-
トピック
-
月が太陽に置き換わり、自然の摂理のままにデジタルワールドの時は朝へと転じる。
夜明けの光がベアモンの家の中を穏やかに照らし、それによってユウキは目を覚ます。
「……朝か」
外の明るさを確認すると気だるそうに体を起こし、両手を上げて背伸びすると共に大きなあくびが出る。
それらはユウキにとって、普段通りの動作で普段通りの日常の始まりを意味するものだった。
ほんの、昨日までは。
「……夢じゃない、か……」
夢ならば、今自分を取り囲んでいる状況にも納得する事が出来ただろう。
だが、これは夢ではなく現実。
ふと自分の後ろを見れば、自分に寝床を与えてくれたデジモンである、青み掛かった黒色の熊のような外見をした獣型デジモンのベアモンが、平和そうに鼻先からちょうちんを出しながら眠っているのが見える。
思わず、深いため息が出た。
(至近距離に怪しい奴が居るってのに、バカっぽい奴だな……)
ユウキはそう内心で呟くが、そんな事は幸せそうに笑顔まで浮かべて寝ているベアモンには関係無い。
ふと、自分とベアモン以外この場に居ない事を思い出すと、ユウキは自分の体をじっくりと確認する。
指はニンゲンのように肌色の五本指ではなく、三本の白く鋭い爪の生えたもの。不思議な事に、指のように細かく自分の意志で動かせる。
試しに握り拳を作ろうと意識してやってみると、まるで百円で遊べるUFOキャッチャーのアームに少し似た形になった。
殴打に使えるかどうかは実際にやってみなければ分からないが。
足は前に三本、後ろに一本の爪が生えていて、尻尾に関してはまだ慣れていないが多少は動かす事が出来るようだ。
(……とりあえずは、何とかなるもんだな)
人間としての記憶による補助もあって、身体の動かし方は本能的に分かった。
問題点があるとするなら、まだデジモンとしての『攻撃手段』が格闘ぐらいしか使えない事だ。
(にしても、何でこうなったんだ? 昨日は色々ありすぎて考える余裕が無かったけど……)
自分が何故デジモンと言う、人間からすれば架空上の存在に成ったのか。
それに関しては現状だと調べようが無く、持っている知識から作り出される想像ぐらいしか手がかりと呼べそうなものは無かった。
もしユウキの記憶にある『アニメ』と同じ理屈ならば、この世界に来た理由は『選ばれたから』で説明はつくだろう。
だがその『アニメ』の中には必ず、ある『アイテム』が存在していた。
(……デジヴァイス)
架空の設定上では、デジタルワールドに選ばれし者の証。
闇を浄化する、聖なる力を秘める――という『設定』の情報端末。
それが今自分の手元に無い以上、自分が『選ばれて』来たわけで無い事は明確だった。
(そもそも、俺は公園であの青コートの奴に気絶させられたんだったよな。それが何で、異世界に転移なんて結果を招いてるんだ?)
分からない、未知の部分が多すぎる。
手がかりになりそうなのは、やはり最後に出会った人物ぐらいだが、青いコートを着ていたという事と肌が恐ろしいほどに冷たかった事ぐらいしか覚えていない。
(……訳が分かんない)
自分は何故ここに居るのだろうか。
この世界で何をすればいいのだろうか。
両方の前足で頭を抑えながら自問自答するが、やはり納得のいく答えは得られない。
「……クソッたれが」
ユウキはベアモンを起こさないように静かに、それでもキリキリと奥歯を噛み締めながら、苛立ちに満ちた声で呟く。
その言葉に、自己満足以外の意味は含まれていない。
続けて呟いた言葉が、彼の現状を物語っていた。
「やれる事が無い……」
一方、エレキモンは赤色と青色が混ざった体毛を早朝の風に靡かせ、朝の眠気を残した呆け顔をしたまま、ベアモンの家に向かって哺乳類型デジモンの特徴とも呼べる四足を進めていた。
「ふぁ~、ねみ~……」
まだ起きたばかりだからか、やはりまだ眠いようだ。
(……ったく、昨日面倒そうな奴を拾っちまったせいで面倒な事になったなぁ。村に来る事を提案したのは俺だけどよ……)
内心で自分の行いに後悔しつつも、四足を止める事無く考える。
(確か、アイツの種族名はギルモンっつ~言ってたな……んで、個体名はコーエンユウキねぇ……)
種族としての名前だけでなく、個体としての名前も持っていて。
自身の事をニンゲンと言い、何処かデジモンとしての違和感を感じる怪しいデジモン。
村に来るように提案したのは単に助けるためだけでは無く、その危険性を実際に確かめるため。
(個体名を持つって事は、どっかの組織に所属してたって事なのかね……)
デジタルワールドにおいて、個体名――言うところの『コードネーム』とは、組織や友達など信頼関係を持つ相手との間で一個体としての自身の存在を示す物である。
自分自身の種族としての名前は、デジモンならば誰もが生まれた時から知っている。
だが自分の姿を見て、それを信じられないような反応を見せる相手を見たのは、エレキモンにとって初めての光景でもあった。
(……アイツ、マジでニンゲンなのか……?)
先日ベアモンの言っていた通りならば、彼は本来デジモンではなく人間だったと言う事にもなる。
だがエレキモンの知る限り、人間がデジモンに成るなどと言う話は、伝説や神話などの御伽噺が書かれた文書でも見た事が無い。
(デジモンに『進化』する話が載った文書なら知ってるが、デジモンに『変わる』なんて出来事は文書ですら出て無いぞ……?)
進化と変化。
頭の文字以外は一致している似た言葉ではあるが、その意味はまったく異なる物だ。
(ベアモンは割とマジに、アイツの事をニンゲンだと信じちまってるが……判断材料が少なすぎる)
疑問の原因となっている者が悩んでいるのと同じように、デジモンとしての常識を持つ彼も悩みに悩んでいた。
だがその疑問を解決する事が出来るわけも無く、やはり答えは出ない。
(……とにかく、この事は町長にも聞いてみるか)
内心でそう呟きながら、エレキモンは四足をベアモンの家に進めるのだった。
ユウキはベアモンが起きるまでの間、ベアモンの家の中にある物を興味本位で見てまわる事で暇を潰していた。
結局の所、一匹で考えていても何も解決しない事を悟ったのだろう。
(場所が場所なだけあって、自然の物から作られた物しか無いな……)
周りにあるのは木で作られた物ばかりで、家の中というのにまるで外に居るような錯覚すら覚える。
扉が無いのは単に素材不足なのか、それとも別の意図があるのか、はたまた面倒くさいだけなのか、元は人間だったユウキには分からない。
そしてその家に住んでいるベアモンの心境も、全く理解する事が出来ない。
「……ハァ」
思わずユウキは、この世界に来てから何回目になっただろうか覚える気も無いため息を吐いていた。
そんな時、まるで救いの手を差し伸べるようなタイミングで家の入り口から一匹のデジモンが顔を見せる。
それはエレキモンだった。
「う~っす、どっかのバカと違ってお前は早起きだな」
「心配事とか色々多すぎて、安眠出来なかったんだよ。正直あと一時間は寝ていたい気分だ」
「ふ~ん……ま、そういう気分になってるところ悪いけど、ちょいと俺と一緒に来てほしいんだが」
「……何でだ?」
エレキモンの発言に対して、ユウキは率直な疑問を投げかける。
「お前がいつまで住むつもりなのかは知らないが、町に住む以上は町の長に顔を見せとかないとダメだろ」
「……要するに、顔合わせか」
デジタルワールドでの足がかりとなる物が現状では無いため、しばらくはこの町にお世話になる。
だが勝手に住まう事は流石に拙いのだろう。ユウキは面倒くさそうに思いながらも納得し、エレキモンの言う町の長の家へと向かう事にしたようだ。
「ところで、このベアモンはどうするんだ? まだ寝てるけど」
「あ~そっか、コイツは寝てるんだったな……まぁいいだろ」
「いいのか?」
「いいんだ。コイツを起こすだけでも時間が掛かるし」
いまだに眠りの世界でお花畑な夢でも見ているのだろうベアモンをよそに、ユウキはエレキモンと共に家の入り口と出口を兼ねた穴から外に出て行く。
「で、町の長の家ってのは何処に?」
「いちいち教えるよりは実際に行って見た方が早いと思うぜ。何より、滅茶苦茶分かりやすい目印があるからな」
「?」
ベアモンの家から出て、早数分後。
二匹は発芽の町で最も大きな木造の家の前に来ていた。
誰でもここが町長の家だという事が解るようにするためなのか、入り口の左側には大きく『ちょうちょうのいえ』と書かれた看板が設置されている。
ひらがな表記なのは、まだ子供のデジモンにも解るようにするためなのか、それともこの町の町長の知能レベルがそういうレベルからなのか、ユウキには分からない。
と言うか元は人間だったのだから、デジモン達の常識にツッこみを入れるだけ無駄だろう。
内心で不安になりながら、エレキモンと共に町長の家らしき建物の中へ入り口から入る。
中はベアモンの家と比較するとかなり広く、机や本棚といった人間界にも存在する木造の生活用品が揃いに揃っている、住む事に不足している要素が見当たらない家のようだ。
二匹の視線の先には、大きな樹木に腕を生やし顔を付け足したような姿のデジモンが居た。
「町長」
エレキモンは早速、数歩前に出てそのデジモンに声を掛けた。
この発芽の町の町長と思われるデジモンはその声に反応すると、その手に持った木の杖を使って器用に体の向きを二匹の方へと向ける。
後ろ姿だけでは分からなかったが、黄色い瞳の目を持った不気味な人面がそのデジモンには存在していた。
「……っ」
ユウキにはそのデジモンの姿に覚えがあった。
(……ジュレイモン!?)
町の長と言うだけあって強いデジモンである事はユウキにも予想出来ていたが、実際そうだったらしい。
彼はベアモンやエレキモンといった『成長期』のデジモンより二段も上の位に位置する『完全体』のデジモンだ。
その姿をユウキは『アニメ』ぐらいでしか見た事は無いが、実際に目にしてみると存在感が明らかに違っていた。
体の大きさもあるが何より、自分とは生きた時間のケタが違う事を、目にしただけで理解出来るほどの風格を放っていたからである。
もっとも、外見からして老人くさいのだから当然なのかもしれないが。
ユウキは思わず息を呑むが、ジュレイモンはエレキモンの姿を見ると共に老人のような口を開いた。
「お主は……あぁ、ガレキモンじゃな」
「エレキモンです。ホントに居そうなのでその間違いはやめてください」
「……おぉ、そうじゃったな」
外見通りにお年なそのジュレイモンが言い放った天然染みた発言に対して、エレキモンは電撃の如き早さで指摘を入れる。
遅れて間違いに気付いたジュレイモンだったが、エレキモンは流れでコント染みた会話になってしまう前に自分の方から口を開く。
「今回はちょいと野暮用で来たんです。主に、俺の隣に居るコイツの事で」
「……む?」
エレキモンはそう言うと共に振り向き、自分の斜め後ろで緊張した目をしていたユウキを前足で指差す。
植物型デジモンは疑問の声を上げつつ、視線をエレキモンからギルモンのユウキへと向けた。
「そこのギルモンの事かの?」
「はい。個体名があるらしくて、コーエン・ユウキって言うらしいです」
「ふむ……それで?」
「ちょいと事情があって、コイツをベアモンの家で住まわせてほしいんです」
「……何故じゃ?」
スラスラと並べられたエレキモンの言葉に、植物型デジモンは町長として当たり前の疑問を返す。
「コイツは昨日、俺達が海で釣りをしてた時に、溺死しかけの状態で偶然見つけたデジモンなんです。何とか救助したんですが、コイツは行く宛も帰る宛も無いらしく……一応怪しい奴では無いんで、ひとまずこの町で住まわせてやりたいんです」
「ふむ……それで、何故ベアモンの家を指定したのじゃ?」
「コイツを助ける事を真っ先に決めたのが、ベアモンだからですよ。アイツ自身もコイツを自分の家に迎え入れる事に異論は無いはずですし……」
エレキモンの証言を聞いたジュレイモンは、一度目を閉じて思考をするような仕草を見せると、返答が決まったように目を開き言葉を発する。
「……深くは聞かないでおこうかの。良かろう、そのギルモンがこの町で暮らす事を許可する」
「あざっす」
「……ふぅ」
ひとまず住む場所が確保出来たユウキは、安心したように胸を撫で下ろし、緊張感を吐き出すように深くため息を吐いた。
尤も、まだ問題は山積みなのだが。
「……町長さん」
「……む? 何じゃ?」
それ故に、ユウキは勇気を出してジュレイモンに声を掛ける。
少しでも手がかりを得るために。
「『人間』について何かご存知無いですか?」
一方、ユウキとエレキモンが町長と話をつけていた頃、新たに一匹を迎え入れる事となる予定の家の持ち主はと言うと。
「いない……?」
自分と一緒に眠っていたはずのデジモンが、家の中から消えている事に対して疑問形で呟いていた。
眠そうにたれ下がった目蓋のまま、理由を予想するために思考を働かせる。
(……もしかして、エレキモンが連れていったのかな。僕も起こしてくれたら付いて行ったのに)
眠っている間に物事は進んでいた事に気付いたベアモンは、不服そうにほっぺたを膨らませながら内心で呟く。
当の本人達が町長の家に向かった事をベアモンは野性の勘で予想出来ていたのだが、だからといって自分が今向かった所で後の祭りだろう。
ならば今の自分に出来る事とは何か。
それを考えようとしていた、その時だった。
「……おなかすいた……」
まるで思考を断ち切るように、ベアモンの腹から空腹を意味する効果音が鳴る。
それと共にベアモンの視線は、昨日帰ってから部屋の隅に置いて放置していたバケツの方へと向けられる。
「…………」
食欲のままにバケツの中を覗き込むと、眠そうにたれ下がっていた目蓋が一気に開かれた。
思わず無言になったベアモンは、右手を自身の額に押し付けてから一言。
「……お~……」
釣っておいた魚が昨日の帰り道で、自分の分だけではなく赤色の大飯喰らいの分まで消費したおかげで、もうバケツの中から先日釣った魚の八割が消費されてしまっていたのだ。
また海に向かい、釣りをすれば魚を手に入れる事は然程難しい事では無い。
だが、その海岸は発芽の町から一時間近くの時間を必要とする距離があり、現在ハングリーなお腹をしているベアモンには、そこまで向かおうと思える気力は存在していなかった。
ベアモンはひとまず、バケツの中に僅かに残っていた雑魚を一匹、また一匹つまみ取り、少しでも空になった腹を満たす事に専念する。
しかし、雑魚ではたった数匹食べた所で腹八分目にすら届くはずもなく、バケツの中に残っていた魚を全部食べたベアモンは自分のお腹に左手のひらを当てていた。
「……う~ん」
困ったように声を出しながら、この事態をどうやって解決するかを考える。
また空腹の脱力感が襲ってくる前に。
「……よし、昨日は海に行ったんだし、今日はそうしよう」
やがて、ベアモンは方針を決めたように頷くと右手の爪を一本だけ地面に突き立て、何かを画くようになぞり始めた。
気分をラクにするためにか、鼻歌まで漏らしながら。
やがて土をなぞり終えると、ベアモンは普段通りにベルトを両腕と肩に巻き、五文字のアルファベットが書かれた愛用の帽子を後ろ向きに被り、一度体慣らしをした後に家を出た。
「……美味しいのがあればいいな~」
願望を呟きながら、腹ペコ子熊は食料を確保するために町の外へと出るのだった。
「人間について、じゃと?」
「はい。何かご存知無いでしょうか?」
ジュレイモンはユウキの問いに対して、当然の反応を見せていた。
しかし、何か事情があるのだろうと察したジュレイモンは、特に考える事もなく即座に言葉を返す。
「存じているも何も、それはおとぎ話で活躍する伝説の勇者の種族の事じゃろう? それがどうしたのじゃ?」
ジュレイモンの返答を聞いたユウキは、特に素振りを見せずに内心で思考を練ると、自分の最も聞きたかった質問をぶつける。
「……それじゃあ、その人間がデジモンに成った話とか、記録とかは無いんですか?」
またもや意外な問いが来た事に大して、素直に疑問ばかりが脳裏に浮かぶジュレイモンだったが、返す言葉を選ぶとそれを淡々と告げ始める。
「……ふむ、面白い事を言うのう。じゃがワシは長生きした中でも、人間がデジモンに成ったという記録が記された書物を見た事も無ければ実際にそういう事があったと言う話も聞いた事が無い。『進化』した話ともなれば話は変わるがの。仮にそのような事が出来る存在がおるとしても、それは神様ぐらいじゃろう」
「神様……?」
「そもそも、人間と言う生物自体が多くの謎に包まれておるのだから、ワシには理解しかねるのじゃよ。実際に会えるのならば、生きている内に一目見てみたいものじゃな」
「……そうですか」
「ワシから言える事はこれだけじゃ。ワシの家には色々なおとぎ話の書物が置いてあるから、気が向いたら読んでみるとよいじゃろう」
そこまで言った所で、ユウキとジュレイモンの会話は終わった。
エレキモンも家に来た時には町長であるジュレイモンに質問をしようと思っていたが、先に問いを出したユウキが自分の聞く予定だった事を大体聞いてしまっため、わざわざ自分も話題を出そうとは思えなかった。
兎も角、この家に来た当初の目的は全て終えたため、二匹はもうこの家に居る必要も無い。
「それじゃあ町長、今回はありがとうございました」
「うむ。また何時でも来るといい」
エレキモンは一度ジュレイモンに声を掛けた後に、ユウキは礼儀正しくおじぎをした後に、町長の家から外へと出た。
望みどおりの回答も得られず、自分が人間からデジモンに成ってしまった原因を知る手がかりは大して掴めなかったが、ユウキの表情はそこまで暗くなってはいなかった。
早々に手がかりが掴める事など無いと、薄々気付いていたからだ。
(……まぁ、生きている限り何か手がかりは掴めるだろ……生きている限りは)
内心でそう呟いたユウキだが、やはり多少は残念なようで深いため息を吐く。
そんなユウキに、同行者であるエレキモンは声を掛ける。
「なぁ、とりあえずベアモンの家に戻らないか? そろそろアイツも起きてるだろうし」
「……だな。用も済んだし、戻ろう」
そう返事を返し、ユウキはエレキモンと共にベアモンの家へと戻っていった。
そして、それから約五分が経ち。
「……なんだこりゃ」
ベアモンの家に戻ったユウキとエレキモンが目撃したのは、土の床に画かれた複数の記号だった。
細長い四角の上に大きめの三角を乗せただけの物が複数書かれた、その単純な印の意味は、元人間のユウキにすら理解出来るほどに簡単で、何より自分の向かった先の事を示しているのならば、それ以外に思いつく場所は存在しなかった。
「「……森?」」
此処は、発芽の町から十分ほどで到着する小さな森の中。
前後左右に茶色の木々が多く並び、風が吹くと心地よい音が耳にささやき、緑色の落ち葉が低空を舞う。
ベアモンは一匹、視界に映る緑色のグラフィックを楽しみ、鼻歌を交えながら歩を進めていた。
獣型のデジモンである自分に最も適した環境に居るからか、とてもご機嫌な様子だ。
「ん~……やっぱり森の中はいいなぁ。気分が落ち着くし、果実は美味しいし」
彼の掌の上には、森の中で拾ったのであろう赤色に熟された林檎が、一部欠けた状態で存在していた。
視界を左右に泳がせて、食料となる果実を探しながら、彼は林檎を一口かじる。
瞬間、林檎特有の甘酸っぱさが舌を通して味覚へ伝わり、それによる発生する満足感に表情を柔らかくしながらも「むしゃむしゃ」と食べ進める。
(早起きしてたらよかったなぁ。そしたら、ユウキやエレキモンも一緒に来れたかもしれないのに)
つくづく自分の睡眠時間の長さに心の中でため息を吐くベアモンだが、睡眠という生理現象に対する解決策など、あるとすれば早寝早起きか、この世界には存在するかも分からない目覚まし時計というアイテムを使うぐらいしか存在しないだろう。
寝なければいいじゃん、などという回答は当然ながらノーサンキューである。
そのような事をしてみれば、きっと今は純粋な青少年の心を持っているベアモンが、昼型から夜型に変わってグレてしまうかもしれない。
もしくは「寝ない子だぁれだ」と何処からか不気味な声が聞こえて、そのまま幽霊の世界に招待されてしまうかもしれない。
前者はともかくして後者はとても考えられないが、何しろ物理法則も常識もひったくれも無いのがこの世界なのだから、もしかするともしかするのかもしれない。
まぁ、それはどうでもいい事なのだが。
ベアモンは自分の手に持つ林檎を芯ごと噛み砕いて飲み込み終えると、ふぅ、と一息を入れる。
(そういやあの二人、もう僕の家に残しといた『アレ』を見てくれたのかな?)
心の中でひっそりとベアモンは呟くが、彼自身は既に町長との会話を終えたユウキとエレキモンが、家の中に残された暗号を目撃している事を知らなかったりする。
(まぁ、ユウキっていうギルモンにはエレキモンが一緒に居るんだろうし、危険な所には行ってないでしょ)
自分で出した問いに、自分なりのプラス思考で答えを出して解決させると、ベアモンは一度周囲を見渡し始めた。
周りには樹木が並んでいるが、その殆どには食料となる果実が成っていない。
空は普段通りに蒼く果てしなくて、白い綿のような雲が気ままなほどにゆったり流れている。
平和だなぁ、とベアモンは内心で呟いていた。
きっと自分が今まで見てきた青色の先には未知の景色が存在しているんだろうなぁ、と夢を描きながら。
(……そういえば、ニンゲンの世界ってどんな世界なんだろうなぁ……)
ベアモンは思う。
先日出会ったギルモンが本当に人間だったのなら、デジタルワールドとは別の、人間が住んでいる世界は実在するのだろうと。
想像のままに風景や状況を妄想するだけでも、彼の好奇心は強く刺激される。
(帰ったら、あのユウキって子に色々聞いてみよっと)
彼はゴム風船のように想像を膨らませながら、緑と茶の色が広がる森の中を進んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
ベアモンが食料調達をしているその一方で、帰宅後に質問ラッシュと言う名のイベントが待ち受けている事を一切知らない、赤色の大飯喰らいトカゲのユウキはと言えば。
「ベアモンの奴……昨日、森が最近物騒だって言った矢先に森に向かうなんてな……」
「対面して一日の俺が言うのもなんだけどさ、アイツって頭が悪いタイプなのか?」
ベアモンの家で目撃した暗号と、エレキモンの思い当たりを宛にして森へと向かっていた。
少しでもデジタルワールドでの知識を確保しておくために、自分とは違って生まれつきデジモンであるエレキモンと会話をこなしながら。
実際のところ、家の持ち主が居ないとユウキがベアモンの家に住む事になった話とか、食べる物が無い自分はどうすればいいだとか、他にも色々と話さなくてはならない事がそれなりに多いため、仕方なくベアモンを捜索しにエレキモンと共に村の外へ出たというわけだ。
ちなみに現状の話題は聞いての通り、これから同じ家で寝る事になるベアモンについての話題だったりする。
「いや、頭が悪いっつーか……どうだろうなぁ。アイツの考えてる事は俺にも理解出来ない時があるし」
「まぁ確かに、初対面の相手を即自宅に受け入れるなんて思考は理解出来ないな」
ユウキのベアモンに対する第一印象は、それほど良いものとは呼べなかった。
まぁ、初対面でいきなり躊躇する事も無く自宅に連れ込んだ上で、無防備に不審者を至近距離に寄せて寝るなどという人間からすれば非常識としか思えない行動を取られれば、そう思うのも仕方ないのだが。
「だろ? まったく苦労させられるよ……って、今回の場合は原因の一端にお前も居るんだが」
「そんぐらい自覚できてる。でもさ、それならお前の家に住まわせてくれれば良かったんじゃ?」
「あのな、俺はアイツほどお前の事を信用してねぇんだ。信用出来ない奴を、自宅に入れたりしたくない」
「ふ~ん、まぁ予想出来てたけど」
「予想出来てたんなら、わざわざ聞くなや……」
そんな会話を交わしていたが、そのうち話題の内容に飽きを感じてきたのか、二人とも無言になる。
あまり良いものを感じられない空気が流れる中、別の話題を出そうと先に口を開いたのはエレキモンの方だった。
「あのさぁ、お前は結局の所……これからどうすんの?」
「どうするって言われても、何の事を聞かれてるんだそれは」
「これからの事だ。俺の予想だけど、お前は多分……自分がデジモンに成った手がかりとかを探すつもりなんだろ?」
エレキモンの問いにユウキは「当然だ」と即答する。
その返事を聞いたエレキモンも「やっぱりか」と言うと、そのまま言葉を紡ぐ。
「でも、俺が言うのもなんだが……町長でも解決出来なかったんだし、少なくともあの町の中では手がかりを掴む事は出来ない」
「……だろうなぁ。でも、だからって他に行く宛も無いし……独り旅をするのは流石に無謀だし」
まだろくに戦う術も持たないのに、一匹でこの世界を渡り歩いていたら命がいくつあっても足りないだろう。
強くなれば話は別だが、生憎一日前まで平和な世界で過ごしてきたユウキに戦闘経験などあるわけも無いので、トレーニングやら何やらで体を鍛える以外に出来る事は少ない。
更に言えば、そんな事を毎日繰り返しているだけだと、一匹で最低限の安全を確保しながら旅するには何日かかるか分かったものでは無い。
「まぁ、そうだろうな……俺が言うのも何だが、無謀な独り旅は死に急ぐのとそう変わり無いと思うぞ」
何より……仮にこの広大な世界を旅をしたとして、手がかりを掴むまで何ヶ月かかるのだろう。
独りで手がかりを掴める確率など、アニメや漫画でライオン顔のイケメンキャラが生き残る確立に等しいのだから、わざわざバッドエンドが予想出来る未来を選択しようとは思えない。
だが、それなら何をどうすればいいのだろうか。
今のユウキには、現状の打開策を思いつく事が出来ない。
そんなユウキに、エレキモンの言葉は希望とすら思えた。
「だけど、手が無いわけじゃない」
「……何?」
「これはアイツと一緒の方が話しやすいから、今は言わないが……少なくとも、独りで旅するよりは数倍マシな手段だと思う」
「………………」
それから数刻が経ち、現在進行形で森の中を食料調達という目的のために進んでいるはずのベアモンはと言うと。
「……あれは、もしかして?」
またもや道端で拾ったのであろう緑色のキノコをもぐもぐと食しながら、およそ数十メートル先に見える樹木を見て静かに声を漏らしていた。
ベアモンはキノコを一気に口へと放り込みながら、いち早く確認するために進行速度を歩きから走りへと変える。
(やっぱり……これはデジブドウの木だ)
その木の枝の先には、紫色の小さな実が一つの房に大量に集まっている果物が多く見られ、それの味を知るベアモンにとっては素直に喜べる出来事だったりするようだ。
ベアモンはどうやって、木の枝に成っている果物を採ろうと考える。
木を登って採るというのも一つの手だが、彼は木登りがそんなに得意ではない。
そんでもって下手をした結果、頭から落ちて痛い目を見るのも嫌なので。
「……よぉし、一発強いのをブチかますかな!!」
そう言ってベアモンは一度深呼吸した後に自身の右手に握り拳を作り、そのまま腰を深く落とす。
そして、木を貫くイメージを頭に浮かべながら、拳を前へと突き出した。
「子熊……正拳突きぃ!!」
ドスッ!! と鈍い音が周辺に響き、正拳突きの威力で樹木が揺れる。
それによって木に成っている果物の一部が根元近くに落ち、ベアモンはそれを一本回収……しようとした時だった。
「キィィィ!?」
「ん?」
ベアモンの近くに、果物とは違う何かが悲鳴と共に落ちてきた。
それは全身に稲妻の模様が刻まれた、幼虫のようなデジモンだった。
どうやら枝の上に居たらしく、果実を取ろうとしたベアモンの行動のとばっちりを受けたようだ。
「………………」
昆虫型デジモンの視線が、ベアモンを視界に捉えた。
よく見ると、顔の部分にある稲妻の模様の形が少しずつ変化している。
「え、え~っと……」
明らかにマズイ事をしたなぁ、と状況を察したベアモンが考え付いた謝罪の言葉は。
「……キィィィィィィィ!!」
次の瞬間に響いた、昆虫型デジモンの悲鳴とも呼べる奇声によって掻き消されていた。
そして、その奇声に反応したのだろう。
周りの茂みや木から、まるで不法侵入者を見るような視線を一斉に感じる。
「……マジで?」
周りの木から多くの視線を感じたベアモンは、自分自身に起きている危機的状況に冷や汗を流していた。
「ところでさ、ちょっと聞きたかったんだけど」
「何だ」
「お前、戦闘は出来るのか?」
エレキモンがユウキにそんな問いを飛ばしたのは、森に入って数分ほどの時が経過した頃だった。
突然の問いの内容に対して、少し考えてからユウキは返事を返す。
「殴る蹴るぐらいの事しか出来ない。マトモに戦ったことも無いし、あまり戦力にはならないと思う」
嘘は吐いていない。
ユウキ自身もギルモンという種族の持つ技を知っているため、戦闘における攻撃手段は理解している。
だが、格闘ゲームを取扱説明書を見ずにプレイするのと同じように、技の『出し方』が分からないため、自分の意志で技を繰り出す事は出来ない。
そして、彼自身が覚えている限り、実際の生物同士の戦いなど一切経験が無い。
それ故にあまり期待されても困るので、ユウキは自分が『弱い』事を強調して返答した。
「そうか、最低でも格闘戦は出来るって事だな」
「何でいきなりそんな事を聞いたんだ? 大体の理由は察するけど、何か訳があるなら教えてくれないか」
意味深な事を呟くエレキモンに、今度はユウキの方から問いを飛ばす。
返事は、意外と直ぐに帰ってきた。
「いや、野性のデジモンに襲われた時とか、わざわざ俺が護ってやる必要があるのかと思ってな。格闘戦が出来るんなら、自衛ぐらいは出来るんだろ?」
「……まぁ、多少は」
「それならいい。自分の身ぐらいは最低限自分で守ってくれよ? オレは知り合いのために命張れるほど、お人よしじゃねぇんだから」
エレキモンはそう言って話を閉めようとしたが、疑問に思う事があったのか、ユウキは自分から別の問いと飛ばす。
「……そういや、大丈夫なのか?」
「何がだ」
「この森の事は知らんけど、野性のデジモンが生息しているんだよな? もし仮にあのベアモンが、一度に多数のデジモンに出くわしたら、そんでもって戦いに発展したら、アイツは大丈夫なのか?」
実際、現在進行形でそういう事態になっていたりするのだが、質問したユウキ自身も質問されたエレキモンにもそれは分かっていない。
実際にあり得る事態とも思ったのか、その問いに対してエレキモンは、う~んと声を漏らす。
「……まぁ、大丈夫だろ……多分な」
で、そんな二匹に不安を抱かせている主な要因であるベアモンはと言えば。
(う~ん、どうするかな。なんか僕の事を明らかに『敵』と認識しているみたいだし、話し合いとかでどうにかできる状況じゃあないよね……)
意外にも、すごぶる余裕を持っていたりする。
自分に敵意を向けて鳴き声を上げている幼虫型のデジモン――クネモン達に対して罪悪感を感じ、攻撃を躊躇う程度には。
無論、そんな心情をまったく知らないクネモン達は、容赦無く『味方ではない』ベアモンに対して攻撃の態勢をとっており、一匹が自身のクチバシから幼虫らしく糸を吐き出そうとする。
――エレクトリックスレッド!!
だが、その放たれた糸は帯電しており、糸というよりは一種の電線に近かった。
ベアモンは素早く横に動く事でそれを避けるが、今度は別のクネモンが木の上から避けた方向へと糸を放つ。
「くっ!!」
咄嗟に地面を転がってそれをかわすが、逃がさないと言わんばかりに別のクネモンが時間差攻撃で糸を放つ。
そのサイクルが連続して行われ、何とか避けているベアモンだったが、最早戦闘行為は避けられない状況に追い込まれていた。
放たれた糸は地面にしつこく電気と共に残っており、足場を少しずつ狭めている。
クネモンという種族が必殺技として吐き出す糸が帯びている電気には、成長期レベルのデジモンなら確実に気絶させる電力が備わっている。
普段から日常生活の中でエレキモンの電撃を浴びているベアモンだが、触れてしまえば意識を刈り取られてしまう可能性のほうが高い。
(このままだとマズイなぁ……戦うのは嫌いだけど、甘い事を言えるラインは既に過ぎちゃってるし……やっぱり、戦闘力を奪う以外に安全策は無いか。逃げる事はこの状況だと厳しいし)
ベアモンは糸を避けながら目を泳がせ、自分自身に敵意を向けているクネモンの数と位置を見直しだす。
(木の上には三匹、地上には四匹かぁ……)
視界に映る合計七匹のクネモンが、時間差攻撃で自分に襲い掛かっている。
それを知ったベアモンは、最早背中を見せて逃げる事は難しい事を察する。
(……仕方が無い)
徐々にその目は闘志を示し始め、握る拳にも力が入り始める。
視線で最初の標的を定め、短時間で戦闘を終わらせるために頭の中で戦術を練る。
そして、ある程度の未来設計を整えると、ベアモンは右足に力を入れ、一気に前方へと駆け出す。
「子熊正拳突き!!」
視界に入っている帯電した糸を掻い潜って回避すると、ベアモンは上にクネモンが乗っている木の一本に向かって拳の一撃を放つ。
「キィィィ!!」
デジブドウを採った時以上の揺れが発生し、木の上にムカデのようにしがみ付いていたクネモンの一匹が、悲鳴を上げながら落ちてくる。
ベアモンはその落ちてきたクネモンの頭部に向かって「ごめんね」と呟きながら拳骨を決めると、目と思われる部位のすぐ上にある触角らしき部位を両手で掴む。
「……悪いけど、相手の力量も理解せずに、本能のまま襲い掛かった君達にも非はあるからね?」
頭の上でヒヨコがぐるぐる回っている状態のクネモンを、ベアモンは鈍器でも扱うかのように軽々しく振り回しながら、今度は地上で今起きている状況に戸惑っているクネモン達に向かって突撃を開始する。
クネモン達もそれに気付いて反撃しようとするが、直撃コースの糸のほとんどはベアモンが鈍器代わりに使っているクネモンの方へと絡まっていく。
彼等自身はその電気を帯びた糸の上を進行出来るように、体に電気に対する耐性を持っているが、この場合は彼等自身にとって利点にはなっていない。
電気を帯びた糸がベアモンの方に届く前に、自分達の同族が盾のように使われているせいで全く電気が効いていないのだから。
振り回されている幼虫の稲妻模様が涙を表すようなカタチへと変化しているのは、きっと気のせいだろう。
「ほいさぁっ!!」
「ギィッ!?」
両手でとにかく振り回し、ベアモンは地上にいるクネモン達をボカスカと無双感覚で蹴散らす。
「ちょいさぁっ!!」
「ギィィィ!!」
そこから更に、ベアモンは両手に思いっきり力を入れると、木の上から攻撃しているクネモンの一体に向かって鈍器代わりにしていたクネモンを投げた。
見事に縦回転を描きながら激突し、二匹のクネモンは茂みの中へと落ちる。
ベアモンは地上でのびている別のクネモンを、再び鈍器代わりに掴むと、次の狙いを絞り始める。
まさに、クネモン達にとっては地獄絵図だった。
少し前まで自分達の方が優勢だったのに、いつのまにか狩る側と狩られる側が逆転していたのだから当然なのだが。
ベアモンにクネモン達の心境は詳しく分かっていないが、少なくとも自分に恐怖している事だけは理解出来た。
故に、確かな威圧感を含んだ声と視線でもって、ベアモンはクネモンに告げる。
「……まだやるなら、君等もこの子みたいにやってあげるけど、どうする?」
既に戦闘可能なクネモンの数は最初の半分以下にまで減っており、残りは三匹。
そして、ベアモンの手にはまた別のクネモンが鈍器として触角を掴まれている。
「キ、キィィ……」
思わず、数少ない地上に残っていたクネモンが後ろにたじろぐ。
流石に、逃げようとする相手に追い討ちを仕掛けるほどベアモンも鬼にはなれない。
故に、立ち向かってこない限りは自分から手を出さない。
だが、野生の世界はそう甘くない。
『キィィィィィィ!!』
「!?」
追い詰められたクネモン達は突如、遠吠えのように奇声を発し始めたのだ。
突然の高音量に思わず、ベアモンは耳を両手で塞ぎ目を細める。
だが、クネモン達は奇声を発した後、ベアモンに背を向けて一目散に逃げていった。
「? 逃げた……?」
ただの威嚇行動だったのか、それとも何か別の意図があったのか。
ベアモンは疑問を覚えたが、ひとまず戦闘が終わった事に対して安堵のため息を吐いた。
「災難だったなぁ……これだと、デジブドウは諦めた方がいいかも」
結局、味を楽しみにしていた果実を口に出来なかった事に対してベアモンは残念そうに俯くが、すぐさま立ち直ると果実の成っていた木に背を向け、また別の食料を探して歩き始めようとした。
「……ん?」
だが、歩き出そうとしたベアモンの足が突然止まり、ベアモンは背後に振り返って耳を澄ませる。
遥か遠くの林から、ノイズに似た雑音がベアモンの耳に入ったからだ。
音の発生源が視界に入っていないため、ベアモンにはただ疑問を覚える以外に無かったが、やがて音がどんどん大きくなっていくと、ベアモンは額に冷や汗をかき始めた。
「……まさか」
そう呟いた時、既にベアモンは半歩ずつ後ろに下がり始めていた。
(……ヤバイ。こればっかりは本気でマズイ)
「お~い!! ベアモ~ン!!」
「……ん?」
ベアモンは雑音とは別の声がした方へ顔を向けると、そこにはベアモンの事を探しに来ていたと思われるエレキモンとギルモンのユウキが、駆け足で近づいてきているのが見えた。
だが、ベアモンの表情は喜びというより困惑の色を示している。
「……あのさ、この状況で来てくれた事が幸運なのか不幸なのか、よく分からないんだけど」
「おいおい、せっかく探しに来たってのにその言い草かよ。何かあったのか?」
ベアモンの言葉に対して、エレキモンは不満そうに返しながら質問する。
だが、その質問に対して返答するよりも早く。
「……てか、何だ? 向こう側から何か……ッ!?」
ユウキがそう呟くのと、ほぼ同時に林の向こう側からノイズの発生源は姿を現した。
その外見は蜂のようで、背中から四つの目のような模様がついた紫色の禍々しい羽を持ち、黄色と青の硬い外殻に守られ、大きな鉤爪と毒針を持った昆虫型のデジモン。
その名は、フライモン。
ベアモンやエレキモンといった『成長期』のデジモンよりも、一つ上の世代である『成熟期』に位置するデジモンの一体。
「げっ、コイツは……!!」
「フライモン……!!」
「ッ……!!」
このフライモンは、どうやらクネモン達の虫の知らせによって来たようで、明らかに敵意を向けている事がベアモンにも、来たばかりのエレキモンとユウキにも嫌でも分かった。
そして、縄張り意識以外の理由の無い容赦無き攻撃が、引き金を引くかのように速攻で放たれる。
「デッドリースティング!!」
「ッ……!! 避けろ!!」
エレキモンの叫びと共に、唾を吐くようなスピードでフライモンの尻尾の先から毒針が放たれた。
しかし、目の前の脅威に対する恐怖で、ユウキは一瞬だけ行動が遅れてしまう。
そして、その一瞬が命取り。
「!!」
ユウキはハッと我に返り、先の事を考えないまま横に倒れこむ。
毒針はユウキの真横を過ぎていき、その後ろにあった木へと刺さる。
木は毒針が刺さった場所から紫色に変色し始めており、毒針に含まれている毒の危険性を示しているように見える。
仮に反応が更に遅れていたら、ユウキ自身に刺さっていた事は言うまでも無い。
「バカ!! 自分の身は自分で守れっつったろ!? とっとと起き上がれよ!!」
ユウキの動きの鈍さを傍目で見ていたエレキモンは、思わず怒声をあげている。
フライモンの尻尾の毒針は、弾丸を装填するかのようにいつのまにか生え変わっており、それはいつでも毒針を放つ事が出来る事を示していた。
ユウキ自身も、フライモンというデジモンがどのような技を持っていて、どれだけ厄介なデジモンかどうかを知ってはいる。
だが、目の前に突然現れた怪物の存在に、理性よりも先に恐怖心がこみ上げてしまう。
自然と、情けなく手が小さく震える。
動かないといけないという事が分かっているのに、体が言う事を聞かない。
「あ……」
ふと視線をフライモンが居た方に向けた時には、既に毒針が迫ってきており、ユウキは不意に目を閉じていた。
「……?」
だが、その時疑問が生まれた。
痛みが来ないのだ。
理由を調べるために、知る事に対する恐怖心を押さえ込みながら目を開ける。
「……んなっ……!?」
デジタルワールドに来て、早二日目。
突然の遭遇戦の中、ユウキが見たのは。
「ぐぅっ……!!」
目の前で両手を広げ、自分が受けるはずだった毒針を右肩に受け、苦しそうに呻き声を上げるベアモンの姿だった。
(何……で……)
目の前の光景を理解出来なかった。
自分が死のうとしているわけでも無いのに、走馬灯のように背景がスローモーションに見える。
(何故……俺なんかのために……)
まだ出会って一日程度の仲だったはずだ。
まだ仲間ですら無いし、会話もロクに交わしていない相手のはずだ。
(代わりに……そんな目に遭わないといけない……?)
理解出来ず、僅か一分にも満たない時間の間に起きた出来事に呆然とする事しかできない。
体の震えが、更に大きくなる。
動いて、何とかして助けないといけないのに、やはり動けない。
まるで恐怖心や罪悪感が、四肢に鎖を巻き付けているようにすら感じられる。
(動け動け動け動けッ……動いてくれッ……!!)
内心で叫び続けても、状況は変化する事無く進んでいく。
「ぐぅっ……!! ぐああああああっ……!!」
毒針を右肩に受けたベアモンは、震える左手で強引に毒針を引き抜く。
それと共に刺された部位から赤い血が漏れ出し、毛皮の一部を紅く染める。
「くっ……うっ!?」
ベアモンは応戦しようと拳を構えようとしたが、右肩を自分の意志のまま動かす事が出来ず、右足もそれと同じく満足に動かせる状態では無くなっていた。
ベアモンの体が、それによってバランスを崩して背中から倒れる。
フライモンの毒針に付属された神経毒が、ベアモンの体の自由を奪ったからだ。
本来なら全身を動けなくするほどの強力な毒だが、咄嗟のファインプレイで引き抜いたおかげで、毒が全身にまで回る事は無かったようだ。
しかし、針自体が高い殺傷能力を持っている事もあり、毒が無くともベアモンが受けた損傷は決して少なくない。
事実上、利き腕と片足を失ったベアモンは、誰が見ても戦闘不能と言わざるも得なかった。
「……!!」
ユウキは知っている。
当然フライモンというデジモンの、その『設定』について。
故に分かってしまう。
逃げられないと言う残酷な現実が、瞬間的に思考を過ぎり、絶望一色の思考では打開策も思いつかず、余計にそれが恐怖心を煽る。
「う……あぁ……」
フライモンの羽から出るハウリングノイズに鼓膜を叩かれながら、ユウキは気付いた。
次にフライモンは、エレキモンを狙ってくると。
知性の有無は知りようが無いが、損傷が激しく戦闘行為を行えないベアモンよりも、敵意より恐怖心の方が勝っていて、相手からすれば脅威を感じない自分よりも、まだ戦闘行為を行えるであろうエレキモンの方が脅威だと、フライモン自身の本能が優先順位を決定するのだと予想した。
そして、その予想は残酷にも外れなかった。
「ッ……!!」
フライモンの視線が、真っ直ぐにエレキモンを捉える。
その敵意にエレキモンは思わず後ずさりし、二匹とフライモンを交互に見る。
(……クソッたれが、見捨てられるわけねぇだろ!!)
逃げたいと思う恐怖心と、知り合いと友達を見捨てたくないと思う人情の間で少しだけ葛藤したが、やがてエレキモンは自身の尻尾に電気を溜め始める。
無謀にも、応戦するつもりなのだ。
(駄目……だ……)
その応戦の先にある未来が、簡単に想像出来る。
否定の言葉をただ心の中で呟くしか出来ず、悲しさと自分自身の無力さに対する悔しさで涙が流れ出す。
「スパークリングサンダー!!」
エレキモンは尻尾の先に充填した青色の電撃を、フライモンに向けて一気に放出する。
だが、フライモンは背中から生えている四つの羽を使って高速で飛行し、周囲に風と雑音を撒き散らしながらそれを回避する。
「チッ……!!」
簡単に当たってはくれない事ぐらい分かっていたが、時間稼ぎにすら至らない結果に対してエレキモンは小さく舌打ちした。
そして呟いている間にも、フライモンは鳴きながらエレキモンに向かって突撃して来る。
体格差もあって、その突進を避ける事すらエレキモンには困難。
「ギィィィィ!!」
「んの野郎……」
自分に向かって一直線に飛行して来るフライモンに対して、エレキモンが行った行動はとても単純だった。
「ギィィィッ!?」
四つの足で、逆にフライモンの方へ向かって突撃し、目をつぶって頭からぶつかったのだ。
頭突きの一撃はフライモンの頭部へと見事に炸裂し、予想外の出来事にフライモンは怯む。
その間にエレキモンは頭に走る鈍い痛みに耐えながら、四足歩行で近くにあった木を素早く駆け登る。
「だああっ!!」
そして、木の上からエレキモンはフライモンの体に飛び乗り、首元周りに見えるオレンジ色の毛と思われる物に前足でしがみ付く。
羽から出るハウリングノイズで聴覚が使い物にならない状態だが、耳や頭の中に響く不快感を押さえ込み、エレキモンは尻尾に電気を溜め始める。
「ギィィィ!!」
「うおわっ!?」
だが、そう簡単にいくわけも無い。
フライモンは背中に乗ったエレキモンを振り落とすために、激しく暴れ出したのだ。
視界が揺れ、前足が離れそうになるも、エレキモンは電気を更に溜める。
フライモンも抵抗を見せるが、自慢の鉤爪も尻尾の毒針も、首元に届くはずも無い。
そして、どんなに高速で動けても、攻撃が相手に到達するまでの距離がゼロならば、その状態から放たれる攻撃を避ける事は不可能。
エレキモンは溜めた力を放出すると共に、自身の必殺技の名を叫んだ。
「スパークリング……サンダァァァァァ!!」
バリバリバリバリッ!! と激しい火花のような音が、フライモンの悲鳴と共に辺りへと響く。
その光景をただ見ていたユウキは、ただ一言だけ呟いた。
「……すげぇ」
電撃がフライモンを痺れさせ、羽の動きが鈍くなるとフライモンの体は地面に落ちると、エレキモンはしがみ付いていた前足を放し、ユウキとベアモンの方に近寄る。
「おい、何モタモタしてんだ、早く村まで戻るぞ!!」
「……お、おぅ……」
ベアモンの体が、右肩からほんの僅かに紫色に変色し始めているのを見て、このままだと命が危ない事を悟ったエレキモンはユウキに行動を急かさせ、ベアモンの体を持ち上げさせる。
「エ、エレキモン……解毒方法はあるのか?」
「そこは安心しとけ。町に行けば、解毒方法ぐらい簡単に見つかる。だから今は急いで戻る事だけを考えろ!!」
「あ、あぁ!!」
質問を簡潔に答え、二匹はフライモンが痺れて動けない間に町へ一直線に走り出す。
が、そんな二匹の背後から雑音が再び響き出した。
「チッ……時間稼ぎにすらならないってか……!?」
「そんな……倒せないのは解ってたが、こんな短時間で再起するなんて……!?」
いかにも怒った様子のフライモンが、逃げようとしている三匹の獲物に対して敵意むき出しに向かって来たのだ。
その動きは電撃で痺れていたとは思えないほどに、少し前より全く劣化しておらず、むしろ怒りによって更にスピードが上がっているようにすら見える。
ベアモンを背負ったユウキにも、戦闘の影響で疲労しているエレキモンにも、そのスピードを退ける手段も時間は存在しなかった。
怪物が猛スピードで向かって来る中、ユウキは突然ベアモンを背からおろした。
「おまッ……!?」
その行動に対して驚くエレキモンを尻目に、ユウキはいつの間にか両手を広げて壁になるように立ちふさがっていた。
自分が壁になっても、何の時間稼ぎにもならない事はユウキにも理解出来ている。
だが、無意味と解っていてもそれ以外に出来る事が思いつかなかった。
そして、それが正しい行動なのか、間違った行動なのか、ユウキには考える暇も無く。
(ゆう、きぃ……っ……!!)
ベアモンの心の叫びも虚しく、既にフライモンはユウキの目前にまで迫って来ていた。
窮地の中、思考が恐るべき速度で回り、体感的にゆっくりとした時間の中、ユウキはただ悔しさと悲しみに身を焦がれる。
このデジタルワールドに来てから、ベアモンとエレキモンの二匹には助けられた。
食べ物も分けて貰ったし、寝る場所も与えてもらい、住む場所も与えてもらえるようにお願いもしてくれた。
更には、役立たずである自分の命を自分の体を壁にしてでも救ってくれた。
だが、彼自身は何か出来ただろうか。
そして、このまま何も出来ずに死ぬ事を、はたして自分自身の心が許容出来るだろうか。
答えは、言うまでも無かった。
(俺は……俺は!!)
思考の全てが感情を強く激しく揺れ動かし、人間としての心を昂ぶらせる。
その悲しみと悔しさは炎のように荒れ狂い、デジモンの存在の核である電脳核を急速に回転させる。
感情の渦がユウキの体を軸に赤色の繭を形成し、向かって来たフライモンを弾き飛ばす。
「ギィィィ……」
空中で体制を立て直したフライモンは、突然目の前に現れたエネルギーの繭に警戒心を強める。
エレキモンも目の前でおきている出来事に驚く事しか出来ず、その繭をただ見つめる事にか出来ずにいる。
ただ、その繭が何を意味しているかは不思議と解っていた。
(進化……!!)
繭の中でユウキの体が粒子に包まれる。
周りにはデジタルワールドの文字や人間の住む現実世界の英語や片仮名など、様々な情報が取り巻いており、ユウキの脳裏に一瞬だけ翼の生えていない巨大な竜の姿が映る。
電脳核から引き出された情報が洪水のように繭の中を埋め尽くし、身体を構成している情報を次々と書き換えていき、ユウキの思考・肉体・精神を『人間の紅炎勇輝』から別の物へと変えていく。
多くの情報がギルモンと言う名の小さな器を満たしていき、その肉体をどんどん巨大にする。
その過程で体を覆っていた外骨格が剥がれていき、新たな外骨格が貼り付けられる。
それに伴う痛みは無い、と言うより既に感じられていない。
全ては自我も無いまま進行していき、僅か数秒が経った後、自分を取り巻く繭を爆風と共に吹き飛ばしながら、その存在は姿を現した。
「「!?」」
体はギルモンだった頃に比べて巨大になり、爪は更に鋭く強靭な物に、両腕の肘からは鮫の背びれのような形をした刃が生え、頭部からは二本の角と白い髪の毛が生えている。
その名は、グラウモン。
新たに出現した脅威に対して、フライモンは自身の防衛本能のままに敵意を向ける。
「ギィィィィィ!!」
「グウウウゥゥ……」
フライモンは再び辺りにノイズを発生させながら、空中を高速で飛行しだす。
グラウモンはそれを目で追おうともせずに、ただ唸り声を上げながら口の中に炎を溜め始める。
聴覚を叩く音などには一切、気にも留めていない。
そんな事を知っているはずも無いフライモンは既に、森の木よりも高い位置にまで上昇していた。
フライモンはグラウモンの爪や牙を警戒し、格闘が届かない高度にまで上昇した後に、確実にグラウモンを仕留めるために再び尻尾から毒針を放とうとした。
何処かに当たれば、それだけでもフライモンの勝ちは確定する。
だが。
「グゥゥゥゥ……!!」
そこでやっと、グラウモンの視線が毒針を発射直前のフライモンを真っ直ぐに捉えた。
「デッドリースティング!!」
フライモンが毒針を放つよりも少し遅れて、グラウモンはその口を大きく開く。
「――エギゾーストフレイム!!」
瞬間、口の中に溜めていた炎が、レーザービームの如き熱線を形成しながら一直線にフライモンに向かって放たれた。
熱線は放たれた毒針を灰すら残さず消し飛ばし、その射線に入っていたフライモンの羽を掠める。
それだけで、十分だった。
「ギィッ!! ギィィィィィィィィ!?」
フライモンの紫色をした禍々しい羽は、熱線を掠めた事で引火し、その機能を容赦無く奪っていく。
羽から伝わる炎の激痛にフライモンは悲鳴を上げ、消火しようと羽を高速で羽ばたかせようと奮闘するも、グラウモンの居る方とは逆の方向へある程度飛行した後に、羽は無残に焼け落ちる。
飛行中の勢いのまま、フライモンはグラウモンのいる地点から遠く離れた場所に墜落した。
「………………」
エレキモンはその光景を、呆然とした表情で見ていた。
助かったという安心感よりも、目の前にいるグラウモンに対する恐怖心の方が今では高い。
その理由として、グラウモンの目に理性の色があるように見えない事がある。
フライモンという脅威を退けたとしても、万が一、グラウモンがエレキモン達を襲ってしまうような事があれば、間違い無くお陀仏だろう。
「!? んな……」
だが、エレキモンの不安を拭うかのように、グラウモンはその両手でエレキモンとベアモンを背に乗せ、ドスドスと地鳴りの音を鳴らしながら村の方へと進み出す。
まさか理性があるのかとエレキモンは疑問に思ったが、彼が声を掛けてもグラウモンからは何の返事も返ってこなかった。
疑問を覚えながらも、エレキモンは疲れたような目をして一つ呟いた。
「……意味が解んねぇけど、お前を助けたのは少なくとも損じゃなかったな」
小さな森の中を、負傷しているベアモンとエレキモンを背負った深紅の魔竜が、ただ一つの願いを叶えるために疾走するのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
グラウモンが発芽の町への進行を始めてから、早くも数時間の時が過ぎた。
町に戻るまでの距離は、体長がギルモンだった頃に比べて遥かに大きくなり歩幅が広くなったからか、それともドスドスと地面に鳴る音のテンポが速いからか、視界が前へと進む速さも普通に歩く事と比べるとかなり速かった。
ベアモンは出血と毒が残っているが意識を保っており、生きる事をまったく諦めていない。
相変わらずタフな野郎だ、と呟くエレキモンの視界には、自分達の住む町の入り口が見えて来ている。
一方で、グラウモンの口からは言葉としての意味を持たない唸り声しか出ない。
獰猛な獣のように瞳孔が縦になっていて、理性はまったくと言っていいほどに感じられず、少しでも敵意を向けられれば直ぐにでも牙を剥くような殺気染みた雰囲気を纏っている。
そんなデジモンの頭の上、正確に言えば髪の毛にしがみ付いているエレキモンの心情は、そんな雰囲気に当てられていても何処か安心感を得られていた。
コミュニケーションを取れない事は問題だが、このグラウモンが自分とベアモンを襲ってくる事は無い。
そう確信していたと言うより、エレキモンはそう思いたかった。
自分の敵わなかった相手を瞬殺したデジモンが、自分やベアモンを襲ってくる事など考えたくも無いからだ。
そんなエレキモンの疑問は、現状一点に絞られている。
(コイツ、元に戻れんのか?)
本来、デジモンの『進化』とは存在の核である|電脳核《デジコア》から引き出される情報によって発生する、肉体や精神も含めた構成データの書き換えの事を指す。
進化の引き金となる要因は『経験』か『感情』のどちらかである事が多い。
『経験』による進化はデジモンの『成長』そのものであり、一度それを遂げると滅多な事が無い限り、進化後の姿から進化前の姿に戻る事は無い。
進化の要因となる経験は、生活の仕方や住まう環境の違いに戦闘経験など様々だ。
その一方で『感情』による進化は時に戦闘の経験が無くとも誘発されるものだが、その消耗は激しく、進化後の姿を長時間維持する事はそれに見合う経験を積んでいないと難しい。
何故なら『感情』を引き金とした進化は、本来なら戦闘経験などによって成長するという過程を無視して、デジモンのポテンシャルを今以上に発揮させるという手段だからだ。
それ故に『感情』による進化は一時的な物でしか無く、成長とは呼べないイレギュラーな進化である。
エレキモンの知る限りでは、ユウキは会ってから一度も戦闘を経験した事が無い。
そのユウキが初の戦闘で進化を遂げ、今に至るまで進化は解除されていない。
(まさかだけど、コイツ実はかなり戦闘を重ねてたり……してないよな。あんなビビリな奴が戦闘をしてたら、命がいくつあっても足りやしねぇ。何か別の理由があんのか……?)
疑問を解決したくて問い正そうとしても、その問いに対する返事は当然返ってこない。
そして、頭の中に色々な疑問を浮かべていると、突然グラウモンの足が止まった。
エレキモンが何事かと思いグラウモンの目線の先を見てみると、既に町の入り口へ到着している事が分かった。
ベアモンの体を蝕んでいる毒も、まだ手遅れな領域にまで進行してはいない。
これなら、まだ間に合う。
そう、エレキモンが思ったその時だった。
「ん、なんだ……!?」
突然グラウモンの体が赤く輝き出すと、地に倒れこみながらその体が小さくなり始める。
まるで巨大な風船から空気が抜けていくように縮んでいき、五秒も経たない内にグラウモンの姿がギルモンの姿へと戻った。
当然ながらグラウモンの頭の上に居たエレキモンは、ギルモンの姿に戻ったユウキの頭の上に馬乗りになっていて、ベアモンは背中合わせに倒れこんでいる。
ユウキは瞳を閉じたまま気を失っていて、それを確認したエレキモンは呆れるように言う。
「……やっぱり、無理を通してたのか」
予想通りと言わんばかりの出来事に、エレキモンは深くため息を吐く。
それと同時に、町の方から自分達の事を心配に思ったのか、一部のデジモン達が駆け寄って来る。
「だけど、今回ばかりは本当に……ありがとな」
気絶し、指一本も動かせないユウキに対して、エレキモンは感謝の言葉を伝える。
まだ昼間の発芽の町は、三匹の成長期デジモンを治療するために早くも大忙しだった。
それから数時間後。
「……つまり、そういう事があってアンタ達はボロボロな状態で発見されたってワケね」
「まぁ、つまる所そういう事だな」
発芽の町にある一軒の家の中にてエレキモンは、黄緑色の体をしており、頭の上には南国の島を思わせる花が咲いていて、外見的にはどちらかと言うと爬虫類的に進化をしている植物型デジモン――パルモンに事情聴取をされていた。
家の中には一部の箇所に、パルモンの趣味であるガーデニングによって植えられた色取り取りな花が咲いていて、椅子やテーブルといった家具の姿は見えていない。
天井の一部分からは太陽の光が差し込めるように大きめの穴が空けられていて、何気にかなり工夫が成されているのが伺えた。
エレキモンはそれらの何度か見た事のある風景には特に反応を見せず、パルモンとの話を続ける。
「アンタ達は運が良いのか悪いのか……野生のフライモンから逃げて、生きて町まで帰ってくるなんてね」
「まったくだ。最近の野生のデジモンが、やけに凶暴化しているって話はマジだったなんてな……」
「アンタ達が何か手を出したって事は無いわよね?」
「馬鹿を言うなよ。たかだか成長期のデジモンでしかない俺が、成熟期のデジモンに自分から喧嘩をふっかけると思うのか?」
「そうね。思わないけど……」
パルモンはそう言って、部屋の隅っこで死んだように眠っているギルモンを指刺すと、質問の内容を変える。
「それよりもそこで眠っている赤色のデジモンはいったい誰なワケ? ここらでは見ない顔だけど」
「ギルモンっていうデジモンらしい。昨日、海で釣った」
「ごめん、状況が全然理解出来ないわ。その子明らかに海で見るような外見をしてないもの。何か隠しているわね?」
「隠している事があるのは事実だが、大した事でも無いし、コイツは野生のデジモンじゃあない」
その『大した事でも無い事』と言うのは、ユウキが実は人間(なのかもしれないの)だと言う事だったりするのだが、その事に気付いているはずの無いパルモンは怪しい物を見るような目でエレキモンを見ている。
「突然地鳴りの音が聞こえたと思ったら、森の方から見慣れない大きなデジモンが来ていて、みんな驚いてたわよ? で。入り口まで来たら急に退化したし」
「一時的な進化だったみたいだからな。エネルギー切れって事だろ……そもそも初進化っぽいのに五分近くも進化を維持出来てた事が既に驚きだ」
「五分!? それは凄いわね……普通なら、二分も保てないはずなのに」
ちなみに、数時間前の時には右肩部分に大きめの痛々しい刺し傷が刻まれ、右半身が麻酔にかかったように動けなかったはずのベアモンはと言えば。
(……やっぱりあのクネモン達に攻撃したのが原因なんだろうなぁ……)
刺し傷のあった部位には薬草から作られた薬が塗られ、その上に包帯を巻き付けており、今は安静にするために家の隅っこで横になっていた。
よく見ると、口元に何かを飲んだ跡が残っている。
(結果的に助かったからいいけど、二人には申し訳の無い事をしちゃったな……今度、何か詫びを入れないと)
今に至るまでの過程を内心で呟いていたが、普段から口数は多い方であるベアモンが喋れる状態なのにも関わらず、口数が少なくなっている事に対して不思議に思ったエレキモンは、とりあえずベアモンに声を掛ける事にした。
「おいベアモン。珍しく無言になってるけど、どうかしたのか?」
「何でもないよ。ちょっと考え事をしてただけ」
「珍しいな。お前にも考えるという行動は出来たのか」
「君は僕の事を何だと思ってるのさ……一応、真面目な事を考えてたのに」
「頭の中が青空とお花畑で、寝返りに見せかけて俺の毛皮でモフッとする事を狙っているド変態デジモン」
「とりあえず僕はフザけた事をほざいている君を割りと本気で泣かせたいんだけど良いよね。というか今泣かせる絶対泣かせる」
そう言って左腕の力だけで強引に体を起こすと、麻痺して動かせない右腕の事は気にも留めず、器用にも左手からパキパキと音を鳴らし出す。
その一方で、発言者のエレキモンはベアモンの明らかにまだ痺れが取れていない右足を見て、こう言った。
「へッ!! たかだか片腕しか使えない今のお前じゃあ、俺を捕まえるなんて一週間かけても無理だっつ~の」
「残念だけど、右腕が動かしにくくても右足は何とか使えるんだよね。というわけで逃がさないから大人しくさっきの発言を撤回してもらおうかな」
「やなこった」
「アンタ達さ、アタシの家で暴れようとしないでくれないかしら」
パルモンの言葉を無視して、二匹はドタドタと走り回り出した。
綺麗な花があちこちに植えてある、草原のような家の中を。
「………………」
家の持ち主の額に青筋が立った数秒後。
「「ぎぃゃぁあああああああああああああああああ!?」」
パルモンの家の中から断末魔のような悲鳴が響いた。
そして、それから更に数分後。
「……ぅう……?」
騒音に堪らず意識を取り戻し、気だるそうに欠伸を出しながら、目を開けたユウキが見た物は。
(……は? てか、クサッ!? 学校のマトモに掃除されていないトイレが可愛く思えるぐらいにクセェッ!!)
白目を向き、口から白い泡を吹き出し、瀕死の昆虫のようにビクビクと痙攣した様子の、ベアモンとエレキモンの姿だった。
状況を飲み込めず、両手で鼻を摘みながら内心で『訳が分からない……』と呟いていると、現在進行形で家に充満している空気を換気しているパルモンが、ユウキに対して話しかけてくる。
「やっと目を覚ましたね。調子はどうだい?」
「………………」
現在の状況と、今の心境を掛け合わせ、初見の相手に対してユウキは発言する。
「凄まじく最悪な気分だよ……」
元人間のデジモンがデジタルワールドの現実に順応するには、まだまだ長い時間を要するようだった。
まず、目が覚めたら辺りに色んな意味での死臭が漂っていた。
それを認識した直後、初見の相手に突然声を掛けられた。
返答したが、家の中に充満していた臭気が鼻の中に入ってくる事を本能的に恐れたために、両手の位置はしばらくの間固定されていた。
換気が完全に終わり、少し前まで家の中の空間に漂っていた臭いとは別の甘い香りで上書きした所で、ようやくマトモに喋れるようになったユウキは、とりあえず目の前にいるこの家の持ち主であるパルモンに対して自己紹介……をしようしたのだが、どうやら気を失っている間にエレキモンから既にユウキの事は聞いていたらしく、自己紹介はあっさり終了した。
その後、気絶しているバカ二匹を無視しつつ、ユウキとパルモンの間で情報交換が行われた。
自分が行く宛も帰る宛も無いデジモンである事。
偶然自分の事を見つけたベアモンの家に居候させてもらえる事になった事。
そして今日、家の中から居なくなっていたベアモンを探しに森の中へと入り、フライモンに襲われた事など、ベアモンとエレキモンが自分を見つけてからここに至るまでの経緯をほとんど話した。
話していない部分があるとするなら、自分が元は人間だったという事ぐらいだろう。
しかし、その経緯を聞いたパルモンは何か引っかかるような疑問を覚えたように首を傾げると、ユウキに対して質問をした。
「今の口ぶりで気になったけど……アンタ、自分がフライモンを撃退してから町まで二人を運んで来た事を覚えていないのかい?」
思わずユウキは『は?』と聞き返していた。
「エレキモンの話によると、アンタはフライモンとの戦闘で殺られそうになった時、突然一時的に進化を発動させて圧倒したらしいよ。アタシは見ていないから知らないけど、本当にアンタは自分がやった事を覚えていないのかい?」
まったく記憶に無い出来事に対する言及だった。
ユウキ自身、フライモンとの闘いで起きた事は途中までしか覚えておらず、進化したなどという実感は湧いていない。
しかし、目を覚ましてからユウキは身に覚えの無い疲労感と頭痛を感じている。
それが何よりの証明なのかもしれないと思ったが、やはりとても信じられない事だった。
返す言葉に困っているユウキの反応を見たパルモンは、何かを確信したのか言葉を紡いでいく。
「覚えてなかったのね……町の入り口付近でアンタを目撃した時、アンタが進化したと思うデジモンの目に理性は感じなかった。多分その時のアンタは無意識だったか、本能的にやっていた行動だったんでしょうね。そんな状態の中でも、自分を助けてくれたそこの二人を助けたかった……勝手な推測だけど当たっているかしら?」
その回答が本当に正解なのかは、言ったパルモンにも言われたユウキにも分からない。
そもそも、進化後の自分の体を動かしていた意思が自分の物だったのか、それすら分からないのに誰がその答えを知っているのだろう。
正しい答えを探そうとして、結局返事を返す事は出来なかった。
そんな様子を見たパルモンは一度浅くため息を吐くと、一度仕切りなおしてから言葉を紡いでいく。
「まぁ、無理に考えなくてもいいと思うわよ。それよりもアンタはベアモンの家に居候するらしいけど、何か行動の方針は決まっているワケ?」
「それは……」
その質問に、ユウキはまたもや言葉が詰まってしまう。
ユウキの目的は『自分が人間からデジモンに成ってしまった理由』の解明だが、それを話すという事は、自分が元人間だという事に関する説明が必要となる。
しかし、それを話すと余計に事が面倒な方向へと移行してしまうのが容易に想像出来る。
(……どうする。話すべきでは無いけど、下手に言い訳しても疑われそうだしな……)
んー、と喉から音を鳴らしながら考え、ユウキは言葉を紡ぐ。
「とりあえず、この町で働いていこうと思う。いつまでになるかは分からないけど、どの道行く宛も無いから……」
「なるほどね。そういう事なら歓迎するけど……」
ユウキは、ひとまず話題を切り抜けた事に内心で安堵した。
その一方でパルモンはユウキの回答を聞くと、気絶しているベアモンとエレキモンの方へ視線を向ける。
そして、何を思ったのか突然両手の先に見える爪をツタ状に伸ばし出した。
「まず、あのバカ二人を起こした方が良さそうね」
そう言った次の瞬間。
パルモンは両手から生えているツタを鞭のように扱い、ベアモンとエレキモンへと振り下ろした。
「ブバッ!?」
「ぎゃふんっ!?」
バチィン!! と手のひらで頬っぺたを叩いた時のような乾いた音と同時に、本日二度目となる悲鳴のデュエットが家の中に響き、多少強引だがベアモンとエレキモンは意識を取り戻した。
二人は叩かれた時の痛みで反射的に体を起き上がらせると、視線をそれぞれユウキとパルモンの方へと向かせる。
「パルモン……マジで痛いからその起こし方やめてくんねぇかな。額がマジでヒリヒリするんだわ……」
「ホントだよ。てか僕は怪我してるんだから手加減してもらっていいんじゃないかな?」
「確かにそうね。でも私は謝るつもり無いから」
ひどっ!? と見事に二人の声がハモる。
実際の所、数分前に二人が下らない動機で喧嘩を始めなければこんな事態にはならなかったとも言えるので、結局は二人の自業自得だったりするのだが。
二人の弁解を無視してパルモンは話を進める。
「まぁそんな事は今はどうでもいいんだけどね。それより、彼の事でアンタ達と一緒に考える必要が出て来たから、真面目に話を聞きな」
「……ん? いや、僕達は話を聞けてないんだけど」
「だな。何を一緒に考える必要が出て来たんだ?」
「彼……ギルモンが、この町で暮らす上で行う仕事の事よ」
その言葉にエレキモンと、珍しくベアモンが文字通り真面目な表情になった。
この|世界《デジタルワールド》の事を全然知らないユウキには、パルモンの言う『仕事』がどんなものかも想像がつかない。
そして、ユウキが疑問符を頭の上に浮かべていると、先にエレキモンが口を開いた。
「森に向かう途中で言ったよな? 『手が無いわけじゃない』って」
「ああ……でも、それが何なのかは結局聞けてない。いったい何なんだ?」
「………………」
エレキモンは一度無言になると、ベアモンに何かを耳打ちした。
すると、エレキモンの代わりに怪我人であるベアモンが口を開いた。
「『ギルド』って言ってもユウキは分からないよね?」
「……ギルド?」
思わず呆けた声でそう返してしまったが、ベアモンにはその反応が予想通りだったのか首を縦に振り、そのまま声を紡ぐ。
「ギルドって言うのはデジタルワールドに何個も別々に存在する組織の名称なんだけど、目的を具体的に言えば何かで困っているデジモンの依頼を受けてそれを遂行したり、時には町の資源となる物資を獲得するために冒険したり……まぁ、自由度の高い組織だよ。情報もかなり入ってくるし、行動する範囲はかなり広がると思う」
「………………」
ユウキはベアモンの言う『ギルド』の内容を聞くと、表情を強張らせる。
ベアモンは話を続ける。
「ただね。この組織に入るためには条件もあって、集団での行動を主にするからまずは『チーム』を作らないといけない。最低でも三匹のデジモンで構成された、実力もそれなりにある三匹によって構成されたやつをね」
そこまで聞いた所で、ユウキは思った。
チームを作る必要があるのは分かったが、よもやそんな組織にあっさり入れるはずが無い、と。
考えた事をそのまま口にすると、ベアモンからは予想通りの答えが返って来た。
「その考えは間違っていないよ。確かに、『ギルド』に入るためにはその実力を知るための『試験』を突破しないといけない」
だけど、とベアモンは言葉を付け加え、話を進める。
「実力と言っても色々あるからね。知識力に行動力に精神力に……戦闘力。野生のデジモンが横行する場所に向かう事が多いんだから、一番最後に言った部分はかなり重要だよ」
「……俺には無理なやつじゃん……」
「そんな事ないよ」
呟いた言葉をベアモンはバッサリ切り捨て、正直に思った事を次々と言葉にして放つ。
「確かに、森での闘いの時はハッキリ言って足手まといだったよ。だけどね、ユウキにとってはアレが初めての実戦で、しかもその相手が成熟期のデジモンだったんだし、仕方が無いでしょ」
「でも、俺があの時に動いていたら……ベアモンは右腕をやられたりしなかった」
「こんなのちゃんと治療すれば治るよ。肩から先が無くなってるわけじゃあるまいし」
「あのままだと右腕だけに留まらず、毒に体を蝕まれて死んでいたかもしれないんだぞ……」
「その時はその時だよ。そもそも、あの森が今危ないって事を知っていたのに向かった僕が悪いんだし……君が居たおかげで、僕もエレキモンも助かったんだよ? むしろ感謝するのは僕の方だよ」
「………………」
ベアモンの優しさと自身の不甲斐無さが合わさり、思わずユウキは歯軋りする。
優しさが心を癒すどころか、むしろ自身を惨めにしているようにすら思ってしまう。
「……ふざけんな」
そして、ユウキはベアモンに向けて苛立ちを含んだ声で言った。
「何でだよ。何でベアモンはそんな風に、自分より他人の事ばっかり考えられるんだよ!! 俺はお前にとってそんなに価値のあるデジモンか!? 何も恩を返せて無いのに、こっちは与えてもらうだけで何も出来て無いだろ!! それに俺はお前の友達でも何でも無いんだぞ? ただの居候予定のちっぽけなデジモンだろうが!! 何でそんな俺のために命まで賭けられるんだよ!?」
その言葉には苛立ちと悔しさしか含まれていない。
正論かどうかなんてどうでも良くて、言う度に余計に苛立ちや悔しさは増えるばかりだ。
そんなユウキの言葉に対して、ベアモンはかくも当然のように返す。
「……あのさ、じゃあ逆に聞くけど。恩とか価値とかが無いと、誰かを助けちゃ駄目なワケ?」
「それは……」
「そういう物が無いと何もしないの? 目の前に見える、自分が助けたいと思った誰かを助けちゃ駄目なの?」
「…………ッ」
ベアモンの言葉は冷たく、鋭くユウキの苛立っていた心に突き刺さり、反論を許さなかった。
言葉に詰まるユウキに構わず、ベアモンは言葉を紡ぐ。
「僕は『助けたい』と思ったから助けた。君はどうなの? 僕等の事を、恩とかそういう理屈抜きで本当に『助けたい』と思ったからでこそ、進化出来たんじゃないの?」
「……分からない」
「僕にも分からないよ。ユウキが何を考えているかなんてね」
ベアモンがそう言った時、流石に喧嘩ムードとすら思える重い雰囲気に耐えかねたエレキモンが、改めて口を開いた。
「ったく、ベアモンお前言い過ぎだ。お前の性格は理解してっけどコイツの言う通り、お前は自分自身の被害を気にしなさすぎだ」
「……ごめんごめん。熱くなりすぎたよ」
エレキモンはベアモンを宥めると、すっかり落ち込んでいるユウキに声を掛ける。
「わりぃな、ベアモンはこういう性格なんだ。お前の気持ちも分からなくは無いけどよ、落ち込んでても仕方が無いだろ」
「……まぁ、そうだけどさ」
「結局、どうする? 『ギルド』に俺達と一緒に入るか?」
「………………」
ユウキは黙り込み、ベアモンが言っていた『ギルド』の事を考える。
情報が集まりやすく、行動範囲が広がる事はユウキにとって、プラス以外の何者でも無い恩恵だ。
しかし、ベアモンの言葉から察するに、これから闘いが頻繁に行われる事は確定だろう。
そんな中で、自分は生き残る事が出来るのだろうか。
そして何より、こんなにも自分より強いベアモンやエレキモンと一緒にやっていけるのだろうか。
「ユウキ」
そんな事を考えていた時、ユウキはベアモンから改めて声を掛けられた。
「自分の弱さを気にしているのならさ、一緒に強くなろうよ。それでも力が足りないのなら、互いに力を合わせようよ」
「……!!」
それは独りでしか考えなかった故に、至らなかった答えだった。
「それとも、僕等はそんなに頼り無い? 確かにエレキモンは腕っぷしも弱いけどさ」
「おいちょっと待て。何気に酷い事言って無いか」
「事実じゃん」
「ちょっと電撃でも食らわせてやろうか」
「あんた等……どうやら懲りてないみたいだね?」
「「ひっ!?」」
ユウキは不思議と思った。
彼等のようなデジモンと一緒なら、どんな困難な道でも一緒に歩んでゆけるかもしれない、と。
「……ははっ……」
思わず笑みがこぼれる。
最早、迷いはほとんど無かった。
ユウキは、パルモンに現在進行形で『お願いだからその臭いだけはー!!』と懇願している二人が気付くように、わざと大声を上げる。
「ベアモン!! エレキモン!!」
「ん?」
「何?」
「俺決めたよ。『ギルド』に入る。色々不安だけど、立ち止まってたら何も始まらないしな。だから……」
一度言葉を区切り、ユウキは二人に向かって言う。
「こんな俺でも良いのなら、仲間に入れてくれ。頼む!!」
対するベアモンとエレキモンは、その言葉に笑みを浮かべて返答する。
「断ると思う? これからよろしくね!!」
「右に同じくだ。コイツだけじゃ色々不安だし? お前の事は少なくとも信用出来るからな」
◆ ◆ ◆ ◆
フライモンから受けた傷と毒をパルモンの家である程度治療してから、三十分ほどの時間が過ぎた。
右足の感覚が未だに麻痺している所為で、歩行が難しい様子のベアモンの手を掴んで支えながら、ユウキはエレキモンと街道を歩いている。
向かおうとしている場所はベアモンの家では無く、これから働く予定である『ギルド』と言う組織の拠点である建物。
その理由はベアモンから口である程度の説明は受けたものの、どういう組織なのかを見学しておいた方が良いとエレキモンが判断したからだ。
移動の途中で、最初にベアモンが口を開く。
「それにしても、ユウキが僕等と一緒に『ギルド』に入ってくれると言ってくれて良かったよ。僕とエレキモンだけじゃ、まだ二人だから試験を受けられないし……」
「そういや今更聞くのもアレだけど、何で俺を誘ってくれたんだ? 実力を持った三人じゃないと駄目って言ってたが、それはあのパルモンも当てはまるんじゃないのか?」
「パルモンは『ギルド』の仕事に興味が無いらしいからな。俺等と一緒に『ギルド』に入るはずだった奴が、前まではこの町に居たんだが……な」
「?」
返答の途中で難しげな表情を見せたエレキモンと、それに連動するかのように暗い非常を薄っすらと見せたベアモンに対してユウキは疑問を覚えたが、事情を知らない自分が踏み入るような事では無いという事だけは理解した。
そして、重そうな空気を変えるためにユウキは話題を切り替える事にした。
「ところでベアモン、お前大丈夫か?」
「右肩の事? それなら明日まで安静にしていれば治ると思うけど」
「違う違う。右足の痺れとかもそうだけど、飯の事だ」
「……あ」
そういえば、とベアモンは思い出すように口をポカンと開けた。
恐らく自分が考えている事が当たっているのだろうと確信付け、ユウキは言う。
「お前の家にはもう食料が無いんだろ? 保存してたと思う魚はお前の朝食で消費して、それでも足りなかったからなのか、または新しく保存出来る食料を探しに森に行ったのかもしれないけど……結局フライモンに襲われて、食べ物にありつく事が出来なかったじゃん」
「………………」
「ついでに言えば、俺は朝から何も食べてない。まだ昼間だから時間はあるが、だからと言ってまたあの森の方に調達しに行くわけにもいかないし、本当にどうするんだ?」
言葉を聞いたベアモンの表情が、口を開けたまま固まる。
おそらく、どう返答しようか頭の中で思考しているのだろうが、それは要するに『忘れていた』という事をわざわざバラしているも当然なリアクションだった。
そんなワケで、この状況で頼れる唯一の頭脳要員をユウキは頼る事にした。
「……エレキモン、どうすればいい?」
「何でお前らの食事情に俺が手を貸してやらないといけないんだ。大体お前らは一食の量が多すぎなんだよ。少しは節約を意識しろ」
「そんなに食べてるつもりは無いんだけど。昨日はあんまり釣れなかった上に、ユウキの分にも食料を割り振ったから少し足りなくなったわけで……」
「そういうワケだ。自分の食料ぐらい自分で確保しろ。『働かざる者食うべからず』って言葉があるんだし、そこの馬鹿を見習って頑張れ」
「まぁ、確かにそこのクソ野郎の言う通りだと思う。あっ、食料調達するなら僕の分もよろしくね。昨日五匹も分けてあげたんだから、お返しには少し色を付けてよね」
「少し前の仲間発言から一転して俺に味方が居なくなったんだが。大体ベアモン、お前のあの施しは無償じゃ無かったのかよ!?」
「そんな事を宣言した覚えは無いし、僕はそこまで優しいわけじゃないから食べ物を我慢出来るほど聡明でも無いよ。命を救ってくれたのは本当に感謝してるけど、それとこれは話が別だからそこの所よろしく」
「……おぅ……」
この状況で唯一頼れる頭脳要員からは見捨てられ、更に少し前の時間で自分の味方をしていたはずのベアモンからケガをしている者としての特権を利用した断れない要求を投げ付けられたユウキは、一気に表情をげんなりとさせながら言葉を出していた。
気持ちの落ち込みに連動してなのか、頭部に見える羽のような部位が垂れてもいる。
そんな様子を見て、エレキモンは前足でユウキの左肩をポン、と叩く。
慰めの言葉を掛けてくれるのか、と僅かながら期待したユウキだったが、
「いつか良い事あるって」
そんな都合の良い言葉を掛けてくれるわけが無く、途端に別の意味で崩れ落ちそうになった。
◆ ◆ ◆ ◆
木造や石造の住宅が多く建ち並ぶ中にぽつりと存在する、一風変わった一軒屋。
天井までの幅がおよそ7メートルはあるだろう広い空間の中に、カウンターや掲示板といった日曜的な物とは異なる家具が設置されており、普通の住宅とはそもそもの目的が違う印象を受けるその建物は、主に『ギルド』と呼ばれる組織が活動の拠点としている場所だ。
『ギルド』の主な活動内容は、第三者からの依頼を受け、それを遂行する事である。
今日も依頼はそれなりの量が有り、掲示板には特殊な記号の文字が書かれた紙が複数貼られている。
だが、それを受けようとするデジモン……否、受けられるデジモンは居ない。
理由があるとすれば、それは人員不足の四文字に尽きる。
この発芽の町に住むデジモンの数は『町』と言うには少ない150匹ほどで、のんびり平和に過ごしているデジモンも居れば、自らの手で作物を育てて食料もしくは物々交換の材料として扱うデジモンだって居る。
だが、それらの仕事とギルドには決定的に違う所がある。
町の外に、野生のデジモン達の縄張りを通って、この発芽の町とは違う別の『町』に向かわなければならない事だ。
それには当然危険が伴うため、ほとんどのデジモンは好奇心よりも先に恐怖心を抱く事が多い。
仮に好奇心によって『ギルド』に入ろうと考えるデジモンが居たとしても、『外』の世界で活動出来るほどの実力が無くては門前払いとなる。
そして、この町には実力者のデジモンが少ない。
不足している人員を少しでも補うために、この町の『ギルド』では構成員だけでは無く組織のリーダーすら依頼を受けて活動している事が多く、大抵の場合は建物の中にリーダーを担っているはずのデジモンの姿が無い。
それらの事情もあって、組織の中で留守番の役を任されている者が建物の中でずっと待機しているのだが、依頼をするデジモンが来るまでの間は特にやる事も無く待っているわけで。
「はぁ……ヒマだ。リーダー早く帰ってこねぇかな。ヒマなんだよ、退屈なんだよ、やる事がねぇんだよ。チクショー……」
無造作にカウンターの上に寝転がっている三毛猫のような外見をしたデジモンは、退屈げに独り言を延々と吐き続けていた。
現在、この建物の中には彼以外の姿は無い。
留守番を任されている彼以外のメンバーが、この日も依頼を受注して活動を開始している所だからだ。
「そりゃあ最近は物騒な噂っつ~か、実際に野生のデジモンは荒れてっしなぁ。外に出ても力の無い奴は死ぬ確立の方が高ぇし、リーダーの判断も間違っちゃあいねぇと思うけどよ……雑用係ぐらいはスカウトした方がいいんじゃねぇかなぁ?」
一人で言ってて空しくなるが、持ち場を離れるわけにもいかない。
誰かが尋ねてくる可能性がある以上は、退屈だろうが待っていなければならない。
「……ったく、何かヒマを潰せる物を今度作ってみたほうがいいのかねぇ」
ふと彼は建物の入り口から見える町の風景に顔を向ける。
町に住んでいるデジモンが雑談をしてたり、道を真っ直ぐに歩いているのが見える。
彼は思う。
(ほのぼのしてて平和だねえ。よく『大昔は戦争があった』だとか『世界が滅亡しかけた』とか、そういう出来事が過去にあったと言われてっけど、こういうのを見てると実際はどうなのか疑いたくなるモンだ)
デジタルワールドには様々な言い伝えがあるが、その目で見て確かめない限り真実なのか偽りなのかを理解する事は出来ない。
大袈裟に解釈された作り話の可能性もあれば、実際に起きた事実の可能性だってある。
(……ま、昔がどうあれ……今は平和なんだ。深く考える必要はねぇな)
彼は内心で呟いてから眠そうに欠伸を出すと、一度頭を掻いてから起き上がる。
(……にしても暇だな。いっその事サボって、魚釣りにでも出かけるか?)
そんな、知られれば絶対に怒られるであろう事を考えている時だった。
「……ん」
入り口の向こう側から、三匹の成長期と思われるデジモンの姿が見えたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ユウキはエレキモンに連れられて、とある建物の入り口前に到着した。
「これが『ギルド』の拠点なのか……思ってたのとちょっと違うな」
「何を想像していたのかは知らねぇけど、その通りだ。でかい建物だろ?」
「……まぁ、確かに『ここに来てから見た』建物の中では、かなり大きい方だな」
そこは人間界で見てきたゲームやアニメに出てくる『集会所』を思わせる様々な内装があり、入り口には何処かで見た事があるような、雫の中に二重の丸が書かれた紋章のような物が彫られた看板が飾られていて、やはり木造で作られていた建物だった。
エレキモンやベアモンにとってはこの大きさでも『でかい建物』の判定に含まれるらしいが、人間界に存在するビルやマンションを知っているユウキからすれば、この程度の大きさの建物はそこまで大きな物に感じられなかった。
(この二人に『都市』の風景を見せたら、どんな顔をするんだろうな)
先導して中に入ったエレキモンに続く形で、ベアモンの補助をしながらユウキは建物の中に入る。
最初に目に入ったのは三毛猫のような外見をした獣型と思われるデジモンの姿だった。
「いらっしゃい。依頼は現在受けられる奴が居ないが、まぁゆっくりしていけ」
そのデジモンはカウンターの上に体を横に倒した状態で、ユウキを含めた三人に対して言葉を放っている。
体勢や口調などから、人間の世界ではよく見る40台ほどの年齢の男性を思い浮かべるユウキだったが、ベアモンからすれば特に気にする事が無いらしく。
「ミケモン久しぶり~」
「おう久しぶり……その右腕大丈夫か?」
「ちょっと色々あってね。治療したおかげで大丈夫だから気にしないで」
ベアモンとエレキモンの知り合いの一人と思われるデジモン――ミケモンはベアモンの右肩に巻かれた包帯を見て一瞬目を細めたが、無事を確認すると『そっか。完治するまでは無理すんなよ』とだけ言っていた。
「アンタは相変わらず暇してるんだなぁ。朝とかは結構忙しいんだと思うけど」
「特に重要な物があるってワケじゃないと思うが、留守番係は必要だろ? チビ共にこういう役回りの奴の苦労は分からんだろうさ。あと少しで依頼に向かった連中が2チームぐらいは帰ってくると思うけどな」
どうやらこのミケモンは、この『ギルド』で留守番係をしているデジモンらしい。
(『あのデジモン』に似てると思ったらミケモンだったか。記憶が正しければ頭が良くて、もの静かで大人しいデジモンだったような気がするけど……見ただけじゃとてもそうは見えないな。あんな体勢でさっきから寝転がってるし……)
「おいそこの赤色。初対面の相手に対して挨拶も無しか? 別に構わないけど」
ユウキが内心で呟いていると、ミケモンは指差ししながら声を掛けて来る。
言われてまだ一言も喋っていない事に気付いたユウキは、とりあえず怪しまれないように挨拶と自己紹介を行う事にした。
「俺の種族名はギルモン。色々と複雑な事情があって、今はそこのベアモンの家に居候させてもらってる」
「ふ~ん。その『複雑な事情』ってのが気になるけど、聞くだけ無駄だろうしいいか」
そう言ってミケモンは体を起き上がらせて、グローブのような物がついている右手で頭を掻きながら自己紹介をする。
「オイラの種族名はミケモン。個体名はレッサーだ。得意分野は情報収集と睡眠。よろしくな」
(得意分野が前者はともかく睡眠って……何?)
互いに自己紹介を終えると、次に口を開いたのはミケモンだった。
「で。お前等は何でここに来たんだ? 依頼をしに来たようには見えんけど」
その質問に対して、エレキモンは回りくどい言い方もせずに返答する。
「いや、ようやく『チーム』に最低限必要な頭の数が揃ったからな。そこのギルモンにこの建物の見学と、ベアモンのケガが治ったら俺等で試験を受けたいんだけど、良いか?」
「……なるほどな。分かった、リーダーには伝えておく」
ミケモンはそう言うとベアモン、エレキモン、ユウキことギルモンの三体をそれぞれ見て、
「それにしても、中々面白いチームになりそうだな。こりゃあ楽しみだ」
その後、ユウキはギルドの内装に一通り目を通してから、同行者二人と一緒に建物の外に出た。
見学と言う目的が達成できた以上、いつまでもあの建物の中に居る必要は無いからだ。
建物を出たユウキが次に成すべき事は、自分自身とベアモンに対する食料の確保。
そして、その前にベアモンを家に送る事だ。
(……問題は山積みだな)
そう内心で呟くユウキ自身、不思議とそこまで嫌な気持ちにはならなかった。
空が夜の闇に包まれるまで、まだ時間は残っている。
◆ ◆ ◆ ◆
『ギルド』の見学を負え、怪我をしているベアモンを彼自身の家まで送ってから、およそ一時間と半が過ぎた。
元人間のデジモンことギルモンのユウキは、あまり体を激しく動かす事が出来ない(と思われる)ベアモンと、何よりこの日の朝から何も口にしていない自分自身の食料を調達するために、先日自分が発見された海岸へエレキモンと共にやって来ていた。
人間の世界と違い、何所かに時計が置いているわけでも無いので、現在の詳しい時刻は分からない。
だが太陽が徐々に落ちはじめている所を見るに、夕方になるまでの時間はそこまで残っていないようだ。
エレキモンから釣りのやり方をある程度聞いた後、早速ベアモンから許可を得て貸して貰った釣り竿を使い、魚が当たるのを長々とユウキは待っていた……のだが。
岩肌の上に立ち、ルアーの付いた糸を海の中へ投下してから、早十分。
「………………」
魚が一向に喰い付いて来ない。
彼自身、人間だった頃は近くに海が無い地域に住んでいたため、そもそも『釣りをする』と言う行為そのものが初体験ではある。
スーパーやコンビニでお金を使い、購入する事でしか食料を入手した事の無い人間が、いざ食料を自分で入手しようとすると、こうも旨くいかないものなのだろうか……と、元人間のデジモンは思う。
冷静に考えれば十分しか経っていないが、夜になるまでに食料を確保して町に戻りたいユウキにとっては、一分すら惜しい時間と感じられてしまう。
ふと砂浜の方に居るエレキモンの方に顔を向けると、何やら前足を使って砂を除けているのが見えた。
その行動の意図を理解しようとはしないまま、ユウキは小さくため息を吐く。
(……食料を確保するだけで、こんなに手間をかける事になるなんてな……)
思えば。
ユウキは、これまで自分で直接食料を確保した事が無かった。
現在社会では基本的に、食料はスーパーマーケットやコンビニなどで『お金を使えば簡単に手に入る』と認識をしている人間が多い。
それ等の人間は漁師として海に出ているわけでも、農業を行って汗水を垂らしているわけでも無いからだ。
ユウキもその一人であり、このような状況に遭遇しなければ考えもしなかったかもしれない。
そもそも食料を『直接』確保する側の存在が無ければ、例え硬貨を持っていても食料を『間接的』に確保している側は食にありつけない可能性があるという事を。
(……こういう時になって、漁師さんとかに感謝する事になるとは思わなかったな)
この世界で生きていくためには力だけで無く、生き抜くための知識も当然必要だ。
人間で言う『社会』で生きるための能力は、デジモン達の生きる『野生』では殆ど役に立たない。
それ等の事項を再度確認しようとするが、具体的にどうするのかはまだ決まらないし分からない。
(……まるで受験勉強みたいだな。違う所は、落選イコール死亡って事だが)
自分の目的を叶えるために必要な能力は、たった一人で手に入れるには、あまりに多すぎる。
(……けど)
今は一人では無い。
自分よりも強いデジモンが二人、味方になってくれている。
不安は拭い切れないが、それでも希望は見え始めている。
(大丈夫だろ。きっと……)
そんな事を考えていると、両手で掴んでいる釣り竿が、ようやくしなり始めた。
「……おっ、帰って来たかぁ?」
所属している組織の拠点である建物の中で寝転がっていたミケモンは、外部から聞こえる音に耳を傾けながらそう呟いた。
わざわざ体を起こして確認しに向かうまでも無いまま、建物の入り口から三体のデジモンが入って来た。
「……帰還した」
一体は緑色の体毛に子ザルのような外見をしており、背中に自分の体ほどはあるであろう大きなYの字のパチンコを背負った獣型デジモン――コエモン。
「ういーっす」
一体は鋭く長い爪を生やした前足を持ち、尻尾に三つのベルトを締めており、外見はウサギに似ているようで似ていない、二足歩行が出来る哺乳類型デジモン――ガジモン。
「ただいまもどりました~!!」
一体は二本の触覚を頭から生やした黄緑色の幼虫のような姿をしている幼虫型デジモン――ワームモンだ。
彼等の姿を見たミケモンは、最初に一言。
「チーム『フリーウォーク』……近隣の町までご苦労さん」
「マジで疲れたわ。というか、別に目的地までの距離に文句はねぇんだが……」
「……近隣とは言え、行きと帰りに数時間は掛かる。その上、道中に野生のデジモンにも襲われるのだから疲れないはずが無い」
「だけど無事に依頼は達成してきました~」
「ま、お前等の顔を見ていりゃ分かるさ。報酬も貰ってるのが列記とした証拠になってるし」
そう言うミケモンの視線は、コエモンが右手に持っている布の袋に向けられている。
彼等のチームが依頼を無事完遂した事を確認したミケモンは、続けて言う。
「今日は時間も押してきてるし、お前等は先に引き上げていいぞ」
言われて最初に反応したのは、彼等の中ではリーダー格と思われるガジモン。
「アンタはどうするんだ? やっぱり留守番か?」
「やっぱりなんて言うな。他にも帰ってくるチームが居るんだし、何よりリーダーが帰って来ないと留守番を辞められない。勝手にサボったら説教食らいそうだしな」
もっともそうな理由を述べると、今度はコエモンが冷静な声で言う。
「……いつも退屈そうに寝ている事は、説教されないのか……?」
「別に寝ていたりしねぇよ。ただ横になって、適当にボケ~っとしてるだけだ」
それを聞いたワームモンは、あからさまに怪訝な視線を向けながら聞く。
「それって要するに寝ているんじゃ……」
「だから寝てねぇって言ってんだろ。そんなに言うならお前等が留守番係やれよ。俺だって外に出て開放感に浸りてぇんだけど、リーダーの指示なんだから逆らうワケにもいかねぇんだ。そりゃあ時折意識が遠のいて色んなものを見るけどよ」
「……それを普通は『寝ている』と言うのではないか?」
コエモンの言葉を聞いたミケモンは一瞬固まったように無言になり、そこからすぐに言葉を返そうとしたが、
「……ね、寝てねぇよ!!」
結局、三匹に揃って苦笑いされるミケモンだった。
◆ ◆ ◆ ◆
やがて時間は静かに経ってゆき、空はオレンジ色に彩られた夕焼けに変わる。
「……つ、疲れた……そんなに動いていたわけでもないのに、マジで疲れた……」
「お前、忍耐力無いなぁ」
ギルモンのユウキは、一応この世界での暮らしの先輩であるエレキモンと共に、食料となる海鮮類が詰め込まれたバケツを二つ持って発芽の町に戻って来た。
ユウキが右手で持っているバケツの中には、初釣りで手に入れた魚が両手の指の数を少し超える程度の数だけあって、左手に持っているバケツにはアサリやハマグリといった貝類が多く入っている。
当然前者はユウキが確保したもので、後者はエレキモンが集めたものだ。
「砂浜の所で手を動かしてて何をしてるかと思ってたら、潮干狩りだったのなアレ……てか、貝ってそんなにお腹が膨れるイメージが無いんだけど……」
「ま、俺の方はそれなりに食料が余っているし、たまには趣向を変えてな」
「……大体、お前が持って来てたはずのバケツを、何で俺が持つハメになってるのかが理解出来ないんだが」
「だって俺、今日は戦闘とか色々あって結構疲れてるし~? あと、お前の方がこういう事には向いていると思った。それだけ」
「まぁ、別にいいけどさ……朝から何も食べていないから、腹と背中がくっ付きそうなんだよ」
「良かったじゃねぇか。痩せれば素早くなれるぜ?」
「うん、その言葉から一切喜べる要素を感じないのは何でなんだろうな」
そんな他人からはどうでもいい会話を交わしながら、ユウキとエレキモンはベアモンの家に到着した。
(……また暗号を残してどっかに行ってるなんてオチは無いよな?)
嫌な未来図を想像しながらも中に入る。
幸いにもベアモンは安静を心がけていたらしく、ぐっすりと眠っていた。
(……俺、この世界に来てから色んな事に対して不安を浮かべてる気がするなぁ)
内心でそう呟くユウキに対して、エレキモンは一度ベアモンの寝顔を確認してから声をかける。
「時間も時間だし、このまま寝かしとく方がいいだろうな。魚を必要な分だけ食って、残りはそいつの分として残しとこうぜ」
「……あ、あぁ」
エレキモンの提案に同意したユウキはバケツの中から三匹の魚を掴み、目をつぶった状態でそれらを丸ごと一気に口の中へと放り込んだ。
口の中で何度も嚙み続け、食欲を失いそうな絵図が頭に浮かぶ前に飲み込む。
魚の苦味と旨味が舌に伝わる中で、ユウキは思った。
(……これ、昨日は特に考える余裕が無かったから思いもしなかったけど、口の中が血塗れになってないか……?)
何せ、何の調理も行っていない魚を食しているのだ。
火で内部までしっかり焼いた物ならそのような事は無いが、一度想像してしまうと生々しさから吐き気を感じてしまう。
だが、この世界で生きる以上は、ナマ物を食べる事を何度も容認する必要がある。
少しでもこの気分の悪さを解消するためには、最低でも人間が食べる料理に近い形に調理出来るようになるか、野菜や果物などを主食にする以外に無い。
そうなると、一番に思い浮かぶ調理方法は『火で炙る』事だろう。
ユウキ自身何度も考えた事だが、改めて確信した。
自身が成っている種族――ギルモンの『必殺技』をモノにする必要がある、と。
「……おい、食い終わったのなら、ちょっと来てもらいたいんだけど、いいか?」
そんな事を考えていると、横からエレキモンに話しかけられた。
特に何も言わずに首だけ縦に振ると、エレキモンはベアモンの家から外へと向かい出す。
もう一度だけベアモンの様子を確認した後に、ユウキはそれに付いて行くために家を後にした。
空は、あと数時間ほどで夜の闇に包まれる。
ギルドの管理する建物の内。
留守番係を任されているミケモンにも、時間の関係からか眠気を徐々に感じるようになっていた。
「……ふぁ~、ねみぃ」
チーム『フリーウォーク』との会話の後から今に至るまでの間、依頼を達成したチームは次々と帰還している。
しかし、まだ組織を治めているリーダーは帰って来ていない。
「……ったく、他のチームが受けきれていない依頼を全部行うためとはいえ、時間を掛け過ぎだっての」
リーダーであるデジモンの強さはミケモンもよく知っている。
決して短くはない付き合いなのだから当然だが、待たされている側の気持ちを少しは考えて欲しい、とミケモンは思いながら呟いた。
空はもうすぐ夜になる。
そうなると視界が悪くなり、夜行性のデジモンが出没するようになるため、決して安全では無くなる。
それでもミケモンは心配しない。
「……ふわぁ~……あぁ、眠い」
だが、やはりずっと動いていない状態だと眠気は容赦無く襲ってくる。
夢と言う名の安らぎに意識が沈んでいく。
(どうせ帰ってくるまではやる事も無いんだし、いっそこのまま眠っていようかね)
そう考えたミケモンは、睡魔に抵抗せずに瞳を閉じる。
よほど疲れていたのか、退屈だったのか、数秒ともしない内に喉の奥からいびきが聞こえ出した。
それから時間は更に経ち、空が夜の闇に包まれ出した頃。
『ギルド』の拠点である建物の中に、とあるデジモンが入って来た。
その姿は、暗闇に包まれている所為でよく分からない。
「………………」
そのデジモンは眠っているミケモンを見るとため息を吐き、静かに右手を額に当てながら内心で呟く。
(……退屈なのは分かるが、重要な仕事なのだから真面目にやってもらいたいものなのだがな)
やがて左手に持っていた複数の布袋をカウンターの上に乗せると、そのデジモンは建物の外に出る。
体に月の光が当たり、姿が明らかになる。
その姿は獅子と人間を掛け合わせたような獣人の姿をしていて、腰元には何らかの刃物を収納するための鞘が携えられており、下半身には黒いジーンズが穿かれている。
彼は鬣を夜風に靡かせながら、静かに、受けた依頼で向かった場所の事を思い出しながら、こんな事を想った。
(……この『平和』は、あとどのぐらい続いてくれるのだろうな……)
どんな生物でも肌寒さを感じ始める夜中の町の路上にて、ユウキは先導するエレキモンに着いて行く形で歩いていた。
朝や昼の時には活気を感じられていた街道からはデジモンの姿がほとんど薄まっていて、人間の世界では嫌というほど聞こえていた車の走行音の代わりに元人間の耳を震わすのは、冷たい風の音のみ。
夜中が静かであるという点に関して言えば、人間の世界もデジモンが生きる世界も大して変わらないだろう。
違う点があるとするなら、その『夜』の間から活発になる生き物がこの世界には多く存在する事ぐらいだろうか。
(……いや、変わらない)
人間にだって、暗闇に姿を覆い隠されている時になって『自分の本性』を曝け出す者や、やってはならない事を他者から知られないように狡猾に行う者がいる。
その中の一人には、ユウキを襲って来た人物も含まれている。
今になって思えば、あの時は空もすっかり暗くなっていて、辺りには不自然なほどに人が居なかった。
そんな状況だったからでこそ、何らかの『目的』を果たすために襲って来たのかもしれない。
結局、あの男は何者だったのだろう。
皮膚から伝わる異常な冷たさもそうだが、あの男の裾から出た包帯も明らかに非現実的な要素の一つだった。
(……あれじゃあ、まるで……いや、でも、現実の世界でそんな事……)
そこまで考えた所で、ユウキは思った。
自分が行方不明になっている事は、現実の世界でどう報じられているのだろうか。
家族は心配しているのだろうか。
家族を含めた自分の関係者は皆、自分のような目に遭わずにいられているのだろうか。
こうしている間にもひょっとしたら、自分と同じように行方不明になる人間は、日々増えてしまっているのだろうか。
実際に人間の世界から行方不明になってしまった以上、そんな事を考えてもどうにもならない事はユウキ自身も理解している。
だが、考えずには居られず、どうしても心配してしまう。
そんなユウキの表情をチラっと見たエレキモンだが、その表情は心配してくれているというより『やれやれ……また考え事かよ』とでも言いたそうな、つまらなさそうな顔だ。
そんなこんなで、夜中ということもあって特に会話も無いまま到着した場所は、子供が自由に遊ぶ事を目的とした平地の広がる公園だった。
夜遊びをしているデジモンは見えないようだが、ユウキはまだエレキモンにこの場所に連れて来られた理由を聞いていない。
到着した所でユウキが理由を聞こうとして、それよりも先にエレキモンが口を開いた。
「ここなら俺の家にも近いし、他の奴らの事を気にする事も無く話が出来るってわけだ」
「そんな事だろうとは薄々思ってたよ。何を話すんだ? わざわざこんな場所に来ないと話せない事なのか?」
「まぁ、少なくともベアモンの近くじゃ言えない事ではあるかもな」
言ってから、エレキモンは続けて言葉を紡ぐ。
「お前、アイツ……ベアモンの事をどう思う?」
「え?」
予想外な質問の内容に、思わず呆けた声を漏らしてしまったユウキだったが、考えるように『ん~……』と喉の奥から音を鳴らした後、回答した。
「まぁ……凄く優しい奴だって印象を受けたな。自分の危険も顧みずに俺の事を保護してくれたし、原因の内に俺の存在がある怪我に関しても咎める所か『あんな事』を言うんだし……ここに来てから会った中でも、一番信用が出来る奴だと思っている、かな」
もっとも、昼の時に言ってた食料に関しての件でのセリフを除いてな、とユウキは言葉を付け加える。
それらの言葉を聞き終えたエレキモンは、何かを言いずらそうにしばらく口を噤んでいたが、やがて一度溜め息を吐くと共に口を開く。
「ん~、まぁ俺も大体そう思うけど……俺から言わせてもらうと、今回のお前の足手まといっぷりは正直ブチ切れそうになった」
「……だろうな」
「アイツはお前の事を許してるみたいだが、俺はそんなに甘くない。結果的にお前が進化した事によって助かったが、俺は一言お前に言っておきたい事があったんだ」
エレキモンは一呼吸を入れ、これから共に活動する事になるユウキに対して怒気を放ちながら、言う。
「……もしもお前が原因でベアモンが死んだら、その時はお前の事を殺すつもりでいるからな」
仕方無い、とユウキは思う。
実際、自分が原因でベアモンは死にかけたのだから、その友達と思われるエレキモンから、このような事を言われる事ぐらいは覚悟していた。
むしろ、ベアモンの反応が普通に考えてもおかしいはずなのだ。
「………………」
ただ、怖かった。
ユウキがあの時動けなかった理由は、たったそれだけの事。
故に言い訳などせずに、正直にユウキは頭を下げてから言う。
「……ごめん」
「本当に死んでいたら、謝って済むような問題じゃなかった。だから二度と……足を引っ張るんじゃねぇぞ」
「……ああ」
今は、自分が弱かった所為で発生した出来事と結果を、成長するための糧にするしか無い。
そう考えて受け止めるしか、今のユウキには方法が思いつけなかった。
(……人間は失敗して成長するって言うけど、その失敗を成功に繋げられないと意味がねぇ……)
この『経験』は絶対に無駄にしない、とユウキは心の中だけで呟く。
もしこれからも同じ事を繰り返してしまうのなら、結局目的を叶える過程で『敵』と遭遇にした時に何も出来ないのだから。
話を終え、エレキモンと別れたユウキはベアモンの家に戻って来た。
たった一日寝た程度の、愛着と呼べるような物も無い場所で、マンション住まいだったユウキにとっては良いと言える環境では無いが、今のユウキにとっては貴重な安全に眠れる場所であるため文句は無い。
家の持ち主のベアモンの姿は、毛皮の色と暗闇で完全には見えないが、微かに寝息が聞こえるため眠っているのは間違いないようだ。
それを確認したユウキは、あまり物音を立てないように注意を払いつつ、自然の産物を使って作られた寝床に体を預け、そのまま目を閉じる。
(……今日は、たった一日の出来事なのに、何だか凄く長いものに感じたな……)
思えば一日の間に様々な事をした。
起きてすぐに町を治めている長老と出会い、そこから戻って来ると家の主が居なくなっていて、それを探すために森の中へ足を踏み入れていたら怪物に襲われて、途中で意識が吹き飛んで、次に目を覚ましたら全く知らない場所で眠っていた事に気がついて、その後はベアモンやエレキモンと共に『チーム』を作る事になって――――とにかく色々な出来事が、たった一日の間に発生している。
(……九死に一生とはこの事か。ホント、これからは安心出来る時間が短くなるな)
心の中でそう呟きながら、意識を夢の中に落とそうとした時だった。
「……んぅ……?」
ベアモンに対して背を向けるように眠っていた所為で尻尾が当たったからのか、それとも気配を感じ取ったからなのか、言葉になっていない声を漏らしながらベアモンが目を覚ました。
「……ユウキ?」
「ごめん、起こしちゃったか?」
「いいよ別に。家に戻ってからほとんど寝ていたし、嫌な気分にもなってないから」
「……それは良かった。魚も一応ベアモンの分……用意しといた」
暗闇と視界がハッキリしていない状態のまま、ユウキはバケツを置いていたはずの場所を適当に指差しながら、そう言った。
ベアモンはそれを聞くと笑みを浮かべ、嬉しそうに小声で|囁《ささや》く。
「ありがとう。これで貸し借りは無しだね」
「……ああ。食料の方はな」
「……命の方は、君が進化して助けてくれたんだし、既に借りは返されてると思うんだけど」
「自分の意志でやらないと、まるで他人に返してもらったような感覚になって嫌なんだよ」
この部分だけは譲れないと言わんばかりにユウキは言う。
対するベアモンの方からは、まるで小馬鹿にするような口調の言葉が返ってくる。
「意地っ張りだねぇ……その気合いは、もっと別の所に向けた方がいいと思うんだけどなぁ」
「む、じゃあどんな所に向けるべきなのか、言ってみてくれよ」
「それぐらいは自分で考えてほしいんだけど……まぁ、どうしても借りを返した気分になりたいのならさ……」
ベアモンは案を言おうとして一度、何を言おうか迷ったように無言になる。
何を言おうとしていたのか気になったユウキが、質問をするために口を開こうとした所で、やっとベアモンの方から一つの案が出た。
「……よし。じゃあ一回だけ、僕の言う事をなんでも聞いてくれる?」
「……ん? ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言ってくれ」
「だから、一回だけ僕の言う事をなんでも聞いてくれる? って言ったんだけど」
思わず聞き返したユウキだったが、どうやら聞き間違いというワケでは無いらしい。
今度はユウキの方が無言になり、考え始めた。
このベアモンの性格から考えて、流石に危険なことを要求をする可能性は低いだろう。
だが、言葉の一番最初に付いた『何でも』と言うキーワードがやけに引っかかる。
(……いや、別に大丈夫だろ。それに命を助けてくれたんだし、こんぐらいやってあげないとな……)
少しだけ考え、ユウキは静かに答える。
「……分かった。その条件で頼む」
「……え? ホントにいいの?」
「あぁ。命を助けられたんだし、そのぐらいはな」
「……そっかぁ」
ユウキは、ベアモンと背中合わせに寝転がっている所為で気付いていない。
自分の発言を聞いたベアモンの表情が、まるで悪戯を思いついた子供のように、小悪魔的な笑みを浮かべている事を。
そして、後々起こり得る出来事を想像する事も無く、ユウキはベアモンに対して、小さな声で気になっていた事の一つを聞く。
「……ところでベアモン。暗くて確認出来ないけど、怪我は大丈夫なのか……?」
記憶に新しい、本来ならユウキが野生のフライモンから受けるはずだった大きな刺し傷。
もしあの時、ベアモンが体を張って助けてくれなければこの刺し傷だけでは無く、毒によって体を蝕まれて命は無かっただろう、とユウキは実感している。
当時その傷から漏れていた鮮血も生々しく、現実の物と受け取れる物だった。
(……あれが、戦いなんだよな……俺が想像していた物なんかより、ずっと恐ろしかった……)
だが、その一方で。
「あぁ、それなら大丈夫。パルモンが作った薬のおかげで毒は消えてるし、明日になれば完治してるよ」
「……は?」
恐らく、普通の人間よりも危険な目に遭って来た回数は多いであろう(と元人間は推測している)ベアモンからは、まるで怪我の痛みや辛さを感じさせない声調で返事が返ってきた。
流石にそれは強がりだろうと思い、ユウキは追求する。
「い、いや、流石にあれほどの刺し傷を受けたら、治るまでにかなり時間もかかるんじゃないのか……?」
「まぁ僕自身でも理由は知らないんだけど、僕は生まれた時からエレキモン達と比べても自然回復力が高いんだよね。だから、このぐらいの傷ならそれなりの時間眠っていれば修復しちゃうんだ」
「…………」
思わず言葉を失った。
この世界を生きるデジモン達が、成長期の時点でも人間(一部を除いて)よりもかなり高い能力を持つ事は知っている。
免疫力や回復力も、確かに人間よりも高いのなら治りも速くて当然かもしれない。
だが。
(いくら何でも、夕方直前の時間から明日になるまで眠っているだけで、あれほどの怪我が完全に治るなんて……それは流石におかしいんじゃないか!?)
ひょっとしたらあのパルモンが作って飲ませていたらしい薬の中に、デジモンが受けた傷を癒す効果でも含まれていたのかもしれない。
そう考える事も出来たのかもしれないが、まだこの世界に順応出来ていないユウキには、その考えを頭の中に浮かべる事も出来なかった。
(……デジモンってすげぇんだな。今一度、それを再確認した気がする)
「ねぇ、何を無言になってるのさ。何も言う事が無いのなら、もう寝た方がいいと思うよ?」
「……あ、あぁ」
デジタルワールドに来てからの生活の二日目は、間も無く眠りと共に終了する。
だがそれは、あくまでも二日目。
これから始まる三日目に何が起きるか、予想する事も想像する事も出来ない。
だが、優先すべき事柄は定まったし、少なくとも一日前よりも状況は良い方向へと進んでいる。
それだけは、確実に想像する事が出来た。
- このトピックに返信するにはログインが必要です。