせて調べ物に移行したいと思っているが、最低限の学業をすっぽかすわけにもいかなかった。

      途中、誰かと話す事も無いまま授業は終わり、それぞれは更衣室にて衣服を制服に戻す。

      『消失』事件の影響で、学習活動は一時間目から四時間目――午前中が終わると共に終わり、そのままそれぞれの教室にて終礼の時間となる。

      足りない分の学習量は、その分だけ量が増し増しとなった宿題によって補う事になっていて、一部の学生からすれば嬉しかったりも迷惑だったりもする話だった。

      尤も、理由が理由なのでそういった感情を表に出す人間は少ないのだが、雑賀にとっては好都合だった。

      学業を終え、彼は彼なりに事件の手がかりを追い始める。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      自宅に帰って昼食を食べてから約三十分後、現在進行形で情報収集を開始する雑賀。

      結局の所、彼は自分の足で調べるよりも先に、他者の遺した情報を参考にする事しか思いつかなかった。

       

      (……つーか、そもそも『犯人』の特定が出来ないんじゃあなぁ。現場には足跡が『被害者の物しか』残されていないらしいし、調べる事がそもそも出来ない。大体の話、どういう手段で『誰からも見つからずに』人間一人を連れ浚えるんだ……?)

       

      完全犯罪の手口は基本的に『手がかりを何も残させない』事にある、と雑賀は思っている。

      隠すとか、判別をつかなくさせるとか、そんなレベルでは無く『本当に』どうやっても見つけられない状態を作り出し、自身の『罪』に繋がるものを隠滅する。

      例えば、一人の人間を殺した犯人の場合、凶器に自分の指紋を付けないために手袋を装備するのもそうだが、凶器そのものを地中に埋めたり数多の残骸に変貌させたりゴミとして処理したりする。

      一方で、殺し終えた死体はどうするか。

      こちらの場合、方法は様々だが大前提として死体を『見つけられない場所に』隠すためには、警察や周辺の住民の目から逃れた状態で移動しなくてはならないわけで、警察でも捜せない道が必要になる。

      目の届かない場所にさえ来れば、後は重りを乗せて海底に沈めるなりなんなり出来る(と思う)。

      だが、この市街地には裏道と呼べるほどの路地はほとんど存在しない。

      仮に存在したとしても、そこはむしろ怪しさから警備の目が行き届いている場所だ。

      架空の物語のようにマンホールの下を通過しているとしても、どの道地上に出ないといけなくなり、出た所を見つかれば容疑者としての疑いは避けられなくなるので同じ事。

      まず『人の目に付く場所』はこの事件に結びつかない、と雑賀は思う。

      逃走に使っている『足』が何なのかも重要だが、そんなものは確定的に『車』の一択である。

       

      (……と、なるとだ)

       

      その『車』のどこに人間を隠しているのだろうか。

      積み荷として運ぼうものなら、途中で警察が『捜査の一環』と口実を作るだけで発見出来る。

      眠っている『同乗者』として扱ったとしても、指名などを調べ上げれば直ぐに気付かれる。

      今時、特別待遇で検査を見逃してもらえるような人物なんていないだろう。

      自動車以外の移動手段として代表的な乗り物と言えば……。

       

      (……電車は確かに大量の人込みに紛れる事が出来るし、一度に多くの距離を稼ぐ事が出来る。だけど、当然そこにも警備は存在する。調べる物を『人間大の荷物を運べる』物にだけ限定すれば他の客の迷惑にもならないし……第一、防犯カメラだってある。同じ理由で飛行機もアウトだ。だが、ああいうの以外に多くの人間の中に紛れる事が出来る『車』なんて……バスはバス停という『固定された目的地』に警備を設置するだけで見つかるし……)

       

      そうして考えている内に、雑賀はふと思った。

      そもそも、人込みの中に紛れる必要があるのか、と。

      ナンバープレートを換えた盗難車という手段だってあるが、もっと身近に『固定された目的地』以外の場所に移動する手段があったではないか、と。

       

      (……まさか、タクシーか……?)

       

      有り得ない話でも無い。

      実際、タクシーはバスや電車のように『固定された目的地』に止まるのではなく、お客様の口頭指示などによって『どこまで』走って『どこで』止まるのかを決定出来る。

      その上、運転手は基本的に客の荷物を見ようともしないし、後ろの座席に乗っている時点で見る事も難しい。

      何より、タクシーの中に警察が同乗している、なんて話は聞いた事も無い。

      大きなトランクか何かにでも『人間』を積める事が出来れば、あるいは警察の目を誤魔化したまま移動出来るかもしれない。

      だとすれば、調べるべきなのは――。

       

      (……逃走ルート)

       

      あまり難しく考えるのでは無く、むしろそうしている事で視野から外れているその盲点。

       

      (それさえ分かれば、犯人が何処に逃走して居を構えているのかの思考が開けてくる。少なくとも、今の何も知らずにウジウジ悩むしか出来ない状態からは抜け出せる。このまま無力なままで居てたまるかってんだ)

       

      せめて、一矢だけでも報いる。

      この蟠りを残したまま人生を送る事になるのは勘弁だし、どの道このまま何もしないままでは自分自身の安全さえ保障は出来ない。

      ……実際には、調べようとする動きを匂わせたり見せたりするだけでも危険を被る可能性は高い。

      だが、それを理解した上で、彼は手持ちのスマートフォンを無線でインターネットに接続する。

      使用する情報源は、何分間単位で情報が更新される掲示板。

      時折目にしたり写真に写したりしたものを即興で書き込めるそのサイトならば、憶測だろうが何だろうが『手がかり』を掴むのに事欠くことも無い。

      やはり『消失』事件に対する関心からかレス数は多く、ネットネームを使って話題を展開している住人の会話を見ていると、やはり推理を述べる人物はそれなりに居るようだった。

      だけど。

       

      「……イマイチ、ピンと来る奴は無いなぁ……」

       

      率直に言って、信憑性を感じられる物はほとんど無かった。

      各地域から情報が集められているとは言っても、その殆どが『何故か納得の得られぬ物』としか受け取れない。

      車以外にも、下水道の中に何らかの空間を秘密裏に作ってそこに隠れているとか、路地から入れる秘密の通路を通って入ったビルの中イコール裏稼業を軸としている企業の所為だとか、何かのトラックの荷物に紛れて移動しているだとか、何と言うか現実味のあるような無いような推理が立ち上がっていたのだが、その全てが『別の地域』の出来事で、そもそもそんな事は不可能である。

      下水道で穴でも空けようと工事機具なんて使ったら生じる音であっさりバレるし、路地から入れる秘密の通路なんて実用性を考えても難しく、トラックの荷物なんて身を隠す事の出来る物は滅多に無い。

      何より、その全てが『実際に目で見て』調べた物じゃないという事実が信憑性を低下させている。

      当然の事ではあるし、雑賀自身も大きな期待を抱いていたわけでは無いのだが、やはり望む『手がかり』は遠い。

       

      (苦郎の言ってたのはこういう事か。確かに、他者の情報から信憑性は引き出せない。こりゃあ本当に自分の足で調べに動くしか無いか……)

       

      かと言っても、何処から探索を開始するのかさえ決まっていない状態なので、思考を広げるぐらいしか出来る事が無い。

      自転車で行動出来る範囲には限度があるし、行動出来得る範囲を全て調べるには時間が掛かりすぎる。

      明確なタイムリミットなんて分かるわけも無いのだが、早急に【手がかり】を掴むのなら事件が起きてからそう時間が経っていない方が良いに決まっている。

       

      だからでこそ、どう動くべきかを考えなくてはならない。

      事件の現場であった公園は既に警察が調べに入っているために探せない。

      だとすれば、まずはその周辺の道順を辿ってみるべきだろうか……と、考えていた時だった。

       

      「……ん?」

       

      少し遠めの位置から、非常事態を意味するサイレンの音が響いて来た。

      音の発生源は確定的に道路の方からで、音の感じ方からするとパトカーでは無く救急車の物らしい。

      それ自体は然程珍しいとも思えない物なのだが、雑賀が疑問を浮かべたのはそこでは無い。

      救急車の向かったと思われる方角には、自分にとっても関連のある建物が存在している場所があったからだ。

      その場所の名を、疑問形で呟く。

       

      「……水ノ龍高校……?」

       

      それは、雑賀の通っている高校とは違う場所に存在する、一般的に何の問題点も耳にしない『普通の』高校だった。

      自分が通っているわけでは無いため詳しい事は分からないが、救急車が出動しているという事は、学校に通う生徒か教師の身に何かがあったという意味だろう。

      それも、下手をすると命に関わるレベルで。

      現在の時刻は午後の二時四分――まだ日も十分過ぎるほどに登っていて、何者かが身を隠して犯行に及ぶには明るすぎる時間だ。

      自分が捕まる事を前提に『何か』をした、という可能性も無くは無いのだが。

       

      「……まさか」

       

      これも『消失』事件と関係のある事なのだろうか。

      そう半信半疑で思いつつ、危機感を抱きながらも、雑賀は自転車の進行方向をサイレンの響く救急車の停車地点に向けた。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      その人物――と言っていいのか分からない存在は、高い所がそれなりに好きだった。

      色々な場所を高い所から眺められるという状況だけでも、奇妙な高揚感を得られたからだ。

      彼は遠く離れた位置に視えている状況に対して、率直に言葉を漏らす。

       

      「……ん、割と行動早いな。あのガキ」

       

      あまり期待をしていなかったスポーツの試合の展開に思わぬ面白さを見い出した時のような、気軽な声調。

      その瞳には獰猛な黄の色が宿っており、その視線から感じ取れるものは好奇心か悪意ぐらいしか無い。

      衣服は下半身のカットジーンズぐらいしか外部からは見当たらず、都会で見る容姿としては明らかに場違いな雰囲気を醸し出している。

      適当に高所から眺めていると、ジーンズのポケットに入っていた携帯電話が振動した。

      彼はそれに気付くと、右手で携帯電話を取り出して画面を立ち上げ、通話用のボタンを押す。

       

      「どうした、経過報告か何かか? ちゃんと監視してるぜ~?」

      『……お前の場合、気が付くと居場所が分からなくなるからこうして確認する必要があるんだろうが。まぁ、ちゃんと監視が出来ている事には関心して……』

      「ギャグのつもりか? いやぁ、割とクール系なアンタもそんな事言うのなぁ」

      『今度対面したら縛り込みでアームロックするがよろしいなよろしいね』

      「マジでスイマセンでした、ハイ」

       

      彼は通話相手の言葉に危機感を覚えたのか、トラウマを思い出したような顔と声のまま謝罪したが、通話相手は無視して言葉を紡ぐ。

       

      『で、そちらはどうなっている?』

      「……あ~、病院のガキの伸びっぷりは思いのほか早い。才能の問題なのか何なのかは知らんけど、悪くはないんじゃねぇの? ていうか、アンタの方はどうなんだ」

      『つい先ほど発見したが……どうなるかはまだ分からん。何せ、力を持った後の人間が行動に出るまでには、何らかの目的か計画が必要とされるからな。むしろ、そちらの動きが早いのは、既に「やりたい事」が決まっていたからだろう』

      「あのガキは右腕と右足がキレーに無くなって数日は経ってたらしいしなぁ。『やりたい事』は大体想像つくがよ、一応はこれでいいのか? 正直俺の方は計画練るとかそういう分野じゃないからよ」

      『構わない。「彼」がちゃんと目覚めてもらえればな』

      「『彼』……あぁ、あのガキの事か」

       

      九階建ての高層ビルの屋上から一点を見下ろしている彼は、視線をそれまで向けていた位置から少しズラす。

      自転車を漕いで移動している、一人の青年の姿が視えていた。

      面倒くさそうに、彼は言葉を紡ぐ。

       

      「つーか、しゃらくせぇな。事が起きて、それに探りを入れさせる形で巻き込ませる。そんな事しなくても、とっとと『仕掛けて』みればスムーズに進行出来るだろうに、どうしてこうも回りくどい方針にすんだ? 俺かアンタにも出来ない事では無いだろうに」

      『私達が安易に介入した結果、何らかのイレギュラーが発生する可能性だってあるだろう。そもそも「彼」だけでは無いのだぞ? 計画に必要とされるピースは』

      「つまり、あっちがあっちで『勝手に』成長してくれるのに期待して、俺達は変わらず促す事に集中しろって事か」

      『そういう事だ。多少の「誘導」は奴がやってくれるだろう』

       

      聞いていながら、彼は気の抜けたように背筋を伸ばす。

      校長先生の話などが駄目なタイプなのか、もしくは睡魔でも襲ってきているのか、同時に欠伸も出てきた。

       

      「……っだ~、退屈だわホントに」

       

      携帯電話越しに聞こえる声に、通話相手は呆れた風に言葉を漏らす。

      それは、明らかに、人間が話すような内容とは違うもので。

       

      『お前の場合、下手すれば天災を呼び出してしまうだろう。むしろ今は何もするな』

      「あ~? 天災とかご大層な表現するのはいいが、俺のはまだマシだろ。大体、このご時勢に火力自慢なんて何にもならねぇよ」

      『こちら側の世界でも「あちらの世界」でも、十分天災クラスだろう。子供……ではあるかもしれないが我慢しろ』

      「へいへい」

       

      そして、彼は通話の最後をこんな言葉で締めくくった。

       

      「ま、しばらくは高い所から傍観するとしようかね。脇役がどんな風に力を使うのか、興味が無いわけでもないし」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      結論から言って。

      雑賀は救急車が向かった先の高校の敷地内へ入る事が出来ず、外部から被害者の状態を調べられずにいた。

       

      (……そういやそうなんだった。普段は意識してなかったけど、基本的に学校ってのは『関係者以外立ち入り禁止』なんだよな。こりゃあどうすりゃいいかねぇ……)

       

      水ノ龍高校では無く、別のとある高校の生徒である雑賀は立場上この学校の敷地内には許可無く踏み込めない。

      本当ならば何らかの事件が起きたのであろう場所を警察よりも先に調べ、何か『手がかり』に繋がりそうな情報を得たかったものだが、思いっきり出鼻を挫かれてしまった。

      生徒が被害に受けた直後で仕方の無い事ではあるのだが、校門の外側から手を振って教師を誘導しようとしても、マトモに相手をしてもらえなかった。

      この分だと、病院の方でも意識不明となっているらしい被害者の生徒の件で忙しくなっているだろうから、救急車を追っても今は情報を入手出来ないだろう。

      そんなわけで、再び手詰まり状態となってしまった。

      結局、今頼りに出来そうなのは自分自身で得た情報でしか無さそうなのだが……。

       

      (ネットの情報は現状だと信憑性が低い。地域別の『つぶやき』は事件解決に繋がる情報が薄いだろうし……やっぱり、ここに来る前に決めた方針で行くか……?)

       

      そんな風に、気持ちを切り替えて自転車をこぎ出そうとした時。

      唐突に、ポーチバッグの中に仕舞っていたスマートフォンがメールの着信音を鳴らした。

       

      「あん?」

       

      思わず、疑問を含んだ声を漏らす雑賀。

      彼はスマートフォンを持っているが、メールのアドレスを登録している相手は家族の物ぐらいしか無い。

      この時間帯に家族からメールが来た覚えは無く、家族以外からメールを貰う事なんてまず無い。

      そのはずなのに、受信したメールは明らかに家族からの物では無かった。

      内容に、目を通す。

       

      『FROM・お前の味方以外

      TO・牙絡雑賀

      SUB・ヒント

      本文/お友達の行方を知りたいんなら午後二時半以内に「タウン・オブ・ドリーム」一階のカフェに来い。来なかったら帰る』

       

      ………………………………………………………………………………………………。

       

      「は?」

       

      またもや疑心に満ちた声を漏らす雑賀。

      全く未明の相手からのメールという時点でもそうだが、何より本文の内容が明らかにおかしすぎる。

      雑賀の本名を知った上で『お友達』なんて、それも『行方』とまで記述するのであれば、それは間違い無く紅炎勇輝の事に他ならない。

      そして、本当に知っているのだとすれば、その行方を知れる者は連れ去った張本人かその関係者ぐらいであるはずだ

      その、人物が。

      何故、こんなメールを送ってくる?

       

      (……誘導してんのか?)

       

      率直に考えても、罠の可能性はあまりにも濃厚だ。

      だって、あまりにもイレギュラーが過ぎる。

      犯罪者でありながら、身を隠さずにこんなメールを送ってくるなど、人情を利用した誘導策としか考えられない。

       

      (……ただの迷惑メールか?)

       

      仮にそうだったとするなら、かなり手の込んだイタズラだろうと雑賀は思う。

      だが、互いに顔すら知らない関係でありながら、イタズラのために一個人の情報を入手しようとする者が居るとは思えない。

      このメールの発信者が『消失』事件に関する情報を握っている人物である確立は、低くないだろう。

      そして、その裏には確実に危険は待っている。

       

      「………………」

       

      現在時刻、二時十二分。

      メールの贈り主が記述している事が本当なら、あと十八分で『手がかり』への道が閉ざされる。

      行けば少しだけでも『手がかり』は手に入るかもしれないが、身の危険も当然伴う。

      その二つの進路を頭に浮かべ、メールの送り主の危険性を感じつつ。

      彼は、言う。

       

      「……舐めやがって。行くに決まってるだろうが……ッ!!」

       

      怒りを声に込め、犯罪者の笑みを脳裏にイメージしつつ、彼は自転車を目的の方角へと向けた。

      もしもイタズラだったらスパムメール扱いで通報してやる、と同時に決めながら。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      タウン・オブ・ドリーム。

      繁華街、商店街、地下街、海外の街――そういった『人と建物が集中する場所』を強引に一つの巨大な建造物の中に集約させた結果、様々な国の料理や衣服を専門とした売店が多彩に建ち並び、一種の遊園地と化した施設の名である。

      一説では近代化の第一歩として技術を結集させ、いずれは日本で一番科学の発展した観光名所とする予定だとか、各国との友好的関係を築くための巨大なシンボルだとか、トンでもない巨額を貯め込んだ資産家が土地を買い込んで孫のために巨大な遊び場を作ろうとした……だとか、噂話にも種類があったりするレベルでは『今の時代』の日本の中は有名な場所だったりする。

      実際、この施設には海外発案な興味をそそる料理だったり衣服だったり、それ以外にも単純に遊び目的でやって来る人間は多く、現にこの施設に足を運びに来た雑賀は、一般のデパートでもよく見る人込みの影響で思うように進む事が出来ずにいた。

      走って他人とぶつかってもアレなので、ひとまず早歩きで目的の場所に向かう。

       

      (……にしても、そういや最近は来て無かったな。場所が比較的遠くて来るのが面倒なのもあったが、ちょっと見ない内にまた新しい要素でも取り入れてんのかね)

       

      この施設の変わった特徴に、公式発表の時点でまだ『未完成』であるらしいにも関わらず、有名な遊園地と同クラスかちょっと上レベルの人気を得ている点がある。

      単に様々な国の特色を取り入れているだけで無く、それを実現する過程で施された技術のレベルが日本という国の中でも最大級の物(だとテレビでは語られている)だからという理由もあるだろう。

      建物の中でありながら天井には立体映像で現実の物かと錯覚しそうな青空の動きが、新種のスポットライトかと錯覚するような巨大な電極(?)によって太陽の輝きが常に再現され、それ以外にもまるで幽霊のように実体を持たない形で様々なアニメや漫画の『キャラクター』が歩いている姿を目にする事が出来る……ように演出するための何らかの映像技術が実用されてたりなど。

      実際に『それ』に触ったり話しかけたりする事が出来ないとしても、一方的な自己満足に過ぎないとしても、二次元的な情報は人間の好奇心を刺激する。

      まるで、夢の中に入り込んだかのような……それでいて現実に確かに居ると認識出来るからでこそ、不思議な魅力を醸し出して客を寄せているのかもしれない。

       

      (……つーか、一階のカフェとは書いてたが、具体的な店の名前までは書いてくれなかったのは……いやまぁ本当に誘拐犯の仲間なら、位置を特定されるような文面は控えるつもりだったのかもしれんけど)

       

      雑賀が歩いている『タウン・オブ・ドリーム』の一階……というか全階層に共通する事だが、やはり食品や衣服だけに限らず雑貨や書籍関連を含めて売店が多く、その中からピンポイントでメールの送り主の指す場所を特定するのは難しい。

      何より、実を言うと雑賀は今日までカフェと呼べるような店に立ち寄った経験がほとんど無い。

      コーヒーやスコーン等の上品さの漂う食品より、炭酸飲料とかスナック菓子やらを食らう事が多い『質より量』な思考の持ち主である彼からすると、カフェなんて大人になっても居酒屋とかと比べると立ち寄る可能性がかなり薄い場所だと考えていたのかもしれないが、それでも今回は友人の安否の確認などが掛かっているため、仕方なく来たのに変わりが無いのである。

      更に言えば、他の大半がこの『タウン・オブ・ドリーム』に娯楽や食事目的で来ているにも関わらず、明らかに焦燥感に襲われている雑賀の姿は風景から見ても浮いている。

      ふと携帯電話を開いてみると、液晶画面に表示された時刻は既に二時の二十七分に移行し、残り時間が三分を切った証拠を示していた。

       

      (……ちくしょう、残り約二分……それまでに探せるのか)

       

      こうなれば人込みとか関係無く走って探すか、と思い始めた時だった。

       

      「やあ」

       

      またも、唐突に。

       

      約十分前に突然流れたメールの着信音よりも緊張を奔らせる声が、背後から雑賀の耳に入り込んできた。

       

      「………………」

       

      雑賀の想像している通りならば、わざわざこの『タウン・オブ・ドリーム』で知り合いも友達も引き連れずに来た自分に話しかけてくる人物は、偶然にも同じ道に通り縋った友達や知り合いか、もしくはメールを送り込んできた人物そのものぐらいだろう。

       

      「いや~、カフェと明記したのはいいけど正確な名前までは書いてなかったとうっかりしてね。だから制限時間過ぎた頃にまたメールで制限時間の延長と店の名前を告げようと思ったんだけど、その前に適当に歩いてたらお前の姿が視界に入ったもんだから、逆にこっちから来ちゃったよ」

       

      恐る恐る、背後を振り向く。

      そこで、見たのは。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      友達のために奔走している者もいれば、自分の家で無難な生活を営んでいる者もいる。

      むしろ、下手に事件に関わろうとして二度と帰れなくなるより、安心を得られる団欒の場に居た方が安らいでいられるから……と述べるとかなり芯の通った理由に聞こえそうなものなのだが――――まるで、そんな事を思っていないであろうと思える人物を目の当たりにしている少女は、単刀直入に目の前の青年に向けて呆れた声で言った。

       

      「……ねぇねぇ、何をしてやがるんだニート兄。宿題は終わったの?」

      「んあ……?」

       

      言った言葉の内容と言うよりは、言葉を発した制服姿の少女――|縁芽好夢《ゆかりめこうむ》の声に反応したかのように、自室のベッドでこんな真昼間にパジャマで寝そべっていた青年――縁芽苦郎は目を覚ます。

      彼は一度ベッドの上で背筋(というか体)を伸ばすと、その体制のまま言葉を返す。

       

      「好夢か。元気っぽくて何よりだわぁ」

      「だらけてないで質問に答えろや。というか、例の件で中学の時間が削られてるって事は苦郎にぃも知ってたでしょ? いつの話してんのよ」

      「いやいや元気ってのはそっちじゃなくてな。やっぱりアレだわ。牛乳のお陰でちゃんと成熟してきデゴブブブーッッッ!!?」

       

      最後まで言い切る前に、苦郎は自身の妹である好務が反射的に放った踵落とし(一瞬パンツが見えそうだったが短パン装備である)を股間に頂戴して悲鳴に近い奇妙な声を漏らす事となった。

      股間を押さえて悶絶する兄に向けて、好夢は坦々と言葉を紡ぐ。

       

      「……オトメの何処をイメージしてナニを言おうとしやがってんの?」

      「どっ、おぉぅ…………そ、そりゃあ当然そのまな板みた」

      「二発目いっくよ~」

      「待って!! ガチで潰しに来られたら俺男性から女性にジョブチェンジしちまうからやめて!! 別に好夢が貧乳である事を兄であるワタクシは何も残念に思ってンゴォ!!??」

       

      全然懲りてないようなのでもう一発踵落としをブチ込み、もう本格的に泡とか吹きそうな苦郎に向けて今度こそ返答を促す。

       

      「で、いったい全体何をやってるの? 昼飯は食べたみたいだけど、その後はただ寝てるだけ。この時間に宿題を早くやれとまでは言わないけど、とりあえず枕元にエロ本敷いて寝るのは止めろ。それも三次元じゃなくてニ次元の女物だし……何なの? 昼寝を趣味にしてたらいずれ何も出来ない人間になるよ?」

      「ぉ……ぅ……ぇ、えぇとだな……それはアレだよ。昨日辺りに夜更かししてな……それで学校の中でも眠気がすげぇんだわ、これが。だから寝溜めしてんの。それと、そこの保険体育の参考書的なアレはそれで見れるかもしれない夢に影響を与えるためのアイテムな」

      「……人間の体って睡眠時間を『溜める』事が出来ない仕組みになってなかったっけ? あと、やっぱりまた夜中までネトゲしてたのかこの兄は。そんなんだからリアルで友達が少ないんじゃないの?」

      「現実で生きてくのに必要なのは友好じゃねぇ。一定以上のビジネスマナーと成績だ。それとフレンドって言える奴ならネットにそれなりに居るっての」

      「典型的なダメ人間の図じゃん……まぁ、実際成績は良いらしいけど」

       

      苦郎が自室としている部屋の中は少し散らかっていて、少し目を向ける方向を変えてみるだけでも漫画やら小説やらゲームソフトやらが散らばっているのが見えている。

      それぞれのタイトルは『デジモンネクスト』だの『フィギュアウォーズ』だの色々だが、そういった割と小学生などにもウケそうなタイトルの物以外にも思春期の男子が好みそうな物まで混じっている。

      そして、そんな部屋の現状を作り出している張本人は、そんな事を気にしている感じも無く口を開く。

       

      「で、俺にそういう事言うのはいいけど、何の用で部屋に入ってきたんだ?」

      「苦郎にぃが最近本当にだらけきってて、それが見てられないから喝を入れに来た。それだけ」

      「えぇ~……少しぐらいだらけてていいじゃんか~」

      「ダメとまでは言わないけど、苦郎にぃの場合は度を過ぎてんの。昼に帰ってくるようになってから、苦郎にぃはその後の時間の殆どを昼寝して過ごしてるじゃん。ざっと二時間から三時間ぐらいは軽く。受験とかも想定するんなら、もう勉強とかに時間使うべき時期なんじゃないの?」

      「ん~……勉強とか面倒くせぇし……てかもう殆どは覚えちまってるしなぁ……」

      「その辺りの過信が受験落ちに繋がったら洒落にならないでしょ。いいから起きて、勉強以外でもいいからせめて何かしようよ」

      「……………………」

       

      苦郎は、少し考えるような素振りを見せたが。

       

      「……やっぱり無理。もう一時間ぐらい寝させて」

      「い・い・か・ら!! 起きて何かしろグータラ兄貴がァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

      「いや本当に眠いんだから寝かせてよぉ!! つ~かどうしていつも俺が昼寝してると襲撃してくるわけ!?」

      「アンタは現実に現れた何処ぞのメガネ小学生か!! 今日こそはその怠け腐り切った根性、物理的に叩き直してやるわーっ!!」

       

      えーっ!! 怠けはしても腐った覚えは一度も無いんですけどーっ!? と苦郎は弁解の叫びを上げるがもう遅く、怠け者の兄とは対極で努力家な上に柔道部所属な少女が極め技の体制に入る。

      世の中で、どういう状況を平穏と呼ぶべきなのかは判断の難しい所だが、少なくとも平和と呼べなくも無いかもしれない、そんな変わった兄弟のじゃれ合う光景は青年の「ギブ!! ギブだから許してっていうかそれ以上はマジでいけないーっ!!」という悲鳴と共に流れていくのだった。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      そこは、やけに自然の雰囲気が漂うカフェだった。

      いかにも高級な木材を使ってますよ~と言わんばかりの茶色いテーブルに椅子、そしてカウンターが設備されていて、入り口でも出口でもある道の両端には、二酸化炭素から綺麗な空気を生み出す事が出来る(らしい)観葉植物の一種が鉢と共に設置されている。

      割とこの手の飲食店(特にファーストフード店)では木造のテーブル等を取り扱う事は少ないらしく、明らかに森の中をイメージしたのであろうこのカフェでは、数多くの客が菓子を口にしながら世間話やら身内話やらの談笑をワイワイガヤガヤとまではいかないものの繰り広げている。

      その中に混じった二人の内の一人――――頭髪を若干金に近く染めていて、上に紺色のTシャツを着て下に黒色のジーンズを履きこんでいる現役高校生こと牙絡雑賀は、何かもう傍から見ても分かるレベルで呆けた顔をしていた。

      理由は単純。

      彼、雑賀自身が置かれている状況そのものである。

       

      「……何これ?」

       

      彼の目の前のテーブルにはこのカフェで最近作り始めたらしいスポンジ記事系の菓子が置かれているが、正直そんな事はどうでもいい。

      問題なのは、自分と対する位置に居る茶色に染められた髪の毛にポニーテールの髪型で、衣服としては季節に合った半袖ではなく、生地は薄いようだが長袖でサツマイモみたいな紫と黄色の縞模様をした上着にオレンジ色のズボンを穿いている女性の存在である。

      メールの事を知っているという事は、雑賀をこのカフェに呼び込んだのは間違い無くこの女性なのだろうが……何と言うか、明らかに物凄く秘密裏に動いてそうなのに関わらず、全身を黒服とかでカモフラージュしているわけでも何でも無く、いかにも『好きで着てますよー』な意味合いしか感じられていない。

      その女性は、思わず呟いた雑賀の言葉に疑問符を浮かべると、率直な意見を述べた。

       

      「何って新商品らしいミルクティー味な紅茶ケーキだよ? うぅん、確かにそれっぽい味はするけど全体的にショートケーキの下位互換っぽい感じが拭えない。ていうか原材料が同じ乳製品って以外に茶葉以外の長所が見当たらない!! でもまぁ何だかんだ言っても美味しいから別にいいか」

      「別にいいかじゃないよ馬鹿じゃねぇの!? 俺達!! 一応っ!! て・き・ど・う・し!! テーブル挟んで優雅にティータイムに突入している状況がおかしすぎるッ!!」

      「なんだいなんだい、情報提供の過程で当然ながらゆっくり会話が出来る場が必要だから、こうして案内しただけじゃないか。こうして目の前でそれなりに成熟はしているつもりな女の子が居るんだから、もう少しゆっくりしててもいいのだが?」

      「じゃあ何故に時間制限とか設けたし!? 後、もう外見から分かるけどお前、女の『子』と呼べる年齢は過ぎてるだろ!!」

      「馬鹿を言うんじゃない。これでも私はまだ未成年の十七歳だ。それとも何だ、もしも私が背丈の小さい『お兄ちゃん♪』とか猫撫で声で喋ってくるような子だったら対応を変えていたのかな? 案外ロリコンだったのか。これは悪い事をしたと謝罪するべきだろうかね」

      「人を変態みたいに呼ぼうとするなこんな公共の場所で!! ……ていうかさ」

       

      本当に『関係者』なら悪い事はやりまくっているだろ、とツッこむ気さえ起きなかったので、雑賀はここぞとばかりに話題を切り替えようとする。

      というか、早い所切り替えないとこのままでは貴重なチャンスを弄り話だけで過ごしてしまうかもしれないから、という懸念もあったのだが。

       

      「率直に聞くけど、どうして俺を呼んだんだ? 本当にお前が例の事件を『引き起こした側』に居るんなら、もっと人気の少ない場所に呼んだ方が色々とやりやすかったんじゃないのか」

      「おや?」

       

      雑賀の質問に、女性は意外な風に思ったような声を漏らす。

      その反応に他でも無い雑賀自身が怪訝な目を向けるが、女性はそのまま言葉を紡ぐ。

       

      「あぁなるほど、まぁ仕方ないか。あくまで現代社会程度のスケールで考えてしまう気持ちが分からないわけでも無いし」

      「何?」

      「あんまり段取りとかを踏んでてもったいぶっても蛇足だし、まずは事実だけ率直に言おうか。その上で外堀りを埋めていく方が手っ取り早そうだ」

       

      サツマイモカラーなシャツの女性は、自分の側にも置いてあるコーヒーの注がれたカップを口に寄せ、一度苦い液体を口に含んでから言う。

      あっさりと。

      事実を。

       

      「お前の友達……『紅炎勇輝』は今、この現実世界には存在しない。まぁ死んでいるわけじゃなく、今彼はデジタルワールドに居るのだが」

       

      その、常識を語るような言葉に。

      これまで考えてきた前提の全てが頭から抜けていない雑賀は、ただ呆然とする事しか出来なかった。

      ……この女は、いったい何を言っている?

       

      「……何を言うかと思えば、痛々しい二次元の話かよ。現実とゲームを一緒くたにしても理論の理の字だって出てこねぇぞ」

      「まぁ、信じるも信じないもお前次第なのだが」

       

      女性の口調は変わらない。

       

      「現に『紅炎勇輝』は、ギルモン……あ、一応種族の『設定』は理解しているよな? それに『成って』電子情報の世界に居る。……おいおい、まさかどんな人間にもどんな機械にも存在を明かす事が出来なかった『私達』が、たかだか現実の理論『だけ』に留まった連中だとでも思っていたのか?」

      「……嘘だろ、そんなの現実に有り得るわけがねぇ。現にデジモンはホビーやら何やらで出てくるフィクションの存在だろうに」

      「なら証明してみるといい。私が今語った、デジタルワールドが本当に『実在しない』という理由を。それが出来るのなら何もこれ以上は言わないし、それが君にとっての現実ならば仕方の無い事だ」

      「………………」

       

      証明する以前に、否定する事だけなら簡単なはずだった。

      何故ならこの女の言っている事は、常日頃から見る液晶画面の中にも惑星と同等規模の『物理的な世界』があるのだと言っているような物なのだから。

      そんな物は、太陽の周りを今も巡っている火星や月ぐらいの物で、大きくても薄い液晶画面の面積には決して存在し得ない。

      だが。

       

      「否定出来ないだろう」

      「……っ」

       

      簡単なはずの返答が、口から出せない。

       

      「どんな人間でも、心の何処かではこの地球……それだけに留まらず、月や火星などにも自分が暮らしていける、存在出来る『世界』は色々な所が在るものだと思っているものだ。例えば、死者の魂……現実で考えると在るのかも分からないものが向かうとされる『天国』やら『地獄』やら。それがどういう場所なのかを想像した事はあるだろう?」

       

      それは恐らく、現在の文明に浸って生きている人間の殆どに該当している事だろう。

      死んだ人間の精神が、生前の行いによって二通りの場所に連れられ、その後に新たな命として転生する……という、確証も事実も存在しないにも関わらず現在も『あるかもしれない』と認識されている世界、もしくは場所。

      それだけでは無く、人間は自分の頭でそれぞれ異なる世界を頭の中で想像し、時としてそれを文とし小説として売りに出す場合も多い。

      科学が存在せず、魔法やら王国やらによって成り立っていく世界。

      一部の人間が超能力とも呼べる特別な力を持ち、それを中心に動いていく世界。

      戦争の過程で科学が高度に発達し続けた結果、巨大なロボットが兵器として開発された世界。

      どれもこれも、あくまで空想上の産物や個人だけの現実に過ぎず、現実には存在しないはずの世界感。

      この女が言っているのは、そういった空想や想像が『実在』している世界が本当にあるという事だ。

      それほどまでに人間の常識が通用しない危険な世界に、親友が放り込まれているという事だ。

      真実が何処にあるか分からないまま、雑賀はただ問いを出す。

       

      「……アイツは、今どうなっている」

      「『彼』は私達の目的に必要なピースの一つだからな。私達『が』殺す事はまず無い」

      「……お前等は何がしたくてこんな事をしやがった……」

      「流石に目的まで漏らすほど優しくは無いよ」

      「……結局お前は何を言いたいんだ……ッ!!」

      「単純だよ」

       

      女性はフォークを使って紅茶のケーキを一定の大きさに割って刺して食べながら、気軽な調子に返答する。

       

      「この、ある意味で一種の物語の登場人物の一人でもある君には、一応物語を自分の手で変える権利がある。多分何を言わずとも『巻き込まれる』可能性は高いのだが、下手に逃げられても困るからね。率直に言って、君には既にお友達を助ける事が出来るかもしれない『力』を宿しているんだよ」

      「…………」

      「だから、どうするのかを今ここで決めてみろ。今ここで聞いた事から目を背けて平穏を享受していくか、あるいは自分の身に危険が及ぶことを踏まえてでも戦いに身を投じるか。その返答次第で、こちらから有益な情報をお前に与えてやる」

      「……返答する前に一つだけ確認させろ」

       

      雑賀は、真っ直ぐに女性と向き合う。

       

      「お前は敵なのか? 味方なのか?」

      「メールでも書いたはずだが、味方以外。直接的な敵になるつもりも無ければ、味方になるつもりも無い者だよ。一応、利害の一致で組織の一員的なポジションに身を置いているわけだし」

      「…………」

       

      不安要素はまだ残っている。

      だが、それでも選ぶしか無い。

       

      「……言っておくが、お前等の意思に『従って』選ぶんじゃねぇからな。自分の意志で動く。だから……」

       

      例え、この選択が相手の想像の範疇にあるのだとしても。

       

      「……正直まだよく理解出来てはいねぇが、やってやるよ。だから教えろ、有益な情報ってヤツを」

      「そうかい」

       

      対する女性は、雰囲気を変えずに返答する。

      内面の心境を察する事は出来ないが、まるで祝福でもするかのように。

       

      「では、ようこそ。この退屈な現実に貴重なスパイスを与えてくれるキャラクターの参戦を、私は歓迎する。例えどんな結果を生み出そうとも」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      兄である縁芽苦郎の股間を蹴り潰したり関節技で徹底的に悲鳴を上げさせたりついでに(中学生にはとても見せられないレベルの)エロ本を没収したり……妹としてはある意味で一つの大仕事が終わり、兄の私室(寝室と言ってもいい)から出てきた縁芽好夢はそれでも不満が残る心情だったりした。

      彼女は自室に戻ると、残ったストレスを発散させるために布団を叩いたりぬいぐるみを抱きしめたり色々とやってみたのだが、やがてテンションが平常値まで低下しきったからかポツリと呟いてしまう。

       

      「……空しい」

       

      兄と妹の関係、と聞くと中々に親しいものを想像してしまう人間は多いだろう。

      妹である好夢も当然、兄である苦郎の事を本当に好意的に想っていた。

      だからでこそだろうが、好夢はどうしても『現在の』苦郎の事を好意的に見る事が出来ない。

      朝は朝食を食べて歯を磨き学校に登校するだけ。

      昼は『消失』事件が始まる前の場合、昼食を学校で取っていたが、それだけ。

      夕方だろうが昼間だろうが、どの道家に帰宅した後は特に何かをする事も無く寝ているだけ。

       

      (……前は、もっと……)

       

      いつからこうなったのか、どうしてそうなったのか、そんな理由を好夢は知らない。

      妹である自分にも分からないのだから、おそらく他人にも原因は知らされていないだろうと思える。

      『何か』を隠しているような気がするが、仮にそれがどんなものであっても、現在の腐った兄の姿を見るのは忍びない。

      気を紛らわせるためにスマートフォンを弄ろうとも考えたが、結局『何もしていない』ような気分になると思い、嫌になって中断した。

      こんな時、何をすれば良いのだろう?

       

      (あの腐肉兄は寝ることに意識が向いてるだろうから、こっちの面倒を見てくれるとは思えない……というか、あんな状態の兄と絡んでたらこっちまでダラけ始めるような気もするし…………うぅ、部活動は例の『消失』事件のせいで夕方まで出来なかったし……)

       

      そこまで考えて。

      ふと、好夢は中学生なりにある事を思い付いた。

       

      (……よくよく考えてみれば、この『消失』事件が解決されれば部活動の時間も元通りになるだろ~し……そもそも、苦郎にぃがあれだけダラけてるのなら、あたしが支えられるように頑張らないといけないんじゃないの?)

       

      ……いやいや、全体的にあのクソ馬鹿兄貴がダメなだけだろう。

      そんな思考が脳裏を過ぎったが、ともかく何をやるかの『切っ掛け』は作れた気がする。

       

      (……確か、ニュースで見たけど勇輝にぃも居なくなっちゃったんだっけ……雑賀にぃも、ひょっとしたらもう行動してるかもしれない)

       

      少し考えて浮かび上がったのは、兄が通う学校繋がりで知り合った人達の中の二人。

      たまに会っては話もした事はあったし、友達と呼べるぐらいには親しくさせてもらった事もある。

      兄は(多分)殆ど意識していないと思うが、少なくとも何も思えないほどに感情が枯れている覚えも無い。

      なら、せめて自分にも出来る事をしよう。

       

      「……とは言うものの……」

       

      具体的に、どんな事をするべきだろうか?

      努力をする事に躊躇いは無いが、そこに何らかの意義を見い出せないのであればただの自己満足だとも思う。

      というか、こういう時にやるべき事は?

      周辺の人達への聞き込み――――はやっても然程意味が無く、既に身元調査などは警察が行っているはずだ。

      ……実は同じ事を当の雑賀自身も考えていた事に気付くわけもなく、何かをしないとやり切れない気持ちになっていた中学生は、こう結論付けた。

       

      (……よし、兄貴をもう一度締め上げて少しは『協力』してもらおっか!! 見た感じあんなだけど、頭脳面では実際役に立ってくれるはずだし!! ここは妹としての立場をフル活用してでも頑張る場面なんだ!! うん、そう考えよう!!)

       

      そんなこんなで(割と一方的に)第一の方針を決定した好夢は、本日二度目となる直談判(本人にとってはご褒美である可能性もあるが)を行うために今一度(ガードの薄い)兄の部屋へと足を踏み入れる。

      兄を支えられるようにと思いながらも、何処か目的と手段が入れ替わっているような気がしないでもない。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      なんやかんやで『有益な情報』とやらを与えてくれるらしいサツマイモカラーな衣服の女は、先の流れで注文していたメニューを食べ終えたと思ったら今度は別の組み合わせで何かを注文してきた。

       

      「……あの~、テメェ今度は何注文してんの? そもそもどうしてあのどシリアスな流れで新しいスイーツを摂取しようとしてんの? 何なの? 実はドヤ顔であんな事を言っていながら何も考えていなくてたった今になって話す内容を考えてたの? 馬鹿なの? というかなんだその赤色の塊は」

      「だって何かを食べながらでないとわざわざ談話の場をカフェに設定した意味が無いだろう。何も食べずに会話だけしかしないのなら適当に近場の公園のベンチとかでも事足りるし。うるせぇなちゃんと考えているよ同窓会で一発ギャグ言うと宣言しといて何も言えず恥ずかしい思いをする公務員ではあるまいし。何ってフルーツトマトの焼きケーキだぞ。まぁ、パンやケーキの生地には色々と混ぜられて試される事は多いし、アリなんじゃないかな? 名前は少し違うが原理的にはホットケーキと大差無いし」

      「もうそれチーズとか加えてマルゲリータで良くね?」

      「だが割とイケるぞ。うん」

       

      何と言うか、好きで食べているというよりは、新発売だとか話題にもなる異色なメニューを食べる事に好奇心を働かせているのだろうか? 女性として摂取カロリーとかには気を配らないのか、あるいはデザートは別腹とか言うタイプなのだろうか。

      ふと、テーブル越しの椅子に座っている雑賀は視線を下へと向けて、何故か自分の方にも注文されていた…………何だろう? 相手側の赤色なトマトケーキも割と異色だとは思うが、こちら側にあるモノは……赤色というか、どちらかと言えば紫に近い色をしているが、どうも紫イモとは違う材料を盛り込んだらしいパウンドケーキだった。

       

      怪訝そうな目を向ける雑賀に気付いたのか、女は軽く解説する。

       

      「それはドラゴンフルーツの赤い果肉な品種を使ったからそういう色になっているだけだ。割と『前』はレアだったらしいが、遺伝子技術の進歩で品種の固定化も安定してきてから、日本でも割りと見るようになっただろう?」

      「……あ~、そういやそんなのもあったな。フルーツとか名付けられてるが、味はどっちかと言うと野菜系じゃなかったか?」

      「糖度は高くて20度ぐらい。まぁ原産地が『日持ち』させる過程で速攻収穫してて、甘いものが中々出回らなかったからだろうな。その認識は」

       

      軽く食べてみたが、思ったよりも異色な味だった。

      少し食べてから女の方へ視線を戻すと、向こうの方も会話を進めるつもりらしく早々に口を開いた。

       

      「……で、話を戻すが……えっと、何処まで話したっけ?」

      「おい、何で忘れてるんだよ。勇輝の奴が『デジタルワールド』に居るとか言って、更には物語の登場人物だとかどうとか、俺にアイツを助けられるかもしれない『力』が宿っているだとか、極め付けに『有益な情報』とやらを引き換えに危険を承知で戦うかどうか決めろと聞いてきて、思いっきり返答した所じゃねぇか」

      「……そんな分かり切っている事を聞いたわけでは無いんだがな……あぁ、まだ話してもいない状態だったな」

       

      聞いて、言って、そして女は本題を切り出す。

       

      「適切な情報を与えるためにもある程度は聞いておくが、まず第一に、お前は自分自身が『普通』の人間と違うかもしれないと感じた事はあるか?」

       

      唐突な質問だった。

      予想もしなかった質問に多少戸惑ったが、雑賀は出来る限り情報を引き出すために意見で返す。

       

      「……そもそも何をどう思って『普通の人間』って区分を出すんだ? それだと、まるで俺……いや、俺や勇輝とかの『一部の人間』と言うべきか。アニメやら漫画やらに出て来る『特別性』を含んだ人間って言ってるようなもんじゃねぇか」

      「着眼点としては悪くない。実際、お前の言いたい『特別性』はお前――牙絡雑賀や紅炎勇輝、そして私も一応属している『組織』のメンバー以外にも……まぁ、その他にも大多数といった所か。宿している人間は少なくないぞ? 散歩でもすれば、数人ぐらいは見かけているかもしれないぞ」

      「……そんなに大多数なら普通、誰かの目に触れられてるか何かあるんじゃねぇのか……? そもそもお前の言う『特別性』が何の事を指してるのかが、まだ検討も付かないんだがよ」

      「仮に誰かが知っ言いふらしたとしても、現実的で物理的な証拠が無ければ実証も出来ず、やがて『普通の人間』に対する信憑性は無くなっていくだろう? 何より、確かに大多数存在するという風な言い回しこそしたが、その全員が決まって自身の力を『自覚』しているかどうかに関しては別問題だ。アレは普通に日常を満喫していられる人間が使える『力』では無いからな」

      「何だそりゃ……」

       

      言っている事の意味を、ほとんど理解出来ない。

      いや、むしろ今は女の言葉の中からキーワードをかき集め、後で推理するべきなのだろうか?

      そうと分かっていても、言葉の中に潜む真意や意図を探ろうとしてしまうのは、自分自身が『特別性』とやらを欲しているからなのか。

       

      「別に、俺自身は何か特別な事が出来るわけでも、特別な物が見えた事があるわけでも無いぞ。努力すれば他の奴にも出来るような事を『特別性』と言ってるわけじゃないんだろ。何のことなんだ?」

      「これに関しては、口で言って理解出来るようなものでは無いと思っている。というか、そうか。やはりまだお前は『自覚』の段階か……これはやはり、危険と知りながら戦いに赴く覚悟の有無を聞いておいて正解だったな」

      「……だから、何に対しての『自覚』なんだよ」

       

      そう問われると、女は唐突に自身の即頭部へ右の人差し指を突きつけて、

       

      「これ」

      「あ?」

      「知的な生命体としては最も重要な部位。……漫画やゲームに出てくる超能力者だって、この部位に『普通』とは違う何らかの違いがあるから超状を引き起こせるものだろう? 本来使われる事が無い部分を使ったり、全く違う情報処理方法を会得して。つまりはそういう事だ」

       

      「…………」

       

      女の言った事は単純で、それ故に雑賀でもあっさりと理解は出来た。

      だが、それでも思わず唖然とした風な声を漏らしていた。

       

      「……まさか、脳だってのか……?」

       

      思考、慣れ、記憶……そういった情報を総括するメインサーバー。

      それが無ければ生きていく事も出来ない、思考判断する生命体としては心臓と同じかそれ以上の重要性を持つ臓器。

       

      「……そりゃあお前が言う通り、フィクションに出てくるような『異能の力』ってのには少なからず脳ってのは関係を持ってるだろうさ。有名所ならテレキネシスやらテレパシーやらテレポートやら……映画とかで話題になる物を上げれば、未来予知能力とかも入る。でも、仮にそういう物が現実に存在していたら、確実に話題になってるだろ。問題を拡大させないために情報統制されてる可能性もあるけれど、仮に脳の構造やら何やらを改造でもしちまったらどうなる? 確実に知的な部分だったり感覚的な部分だったりが『障害』を被るぞ。俺自身、あんまり病院のお世話になった覚えはないし、何よりお前の言う通りに脳が『特別性』を得る過程で何らかの変化をしちまってるんなら、とっくに俺は障害者扱いされても仕方の無い人格になってる。流石におかしいだろ」

      「まぁ、そう思うのが妥当ではあるだろうな」

       

      女は変わらぬ調子で、それでいて既に理解している事を教える教師にでもなった風に。

       

      「だが、現に私も含めた『一部の人間』の脳は『特別性』を獲得している。というか、個人個人の脳の構造を『目だった障害』も見当たらないのに、わざわざ専門の医師に相談して調べてもらう人物などそうそういないだろう。殆どは幼少期の中で医師から正常なのか障害を持っているかの検診を受けているものだが、それでも『その後』の変化に関しては本人が気付かない限り再検査する可能性も低い。第一にこの変化は、知的障害や感覚障害に繋がるものでも無いわけだし……多少それっぽい物があったとしても、医師からは些細な誤差程度にしか観測されないだろうさ」

      「じゃあ、何で俺がお前の言う『特別性』ってのを宿している事に『気付いていた』んだ?」

      「単純に『特別性』を獲得している事が『事前に』分かっていた紅炎勇輝の友達である、というのが第一の理由。同じ『組織』のとある人物から提供された情報が第二の理由。それだけではまだ推測でしか無かったわけだが、こうして面と向かって会ってみて直ぐに確信した。お前も既に『普通の人間』とは違う、という事をね」

      「……ロボットアニメに出て来るキャラクターじゃあるまいし」

       

      特徴的なサウンドエフェクトの鳴る、見覚えがとても有った『アニメ』の事を思い出しながらも、雑賀は考える。

      やはりこの女の言う事は、まだ理解出来ないが、ホラを吹いているようにも思えない。

      思えないのは、自分が脳の深い部分で女の言葉が示す意味を『知っている』からなのか。

       

      「まぁ、戦いを経験すれば、お前にも紅炎勇輝にもいつか分かる事だ。ここまで言っても思考が理解に届かない以上、現状では何を話しても意味は無いだろうし……手っ取り早く『有益な情報』を告げて話を終えるとするか」

      「……こんだけ言っておいて、お前にとっては始まる前のチュートリアルに過ぎなかったってわけか」

      「そもそも、この程度の事が『有益な情報』とは一言も言った覚えは無いぞ? 戦う覚悟を問いながら、戦闘イベントに発展するような話題を出さなかった時点で気付こうか」

       

      女は自身が所有しているのであろうスマートフォンを取り出し、その画面を雑賀の目の前で覗き見しながら、

       

      「……さて、お前は水ノ龍高校という所を知っているか?」

       

      とてもとても、心当たりのあり過ぎる場所の名前を言った。

       

      「……ついさっき行ってた場所だぞ。あまり他の学校とかに興味は無いが、都内の水泳大会とかで割りと名を上げているってぐらいはどっかで聞いた事があるぞ」

       

      つい少し前に何らかの『事件』が起き、誰かが被害を被ったであろう場所。

      そんな場所の名をピンポイントで告げてきた時点で、嫌な予感が雑賀の脳裏を過ぎり、

       

      「簡潔に言うが、このままそこを放置していると人死にが発生する可能性が有る。同じ学校に在学している、とある『特別性』を獲得していた人間……いや、もしかしたらそうなくなっているかもしれない『彼』の牙によって」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      その青年は、勉強が不出来だった。

       

      別に、努力を怠っていたわけでも無く。

       

      きちんと不出来なりに努力を続けていたために、将来に不安が残るレベルは脱していたが。

       

      それでも、彼は勉強が不出来なのだと自分自身を戒め、誰に頼る事も無く成長を続けてきた。

       

      理由は、人によっては別に大した事でも無い。

       

      ただ、誰よりも身近な人に認められたかっただけ。

       

      そのために自分に出来る事を自分なりに見つけて、実際他者にはその才能を認められる事になった。

       

      だけど、自分が『認められたい』と願う人物以外の事を意識出来るぐらいの余裕も自分の中に作れていなかった彼の精神は、少しずつ磨耗し始めていた。

       

      少しでも友人を作ろうと思えば、誰かは手を差し伸べてくれたかもしれない。

       

      結局それは叶わず、彼は高校まで一人の友人も作る事無く成長を続けてきた。

       

      そんな彼の運命の分岐点となったのは、ひょっとすれば必要も無かった事だった。

       

      偶然、見知らぬ子供がトラックに轢かれそうになっている場面を、目撃してしまった。

       

      距離から考えて、その時は他の誰よりも自分の方が近かった、なんていう都合の合致した場面でも無い。

       

      だけど、見知らぬ誰かのために自分の命を張るだなんて、危険以前にこれまで考えた事も無い事だったから。

       

      もし見捨てたとしても、誰からか責められるわけでも無かったかもしれないけれど。

       

      それが何に繋がって、自分に何を与えてくれるのかも分からなかったけど。

       

      ただ、目の前で人が死ぬ所を見たいとも思わなかった。

       

      そんな、些細な感情の揺れでしかなかった。

       

      それだけだった。

       

      だから。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      現在時刻、三時二分。

      自転車を漕ぎながら、雑賀は『タウン・オブ・ドリーム』で遭遇した謎の女との会話を思い返していた。

       

      『司弩蒼矢(しどそうや)。それが今回の件で戦う事になる『特別性』を持った人間の名だ』

       

      どうしてそんな個人の名前を知っているのか、という疑問はもうしない事にした。

      どうせ、『普通の人間』がやらないような手段を用いて、自分や勇輝の個人情報を事前に獲得していたのと同じ事だろうから。

      そして、全てを知られていると理解した上で、同時に自分には何かを出来る可能性がある事を知ったから。

       

      『今から数日以上前に交通事故で四肢の半分を損失し、病院で療養中の身ではあったんだが、最近『組織』のメンバーの一人が接触して何らかの動きを促したらしくてな。間違い無く『普通の人間』には出来ない事をやる事が出来るようになっている』

       

      恐らく、それを理解した上でも女の言う『組織』のメンバーが止めたりする可能性は薄いだろう。

      こうなる事を理解した上で『促した』のだとしたら、その人物が『特別性』とやらを獲得するのを助長する動きを見せるはずだから。

       

      『そして「特別性」を持った人間だけが出来る、とある能力を使う事で病室から脱出する事は可能なのだが……そうなると厄介な事に、彼は高確率で人間の理性を失っているか、あるいは悪酔いのエキスパートな状態になっているかもしれない。まぁ、本人の人格次第で殺人事件にも傷害事件にもなりえるわけだが、放置しておくのも忍びないわけだ』

       

      女の意図は掴めないが、敵でも味方でも無いと公言している辺り、件の『組織』に対して全面的に協力しているわけでは無いらしい。

      よくそんな姿勢であんな風に自由に動けるな、と素直にサツマイモカラーな衣服の女の力に関しては評価せざるも得ない。

       

      『彼の居場所は「水ノ龍高校」の何処かか、あるいは別の何処かか。止めるにせよ、居場所を突き止めるにしろ、お前には自身の「特別性」に目覚めてもらう必要がある』

       

      言っている事は間違ってもいない。

      友達を助けるにしろ、近くの誰かを助けるにしろ、力はこれから必要となる。

       

      『覚えておけ。トリガーは「とある意思」だ。それだけ覚えていれば、後はお前次第の問題でしか無い』

      「………………」

       

      だが、現在雑賀が思考している事は、それだけでは無い。

       

      (……アイツは勇輝が、ギルモン……というかデジモンに『成って』電子情報世界――デジタルワールドに居ると言っていた)

       

      指し示される単純な事実。

      女が告げた事実が本当なら、女の言う『特別性』は紅炎勇輝も持っている事になる。

       

      (……まさか、俺達の脳に宿っている『特別性』ってのは……)

       

      それは、つまり。

       

      「……デジモンの、データ……?」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      現在時刻、三時十七分。

      雑賀は『タウン・オブ・ドリーム』での対談を終え、自宅に戻って自室で少し仮眠を取ろうと思っていた。

      ほんの十数分で頭の中へと入ってきた情報が多すぎて、少し落ち着くためにも休みたい、と思ったからである。

       

      (……確かに設定通りなら、デジモン――デジタルモンスターはあくまでも0と1の電子情報で構成された存在だ。脳の一部を切り取ってコンピューターに混ぜ込んで電気信号を促せば、半永久的に生きられるとかいう仮説だって存在する。人間の脳と電子情報で存在を構築されたデジモン。かみ合うかって聞かれたら、全否定も出来ないわな……人間に限らず殆どの生き物の体自体が、脳から発せられる電気信号をもってやっと『自分の意志』で動かせるものなんだし……)

       

      女の言っていた言葉を改めて思い返し、推測している内に自問自答の言葉は次々と出てくる。

      その度に、非現実的でありながらも、一部納得してしまっている自分がいる事に驚かされる。

       

      (だけど、だからってそんな都合良く現実の物理法則に干渉出来るようなもんなのか? そんな理屈なら、超能力者なんて現実で既に発見されているはずだ。人体実験なんて思いっきり禁忌で表沙汰にやってるような所は無いだろうし、第一どんな風に脳を弄くれば能力が発現するかっていう点から探りを入れる過程で、どんだけの人間が犠牲になる? コストやらリスクやらを考えても、それをやろうとする人間が居るのかさえ怪しい……っていうか、現実にそんな科学者が居るなんてとても思えないしな。科学と魔術の交差するライトノベルでもあるまいし)

       

      だけど、結局は行き詰る。

      想像がある程度行き届いても、問いに答えを出すためのキーワードが足りていない。

      仮に告げられた言葉が真実だとすれば、教えられた事件に首を突っ込めば、足りないピースの欠片に手が届くのか。

       

      「…………はぁ」

       

      そんな事を考えていても、埒は明かない。

      どうすればいいのかなんて、まるで全部を見通していたようなあの物言いの中に有りはした。

      後は、それに順ずる形で行動すれば良いのかもしれない。

      だけど。

       

      (……『とある意思』って何だよ。俺はスーパーヒーローじゃないんだ。アイツを助けたいって意思なら既にあるのに、俺は何の『特別な力』も発現出来ていない。だとしたら別の何かだとは思うんだが、それはいったい何なんだよ)

       

      自分にどんな『力』が宿っているのか。

      友達はデジモンという人外の存在に成ったと聞いた。

      今、アイツはどんな気持ちで、どんな苦難を体験しているというのだろう。

       

      (……あの女が言っていた……司弩蒼矢って言ってたか。そいつには有って、俺には無い物があるってのか。俺も自分で四肢の半分を切断しろってのかよ、ふざけやがって)

       

      最初はまだ、そこまでは考えていなかった。

      こんな、非現実的なロジックが絡んで来る事件だなんて。

      何らかの『手がかり』を見つけて、警察やらに通報して済む話だと考えていた。

       

      (……ちくしょう)

       

      今更になって、得体も知らない恐怖が浮かび上がる。

      それに立ち向かおうと思っていた心が、無様にも引っ込んでしまう。

      たったそれだけで、自分のそれまでの威勢が虚勢に過ぎなかったのかもという疑念が浮かび、それは更に自分以外の人間に対しても危険な『何か』を突きつけられているような、ある意味自分自身がそうなる以上の不安が心理を覆う。

       

      目に見えない指先で首筋をなぞられているような、得体の知れない感覚。

      自分から『事件』に首を突っ込むのか、あるいは『事件』の方が自分を巻き込ませるのか。

      いずれにしてもこれまでの平和な日々は、平穏な空気は、永遠には続かない。

      無意味な想像を働かせているのも、所詮は自身が臆病である証以上の意味を持たない。

      あのような自由奔放な相手に対し、自分に何が出来た?

      力が無いからと言い訳するのは簡単で、それ自体も間違ってはいない。

      だけど、そんな言い訳を用意した所で何かが変わるわけでも無い。

      何かを変えるには、変わるしか無い。

       

      「……で」

       

      そんな、とても真面目な心境で自宅へと帰還した雑賀だったのだが。

      靴を脱いで、即行で自分の部屋に足を運んだ彼は、開口一番にこう漏らした。

       

      「……何で好夢ちゃんがうちに来てんの?」

       

      いつの間にか、雑賀の自室にて色々見回しながら滞在しているのは縁芽好夢。

      割と出会う回数も少なくは無い、以前は紅炎勇輝も一緒にオープンキャンパスも兼ねた『イベント』にて出会った、この日も学校で遭遇した眠気マックス男こと縁芽苦郎の妹――確か血は繋がっていなかったらしいから一応は義妹に属するらしい女の子である。

      ひょっとして、今も高確率で熟睡中かネトゲやらに没頭中と推測される兄の苦郎が全然かまってくれないから、暇になって遊びに来たのだろうか? と何度か遊んであげた経験もある雑賀は思っていたのだが、そんな推理を浮かべている事など知らないまま彼女は返答でこう言った。

       

      「何でって、家で一緒に遊ぶことを口実に雑賀にぃのお母さんに電話で許可貰って、ちょっと穏便でも無さそうな話を聞きに来たに決まってるじゃん。雑賀にぃ、多分もう『消失』事件……何かもう被害の頻度から題名が変わってもおかしくなさそうな事件の事について、もう調べ始めてるんでしょ? いやぁ、苦郎にぃをちょいとシメて協力を仰ごうと思ってたんだけど、あの兄『あの件には関わらない方がいいって』とか明らかなメンドクサオーラ全開の一点張りでさ~。他に知っている人で頼れそうなので筆頭に上がったのが雑賀にぃだったから、こうしてやってきたの。もし何もしてなかったら本当に遊べばいいわけだしね。暇なのは事実だったし」

      「いったい何処でそんな情報を!? 中学に進学して以来好夢ちゃんと会ったりする回数は減って、こうして出会うのも割と久しぶりなはずなんだけど?!」

      「あれ? 正直あたしもあくまで可能性レベルでしか考えて無くて、実際そんなに期待してなかったんだけど、その反応見るにマジっぽいかな。いやぁ、出任せって言ってみるもんだね★」

      「ちくしょう図られた!?」

       

      この縁芽好夢。兄である縁芽苦郎とは雲泥の差と言っても過言では無いほどに人当たりが良く、雑賀の母こと牙絡栄華(がらくえいが)も彼女の事は割と気に入っているらしい。

      今時他人の家に遊びに行く事を許容する親というのも珍しい気もするが、母曰く『いや女の子の扱い方とか知るチャンスにもなるし可愛いし年上らしく遊んであげようぜ』などと言う面目もあるらしい。遠回しに馬鹿にされているような気もしたが、理屈としては通っているため拒否しようとも思えなかったのだ。

      まぁ、その辺りの事情は現状どうでもいい。

      重要なのは、このタイミングで彼女がよりにもよって『消失』事件に関係する情報を求めている、という事だ。

       

      (……話すべきか? いや、でも危険な事と分かっていてそれに相乗りさせるってのは……)

      「あのさ雑賀にぃ。急に意味深な沈黙を醸し出すとそれはそれで怪しまれるって分かってる?」

      「別に。何して遊ぼうか考えてただけだ」

      「あの流れで急に遊ぶ方向に持って行こうとするのも、普通に考えて逆効果なんだけど」

      「…………」

       

      言い訳を用意しても、妙に勘を働かせて食いついてくる。

      これはどうも、下手に言い訳をするほど逃げ道が失われるパターンらしい。

      なので、雑賀はあえてこう答える事にした。

       

      「じゃあ率直に言うけど、この件には本当に関わらない方がいい。本当に命を失う危険だってあるレベルの一件らしいんだ」

      「……どゆこと?」

      「言葉の通り。俺はついさっき、この『消失』事件を起こした犯人の関係者に呼び出されて、色々と聞いたんだ。正直よく分からないとは思うけど、多分に事実かもしれない事を」

      「……犯人かもしれない人の言う事を信じてるの?」

      「嘘を吐いて何のメリットがあったんだろうな。仮に俺を連れ去るなり何なりするんなら、怪しまれない場所にしても別の場所に設定するはずだ。防犯カメラも取り付けられない路地裏やら交番から遠い通り道やら。なのに、通報されるリスクもあったにも関わらず、そいつは『タウン・オブ・ドリーム』にあるカフェなんて場所に設定していた。完全に私情でな」

      「犯人と無関係って可能性は? 不謹慎に犯人の仲間装って、面白がってイタズラしようと思ってたとかじゃなくて?」

      「ただイタズラ目的なハッカーが人のメールアドレスと個人情報を盗るにしても、盗まれた当人に会うように言う奴はいない。大前提の時点で犯罪確定だし、まずそういうイタズラを生業としてるハッカーの方が珍しい」

      「どうして通報とかしなかったの?」

      「しても無駄だからだ。物的証拠も何も見当たらない。そんな状況で17歳らしい女の顔を指差して『こいつ犯人です!!』なんて言って信用してくれると思う? 多分、それを理解した上であんな真似したんだろうさ。完全に舐めきってる」

       

      言葉を紡ぐ度に好夢の目は細まっていく。

      言っている雑賀自身も『敵』の存在を改めて認識し、意識を切り替えようと努力する。

       

      「好夢ちゃん。君が調べようとしている『事件』は、もしかしたらあくまでも『第一段階』に過ぎないのかもしれない。仮に『これ』を解決出来たとしても、根源的な部分では解決されていない。そして、そんな『第一段階』に過ぎない事件に踏み入ろうとするだけで、人間一人があっさりと消えるか命を失う可能性があるんだ。理解したか?」

      「…………」

      「これは多分、少なくとも『ただの』中学生である好夢ちゃんが触れるべき事じゃない。苦郎の野郎が言ってる事は、殆ど面倒くさそうに言ったかもしれないけど本当の事だと思う。多分、いくら『特別な力』を持っていたとしても、俺や勇輝は俗に言う『ヒーロー』じゃないんだからさ。正義の味方とかを『気取って』赴くべき問題じゃないよ」

      「……じゃあ、雑賀にぃはどうするの?」

       

      真っ直ぐに、好夢は雑賀の目を見て。

       

      「勇輝にぃがいなくなっちゃったのはあたしだって知ってる。だから、雑賀にぃが何か行動を起こしてると思って、それであたしにも何か出来る事を探そうと思って会いに来た。……本当に、何をどうしようと思ってるの? その女の人が言ってた事を飲み込んだ上で」

      「そりゃあ、まぁ……」

       

      ここで何を言うかによって、自分の行動の路線が決定されるような感覚を雑賀は感じ、その上でこう言った。

       

      「……何もしない、かな」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      牙絡雑賀との会話(と少しの娯楽)を終えた縁芽好夢は、現在進行形でご機嫌斜めだった。

      理屈として危険の度合いは理解したが、まさか自分の兄と同じ返答と答えを提示されるとは思わなかった。

       

      (……そりゃあ、理屈としては分かるよ? 俗に言う『オトナの世界』に子供は安易に入り込んだらいけないっていうのと似た、絶対に越えられないというか越えたら死線越えるみたいなのは分かるよ? でもさ、何も教えずに何でもかんでも背負おうとするのは本当にイライラするわ!! ホントにもう、おにぃちゃん達は絶対何か抱えているのに誰にも『相談』には乗ろうとしないんだから!! がるぐるぎゃお~っ!!)

       

      彼女が通っているのは、都内ならば何処にでもありそうな高層な建物の並ぶ歩き道。

      怪しげな雰囲気も恐怖を煽る路地裏も殆ど無い、学生の通学路として不要な物が大して見当たらないような場所。

      茶色いポーチバッグに入れていたスマートフォンに目を向ければ、現在時刻は『16:12』と夕方の少し前ぐらいである事を示しており、大人たちがもうそろそろ帰宅するべきだと生真面目に言い始める時間だという事が分かる。

      理由はもちろん、最近頻繁に発生している『消失』事件に巻き込まれないように、という事なのだろうが……現実的に見れば、この時間にも外出している少年少女は割と居たりするわけで。

       

      「お、こんな時間に会うなんて珍しい……何だ何だ? 彼氏にフラれて意気消沈中か?」

      「……あたしに『そういう』人は居るわけじゃないって知ってて言ってるんだよね? リアルホルスタインめ」

      「おうおう~、いくら何でも牛呼ばわりは無いと思うのだぜ? 私にはちゃんと捏蔵叉美(こぐらまたび)っていう名前があるんだし、そういう物言いは関心出来ないな~」

       

      捏蔵叉美。

      好夢が通っているのと同じ中学校に在学している同級生で、彼女自身が思考回路の食い違いからかどうにも仲良く出来ない人間の一人として認識している女の子だ。

      好夢が柔道部に所属している一方で、この捏蔵叉美は特に部活などには属せず、この街に噂される『都市伝説』とやらを独自に調べて推理する事を楽しみにしている、割とインテリ系の人物らしい。

      服装としては、まだカッターシャツに藍色のスカート(と短パン装備)の制服装備な好夢と違って自宅に戻ってからは着替えているのか、薄い赤色のYシャツに濃い目な桃色のショートパンツという年齢に見合わず女としての魅力に重点を置いたような装備だった。

      服装のチョイスに女としての思考の差異など、この二人の特徴を差別すれば他にも色々と浮かび上がる物はあるのだが、縁芽好夢が個人の問題として最も気に食わない点は、この叉美という女の子の首下に見える特徴的な物体にこそある。

      直球で説明してもアレなので、遠回しに説明しよう。

      ぼいんばい~ん!!

       

      「何の用なの? つ~か、アンタはこんな所で何してんの? いつものオカルト探索?」

      「一度に複数の質問をするなよ。順に答えるが、単に疲れてるのかイライラしてるのかその両方か分からんが興味深い表情をしていた君を見つけたから声を掛けてみただけ。もう一つに関しては、まぁ単純に散歩だよ。最近は最近で興味深い現象が度々起きているようだからね」

      「つまりは平常運転ね。相変わらずだけど、どうしたら中学生の年齢でその大きさになんの……?」

      「さぁ? 別に牛乳ガブ飲みとかしていた覚えは無いのだがな。遺伝子とかが絡むならどうしようも無いかな」

       

      唐突な宣戦布告だと……ッ!? と好夢がわなわなしたが、発言者の叉美の方は気にする様子も無く話を更に展開する。

       

      「それより珍しいな。何かあったか?」

      「別に。ちょっとやる事見つけようと信頼出来る人の所に行ったら、結局得られたのは頭ごなしの教訓だけだったってだけ。苦郎にぃもあんなだし、頼れそうな人がいないってだけでもかなりきた」

      「ふ~ん。日が落ちてきたら外を出歩くなとか、警察の目は路地裏にまで届くわけじゃないから近付くなとか、そっち系か? 別に間違った事は言ってないと思うがなぁ。つまらん事は事実だが」

      「『消失』事件の件。知り合いの人が被害に遭ったのもあるけど、解決目指すつもりで調べようと思ってたの。アンタは何か知ってるの?」

       

      「何か知っていればそこから色々推理出来るんだけどね。根も草も見当たらん」

       

      そう言って、おどけたように両手を肩の上に上げてから、叉美は言う。

       

      「が、あるいは『消失』事件とは無関係かもしれないが、少しだけ『怪異現象』ならば見つけたかもしれないという自負はある」

      「……ん? どして話題がオカルト系の方向に……?」

      「『一般的な常識では考えられない』……そんな事件には、案外非現実的な事柄が絡んでいるとは思えないか? この街の防犯設備が痕跡を一切発見する事も出来ず、更に被害者はある日前触れも無く姿を消す……まるで『神隠し』と言っても過言では無いだろ」

       

      言われて、ほんの少し納得を感じながらも好夢は言葉を返す。

       

      「まぁ確かにそうかもしれないけど。でも、そういうのって『神様』とか住まってるっていう山とか森とかで起きるって話じゃなかったっけ? 第一、疑うと悪いかもしれないけどその警察の人達自体が何か裏を潜めている、なんていう可能性も低くはないわけだし。今時、ちょっとの意識の緩みで警官でさえ犯罪起こしちゃう時代だよ」

      「警官の個人個人にも住まう場所がある以上、人間を隠す事が出来る場所など限られると思うがな。第一、わざわざ警官として職を得ている人が人間を連れ去る理由がまず無い気もするのだが」

      「……それもそうかな。今時、抱きやら殴りやら専門の奴隷にするとか、外道な欲望に手を出す野郎はいないと思うし」

       

      結局、叉美に納得させられる形で好夢は話を飲み込む。

      自分達のすぐ近くを複数の自転車が通り過ぎようとしていたので、二人はうっかり轢かれないように距離を置きながら会話を続行する。

       

      「で、アンタの言う『怪異現象』って? 言うからには何かあるんでしょ?」

      「まぁそう焦るな。ゆっくり話してやるから、まずは近場のデパートにでも」

      「何優雅に女の子らしさを醸し出そうとしてんの。そういう題目はいいから。大丈夫、他人から痛い子っぽく見られるとしても損するのはアンタだけだし」

      「はいはい……全く、何故私に対してはこうも風当たりが強いかな。嫌味など言った覚えは無いのだが」

      「自分の一分ぐらい前の発言を思い出せこの野郎」

       

      叉美は何故か無意味に腕を組みながらも言う。

       

      「簡潔に言えば、たまにこの街の空気は一部『違う』ような感じがするって感じだ。風景には何ら変化が無い『はず』なのに、どうにも『違和感』というか何と言うか。大人達には感じられないようだがな」

      「それって建物の内装が限り無く近い形でも変わっているからとか、そういうのじゃなくて? 五感とかに作用してんの?」

      「まぁ、本当に些細なものだから私も対して感じた事は無いのだがな。強いて言えば、その『違和感』を感じる場所でスマフォを弄ってみたら、何故か電波環境が少し悪くなっていたぐらいの変化しか見られなかった」

      「単に携帯回線のアクセス集中とかじゃないの? ていうか、電波環境の変化なんて何か関係あるの?」

      「まぁ、それだけなら確かに重要度は低いかもしれないが……その『違和感』は夜中の方が強かったな。理由は知らんが、以前マフラーの切れ端を試しに持ってきてみれば、静電気にでも反応したかのように毛の部分が立ち始めていた気がする」

      「手のひらとの摩擦とかの影響じゃなくて? マフラーとか毛皮系が逆立つなんて、それこそ珍しい事でも何でもないでしょ」

      「そういうものかな。単なる時差が理由なのかどうかは分からんが、そういう些細な物にほど『何か』が隠れているものだと私は思うぞ」

      「…………どうかなぁ。そもそも、そんなに分かりやすい『違和感』なら別の人も気が付いてない? アンタが気付けるって事は、あたしも含めた別の人……特に夜間でも行動が制限されない大人とか、気付いてそうだと思うけど」

      「そこを逆に考えよう。『大人』には感知出来ず、その一方で『子供』である私達はどうして感知出来るのかって部分を」

      「…………」

       

      話がきな臭くなってきた。

      当然ではあるが、街を歩く人並みは興味も無いように好夢や叉美の方を向いたりしていない。

       

      「……流石に非現実的じゃない? 童話の……ピーターパンだっけ? それに登場する『子供しか行けない国』じゃあるまいし」

      「そう、それだ。単に気象の変化か空気中に散布されたナノサイズの『何か』が原因かは知らんが、少なくともこういう事は『非現実的』とどうしても口に出してしまう。本当に些細な事で、その上『大人』は気付かないから世間の目には触れられない。まぁ意図的に『隠している』という可能性もあるわけだが、いくら何でも度が過ぎていると思わないか? 偶然そのものに」

       

      確かに、それが事実であれば偶然にしては『出来すぎている』。

      子供には観測出来て、大人には観測出来ない『微弱な変化』など、それが本当であれば『異常』として認識しても何らおかしく無い。

      気に入らないながらも、この捏蔵叉美の発言には好夢もある程度の信頼を置いている。

      何だかんだ言っても、この女はこういう場面で『自分の推測』でしか物を言わないため、悪意を伴った嘘を吐く事が殆ど無いからだ。

      ふと、つい先ほどの牙絡雑賀とのやり取りを思い出してみる。

      少し調べを入れようとするだけで、人間一人が容易く消される事件。

      あくまでも『第一段階』に過ぎず、解決した所で根源的な原因には届かない。

      自身の兄である縁芽苦郎の発言はともかく、雑賀の発言は『事件を起こした』側(であるかも好夢は解らないが)の情報を元とした物で、信憑性としては高い方だった。

      ならば。

       

      「……とりあえず理解した。一番の時間は夜中ってことになるわけ? そうなると、まずはどうにかしてお母さんやお父さんの目を掻い潜るか許可を得る必要があるなぁ……無断で七時以降の夜間外出してる事がバレたりしたら、割と本気で雷落ちそうだし……いや、第一に中高生って夜間外出に法律的な制限があったっけ? でもまぁ案外その辺りは緩かったりするしどうにもなるのかな」

      「いや」

       

      だが、そこで叉美は否定した。

       

      「今話したのはあくまでも『一つのケース』だ。現に昼間や朝方でも同じ反応が見られた日もあったし、何も『強い違和感』を感じるのに夜間である必要は無い。仮にこの『違和感』が誰かによるものである場合、高確率でそれは人為的に引き起こされているだろう。そして、一方で例の『消失』事件は何も夜間に限った話では無い。時間や明度に関係無く、常に少数だけが被害に遭っている。つまり」

      「……『犯人』はあたし達と同じ、未成年の子供である可能性もある、と?」

      「そういう事になる」

       

      確か、雑賀が対話した女も未成年と聞いていた。

      だが、恐らく容疑者には『子供』だけでは無く、それを利用しようと考える『大人』も含まれるだろう。

      ただの子供が単独で誘拐なんて出来るわけが無いし、得られる利益も殆ど無いからだ。

       

      「つまる所、君も活動するのなら夜中よりも今は視界も確保出来る昼間が一番妥当だ。だが、もう時間も押している。個人差だってあるかもしれないし、調べるとしてもそれぞれが独自に調べた方が良いかもしれない」

      「……まぁ、確かにそうだけど」

      「不便だな。未成年者……より厳密には18歳以上だったか? そのぐらいであれば夜間ある程度外出していても問題は無いと言うらしいが、中学生にはどだい難しい話だ」

      「む~……」

       

      流石に法律が絡んで来ると、子供の正義感でどうとかなる問題ではなくなってしまう。

      既にギリギリだが18歳以上となっている雑賀や苦郎ならばどうともなったかもしれないが、まだ十歳前半な好夢では法律に引っ掛かっておまわりさんのお世話になってしまう可能性が濃厚だ。

       

      「……仕方無いのかなぁ」

      「流石に中学生の身分だと、非常事態でもない限りは難しいと思うぞ。夜間外出禁止令なんて、聞いた話では一部の外国ぐらいしか無い物だと聞いたが……両親達の心情だって尊重するとな」

      「……まぁ、ありがと。珍しく良い話が聞けたよ」

       

      そう言って好夢は叉美から離れるように歩き始める。

      叉美もそれを追うような事はせず、自分で定めた進路を歩き出す。

      大人しく自宅へと戻り行く途中、今更ながら好夢は一つの可能性を導き出した。

       

      (……雑賀にぃ、もしかして……)

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      時は経ち、時刻は午後の七時を回っていた。

      夕食を終えて、思考を練り終えて、親に『少しだけ』外出する事を告げて。

      街灯と車の照明などが闇を照らす夜の街を、高校生・牙絡雑賀は自転車に乗って駆ける。

       

      (……そりゃあ、よりにもよって好夢ちゃんを巻き込むわけにはいかないしな)

       

      多分、自分が何らかの行動に踏み切る事を知れば、あの女の子はこちらが駄目だと言っても協力しようとしただろう。

      だからでこそ、あえて『行動に出ない』という言葉とそれを信じさせるための演技が、信憑性のある情報と共に必要となった。

      こんな未知だらけで危険性の度合いすら測りきれない用事に、まだ中学生の女の子を漫画やアニメのように巻き込むわけにはいかなかったから。

       

      「……夏でもやっぱり夜中は風が冷たいなぁ」

       

      怖くないと言えば嘘になる。

      あえて目を瞑るという道もあっただろう。

      この一回を経験して、もう二度と『何か』を引き返す事は出来なくなるかもしれないけど。

      それでも、もういい加減に怖がり震えて何もしないのは嫌だった。

      そんな現実を、現状を、変えたかった。

      今はまだ『この世界』に居る別の友達や知り合いも巻き込まれてしまうかもしれないのなら、尚更だった。

       

      (……あの女は、水ノ龍高校か『別の場所』に司弩蒼矢って奴が居るって言っていた)

       

      いつの間にか、何かが理解出来るようになっていた。

      本当に些細で、本当に微弱な風にしか感じられないが、確かな『違和感』を。

      それが有る場所に向かうという思考を浮かべただけで、明確な危険性を脳は訴えてくる。

      その上で、宣言するように、言った。

       

      「……行くぜ、牙絡雑賀。世の中で最も単純な理由を持って、未知の領域に」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      「……ふ~ん」

       

      『タウン・オブ・ドリーム』での対話を終えてから早四時間過ぎな頃、紫と黄の縞模様の服を着た女は街の中の何処かで、誰に対してでもなく一人で呟いていた。

      いや、正確に言えば、その場に対象の相手の姿が無いというだけで、女は明確に個人の顔を浮かべながら呟いている。

       

      「まぁ、トリガーそのものは単純な物だから。あの意気込みが偽りでないのなら、脳に宿りし『力』は起動する。問題は、それを何処まで発揮し切れるかという点だが……やれやれ、少年漫画では無いが、正義感を持った人間はこういう場面になると不思議な程に力を発揮しようとしてくれるなぁ」

       

      別に、彼女自身は頭に浮かべた人物について特別な感情を抱いているわけでも無い。

      ただ単に、彼女は自身の知的好奇心に従って感情を処理し、思うがままに言葉に出しているだけ。

      人間は、自身の心に宿る欲望を叶えるため最適化された思考の中でこそ輝き、知的生命体としての格を上げていく。

      その中には当然彼女も、そして『彼等』も含まれているわけで。

       

      「……で、こんな夜中にあなたレベルの人が私に何か用ですか?」

       

      彼女の眼前には、周囲の暗さの関係もあってか顔の部分がよく見えない状態ではあるが、それ以上に夏場ではある意味一番目立ちそうな上半身から下半身までを覆い尽す青色の厚めなコートを羽織った男が立っていた。

      一日前――即ち七月十二日に紅炎勇輝と接触した男であり、同時に彼女が(一応)属している『組織』の中でも高い位に立っている人物だ。

       

      「『確認』をしに来ただけだ。牙絡雑賀の傾向はどうだった?」

       

      問われると、一つ溜め息を吐いてから女は適当交えに答える。

       

      「ん~、別にアイツって『組織』の掲げる『計画』に必要不可欠ってほどの存在じゃない脇役って話だったでしょう? 何でそこまで気にかけているのかは知りませんが、正直な話どっちに転ぶかは『まだ』分かりませんよ。。私としては正直な所、友人助けるためにって面目で『組織』に入って裏世界にびっとり~みたいな感じでも面白そうで良かったんですが」

      「……そうか。それぞれの宿す力はどっちに転ぶかで大きく変質するからな。一応、聞いておこうと思っただけだ。そろそろアイツの飯を作る必要もあるから、一度は居住している所に戻らなくてはならない」

      「なるほど。まぁ、牙絡雑賀にも大袈裟に説明しましたけど、結局この『力』も脳みそを軸にしてるから、食事や睡眠は必要不可欠なんですよねぇ。特に食事の方だと摂取すべきなのは糖分とか糖分とか糖分とか」

      「……だからといってケーキをドカ食いするとかジュースをガブ飲みするとかはお勧めしないがな。下手すると血液がドロドロになって洒落にならん事になるぞ。いくら『力』を持っていても、自分の体が列記とした人間であるという事を無かった事にしていないか」

      「あ~、食事の方にはちゃんと動物性脂肪とか少なめにしてるから大丈夫ですって。毎日食べまくってるってわけじゃないんですし、代わりに植物性脂肪なら多めにしてますから」

      「……今時の女子供の価値観は分からんな」

       

      そこで行われている会話には、どう考えても『一般の常識』からかけ離れた内容が含まれていながらも、まるで緊張感も殆ど無い世間話レベルの雰囲気しか無い。

      いや、むしろこの普通とは掛け離れた会話の内容にこそ、彼等が『普通とは違う』事の証明となっているのか。

       

      「そういや、噂のあの鳥野朗はどこで何をしてるんです? 相変わらず覚醒間際の人の所で野獣スマイル全開? 私、あの野郎の事は好きになれないんですよねぇ……こう、生理的に」

      「野獣というよりは野鳥と言ってあげろ。確かにあの笑みは私から見てもやり過ぎには思えるが、貢献度ではきっちり実績を残しているんだ。例え普段から半裸だったりして変態っぽく見えているとしても、あまり酷い事を言ってやらないでくれ」

      「……っつーか、いくら『組織』が個人個人の意志を第一にしてるからって、好き放題やらせすぎじゃないです? あの野蛮度レベル上限値の男を放し飼いにしてて、不要な血とかが流れてたらそれはそれでまずいと思うんですが」

      「その辺りに関しては大丈夫だ。奴はむしろ『そういうもの』を嫌っているから、下手に人間を殺す事が無い。それでいて行動力が『組織』の中でも秀でているからでこそ、あの役割を担っているという事を知らなかったのか?」

      「知ってますよ。でもそれって、死ぬレベルじゃなければいくらでも傷付けるっていう意味じゃないんです? 下手するとそっちの方がゲス度合いは強いですよ」

      「……大丈夫、だろう。仮にそうなった時のために私が上に立っているとも取れる」

      「現在進行形で動向を知らないじゃないですか……」

       

      呆れたように声を漏らすサツマイモカラー衣服な女と、表情こそ見えづらいが困ったように顔を少しだけ逸らそうとする青コートの男。

      もしこの会話を見れる第三者の存在がいれば、容姿はともかく一人の少女に軽く論されそうになる男の図はそれなりにシュールに見えたかもしれない。

      世の中、対等な立ち位置で話をしてみなければ分からない事もあるのだろう。

      会話は世間話から、本筋へと入っていく。

       

      「まぁあの野郎の事は置いといて、司弩蒼矢くんの方はどうなってます? 確か、昼明け頃に病院から『力』を使う事で脱出してからは、理性が例の如く暴走状態になってたと思いますけど。牙絡雑賀を彼にぶつけるつもりで話をしましたが、問題無さそうですかね?」

      「……その点に関しては、彼自身が司弩蒼矢を見つけられた上でどんな行動に出るかに掛かっているがな。更に言えば、見つけられたとしてそこで彼が『目覚め』なければ一方的に殺されるだけで、ある意味何の収穫も無い事になる。何の問題も無いと言えば嘘になるな」

      「そのぐらいの問題なら許容範囲です。そもそも何の苦難も無く『力』を手に入れるなんて、むしろそっちの方が『非現実的』ですよ。イレギュラーというか何と言うか、理に叶っていない。スポーツ選手が『普通とは違う』だけの量の鍛錬を自分で積み重ねた結果、何もしていないだけの人間よりも強い肉体を手に入れる。それと同じで、死に物狂いで手に入れた『力』によって未来を掴み取るみたいな話、私は大好きですからね。いやホント」

      「…………」

       

      女の言葉を聞いた青コートの男は、呆れたように僅かだが息を吐く。

      言葉自体は確かに正しいし、聴いてみれば彼女の奥底にあるものが暖かいものに思えるだろう。

      だが、男は理解した上でこう言った。

       

      「……その言葉が、単純な善悪から出たものならば良心的と言えるかもしれんが、君の場合は違うだろう。年相応に持つ純粋な知的好奇心。善悪ではなく好悪のみで物事を判断し、『それ』を満たすためならば敵だろうが味方として扱えた相手だろうが利用する。私から見れば、君は『あの子』以上に恐ろしく思えるよ。今回、牙絡雑賀を扇動したのに関しても、実際は『組織』の思惑などどうでも良かったのだろう?」

      「またまた大袈裟な。最低限人死にが出ないようには気を配ってますし、形式上では『組織』の思惑に沿っているでしょう。思いっきり私欲を交えている事は否定しませんが、私情も交えられない人間は『人間』ではありませんしね」

      「…………」

      「それとも」

       

      そこで、サツマイモカラーの衣服な女は、一度言葉を区切った。

      続く言葉は、親に向かって食事のメニューを問うかのように向けられる。

       

      「今ここで『私』を殺してみます?」

      「……いや、遠慮しておこう。殺し合いでなくとも君を相手取るのは少々骨が折れそうだ。殺そうとも痛めつけようとも思わないしな」

      「残念。少しわくわくしてたんですがね」

       

      両者の合間に流れる空気は、冷徹性などの意味を含むかのように冷たいわけでもない。

      だがもしこの場で『戦闘』に発展した場合、どれだけの変化がこの場に訪れてしまうのか。

      そして何より、どちらがどれだけの損傷を負ってしまい、場合によっては命を落としてしまうのか。

      それを理解する事が出来る人物は、この場にこの二人しか居ない。

       

      「子供だな、相変わらず」

      「ええ、未成年ですから」

      「やれやれ。君のような人間の席は、何年経っても確保されていそうだな」

      「まぁともかく、野暮ったく横槍を入れたりなんてせず期待してましょうよ。あの二人……というより二匹と換算した方がいいんでしょうか? まぁ尊重して二人って事にしますが、どんな展開を作り上げてくれるのかをね」

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      そして牙絡雑賀は『違和感』を辿って街を自転車で駆けている内、ある一つの場所へと目を向けていた。

       

      「……どうして、なんて疑問を挿んでても仕方無いんだろうなぁ」

       

      その名も、幻獣水流――モンスターストリームと呼ぶらしい。

      確か、夏場という絶好の売り込み時期にテレビのCMで宣伝されていた、ウォーターパークの一種だったと雑賀は記憶している。

      売りに出していたのは東洋の書物や北欧神話などに出てくる怪物などを題材としたアトラクションで、キャッチコピーは『幻の生物的なアトラクションで神話な空気を擬似体験してみようぜ~っ!!』な感じだったと思う。

      尤も、製作こそ終わっていると公式で発表されてはいるが、同時に開業時期は七月の下旬ぐらい――つまりは今から一週間近く後となっており、本来であれば従業員の人達ぐらいしか入る事は無いはずなのだ。

      雑賀は近場にあったコンビニ付近に自転車を置き、その施設の外周を囲う金属製の柵越しに分析する。

       

      (……夜間には作業していないのか。既にアトラクションの微調整は組み終わっているからなのか、あるいは早朝から夕方ぐらいまでが作業時間に設定されているのか……? どっちにしろ、こっちには好都合だな。『違和感』がここの内部から感じられるって事は、入るしかないわけだし……あんまり警察沙汰とかにはなりたくないし)

       

      防犯カメラが設置されているかどうかという点が疑問になるが、大抵設置されている場所には『そういう事』を意味する張り紙やら記述がそもそも犯罪を『させない』ため成されているので、恐らく無いだろうと推測出来る。

      大量の水を取り扱う場で、安易にそういった機械を剥き出しの状態で設置出来るかという問題だってある。

      プールの水を効率良く管理する機材や、非常時の警報だったりイベントのお知らせに使われる|拡声器《スピーカー》ぐらいはあるだろうが、何より肌色比率が日常の50%近く急上昇している場面をカメラで覗かれるなど、客にとっては好ましく思えないだろう。

      よって、従業員が居ない時間帯であれば勝手に侵入した所で発見される可能性は案外薄い。

      雑賀は念のために持参しておいた黒色の帽子を被った後、柵をよじ登って施設の内部へと侵入する。

      開業時までに時間差での水質を検査しておくためなのか、当たり前のようにプールには薬品の臭いが混じった水が満杯状態となっていた。

       

      (『違和感』を感じるのは…………あそこか?)

       

      まるで、微かな物音や妙な臭いに惹きつけられるように一方向へ歩き出す雑賀。

      一見すればそこには何も無いように見えるが、彼は夜の闇と水の透明感に紛れるように潜む『何か』の存在を感じ取れてしまっていた。

      不思議と夜の風が含む冷たさは更に濃くなっているように思え、それが今の雑賀にとっては逆に『違和感』の発生源の位置を教えてもらっているようなものだった。

      尤も、いくら『違和感』を感じられているとしても、視認出来る範囲に誰かが『視えている』わけでは無い。

      あくまでも、それ等の情報は砂場の足跡レベルの影響しか与えていないので、実際に発見するまではこの施設に何が居るのかすら分からないのだ。

       

      (事前情報だと『司弩蒼矢』って奴が事件を起こしそうなんだよな。『違和感』を発生させているのが仮にそいつだった場合、ここに居るのは間違い無くそいつって事になるが……どうしてこんな場所に?)

       

      そして当然ではあるが、牙絡雑賀はサツマイモカラーな衣服の女から告げられた人物の事を何も知らない。

      事前情報としてはまず四肢の半分を失っていて、病院にて入院中だったというらしいが……現実問題、四肢の半分と言ったら『両腕』か『両足』のどちらかが無くなっているとすら言える数である。

      仮に『両腕』を失っている場合、足を使う事で走る事ぐらいは何とか出来るかもしれないが、転倒してしまった時に支えとなる物も無いと身動きさえマトモに取れなくなるし、根本的にそんな状態の人間を黙って見逃す人間がどれだけ居るのかも不明だ。

      仮に『両足』を失っている場合、貸し出された車椅子などを使えれば移動は出来るかもしれないが、そもそもそれを使って誰にもバレずに病院の中を出る事は出来ないだろう。

      もう一つの可能性としては、右か左の腕と足が一本ずつ失われているというものだが……。

       

      (……どっちにしろ、普通ならそんな状態で病院の中を脱出するなんてどだい無理な話だ。だとするとあの女が言っていた『普通の人間には出来ない事』ってヤツが絡んで来るか。義手や義足でも生成する機能、もしくはテレポート……ぐらいは最低でも無いとマトモに移動も出来ないし……更に言えば、それと同時に『普通の人間には確認も出来ない状態』であるのも脱出可能な条件に入る……)

       

      そもそも、何故まだ開業もしていないウォーターパークに来る必要があるのか。

      四肢の半分を失っているのなら、普通に水を掻いて泳ぐ事だってまま成らないはずなのに。

      それとも、それ自体が目的なのか。あるいは、そもそも目的も何も無くウロウロしているだけなのか。

       

      (……溺死で自殺目的なんてわけは無いだろうけど、開業もされていないウォーターパークなんて襲ったとしても手に入る金なんて微々たるもんだろう。目的は絶対に金じゃない。こんな人の気も無い時間に出没したとしても誰かを殺したり出来るわけでも無いから、殺人が目的ってわけとも思えない。だとすると……でも、そんな程度の理由でそこまでするもんなのか……?)

       

      疑問が推理を生み、推理が疑問を生む。

      結局最終的には納得も出来ず、答えなど出なかったのだが。

       

      (……どの道『本人』に聞けばいい話なんだろうけど、いったい何処に居やがるんだ……?)

       

      何がなんでも見つけて、もし体の状態が『言われた通り』なのであれば、病院に送り返さなければ。

      そう、心に決めた時だった。

       

      唐突に。

      広いプールの一ヶ所が、大きな水の柱を立てた。

       

      ……柱と例えているのも、あるいはおかしいのかもしれない。

      だが実際、まるで高所から巨大な岩でも落としでもしたかの如き大きな水柱が、吹き上がったのだ。

       

      「…………」

       

      最初、雑賀にはその原因が何なのか、正確に判断する事は出来なかった。

      ただ、視界から外していたプールの方から水の弾かれる音が響いただけだったので、てっきり自分とは違う『誰か』がプールで泳いでいたのかと考えてしまったのだ。

      そして、その考えは直ぐに間違いだった事を認識するのに僅かだが数秒は掛かった。

      よくよく考えてみれば、もし『誰か』が泳いでいたのだとしたら体の動きで水が掻き上げられたりする際の音で、よほど遠く離れてでもしない限り姿が見えていなくとも気付けたはずである。

       

      だが、この施設に来てからどの程度の時間が過ぎたのだろうか。

      軽く二分か三分は経過しているはずだが、そんな時間をずっとプールの中に潜っていたのか。

      普通に考えても、それは不自然すぎる。

      酸素ボンぺ付きのゴーグルでも装備しているのであれば話は別だが……水柱が吹き上がった所から現れた『それ』のに目を向けた瞬間、雑賀はこの世で『普通に生きていたら』絶対に見られないであろうモノを目撃してしまった。

       

      「……な、ん……」

       

      それは、まず体の色の時点で人間らしい小麦色では無く青緑色な上に、肌そのものも人間のそれとは大きく異なり東洋竜のそれに似た鱗が全身にの表皮として張り巡らされていて。

      下半身に歩いたり走ったりするのに使われる『足』のシルエットは無く、代わりに有るのは魚と蛇の面影を同時に想起させるような、先端に赤色の葉っぱに似たヒレを伴った細長い尾があって。

      左手の指の間には水を効率良く掻くための膜が、首の下の部分から下半身の尾にかけては文字通りな蛇腹が生じており、顔の部分は人間の骨格のままだったが兜のように黄色の外殻に覆われていて。

      極め付けに何よりも異質だったのが、恐らくは右手『だった』と思われる部位――まるで生き物か何かのように生えている腕――否、鋭利な牙を有し人の頭ぐらいなら丸呑み出来そうなほどに大きく裂けた口を伴った、瞳の無い『蛇』があった。

      ……どれもこれもが『人間』と言うにはあまりにも掛け離れ過ぎていて、ある程度の面影こそ残っていても人としての知性や理性を持っているのかさえも怪しい容姿だった。

       

      「――――――」

       

      視線が交差した。

      雑賀とその『怪物』の距離は軽く10メートル以上は離れていて、もし『怪物』がその右腕として生やしている『蛇』で雑賀を捕食しようとしたとしても、当然届きはしない。

      だから、雑賀は最初、無雑作に『怪物』が右腕の『蛇』を自分に向けてきても大丈夫だと思えた。

      そして、その安堵は直ぐに打ち砕かれる。

      右腕の『蛇』の口から何かが吐き出され、瞬時に凍り付いた水を矢のように高速で射出されるという形で。

       

      「なっ」

       

      吹き矢の如き速度で放たれたそれに反応し、体を横方向に思い切り投げ出し避ける事が出来たのは偶然だった。

      ふと着弾地点をチラリと見てみれば、先ほどまで雑賀が立っていた場所の更に後方の地面に氷の矢が突き刺さり、プールサイドの地面を軽く削り取っていた。

      射線から考えても、もし完全に避けられていなければ雑賀の四肢の内のどれかが抉り取られていただろう。

      それほどの攻撃力を向けられた事を自覚した雑賀の背筋に、氷とは違う冷たい何かが駆け巡る。

       

      (……いやいやいや、何だよアレ。まさかアレが、あの怪物が女の言っていた『司弩蒼矢』か!? ショーワの特撮番組に出てても違和感の無いレベルの異形だぞあんなの……!!)

       

      視界を通して知った事実に驚く雑賀だったが、襲い掛かって来る怪物は雑賀の事情など知った事では無いらしい。

      次に怪物は『蛇』の口にプールの水を大量に含ませると、それを内部で何らかの処理を行った後に高圧で噴射して来たのだ。

      それも、直線状に放つのでは無く、容易に避けさせないため左から右にかけて薙ぎ払う形で。

      ヤバイ、と危機感が思考を埋めた時にはもう遅く、まるで極太に肥大化させた鞭と化した水流で打ち付けられた雑賀の体は驚くほどに軽く吹き飛ばされ、その威力は背中がプールサイドの地面に着いてから更に二転三転転がった末に、ようやく納まった。

       

      「ぐ……げはっ……!!」

       

      体を起き上がらせようとしただけで腹と背中が痛みを発し、胸の奥から吐き気がせり上がる。

      幸いにも骨が折れているわけでは無さそうだが、もしも今の一撃を直線状で放たれて、それに直撃してしまった時はこの程度で済まなかっただろう。

      尤も、『この程度』でも大分体力を削られているのだが。

      明らかに、対人間を想定した上での攻撃では無く、同じ『怪物』相手を想定した攻撃なのだから当然だった。

      纏っている衣服が、多分に水を吸い込んでだぶだぶになっている所為か異様に窮屈に感じられる。

       

      (……ちく、しょう……)

       

      獲物の動きが鈍った事を確認したからなのか、水上に浮かび上がっていた『怪物』はゆっくりと近付いて来る。

      何をするつもりなのか、想像こそしてもロクな結末が思い付かなかった。

      ふと、脳裏に少し前まで仲良く遊んでいた友人の姿が過ぎる。

       

      (……アイツも、こんな風な暴力に打ちのめされたってのか)

       

      考えただけで『犯人』の悪意に対する恐怖を覚え、恐怖の次に理不尽に対する怒りが湧き上がり、怒りは不条理な現実に対する反抗心を生み、反抗心は未熟さを介して正義感へと変わり、正義感は強大な敵に立ち向かう意思を生み出す。

      今更自分が何をしたって、既に過ぎ去った悲劇は何も変えられないけれど。

      それは、今も進行している惨劇や悲劇を見逃す理由になんてなりはしない。

       

      (……やってやる)

       

      だから、抗う。

      例え無様でも、負け犬の遠吠えでも。

      下らない人情だと言われても、それを誇る自分に胸を張って。

      頭の中に潜むモノが何なのかは、いつの間にか理解出来るようになっていた。

       

      (……あの野郎の姿を見るに、要は自分の脳に宿ってるデジモンのデータを介して、自分自身のDNAか何かを『変換』してるって事なんだろう。デジモンの姿は当人の心次第で何にでも変質する。後は俺自身の意志次第だ!! 何も出来ない状況に甘んじるのはもう飽きた!! だから!!)

       

      負け犬の遠吠えでは無く、勝つための牙を。

      どんな悲劇が起きようとしても、駆けつけられる速さを。

       

      「……絶対にお前も、元の居場所に戻してやる」

       

      そのためにも、変わる。

      自分自身を、丸ごと書き換える。

      頭のスイッチを切り替えるように、宣言する。

       

       

       

      「――――情報変換《データシフト》ッ!!」

       

       

       

      まず、昆虫が幼虫から成虫へと変ずる際に生じさせる物に似た青色の繭が生じ、その内部を0と1の電子情報が胎内の羊水のように埋め尽くし。

      そして、脳に宿った情報を原型とした肉体の『変換』が始まった。

      全身の毛穴から青と白と銀の色を伴った毛が吹き出され、それは肩口などの部位にて鋭利な刃の形を成しながらも、外敵から身を護るための強靭な毛皮を成し、纏っていた衣服はズボンの大部分をズタボロに残しながらもそれと同化していく。

      腰元からは細く先の方が二つに分かれた毛皮と同じ色の尻尾が生え、両足は人間がまずやらない獣の歩行方法に適する形に骨格を変化させていく。

      両手は人間としての面影を強く残しながらも指に鋭く紫色の爪を生じさせ、筋肉も前足としての役割も同時に担うためか人間のそれより強く逞しく変化していく。

      そして顔の部分は、正しく『狼』――誇り高さを現す孤高なる獣の象徴を成し、黒ずんだ鼻に肉を裂く牙を伴った口の部分は獣らしく前に突き出た物へと変化し、瞳は黄の色を宿す。

      それは『別の世界』において他者から恐れられた、極寒の地に住まう獣のデジモンとよく似た姿。

      窮屈な繭を内部から爪を用いて引き裂き、彼――牙絡雑賀はその姿を現す。

       

      「うおおおおおおおおおおおお~っ!!」

       

      現実の時間においてどの程度が経過したのかは分からないが、目の前の相手から介入されることは無かったらしい。

      故に、牙絡雑賀は戦う意思を持った目を向けて、こう言った。

       

      「――行くぜ。お前が『シードラモン』の力で俺を屠るつもりなら、俺はこの『ガルルモン』の力で思いっきり抗ってやる!!」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      少年少女に限らず、多くの人間を満喫させるために作られた施設の領地、そして水域は二体の怪物からしても広い。

      小麦色の柔らかい肌を有していた人間の姿から、生物としての構造が根本的に違うデジモン――『ガルルモン』を原型とした姿へと変じた牙絡雑賀は、まず自分自身の肉体の変化を離れた位置から様子を窺っている隻腕蛇腕の怪物と見比べながら、急ぎ分析していた。

       

      (あの『シードラモン』もどきな姿の時点で想像は付いてたが、やっぱりこの力は完全にデジモン『そのもの』に成る物じゃねぇのか。あくまでも、脳に宿っているらしいデジモンを原型とした姿に、肉体を『強化』させるための能力……全身の感覚が冴え渡り過ぎてるのもそうだが、本当に人狼にでもなった風な感じだ……)

       

      足の関節が人の物から獣特有の四足歩行に適した物に変じたためか、雑賀は足を伸ばして直立する事を長く継続させるのが難しくなり、自然と前屈みな体勢へと移行する。

      両手の指の本数こそ人と同じでありながら、両足の指の本数は獣と同じ。

      その、狼と人と混ぜ合わせたと言っても過言にはならない外観は、まさしく現代に現れた狼男のそれだった。

      尤も、童話やホラー作品に出てくる類の一種とは違い、明確な理性と知性を宿しているのだが。

       

      (……一方で、あっちは俺と違って知性が無いのか)

       

      だからでこそ、自分と同じような怪物でありながら、内面まで怪物と化している目の前の相手との違いに気づく事が出来た。

      双方が宿している存在は、どちらも野生に生きる種族ではあるものの、その在り方は異なっている。

      一方は、その存在に相応しい激しい闘争本能を持ちながらも、自身が信じ、認めたものに忠実に従えるほどの高い知性を有した獣。

      だが、もう一方は。

       

      (……『シードラモン』は『設定』通りなら元来『知性を持たない』デジモンだ。自らが生存するためか、あるいは考えずとも無意識下で求めているものを欲する『本能』に従って、ただ無心に泳ぎ回るだけのデジモン)

      「――――――」

       

      海蛇を原型とした怪物の目が、本物の蛇のように生々しく動く。

      理性を失って見境も無く襲っているわけでは無いのは、せめてもの救いだろうか。

      あるいは、自分が抱いている『目的』以外がどうでもよくなっていて、考える事を放棄してしまったのか。

      その答えなのか、あるいは何らかの『本能』が働いたからなのか、様子見をやめた怪物が元は右腕があったはずの部位に生えた『蛇』を、無雑作に雑賀へと向ける。

      既に武器となる水の『補充』が済んでいたのか、具体的な攻撃が行われるのに三秒も掛からなかった。

       

      「――アイスアロー」

       

      そんな小さな呟きが、発達向上した雑賀の耳に届いたのか否か。

      同時に『蛇』の口から水分を氷結化させた矢を、水上の『司弩蒼矢』は躊躇も無く放った。

      大きさこそ変わらないが、その速度は先の『一射目』が外れていたからか、更に速さを増していた。

      それこそ『ただの人間』の動体視力では、反応こそ出来ても体の動きの方が間に合わない、と言えるほどに。

       

      だが。

      今の雑賀は、少なくとも『ただの人間』と呼べるような存在でもない。

      だから。

      その矢が発射されるのとほぼ同時、雑賀は迷いも無く四つの脚で駆け出すことによって、斜線上から既に動けていた。

       

      (……視えたってだけじゃねぇ。避けられた……!!)

       

      当然ではあるが、牙絡雑賀という人間に四足歩行の経験など赤ん坊の時を除けば殆ど無い。

      当たり前のように二つの足で歩き、走っている人間が咄嗟の四足歩行に順応出来るわけが無いはずだろう。

      だが、その脳に宿ったデジモンのデータが、知らぬ間に植え付けられていた知識が、人間の記憶の中でも運動の慣れなどを司る手続記憶として体の動作を補正してくれているのだ。

      何よりそれは、遭遇して直ぐに『右腕だった部位から氷の矢を発射する』などという『人間』の能力の領分をとっくに越した芸等を、まるで『何度かやった事がある』ように行使した目の前の怪物が証明している。

       

      (むしろ、今の身体だと足の形が変わったからか四足歩行の方が楽に感じる。人外染みてると言われりゃそれまでだが、そんな事はどうでもいい。何より同じ『力』を使っていながら、人間の姿で当たり前のように過ごしていた女を見た後なんだ。『元に戻る』方法があると分かっている以上、限定的に人間を辞めることなんざ何も怖くねぇ)

      「――ウォーターブレス」

       

      続いて放たれたのは、先の『二射目』……即ち、横方向に薙ぎ払う形での高圧水流。

      再び振るわれた水の鞭に反応、即決し、今度は四足歩行で横に動くのではなく脚力の上がった二本の足で跳躍する。

      そうする事で避ける、までが思考の範疇だった。

      地面を蹴った途端、雑賀の身体が地上から軽く3メートル近くも跳んだ。

       

      「……はッ!?」

       

      とにかく攻撃を避けようとした一心で動いたため、加減など全く考えてはいなかった事に行動の後で気付く。

      視界が思っていた以上に速く動いたことに、自分でやった事とはいえ驚き、動揺を隠せない。

      自分の脚力が『どのぐらい』上がっているのか、想像が追い着いていなかった。

      だが当然、そんな隙だらけの状態を見て敵が何もしないわけが無く、直ぐに水上の怪物は空中の雑賀へ『蛇』を向ける。

      避けられない、という言葉が脳裏を掠めた時。

      そして、氷の吹き矢が再び放たれ、雑賀の身体に突き刺さろうとする瞬間。

       

      「――んなろッ!!」

       

      咄嗟に雑賀は、左腕で氷の矢を半ば強引に弾き、その軌道を横へと逸らした。

      弾かれた氷の矢は施設の敷地内に落ち、今度はひび割れが生じて砕け散る。

      そして、勢いを殺さず、あえて雑賀は右腕を振り被る。

       

      (今の自分の力が『どのぐらい』なのか分からないのなら、むしろ今まで出来なかったことを『出来る事』だと認識してやる。だから……)

       

      「まずはさっきからの攻撃のお礼だ馬鹿野郎!!」

       

      予想以上の跳躍は、ただ水の鞭を回避するだけではなく、そのまま攻撃に転じる機会を雑賀に与えていた。

      水上の司弩蒼矢に向けて拳を振るい、それを後方に下がる事で避けられるが、予想の範疇。

      着地――というより着水と同時に床を蹴り、今度は上に跳ぶのではなく前へと踏み込む形で跳躍する。

      肉食獣が獲物の首に喰らい付かんとする勢いと共に、再び右の拳を振るうと、今度は見事に怪物の顔面へと直撃した。

      その全身の肌に張り巡らされた鱗によって、雑賀の放った打撃の威力はある程度殺されたが、それでも人間大の身体を飛ばすには十分な力が残っていたらしく、司弩蒼矢の身体は10メートル程の距離を殴り飛ばされる。

      まるで岩でも落としたかのような大きな水飛沫がプール上で弾け、司弩蒼矢の意識は大きく揺さ振られた。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      今から何年か前の話になる。

       

      司弩蒼矢という人間が、まだ小学の6年生だった頃だ。

       

      彼には『現在』と同じように、大切な家族が――父と母と弟が居た。

       

      父はその少し前までは彼にも彼の弟にも接する事が出来たし、母も同様だった。

       

      特に仲が悪かったわけでも無く、何か悲劇的な事件に巻き込まれたわけでも無かった。

       

      ただ。

       

      時を重ねて、成長していくにつれて。

       

      父と母は、兄である蒼矢よりも弟の方ばかりを見るようになっていった。

       

      (…………まだあいつも子供だから、仕方無いよね)

       

      気付いた最初の段階では、そう思っていた。

       

      だが中学生――未成年の時期に最も思考が激しく変動する時期に、彼はその理由を自己の解釈で察していた。

       

      (……僕が、優秀じゃないから)

       

      子供が親に対して意識し、抱く感情は色々ある。

       

      その中でも一番の筆頭とも言えたのが『かまってほしい』と思うような感情である。

       

      『大人』になる過程で自立するに至る能力を得るがために、やがては必要ともしなくなる感情ではあるのだが、彼の場合は一般的に辿る過程の中で一つの時期を経験した事が無かった。

       

      いや、正確にはそれが有ったとしても、他者から『そう』であると認識されなかったと言うべきか。

       

      反抗期。

       

      親の意志や意向に、深く考えもせずに反抗しようと思い始める時期の事で、どんな家庭を営んでいたとしても確実に経験しているであろうそれを、まだ幼い頃の彼は辿ったことが無かったのだ。

       

      理由があるとすれば、家族に対して不満を覚えなかった、あるいは『考えもしなかった』事だろうか。

       

      だから、少しずつ無視されているように感じながらも、彼は決して不満を表に出すこともせずに過ごしていた。

       

      表に出さずにいた感情が、やがて大きな負の感情を放出してしまう事も知らずに。

       

      求めた物のためには努力を惜しむ事もせず、勉強については人一倍の時間を費やしていた。

       

      しかし不思議な事に、彼の努力は彼の望む形で実る事はほぼ無かった。

       

      勉学の成績こそ悪くは無かったが、彼の基準においては『良く』も無く、礼儀作法に関しても家の中で活用するような場面はまず存在しなかったからだ。

       

      彼は諦めなかったが、何度も何度も不出来な結果を経験していくにつれて、とある言葉に視点が向いた。

       

      才能。

       

      個人の得意不得意は、遺伝の関係からか両親の身体能力などによっても比例するらしく、それは現実にいくら努力したとしても『越えられない壁』という物を、知らぬ合間に構築してしまっているらしい。

       

      努力すれば不可能は無いとは言うが、もし違う遺伝能力で『同じ』だけの努力をした場合、差は明確に現れてしまう。

       

      ……事実、勉学の面ではいくら努力しても弟が得ている成績の方が上である事が多かった。

       

      そして、彼はいつの日かこう思ったのだ。

       

      ――――自分の『才能』を活かせるものは無いのか?

       

      と。

       

      ……その『才能』と、そうでないと思いながらも実は『考えもしなかった』事が多いという個人としての特徴そのものが、本能的に水中を泳ぎ続ける『シードラモン』に適したものだったのかもしれない。

       

      だが、まだ彼の口から本音は聞けていない。

       

      怪物とではなく、司弩蒼矢という名の『力』を持った人間との戦いは、まだ始まってすらいない。

       

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      静寂が、訪れていた。

       

      「………………」

       

      夜中とはいえ、水の透明感から水中の司弩蒼矢がまだ怪物に姿を変えた状態のままである事は確認出来る。

      しかし、

       

      (……ただあの姿のまま気を失っただけなら、窒息なんて事にはならないはずだ。けど、この『力』の基盤が脳にあるんなら、気絶してしまったら確実にこの『変身』は解けちまう。そうなったら、急いで水中から引き出さねぇと死んじまう……)

       

      甘いと分かっていても、彼は近付いていた。

      悲劇と止めようと動いたのに、入水自殺などという悲劇を生み出してしまうわけにはいかなかったから。

      だが、彼が近付くよりも先に、明確な動きがあった。

      水中に潜んでいた怪物が、その姿勢のまま氷の矢を放って来たのだ。

      体勢の関係からか精度も甘く、咄嗟の反応のおかげで近距離でありながらも雑賀はそれを避ける事が出来た。

       

      「……やっぱり、まだ気絶まではいかねぇか」

      「………………」

       

      水中から怪物が這い出てくるのを確認すると、それまで向けて来た視線が何処か変わっている事に気が付く。

      獲物を屠る本能に身を任せていた怪物らしい視線から、人間らしい感情の篭り具合を想起させる視線へと、変わっていたのだ。

      知性が戻ったのか、と雑賀は思った。

       

      「……お前は司弩蒼矢で合ってるんだよな?」

       

      そして、その推理は間違っていなかった。

       

      「……何でオレの名前を知っているかは知らないけど、その通りだ」

       

      初めて、人間らしい言葉が返って来た。

      少なくとも、知性も持たず本能のままに襲ってくる状態からは脱した、のだろうか。

      とりあえずといった調子で雑賀は更に会話を継続させる。

       

      「俺の名前は牙絡雑賀。お前の名前は、お前がその『力』を得る前に会ったと思う奴の仲間から聞いた。経緯に関しては交通事故としか知らないけどな」

      「……そうか」

       

      真っ先に自分自身の変化に対しては特に反応していない辺り、どうやらこの『力』を使ったのは最低でも一回だけでは無いらしい。

      つまり、既に誰かが実害を齎された可能性も否定は出来ない。

      例えば、水ノ龍高校に向かっていた救急車が運んだであろう顔も知らない怪我人、とか。

      それを視野に入れた上で、雑賀はこう尋ねる事にした。

       

      「……お前は自分がやっている事に自覚はあったか?」

      「……あった」

       

      意識が無いというよりは、本当に目的以外の事で『何も考えていなかった』のか。

      だとすれば、疑問は次の段階へと移行する。

       

      「お前はどうしてこんな事をしてんだ」

      「……その『こんな事』とは、今こうしてあなたと戦っている事か」

       

      司弩蒼矢は、その瞳を軽く細めながら、

       

      「決まっている。こうでもしないと手に入らないものを、何としてでも手に入れるためだ」

      「誰かを襲ってまで欲しい物ってのは何なんだ。知性を失ってまで、それは手に入れる価値があるもんなのか……?」

      「……オレの経緯を知っているのなら、簡単に答えは出るはずだろう。まさか、それを想像出来ないほどに思考能力が無いのか?」

       

      交通事故。

      四肢の損失。

       

      その二つのキーワードだけでも、雑賀にはとある回答を見い出す事が出来た。

      だけど、

       

      「……そんなの、手に入るわけが無いだろ」

       

      彼は『手に入れる』ために行動していると言った。

      少なくとも『手に入れる』と言っている以上、それは自分の四肢を損失させた交通事故の運転手に対する復讐などでは無いだろう。

      だけど、だとしたら何を?

      もし、彼に『求めているもの』があるとすれば。

      それは、かつての自分自身が『失ったもの』だと考えるのが道理。

      司弩蒼矢という人物の事前情報から一番に思いつくものは、

       

      「……だって、そんなの無理に決まってる」

       

      察する事は出来ても、それを肯定する事は出来ない。

      何故なら『それ』は、奪う事は出来ても、文字通り手に入れる事が出来ないものなのだから。

       

      「だって、そんなの無理に決まってる!! 他人の四肢を奪ったところで、どうやって『自分の部位』にするんだ。接合のために病院に奪った腕を渡したとしても、むしろ怪しまれるに決まってる。何の処置もせずにお前の独断で接合出来たとしても、下手をすりゃ拒絶反応を起こす!! 普通に考えれば分かる事のはずだろ!?」

      「ああ、分かってる」

       

      司弩蒼矢は、一度肯定してから、

       

      「だが、オレにこの『力』を説明した人物は言っていた。『オレ達』は自分自身を含めた身の回りにある物質の情報を『書き変える』能力を持っている、と。確かに『普通の方法』ならば無理だと思う。現実の法則に縛られない力を用いれば……もしかしたら、また戻れるかもしれない。だからこうして行動しているんだ」

      「…………」

       

      その『書き変える』能力というものが、自分や蒼矢が使っている『力』の事である事を推察する事は容易かった。

      そして、非現実的な原理を用いれば、その願いも、あくまでも可能性の段階だが『出来ない』とまでは言い切れなかった。

      だけど、

       

      「……でも、お前を知る人間は、お前が『四肢の半分を失った』事を知っているんだろ」

      「………………」

      「そんな人間が突然四肢の半分を取り戻したら、周りの人間は混乱するに決まってる。物事が物事なんだ。それは『神様の偶然』だとか『奇跡』だとか、そんな言葉では説明できない。仮にその願いが叶ったとしても、その過程で被害者……あるいは犠牲者になった人間が同時に出現したら、どんな風に考えられる? その願いが叶った先にあるのは、本当にお前が望んでいるものなのかよ!?」

      「そんな事は、分からない」

       

      蒼矢の言葉には、明確な『先』の予想図が無い。

      もしかしたら、そこも『何も考えていない』というのだろうか。

       

      「だが、それでもやる」

      「何で……」

      「例え、失ったものを取り戻した先の未来が、かつてのそれより変動するとしても、手に入れられなければオレに残されるものは何も無い。きっと、何も出来ない人間になっているオレを、母さんや父さんは見捨てるだろうから。無理するだろうから。必要とはしないだろうから。だからどんな手段を用いてでも、オレはかつて有ったものを取り戻す。それ以外の道に、望む未来なんて無いんだ」

      「…………」

       

      その言葉に含まれた意味を、赤の他人である雑賀には読み取る事が出来ない。

      そして、彼自身も自分の求めるものがために『力』を使い、こうして法を守らない行動をしているのだから、司弩蒼矢の行動を咎める資格は無いと思う。

      だから、代わりにこう告げたのだ。

       

      「……その台詞、お前自身が助けた子供の前でも言えるのか?」

      「……何?」

      「交通事故の情報ぐらい、ネットで氏名と一緒に検索すればヒットする。……お前がトラックに四肢の半分を持っていかれた理由が、見ず知らずの子供を咄嗟に車の通過ルートから押し退かせたからって事実ぐらい、もう知ってるさ」

      「…………」

       

      蒼矢の表情が、微かに歪む。

      それに構わず、雑賀はただ言葉を紡ぐ。

       

      「……そんな、アニメとかにしか出てこないヒーローみたいな事を現実にやってのけた人間を、無慈悲に見捨てる親なんているもんか。例えお前がその行動を後悔していたとしても、その行動のおかげで助かった子供は、お前に感謝してたに決まってる」

       

      世の中はそんなに無慈悲じゃないはずだ。

      こんな『力』を使わずとも、誰かに認められるような行動を既にやっていたのに、何でそれを理解する事が出来なかったんだ。

       

      「……させないぞ」

      「…………ッ」

      「そんな人間を、下らない事件の犯人なんかにするわけにはいかない。お前の行いに、お前自身の手で泥を塗らせるわけにはいかない。偽善だろうが独善だろうが、何がなんでも、お前の凶行は今夜で止めてやる!!」

       

      互いに譲れない『理由』があった。

      されど、片方はそれを認めるわけにもいかなかった。

      ただ、それだけのことだった。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      まず、大前提として。

      このウォーターパークという戦場で有利を取れるのは、圧倒的と言っても良いほどに司弩蒼矢――正確に言えば、彼に宿っている『シードラモン』というデジモンだろう。

      雑賀は様子を窺いながらも、改めて状況を整理している。

       

      (……多少でも知性を取り戻した以上、アイツはこれまでの単調な攻撃パターンから切り替えてくるはずだ。近づけさえすれば、勝機はあるんだが……)

       

      蒼矢も同様に、相対する相手の能力を推察している。

       

      (……奴の力は姿を見るに、オオカミのそれに準じた物だろう。この場は万人に受け入れてもらえる事を想定し設計された巨大なプール。深さも広さも、学校のそれよりもずっと上だ。そんな環境科で、あくまでも地を蹴る事が主な移動の手段である以上、奴が速度を発揮するのには『跳躍』という手段以外に無い。それ以外は運動に対する水の『抵抗』によって殆ど抑制される)

       

      ……もしもこの状況を『普通の人間』が見て、それに至る事情も知り得る事が出来たら、何故この日に至るまで一度の『戦闘』もこなした事の無い者達が、この状況において思考を練り上げる事が出来ているのかという根本的な疑問を抱く者も居るかもしれない。

      だが、彼等に宿っている『デジモン』と呼ばれる存在は、元来から闘争本能が激しい『闘う種』と呼ばれる者たちなのだ。

      ここに至るまで脳に記録された知識は、戦況を分析するための力として機能する。

      普通ならば冷静でいるのも難しい状況でも、彼等はその空気にある程度順応出来てしまう。

      だから、思考を練り上げる速度も常人のそれよりも上だった。

       

      (……水の浮力で前屈みにもならずに立ててるが、足元から首元のすぐ近くにまでが水に浸かってやがる。床に足を着いて『走る』事も、このままじゃ難しいな……しかも)

      (……更に言えば、プールという場所には『目に見える汚れ』と『目に見えない汚れ』の両方を防止するため、消毒剤による処置が行われている。元々水場だから辿る事は出来ないだろうが、イヌ科特有の鋭い嗅覚は機能しないだろう。むしろ、鋭い嗅覚はそのまま奴自身を蝕むことになる)

       

      そして、

       

      (一方で、この場は今のオレにとってホームグラウンドと言ってもいい所だ。あちらに有効な飛び道具が無い場合、取れる手は限られる。そして、一回の運動で動ける距離とスピードならば、水場に居る限りこちらが圧倒している。わざわざ奴の土俵に付き合う必要も無い。言葉の通りに止めるつもりだろうが、背を見せ逃げようとしても、どちらにしてもやる事は変わらない。確実に追い詰めてやる)

       

      だから、

       

      (……当然、このプールに入った時点で『逃げ』は出来ない。言ってしまえば、海上で人間が肉に飢えたサメから泳いで逃げるぐらいに難しい。どちらにしたって、俺はコイツに勝たなくちゃならねぇんだ。自分でそう宣言したんだしな)

       

      互いに交わされた言葉は無い。

      言葉によって解決出来る段階は、既に踏み越えた。

      僅か数秒の様子見と思考は終わり、二体は非現実の力を持って激突する。

       

      最初に仕掛けたのは、獣人――つまりは牙絡雑賀の方だった。

      単純に考えても、地の利を活かしながら飛び道具で攻撃が出来る司弩蒼矢に対して真正面から立ち向かった所で、距離を取られるなり鈍い動きを狙撃されるなりされるので勝てるわけが無い。

       

      だから、彼の選択肢も簡潔だった。

      右足でプールを水を一気に蹴り上げ、水遊びの要領で司弩蒼矢に向けて飛ばしたのだ。

      当然、そんな事をした所でダメージなど入るわけも無いし、その眼も『水中での活動に適した』形で変化しているため、防ぐ必要も蒼矢には本来ならば無い。

      だが、それを頭で理解していながらも、彼は咄嗟に左腕で目元を覆っていた。

      覆って、しまっていた。

       

      「……小賢しい真似をするな」

       

      イラついた感情を込めた言葉を呟く蒼矢。

      彼が無意味に目元を覆った一瞬に、雑賀は再び跳躍して接近を試みる。

       

      (やっぱりな。いくらデジモンの力を持っているからと言っても、元々そうなる前は人間だったんだ。だとしたら、人間の頃にやっていた『反射的な行動』は、本能に近い部分で根付いている。プールの水遊びで目や鼻に水が入ってしまうのを嫌がって、咄嗟に『そう』してしまうようにな!!)

       

      確かに、水中と水上では陸上に特化した獣人の姿になっている雑賀に地の利は働かない。

      だが、彼が優位を取れる環境が全く無いというわけでも無いのだ。

      彼が脳に宿しているデジモンことガルルモンは、現実世界で言えば狼の性質を色濃く反映した種族。

      狼という動物の身体能力には、同じイヌ科の動物でも犬と比べて秀でた物が多い。

      例えば、時として時速70キロメートルもの速度で獲物を追いたて、時として3メートルほどの高さを持った柵さえも跳び越えられる脚力と、それを可能とする鋭く強固な爪とか。

      例えば、あらゆる獲物の肉を食い千切れる鋭い牙と、それを補助する頭蓋骨さえも噛み砕く顎の力とか。

      例えば、夜間であっても獲物の位置を正確に観測出来る視力とか。

      水飛沫を撒き散らしながら蒼矢の背後へと着水し、即座に振り向き、肉食獣のように両手を伸ばしながら一息に飛び掛る。

       

      (……届け!!)

       

      蒼矢が振り向いて迎撃する速度を越えるつもりで、雑賀は跳んでいた。

      だが、

       

      「ウォーターブレス」

       

      その呟きと共に蒼矢は自身の背後へ半分だけ振り向き、右腕だった部位である『蛇』の口から高圧の水流を放った。

      その射線上には、接近を試みて飛び掛かろうとしていた雑賀が居て、

       

      「ぐぶっ!! お、おおおああああああああああああああああ!?」

       

      川の急流か何かにでも押し流されるかのように、人外と化している雑賀の身体は水流の直撃を受け、飛び掛かろうとしていた方向とは逆の方へと飛んでいかされる。

      そして、飛ばされた先もまたプールの領水内だった。

      盛大な水飛沫を三度撒き散らしながら、雑賀の身体は水場へと叩き付けられる。

      その結果を確認した蒼矢は、そこで攻撃の手を緩めたりはしない。

      射撃に使う『蛇』を、今度は斜め上方へと向ける。

       

      「乱れアイスアロー」

       

      その口から連続して放たれた氷の矢は、一つの大きさこそ今までの物よりも比較的小さい物。

      しかし、その総数は軽く十本以上はあり、それ等は重力に引かれて地へと落ちてくる。

      水飛沫の舞った地点――つまりは雑賀の落ちた場へと。

       

      (や……べっ……!?)

       

      一時的に水中へと沈んでいた雑賀自身も、偶然ではあるがその攻撃に気付く事は出来た。

      だが、その軌道を読み取るにしても、そして避けるために動こうにも。

      水面に激突して意識を揺さ振られ、ダメージを負った体は動きも若干鈍ってしまっている。

      起き上がるのでは間に合わない、と判断した雑賀は咄嗟に両足を交互に動かして自分の位置をズラそうとしたが、複数の地点へ落ちる事を狙って放たれた氷の矢が落ち――――雑賀の腹部に突き刺さった。

       

      (――――ッ!!)

       

      運が良かったのか、あるいはその毛皮の強度からか、幸いにも深手には至らなかったが、突き刺さった部位から伝わる激痛と冷たさには震え悶えざるも得なかった。

      だが、そんな事は敵である蒼矢の知るところでも無い。

      次々と、それこそ次々と、雑賀の沈んでいる付近へ氷の矢は振ってくる。

       

      (ちっく、しょうが……!! 何も考えずに数撃ちしやがって……!!)

       

      思わずといった調子で毒づく雑賀は、止むを得ず刺さった氷の矢を抜き取る。

      若干だが出血していたようで、赤い血がプールの水に混ざりながら漏れた。

      今度は軌道を確認し、何とか落ちてくる氷の矢の安全水域まで泳ぎ避ける。

       

      (……水場に沈んでいても、奴には俺の位置が丸分かりか。そりゃ当然なのも分かってはいるが……)

       

      問題は、飛び道具を使い分け出来る上、水場を自由に動く事が出来るという点で雑賀自身が相手に劣っている事だ。

      接近さえ出来れば勝機はある、が、目晦ましをした上で背後から接近しても、その目論見自体を読まれてしまった。

      何か、普通とは違う方法で接近する事が出来れば、それで活路は開けてくるはずなのだが――。

       

      (……ん……?)

       

      そんな思考を廻らせていた時だった。

      ふと、雑賀は疑問を覚えた。

      ただしそれは、浮かべていた思考とは全く違う物で。

       

      (何だ……狙って飲んだわけじゃないが……プールの水って、こんなんだったか……? こんな、しょっぱい物だったか……!?)

       

      口に含んだ水の味に強烈な違和感を感じた後、喉の奥に痛みが奔る。

      同時に、そもそもこの場が市内に作られた人工の水場である、という根本的な事実が揺らいでいく。

      当然、学校の物だろうがウォーターパークにある物だろうが、プールに使われる消毒液を含んだ水が塩のような味を含んでいたなんて話は聞いた事も無い。

       

      だが。

      これでは、まるで海の中。

       

      (何が……起きてやがる……!? そもそもプールの中に大量の岩塩を投げ入れたとしても、ここまでなるもんなのか……? これじゃ、まるで水質そのものを変えられたみたいじゃ……っ!!?)

       

      その、自分で浮かべた言葉に。

      つい先ほど、蒼矢の言っていた言葉が思い出される。

      そう。

       

      『だが、オレにこの「力」を説明した人物は言っていた。「オレ達」は自分自身を含めた身の回りにある物質の情報を「書き変える」能力を持っている、と。確かに「普通の方法」ならば無理だと思う。現実の法則に縛られない力を用いれば……もしかしたら、また戻れるかもしれない。だからこうして行動しているんだ』

       

      特別な人間。

      情報の意図的な書き変え。

      現実――物理法則に縛られない力。

      シードラモンの力を宿した人間と、プールの水。

       

      (まさか……)

       

      危機的な状況にあったからこそか、思考は迅速に一つの答えを導き出した。

      現実ならば決してありえそうに無い、現実的な出来事を。

       

      (あの野郎……この辺り一帯の『プールの水』を『海水』に変えやがったのか!?)

       

      それでどうなるのか、と答えを導いた後でも雑賀は想像する事が出来なかった。

      そして、その結果は直後に来た。

       

      (やべっ……!!)

       

      ……よく、プールや風呂などに入った際、身体が浮いたような感覚を体験してる者は多いだろう。

      これは、何らかの『物体』を何らかの『液体』の中に入れると、その『物体』が押しのけた液体の重さに等しい浮力が発生する、という原理による物で。

      簡潔に述べれば、液体そのものの重量が重ければ重いほどに、人体を含めたあらゆる物体は入った瞬間に液体が発生させる『浮力』によって浮かび上がるのだ。

       

      つまり。

      プールの水が『海水』に変わった影響で、より正確に言えば塩やミネラルの元となる成分が意図的に発生した影響で。

      浸かっている水の重量が一気に上がり、それに応じる形で雑賀の体はそれまで以上に『水に浮きやすく』なる。

      ……雑賀の行動の起点となるプールの『床』に、変化した脚がギリギリ届かなくなってしまうほどに。

      そして、都合良く水面に浮かんできた雑賀の姿を、遠方の蒼矢は捕捉する。

       

      (身動きが……取れ、ねぇ……ッ!!?)

       

      連射する必要が無いからか、今度は正確に狙う部位を撃ち抜くつもりらしい。

      左手で『蛇』を掴んで狙いを絞り、その裂けた口の内部に大きな氷の矢を装填していく。

      その姿は罠にかかった獣を仕留める狩人か、あるいは水中にて血の臭いを捕捉して肉を喰らう海の怪物か。

      どちらにしろ、次の一撃によって生じる傷は決して浅くはならないだろう。

      避けるためには、

       

      (全力で泳ぐしか……無い!!)

       

      と雑賀自身考えているのだが、心で思っていても体の方が動作に追い着かない。

      その原因が周囲に落ちた氷の矢によって水温が低下し、少しずつ氷の膜を張りつつある、という事実にまで気付くまでには思考が追い着かず。

      そして、

       

      「アイスアロー」

       

      今度こそ動けなくなった雑賀に向かって、|幾《いく》つもの冷たい氷の矢が、凍て付いた吐息と共に放たれた。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      (…………これで、終わるはずだ)

       

      仮の右腕として扱っている『蛇』から氷の矢を放つ瞬間、司弩蒼矢はそんな事を考えていた。

       

      (動きはほぼ封じた。仮に避けられたとしても、奴にはもう打開策も無い)

       

      そもそも、地の利の時点で勝機など無かった。

      戦闘を有利に運べる材料を持っていない時点で、どう足掻こうともこの結果は見えていたはずだった。

      背後からの攻撃を読まれ、迎撃された時点でもう勝ちの目も全て潰れているのに。

       

      (……何で、諦めようとしない)

       

      生きたいと思う意志ならば誰にだってあるだろう。

      だが、彼が疑問を覚え、そして理解の届かない事はそれでは無い。

      何で。

       

      (……何で、そこまでしてオレを止めようとする……?)

       

      そもそも、ただ生きるための行動をするだけなら、攻める以前に逃げるための行動を優先するべきだったのだ。

      自身の背後を取ったあの跳躍を可能とする脚力があれば、背中を撃たれる事はあるかもしれないが、それでも逃げられる可能性が無いわけでは無かったのに。

      よりにもよって、牙絡雑賀という男は生き残れる可能性の低い方を選んでしまった。

      確かに、それが出来れば自分の行いによって生じる被害者、あるいは犠牲者の数を最小限に抑える事は出来るだろうけれど。

      それは、自分の命を賭けてまで果たすべき事なのか?

       

      「………………」

       

      脳裏に、自分が助けてしまった女の子の姿が過ぎる。

      あの交通事故で四肢の半分を失った事で、自分の人生は崩壊したのだ。

      こんな事になるのなら、そもそも助けずに見捨てて、自分自身の幸せを優先するべきだった。

      自分の命を賭けてまで他人の命を守るなど、そんなのは警察官や消防署の役割であり、決して学生のやるべき事では無かった。

      あの時の自分が何を考えていたのかが思い出せない。

      助けた所で、自分が得たものはあったのか。

      仮にあったとしても、それは自分が失ったものに釣り合いが取れる物だったのか。

       

      (……どの道、こうするしか無いんだ)

       

      顔も知らない誰かの事なんてどうでもいい。

      自分と、自分を支えてくれる家族だけでも幸せに出来ればいい。

      そう考えているはずの心の何処かに、痛みが発している事を理解出来ない。

       

      (過去に戻る事は出来ないんだ。だったら、戻る事が出来なくても、せめて元あった物は何がなんでも取り戻す。そのためにも、そのためにも……ッ)

       

      何に対してここまで必死になっているのだろう。

      別に、戦況を見れば自分自身が追い詰められているわけでも無いのに、何故左腕が震えを発している?

      自分自身で放っている氷の冷たさからなのだろうか。

      そうだ、そうに決まっている。

       

      (……殺してでも、奪い取る……)

       

      無駄な思考は放り出せ。

      ただ目的を果たす事だけを考えろ。

       

      (……都合の良い救いなんて、無いんだ。自分の力でやるしか、無いんだよ……)

       

      ギリギリ、と。

      歯から響くそんな音と共に、決定的な力が『蛇』に込められる。

       

      (……これで、終わらせる……ッ!!)

       

      そして。

      力を込めた『蛇』から、凍て付いた息吹と共に氷の矢が幾つもの数をもって放たれる。

      敵対者には回避など不可能で、それを分かっている上で彼はその技を放ったのだから、予想される未来図に狂いは無かった。

       

      だから。

      氷の矢は次々と牙絡雑賀の全身各部へ突き刺さり、息吹はその体の芯までが動けなくなるほどに凍て付かせ、生命の火を文字通り吹き消していった、

       

       

       

      はずだった。

       

      「…………」

       

      攻撃は確かに全て命中した。

      凍て付いたマイナスの温度は雑賀の体から体温を下げ、体を動かすための力を奪っている。

       

      なのに。

      なのに。

       

      (……眼が、まだ死んでいない……)

       

      体毛が防寒の機能を発揮している、という線はある。

      だが、放った氷の矢は確かに突き刺さり、毛皮の奥にまで届いている。

      その上で、牙絡雑賀の戦意は未だに消えず、その眼は司弩蒼矢の方を見据えている。

       

      「……何でだ……」

       

      思考に留めておくつもりの言葉が、思わず口から漏れて出てくる。

      まるで溜め込んでいた何かを、暴力の代わりに吐き出すかのように。

       

      「何でお前はそこまで拘る!? 逃げればいいだろ。腕や足を奪われたくないのなら、文字通り尻尾でも巻いて逃げればそれで済む話だろ!! そんな状態になるまで闘う事に拘って、本当に死にそうになるまでの『理由』がお前にあるのか!?」

       

      暴力を放っている蒼矢自身、こんな事を言う資格が自分にあるのかなんて考えもしていない。

      加害者がどんな事を言ったところで、その行動を正当化される事などありえない。

       

      「……へっ」

       

      だが、その言葉を聞いても、雑賀は蒼矢の事を責めたりはしなかった。

      ただ、喉の奥から必死に声を搾り出し、不自然な笑みと共に言葉を届ける。

       

      「……やっぱり、お前は優しい奴だと思うよ」

      「……何を……」

      「右腕と足を失ったとか、明らかに重たい事情を抱えていても……それを言い訳に人殺しを認めているわけじゃない。現に今放った攻撃の殆ども、俺に対しては外しようが無い状態なのに、実際は全部急所から外れていた。……お前は色々と『理由』を述べていたが、実際は心の何処かでそれを躊躇する気持ちがあったんだろ?」

      「…………」

       

      そんなわけが無い。

      確かに急所への直撃は成されなかったが、それはあくまでも偶然の出来事であるはずだ。

      そう思考し、蒼矢は自己解決する。

       

      「……そもそも、ただ片腕と片足を手に入れるだけなら、こんなプールでウロウロしている意味なんて無かっただろ。通っていた病院で眠っている患者とまでは言わないが、学校のプールで部活動に励んでいる同級生の物を狙っても良かったはずだ」

      「……黙れ……」

      「お前が掲げている『理由』は確かに重い。だけど、お前自身が心の何処かでは『そのために』誰かの物を奪ったりする事に納得していなかった。だから、誰も来ない開設前のプールで自分の気持ちを『発散』させて誤魔化していた。自分の欲求で誰かを傷つけてしまわないように、そんな事をしてしまうかもしれない自分を押さえ込むために!!」

      「黙れ!!」

       

      ふつふつと、胸の奥から黒い感情が湧き出て来る。

      それは暴力的な言葉となって、怒声と共に吐き出される。

       

      「人の事を好き勝手言うのもいい加減にしろ!! 現にお前はオレに傷付けられているんだぞ。どうしてそんな綺麗事を平然と言える!? 真っ当な思考で考えれば、そんな言葉は出てこないはずだ。狂っている。お前の方こそ、真っ当な思考で物を考えていないんじゃないのか!?」

      「……だったら、そもそも『真っ当』な事ってのは何なんだよ」

      「そんなの、この状況だったら加害者を糾弾する事に決まってる!! 確かにお前の方もオレと同じ側に立っていた可能性はあるが、今ではお前が被害者だろ!! いつまでそんな目を続けるつもりだ。それとも何だ、オレを止めれば親が認めてくれるとでも言うつもりか?!」

      「…………」

       

      どんな言葉を叩き付けて見ても、雑賀の表情に変化は見えない。

      むしろ、その目には力が宿っているような気さえ感じられる。

      そして、

       

      「……言いたい事はそれだけか?」

      「……何を……」

      「お前は言ったな。俺がここまでする『理由』は何なのかって」

       

      何かが、ひび割れていくような音が聞こえる。

      それに順ずる形で、雑賀の瞳に宿る力は増していく。

       

      「答えを教えてやる。お前が『人間』だからだよ。人でなしの犯罪者でも、偶像に狂った思考の崇拝者ってわけでも無い。どんな力を持っていようが、どんな『理由』を持っていようが、誰かを助けようとするだけの善意を持った奴が自分から墜ちて行く光景なんて黙って見ていられるか。そして」

       

      同時、雑賀の全身を凍て付かせていた氷の膜と矢は一斉に弾け飛ぶ。

       

      「『理由』ならもう一つある。俺はお前の凶行を止めてやると言ったんだ。自分で言った言葉を自分で『嘘』にしちまうのは、嫌なんだ。俺自身でもその『理由』は分からねぇが、冗談でもない限り自分で言った言葉は自分で証明する!! 思惑を廻らせているクソ野郎共に利用されている『アイツ』を助けるって宣言も、他の誰の意思でもなく自分の意志に従って動くって台詞も!! 俺は自分で言った事だけは絶対に裏切らないッ!!!」

      「……だったら……」

       

      そこまで聞いて、蒼矢は諦めた。

      この男に逃げるという選択肢はそもそも存在しなかった。

      その『理由』を蒼矢には理解出来なかったが、それなりに重い物を背負っている、という事だけは伝わった。

      だったら、せめて。

       

      「……せめて、これ以上苦しまないようにはさせてやる。腕を千切られる痛みなんて感じたくは無いだろうからな。動きを完全に止めた後、腕と足以外を完全に冷凍して仮死状態にしてやる。運が良ければ、同じ『力』を持った誰かに助けてもらえるかもな」

       

      それが、蒼矢にとっての慈悲だった。

      だから、それ以上の善意は抱かない事を決めていた。

      そして、雑賀の方も水に浮いた状態でありながら、無駄に両手を構えていた。

      次で、決める。

      お互いにそう呟いた直後、最後の攻防が始まった。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      蒼矢の行動は至ってシンプルだった。

      それまでと変わらず『蛇』を標的に向け、氷の矢を放っただけ。

      避けられなければそれまでの話で、蒼矢はあくまでもそこから雑賀の行動を読み出している。

       

      (……最初、奴は目晦ましをした後に底の床を蹴る事で高く跳躍し、背後を取っていた)

       

      その行動から身体能力の高さは窺えたが、それはあくまでも『地に足を着いた』時に限られる。

      プールの水質を『海水』と同じものへ変換している今、彼には跳躍という手段を取る事が難しくなっているはずだ。

      だとすれば、懸念するべきは。

       

      (……その脚力を利用し、泳いだ時の速度)

       

      流石にそれだけでどうとでもなるわけでは無いが、万が一の事もある。

      警戒し、その眼で氷の矢に対する雑賀の動きを確認する。

      そして、明確な動きがあった。

      ただし、それは。

       

      (……潜った、だと……?)

       

      横に泳いで逃げるのではなく、真下に向かって思いっきり潜る。

      当然、蒼矢は動きを見逃さないように、自分自身も水の中へ沈ませて動きを見る。

      そして、彼は見た。

      牙絡雑賀が、その強化された腕力で強引に水を掻き、生じる浮力をねじ伏せ、底に見える床へと両足を付けた瞬間を。

      直後、牙絡雑賀の体が上方へと跳び、そのまま蒼矢が居ると思われる場所に向かい始めた。

      それを見た蒼矢の瞳が、怪訝そうに細くなる。

       

      (目晦ましもせず、ただ跳んだ……? 距離だって足りていない……なら、狙い撃つだけだ!!)

       

      「アイスアロー!!」

       

      空中ではどうやっても無防備になる、と判断した故の判断だった。

      そして、司弩蒼矢は『ガルルモン』というデジモンの能力を知らなかった。

      だから、次に起こる出来事を予測する事が出来なかった。

       

      (……このタイミングしか無い!!)

       

      蒼矢の攻撃を空中で確認すると共に、雑賀は唐突に思いっきり息を吸う。

      それは、『ガルルモン』というデジモンの力を知っているからでこその行動だった。

      そして、その行動はそのまま『必殺技』を発動するための予備動作を完了させ、雑賀は思いっきり息を吐き出す。

      より正確に言えば、吐き出した物は二酸化炭素では無く、高熱を宿した青い炎だった。

      その名も、

       

      「フォックスファイヤー!!」

      「――な、ぐ、ああああああああああああああああああああああああ!!??」

       

      その放たれた青い炎は、雑賀に向かって飛んでいた氷の矢を容易に溶かし、プールから上半身だけを出していた蒼矢の体を容赦無く焼いていく。

      冷たい水と衝突した影響からか、炎が放たれた周囲には白く霧のような水蒸気が散らばり、蒼矢の視界を覆っていく。

      訳も分からずに痛みで暴れ出す蒼矢の近くへ雑賀は着水し、一切の迷いも無く接近する。

      大量の水蒸気は失われた水の量を現し、水かさが減った事によって、一時的ではあるが雑賀は両足を床に着けて駆け出す事が出来たのだ。

      そして、その状況と少しの時間さえあれば、今の雑賀にとっては十分だった。

      いつの間にか四足ではなく二足で駆け出している事に疑問を挟む事も無く、その右手で拳を形作る。

       

      (……もう一度)

       

      一気に距離を詰め、

       

      (……もう一度、信じてみろ)

       

      その『人間』の顔を正面に捉え、

       

      「お前の家族に比べれば、全然大した事は無いだろうが……」

       

      右の拳に力を込めて振りかぶり、左の足に体重を乗せて。

       

      「少しだけ『そこ』から救い上げてやる。もう一度やり直して来い、この大馬鹿野郎!!」

       

      轟音が、炸裂した。

      司弩蒼矢の変化した体が十数メートルは飛び、やがて彼が自由に動けるプールの端に激突すると、その衝撃は彼の意識を確実に奪い去る。

      戦いの決着の有無など、問うまでも無かった。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      真夜中のウォーターパークは静寂に包まれていた。

      少し前まで『シードラモン』と呼ばれるデジモンの特徴を取り入れ異形と化していた司弩蒼矢の肉体は『元の姿』に戻り、衣類として纏っていたのであろう薄く青い色の病院着に身を包んだ隻腕隻脚の少し痩せて引き締まった感じの体型な青年が、現在は『ガルルモン』と呼ばれるデジモンの特徴を取り入れ同じく化け物と化している牙絡雑賀のすぐ傍に倒れていた。

      情報変換《データシフト》――いっその事『進化』と言うよりは『変身』とでも呼ぶべきじゃないかと思えたそれを解除させられた蒼矢には意識が無く、プールの領水内で放置すれば溺死させてしまうことは明らかだったので、そうなる前に雑賀は『ガルルモン』の特徴を取り入れ強化された脚力で急ぎ蒼矢をプールの水から脱出させた。

      脚力もそうだが腕力が強化されているのもあってか、人間の体はやけに軽く感じられた。

      意識を失ってすぐだったので、幸いにも彼自身の力によって海水と化していたプールの水を飲まずに済んだようだ。

      尤も、理屈はあまり分からないが、蒼矢自身の肉体と同じように情報変換《データシフト》の影響は当人の意識の消失と共に無くなりつつあるらしく、プールの方から海水特有の潮の香りが感じられなくなっていたのだが。

      そうして雑賀はプールサイドに戻り、体力を消耗した事を思い出したかのようにしながら言葉を発していた。

       

      「……死ぬ、かと思ったし死なせる、かと思った……っていうか死んでないよな? マジで」

       

      すっかり本気モードになっていたから彼自身考えもしなかったが、雑賀が蒼矢に向けて放った最後の一撃は――ただの人間のそれならまだしも、デジモンの力で強化された腕力で放たれたもの。

      パンチで人を殺せる『人間』など現実では聞いた事が無いが、ゴリラの場合は軽く人間の頭部がマネキンのように『外れて』しまうのだと言われている。

      ……現実世界の動物とデジモンってどっちがつえ~の? と疑問を抱く者も居るだろうが、どちらにせよ人間と比べてケモノ側の方が強いに決まっているのだ。

      そして雑賀はこう思った。

      あれ? パンチ当たった時に物凄い音が響いてた気がするけど、色々と折れてないし砕けてないよね? と。

       

      (……まぁ、かく言うコイツもデジモンの力を取り入れて『強化』されていたわけだし、内側も含めて打たれ強くなっているよな。顔の部分も含めて硬い鱗が張ってたわけだし)

       

      結論を半ば強引に導き出した後で、第二の問題が浮上する。

       

      (……ところでコイツ、これからどうしようか……コイツ自身が『姿を晦ませている事』を他者に知られているのなら、安易に病院に送り返すとコイツ自身にも疑いが掛かっちまう。となると、最低でも他人からコイツが『病室から連れ去られた被害者』と見られるような場所に置いておく必要があるな。警察を騙すような形になるが、こうなったら仕方がねぇ)

       

      心の中で自分自身にも悪態を吐きつつも、それ以外に方法が無い所にまで来ているので止むを得ない。

      そうなると、根本的な問題として、現在気絶している『被害者』を自らの手でこの場から運び出す必要があるのだが……と、そこまで考えた所で、司弩蒼矢をどうするか以前に存在していた当たり前の問題を雑賀は今更ながら思いだした。

       

      そう。

      どうやって、この姿のまま誰かに見つからないように街の中を移動すればいいのだ?

       

      (……あれ? そういえばどうしよう)

       

      都会なので当然ではあるのだが、夜中の時間でも街灯や自動車の照明によって殆どの区域に視界が確保されている。

      以前、雑賀自身『普通の方法』で調べようとしていたが故に知っている事だが、この市街地には路地と言えるような道が殆ど存在しない――というか、在ったとしても知りはしない。

      そんな中を、一人の人間を抱えた状態の、本来ならば二足歩行に適した骨格を有していないオオカミ男が、夜の闇に隠れて人の目から逃れながら駆け抜ける?

      もしかしたらと言えなくもない事だが、まず無理な話だろう。

      何故なら、牙絡雑賀はあくまでも『ただの高校生』であり、伝説の暗殺者だったり傭兵だったり、そんな実績と経験を持っているわけが無いからである。

      しかも、改めて振り返ってみると、戦闘中には色々と物騒な音が施設内に響いていた気がする。

       

      例えば、大量の水が高圧で放たれ、蛇口のそれを丸々激しくしたような音だったり。

      例えば、それを受けた際に上げた悲鳴というか絶叫のような声だったり。

      例えば、溢れ出る力と共に吐き出した遠吠えにも似た声だったり。

      例えば、二体の怪物が闘った際に生じた音だったり。

       

      ……順を追って思い返していくだけで、現在オオカミ男な雑賀の表情に脂汗が浮き出てくる。

      あれ? ひょっとしなくてもこれはもの凄くマズイ事態に派生しようとしていないか? と、

      そんな事を考えていた時だった。

       

      「……………………」

       

      ふと、雑賀は思わずとでも言った調子で一つの方向へ視線を向けた。

      誰かが、いる。

      夜の闇に紛れて、コツンと鳴る足音を隠そうともせずに近付いて来ている事を、雑賀の耳は確かに感知していた。

       

      (……やべぇ、この状況を『目撃』されるってだけでも致命的だぞ……!! そりゃあ、今の姿っていうか『異能の持ち主』が目撃される事で情報を開示させる事だって出来るかもしれねぇけど……ッ!!)

       

      それが誰だとしても、これはまずい。

      プールサイドには謎のオオカミ男と、それに連れ去られたと思われてもおかしくない病院着な青年が一人。

      目撃されれば、確実に『犯人』扱いされてもおかしくは無い。

      自分だけでも逃げるべきか、無視して蒼矢を連れ去るべきか、それとも……ッ!! と、切羽詰まった表情で思考した直後、牙絡雑賀が目撃したのは――

       

       

       

      「よう、まずはハッピーバースデー……あるいはお誕生日おめでとう、とでも言うべきか? ガラクサイガ」

       

       

      ――衣装として見られるものが紫色のカットジーンズぐらいしか見当たらず、瞳には獰猛な黄の色を宿し、曝け出されている肌は褐色の男だった。

      第一の問題として、その男は現在の雑賀の姿を見ながら、フルネームまで知った上で、平然と言葉を切り出していた。

      その反応自体も明らかに『普通の人間』がやるような物では無いし、その格好自体も文明人と言うよりは野性児と言った方がしっくり来るほどだった。

      だが。

      牙絡雑賀の心は、そういった特異性の全てを無視して恐怖を呼び起こされていた。

       

      何だ。

      こ   い    つ    は   何    だ     !?

      疑問の前に、本能的な恐怖の方が思考を埋め尽くす。

      デジモンとしての力を宿していても、いやむしろ『だから』なのか、直感的に雑賀の脳は一つの回答を導かざるも得なかった。

      コイツは、強い。

      今の自分ではどう足掻いても勝ち目なんて無い……ッッッ!!

       

      「……あ、悪いな。つい『いつものクセ』で好奇心っていうか猟奇心ってのが前面に出ちまった。大丈夫だって、弱いモン虐めは趣味じゃねぇし、殺す予定も今はねぇよ」

      「………………お前、は………………」

      「ん? あぁ、そういやこっちが名前を知ってるだけで、自己紹介の一つもしてないんだったな」

       

      そんな事を聞いているんじゃない、という声を出せない雑賀の目の前で、その男はこう名乗った。

       

      「フレースヴェルグ。本名じゃねぇけど、まぁお前は尻尾を掴もうとしてる『組織』での呼び名みたいなモンだ。よろしくな?」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      「はぁ――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……………」

       

      牙絡雑賀や捏蔵叉美との対話を経て自宅に戻って来た縁芽好夢の心には、ポッカリとした穴が空いていた。

      全力で振り被ったバットがボールに当たらず空振った時のような悔しさとも、大量の小遣いを貢いで手に入れたカードやらのコレクションに時間が経つにつれて感じるような空虚さとも、それは何処か違うような気がしていた。

      ウサギは寂しいと死んでしまうらしいが、人間も退屈だと別の意味で死んでしまうらしい。

      事が事なので不謹慎としか言いようも無いが、好夢は実際のところ現在の立場に退屈しているのだ。

      役に立ちたい、誰かを助けたい……『そのため』に事件が起きてほしいなどとは流石に思えないが、現に事件は起きている。

      それに対して何らかのアクションを起こせない事が、どうしても納得出来ない。

       

      (……雑賀にぃは多分『行動』してるんだろうけど、私はあくまでも中学生。叉美のヤツが言うように、出来る事にも限界がある、かぁ……)

       

      小学生だろうが中学生だろうが、一学年の差という物には何処か『絶対に越えられない壁』のような何かが感じられる。

      まして好夢が中学生である一方で、高校生の雑賀はチャラく薄い金髪に染めてすらいるし、兄である苦郎は(とても子供には見せられない感じの)本を平然を持っていたり、自分とは見ている世界が違う――と思わざるも得ない明確な差が存在しているのだ。

      どれだけ背伸びしようが、そこだけはどうしようも無い。

      現に、あの時の雑賀は自分を『巻き込ませないように』言葉を選んでいたようにしか思えなかった。

      守られている。

      その事実が、どうにも納得出来ない。

       

      「……明日から、少しでも『何とか』してみせる」

       

      自分に言い聞かせるように、あるいは現状を誤魔化すかのように、|寝包《ねくる》まっていた布団の中で宣言する。

      もうこの日、自分に出来る事は何も無い。

      それは、もう納得するしかない――――と、考えた後で今更ながらあまり考えなかった疑問が浮上した。

      朝に限らず昼間にも眠っているあの兄は、夜中には何をしているのだ?

       

      (……正直気が引けるなぁ……ああいう趣味な以上、パソコンで変なサイトとかを見ている可能性だってあるし……)

       

      好夢からすれば、もうあんまり自分の兄のアブナイ姿を見たくは無かったのだが……実を言うと、彼女は苦郎が夜中に何をしているのか、詳しくは知らなかったりするのだ。

      大した期待こそ出来ないが、ひょっとすれば真面目に『何か』をしている兄の姿を見る事が出来る可能性だってある。

      現在時刻は七時を回っており、好夢が身に纏う衣類も学校の制服から薄いピンク色な|寝間着《パジャマ》に変わっていて、大抵この時間になると眠る時間になるまではスマートフォンを弄ったり、パソコンを使って動画鑑賞をするのが主な行動なのだが。

      この日の好夢は、好奇心と言うより探究心が旺盛だった。

       

      (……ちょっと、覗いてみるかな)

       

      そんなわけで、本日三度目となる苦郎の部屋へと入った好夢だったのだが、

       

      「あれ、いない?」

       

      予想外と言うよりは、意外だと思った。

      よくよく思い返してみると、家に帰宅した際に『ただいま』と言っても苦郎は特に何も言わないので、その時その時で部屋の中に居るのか居ないのか、若干不明な所もあったのだ。

      本当に部屋の中には苦郎の姿が無かったので、自分がいない間の家での苦郎を知っていると思われる義母へと問いを飛ばしてみる。

       

      「お母さ~ん、苦郎にぃが何処に行ったのか知らな~い?」

      「苦郎なら『買い物に行ってくる』とか言ってから、返事も聞かずに出て行ったよ。まぁいつも通りというか何と言うかなんだけど、この時期に外出するのは危ないでしょうに……まぁ、大丈夫だと思うけどね」

      「外出……」

       

      予想通りとは言えた物の、義母の言う通り『消失』事件が横行している現状で外出するのは危険だとしか思えない。

      本当に『買い物』に行っているにしてもどっちにしても、既に『いなくなってしまった』人間がいる事を考えると不安を拭えない。

       

      (……本当に、何をやってるんだろうなぁ……)

       

      夜闇の向こう側は街灯越しでも見えない。

      距離としては遠くないはずなのに、そこには無限大の『壁』があった。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      フレースヴェルグ。

      そう名乗った男は自身を雑賀に情報を与えた『あの女』と同じ『組織』の一員だと言った。

      それがどういう意味なのかを推測する事は出来なかったが、一つだけハッキリしている事はあった。

      この男は、味方では無い。

      それを理解した雑賀は、搾り出すように声を発する。

       

      「……何をしに来たんだ……? まさかだが、勇輝のヤツみたいにデジタルワールド送りにでもするつもりなのか……?」

      「あ~、そう思われるのも仕方ねぇけど違う違う。え~っと……あぁ畜生、こういう説明は『あの人』が一番適してるんだがな。とりあえず俺が此処に来た目的はシンプルなモンだよ」

       

      ……事情説明に言葉が足りていない辺り、、本当にこの場へやって来たのは好奇心だけによる物だったのかもしれない。

      それが雑賀にとっては余計に恐ろしく思えた。

      好奇心に従い動く、と言葉で表せばそれは『自分に正直』だと言えて一軒裏表が無いように思えるが、それは逆に言えばどんな状況でも『他人の意志よりも自分の意志を尊重する』可能性を示しているのだから。

      何より、紅炎勇輝を連れ去った『組織』の一員である以上、決して真っ当な目的のために行動しているわけでは無いのだろうから。

      そして、フレースヴェルグは予想通りの言葉を吐いてきた。

       

      「まぁ、簡潔に言えばソイツ……シドソーヤって言うんだっけ? そいつを引き渡してくれねぇか。別に物騒な真似をするわけじゃねぇし、どうせ『これから』どうするのかなんてお前さんは思い付いてもいねぇんだろ?」

      「…………」

      「元々そいつの行動を促したのもオレだしなぁ。同じ『力』を持つ者同士で潰し合うのは大いに結構だし、その果てが死に繋がろうとも構いやしねぇんだが……お前さんがそいつを殺すつもりは無いのは明白だろ?」

      「……当たり前だ。こいつは……家族のいる所に戻さないといけない。そうするべきなんだから」

      「本当にか?」

       

      フレースヴェルグの口調は、まるで試しているような雰囲気さえ感じられていた。

       

      「家族の元に送り返すのは確かに善の行動かもしれねぇ。だが、そいつ自身はどう思うんだろうな? 無事に、無罪で帰ってこられた。だけど結局取り戻したかった物は戻らず、しかも被害者であるお前からは見逃された。俺には理解しづらいが、罪悪感を抱いた人間にとってそれは喜べるものだと思うか?」

      「それでも。あんなに苦しそうな顔で続けてたら、いつかこいつは心を閉ざしちまう。その前に、どんなに苦しい事になるんだとしても、家族と話をさせるべきだ。だって、こいつ自身は本来こんな事なんて望んでいなかったんだから!!」

      「本当に望んでいるわけでも無いのに、結局攻撃する事は実行してたんだがな。こいつの心の中に、他者に対する嫉妬――負の念が無かったとでも?」

      「確かにそれはあったのかもしれない。だけど、現にこいつは闘っている中でも赤の他人であるはずの俺の事を気にかけていた!! それに、こいつが四肢を半分失った理由だって……ッ!!」

      「だったら余計に『元の居場所』には戻れないな」

       

      その言葉は蒼矢だけではなく自分にも、ひょっとすればこの場に居ない紅炎勇輝にも向けられたように雑賀は感じられた。

      そして、それを即断で否定する事も出来なかった。

       

      「そいつの体を見ての通り、デジモンの力を得て変換された体は元の状態に戻る事も出来る……が、だからどうした? 結局の所、自分が『ただの人間』では無いって事実に変わりは無い。それを理解した上で、戻れるのか? 『ただの人間』の巣穴の中に」

      「……くっ」

      「生き方なんて自由なモンだし勝手にすりゃあいいが、俺にはちょいと滑稽に見えてくるよ。強靭の牙があるにも関わらず、山羊の群れの中で生きるために、山羊と同じように振舞う狼って感じか。まぁ、実際にそういう生き方をしている奴がいないわけじゃねぇんだけど……『組織』に入るか、あるいは本当にデジタルワールドに行った方が幸せだと思うぜ俺は」

       

      フレースヴェルグの言う事は、もっともだった。

      同じ人間である、という理屈が通用する事は多分無いだろう。

      もし仮にそんな事を言えたとしても、秘めた異常性が自分で自分を差別の対象に入れ込んでしまう。

      人狼の姿と成っている雑賀自身こそ、それを皮肉ったような存在とも言えた。

      だけど、それでも。

       

      「認めてたまるか……こいつの家族だって、こいつの事を心配してるに決まってるんだ。お前はこいつの意志だけじゃなく、そいつ等の意志だって無視して奪い去ろうとしてる!! そんなの認められるか。勇輝の奴も、いつデジタルワールドに行きたいなんて言った!? ふざけんじゃねぇ。結局お前等がやってる事は思想の押し売りと押し付けだろうがッ……!!」

      「……へぇ」

       

      そこで、初めてフレースヴェルグは関心したかのような声を漏らした。

      その顔に明らかな笑みが宿る。

       

      「自分が化け物だと知ってしまった。今までの居場所において自分が場違いとしか思えなかった。……だから、居心地の悪い場所を捨てて『同じ』になっちまえ。そう自分に言い訳しちまえば群れる畜生と何ら変わりも無い奴になっちまうのに、本当に!! お前の事を連中が負け犬って呼んでる理由が分からねぇわ!!」

      「…………何が言いたいんだ」

      「見て分からねぇのか? 嬉しいんだよ。お前が飼い主に尻尾を振り続ける犬じゃなくて、例え独りだろうが自分の意志で動こうと出来る狼だって事が分かってな。だからでこそ、いつかに狩り甲斐が出来る。こういう収穫をこの目で見られるモンだからこの役割も捨てられねぇ!! どんどん逆らってきな、俺を殺せる所までとっとと這い上がってきな!! 紅炎勇輝を助けるにしても、現実世界の事件を解決するにしても、これから力ってのは必要になってくるんだからな!!」

       

      歓喜と狂気だらけの、理解など出来もしない言葉の連続だった。

      牙絡雑賀には、フレースヴェルグの言っている事を理解する事が出来ない。

      何より、その狂った思考を理解しようなど最初から思えなかった。

       

      「……そんな事はどうでもいい。俺はコイツを元の場所まで送り返す、自分でそう言ったんだ。それを邪魔するんなら、相手が誰だろうとぶっ潰す!!」

      「やめとけって」

       

      笑みを崩す事も無く、雑賀の言葉に対してただ呟きだけがあった。

      そして、言葉が続く。

       

      「今のお前に俺の相手はまだ早い。それと、今回はお前の意志を尊重させてもらうさ。今回の一件の勝者はお前なんだから、そいつの命をどうするかなんてお前が一任するべきだしな。喰らうにしても、生かすにしても」

      「ふざけんな」

       

      雑賀の心には、もう恐怖心以前に怒りだけが湧き上がっていた。

      意思を尊重する? 勝者はお前? 命をどうするかなんてお前が一任するべき事?

      ふざけてるのか、クソ野郎。

       

      「そもそもお前が、お前等がこんな事ばっかりしてるからこいつも勇輝も、誰もが苦しめられてるんだ!! 特別性? デジモンの力? そんなモン関係あるかよ。お前等のやってる事はただの犯罪だ、ただの蹂躙だ。それで奪われた物が戻ってくるまでの間、どれほどの人間が悲しみに暮れてると思ってやがる。それを知った上でまだスカした台詞を吐くんなら、そんな台詞が言えなくなるまでお前をぶっ潰すッッッ!!!!!」

       

      秘められた能力との差も、自分自身の命の危機さえも無視して、狼の青年は一歩も引かずに吠えていた。

      その体毛が一部、いつの間にか――赤色を帯びようとしていた事に彼は気付かない。

      フレースヴェルグの方も、その言葉を聞いて笑みを更に深めていた。

      その態度が、余計に雑賀の怒りに油を注いでいた。

       

      「笑みを浮かべんのも……大概にしろォォォおおおおおおおおおお!!」

       

      叫んだ後、あるいは同時に。

      ダッ!! とプールサイドを踏み抜き、真正面から一気に『それまで』を越えた速度で雑賀は突貫した。

      水場という機動性を阻害する要因が取り除かれた『ガルルモン』の脚力は、容易く人間のスペックを越えたスピードを実現させると、即行で雑賀の右手は手刀の形でフレースヴェルグの首元へと突き刺さろうとした、はずだった。

       

      「悪いな」

       

      その言葉が聞こえたか否か、どちらにせよ。

      雑賀の右手は、フレースヴェルグの体に届きさえしていなかった。

       

      「ッ……!!」

       

      その理由を、雑賀は理解出来たが、推測する事は出来なかった。

      風圧だった。

      フレースヴェルグに突貫しようとした瞬間、絶大な暴風にも似た風が圧力を宿して雑賀へぶつかって来たのだ。

       

      「だから、言っただろうに」

       

      ふとフレースヴェルグの姿を確認してみれば、その姿はカットジーンズを履いた褐色の青年の姿ではなくなっていた。

      一見した時点で特徴を挙げれば、それは体毛の時点で現代では見られない容姿の『鳥人』だった。

      下半身から上半身までにかけて青色をメインカラーとし、頭部と羽根はマゼンダカラーで、後頭部から腰にあたる部分まで鬣のように存在する毛の色はライトグリーン。

      色だけでも三色と派手に見えるが、色以前に背中から生えている翼の大きさが尋常では無く、頭から脚までの体の大きさなど軽く越している。

       

      ――この風圧が、その『翼』による物だと推測する事は容易かった。

       

      「まぁ、そいつはちゃんと病院に戻しておくから安心しろ」

       

      局地的に発生した暴風圏の中で、雑賀はバランスを保つだけでも精一杯だった。

      そして、いつの間にか、体が空中に浮いている事に気付いた時には、もう遅かった。

      最後の最後に、フレースヴェルグは翼を振り被ると、最後まで抵抗の意志を途絶えなかった狼に向けて、事後確認のように言葉を残す。

       

      「俺の名はフレースヴェルグ。頭ん中に宿ってるデジモンの名前は『オニスモン』。お前がいつか強者として喰らいついてくる時を、高い所で待っているぜ?」

       

      直後に。

      どうしようも無い風の暴力が、牙絡雑賀の体を紙切れのように吹き飛ばしていった。

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    • #3797

       知ってはいましたが、前章までとはまるで別作品のようだぜ。あと長い!
       一気に蒼矢戦のラストまで行ってしまうとは。ガルルモン覚醒で区切るのかなと予想していましたが右のスクロールバーがまだ半分近くだったことに戦慄にして驚愕。好夢ちゃん登場して貧煽りされまくってから実際の活動まで一直線にこなし始めるので『子供』を自称していますが、めっちゃ活動的かつ有能に見えるぜ。
       一話に纏められたこともあり、シードラモンVSガルルモンとデジアド三話オマージュのような展開にフフフとニヤニヤしていたら最後に突然オニスモンが現れるインフレぶり。本来であれば「最初の敵」ポジションであっさりバカナーッしそうな立ち位置に思えますがフレースヴェルグは強敵。令和の下卑た男は強いぜ。

       まるで別作品のようだぜとは言いましたが、勇輝≒ギルモンについての話も今回で示唆してもらえたので「ええい人間界はいい! ガンダムデジタルワールドを映せ!」とテレビに詰め寄るテム・レイのような蛮行に及ぶ必要は無いのは嬉しい。そういった意味ではなかなかにスピーディな展開と言えるのかもしれません。後々に第二の〇〇っぽくなる蒼矢もスピード解決してもらえたのでよりその印象が強まっている。
       雑賀とかいう危ういヒーロー。しかし直情的かと思えば頭の中では割と理屈屋というアンバランスさ。何故だ!!

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