カワラナイモノ Part2

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  • #3961
    ユキサーンユキサーン
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      暗闇の時間が過ぎ、日陰の時間が訪れた。

      骨の竜との戦闘によって生じた疲れを出来る限り癒すため、木造のアスレチックの中で鬼人と共に一夜を横になって過ごした青年は、既に獅子の獣人の姿から人間の姿に戻っている。

      晴れているとは言い難い曇り空の下、青年は急かされるような足並みで歩き続けていた。

      先日の鬼人との会話の過程で、リュックサックの中に溜め込んでいた食料を予想以上に消費した。

      思えば鬼人が(戦利品の骨棍棒を除いて)手持ち無沙汰であったという事実から察するべきだった事なのだが、鬼人には自身の食料の持ち合わせは少しも無かったのだ。

      決してこれまで何も食べていなかったわけではないとの事で、途中途中青年と同じく売店の売れ残りなどを頼りに腹を満たしていたらしいが、青年とは異なりリュックサックのような多くの物を入れるための道具が都合よく手に入らなかったらしく、基本的に手に入れた食料は満腹になるまで腹に詰め込んでいたらしい。

      そうして移動と共に時は経ち、腹も空いてきて食料を探している内に骨の竜と鉢合わせになってしまい、闘うことになったと鬼人は夜中に語っていた。

      そんなわけで、青年は動き出して早々に自分自身が食べる食料を確保するために売店が近場に無いか探しだす羽目に。

      でもって、同行者が一人。

       

      「いやー悪いな。パン食だと思ったより腹が満たせなくてよ」

      「……助けられた恩もあるからある程度は許容したわけだが、それにしたって食べ過ぎだと思うんだ俺は」

      「だからその点については謝ってるだろ。悪かったって」

       

      青年の真横には、件の鬼人が着いて来ていた。

      どうやら鬼人も青年と同じく避難した人間の居所を知りたいらしく、ひとまず青年と行動を共にする事にしたらしい。

      実際問題、骨の竜を撃破した時のように互いに助け合う事が出来れば怪物と遭遇した際の生存確率は飛躍的に高まるため、青年としても同行者が加わることに不満は無かったのだが、単純に食料の消費がこれまでの二倍――あるいはそれ以上になるという点は無視出来るわけもなく。

      さっさと食料を補給して、安心を得たいというのが青年の本音だったりした。

      歩を進めていると、ふと頭に浮かんだ疑問を青年は鬼人に対して口にする。

       

      「というか、人間の姿には戻らないのか? 怪物の姿が見えない今、その姿でいる意味は無いと思うが」

      「逆に聞きたいんだが、何でわざわざ人間の姿に戻ってるんだお前? 脆い人間の体より強い怪物の体でいた方が安全だし、戻る意味も特に感じられないんだが」

      「使い続けた結果どんな『副作用』があるのかも解らないだろ。納得出来る理由が無い限り、俺はあの姿になりたいとは思わない」

      「ふーん、まぁ強要はしねぇけどよ。随分面倒臭そうな進み方をしてんのな」

       

      適当な調子の鬼人の返事に、青年は内心で「大きなお世話だ」と呟いた。

      青年自身、わざわざ遠回りな進み方をしているという事に対して自覚はあった。

      自身の現状の目的を鑑みても、獅子の獣人の姿で進んだ方が早く進めるという事ぐらい、鬼人に指摘されるまでもなく解っている。

      それでも、恐れも無く平然と怪物としての側面を受け入れている鬼人の素振りには疑問しか浮かばない。

      この鬼人だって、元は人間であったはずなのに――と。

       

      「……はぁ」

       

      思わず、怪物の力を得てからもう何度吐いたかも覚えていないため息が漏れた。

      決して他人事とは言えない問題だが、それで不満を溜め込んでいる自分自身がどうしようもなく馬鹿らしく思えたのだ。

      自分でも気付かぬ内に、心が病んできてしまったらしい。

      自覚していた当たり前の事を指摘されただけで、不機嫌になってしまう程度には。

      食料探しは難航した。

      発見して入った売店の中を見繕ってみても冷凍食品に惣菜や生肉などは全くと言っていいほどに見当たらず、海産物に至っては店自体が冷蔵の機能を失っているためか既に腐臭の源と化してしまっていて、腹を満たすために確定で食中毒に苦しむ羽目になりかねないものばかりだった。

      とても焼いて食べられるようになる類とは思えない。

      店内に食べ物のかすや残骸といった『食後』を意味するものが散乱していなかった事から見るに、食材の不足っぷりは怪物によって無秩序に食い荒らされたのではなく、鬼人と同じく人並みの知性と理性を持った複数の『誰か』が持ち去ったのであろう事は想像出来た。

      歯を磨く事すら難しい現状では虫歯が怖くもなるが、幸いにも余っていたチョコレートなどの菓子類やサイダーなどの炭酸飲料が入ったペットボトルもリュックサックの中に確保しておく。

      元々、スーパーやコンビニの備蓄は『誰か』が既に確保しているとしか思えない不足っぷりであった事を青年自身も理解はしている。

      とはいえ、食料が手に入らず困るのは他ならぬ自分達になるわけで、罪悪感を感じつつも怪物の影響によって壊されてはいなかった無人の住宅の扉を壊して侵入し、キッチンにある冷蔵庫や棚の中身を確認したりもした。

      恐らくは避難を急いだために持っていく事が出来なかったと思わしき備蓄を確保し、青年はようやくリュックサックの中にしばらくは安心出来るだけの食料を詰め込み終える。

      その一方、鬼人は主のいない家の内装を眺めながらこんな事を言っていた。

       

      「住む奴がいないと寂しいもんだな。いい家なのに」

      「壊されてないだけマシ、だと思いたい所ではあるな」

       

      そこにはきっと、誰かの思い出があったのだろうとは思う。

      だが、それは結局『誰か』とは他人の関係である青年や鬼人には決して共有出来ない情報なのだ。

      そして本来、招かれざる客が勝手に上がり込んで良い場所ではない。

      主のいない家を後にし、青年と鬼人は元々進んでいた方角に向かって歩みを再開する。

       

      (……それにしても……)

       

      道中、青年はふと空を見上げた。

      今日は雲に遮られて見えないが、空にはまるで傷跡のようにも見える裂け目が生じている。

      それは日が経つにつれてどんどん幅を広げているようで、青年にはその裂け目がまるで口を開くかのように――この世界を飲み込もうとしている怪物のようにも思えた。

      あの裂け目の向こう側には、何があるのだろう。

      脳裏に刻まれた知識として、人間が死後向かうとされる天国や地獄という魂の行き場の名が浮かぶ。

      だが、人間ではなくなった者達に天国や地獄に続く扉は開かれるのか。

      返り討ちにしてきた怪物達が、死後に光の粒子となって何処かへと消える光景が頭の中で反芻される。

      あの光は、何処へ向かったのだろうか。

      天国か、地獄か、あるいはそのどちらでもない何処かか。

      仮に、空の裂け目の向こう側に世界があるとすれば、そこが怪物達の世界――いつか還るべき場所なのか。

       

      「…………」

       

      雲に遮られて見えないはずなのに、自分の意識が裂け目の中に吸い込まれていくような錯覚がして、青年はそれまでの思考を断ち切るように視線を下ろした。

      多々続く睡眠不足の影響か、頭が痛む。

      一度立ち止まり、リュックサックの中から黒色のラベルが貼られたペットボトルを手に取る。

      鬼人からも喉が渇いたと訴えられたので、自身が手に取ったものとは異なり薄い赤色のラベルが貼られたペットボトルを手渡しておく。

      蓋を回して開き、中身である黒色の炭酸飲料を口に含む。

      大して甘くは無かったが、それでもある程度嫌な気持ちを和らげる程度の効果はあった。

      一方で、鬼人は不満そうに口を尖らせ、

       

      「……あのよぉ。梅味のサイダーって正直どう思うよ?」

      「飲んだ覚えも無いから知らん。吐かずに飲めるならいいだろ」

      「……あー、ヤバい、口直ししたい。ちょっと何か甘いの寄越してくんね?」

      「我慢しろ。その調子で食べ始めたら食料枯渇コースに一直線だろうが」

       

      鬼人の不満そうな声を聞き流しながら、青年は炭酸飲料のボトルを片手に歩く。

      適当な話題を交えながらも、彼等は確実に何処かへと進んでいた。

      曇り空は晴れず、変わらない空模様の所為でどれほどの時間歩き続けていたのかは解らないが、それでも見える景色は多少変わっていく。

      とはいえ、疲れは感じて来た。

      いつまで歩き続ければ、人に会う事が出来るのか――と青年は少し憂鬱になる。

      そんな時だった。

       

      「……おい、アレは何だ……?」

       

      鬼人が、疑問の声を上げながら右手の人差し指で何かを指していた。

      鬼人の指した方向を目で追うと、青年も鬼人が疑問の声を漏らしたものを目撃した。

      それは、

       

      「……煙……?」

       

      自分で言っておきながら、それでも疑問符が浮かんだ。

      これまでの歩みの過程で、同じものを見る機会は何度かあった。

      大体は怪物が吐き出す火炎が生み出す二次被害によるもので、つい先日も骨の竜が放った『ミサイル』によって爆発と共に黒煙が空へと昇っていくのを見たばかりだった。

      だが、眼前に見える煙はそういった前例とは毛色の異なるもののようだった。

      色は黒ではなく白色で、漂う臭気から不快さは感じられず、むしろ食欲を湧きたてるような香ばしさの方が感じられる。

      煙自体の規模も前例に比べれば小規模で、危機感を煽るようなものではない。

      青年は期待を込めて、こう結論を出した。

       

      (……人がいる!!)

      「あ、おい!! どうしたそんな慌てて!!」

       

      鬼人の声など耳に入らなかった。

      息を切らしかけるほどに速く、青年は煙の立っている場所に向かって走る。

      胸の内が高鳴った。

      ようやく言葉も介せぬ怪物ではない『誰か』に、会う事が出来るという期待によるものだった。

      そして、青年の視界に望んでいたものが見えた。

      見知らぬ顔の人間達が集まっていたのだ。

      視界を凝らして見てみれば、煙の発生源と思わしき焚き火があって、その傍には生の肉や野菜が串に刺される形で放置されている。

      同じようなものが、他にも複数存在していた。

      どうやら、食事を作っている最中だったらしい――青年はとりあえず声をかけてみる事にした。

       

      「あの……」

       

      最初に、その声に気付いた一人――藍色の服を着た大人びた女性――が振り向いた。

      その表情には疑問の色があった。

       

      「あなたは……?」

       

      問い掛けられて、今更ながら青年はハッとなって気付いた。

      記憶喪失である所為で自分の名前が解らない以上、問い掛けられてもどう自分の素性を明かせばよいのかが解らないのだ。

      青年が言葉に迷っている内に、次々と辺りにいた人々から疑惑の声が聞こえてくる。

      大人の声だった。

       

      「何だあの子……」

      「あんな子、一緒に来てたか?」

      「……生存者?」

       

      外観の変貌も相まってか、自分の顔を知っている人物はいないように見えた。

      着ているものが制服であることは辛うじて伝わるかもしれないが、それはそれとして『学生である』という情報以外に人物を推理する材料が無いのだろう。

      そして、青年から見てほぼ真後ろの方向から聞き覚えのある声が響く。

      振り返ってみれば、鬼人の姿が見えた。

       

      「おおーい!! 俺を置いてくなってー!!」

       

      まずい、と青年は素直にそう思った。

      青年がこの場に踏み寄り声をかけた時点で、子持ちと思わしき女性を始めとした老若男女の視線は青年の立っている方へと向けられていて、結果として彼等全員がタイミングの悪いことに鬼人の姿を見てしまった。

      思えば、青年自身は怪物の姿を見慣れていて、自分自身も怪物の力を使う事が出来ることも相まって失念していたことだが、普通の人間達からすると知性や理性を伴った怪物の存在はどう映っているのだろうか。

      いくら鬼人の体が肩から上を除けば殆ど人間に近い姿をしているからといって、その異形をすんなりと受け入れてくれるのだろうか。

      恐らくは怪物達の脅威から逃げてきたのであろう、ただの人間達が。

       

      (……どうする……)

       

      再度集まった人間達の方を見れば、やはり全員が少なからず驚きの表情を浮かべていた。

      ただでさえ青年自身の素性も認知されていない状態で、この突然の遭遇――問題が重複してしまっている。

      どんな言葉で説得すればいいのかと、思考を練ろうとする青年だったが、その前に目の前の女性が慎重な様子で言葉を発してきた。

       

      「……あなた達、人間なの?」

      「えっ……」

      「お願い。素直に答えて」

       

      予想外の問いかけだった。

      あなた達、と前置きしている時点で、鬼人だけではなく青年もまた怪物としての側面を持っている事を理解した上での質問である事は察しがついたのだが、それがどんな意図を含んだ問いであるのかまでは解らなかった。

      少なくとも、外観の話をしているのではないと思った。

      きっとこれは、内面の話なのだろうと。

       

      「んー? いや、今は見て解る通り人間じゃないと思うんだが」

      「ちょっとお前黙ってろ」

       

      やけに当たりがキツくないか!? という鬼人の嘆く声は放っておき、青年は女性に対してこう答えた。

       

      「人間でありたい、とは思ってます」

      「……そう」

       

      その返事を、どう受け取ったのだろうか。

      少なくとも、眼差しから感じた疑いの念は薄れた気がした。

      女性は安堵したかのようにため息を漏らすと、やがてこんな言葉を漏らした。

       

      「……だったら、良かった。二人とも、よく生きてここまで来たわね」

      「あの、ここは……」

      「外から来たのなら解ると思うけど、この辺りには野生の怪物が近寄って来ないから、見ての通り安全地帯なのよ。備蓄が続く限り、食べる事だけはそこまで困らない」

       

      安全地帯。

      その言葉に安堵しつつも、一方で青年は疑問を覚えた。

      怪物の脅威の知りながら、この場が安全地帯だと断言出来る理由が解らないのだ。

      余程強力な『武器』でも持っているのか――とまず最初に予想してみたが、とても想像の及ばない話だった。

      であれば、

       

      (……案外、答えは単純なのか? さっきの反応から考えても……)

      「もしかして、俺達と同じような奴がここにはいるんですか?」

      そう問いを飛ばすと、女性は何故か苦い表情を浮かべ、

      「……ええ、あなた達と同じような奴がいるわ。それも複数」

      「複数……!?」

       

      大抵の怪物達が近寄ろうともしない『縄張り』を作れている時点で、その可能性も十分考えられはしたのだが、それでも自分や鬼人のような存在は怪物と化した者達の中でも少数派であると思っていたため、驚きを隠せなかった。

      それも、複数と語った以上は恐らく一人や二人という話ではない。

      両手の指では数え切れないほどの『同類』が、この辺りに集っているという事だ。

      一人一人の戦闘能力がどれほどのものかは知らないが、少なくとも誰か一人は野生の怪物に『この辺りに近寄ってはいけない』と本能的に察知させるほどの力を有していると考えられる――単純に、獅子の獣人と化した自分や鬼人よりも強いのかもしれない。

      しかし、

       

      (なら、どうしてこの人はこんな苦い表情をしているんだ……?)

       

      素直に疑問を覚えた。

      確かに、安全地帯だとはいえ此処はきっと彼等が元々居た住まいではない。

      いつになったら元の住まいに帰れるのか、いつになったら今の暮らしから開放されるのか――と、不満を覚えるような要素をいくつか予想する事は出来たのだが、果たして理由はそれだけなのだろうか。

      ともあれ、

       

      「とりあえず、出来ればその『同類』達と会ってみたいんですが……」

       

      一度会ってみる必要があると思った。

      きっと、そう遠くない場所にいるのだろうと思った。

      だが、

       

      「あまりお勧めは出来ないわよ」

       

      一言だった。

      故に、青年もすぐさま聞き返す。

       

      「どういうことですか?」

      「あなた達が優しい性格をしている事は何となくわかるのよ。だから、逆に受け入れられない。怪物相手に生き残れるぐらい強いのなら、むしろ『外』の方がいいかもしれない。まだ彼等に存在を知られていない内に、此処ではない何処かに向かった方がいいわ」

      「…………」

       

      女性の声色には嫌味などなく、本当に親切心から青年や鬼人に向けてそう告げていた。

      この辺りに『縄張り』を作っている『同類』と、会わない方がいいと。

      だが、青年にも青年で引けない理由がある。

      どれほどの悪条件が目の前の女性に苦い顔をさせているのかは知らないが、それでもここから更に別の安全地帯――及び多くの人が集う場所を期待して再度旅路に出るなんて事は勘弁したいものだった。

      意を決して、青年は女性にこう返す。

       

      「それでも、お願いしたいです。これからどう動くにしても、その『同類』と会って最低限話をしておかないと、ここまで歩き続けてきた意味が無くなってしまう」

      「そうだぜ。アンタが何でそんな顔でそんな事を言うのか、詳しい事情までは当然知らねえが……それでも、顔合わせすら無しってのはな。行く宛も特別あるわけじゃねぇし……どうにもなぁ」

      「…………」

       

      女性は沈黙した。

      表情に混じる苦味が増す。

      このまま口を開かなかった場合は、自力でこの『縄張り』を作っている『同類』を探してみよう――と青年は考えていたのだが、やがて女性はため息を吐いてこう言った。

       

      「……わかったわ。着いて来て」

      「ありがとうございます」

       

      素直に礼を言い、件の『同類』の居場所へ案内しようと歩きだす女性に青年と鬼人はついて行く。

      途中、青年や鬼人の事を怪訝な眼差しで見る大人達の視線に気付いたが、青年は視線を感じた方へと自らの視線を向けてしまわないように意識する事にした。

      素性も明らかになってない相手に対する反応としては当然のものだと思ったし、怪物達の存在を恐れている以上、自分や鬼人に対しては疑心だけではなく多少なり恐怖も感じている――そんな表情を浮かべられている事実を直に認識したくはなかったのだ。

      実際はそう考えている時点で、自らが自らの事を住民と同じ人間ではなく怪物として認めつつある事を、自覚してはいないのかもしれないが。

      逃れ人の集いから離れ、荒れた住宅街の中を女性の案内に従い歩いていると、やがて正面の方向にあるものが見えてきた。

      手前には黒く塗装された鉄の門が見え、その向こう側にあるのは――色は白く、全体像からしても横に長く、玄関と思わしき場所の上方には何か紋章のような形の石造りの飾り物が見える――マンションやアパートとは異なる、住まいのように見えて人が暮らす『家』とは根本的に構造が違うと思える建造物。

       

      (……あれは……)

      「……っ……!?」

       

      ――ジジ!! ジザザジジザジザザザザジ!!

      その外観を視界に入れた途端、何故か頭の奥で形容し難き雑音が響き、青年は思わず右手で即頭部を押さえていた。

      頭が――脳が痛みを発しているのが解る。

      何かを思い出そうとして、頭の中で一つの景色が浮かび上がろうとしているようだったが、結局それは明確な記憶として成る前に忘却の海に沈み込んだ。

      パッタリと、雑音が止まる。

       

      「おいどうした、大丈夫か?」

      「……いや、大丈夫だ。気にしなくていい」

       

      何となく解ったのは、視界に移り込んだこの風景が、自分の失った『大切なもの』の記憶に直結している『何か』を表しているという事だけだ。

      この場所か、この場所に似た『何か』を、自分は『大切なもの』として覚えている。

      その事実に疑問を覚えずにはいられなかったが、今は優先するべき事柄がある――そう思い、青年はその思考を一旦切り捨てることにした。

      よく見ると、門の手前には門番のつもりなのか二体の人外がその姿を晒し出している。

      案内のため先導して歩いていた女性が足を止め、青年と鬼人の方へと振り返り口を開く。

       

      「あの『小学校』があなた達の会いたがっているやつの居場所よ。基本的に許可も無く中に入ってはならないって奴等のルールで決められてるから、あたしの案内はここまで。悪いけど、敷地内で何があってもあたし達には何も出来ないから……気をつけてね」

       

      言葉の通り、女性は『同類』の居場所らしい小学校の校門が見える場所まで案内すると、歩いていた道順をそのまま戻る形で青年達と別れた。

      改めて、青年は眼前に聳え立つ『小学校』を見据える。

      この建物の中に自分の『同類』がいて、それは案内をしてくれた女性曰く、(少なくとも)青年には受け入れられない相手だという。

      一度だけ深呼吸をすると、横合いから突然鬼人がどうでもいいことを問い掛けてきた。

       

      「……しっかし、やけに礼儀正しかったなお前。もしかしてああいう人がタイプだったり?」

      「年上相手には敬語ぐらい普通は使うだろ。あと、タイプって何だタイプって」

      「好みの問題に決まってんだろ。ほら、お前も人間だったのなら好きな女の子とかいたのかなーって」

      「……お前の理屈が正しかったら、本当に好きな人がいたとしてもそれは真っ先に思い出せなくなってるだろ。そういうお前はどうなんだ?」

      「胸がデカくて髪の毛も長いお姉さんが外観的には好みだな。気の強い性格だったら最高。赤のバニーガール姿になってくれたらもっと最高」

      「覚えている時点で『そういう』のと実際に会った事は無いという事か。なるほどなるほど」

      「いいやきっと思い出せないだけで人間だった頃はそんな素敵お姉さんと会ってラブコメしてた事実があることを俺は信じている……っ!!」

      「結末は失恋だと予想しておくか」

       

      これから危険かもしれない場所に向かうというのに、鬼人は警戒も恐れもしていない様子だった。

      少なくとも、自分の『同類』に関係する案件とは別の方向に疑問を抱き、これから危険が伴うかもしれない場所に向かうという時になって雑談を挟む程度の余裕はあるらしい。

      つくづく、自分とは対照的なやつだ――そう青年は思った。

      自分にはとても、このタイミングで別の事に意識を向ける事など出来ない、と。

      鬼人と共に校門前まで近寄ると、門番らしき二体の人外が当然の如く声を掛けてきた。

       

      「……誰だ? 見覚えが無いやつだが」

      「お前達も俺達の仲間入り志望か?」

       

      片方は人の輪郭を保ちながらも全身が肉と骨ではなく岩石に置き換わっている石の巨人の姿をしていて、もう片方は片腕が何かを打ち出すための砲台と化している白い獣毛に覆われた――脳に刻まれた知識は『ゴリラ』と訴えている――獣人の姿をしていた。

      ――この二体は、先日戦った骨の竜よりも格下の相手だ。

      直感でそう思い、この二体は『縄張り』を仕切っている者ではないのだと青年は判断した。

      恐らく、目的の『同類』は眼前に見える校舎の何処かにいるのだろう。

      二体の言葉に対して返答する前に、青年は自身の姿を人間のそれから獅子の獣人へと意識して切り替える。

      抱く緊張が良い方向に作用してくれたのか、そう時間も掛けること無く変化は終了した。

      視点が少し高くなるが気にせず、獅子の獣人と化した青年は口を開く。

       

      「ついさっき此処に辿り着いた者だ。仲間になるかどうかは、アンタ達の事を知ってから決める」

      「……へぇ」

      「どうやら門番のようだが、とりあえず通してくれないか。俺達はこの辺りの『縄張り』を仕切っている奴と会って話がしたいんだ」

      「随分と威勢がいいな。いいぜ、ボスのところに案内してやる」

       

      正直に答えると、ゴリラの獣人が校舎に向かって歩き始めた。

      頼みもしていないのに、素直に案内の役まで担ってくれるらしい。

      住民達のような普通の人間ではなく、自分達と同じ『同類』ならば特に断る理由も無かったのか、あるいは青年がゴリラの獣人や石の巨人の事を格下だと直感したように、ゴリラの獣人や石の巨人もまた獅子の獣人の姿を見た途端に青年の事を格上だと直感したのかもしれない。

      立ち塞がったとしても、痛い目を見るだけだと。

      石の巨人は案内をゴリラの獣人に任せるつもりなのか、特に動こうとはせずその場で門番としての役を継続するようだ。

      獅子の獣人と鬼人が、ゴリラの獣人の後を追う形で校舎の中へと入る。

      元々は多くの子供達が通い学びの場所としていた場所の空気には、埃が混ざっているような気がした。

      上履きを履いて歩くべきなのであろう廊下の上を人外の土足で歩き、案内に従い進んでいくと、ゴリラの獣人はやがて『図書室』と黒く描かれた板が上に見える扉の前で立ち止まった。

      コンコン、と(体格から考えると非常に奇妙な形で)丁寧にノックをしてから、中にいる人物に向けて声をかける。

       

      「ボス、何か俺達の『同類』が来やがりましたぜ。会って話をしたいとも言ってやがります」

       

      その敬語を聞いただけでも、上下の関係は明確なものだと思えた。

      扉の奥にいるのは、敬語で話しかけなければならない事情を含む相手だと。

      そして、扉越しに返事を受け取ったらしいゴリラの獣人が、何も言わずに扉から横に退く。

      その右手は青年と鬼人に対して、暗に『さっさと入れ』と告げているようだった。

      青年と鬼人はその意に従い、扉を開けて『図書室』の中へ足を踏み入れる。

      そして中に入った途端、多々置かれたテーブルの傍にある椅子に腰掛け、何か雑誌らしきものを読んでいる人間達の姿が目に入った。

      その内の一人――恐らくは『同類』達の集いを仕切っている、黒いサングラスをかけた人物が、青年と鬼人の姿を見るやこんな言葉を放って来る。

      喜々として表情で、迎え入れるように。

       

      「ようこそ、俺の『王国』予定地に。ここまでの旅路お疲れ様だ。ま、適当な椅子に腰掛けてくれ?」

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      率直に言って、違和感しかなかった。

      図書館という場所は過去の自分自身にとって重要な思い出に関わっていないためなのか、どのような場所であるのか――その印象、イメージを曖昧ではあるが青年は覚えていた。

      基本的には静かで、生徒が落ち着いて本を読むための場所であると。

      だが、今――怪物の力を宿していると思わしき『同類』達の集うこの図書館は、そういった感想からはかけ離れた空間となっている。

      辺りからは話し声どころか菓子類をバリボリと噛み砕く咀嚼の音が響き、そもそも読んでいる本にしても本来学校には置かれていないはずの漫画の単行本や週刊誌といった娯楽一直線のものばかりで、元々収納されている本は殆どが棚の中に放置されている有様だった。

      テーブルの上には菓子類の袋やジュース類の詰まったペットボトルなどもあり、最早学び舎の一部としての面影は無く単なる遊び場と化していた。

      ひとまず体格を戻すために人間の姿に戻った青年は、背負ったリュックサックを下ろしてから椅子に座り、間に木製のテーブルを挟む形で怪物としての側面を持った『同類』達を統率していると思わしき黒いサングラスの男を見据える。

      鬼人は椅子に座る気も人間の姿に戻る気も無いらしく、そのままの姿で同じく椅子に腰掛けたが、季節外れな黒いサングラスが目立つ男の口元には笑みという形で余裕が表れている。

      仮に鬼人がその手に持った骨の棍棒で殴り掛かったとしても、返り討ちに出来るという確信があるのだろう――と青年は推理した。

      サングラスの男が、世間話でもするような軽い調子で口を開く。

       

      「随分と苦労したみたいだなぁ、そのボロボロの服を見るに」

      「色々と。そういうアンタは随分と楽をしているように見えるな」

      「これでも苦労はしてたんだけどなぁ。ま、この体たらくだとそう見えて当然か」

      「一応確認するが、アンタが此処のリーダーって事でいいのか。俺の『王国』予定地とか言っていたけど」

      「その認識で正しいから、その点では安心していい。新しい社会を作るのには時間が掛かって当然だろ? だからまだ予定地止まりなのさ」

       

      双方の表情や口調は対照的だった。

      サングラスの男の口調が楽しげな一方で、対照的に言葉を返す青年の口調は常に一定で。

      青年の表情が冷たさを感じさせるほど固くなっている一方で、サングラスの男の表情は喜びや楽しさを表す色に染まっていた。

      左手を腰に当て、怪訝そうな眼差しを向けながらも鬼人が言葉を発する。

       

      「『王国』とはまた随分と大袈裟だな。日本って『王』によって成り立った国じゃなかったと思うんだが」

      「例えだよ例え。少なくとも『帝国』よりは控えめにしたつもりなんだが、やっぱそう思うか?」

      「自分の縄張りに『国』なんてくっ付けてる時点で十分大袈裟だって」

      「何事もやるならスケールはデカい方がいいだろう? その方が楽しいしやり応えを感じられる」

       

      その楽しげな口調の言葉に、青年はつい少し前に出会った女性や住民達の居た場所の風景を思い返してみた。

      何というか、例えの大袈裟っぷりも相まって、まったくイメージが嚙み合わない。

      だが、所感を口に出す前に、サングラスの男の方が先に問いを出してくる。

       

      「さて、まぁ手短に聞きたいんだが、何でお前達は俺に会いに来たんだ? 新しい『同類』に会えるってのは素直に嬉しく思うが、やっぱり仲間入り志望なのか?」

      「仲間入りするかどうかも含めて、これからの動向を決めるための指針が欲しかったからだ。……単純に『同類』として話も聞きたかったって事情もあるけどな」

      「『同類』として? 何の話をだ?」

      「単刀直入に聞く。アンタは結果として得た怪物の力の事をどう思ってる」

       

      その問いに、初めてサングラスの男が真顔になった。

      何故そんな事を聞かれたのか、とでも言いたげに首を傾げている。

      だが、直後に笑みを深めてこう言葉を返してきた。

       

      「そんなもの決まってるだろ? この力は証だ。力を持つ者として、人間を超えた存在として生きる事を許され、世界に選ばれた証。最高の贈り物だよ……快感だ」

      「……こんな、呪いにも等しい力が? 押し付けられて迷惑だとは思わないのか」

      「いや全く? 何でそんなネガティブに考えないといけないのかね。力が手に入ったんだぞ? 人間を超えた力が。気に入らない奴を跳ね除けて、好き放題に世界を変えられる力が。嬉しく思えないのか?」

       

      サングラスの男の口調は、本当に喜々に満ちている。

      青年には、その理由が何も理解出来なかった。

      確かに得た力は人知を超えていて、ただでさえ怪物の蔓延る今の世界において力を得た事は、 知性や理性を失った怪物として彷徨う事になるよりはずっと幸運な方だと考えられるのかもしれないが、それでもここまでの歓喜を顔や声に出せるほどの情感に青年は共感する事が出来ない。

      この男は、ただの人間ではなくなった事に対して明らかに喜んでいる。

      ただの人間ではなくなったという事実を坦々と受け入れている(ように見える)鬼人より、遥かに異常な感性だとしか思えない。

       

      「……思えない。生き残るために散々利用してきた力だが、嬉しいと思った事は多分一度も無い」

      「ふぅん? そっちの兄ちゃんはどうなんだ?」

      「ま、少なくともラッキーとは考えてるつもりだ。流石に『選ばれた』だとか、そんな飛び抜けた解釈をした事はねぇけど」

      「別に飛び抜けてはいないさ、単なる事実だ。もっとその幸運を誇ればいい」

       

      鬼人の返事は相変わらず適当な調子だった。

      だが、その内容に青年は確かに安心する事が出来た。

      少なくとも鬼人は、このサングラスの男とは違うと思えたからだ。

      サングラスの男はその視線を再度青年に向け直す。

      ただし、呆れの色を混じらせながら。

       

      「んー、どうやらお前は自覚が足りないみたいだなぁ。そんなに人間なんかに未練があるのか?」

      「ある。出来る事なら、時間が巻き戻って元の日常を返してほしいと思う程度には」

      「……わかんねぇなぁ、脆弱な人間の体にそこまで執着してる理由が全くわからねぇ。椅子に座る前に見せていたあの姿、中々悪くないと思ったんだが」

      「最近同じ事を言われた事があるが、答えは同じだ。大きなお世話だ、放っておいてくれ」

      「いいや放ってはおけないな。人間を超えた存在として義務を果たそうともせず、意味も無く人間の暮らしに戻ろうと足掻いてるだけだなんて。そんなカワイソーな奴、とても放ってはおけない。そういう奴をしっかり導いてやるのが王様の役目ってやつだからなぁ……」

      「…………」

       

      何か、嫌な予感がした。

      気付けば、図書館に集っていた『同類』の面々の視線がいつの間にか青年の方へと集まっている。

      悪目立ちしている場違いな異物を見るような、そんな視線が。

      本を読む手も、菓子を歯で砕く音も、語らう声も――既に止まっている。

      ただ、この場に集う『同類』達を纏める王の言葉だけが続く。

       

      「うんうん、まぁせっかく苦労してここまで来たのは見れば解る。だから、そんな奴を相手に早々こんな事をするのも心苦しいんだがな、郷に入らば郷に従え……だっけ? そういう言葉もあることだし、実際俺としてもさっさと『らしく』なってくれた方が好ましいし……これはもう、仕方無いよなぁ」

       

      男の口角が上がる。

      その顔が再び笑みの形を作る。

      右手が上がり、意を汲み取った『同類』の面々が席から立つ。

      そして、嫌な予感が的中した。

       

      「……捕らえろ」

      「……ッ!!」

       

      サングラスの男の命令と共に、図書室に集っていた『同類』達がそれぞれその身を怪物へと変じ始めた。

      ある者は真っ黒い悪魔の姿に、ある者は一つ眼の黄色い異形の姿に、ある者は鶏にも似た巨大な鳥のような姿に、またある者は赤い獣毛に身を包んだ細い体の狼の姿に。

      危機感が緊張を一瞬で変化に要するラインを超えさせる。

      意識するまでも無く、青年の体は人間から獅子の獣人の姿へと変じていた。

      座る事に使っていた椅子を右手で掴み、腕力に任せてサングラスの男へと投げ付ける。

      バキィ!! と骨が折れる音にも似た音が響くが、それは骨ではなく椅子が砕ける音だった。

       

      「……いきなりキング狙いは無謀じゃあないか?」

       

      見れば、サングラスの男の体も既に人外の姿に変わっている。

      その姿は、ある意味において先日遭遇した骨の竜よりも異質なものだった。

      サングラスの男が変じた姿の外観を直球で述べると――それは知識として刻まれた『猿』と呼ばれる動物のようだった。

      全身の筋肉がいったい何処でどれほどの鍛錬を積んだのかと疑う程に発達しており、胸の部分には刺青か何かなのか赤い文字で『最強』と描かれている。

      尻尾が生えていたり髪の毛らしきものが見当たらない点を除けば、その姿は人外でありながら殆ど人間に近い輪郭をしているように見えた。

      変化したにも関わらずかけられたままのサングラスが、尚の事人間の面影を主張している。

      だが、そういった人間の面影や獣の要素などから導き出される全ての印象を――全身余すところなく染め上がっている銀色の体色が全て塗り潰す。

      笑みと共に見せた金色の歯も相まって、体の全てが金属で出来ているように見えてしまう。

      あの人外の体は、そもそも生物なのか、あるいは機械なのか――そんな単純な疑問に即答出来る者など、いるのだろうか。

      異質極まる姿を目の当たりにした青年の本能が、これまで以上の危機感を訴える。

       

      ――駄目だ、こいつは……ヤバい!!

       

      実際に戦いとなる前から、そう思えるだけの何かを感じてしまった。

      ただでさえ、それ以外にも図書室には敵として襲い掛かってくるつもりであろう『同類』が集っている――真っ向からぶつかって勝てる見込みなど微塵も無い。

      だが、そもそも青年は最初の一手からして間違っていた。

      状況が不利だと理解していたのであれば、椅子を投げたりなどせず最初から逃げる事を優先していれば良かったのだ。

      直後、逃げる――その選択を先送りにしてしまった結果が、当然の結果が襲い掛かってきた。

       

      ゴパッッ!!!!!! と、凄まじい轟音が図書室に響いた。

      金属質の猿人間と化したサングラスの男が、獅子の獣人たる青年の腹部に向かって拳を放った音だった。

      青年は咄嗟に後方に跳んで拳を避けようとしたが、予測を超える速さで踏み込んできた猿人間の拳から逃れきる事は出来なかった。

      衝撃に伴う威力を軽減させる事こそ出来たものの、それでも肺の中から空気が全て漏れる。

      殴られたというより抉られた――そう錯覚してしまいそうになる程度には、放たれた拳の威力は凄まじいものだった。

       

      「ぐ、は……っ!!?」

       

      一気に図書室の壁に叩き付けられ、当たり所が悪かったのか青年の意識が明滅する。

      尻が床に落ち、立ち上がろうと支えにする腕に力を込めるが、うまくいかない。

      そして、

       

      「んー、捕らえろってわざわざ言ったのに結局俺が捕まえちまったなぁ。いやはや」

       

      いっそ退屈そうな調子で、金属質の猿人間が間近で呟いていた。

      その手に頭を乱暴に掴まれ、そのまま力ずくで床に振り下ろされる。

      顔面に伝わる鈍い衝撃と共に、抵抗する間も無く青年の意識が埋没した。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      寒い。

      目が覚めた時、青年が最初に感じた感覚はそれだった。

      明滅する意識の中、両手は後ろに回され手首を何かで縛り付けられていて、いつの間にか上着を脱がされているという事実に気付く。

      体は、いつの間にか人間のそれに戻っていた。

      立ち上がり、動こうとすると、首に圧迫を感じ、苦しくなる。

      両手だけではなく、首もまた何かに縛られているらしい。

      視界が霞む中、状況を確認しようと眼を凝らして見るが、見えたものは木製の扉と白い壁ぐらいで、正面の方向には今の青年に場所を特定出来るようなものは無く。

      何かの臭いが充満していて、あまり心地良くは無いと思った。

      ここは何処だ。

      そう思い、今度は周りを見回してみるが、見つかったものは何かに使われていたのであろう白い色のボールが入った鉄の籠や、山のような形に積み上げられた木製の器具などぐらいで、最低限理解出来たのはこの場所が『倉庫』であるという事実ぐらいだった。

      相変わらずといった調子で頭の中で雑音が響き、脳が何かの記憶を呼び起こそうとしたが、やはり明確なものとして思い出す事は出来ない。

       

      「…………」

       

      どうやら、この『倉庫』の中には現在青年以外に誰もいないらしい。

      薄暗く、狭く、寒く、臭く。

      とにかく孤独で、とにかく不快で、とにかく辛さを感じさせてくる空間に一人、閉じ込められている。

      どうやら、自分は捕まってしまったらしい――と不思議なほど冷静に状況を認識する。

      頭の中に、黒いサングラスをかけた金属質の猿人間の姿が呼び起こされる。

       

      思えば、あの男は自分を捕らえて何をするつもりなのだろうか。

      実の所、青年はあくまでも『人間』であろうとした自分に対してサングラスの男が何をするつもりのか、まったく予想出来ずにいた。

      ただ、捕まれば何か好ましくない事を強制されると思い、危機感を覚えた。

      未明で不明のそれから逃れようとして、失敗した。

      だから今、自分はこの『倉庫』に閉じ込められている。

      解っているのは、それだけだった。

      頭の中に、この状況を生み出した張本人の言葉が呼び起こされる。

       

      ――いいや放ってはおけないな。人間を超えた存在として義務を果たそうともせず、意味も無く人間の暮らしに戻ろうと足掻いてるだけだなんて。

       

      (……くそっ)

       

      心の中を抉ってくるような言葉だった。

      今までの自分の生き方を否定するような言葉だった。

      あんな言葉に一言も反論出来なかった自分に腹が立ってくる。

       

      「……くそっ……!!」

       

      認めるしか無かった。

      あのサングラスの男は、自分よりも遥かに強い。

      戦う前から、青年には勝ち目があると思うことすら出来なかった。

      怪物としての自分を受け入れている者と、怪物としての自分を拒み続ける者――その強弱を、ハッキリと示されてしまった。

      つい先日に鬼人と出会うまで、ずっと一人で生き延びてきた自分の努力が否定される気分だった。

       

      実際問題、青年自身あの男に言われるまでも無く疑問を抱いた事はあった。

      人間であり続けようと、人間として足掻いていこうと、怪物としての自分を否定し続ける今の生き方に果たして意味はあるのだろうか、と。

      その疑問が浮かぶ度に、きっとそれは大切な物を守っているのだと、失ってはいけないものを失わないようにしているのだと、何か意味がある行為なのだと自分自身に信じ込ませてきた。

      その柱を、折られた。

      人間としての自分は無意味なものだと、否定された。

      それが、どうしようも無く悔しかった。

      だけど、どれだけ憤ってみても、今の状況を打破する力には繋がらない。

      後ろに回された両手は何かに縛られていて、何より首を輪の形の縄か何かに縛られているおかげで身動きは取れない。

      怪物の姿に変わる事が出来れば話は早いのかもしれないが、その行為自体がサングラスの男の言葉を肯定してしまうようで、変わる事そのものに対して心が受け入れられなくなっている。

       

      そうこうしている内に、腹が減った。

      何かを食べたいという衝動が胸の内に生まれる。

      思えば、気を失ったままどれだけの時間が経ったのだろう。

      倉庫内には正面の扉や上の方に窓が付いているようだが、そこから差し込む光の量は乏しく、今が昼間なのか夕方なのかあるいは夜中なのか――確かな認識が得られない。

      いつまでこの状態が続くのだろうか。

      一緒に来ていた鬼人は無事なのだろうか。

      不安が不安を呼び、焦燥に駈られていると、突然正面の扉から異音が聞こえた。

      扉が開き、向こう側から誰かが倉庫内に入って来る。

      片方は図書室で顔を見た覚えのある男だったが、もう片方は全く見覚えが無い幼き女の子だった。

      男は青年の姿を見るや女の子の手を引き、まるで物を捨てるような調子で青年の前に放り出す。

      そして、素っ気無く言った。

       

      「食事だ」

      「……ッ!!?」

       

      ゾッとする意味を含んだ言葉だった。

      驚愕に言葉に詰まり、反論を口にする前に男は扉を閉めてしまう。

      ガチャリ、と鍵が閉まる音が遅れて聞こえる。

      後には少女と青年だけが残され、その場には冷たき静寂が訪れる。

       

      「…………」

       

      青年は、しばらくの間喋る事を忘れてしまっていた。

      それほどまでに、扉を開けた男の行動と言葉は青年の心に衝撃を与えていた。

      食にありつける何処かへ案内するのでもなく、何らかの食料を置いていくのでもなく、ただ一人の女の子――恐らく『怪物』としての側面を持たない普通の人間――を『倉庫』の中に置き去りにした『だけ』である以上、男が告げた言葉――恐らくはあのサングラスの男の命令――の意味は明白だ。

       

      ――そのエサを、食べろ。

      ――お前は人間ではなく怪物なのだから、それで腹は満たせるだろう?

       

      ……どこまでの化け物になれば、こんな事を思いつくのだろうかと青年はただ思う。

      この場に食料は無く、そもそも手が後ろで縛られている時点で、傍に食料があったとしても食料を手に取って食べるという当たり前の工程をなぞる事は出来ない。

      精々可能な事があるとすれば、首に伝わる圧迫に耐えて床に落ちた何かを舐め取れるかどうかといった所だ。

       

      ――そう、人間の姿のままであれば。

       

      怪物の姿になれば、首や後ろに回された手を縛るものを引き千切る事が出来るだろう。

      怪物の力を使えば、目の前で閉ざされた扉をその力で破り脱出を試みる事も出来るだろう。

      怪物の体であれば、人間の姿では到底食べられない食物も噛み砕き飲み込む事が出来るだろう。

       

      ……それがサングラスの男の狙いなのだろう、と青年は推理した。

      これは、生き物が当たり前に持つ欲求を利用したチキンレースのようなものだと。

      空腹になれば、誰だって食べ物を求めるだろう。

      到底食べられない物、食べれば体を壊す物であっても、口に入れて胃袋を満たそうとするだろう。

      人間としての記憶を失い、怪物だらけの世界で一人目覚めてから――他ならぬ青年がそうして生きてきたのだから。

      もしも、空腹を意思で我慢し切れなくなり、怪物の姿に成ってしまったら――その時、正気を保ち続けていられる自信が無い。

      仮に、そうして目の前に見える少女の五体を食欲と狂気によって食い散らかしてしまったら――きっと、もう『人間』であろうと足掻き続けていた青年の心は二度と修復出来なくなってしまうほどに壊れてしまう。

      後には口元を赤い血で染め、人間の心を限り無く失い、救いようの無い狂気に浸った怪物だけが残るのだろう。

      生きるためだと言い訳をしたとしても、この一線だけは決定的だ。

      あのサングラスの男は、青年に怪物としての『自覚』を持たせるため――たったそれ一つだけのために、一人の少女を生け贄に捧げたのだ。

       

      (……どうすれば……)

       

      怒りよりも先に、恐れが心に染み入る。

      いっそ餓死してしまえるのなら、そうしてしまいたい。

      怪物ならまだしも、明らかに普通の人間にしか見えない女の子を食らう事など、死んでも許容出来ない。

      目の前の、食料として捨てられた少女が力なく起き上がる。

      本当に怪物として食べさせる事を前提としているためか、下着以外に着ているものは見当たらなかった。

      過去に誰か――恐らくはサングラスの男本人かその仲間――に虐待されていたのか、体には点々と青痣が浮かんでいる。

      拘束された青年を見るその瞳に、光は無かった。

      どんな言葉を掛けてやればいいのか、そもそも少女がこの場に放り捨てられた原因とも呼べる自分にそんな資格があるのか――青年は迷った。

      互いに発する言葉も無いまま、ただただ時間が経過する。

      食に飢え、満たされない感覚に心を灼いて、どれだけ時計の針は進んだか。

      やがて、自らの中に芽生えつつある衝動から逃れるように、青年は少女に口を開いた。

       

      「……ごめん……」

      「…………」

       

      少女は口を開かない。

      だから、青年の言葉だけが続く。

       

      「……俺の所為で、こんな事になって。君は何も悪くないのに、こんな狭い場所で化け物と一緒にされるなんて」

       

      言葉を吐き出す度に、目から雫が零れた。

      そんな資格は無いと解っていても、止められなかった。

       

      「……俺は、きっといつか我慢出来ずに君の事を食べてしまう。そうならないためには、もう俺が死ぬしか方法は無いと思う。だけど、俺にはもう自分で自分の舌を噛み切れるだけの力も残ってない。度胸も無い。そもそも噛み切ったとしても生き続けてしまうかもしれない。だから……」

       

      もう、心が折れかけていた。

      だから、こんな事を口走ってしまった。

       

      「……俺を、君が殺すしか無い。俺が君を食い殺す前に。どんな方法を使ってもいい。身勝手な願いだってのは解っている。だけど、それでもお願いだ。俺に、俺に……人殺しをさせないでくれ」

       

      我ながら、最低な願い事だと思った。

      加害者でありながら、被害者に自分の願いを押し付けている事が。

      小さく幼い女の子に、殺しの業を背負わせようとしている自分自身の身勝手さが。

      自分の言葉を、少女がどれだけ理解出来たのか青年には解らない。

      届かなかったとしても、仕方が無いとさえ思える。

      だが、濁った瞳で青年の顔を見つける幼き少女は、青年に向かってこう言った。

       

      「……やだ」

       

      否定の言葉を。

      仕方が無い事だと思いながらも、青年は疑問の声を漏らした。

       

      「……何で?」

      「……だって、お兄ちゃん悲しそう」

      「……ああ」

      「……そんなお兄ちゃんを、傷つけたくない」

      「……でも、そうしないと君が死ぬ」

      「……それでも、やだ」

       

      少女の言葉は、殆ど駄々を捏ねるような声だった。

      きっと、この少女は青年がどんなに自分を殺すよう訴えても同じ言葉で断り続けるだろう、と思った。

      お兄ちゃん、という呼び方が胸の内に覚えの無い暖かさを抱かせるようで、とても厳しい言葉で強制させようなどとは考えられなかった。

      だが、それでも、少女の命を守るためにはこうするしか無い――そう思い、青年は心を鬼にして卑怯な言葉を吐き出してしまう。

       

      「……君には、お父さんやお母さん……家族がいるんじゃないのか。君が死んだら、きっと悲しむぞ」

       

      知らない顔の誰かの笑顔を、人質にした。

      自分がその温もりの温度を覚えていない事をいい事に。

      会ったばかりでも、この少女が優しい性格をしている事は理解出来た。

      だがそれでも、こう訴えかければ、たった今顔を知った誰かの生より、ずっと前から顔を知る育ての親の笑顔を優先するはずだ。

      そう思っての言葉だった。

      そして、少女の返事はこうだった。

       

      「……いないの」

      「……え」

      「……お母さんもお父さんも、いないの。何処にいるのか、わからないの」

       

      青年は絶句した。

      その回答を、全く想像していなかった。

      今のこの世界が弱肉強食の理論に支配されている事を、知りながら。

      こんな場所に、奴隷以下の扱いを受けて放り出された少女の境遇を、察する事が出来なかった。

       

      「……お兄ちゃんじゃないお兄ちゃんも、いないの。みんな、わたしのことを置いて何処かへ行っちゃったの」

       

      少女の言葉は涙声だった。

      きっと、少女の中ではもう会えないものだと認識されているのだろう。

      最初は希望を持っていたのかもしれないが、そんな心もきっと何処かで折れてしまった。

      本当は何処かで生き延びているかもしれなくとも、かもしれないとしか言えない曖昧な可能性を信じられなくなった。

       

      「もう、やだよ」

       

      故に。

      直後の言葉に、名前も知らない少女の願いが詰まっているように思えた。

       

      「……もう、痛くなるようなのは、やだよ……」

       

      それは、所々に青痣が出来るほどに痛め付けられた体の事か。

      それとも、家族と離れ離れになってしまい孤独に苛まれた心の事か。

      あるいは、その両方か。

       

      (……くっ……)

       

      ここに来て、青年は少女の命だけではなく心までも救いたいと思ってしまった。

      そう思ってしまうほどの言葉を、胸の奥に叩き付けられてしまった。

      だが、この状況を打開するには難しい問題が確かに存在する。

       

      第一に、まず青年が自由に動けるようにならねばならない事。

      第二に、逃げ切る前に脱出がバレてしまった場合、最悪あのサングラスの男と戦う事になってしまう事。

      第三に 仮に脱出が成功したとして、その後少女と共に何処へ逃げれば確かな『安心』を得られるのか、全くと言ってもいいレベルで解らない事。

      第一の問題からして、青年が怪物化した際に自らの衝動を抑え切れるかどうかという賭けの話が混じっている。

      第二の問題にしても、目の前の扉の向こうにサングラスの男の仲間が見張り役として立っていた場合、不穏な動きはすぐにでも感付かれてしまう。

      そして第三の問題――これが一番の問題とも言えた。

      この『縄張り』における普通の人間の扱いがどんなものであるか詳しくは知らないが、案内をしてくれた女性の言い分からしても目の前の少女の非道な待遇からしても、怪物の脅威からは『安全』であっても人としての自由や尊厳は守られていない事は想像に難くない。

      であれば、人の集いに戻っただけでは意味が無い。

      何処か遠く、最低でも『縄張り』の外にまでは行かなければならない。

      だが、その場合も危険は付きまとう。

       

       

      サングラスの男の『縄張り』の外では、道中確実に野生の怪物の襲撃に遇う。

      危険に晒されるのが青年一人ならまだしも、無力な少女一人を庇いながら戦えるのかどうか、自信が無い。

      食料だって、自分だけではなく少女の分も必要になる。

      鬼人ほど大食らいではないだろうが、何より少女は普通の人間――青年ほど体が頑丈ではなく、下手に大きく消費期限切れを起こした食料を食べたりしたら体調を崩してしまうだろう。

      今でさえ衰弱しているように見える状態で、それは致命的と言っていい。

      これまで集めてきた食料を入れたリュックサックは間違い無く接収されているだろうし、何処に持って行かれたのかも解らない状態でのうのうと探索していては確実に脱走に失敗する。

      それでは本末転倒だ。

       

      もっと善良な性格の『同類』が管理している『縄張り』に辿り着ければそれが最善かもしれないが、そんなものが都合良く見つかる可能性を青年には信じられない。

      この『縄張り』に辿り着くまでが、そもそも長く険しい旅だった。

      それと同じ工程を、今度は誰かを守りながら歩む――途方も無い話だ。

      仮に新たな『縄張り』に辿り着いたとして、此処のように普通の人間が虐げられるような場所ではないという保障は無い。

      希望が見えない。

      いっそ屈服して願い媚びてしまった方が確実かもしれないが、あのサングラスの男が青年の嘆願によって大人しく少女の死が前提となった方針を取り下げてくれるような心性を持ち合わせているとは思えない。

      それ以外にも頭の中で必死に少女の体も心も死なずに済む方法を模索してみたが、やはり確実性のある答えは想像すら出来なかった。

      そうして、無駄な時間だけが刻々と過ぎていく。

       

      ふと、同行していた鬼人の事が頭を過ぎった。

      青年はこうして捕らえられたが、それはサングラスの男の意思に反する人間としての思想を持っていたからだった。

      だが、鬼人は確か自信が怪物と化した事について青年とは異なり幸運だったと口にしていたはずだ。

      サングラスの男ほど苛烈ではなかったが、怪物の体に特に不快感を抱いているようには見えなかった。

      青年が気を失った後、どのように扱われたのか――そして、扱いに対して鬼人自身はどう立ち回ったのか……気懸かりではあった。

      どうにか無事でいてほしい――そう思う程度には、情が寄っていた。

       

      正直な所、あの鬼人の思想はよくわからない。

      聞いた言動の大半は適当で、深く物事を考えてるようにはとても見えなかった。

      その態度に腹が立った覚えもある。

      だが今となっては、あの能天気さが逆に羨ましかった。

      怪物としての力を忌避したりせず、さながらただの武器か道具として受け入れているように見えた、あの在り方が。

       

      (……何で、あいつは怪物の力を受け入れられたんだろうな……)

       

      浮かんだ疑問にも答えは出ない。

      そもそも、答えが出たとして今の状況がどうにかなるものとは思えない。

      救いなど無い。助けなど来ない。そんな希望など存在しない。

      これ以上思考したとしても、最早蛇足以外の何物にもならない。

      それが現実だった。

      心をすり減らしながら、いつしかそう達観しようとしていた。

      つもりだった。

      なのに。

       

      ゴシャァアアアアッ!! と。

      突如、目の前の扉が外側からの力に圧される形で折れて倒れてきた。

      その音に、青年と少女が同時に扉のあった方を向く。

      暗がりで姿を視認しづらいが、その輪郭を青年は覚えていた。

      鬼人だ。

       

      「よーっす、助けに来たぞー」

      「……お前、何で……?」

       

      相変わらずの適当な調子の言葉に、思わずといった調子で疑問の声が漏れた。

      だって、今の青年を助けるという事は、あのサングラスの男の意向に明確に逆らうという事だ。

      青年と同じく、険しい道なりを歩き続け、ようやく辿り着いた人間と『同類』の集う『縄張り』から、自ら離反するという事だ。

      目に見えた危険を冒してまで、鬼人には青年を助けなければならない理由など無いはずなのに……。

      鬼人はこう答えた。

       

      「何でって、俺はお前に一度助けられてるんだぞ? 結果的にだが。食料だって分けてもらったし、貸し借りの話になればどう考えても俺の方がお前に借りを作っちまってる。むしろ、ここまで助けに来るのが遅れちまって悪かったってぐらいだ」

      「……たった、それだけの理由でか……?」

      「ついでに、あいつ等の事が気に入らなかった。あんなのと一緒になんていられねぇよ……」

       

      声色が、初めて苛立ちの篭ったものに変わっていた。

      今この時に至るまでの間に、何かがあったのかもしれない。

      鬼人は青年の後ろに回り、両手を縛る何か――縄のようなものを解きながら、

       

      「そんな事より、さっさと行くぞ。ちょいと派手に音を出しちまったからな。その内連中は俺達を捕まえに来るはずだ」

      「……逃げて、何処に行くんだ? 行く宛があるのか?」

      「無い」

      「なっ」

       

      キッパリと言われて、元々『逃走後』に希望を想像出来ていなかった青年でさえ思わず声を詰まらせる。

      しかも、鬼人は直後にこう告げた。

       

      「そもそも、逃げ切れないと思うしな。監視の目だってあるし、見逃してでもくれない限りは。単純に走って逃げるだけじゃいつか追い着かれる。お前も俺も、速さに特別長けているわけじゃねぇし……その女の子を抱えながらってなると、尚更な」

      「おい待て。逃げられる見込みが無いのなら何で助けた!? これじゃ、ただ状況が悪化しただけじゃ……!!」

       

      これでは今この場で助けられたとしても、すぐに捕まってしまう。

      それでは全くと言っていいほどに意味が無い。

      ただ鬼人の立場を悪くするだけだ。

      しかし、直後に鬼人は呆れたような調子でこう言った。

       

      「だから、逃げずに勝つ方針にすればいいだけの話だろうが」

      「……おい、まさか」

       

      嫌な予感がした。

      そして、予想通りの答えがやってくる。

       

      「戦って勝つ。誰より優先してあのグラサン猿男をぶちのめす。それ以外に活路は無いって、お前も解ってたんじゃないか?」

      「…………」

       

      それは、青年自身考えもしていなかった解決方法だった。

      この状況に至るまでの過程から、不可能だと決め付け思考すらしなかった話。

      その解に対して、青年は苛立ちを込めてこう返した。

       

      「……それが出来るのなら、そもそもここで捕らわれていない」

      「かもな」

      「勝てる気がしなかった。俺があいつの怪物としての姿を見た時、その時点で俺には打ち勝てると信じる事すら出来なかったんだ。きっと、奴はまったく本気なんて出していない。手加減した状態でさえ、歯が立たないんだぞ。そんな相手にどうすれば勝てるっていうんだ」

      「知らん」

       

      無責任な言葉に、青年の頭に血が昇りそうになる。

      だが、鬼人は更に言葉を紡いだ。

       

      「そもそも、お前は勝ち目があると思ったから戦うのか? 俺が骨の竜と戦っていたあの時も、勝ち目があると思ったから首を突っ込んで来たのか?」

      「……それは」

      「逃げるって選択だってあっただろ。実際逃げてたら『ミサイル』で狙われてお陀仏って可能性もあったが、そうとも知らずにお前は自分から言っていたぞ。死なれたら困るから勝手に助力させてもらうってな。……なぁ、そもそも何で死なれたら困ると思ったんだ? 俺が持ってる情報とやらは命と等価値だったのか?」

      「…………」

       

      その問いに、青年は答えられなかった。

      思えば、あの時の自分の行動は自分自身不思議に思った所もある。

      単純な利益だけでは説明出来ない、何かの衝動に従う形で行動していたような気がする。

      その答えを、鬼人はあっさりと口にする。

       

      「多分だが、お前は単純にアレじゃないのか? 危険な目に遭ってる奴を見かけたら、身の危険を承知の上でも助ける事を優先するタイプ。お前、度を越えたお人好しタイプなんだろうよ」

      「……俺が、そんなやつに見えたのか」

      「そう見えた。っつーか、結局骨の竜と戦う流れに乗っかって、途中で俺がヤツに捕まった時だってトドメを刺す事より助ける事を優先してたじゃねぇか。自覚が無いのならもう病気のレベルだとしか思えねぇ」

      「…………」

       

      さも当然のように語られて、青年はふと反論する事さえ忘れていた。

      その間に鬼人は青年の首元を縛る『何か』を解き、拘束状態から開放する。

      そして、改めて質問を放ってきた。

       

      「一つだけ答えろ。お前はその子を助けたいのか。それとも見捨てるのか」

      「…………」

      「可能か不可能かは聞かねぇ。ただお前がどうしたいのかをハッキリ言ってみろ」

       

      シンプルな問いだった。

      とてもシンプルな問いだった。

      こんな事は深く考える必要も無いと言わんばかりの調子で放たれた言葉は、だからこそ柔らかいオブラートなどには包まれておらず、剥き出しの鋭さでもって青年の心に突き刺さった。

      青年は、少しの間黙っていた。

      救助を感付かれ追っ手を差し向けられるまでの時間が迫る中、鬼人は返答をただ待った。

      そして、やがて青年はこう返した。

       

      「その子を助けたい。どんな手を使ってでもだ」

      「いい返事だ」

       

      その回答に満足したのか、鬼人はあからさまに笑みの表情を浮かべた。

      青年自身、もう状況がこう動いてしまっては流れに乗るしか無い――そう諦める思考も確かにあった。

      だが、助けたいと思う心情は紛れも無く本物だ。

      そのためなら、忌避する怪物の力を使ってでも戦う事を選択する。

      サングラスの男は自分に宿った怪物の力を支配のために使い、それ自体を当然の義務だとさえ言っていたが、元々勝手に押し付けられたも当然の力――自分に宿った力の使い方は、自分で勝手に決める。

      今までは、あくまでも生き延びるための手段として扱ってきた。

      だが、少なくとも今この状況においては一人の少女を助けるためにこの力を使うと、そう決めた。

      最低限少女の体が冷えぬよう、雑に捨て置かれている自らの(元々破損はしていた)制服で少女の体を包むと、青年は鬼人に向けてこう告げる。

       

      「……今から『変わる』が、もし狂ってしまったらお前が止めてくれ」

      「任せろ。壊れたテレビみたいに殴り付けてすぐ戻してやる」

       

      青年の体が、鬼人と少女の前で変わっていく。

      夜の闇を纏うような暗い色の獅子の獣人が、人の殻を脱ぎ捨てて現れる。

      幸いにも、自我は繋ぎ止めることが出来たらしい――獅子の獣人と化した青年は、鬼人に向けて問う。

       

      「で、流石に何の策も無いってわけじゃないだろうな」

      「策って言い張れるようなものでも無いけどな」

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    • #3973

       何がクニだよ! バナナスリップしろやオラー!
       Part.1時点では世界観が何が何やらだった中、ある程度見えてきたようなむしろ意味不明さが増したような状態。案内してくれた女性は単なる生身の人間で生き残った人達が寄り添い合って生きているだけということ……? デジモンに成った世界の物語。
       みんな大好き粗野で下衆なグラサン男が現れてしまいました。更には王国を築き上げ自ら王を名乗るという凄まじいレベルの噛ませ要素を積み上げておきながらメタルエテモンだとォーッ! 何コイツ一話で瞬殺される敵ではないのか!? Part.1がスカルグレイモンから始まった時点で薄々感じていましたがPart.2で既に究極体とは怒涛のようなインフレだぜ!
       名前が出てこないので三人称で呼びますが、案内してくれた彼女はいずれ一般人代表として乗り込んで瞬殺された青年達を綺麗に罵倒してくれるか受け入れてくれるか読めない。
       
       スマン、薄い本みたいな展開と描写で監禁拘束された青年にこれからどうすんねんと思っていたら、絶対寝返って奴らに付くと思ってた鬼人の野郎しっかり味方でした。二話目にして既にゾロとか善逸とか辺りのすげー頼りになる(後者は言うほどそうか?)二番手キャラのような風格。獅子と鬼で協力してメタルエテモンに挑むのか、風よ光よサーベルレオモンオマージュ! それやったら主人公が死んでしまうが!
       単純な奴に見えてしっかりと物事を考えているし義理立てもしてくれる鬼人の勇姿。“デジタルモンスター”自体は明確な意味では登場しない中にあって、この気持ち良さはまさにオーガモンの気質。

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