カワラナイモノ Part1

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  • #3940
    ユキサーンユキサーン
    参加者

      暖かさの衰えた秋の空の下。

      街の中を、ねずみ色のリュックサックを背負った一人の青年が歩いていた。

      服装は上が白色で半袖のカッターシャツで、下が黒色の薄い記事のズボン――と、何処かの学校の制服かと思わしき衣類を見に纏っているようだが、その各部はまるで獣に引き裂かれたかのように不自然な破れ方をしていて、辛うじて靴だけが目立った損傷の無い形を維持しているようだった。

      よく見ると、制服の白の所々には赤の色も存在している。

      服装だけでも十分悪目立ちする有様だが、当人の面構えもまたそんな衣類の有様を現すが如く酷いものだった。

      黒い髪の毛も所々が跳ね返る形で乱れており、耳の下から顎の付近までに生えている髭にしても、まるで何日も剃られず放置されていたとしか思えない長さで。

      その瞳は、赤く染まっていた。

      目の下には隈が出来ており、満足に眠る事が出来ていない状態を暗に示している。

      総じて言って、一般的な認識における身嗜みどころか健康管理すらロクに行えてない事が見受けられる姿だった。

      しかし、彼の姿を目にして驚く者はいない。

      街の中――それも多くのビルが立ち並ぶ都会だというのにも関わらず、彼の周囲には人の姿も声も見受けられない。

      それも当然の事だった。

      そもそも、彼が現在歩いている街は最早街と呼べる状態では無いのだから。

      建物の窓は度合いに差こそあれど少なからず割れていて、折れ倒れた電柱の傍には切れた電線が放置されていて、かつて誰かが運転していたと思わしき車も上から潰れていたり横転したりしていて、単なる粗大ゴミと化していた。

      青年の視界に入る景色だけでもこの有様だった。

      まるで、災害の後を想わせる光景。

      「……チッ」

      唐突に青年が舌打ちをする。

      視線が前方右側の方向にある廃墟と化した建物の上方へと移る。

      元は何らかの企業のものだったのであろうその屋上から、

      ――ヴゥルルルルル!!

      本能剥き出しの唸るような声と共に『それ』は飛び降りてきた。

      その姿を一言で説明するならば、真っ黒い体の恐竜という表現が正しいだろう。

      巨大で屈強なその体躯は、異常に発達した両腕も合わさって既に現実離れしている。

      尤も、恐竜という時点で既に現代の世界からはかけ離れた存在なのだが、その姿を赤い瞳で捉える青年は恐れも驚きもしなかった。

      その表情に浮かぶのは、ただただ不快感。

      アスファルトの大地に亀裂を生じさせつつも着地した黒い恐竜は、本能的に獲物として認識した青年の方へとその発達した右の腕を振り下ろそうとした。

      青年は気だるそうに後方へと飛び退きそれを回避すると、直後に自ら恐竜の懐に向かって走り出す。

      ――その瞬間、駆け出すその脚を起点に彼の体は変わりだした。

      色は青白く変色し、脚の形は獣のような逆関節のそれに変じ、足先から生える爪も明らかに伸びて毒々しい紫色へと変わる。

      変化の過程で穿いていた靴は破ける事も無く何処かへと消失し、ズボンも制服のそれとは異なる材質の、髑髏の装飾品が取り付けられたベルトを締めた別物へと変化する。

      そして、尾てい骨にあたる部分から、変化した脚と同じ色の尻尾が生え現れる。

      ――下半身の変化に続き、上半身もまた変わっていく。

      白のカッターシャツが風に溶けるかのように消え去り、露出した肌はそこまでの変化で見せた色と遜色無いものになっていた。

      両腕には装飾と言うよりは拘束具に近い鉄の輪がいくつも取り付けられ、指先の爪は足先のそれと同じく紫色に変色して鋭い形に伸び、両手の甲には小さな鉄板が体の一部のようにくっ付き。

      胸元や両肩からは白い骨のようなものが皮膚の上から出現し、皮膚の色やベルトに付けられた髑髏の装飾品も相まって生物とは思えない異質な雰囲気を醸し出す。

      黒い髪の毛が異常な速度で一斉に伸び出し、背中を覆うほどの規模でもって鬣たてがみの形を成す。

      閉じた口元が前方へと突き出しマズルの形に変化し、耳の位置が猫のように即頭部へと移動して、最後に瞳に宿る赤く怪しげな光が輝きを増して。

      恐竜の懐に潜り込んだ頃には、全ての変化が終了していた。

      ――変わった姿は、まるで獅子だった。

      獅子の獣人――そうとも呼べる人外の姿へと変貌した青年は、躊躇いも無く恐竜の白い腹に手刀の形で右手の爪を突き立てる。

      それだけで十分だった。

      獅子の指先は爪の鋭さでもって恐竜の腹部を易々と破り、生じる激痛によって恐竜の口から絶叫が響く。

      その声に人外の青年は不快そうに赤い目を細めつつも、突き立てた爪でそのまま引っ掻くような動作でもって腹を貫通した腕を引き抜くと、命の源たる鮮血が吹き出て来る。

      それだけに留まらず、鮮度の落ちた肉が腐っていく光景を早送りにしたかのような調子で、黒い恐竜の体が貫かれた腹部を起点に腐臭を放ち始めた。

      突き立てた獅子の爪には、その色が示すが如き猛毒が仕込まれていたのだ。

      その猛威は肉を腐らせ、そして食らう。

      ――ヴルルオオ、オオォ……ッ!!

      苦痛に満ちた、恐竜の鳴き声。

      自身の肉体が腐っていく感覚というものには、どれほどの苦しみが伴うものなのだろうか。

      その声は、何かを訴えているようにも聞こえた。

      だが、腐食の毒に体を侵された時点で、仮に青年が心変わりしたとしても恐竜の末路は確定している。

      もう、助からない。

      故に、青年に出来る事も一つしか無かった。

      跳躍し、自身の上方に見えていた恐竜の喉笛を右手の爪で貫つらぬき裂さく。

      新たな鮮血が漏れ、耳障りに思えた鳴き声が途切れて。

      抵抗する力をも失った恐竜の体は、次の瞬間に内側から破裂するように粉々の粒となって消え去った。

      吹き出た鮮血以外に、その死を示す跡は残らない。

      「……侘びはしないからな。先に仕掛けたのはそっちだ……」

      体に降り掛かった鉄錆の臭いのする液体が、人間のそれから変化した獣の鼻を突く。

      自分がが殺した存在の爪痕あかしが、強制的に記憶として脳髄に刻み込まれる。

      獅子の顔に喜びは無く、その胸の内にはただただ虚無感だけが残された。

      「……疲れた……」

      うんざりしたようにため息を吐くと、吐息と共に力も抜けていくような感覚があった。

      もうその姿でいる必要は無いと判断したのか、獅子の獣人と化していた青年の体は瞬く間に制服姿の人間の姿に戻るが、浴びていた鮮血が制服の白に赤を染み込ませてしまっていた。

      その事実に、青年は二度目のため息を吐いてしまう。

      (……ああくそ、こんな事に使いたくは無いんだけどな……)

      それが何者のものであれ、血の臭いがこびり付いた状態というのはあまり好ましくない。

      先ほどの恐竜のような存在を、無用に招きこんでしまう可能性もある。

      青年は一度背負っていたリュックサックを下ろすと、野外である事にも構わず着ていた白いカッターシャツを脱ぎ、下ろしたリュックサックの中から2リットル程の水が入る大きさのペットボトルを取り出し、キャップを外して中に入っている飲み水を血液の付着した部分にかけ、濡らし始めた。

      無駄に多く使ってしまわぬよう、慎重にペットボトルの傾きを調節する。

      狙い目の部分を濡らした後、すぐさまカッターシャツの布地を折って擦る。

      付着した量が量だったためか、薄い赤が痕として消せずに残ってしまってはいたのだが、それでも血液の臭いをある程度軽減させる事には成功したらしい。

      ついでに、といった感覚で飲み水を少し口を含み、青年は喉を潤しておいた。

      「……ふぅ……」

      ……このような事は、別にこれが初めてではなかった。

      人外の生物に殺されそうになり、自らもまた怪物と化して返り討ちにしたことは。

      だから、恐竜を殺した際に胸に生じた感覚や鉄錆の臭いにも、慣れていた。

      どんな事情があったにせよ、人の足では逃げ切れない歩幅を有して襲い掛かってくる以上は、自らの身の安全を守るために殺す以外の手段は無かった――と、そう考えておけば多少なり気の滅入りを抑える事が出来た。

      たとえ、自分が殺した相手が元は自分と同じ人間であったとしても、仕方のない事だったと。

      納得出来ずとも、するしかなかった。

      濡らしたカッターシャツを着た後、警戒するように周囲に視線を泳がせて安全を確認すると、下ろした荷を改めて背負い青年は歩みを再開する。

      当然と言えば当然なのだが濡らしたシャツは冷く、少しだけ不快にはなった。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      ある日、世界は変わってしまった。

      どうして変わってしまったのか、その原因は不明なままに。

      まず最初に、空が裂けたらしい。

      まるで画用紙を破いたかのような空の先に、迷彩色の景色が見えていたと。

      その次に、世界中の人間の一部が人間ではなくなったらしい。

      ある者は獣のように、ある者は竜のように、またある者は機械のように――数々の人間が人外としか呼べない存在へと変貌していった。

      まるで風に乗った流行り病ウィルスのようなその災厄は、世界を瞬く間に染め上げた。

      それが人知を超えた災厄だったのか、あるいは見知らぬ誰かによる人災だったのか――真相を知る者は、少なくとも常識と法に守られた表舞台にはいなかった。

      どちらにせよ、世界に起きた変化について確かな事はいくつかあった。

      変化によって現れた人外の存在たちは、全て現実のものである事。

      変化の有無に関わらず、世界の大半の人間は一方的に巻き込まれた側である事。

      そうして変化した結果得た力を、好んで利用する者がいるという事。

      獅子の獣人に変身する青年も、そうした変化の病に蝕まれた一人だった。

      様々な人間がどの文献にも記載されていない人外の存在へと変身したように、彼という存在もまたその日に変えられたのだ。

      尤も、青年自身は自らが『変わった』その瞬間を憶えてはいないだろう。

      どのようにして変えられたのか、その過程も事情も理解はしていない。

      だから当然、自分が人間ではないナニカに変わってしまうようになった事を知った時――混乱したし動揺もした。

      だが、何よりも彼の心を揺さぶったのは。

      変化の瞬間以外にも、憶えていない事が。

      思い出せなくなった事があった事だった。

      大切な誰かの顔を思い出そうとして、失敗した。

      肉親に与えられた自分の名前を思い出そうとして、失敗した。

      確かに暖かく在ったはずの家族との営みの場を思い出そうとして、失敗した。

      記憶喪失、という事実を彼は記憶の中の知識から認識した。

      必死になって記憶を辿ろうとしても、浮かぶ景色には必ず穴があって。

      憶えている事よりも、憶えていない事の方が大切なものであったような気がして。

      許せない、と思った。

      思い出したい、と願った。

      その瞬間から、それが彼の歩む目的となった。

      行き先の解らない歩みは、いっそ旅か冒険と言っても過言では無かった。

      往く途中、腹が空く度に頼りにしたのは、大抵廃棄されて冷房の機能さえ停止した主のいない売店の売り物だった。

      金銭を払って手に入れているわけではなく、無許可である時点で盗賊としか言えない行いである事は知覚していたが、そうでもしなければ飢え死にしてしまう事が明白だった以上、他に術は無かった。

      日が経って消費期限を切らしていた惣菜も構わず食べたし、そういった整った料理が無かった時には腐っていた肉を売り物としてあった着火機などを使い炙って食べた。

      あるいは、獅子の獣人の姿に変身していれば生肉であろうと生野菜であろうと問題無く食べられたかもしれないが、彼には何故かその案を選び取る事が出来なかった。

      どうしても、出来なかった。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      世界が変わり、空が裂けるような事があっても、昼夜の概念に変わりは無い。

      歩き続けている内に日の明るさは消え、暗さや冷たさと共に夜が訪れた。

      近場に見つけた芝生の広がる公園に立ち寄り、青年はベンチの上に腰掛ける。

      「……はぁ」

      徒歩で歩き続ける程度では、大した距離を進む事は出来なかった。

      置き去りにされた自転車でも使う事が出来れば話は変わったかもしれないのだが、鍵が掛かったままで使えない状態であったり、何らかの理由で壊れたものであったり、発見出来たものは大抵使おうと思って使える状態では無かった。

      最初は青年自身、自分の住んでいた家の場所と形を思い出す事が出来ていれば、そこにあるかもしれない自分の自転車を使う事も視野に入れていたのだが、考えてみれば崩れた建物の瓦礫や硝子の破片などが散乱している道が珍しくない街の中で、所詮は本能丸出しの怪物と遭遇した拍子に壊されてしまう可能性が高いものを頼りにし続けられるかどうかは怪しく思えた。

      (……ポケットの中に自転車の鍵が入っていた時点で、俺が自転車を持っていたって事は確実なんだがな……)

      どうせ使いようが無いのなら、持ち主であると思わしき自分の名前でも書いてあれば良かったのに――と、内心でどうしようも無いことを毒づく青年。

      そんな都合の良いものが用意されているほど甘い話になるなど、歩き始めた最初から思っていなかった。

      そもそも、彼には目的地と言える場所も無いのだ。

      記憶を取り戻す事を目的とする以上、最も優先するべき事柄は家族との再会となるのだが、家族を含めて今いる街に住んでいた人達が何処へ向かったのか――という問いに対する答えを出せない現状、どの方角に歩みを進めていけば良いのか、青年自身見当も付かない。

      最悪、青年が進んでいる方角と住人達の行き先が真逆の方向であるという可能性すらあるのだ。

      道標が無い以上、全てが運任せだった。

      家族と会える可能性も、再会に繋がる情報を得られる可能性も、明日もまた生き延びられるかどうかの可能性も。

      (……最悪過ぎるな。今更思い返すまでもない事実だが)

      怪物の蔓延る街の中では、夜中もまた安全ではない。

      むしろ、夜中にこそ動きを活発化させる怪物だって存在するのだ。

      灯の壊れた街中はとても暗く、とても物を見れる状態ではなくなっている。

      そのような暗闇の下であっても他者の姿を一方的に認識出来る怪物の存在を、この時間帯からは警戒しなければならない。

      懐中電灯も無い以上、人間の姿のままではこの夜を無事に過ごし続ける事は難しい。

      青年は腰掛けていたベンチから立ち上がり、一度深呼吸をして、心を落ち着かせるよう意識を働かせる。

      視界に両方の手のひらを入れ、自身のもう一つの姿である獅子の獣人の形をイメージする。

      口の中には鋭い牙を、爪には毒を宿す紫の色を、足には地を駆ける獣の力を。

      一つ一つ、変わった後の姿と感覚を思い出すように、自身の身体として現実に定着させる。

      人間の身体が人外たる獅子の獣人に変わる『変身』の過程はとてもゆっくりで、全ての変化が終わった時には、黒い恐竜と遭遇した時と比べ何十倍もの時間が経過していた。

      (……やっぱり時間が掛かってるな……戦いになる時と比べて……)

      青年だった獅子の獣人が赤い瞳を細める。

      意識して変わろうとしても、変化の速度に違いが生じている事はこれまでの経験で理解していた。

      怪物と遭遇するなどの危機的状況であれば、そこまで強く意識したつもりが無くとも半ば自動的に変わってくれるのだが、一方でそれ以外の危機感の薄い状況では余程強く意識しなければ身体が変わってくれる事は無かった。

      これでも能力に目覚めて以来、素早く『変身』出来るようになった方である。

      その事実を、自分がこの変身能力を制御出来るようになってきたとプラスに考えるべきか、あるいは怪物化の病が知らず知らず進行していっているのだとマイナスに受け止めるべきなのか。

      どちらかと言えばプラスに考えたい所だった。

      マイナスに考えた所で、この能力が生き抜く上で必要なものとなっている事実は覆しようがなかったから。

      (……さて、と……)

      獅子の獣人の膂力であれば、街の中を人間の時以上に素早く移動する事が出来る。

      だが、先に述べた通り、夜中は夜中で日の光が有った時とは異なる危険が潜んでおり、迂闊に動こうとすればするほど襲撃される可能性は増す。

      よって彼は、この公園で一睡を決め込む事にした。

      視界を泳がせ、公園の中に造られたツリーハウスのような木造のアスレチックを発見すると、静かにその中へと入っていく。

      外部からの視界を遮れる位置に寄り、背負っていた荷を下ろし、仰向けに倒れ込んで眠ろうとしてみる。

      当然ながら身を包むものは無く、木の床は寝床としては硬く。

      身体を薄く覆う獣毛によって寒さについてはある程度防げるのだが、それとは別問題で眠りから覚めた時には節々を痛めそうな心地の悪さがあった。

      (……ここで寝とかないと、後が辛くなる……)

      瞼を閉じ、意識を放棄しようと試みる。

      疲れは明確にあるはずなのに、思いの他眠気は薄かった。

      眠ろうと思えば思うほど、むしろ意識が覚めてしまう。

      獣の聴覚が吹く夜風の音も聴き取ってしまい、尚の事眠りにくい。

      ……本末転倒と言えなくも無いのだが、周りの音を鋭敏に感じ取れなければ、寝首を掻く不意討ちに対応出来ない可能性もあるため、彼はこうして獅子の獣人の姿のまま寝ざるも得ないのだ。

      「……ああくそ」

      眠ろうと試みて、三十分。

      寝心地の悪さも相まって苛立ちは募り、それが尚の事彼の睡魔を遠ざけていた。

      無意味だと理解していても、苦言が漏れる。

      疲れを癒すために眠ろうとしているのに、眠るために疲れているような気さえしてくる。

      それでも眠ろうとする。

      眠らなければならない、と頭の中で反芻しながら。

      そうして、時間だけが過ぎて。

      ようやく意識が閉じてきて、寝息を立てようとした時だった。

      ドゴァ……ッッッ!! と。

      その耳に、風の音とは異なる凄まじく大きな音が入り込んで来た。

      「…………」

      一瞬で意識が覚めてしまった。

      仰向けに寝転がっていた状態からすぐさま起き上がり、彼は状況を把握しようとアスレチックを構築する木の横壁の上にある隙間から街の景色を覗き見た。

      夜中の景色には月の光しか灯りとなるものが無く、今いる位置からでは目を凝らしてみても異変の全容は解らないが、それでも獣の聴覚はある音を聴き取っていた。

      彼が推測するにそれは、

      (……爆発音。怪物同士が縄張り争いでもしているのか……?)

      いくら街の中には怪物が蔓延っているとはいえ、何の理由も無く起きる類の音とは思えない。

      怪訝な眼差しで街の方を睨んでいると、再び大きな音が耳の奥を突く。

      音源は、かつては多くの人間が住んでいたのであろう九階建てのマンション――その向こう側。

      何か怪物絡みの何かが起きている――と確信を得るには十分過ぎる情報だった。

      選択肢は三つ。

      危険の度合いを確認するために異変の起きている場所へと向かうか、見て見ぬフリをして音源とは真逆の方へ向かって走り去るか、あるいはこの場所に潜伏したまま嵐が去るのを待つか。

      少しだけ考えて、彼は選択する。

      (……様子を見に向かった方が良さそうだな)

      間違い無く、多少の危険は付き纏うだろうが。

      何となく、それに見合うだけの発見があるような気がした。

      故に、彼は下ろした荷をそのままに、木造のアスレチックの中から出て、向かう。

      獅子の膂力を発揮し、人間のそれを凌駕する速度でもってアスファルトの大地を駆け抜ける。

      そうして異変の渦中近付くにつれて、獣の嗅覚が新たな情報を獲得していく。

      (……煙の臭い。何かが焼けている臭い。そして……この臭いは)

      臭いは、どんどん強くなる。

      音は一定の間を経て、断続的に響いた。

      嫌な予感はしたが、引き返そうとは思わなかった。

      (……怪物の臭いだ)

      彼は改めて確信を得るように、感じ取った臭いに答えを付けて。

      直後、答え合わせが為される。

      街灯とは異なる灯りでもって、暗闇の黒がある程度拭われた景色によって。

      暗闇に穴を開けるように眼前に広がっていたものは、臭いから推測していた通り――炎。

      燃え上がった炎の周囲に、砕け散った駐車場の地面が瓦礫となって散乱しているのが見える。

      炎や月明かり越しに見える景色には、それと同じ原因によるものであるのだろう――何者かによる破壊の痕跡が点々と存在していた。

      そして、それ等から少し離れた位置に、明確に人間とは異なる輪郭シルエットの巨駆が立っているのが視える。

      偶然にも背後から見たその外観は、これまで見た事のある怪物とも異なる異形だった。

      形だけで言えば、それは頭から一本の角を生やした竜のような姿。

      だがその体表に肉は無く、剥き出しとなった骨自体が身体を成している有様だった。

      青年の脳に、知識として記憶されていた恐竜の化石という単語が過ぎる。

      視界に入った怪物の姿は最早、骨の竜――あるいは竜の屍と呼ぶ他に無いもので。

      その脊椎にあたる部位には、何処か生々しい造形の――生き物のそれのような眼が付いた謎の物体が今まさに肉付けられていた。

      それがただ蠢くだけの肉の塊なのか、あるいは点々と存在する破壊痕を作りだした原因なのか、判断する間も無く。

      骨の竜の頭部が動き、その瞳にあたる部分に生じていた緑色の光が、ふと獅子の獣人を捉えた。

      思っていた以上に近付き過ぎたためか、気付かれてしまったらしい。

      骨の竜の口が、開く。

      ――ギィュルルルォォォオオ!!

      顎の筋肉など微塵も残っていないはずにも関わらず、その怪物は感高い奇声を上げていた。

      これまで見て来た多くの怪物と同じく、人並みの知性や理性は感じられない。

      しかし一方で、その強さの格がこれまで遭遇した怪物達とは違う――と、青年は思った。

      直後、骨の竜は青年に向かって振り返り、殺意しか感じられない速度でもって爪を振るった。

      咄嗟に後ろに跳び、避けていなければ怪我では済まなかったかもしれない。

      剥き出しの骨がどれほどの硬度を誇っているかなど、青年の知識では想像も及ばないが、そう思えるほどの危機感を抱いたのは事実。

      肉を持たない骨の身体に、猛毒の爪が通用するとも思えない。

      (……最悪だ。いつもながら最悪すぎる……)

      ここは全力で逃げるべきだ――と、青年が素直に思案しようとした、

      その時だった。

      「余所見してんじゃ――」

      突然に、誰かの声が聞こえた。

      声は上方――骨の竜の頭上から聞こえた。

      そして、

      「――ねぇ!!」

      ゴッッッ……!! と。

      骨を強く打つ、鈍い音が夜中に響く。

      青年はその赤い瞳で、声と音の主の姿を仰ぎ見た。

      その姿を、見た事は無いはずだった。

      にも関わらず、何処か見覚えがあるような気がした。

      (……こいつは……)

      殆ど人の形をした身体を染める主な色は、緑だった。

      その頭から長く伸びた髪の色は、薄く青み掛かった白だった。

      口元から曲がった牙がはみ出ているのが見え、両耳は長く尖っている。

      両肩や即頭部からは、人外の証とも呼べる鉄の色の角らしき突起が生えていて、その外観は青年の脳裏に『鬼』という単語を呼び起こさせる。

      その人外は、骨の竜の頭蓋に拳を振り下ろしていた。

      音は響いたが、骨の竜に痛みを感じているような素振りは無い。

      骨の竜が首を上に動かし、頭に乗った鬼人を振り落とそうとするが、その前に鬼人は獅子の獣人から見て左側の位置に自ら飛び降りた。

      「頭を殴ったってのにマジで何ともねぇのか。頑丈なヤツだ」

      鬼人は踵を返し、その視線を骨の竜へと向け直し呟いている。

      攻撃が通用していない事実を認識していながら、まだ戦おうとしているようにも見える。

      そんな姿を見て、思わず青年は困惑交じりの声色でこう言った。

      「逃げないのか? 下手をすると死ぬぞ!!」

      「あん? ってか誰だお前。話は出来るようだが……っと!!」

      言葉を交える暇も無く、骨の竜が追撃を仕掛けに三本指の右手を振り下ろして来た。

      幸いにも骨の竜の一撃を鬼人は避ける事が出来たようだが、その事実に安堵する間も無く続けて青年に向けて今度は左腕が振るわれる。

      初撃で攻撃の速度を理解していたつもりだったが、それでも回避は間一髪の事となっていた。

      動作と共に、言葉が紡がれる。

      「お前と同じく人間『だった』同類!! 名前は忘れたから答えられない!!」

      「ああそうかい!! 悪いがヤツは俺の獲物だから余計な事はすんなよ!!」

      「馬鹿か!? 拳一つでどうにかなる相手でもないだろう!!」

      「どうにかするんだよ!! 出来なきゃ死ぬだけだ!! ビビってんならさっさと逃げろ!!」

      どうにも撤退の二文字は思考に無いらしい。

      青年からすると、鬼人のことを見捨ててしまっても特に損する事柄は無い。

      助けなければならない理由も特に無く、助力する事自体を鬼人自身から拒まれている。

      だが不思議な事に、それでも放ってはおけないと思った。

      だから、

      「こっちとしても死なれると困る。勝手に助力させてもらうぞ!!」

      「はぁ!? お前馬鹿、俺一人で十分だってー!!」

      いちいち鬼人の訴えは聞かなかった。

      獅子の獣人は意を決し、骨の竜へと立ち向かう。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      自分が変化した後の戦闘能力がどれほどの物なのか、実のところ青年自身もよく解ってはいなかぅた。

      全力で走ってどこまでの速度を出す事が出来るのか、力ずくで殴ってどれほどの硬さまでなら砕く事が出来るのか、どの程度の攻撃までなら直撃しても耐え切れるのか――疑問を上げればキリが無い話だが、自らの力がどこまで通用するのかどうかという指針は、実際に全力を発揮せざるも得ない状況に立たされなければ限界の目安を知る事も出来ない。

      青年は、決して自身の能力を過大評価しないようにしていた。

      戦う時には、常に確実に敵を倒すよう全力を出そうと意識していたつもりだったが、大抵の相手は猛毒の爪で一裂きしただけで死に至ってしまうため、常々自身の変化した身体の『強さ』に実感を得る事は出来ていない。

      これから先も安全に確立に仕留められる相手だけと遭遇するのであれば、それはそれで問題も無いのだが――決してそう都合良い話にはならないだろう。

      事実として、眼前に立つ骨の竜の巨体はこれまで対峙したどの怪物よりも更に巨大で、隣に見えるマンションの半分程度の身長は誇っていた。

      マンションが遮蔽となって姿を隠していたとはいえ、何故こうして近付くまで気付く事が出来なかったのか、不思議に思えるレベルだった。

      そして何より、その身体から吹き出る気配そのものが、青年の直感に危険さを示している。

      この骨の竜は、こちらを『殺せる』だけの能力を持っている――と。

       

      (……とんでもない話だな。こんなの、殆ど死んでるも同じじゃないか)

       

      骨の竜の三本指の鉤爪による攻撃を跳んで避け、その動作を目に慣れさせつつ青年たる獅子の獣人は考える。

      眼前の怪物は身体の殆どに筋繊維が見えず、それでいて骨だけで動いている。

      その事実から見ても、その存在は他の怪物と比べてひたすらに異常さを極めている。

      何処かに、死体とも呼べる骨だけの身体を動かすための『何か』が存在する――と考えるのが無難な理由だろう。

      であれば、まず第一に怪しい部分は、僅かに残っている生身の部分。

       

      (……どちらかの、肉の塊か)

       

      背後から姿を目撃した際に見えた、脊椎に形成されていた橙色の蠢く肉の塊。

      そして、正面から見て首の下――肋骨に覆われる形で存在している、脊椎のそれと同色の心臓のような外見の鼓動する肉の塊。

      元が生物であったのであれば、どちらかと言うと後者の方が急所としては適切だ。

      生身の部分であれば、猛毒の爪で腐らせ死滅させる事も出来る。

      とはいえ、

       

      (あそこを爪で攻撃するには、相当近付かないといけない……俺に、出来るか?)

       

      黒い恐竜に対してやったように懐に潜り込み、その場で跳躍したとしても心臓を狙う事は難しい。

      心臓の周りを分厚い肋骨が覆っている以上、少なくとも心臓より下の角度からの攻撃は肋骨に遮られてしまう。

      あるいは肋骨と肋骨の間に指一本でも通せるだけの隙間があれば狙えるかもしれないが、仮にその方法を試して失敗した場合、返しの牙で殺されてしまう可能性が非常に高い。

      確実に、骨に遮られる事なく心臓を爪で抉り裂くためには、心臓よりも僅かでも上の角度――首元の付近から狙う必要がある。

      そして、

       

      (……アイツには、あまり期待は出来ないな)

       

      半ば勝手に共闘させてもらっている相手の鬼人の手に、武器らしい武器は見当たらない。

      せめて長い刃物か何かでも持ち合わせているのであれば、肋骨の隙間を通して心臓を貫く事が出来たかもしれないのだが、獅子の獣人たる青年と同じく徒手空拳しか武器として扱えるものは無いらしい。

      互いに死なない程度に囮の役を担えれば御の字だろう――と、割と適当に共闘相手の扱いを内心で決めていると、当の鬼人から大声でこんな言葉が飛んで来た。

       

      「へいへーい!! お前はただ避けるだけか腰抜けー!! 情けないぞ色々とー!! その腕っ節は飾りかー!? ホント何しに来たんだお前!! 足引っ張りに来たんなら帰れ!!」

       

      全体的に小馬鹿にする調子の声だった。

      というか、喋ってる暇があったら打開策を考えてほしいと青年は切に思う。

      そして、単純に言葉の内容に対して多少腹が立った。

      よって青年も吠えるように言い返す。

       

      「こちらはそもそも戦おうと此処に来たわけじゃないんだよ!! 気になったから見に来ただけだ!! というか、囮になってやってるんだから隙を見てお前があの心臓を狙ったらどうなんだ!!」

      「あぁん? 心臓……って、まさかアレのことか? というか骨だけなのに何で心臓あんの? 骨の内側に血管でも詰まってんの? 全体的にどうなってんの?」

      「そんな事を俺が知るか!! 少なくともあそこ以外に急所らしい急所は無いだろう!!」

      「お、おう……それもそうか……」

       

      何処か理解出来ていないような調子だが、鬼人も一応は青年の考えに乗ってみる事にしたらしい。

      これで気を引いている内にどうにか近付いて、心臓を攻撃してくれれば良いのだが――と考え骨の竜の攻撃を避け続けていた青年だったが、突然骨の竜が青年の事を追う事を止めた。

      思わず疑問を浮かばせる青年だったが、そこで鬼人が突然慌てたような声色で青年に向けてこう言った。

       

      「……っておい、待て!! 離れすぎるな!!」

       

      青年には、突然投げ掛けられた鬼人の言葉の意味をすぐには理解出来なかった。

      少し離れた位置から骨の竜の姿を見て、ある一点に疑問を浮かべた時には遅かった。

      直後、脊椎に肉付けられていた橙色の肉塊が、突如上方に向けて射出される。

       

      「……ッ!?」

       

      その形状を見て、青年の脳裏に『ミサイル』という単語がただ過ぎる。

      脳に刻まれた知識の通りであれば、それは人間が作り出した大規模な破壊を生じさせる兵器。

      そう、思えばこの場に来たそもそもの発端は遠方からも強く響いた爆発音ではなかったか。

      射出された『ミサイル』は一度上空に向けて放り出されたかと思うと一度放物線を描き、直後に青年の立つ場所に向けて急降下してくる。

      よく見るとその『ミサイル』には緑色の目と口が存在していて、外観からしても無機質な兵器というよりは生きた怪物のような印象を受けた。

      アレが起爆した場合、爆発の範囲はどれほどのものになるのか。

      音だけでも遠方にまで響き、この場に転々と存在する破壊痕から見ても、生身の身体に直撃でもすれば肉片すら残ることがない事を容易に想像が出来た。

       

      (まずい……っ!!)

       

      獅子の膂力でもって気持ち全力で駆ける青年だったが、ふと『ミサイル』の方へと視線を向けると、今も尚猛烈な速度で大地に向かって直進していたはずの『ミサイル』は、明らかに軌道を曲げて青年を追跡していた。

      信じられないことに、追尾機能を有していたのだ。

      このままでは到底避けきれない――そう判断した青年は咄嗟に地面に散らばっている瓦礫の内、片手で持てる程度のサイズのものを右手で持ち、それを礫として振り向きざまに全力で投げ放った。

      獅子の獣人の腕力でもって銃弾の如き速度を得たアスファルトの礫が、あと三秒もあれば直撃する距離にまで迫っていた『ミサイル』に命中する。

      骨の竜が放った『ミサイル』は、人間の作ったそれとは異なり外殻が鋼鉄ではなく肉によって構築されているものだ。

      内部構造まで詳しく知る由は無いが、それが知識の中にある『ミサイル』と同じであれば、何らかの物体に衝突したりする事によって生じる衝撃の影響で起爆する。

      知識として有していた上方を頼りにした対応方法であったため、骨の竜が放った肉塊の『ミサイル』にも人間が造ったものと同じ理屈が通じるかどうか怪しい所ではあった。

      結論から言えば、間違ってはいなかった。

      幸いにも、とは付け加えられないが。

       

      直後、青年の間近で肉塊の『ミサイル』は起爆し、光と共に莫大な量の熱と音を撒き散らす。

      当然ながら、爆発の範囲内に立っていた青年は無事では済まなかった。

      爆音が、獅子の絶叫すら掻き消した。

       

      直撃こそ免れはしたが、起爆した肉塊の『ミサイル』から生じた熱は身体を焼き、音は鼓膜を鋭く貫き、そういった痛みに苦しむ声を上げる間も無く、青年の身体が一○メートル以上は軽く吹き飛ばされてしまう。

      地面の上に背中から叩き付けられ、二転三転。

      うつ伏せになって倒れこむ青年の意識が、一瞬朦朧とする。

      頭が痛い。身体が熱い。喉が渇く。

      それでも、生きている――その事実を強く認識し、歯を食いしばって起き上がる。

       

      (死んで……たまるかっ……!!)

       

      骨の竜が、青年にトドメを刺そうと迫り来ようとする。

      だが、その前に骨の竜の真横から鬼人が叫んだ。

       

      「おおおおおおおおおおおおっ!! 覇ァ!! 王ッ!! 拳ッ!!」

       

      動作に気合を込める程度の効果しか無いはずの言葉だった。

      だが、直後に鬼人が骨の竜に向かって突き出した拳から、紫色の巨大な怪物の顔のような何かが射出された。

      それは勢いを伴って骨の竜の顔面に当たると、骨の竜の頭部が実際に殴られたかのように横を向いた。

      その攻撃の内容に、青年は何処か覚えがあるような気がした。

      鬼人の攻撃によって脅威の優先度が変わったのか、骨の竜の注意が青年から鬼人の方へ逸れる。

      鬼人の方へと振り向く骨の竜の脊椎に『ミサイル』は存在しなかったが、一定の時間が経過すれば新たな『ミサイル』が肉付けられる事は容易に想像がついた。

      もう一度同じ事をされれば、次は致命傷――最悪死に至るかもしれない。

       

      (アイツの言っていた、『離れるな』という言葉……)

       

      骨の竜の『ミサイル』を封じるための間接的な手段は、既に鬼人が叫んでいた。

      つまり、

       

      (……『ミサイル』の破壊力が強すぎるから、爆発があの化け物自身を巻き込んでしまう間合いでは発射出来ないんだ。単に爪で攻撃した方が有効だからって可能性もあるけど、最低限生存本能ってやつがあるのなら化け物だって『自分を傷付ける』選択は本能的に避けるはず……)

       

      対処法は理解した。

      骨の竜が放つ『ミサイル』を超える速度で動ける者がいれば、あるいは追尾してくる『ミサイル』を意図的に誘導し、骨の竜自身に叩き込む事も出来たかもしれないが、獅子の獣人の膂力ではそこまで都合の良い方法を実現させる事は出来ない。

      であれば、最早取れる手段は接近戦以外に無い。

      それはそれで爪で裂かれる危険が付き纏うわけだが、追尾してくる『ミサイル』の脅威に曝されるよりは幾分マシだと思えた。

       

      「今行く……!!」

       

      鬼人に対してというよりは、自分自身に言い聞かせるように青年は呟く。

      骨の竜の意識が鬼人の方へと逸れた今この時こそ、青年が比較的安全に攻撃を出来る好機だった。

      痛みを堪え、青年は自ら骨の竜の下へと全力で駆け出す。

      その接近に、骨の竜もまた気付いたらしい――骨と化す前は尻尾だったのであろう長い尾てい骨を無造作に振るってくる。

      視界の外からの攻撃に回避は間に合わない――青年は右の腕から肩までを押し付けるような一撃で尾てい骨の一撃を迎撃する。

      まるで鉄板にハンマーを振り下ろしたかのような轟音が響くと共に、骨の竜の尾てい骨が獅子の獣人の膂力に押される形で動きを止める。

      再び振るわれる前に駆け抜け、骨の竜の足元にまで近付き、膝にあたる部分の裏側に向かって跳び――渾身の蹴りを放つ。

       

      「っ……!!」

      (硬い……だが!!)

       

      ミシィ!! と二つの骨が軋む高い音が鳴り、強制的に骨の竜の左の膝がくず折れ、姿勢が崩れる。

      転倒を免れようと動いた左の手が地に着き支えとなるが、それだけでは自重を支えきれずに左の膝も地に着いた。

      その結果、少しだけ急所と思わしき心臓の位置が低くなっている。

      着地し、吠えるように言葉を放つ。

       

      「今だ!!」

      「当然!!」

       

      青年が伝えるまでも無く、攻撃の回避のため下がり気味に立ち回っていた鬼人が、一転して骨の竜の下へと駆け出す。

      骨の竜が支えに使っていない右の手で鬼人の体を掴み取ろうとするが、鬼人はその手を飛び越えるように跳躍し、骨の竜の心臓目掛けて拳を放つ。

      ドスッ!! という肉を打つ音が重々しく響き、続いて骨の竜の口から感高い絶叫が響いた。

      その反応から見ても、やはり心臓らしき肉の塊が急所であった事は間違い無いようだ。

      だが、

       

      「っ!! うおっ!?」

       

      急所に一撃を貰ったはずの骨の竜は、痛みを叫びとして訴えながらも戦闘行為を中断しようとはしなかった。

      先ほど空を掴んだ右手で心臓に拳を突き放っていた鬼人の事を掴み取り、そのまま握り潰そうとしている――いや、あるいは口元にまで寄せて牙で噛み砕くつもりか。

      鬼人は必死に掴む右手から逃れようとしているようだが、このままではどちらにせよ助かる見込みは無い。

      選択肢は二つ。

      すぐにでも鬼人を助けることを優先するか、あるいは無防備になった骨の竜の心臓を猛毒の爪で抉るか。

      青年は殆ど衝動的に叫び、動いた。

       

      「やめろおおおおおっ!!」

       

      青年は骨の竜の足元から懐へと移動し跳躍――骨の竜の右の手首を思いっきり殴り付ける。

      だが、拳の威力が足りないのか、あるいは方法自体が間違っているのか、右手の掴む力が弱まっている様子は無い。

      重力に引っ張られ、落ちる。

      そうして無駄な時間を過ごす間にも、鬼人の口から苦悶の声が漏れている。

       

      (くそっ、どうする……このままだとアイツが……!!)

       

      獅子の獣人には、その身体にある部位以外に攻撃に使えるものは無い。

      骨の体を両断出来るような得物も無ければ、粉砕出来るほどの膂力があるわけでも無い。

      であれば先に心臓を狙ってみるのも一つの手ではあるのだが、ここに来て青年は思考に疑問を生じさせてしまった。

      猛毒の爪で心臓の肉を抉ったとして、その時点で骨の竜は殺せるのか。

      いやそもそも、あの心臓が本当に骨の竜の活動を司る核なのか。

      少なくとも、過ちの対価が別の誰かの命になってしまうこの状況においては、決して抱いてはならない疑いの念だった。

       

      青年は思考する。

      骨の竜が放った『ミサイル』の爆発によって倒れ伏し、危うくトドメを刺されかけたその時、骨の竜に向かって物理現象では説明がつかない飛び道具を放って骨の竜に一撃を食らわせていた。

      アレは怪物となった者だけが行使出来る『能力』なのか、あるいは『技』なのか。

      同じ事を、自分にも出来るのか。

      出来たとして、それは骨の竜に通用するのか。

       

      (……やるしかない)

       

      助けるための選択肢に、他のものは浮かばなかった。

      鬼人が飛び道具を放つ際、何か特別な動作をしていたようには見えなかった。

      ただ突き出した拳の方から、未知の力――『気』としか表現出来ないエネルギーが形と威力を伴って射出されたように見えた。

      であれば、そこに複雑な理論や理屈は存在しないのだろう。

      大事なのは、それを実現させようとする意思の方だと不思議と思う。

       

      「――――」

       

      右手を拳の形にし、左手だけを骨の竜の右腕に向け狙いを定める。

      拳から放つ『気』のイメージは、不思議と自然に構築出来た。

      知識としてではなく、怪物の身体が技能――あるいは機能として知っているような感覚があった。

      その感覚に身を任せ、拳を突き出しながら、頭の中に浮かんだ言葉を叫ぶ。

       

      「食らえ――獣王拳ッ!!」

       

      直後に、獅子の顔の形をした紫色の『気』が、青年の右手より解き放たれた。

      獅子の『気』は拳の軌道と同じく直進し、牙を剥いて骨の竜の右腕に食らい付く。

      そして、

       

      「噛み砕けッ!!」

       

      命じるような言葉と共に、握り締めた拳に更なる力を込める。

      すると、その動作に連動する形で骨の竜の右腕に食らい付いていた獅子の『気』が力を強め、一息に骨の竜の右腕を噛み砕く。

      バキィッ!! という音と共に砕けた骨が散らばり、骨の竜が絶叫にも等しい奇声を上げる。

      右腕が噛み砕かれた事により繋がっていた右手は重力に従い地面に落ち、鬼人もまた手の中から脱出して着地する。

      その顔は、驚きの情を浮かべていた。

       

      「お前、その技……」

      「…………」

       

      青年自身もまた、自分が『技』を放てたことに対して少なからず驚きを覚えていた。

      骨の竜の右腕を噛み砕いた獅子の『気』は空気に溶けるように消失し、骨の竜は奇声を上げながら残った左手を振り下ろしてくる。

      それを青年と鬼人は互いに左右に分かれる形で避け、双方共に視線を再び骨の竜の心臓に向ける。

       

      「それじゃあ、もう一発いくぞ!!」

      「……わかった……!!」

       

      右手を失い立つ事さえ難しくなった骨の竜が、そのままの姿勢で何かをしようとした。

      威嚇の咆哮でも上げようとしたのか、自らに及ぶ被害をも無視して『ミサイル』を放とうとしたのか。

      どちらにせよ、二人の行動を遮るには遅かった。

       

      「獣!!」「覇ァ!!」

      「「王ッ!!」」

      「「拳ッ!!」」

       

      鬼人と獅子の獣人――その拳からそれぞれ異なる外観と色を伴った『気』が放たれる。

      鬼の牙と獅子の牙が骨の竜の心臓に食らいつき、双方が拳に力を込めると共に肉を潰す音が炸裂した。

      双方の『気』の蹂躙はそれだけに留まらず、心臓の裏側に存在していた『ミサイル』の発射口でもある脊椎までも貫通し、肉付けの終わっていない未完成の『ミサイル』を起爆させた。

      ドゴァァァッ!! という断末魔の如き大きな音と共に、骨の竜の体が爆発に呑まれる。

      生じた爆風によって広がる灰煙に、青年と鬼人は咄嗟に腕で視界を遮り自らの目を守った。

      やがて爆風が吹き抜けた事を実感した青年は腕を下ろし、骨の竜の姿を改めて視認する。

       

      瞳から、緑色の光は消えていた。

      全身からは焦げ臭い黒煙を上げ、胴部に見えていた心臓は残骸すら吹き飛んだのか残っておらず、脊椎やそこから生える百足の脚――あるいはそう見えるだけで骨と化す以前は翼であったのかもしれない部位は砕け、最早見る影も無く。

      そこにあるのは、動かぬただの骸の姿だった。

       

      「…………」

       

      アレも、元は人間だったのだろうか。

      外敵として遭遇した以上、考えてもどうしようも無い事ではあったが、それでも思ってしまった。

      眼前で、骨の竜の身体が細やかな粒となって分解されていくのが見える。

      これまでも何度か見た事のある光景ではあった。

      見る度に疑問に思う事もいくつかあったが、その殆どに答えは出ない。

      確信を得られたのは、死に果てれば自分もああなるということぐらいだった。

       

      「……ん?」

       

      ふと、骨の竜の消滅を見ながら立ち尽くしていた青年は、視界の中におかしなものを見た。

      いつの間にか鬼人が、消滅しようとしている骨の竜の方へと向かっていたのだ。

      何やら、砕けて分散した骨の竜の残骸に視線を泳がせているようで、やがて一本の骨を手に取った。

      それはただの人間であれば両手を用いてようやく掴める太さを誇る骨だったが、鬼人の手は人間のそれよりも一回りほど大きなもので、易々と片手で竜の骨を掴み取っていた。

      不思議な事に、鬼人が手に取った骨だけは途端に分解されなくなっていた。

      まるで、鬼人の武器としてその存在が切り換わるように。

       

      「……おー、しっくり来るな。武器が欲しかった所だしちょうどいい」

       

      先ほどまで闘っていたとは思えないほど、軽い調子の声だった。

      鬼人の表情を見れば、骨の竜の消滅に対して感傷を抱いているようにも見えない。

      それが、青年にとっては少し羨ましく思えた。

      物色が終わったのか、鬼人は右手に竜の骨を棍棒のように携えながら青年の近くにまで歩いてくる。

       

      「まぁ、一応礼は言っておくぜ。一人じゃ勝てなかったっぽいし」

      「……お互い様、だと思うがな。お前が助けてくれなければ俺はやられていた」

      「しっかし、俺と似たことが出来るとは思わなかったな。あんな事が出来るんなら最初からやってくれりゃよかったのに」

      「自分でも出来るとは思っていなかった。偶然の産物とでも思ってくれ」

      「……偶然にしては、出来すぎだったがな」

       

      鬼人が小さく漏らした言葉は、青年の脳裏にも同じ疑問を抱かせるものであった。

      しかし、今は答えの出ない事について長々と考えている暇は無い。

      目の前には自分と同じく、知性や理性が人並みに残った相手がいる。

      ひとまず外敵を撃破し、ある程度の余裕がある時間を作れた以上、今はその貴重な時間を言葉を交えることに使うべきだ。

       

      「とりあえず、もし良かったら場所を移して休憩しないか。必要なら食料も分ける」

      「お、そいつは俺としても願ったり叶ったりだな」

       

      鬼人自身からも承諾を得て、青年は元居た場所へと歩を進める。

      眠気もすっかり覚めてしまい、用件も増え、今日の夜更かしは長引きそうだった。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      数分後。

      獅子の獣人の姿のまま、青年は鬼人と共に荷物のリュックサックを置いていた木造のアスレチックの中へと戻って来た。

      途中、戦闘の音に引き寄せられる形で別の怪物と遭遇する可能性も考えられたが、何事も無く移動を済ませる事が出来たのは幸いだった。

      青年は自ら毒爪を触れさせぬよう注意しつつ、リュックサックの中から食料をビニール袋ごと取り出し、自分と鬼人の間に置く。

      ラインナップとしては、焼きそばやらハンバーグやらを生地の中に同梱した惣菜パンやおにぎりといったコンビニの売れ残り(確実に消費期限切れ)が主だった。

      その内容に鬼人は特に不満そうな顔をすることもなく、適当な調子でマスタードを乗せたウィンナー入りのパンを覆う包装のビニールを手で裂く。

      口に銜え、口元から張った肉の折れる音を鳴らしながら言葉を発する。

       

      「しっかし、こうして見るとライオンってだけじゃなくてゾンビっぽくもあるな。その姿」

      「ゾンビ、か。こうして『生きて』いる時点で実感は湧かないが……」

      「例えだから気にすんなって。一応カッコいいと思うぞ、黒くて」

      「一応と言ってる時点で皮肉染みているがな」

      「……お前、もしかしてその姿嫌いだったりする?」

      「少なくともカッコいいと思ったことは無い」

       

      青年は自分で並べた食料に手を伸ばそうとはしなかった。

      特に空腹になっていたわけでもなかったし、うっかり毒の爪を掠めて貴重な食料を腐らせてしまう事は避けたかったからだ。

      尤も、鬼人の言う通り、獅子の獣人の体が死体のように根本的に腐っているのであれば、腐った食料であろうと平らげることは出来るのかもしれないが。

       

      「……で、こちらはこちらで聞きたいことがあるんだが」

      「何だ。前置きしとくけどこっちも正直知ってる事は少ないぞ」

      「普通の人間達が避難してる場所が何処か知らないか。方角だけでもいい」

      「知らん。そもそも今のこの世界に普通の人間が生き残れているのか、それすら解らん状態じゃあな」

      「……そうか」

       

      どうやら鬼人も、青年と同じく避難した人間達が何処へ向かったのか、見当もつかないらしい。

      最悪、もう既にこの世界に『普通の人間』が存在しない可能性も頭に浮かんでいるようだ。

      その可能性は、青年もまた考えていないわけではなかったが、そうであってほしくないと思っている。

      思わず苦味を帯びた表情を浮かべてしまった青年に対し、鬼人は続けて『つぶあん&マーガリン』と書かれたコッペパンの袋に手を伸ばしながら、適当な調子で問いを返す。

       

      「お前は普通の人間を探しているのか?」

      「厳密には家族。名前も顔もロクに思い出せてないがな」

      「ふーん。記憶を失ってるのは俺だけと思ってたけど、お前もなのか」

      「……お前も記憶を失ってるのか」

      「まぁな。記憶喪失がこの力の対価によるものなのか、あるいは別の切っ掛けによるものなのかまでは解らんけど」

       

      言葉の内容に対して、鬼人の口調は軽かった。

      失った記憶に対して執着が無いのだろうか。

      そう思っていた青年だったが、ふと鬼人がこんな問いを出して来た。

       

      「お前にとって、家族ってのは大切なものなのか」

       

      一瞬、青年はその問いに言葉を詰まらせた。

      青年にとって、それは当たり前の前提だと思っていた事だった。

      だから、青年は逆に問いを返した。

       

      「……お前にとっては違うのか?」

      「違うな。だって、俺の方には記憶として残っちまってるし」

      「……何?」

      「覚えてるんだよ。何故か、家族の事は。覚えてて嬉しくもねぇけど」

       

      予想外の返事だった。

      単なる疑問と思っていただけに、鬼人が口にした内容は青年に驚きを感じさせるに値するものだった。

      鬼人は続けて、その事実から考えられる事を口にした。

       

      「それが大切だと思っているお前は忘れていて、大切じゃない俺は覚えている。もしかしたら、俺達は力と引き換えに、人間だった頃に大切と思っていた事を思い出せなくなっちまったのかもしれねぇな」

       

      それは、単なる予想の話だった。

      だが、決して軽視出来ることではなかった。

      もしも、鬼人の語った言葉が真実だったとしたならば。

      今も尚、大切なものだと信じているものの全てが、これから先失われる記憶のリストであるという事になってしまう。

      最終的に人間としての全ての記憶を失った時、自分は果たして狂わずにいられるのか。

      人間としての自分は、生きていられるのか。

      目に見えない何かに貪られているような気がして、青年は不安を感じずにはいられなかった。

      結局、この日も眠れなかった。

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    • #3958

       やっぱりやきうデジモン化じゃねーか!!
       
       デジモンに成った物語が一区切りしたと思った途端に放り込まれた刺客。おお新作だと思ったら速攻で明かされる人間がデジモンに成るお話し。此奴はマッドレオモンか何かか……?
       荒廃して人っ子一人いなくなった都市、だけど人間がデジモンに成った人間はいるという不条理。荒唐無稽と見せかけ現時点では無手でスカルグレイモンに挑んで戦利品の骨を取ったどーしようとする辺りアイツはオーガモンなのでしょうが、それはつまり設定通り。有機ミサイルにしろ心臓以外の唯一の生身の部分として脊椎のミサイルを認識するのはデジモン(スカルグレイモン)を知らないが故の視点で面白いところ。
       
       デジモン化の醍醐味と言えば、やはり自分のデジモンの“技”を認識して放つ瞬間こそ。
       覇王拳と獣王拳の合わせ技の為に話が構成されていたのか……。家族の記憶を大切なものとして認識しているからこそ欠落している、恐らくその予想は正確なのでしょうが、そんな家族との繋がりを今も求めている男の腕こそが結び付きを拒む毒の爪になっているというのは何たる皮肉か。

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