『Death or Dominate』Duester.01

トップページ フォーラム 作品投稿掲示板 『Death or Dominate』Duester.01

  • 作成者
    トピック
  • #4070

     結局、我らは認めたくなかっただけなのだ。
     我々の生きるべき世界などとうに無くなっているのだと。我々は生まれ落ちた故郷を追われた亡命者でしかないのだと。我々の生にはかつての興隆など二度と望めないのだと。
     世界を染め上げる血の色。全ての生きとし生けるものを等しく壊すこの赤い世界の中に在って、我らは最早自分自身を保つことさえ許されない。
     
     だから我らは己を捨てた。己の身を捨てようとした。そうしなければ自らの心すら守れなかったから。
     それでも紅の世界で尚、自らの本来の姿形を消し去って尚、自分は変わらず自分なのだと全てに告げるように我らが取り始めた姿は、皆が皆自ずと同じものだった。
     
     それはかつて我らと世界の覇権を相争った者と限りなく近い姿だ。
     心を繋ぐ異世界の民、人間の可能性を形にした英雄に等しい姿だ。
     本来は我らの故郷に存在し得なかった未知の技術デジクロスで繋がった姿だ。
     
     故にその名を世界に向けて叫ぶ者シャウトモンX3。
     
     それを皮肉とは嗤うまい。それを無様とは嘲るまい。
     大切なのは己の心だと知っている。既に衰退を辿ることが確定している我が種族、せめて最後の瞬間まで我ら六人の同志は相争い続けられるので在れば、それは幸福としか言い様があるまいて。
     
     だとしても、だ。
     見上げた空はどこまでも青い。我らの生まれ故郷の無機質なものとは違う、ただ清爽そのものといった青。
     見果てぬ世界が頭上には広がっているはずなのに、我らはこの赤い大地より離れることができずにいる。視線のすぐ先、手を伸ばせば掴めそうな無限の青を我らは永遠に掴むことができない。せめて本来の姿であれば、進化という可能性を残した本当の我らであれば、その先にも手が届くやもしれぬのに。
     
     未練よな。執着と言ってもいい。
     生だけは満足できぬ。戦いだけでは埋められぬ。我らは真に我らとして相争い、世界の覇権を奪い合うことこそを望んでいる。互いに研鑽した力を振るい互いの命をどう奪うか、どう踏み付けにするかを考えることを忘れられない。
     
     そう、結局のところ我々は変わらない。
     
     人の世に這い出した としても。
     己の本当の姿を失っていても。
     デジタルモンスターの原則は。
     

     

     弱肉強食の理食うか食われるかなのだから──
     

     

     

     

     

     

     

     

    「お姉ちゃ~ん♪」
     
     楽しげな妹の声が私を現実に引き戻した。
     旧型のゴーグルデバイスを額まで引き上げ、改めて視界を確保すると私の膝の上には柔らかく微笑む私の顔があって。
     
    「……?」
     
     いや当然だけど、その名前通りに月を思わせる黄色い瞳は私のものではなく。
     そもそも私の顔は作りこそ同じだったとしても、目の前のそれの数百倍は辛気臭いのだから。
     
    「火星はもう越えたってさ。だからそろそろ見えてくるんじゃない?」
    「おはよう、ルナ」
     
     愛しい末の『妹』の名前を改めて呼ぶ。末妹と言っても、私の『姉』『妹』はもう彼女しか残っていないのだけれど。
     
    「そう言って、お姉ちゃんは寝てないでしょ。何観てたの?」
    「さあね」
     
     自分と同じ名前を持つ金属製。そんな銀色の床に膝立ちして、可愛らしく私の膝に顎を載せているルナは、少しだけ膨れっ面。
     ああ、どうして寸分違わず同じ遺伝子を持っているはずなのに私とルナはこうも違うのだろう。ルナだけではなくて、もういなくなっただろう他の『姉』『妹』達だって私ほど陰気じゃなかったし、私よりずっと社交的だった。姉妹の中でどうしてか私だけがこうなんだ。私だけが他の皆みたくなれないんだ。
     浮遊椅子に項垂れるようにその身を預けながら、私は窓の外を見た。
     
     漆黒の闇。
     もうすっかり見慣れた、それでも好きになれない暗黒の宇宙。生まれ故郷はもう遥か銀河の彼方まで。
     
    「もー! 何観てたかぐらい教えてくれてもいいじゃん!」
     
     右腕を伸ばして私の額のゴーグルを奪おうとするルナ。そんな彼女の頬を掴んで引き剥がす。
     柔らかな匂いが鼻腔をくすぐったけれど、それ以上に暑苦しいったらありゃしない。
     
    「ルナが観ても面白くないものよ、多分」
     
     観ていたのは旧世紀の映画と呼ばれるものだ。在り来たりな人間賛歌と地球自然の保全を謳った二流か三流のラブロマンス。
     私は何故かそんな私達から見れば原始人だろう時代に生きた人達の描いた書籍や映画、音楽やアニメが昔から好きだった。使い古したゴーグルデバイスも、それらの再生に対応した最後の機種だからという理由で愛用しているだけである。けれど脳に直接叩き込まれる過去の人間の記録、まだ地球で生きていた頃の人間の映像や記録に身を委ねることが、私にはとても心地が良かったのだ。
     
     今、この宇宙船に乗っているのは私とルナの二人だけ。誰の操縦も要らず船は太陽系を進んでいる。
     しかも私達は第三陣。第一陣と第二陣は私の『姉』『妹』達がそれぞれ乗り込んで地球を目指して旅立ったのだけれど、いつしか連絡が途絶えてしまった。恐らく死んだのだろうというのが私達の『父』の判断であり、それを探る為に第三陣として私とルナは何光年も離れた私達の先祖が生まれた星を目指している。
     
     つい先程、火星を通り過ぎたとルナが言っていた。
     火星と地球の距離はおおよそ7500万キロメートル。恐らく地球の到着まで数刻とかからない。
     
    「でも地球、楽しみだよねー」
    「……遊びに来たんじゃないのよ?」
     
     虚空の闇を振り仰ぎながら笑うルナに、窘めるように言う私。
     事の重大さをわかっているのかいないのか、そこには呆れと羨ましさが半分ずつ。
     
    「そうだけどさ。でも私達って元々は地球で生まれたわけでしょ。何千年ぶりの帰還って奴じゃん?」
    「私達じゃなくてご先祖様ね。そもそも遠い昔の話よ……それこそ、私達の何十代か何百代前だっていうの」
     
     ルナにそう返しながらも、私もどこかで胸の高鳴りを抑えられなくなっていた。
     数多見た映画やドラマで描かれた私達の故郷。ルナの言う通り数千年も離れていた私達人類の生まれた星。かつては誰もがその星に生まれ付き、その温かな自然を自らの全てとして育ち、そして豊かな土へと還っていった。私の触れる創作の中では皆が皆、その蒼い星を守ろうとしていた。そして同時に皆が自分達の故郷は永遠のものであると、失われるはずがないものだと信じていた。
     そんな惑星に今、私達は行こうとしている。
     ううん、行くじゃない。やっぱりルナと同じように私は帰るって言ってみたい。
     
    「ふふ、やっぱりお姉ちゃんもワクワクしてるんだぁ?」
    「……もう2歳になるのよ、そんな子供じゃないわ」
    「私より年下じゃん! ていうか2歳じゃ赤ちゃんじゃん! お姉ちゃん、16歳もサバ読むってどうなの!?」
    「九つ子に『姉』も『妹』もないでしょう」
    「いやそれでもさぁ! マキお姉ちゃんもミナお姉ちゃんもめっちゃお姉ちゃんじゃん!」
     
     浮遊椅子に体を預け、シートベルトを締めながら騒ぐルナ。
     それを見てフッと微笑んでいる自分に気付く。私が冗談を言うなんて、私自身が一番驚いている。
     私の『姉』『妹』達が消息を絶った蒼い星。太陽系の中で唯一、生物がその命を育むことを許された水の惑星。私達の先祖が遥か昔に見捨てたそこへ向かうことは死地へ赴くも同義だろうに、ルナだけでなく私までも柄にもなくワクワクしているんだ。
     だから呆れと同じだけ、羨ましさも半分。本当に楽しそうな『妹』の姿が、私には眩しかった。
     
     宇宙を飛ぶことは好きではないけれど、一つだけ私にもしてみたいことがあったから。
     旧世紀の記録で何度だって目にした、かつて初めて宇宙を飛んだ偉大な英雄の言葉。その言葉がきっと、私達の先祖を外へと駆り立てた。私達の踏み締める大地の外にも世界は広がっているのだと、それと同時に私達が生きるこの星が如何に美しく得難いものであるかを理解させた言葉。その言葉を経て私達の先祖は月面へ、火星や木星へ、そして太陽系の外へと踏み出していったのだから。
     
     あの言葉を、数千年の時を経て帰還した私も言うんだ。
     あの言葉を、見捨ててしまった星への謝罪の代わりに。
     あの言葉を、徐々に正面にその姿を見せる私の故郷に。
     
    「えっ……」
     
     なのに思わず息を呑んだ。
     
     それを見据えた私の口は、あの言葉を紡ぐことはなく。
     キャッキャと隣ではしゃいでいるルナのことも視界に入らない。
     記録で見たそれとは何もかもが違うが、私の目に映るのはただそれだけ。
     漆黒の闇に浮かぶ私達の故郷。私の名前の由来になるはずだった水の惑星。
     言いたかったのに、ずっとそう思ってここまで来たのに。
     
     そう。
     私達人類が巣立った星は。
     私達人類が見捨てた星は。

     

     

     地球は、紅かった──
     

     

     

     

     

     

     

     

    『Death or Dominate』

    Duester.01「地獄で会おうぜ、ベイビー」
     

     

     

     

     

     

     

     

     25世紀。この時を以って人類の文明は頂点に達したと言っていい。
     かつて夢半ばで頓挫した宇宙開発が形を成し、人類は多くの希望を抱いて地球から巣立っていった。23世紀末に一人の博士が提唱したある理論、惑星間移動を容易くするその理論が人類史を大きく変えたのだ。自らの母性より巣立つ手段を手に入れた人々は、次々と地球から遠く離れた多くの星を自らの手で開拓、植民星として統治してそこで子を産み、育て、そして死んでいった。
     
     だが後から思えば、それが終わりの始まりだったのかもしれない。
     いつしか何かが狂い始めていた。人口の流出は歯止めが効かず、時の連合政府にも最早人類全体の管理など不可能となっていく。硬直と腐敗を重ねた古き体制は、宇宙に進出した人類の新たなる時代に対応することなどできなかったのだ。そして同時に起きるのは地球環境に対する軽視であった。この宇宙には自分達が住める場所が無限にある、この蒼い星だけが人類の安寧の地ではない、そんな考えが人類全体に蔓延していった結果なのだろう。数世紀前には地球愛・地球保全の名の下に叫ばれ続けた環境保護の思想など、とうに人々の頭からは消え失せていた。
     
     そして人類の発展はそこで止まった。
     誰にも理由はわからなかった。宇宙開発だけではない。遥か過去にはSF映画内の産物とも言われた地球外の知的生命体との接触、数多の世界規模の大戦争を経ながらも即座に目覚ましく復興できる人類の力強さ、月面には多くの都市が築かれ老若男女問わず誰もが気軽に宇宙旅行を楽しめる、そんな夢にまで見た時代を迎えたはずなのに、それ以降は科学も芸術も何一つ一向に発展することは無かった。25世紀末、時間旅行の理論を構築した科学者が暗殺されたことによりタイムマシン開発も頓挫、自分達の世界は確かに地球以外にも広がったはずなのに、どこか地球に住む人々には閉塞感が根付き始めていた。
     やがて誰もが地球を見捨て始めた。火星や木星といった太陽系の他の惑星にステーションが築かれ、多くの人々は逃げるようにそこに移住していく。世界中の貧困層もまた、数多の宇宙ステーションや開拓星で働き手を必要とした都合から次々と地球から引き離された。一方で地球に残った特権階級は、担い手のいなくなった水の惑星を我が物顔で闊歩し、僅かに残った自然など意に介さず乱開発を進めていく。かつて保護されていた数多の動植物がその中で絶滅した。地球より巣立つのは人類のみであり、地球で生きるのもまた人類だけ、27世紀にはそんな時代を迎えていた。
     緩やかに、けれど確実にその時が来ることは誰の目にも明らかだった。それでも誰もが目を逸らしていた。我々の代ではそんなことにならないのだから構わないだろう、そう考えて蓋をし続けた。かつて栄華を極めた世界各地の大都市もいつしか荒廃し、30世紀を過ぎる頃には22世紀と大差無い状態に逆戻りしてしまっていた。そこに生きる僅かな人々はどこか無気力で、無限の未来を見据えることなどまるで無い。
     
     だからそれはなるべくしてなった当然の帰結だ。
     
     ホモ・サピエンス。
     他の自然や生物を食い物にして生きる、同じ星に住む同胞を数多滅ぼしてきた霊長の王。
     その知恵と技術で永劫の発展と繁栄を約束されていただろう、地球史における最大の特異点。
     
     西暦34××年。
     地球人類は絶滅した。

     

     

     

     

     

     

     

     

     地殻変動を考慮しても世界地図は過去のものが普通に使うことができた。
     着陸地点は迷わずJPNポイントを指定した。そこは遠い昔の私達の祖先が暮らした国、極東の小さな島だったらしいから、きっと私と同じ遺伝子を持つ『姉』『妹』でもそうしたはずだと思う。
     
    「うわあ、とっても原始的ィーッ!」
     
     すぐ横に座るルナは、窓から見える景色にキャンキャンと騒いでいる。
     随分と失礼な物言いじゃないの、それ。
     
     宇宙船を降下させていく。徐々に下に見えてくる朽ち果てた都市は、この国の首都であったらしい。打ち捨てられて数千年、担い手がいなくなったその場所は、今にも崩れ落ちそうに所々が抉れた高層ビルが立ち並んでいる。その側面には無数の苔が張り付き、窓という窓には蔓や蔦が絡み付いておどろおどろしさを漂わせている。それ自体は何てことはない。元より私を含めた姉妹達は異星探査員として未開の惑星に赴くことを生業としていたから、そもそも二足で歩く地球人ではとても生きられないガス状の星で四苦八苦したり、地上に降り立つことこそできたが即座に排他的な原住民から突然ミサイルで攻撃されると言ったようなことは何度も経験してきた。だから私は降り立てる地上とかつての文明の痕跡が確認できるだけでも、安堵に近い感情を持つことができた。
     
     だけど紅いのだ。絡み付く植物も苔も地面に溢れる花も紅い、そして大海原すらも紅い。それが唯一の異質だった。
     人類の繁栄と滅亡、そんな話は誰でも知っている。けれど三千年近く前の話だ、それは私達にとってはもう歴史でしかない。そもそも太陽系の外に広がった人類なんて私達以外にも無数にいるのだから、人類が絶滅したなどと言われても私にはピンと来ない。各々の惑星間で定時連絡を取っているわけではなく、うっかり探査に向かった惑星に既に地球人類がいたなんて話も姉妹達から聞いたことがあるが、少なくとも私は私として、地球で生まれた人間の末裔としてここにいるんだ、この地球に帰ってきたんだ。
     
    「お姉ちゃん、どこにアーク降ろす?」
     
     アーク。ルナは何故か私達の宇宙船のことをそう呼ぶ。理由はよくわからない。マキがそう呼んでいたのだろうか?
     地球は紅かった。私が初見でそう述懐した通り、どうしたわけか海も地上も全てが紅い。しかし降下していく中で見れば、その紅さは全て至る箇所に生える植物によるものであったと私達は知る。ビル街の中を抜ける道路すらコンクリートを突き破る形で紅い花々が群生し、私達の目を焼かんばかりにその存在を誇示している。なんとなくだけど、アークの噴射炎で紅いそれらを焼きながら降り立つのは避けた方がいい気がした。
     
    「お願い。あの海沿いが良さそう」
     
     けれど海沿い、真っ赤に燃えるような海の手前に点在する小島は紅い花々が生えていない。着陸するならそこがいい。
     
    「えー、わざわざ海沿い? 面倒くさくない?」
    「用心はいくらしても損ってことはないのよ、ルナ」
     
     不服そうに口を尖らせる妹を宥めながら望遠カメラを操作して地上を確認する。
     一見して生物の姿は確認できない。けれど、もしくはだからこそ、紅い花に不用意に近付くべきではないと感じていた。植物が溢れる世界というのは美しいはずだけれど、そこに広がる真っ赤な光景は明らかに異質だった。昔通りの緑の溢れた惑星などでは断じてない、何より緑ではない。
     人類にとって三千年という時は永劫にも近いけど、地球史にとっては瞬きでしかない。だから滅ぶ前の地球人が道連れのような形で台無しにした自然環境は、未だ回復できていないのだと思う。私の好きな旧世紀の映画やドラマで見る緑と様々な動物とで溢れる美しい惑星に地球が戻るまで、一体どれくらいの時間を要するのだろう?
     そしてこの紅い花々は何なのだろう。それらが緑であったのなら何とも思わないはずなのに、その紅い輝きは何故か心を不安にさせる。自然と不用意に足を踏み入れるべきではないとざわつく心が訴えてきている。何かが間違って私達は地球ではない別の惑星に来てしまったのでは、そんな疑念が心のどこかに芽吹いている。
     
     果たして海沿いの小島、一切の花々が見えないそこにアークを降り立たせる。
     酸素濃度は問題ない。生身で外に出ても十分活動は可能と見えた。
     
    「……あ、ここ埋立地なんだわ」
    『埋立地って何?』
    「海の上に不要なゴミとか土砂を使って作った人工の島よ」
    『へえー、昔の人って知恵が働くんだねえ』
     
     先にアークから出たルナ、通信機の先で感心したように頷いている『妹』の姿が、なんだかおかしかった。
     その小島は不自然なぐらい、整備された道路と景観が旧世紀時代そのままに残されていた。けれど本島に続く大きな橋は中心から圧し折れたらしく、紅い海の中にその先端が沈んでいる。けれどその橋もまた紅に侵されてはいなかった。
     先程見た本島のビル街を思い出す。紅かったのは苔や蔦、蔓だけでビルそのものは当時のまま在った。そして埋立地であるここは、まるで紅い花々の影響を受けることなく数千年前の文明の痕跡を残している。
     
    (人工物は……浸食されてないということ?)
     
     そんな仮説が成り立つ。武器を収納したアタッシュケースをルナと私の二人分用意して、私も地上に降り立った。
     
    「これからどうするの?」
    「まずはマキ達の宇宙船を探しましょう。地球に降りたところまでは確認できているのだから……」
    「あー、マキお姉ちゃん達お腹空いてるかもだもんねー」
     
     それは本心なのか空元気なのか。ルナの天真爛漫な横顔からそれを読み取ることはできない、というよりしたくない。
     マキ、先に旅立って行方不明になった私達姉妹の一人。私達の『父』の趣味か、八つ子である私達は太陽系に存在する惑星に準えて名前を与えられた。その中でも水星を意味する名前を与えられた彼女は、私達姉妹の長女であり誰よりも、きっとルナよりも明るくて優秀な自慢の姉だった。そんな姉が消息を絶った、第一陣として出発した三人の姉妹と共に。
     
     キュッと。
     そんな彼女達、特に二人の姉のことを思うと少しだけ胸が痛んだ。
     
     姉妹で一番優秀だったマキ、そのサポートを務めるミナ。彼女達は水星と金星の名前を持っていたのに、どうして三女である私の名前はこれなのか。
     あろうことか私に浮かんだのは死しただろう『姉』達のことではなく、出来損ないの自分のことだった。そんな自分がとても嫌だった。
     第二陣として惑星D-2を発ったもう三人の『妹』達は地球まで辿り着けずに行方を晦ましたらしい。その時点で『父』は残された最後の一人である私に追跡調査を命じた。そもそもどうして私は最後まで捨て置かれたのか、どうしてマキやミナは私を連れて行ってくれなかったのか。『父』の命令は即ち死んで来いということだったわけだけれど、どうしてもその理由が知りたくて私は『父』の言葉に従った。同じ顔と同じ遺伝子を持つ七人の姉妹が死んだ私達の故郷、そこに行けばきっとその答えがあると信じていたから。
     
    「……お姉ちゃん?」
    「え? あ、ああ、ルナ……どうかした?」
     
     埋没していた私の顔を覗き込むマキそっくりの顔。それで私の精神は現実に引き戻された。
     
    「どうかしたはお姉ちゃんだよ! これからどうするのって話!」
    「えっ……そ、そうね」
     
     ああ、本当にルナはマキにそっくりだ。その明るさも良い意味での空気の読めなさも、同じ顔をしているはずの私とは似ても似つかない。
     それを振り払うように私は本島、紅い花の向こうに薄っすらと見える鉄塔を指差した。
     
    「まずはあのタワーを目指しましょう。近くに生物の気配は無かったけど、マキならそうするはずだわ」
    「りょ~かい! メイお姉ちゃんは頼りになるなぁ~!」
     
     笑いながらルナがテキパキと用意を進めていく。でも私は動けなかった。久々に名前を呼ばれて、私の心はズキズキと痛むんだ。
     
     私はメイ。
     フルネームはメイビ・カザリ。皆が私をメイと呼ぶ。
     
     だけど言いたい。私は今年で18歳になる、なのに未だに自分の名前が好きになれない。メイビだのメイだの呼ばれる度、今は遙か遠い故郷にいる『父』に問い質したくなる。私は本当にメイビなのか、どうして私が冥(メイ)なのか。
     
     お『父』さん。
     私は八つ子の三女だよね?
     私は太陽系第三惑星ちきゅうの名前を貰えるはずだよね?
     
     それなのに。
     どうして私はメイなの?
     どうして私は冥王星なの?
     
     お『父』さん。
     私は地球たりえないの?
     私は惑星ですらないの?
     
     教えてよ。
     お『父』さん。
     どうすれば私は地球の名前を貰えたの?
     
     教えて。
     お『父』さん。
     私は惑星にもなれない出来損ないなの?
     

     

     教えて──
     

     

     

     

     

     

     

     

     惑星D-2。正式名称はもっと長ったらしいものらしいけど、私も『姉』『妹』も誰も知らなかった。
     小さな星だから最高峰と言っても高々1000メートル。そこに異星探査委員会の本部はある。
     
    『よく来たね、元気そうで何よりだ』
     
     その最奥にある部屋に響く優しい声。けれどその声音で冷徹な指示を出すのが『父』だと私は知っていた。
     『父』は惑星D-2の異星探査委員会の長官だった。いつまでも若々しい外見は、成長した私達姉妹と並んでいてもとても親子には見えない。
     それでも格好が付かないからと、剃らずに蓄えている髭を右手で摩りながら、長官室に『父』は私を呼び立てた。よくある創作のように長官室では長官としての顔を見せる、そんな態度を『父』は取らない。長官でありながら『父』はこの『父』の顔のまま、笑って『娘』である私達に死んで来いと言える、そんな人だった。
     それが私達を信頼してのものなのか、八つ子であるが故に簡単に代替が効くと思っているのかは、ついぞわからなかったけれど。
     
     実際、私達はそんな『父』の期待に応えて数多の惑星探査から生還してきたし、それだけの自負もあった。不出来と自称する私も何とか姉妹達に喰らい付いてきたし、だからこそそんな姉妹達、特に長女と次女のマキとミナが消息を絶ったと聞いた時は驚かされた。
     
    『呼び立てた要件はわかっているね』
    『……お『父』さんは私にマキ達の後を追えと言うんですか』
     
     敢えて二つの意味を込めた言葉を私は口にした。少なからず皮肉を交えたつもりだ。
     
    『ああ、ウラ達三人の次の第三陣としてね』
     
     それだけで『父』は全てを悟らせる。一度だって『父』は私の名前を呼ばない。マキやウラの名前は呼ぶのに私は今まで一度だって名前を呼ばれたことがない。
     ウラ、天王星の名を持つ『妹』。第二陣として彼らが発ったことも、そして途中で行方を晦ましただろうことも、別の惑星の探査から戻ったばかりだった私はその時まで知らなかった。つまりは私以外の『姉』『妹』七人が地球へ向けて旅立ち、全員が消息を絶ったということ。八つ子であった私達は、もう私しかいないのだ。
     
    『了解しました。明日には出発します』
    『話が早いね、こういう時は流石と言ってあげるべきなのかな』
    『っ……! お『父』さん、お『父』さんは……!』
    『何かな』
     
     七人が死んで何とも思わないのですか、と。
     机をバンと叩いて思い切りぶちまけたい言葉、喉元まで競り上がったその言葉を口にすることはギリギリで防ぐことができた。それを言ったところで『父』はこう返すだけだ。
     
     死んでなんていない。彼女達が死ぬはずがない。僕の自慢の『娘』なのだから。君も含めてね。
     きっと今と同じ顔でそう言う。曲がりなりにも18歳まで『父』として慕ってきた男のことはわかる。だけど詭弁だ、そこに親としての愛なんて私は感じたくない。それが『父』の側にあったとしても、七人の娘が死んだ場所に最後に残った私を派遣しようなどという男の考えなんて理解できない、理解したくもない。
     
    『今回はルナも連れていくといい』
    『ルナ? いや、でもあの子は……』
    『調整は済ませた。過不足は無いよ、今や立派な君達九つ子の末の『妹』だ。マキの最後のデータもインストールしてある』
     
     思わぬ名前を出されて困惑する私。だが『父』は規定事項を話しているだけだ。
     
    『……では一つだけ、お願いがあります』
    『言ってみなさい』
     
     だから観念した。もう叶わないと知りながら、それでもせめて、戻ってくるという意思を込めて一つだけ、言っておくことにした。
     
    『帰ってきたら教えて欲しいんです、お『母』さんのこと……それに』
     
     私のこと。
     言い切る前に、立ち上がった『父』が私の肩を抱く。
     とても優しい手付きで、この人に愛情が無いなんて思いたくなくて。でも実際にはこの人は笑顔で『娘』を死地に送り込む人で。
     
    『行ってきなさい、そして必ず帰って来なさい。その時は、どんなことだって話そう』
     
     そう言って『父』は後ろに回って慣れない手付きで私の背中、首元に何かを記した。
     後になって制服を脱いだ時に見てみれば、汚く描かれた──『父』はとんでもない悪筆だった──幾つかの四角と升目だった。四角が縦に二つ繋がった横に下に流れる升目。その隣に同じように四角が縦に繋がっている。その下に書かれたアルファベットなど汚過ぎて判読すらできない。まるで意味がわからなかったけれど、あの『父』が私にくれた数少ないものだったから、今も消さずに私の首元にそれは記されている。
     
     だけどこんなものだ。
     『父』が私にくれたのはこんなものだけだ。
     
    『君は、僕の自慢の『娘』だからね』
     
     こんなものよりも私は。
     一度でいいから名前で呼んで欲しかったのに。
     メイビじゃない名前を与えて欲しかったのに。
     
     あの蒼い惑星の名前で呼んで欲しかったのに。
     

     

     そうすれば、もっと『父』を愛せただろうに。
     

     

     

     

     

     

     

     

     海沿いは先の島と同様に人工の埋め立て地である故か、紅い花の浸食は為されていない様子だ。
     取り急ぎボートを使って本島に渡った直後のそこで、私とルナは妙な生物と出会った。
     
    「ッキュ! ッキュ!」
     
     雑巾を絞ったような鳴き声を上げるピンク色の生物。
     長い耳は兎っぽくも見えるが、二足で直立歩行しているそれが多くの童話で見た兎とは思いたくない。突き出た腹を含めて丸っこい体躯は可愛らしさを気取るも失敗したような、そんな残念な存在に思えた。
     
    「ローカルの星人かしら」
    「地球人でしょ。……いやちょっと待った。地球人じゃないでしょ、これはどう見ても」
     
     ちょっと前に観た大昔の映画のネタはルナには通じなかった。
     
    「ていうか地球人って私らもじゃんよ~!」
    「……言われてみればそうね」
     
     でもルナの言う通り、地球における現生人類と言ったらズバリ私達のことだし、少なくとも地球にこんな生物がいたなどという記録は私の知る限り無いと思う。生物の進化と言っても、こんな数千年程度でそれが起こり得るものなのだろうか。少なくとも宇宙に出た私達は中世や近世に記された人間達と生物学的には変わらない、今も尚ホモ・サピエンスであるはずだが。
     
    「ッキュ! ッキュ!」
    「そら逃げろ逃げろ~!」
     
     ルナが面白半分に最低出力のスタン銃を何発かその妙な生物の足元に撃ち込んでやると、そいつは慌てふためいて必死に左右にステップを繰り返す。ビシバシと左右を銃撃する度に対応する足を上げて逃げようとするその様が、まるでダンスを踊っているようで面白く、しばらくルナはスタン銃でその生物を好き放題躍らせていたが、やがてその兎もどきは血相を変えて走り去っていった。
     紅い花へ。紅い花が群生するエリアへと。
     
    「ふぁ~面白かった! ……で、何なのアイツ」
    「さあね。でもルナ、ああやって遊ぶのは良くないわ、可哀想じゃない」
    「え~、メイお姉ちゃんあんなのが好みなわけ? 引くわ~」
    「そういうわけじゃないけど……」
     
     可愛くはない。断じてキュートなんかじゃない。
     それでも直感があった。人語を話したわけではないが、あの兎もどきは私達の行動や言葉を理解しているようだった。というよりも、私達が海を渡って本島に来ることを知って待っていたようにも思えたのだ。
     足音が聞こえてくる。さっきの兎もどきが戻ってきたのだろうか。そうなら謝罪して何とか意思疎通を取って情報を──
     
     ドッドッドッドッ。
     
     ──え? ちょっと待って、これ足音じゃなくて地響きじゃない?
     
    「ギュギュギュッギューッ!」
    「な、何よあれェーッ!?」
     
     ルナの絶叫は果たして私が叫びたい言葉そのままでもある。遺伝子が同じなだけあった。
     大地を揺らして現れたのは先程の兎もどき。けれど違うのはその大きさ、先程までは私達の腰にも届かなかったのに、地響きと共にやってきたそれはビルの三階ほどはある巨体。それが私達を踏み潰さんばかりに駆けてくる。
     
    「こ、この巨大キュッキュが! 人間サマを舐めん……」
    「ちょー! 何ロケットランチャー構えてんの! 逃げるわよルナ!」
     
     血の気の早い妹を引っ張って逃げる。
     と言っても紅い花に覆われていないのは海沿いだけ。ボートは収納してしまい出すのに数十秒を要する、そんなことをしている間に踏み潰されてしまう。
     
    「ああ、もう! どうしてこうなるのよ!」
     
     行くしかない。何が起きているのかもわからないけど、それを調べなければ。
     ルナの手を引いて私は走る。足を踏み入れざるを得ない。
     
     ビル街へ、かつて私達の先祖が繁栄を謳歌した我が国の首都へ。
     

     

     紅い花、その禍々しい輝きに彩られた真紅の世界へと。
     

     

     

     

     

     

     

     

    『大丈夫、メイもきっとすぐ強くなれるわ』
     
     同い年なのに、同じ遺伝子なのに、誕生日すら同じなのに。
     そう言って微笑む6歳のマキは、私よりずっとずっと年上に見えた。
     
    『でも……今日もユノに負けちゃったし……』
    『大丈夫。メイもユノと同じ、私の『妹』だもの』
     
     私達は生まれながらにして異星探査員の道を義務付けられていた。
     惑星D-2。地球から遥か遠くの銀河系にある植民星。現地人はいないながらも豊富な鉱石が取れることから、この星を25世紀の中頃には私達の先祖は第二の故郷にすることを決めていたらしい。けれどそう大きくない星だから、いずれ資源が枯渇することを予見した千年ほど前から異星探査委員会なる組織が発足した。私の『父』は代々その長官や委員長を務める名家の出であったけど、どこかD-2に対する思い入れは深くないように見えた。私達『娘』に太陽系の惑星の名を与えたのも、きっとどこかに望郷の念があるからではないかと予想している。
     そんな『父』の『娘』である私達が異星探査員となるのも当然だった。
     
     通例、10歳頃には基礎教育を終えて現場に出るのが常だ。だから3歳か4歳になる頃には私達は訓練を開始されていたし、その中で長女のマキと五女のユノはメキメキと頭角を現して7歳の誕生日を機に見習いとして異星探査の一員になることを許されていた。
     
     一方の私の成績は、言うまでも無く下から数えた方が早かった。
     
    『マキお姉ちゃんは違う。すっごく強いし、すっごく優しいんだ』
    『そう、お姉ちゃんは強いんだぞぉ~?』
     
     後から思えば、そんな柔らかな笑みは九人目のルナにそっくりだったが、それも当然のこと。
     
    『だからメイも頑張って。私達、一緒に7歳になるんでしょ』
    『うん、明日が誕生日だもんね、私達皆の』
     
     何故だろう。その瞬間、マキの目には影が差したように思えた。
     
    『そうね、アシタ──』
     
     何故か言いかけて止めたマキ。それを誤魔化すように首を傾げた私の頭をポンポンと叩いて。
     
    『明日の朝ご飯は豪勢にしましょう』
    『え、でもマキお姉ちゃんはユノと……』
    『いいのいいの! お姉ちゃんがやるよ!』
     
     そう言って走っていく後ろ姿。
     
    『明日ぁーっ!』
     
     保健室を出ていく姉が振り返る。
     
    『ごめんねぇーっ!』
     
     何が明日なのか、何に対しての謝罪なのか、私には今でもわからない。
     私と全てが同じはずなのに全てが違う自慢の姉。
     そんな姉に追い着くことは、結局できなかったんだな。
     

     

     

     

     

     

     

     

     あの巨大兎もどきからは何とか逃げ切れたらしい。
     
    「ハァハァ……撒いた?」
    「もう! 何なのよあの巨大キュッキュはさぁ!」
     
     振り返ってルナの姿を確認すると、乱れた呼吸を整えるように指示した。
     しかし視界は紅という紅に彩られている。私の胸を不安が占める。不測の事態だったとはいえ、紅い花の世界に足を踏み入れてしまったのだ。見渡す限り、昔はアスファルトだっただろう道の至る所から突き破るように咲き乱れている紅い花を踏み締める度、クショックショッと不快この上ない感触がブーツの下からでも私達の足の裏に纏わり付いていく感覚は実に不気味だった。
     ビル街に入ってそれなりに走ったはずだが、先の兎もどき以外の生物は未だに確認できない。スタン銃を構えた私とルナは不愉快な感触と共に互いに前後をカバーし合いながら再び歩を進めていく。あの兎もどきは体躯こそ巨大であったが、あれにマキ達がやられたとはとても思えない。つまりマキ達が行方不明になった元凶は他にいて、私達はそのテリトリーに入ってしまっている可能性がある。ここは既に戦場なのだと必死に言い聞かせる。
     そうした意味では後ろのルナの存在は有り難かったのだが。
     
    「なんか気持ち悪いね~、前にメイお姉ちゃんと行った星のクラゲ型宇宙人の方がまだマシっていうか」
    「……そんなことまで、覚えてるの?」
     
     背中を怖気が走る。ゾクゾクとした感触は直に肌を撫でられたようだった。
     それはつい一月前か半月前、つまりは地球に出発する前の任務だ。降り立った異星で古典SFそのものの姿をしたクラゲ型宇宙人に追い回されたことはある。あれは確かに知性の欠片も無い異星人だったが、その時を思い出すと神経が張り詰める。
     
     赤、紅、朱。
     
     歩く度に、唾を飲み込む度に、ただそれだけに満ちた世界に頭がボウッとする。視界にひたすら続く鮮血の如き光景が突き刺さり、眼球の奥がじんわりと焼けていくようだ。自分がどれだけ歩いたのか、果たしてどこを進んでいるのか、それすらも紅い花に侵されていないビルの側面に目をやらなければわからなくなる。
     
    「あの時の血相変えて逃げ出すお姉ちゃん、傑作だったなぁ~」
    「……言わないで。乙女の恥よ、あれは」
    「乙女って言う歳でも、ないでしょ? でもお姉ちゃん、男っ気、皆無だからなぁ~」
     
     後ろから聞こえるルナの声にホッとする。自分を『姉』と呼ぶ点は明確に違うけれど、傍にいてくれて安堵する心地良さはマキそのものだったから。
     でも私はそんなだから、ルナに起き始めている異変に気付かなかった。
     
    「あのさ、お姉ちゃんと一緒にこの星に来れて、良かったと思ってるんだ、私」
    「どうして」
    「だって一人、じゃない……じゃん。こんな、とこ一人だったら、きっと私……」
     
     どこかルナの呂律がおかしい。そう気付いた時にはもう遅かったんだ。
     
    「え? ルナ……ちょっ!?」
     
     背中に重い感触が来る。
     ドウと。背後を警戒しながら歩いていたはずのルナが倒れ、もたれかかってきたのだと理解した時には、咄嗟に体を反転させた私はほぼしがみ付くように倒れてきたルナの体を胸で抱き留める形で、仰向けに花の海に沈んでいた。正面には一切の雲が無い澄み渡る青空、そして私の全身を包むように咲き誇る紅い花。
     
     赤、紅、朱。
     
     頬をその花弁で撫でられると視界の中の青い空まで赤く侵されていきそうで。
     
    「っ……! ルナ、あなた凄い熱……!」
     
     けれどそんな妄想を霧散させるぐらい、私の胸の内で荒い息を吐き出すルナの体は熱かった。
     先程までそんな素振りは無かった。アークを出る時のメディカルチェックでも私とルナは心身共に異常無し、つい先刻もあの兎もどきを楽しそうな様子で甚振って弄んでいたはずなのに。
     戻らなくては。何が起きたかわからないが、まずは『妹』を連れてアークに戻らなくては。
     
    「ルナ、立てる? とりあえずアークに……っ!?」
     
     抱き締めたルナごと体を起こそうとした私は、果たして顔を上げたルナの瞳を正面から見据えさせられて。
     
     赤、紅、朱。
     
     その瞳は名前通りの月の色だったはずなのに。
     透き通る彼女の眼球に広がる色は鮮血の如し。
     ああ、それはなんて美しい紅に彩られた結晶。
     
    「──────」
     
     あまりにも自然な動作で、緩やかに『妹』に押し倒された私はまたも紅い花の海に沈み。
     求めるように、吸い寄せられるように、私と同じ作りの唇が私のそれを貪った。
     
    「──────」
     
     息が、止まる。
     
     自分と瓜二つであるはずの顔が間近にあり、その熱が口づけられた箇所から私の中へ直接流れ込んでくる。
     初めて味わうそれには果たして何の感慨も無く、けれど直後に侵入してくる舌に私の舌が絡め取られて溶けていきそう。
     
     一方で鋭敏になっていく感覚が、初めて他者と触れ合ったそこを伝って相手のそれと同化していく。
     でもそれは『妹』だ。憧れの長女と同じ顔、私とも同じ顔をした『妹』と互いの熱が混ざり合う。
     
     膨張する脳髄と沸騰する精神。荒い呼吸で密着した私達の胸が上下し、二つの肺が足りない酸素を求めて悲鳴を上げていた。
     
     視界の端で広がっているはずの青空は、ゆっくりと血の色に侵されていくようで。
     
    「んっ……! ルナ、やめて……っ!」
     
     押し退けるはずの手は私と同じ、なのに私より力強い手で抑え込まれ。
     
    「お姉ちゃ……ん、お姉ちゃん……メイ……メイビ……っ!」
     
     熱病に冒されたように私を求める妹。
     
     呼ばないで。
     私の名前。
     大嫌いな私の名前、呼ばないで──!
     
    「やだ……! やめて……っ!」
     
     それは何に対しての拒絶なのか。私はどうして『妹』を拒むのか。
     
    「違、うっ……! あなた、私の『妹』じゃ……ないっ!」
     
     それでも何故だかそんな直感があって、渾身の力を振り絞りルナの体を突き飛ばす。
     先程まで私自身に、まるで打ち付けられた楔のように重く圧し掛かっていた『妹』の体は、その実羽毛のように軽く地面を転がった。
     
    「……そうだよ?」
     
     無機質な声。それは『妹』に暴力を振るってしまった私を咎める色ではない。
     それが逆に怖い。ユラリと吊られたマリオネットの如く立ち上がるルナの姿は幽鬼のようだったから。
     
    「マ……キ……!?」
     
     なのに、その姿が死んだはずの『姉』と重なる。誰よりも明るく真面目で優秀だった私達のお『姉』ちゃんと被る。でも違う、瓜二つだったとしてもルナの瞳は月の色、マキのそれは淡い水色だった。そして目の前の紅い瞳の『妹』はそのどちらでもない。
     
    「うん、私はメイのお『姉』ちゃんだよ?」
     
     意味がわからない、何もかも。目の前で何が起きているのかまるで理解できない。
     真っ赤な瞳のルナではない何か、マキのように見える何か。それが今、私を求めてゆっくりと歩いてくる。まるで昔の映画で見たゾンビ、新鮮な血肉を貪る人の姿をした怪物を思い出した。きっと次に口づけとかそれ以上の何か──それ以上の何かって何?──をされたら助からない。この紅い花は人間の精神をおかしくさせるのか、いや先の兎もどきを思えばおかしくなるのは人だけではないかもしれない。とにかく今この場でもう一度ルナに触れられたら二度と立ち上がれない。きっと私の精神は完全に崩壊して目の前の、私と同じ顔をした『ソレ』にどこまでも貪られる。
     
     ルナが迫る。マキの声で、マキの顔で、けれど瞳は絶対マキのものとも違っていて。
     
    「こ、来ないで……!」
     
     咄嗟に出した声は震えていた。あろうことか私は『妹』に、右手の銃を向けてしまっていた。
     でもルナは止まらない。既に銃もナイフもそれらを収納するアタッシュも全て放り捨てて、彼女の目にはもう私しか映っていない。だらしなくニヤけ切った口元とすっかり紅潮した頬、ただ己の欲望と飢餓感に苛まれた女はきっと、撃たなければ止まることはない。口の端から垂れる粘着く液体は私から舐め取られた私の唾液で、それを拭うこともせずトロンと混濁したルナの瞳には、同じ顔ながら無様に怯えて銃を構える惨めな女の姿が映っている。そんな私を最早ルナは、単なる捕食対象エサとしか見ていなかった。
     私の後頭部が叫ぶ。これは危険だと、すぐにでも排除しなくてはならないと。
     
    「ルナ……ッ!」
     
     それでも。
     撃てなかった。銃を向けていることさえ耐えられない。
     
    「……私、本当に……ダメっ……!」
     
     ダラリと垂れ下がる右腕。脱力したそこから銃が花畑の上へ落ちる。
     できない、できるわけがない。だってそれは赤ん坊の頃から知っている『妹』だ、私にとっての家族なんだ。
     
     ドサッと膝を折ってへたり込む私。撃てるわけがない。最初から『妹』を拒むことなんて私には無理だったんだ。
     
    「うふふ、メイのそういう優しいとこ、好きだよ……?」
     
     優しさなんて、優しさなんて、優しさなんて──!
     そんなもの、一度だってこの短い人生で役に立ったことはない。なのにルナはマキの声で、そんな私を好きだという。それが本心かどうかなんてもうどうでもいい。もう全てがどうでも良くなっていた。右手の銃を紅い花の中に放り出して、迫るルナの前にただ無抵抗になる私。どうでもいい、もうどうなってもいい。
     
     好きに、して。
     
     ゆっくりと屈み込み、私と同じ高さに視線を合わせた『妹』の顔が近付いてくるのを、私はぼんやりと見つめている。ああ、なんて美しい顔。とても作り物には思えない、紛い物とも思えない。赤ん坊の時から知っているルナ・カザリは確かにここにいて、真っ赤に染まった瞳以外は確かに私の『妹』だった。
     
     不出来な私と同じであるはずの顔。
     ずっと憧れた姉と同じ美しい表情。
     けれど吸い込まれるような紅い瞳。
     
     抱きすくめられ、押し倒される。私の背中で紅い花がクショッと潰れる感覚は最後まで不快だった。
     
     再び来る蕩けるような接吻も、続けて私の服と体を弄る『妹』? 『姉』? の指の感触すらも、もう遠い世界の出来事のようだった。
     
    (ああ、きっと私は……ここで壊れるのかな)
     
     抵抗できない。だから目を閉じ、投げ出した右手でそこにある紅い花をギュッと握った。
     なんとなく知覚できた感覚は、ただそれだけ。不快この上ない紅い花を潰す感触が、きっと私が知覚する最後の感触になるんだ。
     でも自分の心が融解することすら遠い世界の出来事のよう。私が握り潰したのなんて文字通りのほんの一握り。頬を撫で、背中を覆い、足を包む。無限に広がる紅い花は何ら変わることなく風にそよぎ、そんな紅い海に沈んで『妹』に貪られている私、そんな惨めな女を形作る記憶も感情も、その一つ一つが紅い花の世界に溶けていく。間近にあるルナの顔の左右に広がる青かったはずの空は、もうすっかり紅い花によって毒々しい深紅に染め上げられていた。
     
    「メイ……メイ……ッ!」
     
     それは誰の名前だっただろう。それはどういう意味だっただろう。それにはどういう願いが込められていたのだろう。
     そんな経験など無いはずなのに、如何にも手慣れた手つきで私の体中を這い回るルナの指先の感覚なんて、私はもう毛筋ほどにも感じていない。ああ、これが死ぬってことなんだと、これがあの世なんだと漠然と思ったけれど、同時に不思議と嫌だとも思わなかった。きっとそれで私は先に逝った七人の『姉』『妹』達に追い着ける、そんなことを思いながら自分の精神すら投げ出そうとしたのに。もう壊れた『妹』に私の、メイビの全てを委ねて楽になろうとしたのに。
     
     ギィと大きな鉄骨が軋む音。
     果たしてそれが『姉』の私と『妹』であるルナの耳に響いた次の瞬間。
     

     

     世界を染め直すそれは現れた。
     

     

    「え、何……!?」
     
     驚愕するルナの声で私の心が現実に引き戻される。
     
     赤、紅、朱。
     
     それだけに覆われていた世界に現れた未知なる存在。全高にして恐らくは10メートル弱、今まで見た如何なる生物とも違って見える巨人が、紅い蔦と紅い蔓で覆われたビルに左手をかけ、私達のことをただ静かに見下ろしていた。
     
    「──────」
     
     呼吸が止まる。宇宙を思わせるそれは嫌いな色だったはずなのに、紅い花の世界に現れたそれを、なんて美しいのだろうと思った。
     
     黒、影、闇。
     
     屹立する巨体が私の視界を染める。私の世界に影が差し、目を衝く紅から一転した黒い世界。
     一点の曇りすらない漆黒に彩られたその体躯。角の生えた頭部には確かに二つの双眸を持ちながら、両の瞳の奥に宿る感情が如何なるものか窺い知れない。両肩にそれぞれ生えた角や牙に見える意匠は、まるで何らかの生物を模したもののように思える。更に右手に握るこれまた黒い巨大な剣は、天上で輝く無数の星々を象っていた。
     
     そう、それは明らかに数多の生物の集合体。だが群体生物でありながら、そこに各々の生物の意思も面影も見出せない。
     
    「ん……はっ……何なの、これ……」
     
     よろよろと体を起こす。まるで間男との情事の場を見られた不貞な女のよう、いやそんな奔放な女なんて創作の中でしか知らないのだけれど、そんな風に絡み合った姿勢のまま呆然と、自分達を見下ろす巨人を見上げる私とルナ。
     でも自分達、ではなかった。巨人が見下ろしていたのはルナだったと気付いた時にはもう遅すぎた。
     
    「ひゃっ!?」
     
     巨人の手が動きルナの細身を摘まみ上げる。
     
    「ルナ!?」
     
     はだけた服を直す間も無く伸ばした私の手は。
     
    「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
     
     同じく伸ばされたルナの手に届くことは無く。
     
    「助けてお姉ちゃん! メイお姉ちゃ──」
     
     ゴリッ。
     巨人の人差し指と親指の間でルナの上半身が不自然に回転する。巨人が取ったのはまるで人間が指をパチンと鳴らすような何てことない仕草、たったそれだけで、その間に挟まれていたルナは断末魔の声すら許されずに動かなくなった。
     
    「ル……ナ……?」
     
     恐らくは即死。上半身と下半身が真逆を向いている様は、子供の手で無造作に捻られたソフビ人形のよう。
     先程まで文字通り間近で感じていたはずの体温。それが失われたことに私は怒りも悲しみも抱く余裕はできず、ただ呆然と巨人の指の間でダラリと果てた『妹』の姿を見つめていた。
     この紅い花の世界であの子は壊れたと思った。そんな『妹』を撃てない私だから、私もまたあの子の手で一緒に壊されて当然だと思った。もう命さえ投げ出して私は壊れた『妹』に全てを委ねた。だけど今、確かにルナは私のことを必死に呼んでいた。完全に壊れたのではなくて、ただ少しだけ気の迷いがあっただけで、ルナは変わらずルナだったはずなのに、もうあの笑顔も声も二度と見れない、聞けない。マキと同じだったはずの彼女は、私を遺してマキと同じ場所に逝ってしまった。
     
     最後に私を呼んだルナの瞳は、確かに『妹』が赤ちゃんの頃から知っている月の色だったのに。
     
     そう、私は今度こそ本当に、家族を失って一人になった。
     
    「──────」
     
     呆然と立ち竦む私の目の前で、ルナの死体をしばらく二本の指で弄んでいた黒い巨人。
     
     やがて巨人は何を思ったか、自らの左手を己の顔面まで持って行き。
     
    「えっ……?」
     
     反応できない。それはうっかり失言してしまった時に人がよく取る動作。だけど巨人は何ら言葉を発していないし、何より巨人の手には未だ足を力無く垂れ下げたルナの死体があって、だから私は巨人がルナの体を口元に近付けてどうしようかなんてまるで想像もできなくて。
     

     

     ゴキュリ。
     刹那、理解し難い音が響く。
     

     

     ゴキュリ。
     それが何であるか理解できない。
     

     

     ゴキュリ。
     ううん、きっとそれは理解したくないだけ。
     

     

     ゴキュリ。
     人間もかつてはこの星でそうやってきたのか。
     

     

     ゴキュリ。
     それは狩る側と狩られる側の明確な立場を示していて。
     

     

     ゴキュリ。
     
    「やめ……」
     
     ゴキュリ。
     
    「やめて! やめてぇぇぇぇっ!」
     
     咄嗟に握ったのはルナが先程放り捨てたロケットランチャー。
     あの兎もどきに構えた砲塔を、私は絶叫と共に黒い巨人に向けた。
     視界が滲むのは紅い花の所為じゃなく、きっと涙だと信じてる。私はきっと『妹』の死を悲しめている。
     そんな私の歪んだ視線の先、それに変化が起きる。
     
    「……なかなかいい捕食対象エサだった」
     
     それが言葉を発した。巨人から響くのは澱み切った男の声。
     咀嚼されたもの、私の『妹』だったものを腹の中に収めた黒き巨人は、ズブリと自らの左脇腹へその星型の剣を突き刺すと、切腹でもするかのように刃をゆっくりと右の脇腹へ動かしていく。自害し始めたとしか思えない光景に言葉を失う私の前で、完全に両断された巨人の腹が捲れていく。
     内臓など無かった。巨人の体内に在ったのは闇。ほんの僅かな光すら存在を許されない黙示の闇。
     
    「──────」
     
     人間の身では決して太刀打ちできない魔性を今、私は見せ付けられている。この星は私達の母星であったはずなのに、そこで目にした光景は、これまで訪れてきたどんな異星の出来事よりも脳の理解を拒んでいた。
     
     殺される。きっと間違いなくあれに私は殺される。
     漠然とした理解。されど同時に確信もあった。私達の『姉』『妹』もあれにやられたのだ。
     
     やがて腹部が切開された闇の中より、まるで蛹から蝶が孵るかのように、寄生虫が宿主を腹の内から食い破るかのように、闇から這い出たそれが真の姿を現した。
     極端に細い腕と足、一方で肥大化した胸部は背後に広げた双翼からして悪魔と呼ぶに相応しい。声に反して一点の澱みも無い黒に彩られたその姿は、まるでファンタジー世界に登場する魔神の如き禍々しさを以って今確かに私の目の前に現実として君臨する。
     
    「あっ……あっ……!」
     
     銃口を向けながら撃つことができない。先のルナの時とは違う。
     そいつは明確な敵なのに。
     ルナを殺した奴なのに。
     私の『妹』を殺し、あろうことか食った化け物なのに。
     ルナだけじゃない、きっと私の姉妹全員を殺した奴なのに。
     
     それなのに抱くのは慄然とした恐怖。引き金に掛けた指はまるで言うことを聞かず、開き切った口からは発情した犬のように引っ切り無しに荒い息が吐き出される。他のあらゆる感情より恐怖が優先される。遠く離れた銀河で様々な異星人と巡り会ってきた私なのに、中世の頃より伝説の中で悪魔と呼ばれる姿を象ったそれを前にして、たった今『妹』を殺された私の体は瘧のように震えて引き金を引くことができなかった。
     
    「さて……待たせたな。来ているのだろう、同胞ども」
     
     なのに悪魔は私の存在など意にも介さない。人にとっての蟻と同じ、足下を這い回る小者を気に留めることすらない。
     彼の言葉に呼応するかの如く周囲の空間が歪み、五体の巨人が現れる。ビル街を埋め尽くす五体、悪魔を含めた六体はまるで怪獣映画の最終決戦思わせる。五体の巨人はどれも全て体躯も特徴も同じ、それらは全て先程、ルナを喰って悪魔が現れる前に象っていた黒き巨人であったが。
     
     やがてそれらが姿を変えていく。
     
     或る者は燃え。
     或る者は溶け。
     或る者は割れ。
     或る者は輝き。
     或る者は崩れ。
     
    「──────」
     
     私は既に部外者だった。私は目の前で起こる光景を見つめる惨めな群衆モブでしかなかった。
     やがて現れたのは禍々しき悪魔に続く五体の異形。黒き巨人から一転して特徴も色も大きさもバラバラの彼らは、元々が間違いなく同じ生物であるはずなのに何ら共通点が見受けられない。六体は全く異なる種族でありながら同族であり同胞だった。
     
    「……見知った仲ではあるが数千年ぶりの会合だ。改めて各々名乗りを上げようではないか」
    「いやアンタが一番待たせた側だぜ、ネオヴァンデモンの旦那ぁ」
    「言うなドルビックモン。それに関しては捕食対象エサを遅らせた『奴』が悪い」
     
     まるで私には意味のわからないことを言いながら、黒き悪魔がスッと姿勢を正すと、他の五体もそれに習ってビル街の中で円状に立った。
     ちょうどその円の中心で私は未だロケットランチャーを片手に立ち尽くしているのだけれど、彼らはそんな小さな生き物など気にも留めていない。
     
     彼らにとって私は、きっと蟻以下の存在でしかなかった。
     
    「月光将軍ネオヴァンデモン」
    「火烈将軍ドルビックモン」
    「水虎将軍スプラッシュモン」
    「木精将軍ザミエールモン」
    「金賊将軍オレーグモン」
    「土神将軍グラビモン」
     
     彼らは名乗る。まるで戦場で鬨の声を上げる武人のように。
     黒き巨人から現れた六体の怪物。紅き花に満ちた世界で人を喰らう黒い巨人から出でし者。
     
     でも私の目に映るのは一つだった。月光将軍ネオヴァンデモン、そう名乗った黒い悪魔の胸元、病的なまでに細い手足と対照的に盛り上がった胸部。
     そこに私の首から上が突き出している。漆黒に染まって眠るように目を閉じた私の顔。
     
     否。きっと否。
     それはルナだった。奴が今ここで殺し、喰らった私の『妹』の顔だった。
     
    「──────」
     
     カタカタと上下の歯が震える。
     知ってはいけない、知ろうとしてはいけない。
     なのに視線は逸らせない。ルナを喰った悪魔はその身を月光、月だと名乗った。そして私は間違いなくそれが他の姉妹も殺したと直感した。その時点で得心があったし、同時に私自身の心は否定していた。でもルナがそうなったのだ、だったらルナと全く同じマキもそうなるのが当然であって、姉妹で最も優秀だったマキがそうなったのなら、それは無論他の姉妹達も。結論から言ってしまえば、それはある意味では正解である意味では間違いだったけれど。
     
     食い入るように見つめる。私の存在など毛筋ほども気にせず談笑している六体の怪物達。
     
    「しかし最初の娘を喰らったのはスプラッシュモンだったか。あれから我らが二月足らずで全員分が揃うとはな」
    「極上の捕食対象エサは空より出ずる、古来デジタルワールドよりの掟よ」
    「違いねえ、大昔の奴らもデジタルワールドを訪れる人間は極上の捕食対象エサだって言うしよぉ」
     
     そんな怪物達の胸元にはやはり私の顔。ううん、そんな勘違いはもうしない。
     
     奴らの胸には一体残らずマキの、ミナの、ユノの。
     私の『姉』『妹』の内の五人、そしてルナ。皆の顔がある。なんて美しい姿だろう、それはまるで怪物の胸に宿る宝石のよう。水虎将軍のマキは水色、金賊将軍のミナは金色、それぞれがそれぞれの瞳の色でコーティングされた芸術のように怪物どもの胸の中心にぽってりと顔だけを露出させている。眠るように穏やかな顔を見せている彼女達は、されどもう二度と笑わない、怒らない、喋らない。八つ子、ううん、ルナを加えれば九つ子として一緒に育ってきた私だからわかる。彼女達は既に死んでいる、助ける術など一切無い。
     
     ああ、やっぱり殺したんだ。ルナと同じように、ルナより前に。
     
     皆コイツらが殺した。殺して、喰った。
     

     

     コイツらが、私の『姉』『妹』を喰(ころ)したんだ──!
     

     

     

     

     

     

     

     

     二年ほど前の話。
     
    『おっ、皆揃っているね』
    『珍しいじゃねーか親『父』ィ? 今日は随分と早いんだな』
     
     男勝りなユノがぶっきらぼうに言い放つと、照れ臭そうに『父』は頬を掻いた。
     異星探査委員会の本部から山を下った先の木造家屋、そこが私達の家だった。元々『父』の持ち家だったらしいけれど、流石の『父』もまさか娘が八つ子だとは予想できなかったらしく、私達が10歳を過ぎた頃からはもう随分と狭い。だけどマキやミナが私達はずっと一緒がいいと言えば、ユノやウラも特に反対することはしなかった。
     だから16歳の娘八人と年齢不詳の『父』が一人、元々そんな大所帯が我が家だったのだけど。
     
    『今日は君達に新しい家族を紹介しよう』
    『は? 家族?』
    『生まれたばっかりの赤ちゃん、君達の『妹』だよ』
     
     背中に背負った『妹』を、何でもないことのように『父』は抱いて私に渡した。……なんで私?
     
    『お『父』様! これはどういうことですか!?』
    『親『父』ィ! どこの女引っ掛けやがった!?』
     
     マキとユノが詰め寄るも、『父』は『信頼ないなぁ』とどこ吹く風。
     
    『同じだよ、君達と』
     
     そう言う『父』の目は真っ直ぐ向けられていた。私と、その腕の中の『妹』に。
     
    『名前、付けてあげて欲しいんだ』
    『……私がですか?』
    『えー、名付けセンスならメイビよりマキやミナの方がさ、むぐっ! んー! んー!』
     
     意見しようとしたウラはマキに口元を抑えられ、そのまま台所に引き摺られていく。
     
    『名前……』
     
     考え付かない。誰かに名前を付けるなんてなかったから。
     だけど『父』の命名基準なら海王星まで使い切ってしまっている。だったら冥王星か、とまで考えてそれは私かとも思い直す。それでも本来私が貰うはずだった地球を『妹』に託すのはちょっと悔しい、それなら。
     私の胸の内でスヤスヤ眠っている赤ん坊。けれど閉じ切れていない瞼の下から覗くその色。
     
    『ルナで』
     
     私は地球になれなかったけど。
     せめて地球の隣にはあなたがいてあげて欲しいな。
     
     そんな思いで、私はその名前を口にした。
     
    『月(ルナ)か、いいね』
     
     父も微笑んだ。七人の姉妹も反対する者はいなかった。
     
     そうしてルナは私達の新しい『妹』になった。赤ん坊のルナの世話は基本的に私かマキに任されることが多かった。それは忙しくも楽しい日々、数ヶ月かけて異星から帰還してルナの笑顔や寝顔を見ると癒やされる。そんな見込みはまるで無いけど、いつか自分に『娘』ができたらこんな感じなのかな。スクスクと大きくなっていくルナを見ていると、この子を危険な異星探査の道に進ませるのは嫌かなと思ったりもする。
     
     だけど、そうじゃなかった。
     それでも、きっと私は最初からわかっていたんだ。
     
     半月ほど前、マキと一緒に赴いた隣の銀河の惑星探査を終え、クラゲ型宇宙人に追われたことがトラウマになって──マキには大爆笑されたものだっけ──数日の休暇を貰っていた私は『父』からの招集を受けた。今も変わらず優秀でバイタリティに溢れるマキ、私の自慢の『姉』はすぐに次の任務に旅立ち、そしてそこで行方を晦ましたと聞いたのもちょうどその頃だった。
     
    『今回はルナも連れていくといい』
     
     そこで聞いた『父』の言葉。
     
    『調整は済ませた。過不足は無いよ、今や立派な君達九つ子の末の『妹』だ。マキの最後のデータもインストールしてある』
     
     愕然とする。私の仄かな願いは、他ならぬ『父』の手で知らない間に打ち砕かれていた。
     私以外の全員が消息を絶った地球へ行けと『父』は言う。それは死んで来いと同義だ。私を除いた七人の娘の生存が絶望的であっても『父』はどこまでも『父』として平然とあんな言葉を言える。仕事柄、元々全員が揃う日は少なかったけれど、マキもミナもユノも、そしてウラ達ももうあの家にはいないのに。
     我が家が見えてくる。もう姉妹達が誰もいないことを思うと、その家屋は一層みすぼらしいものに思えた。
     
    『……?』
     
     でも電気が点いている。おかしいなと思って扉を開けた先。
     
    『あ、メイお姉ちゃんお帰り! 遅かったね!』
     
     マキが、いた。
     
    『マ……』
     
     立ち尽くす。
     もう惨めなぐらい言葉が出ない。
     
    『……え、どしたの? 早くお夕飯にしようよ~!』
    『え、ええ……ごめんなさい』
     
     取り繕えていない。無様なほど動揺した私は、その美しい『妹』から目を逸らすようにそそくさと自分の部屋に走った。
     
    『あれ? お姉ちゃんご飯は~!?』
    『そ、外で食べてきたから……』
    『嘘だぁ~、さっきお『父』さんのとこ行ってきたばっかでしょ~?』
     
     それを無視してバタンと部屋の扉を閉め、それにもたれ掛かる。
     
     吐き気が、止まらない。
     マキの顔と声で私を『姉』と呼ぶ見知らぬ『妹』がそこにいて。
     それは少し前まで私達の大切な天使だったはずで。
     
    『や、やだ……なんでぇ……っ!』
     
     無様な私、惨めな私、情けない私。
     マキと全く同じ顔になった『妹』を見て、一瞬でも私はマキが帰ってきたと思ってしまった。それでもあの可愛らしい赤ん坊だったルナはもうどこにもいないのだという事実が否応無しに私の心を苛んできて、刹那でも歓喜に似た感情を抱いてしまった私自身の心に罪悪感が爪を立てる。まるで罪の意識が心臓を鷲掴みにしているかのよう。
     
    『お姉ちゃん! ご飯ここ置いとくよ~! あと早く寝なきゃダメだよ~? 明日には出発するんでしょ~!』
     
     気遣うような『妹』の声。マキと、同じ声。
     大丈夫、明日にはきっとやれる。立派にルナの『姉』として地球へ旅立てる。先程『父』に必ず帰って来なさいなんて言われたけど、もうそんなことは頭から吹き飛んでいる。遥か遠き私達の故郷に向かう間ぐらいは『妹』の『姉』を務めるぐらい私にだってやれる。どうせ死地に赴くだけの片道切符だ。二度と戻ってくることなんてない、ルナが他の『姉』と会うことなんて有り得ない。
     
     だってそうでしょう? もう『父』はマキ達が生きているなんて微塵も思っていないんだろうとわかってしまったんだ。
     
     今扉の向こう側にいるルナは、きっと死んだマキの代用品だった。
     
     マキの顔と声、そして記憶を植え付けられた、マキの後釜コピーだったのだから。
     

     

     

     

     

     

     

     

    「しかし『奴』の言う通りであったな。壊れた人間を捕食対象(エサ)として取り込めば、我らはあの忌々しい姿を取らずともこの紅い世界の中で自我を保てるというわけだ」
    「とはいえ、今のこの星には最早捕食対象(エサ)となる現生人類はいないのだろう? つまりは我ら六体が一同に介せただけでも僥倖というわけか。まさかとは思うがなネオヴァンデモン殿、最初から『奴』はそれを知った上で我らに知恵を与えたのではないかな」
    「かもしれん。だが別に構わぬだろうスプラッシュモン、如何な考えが『奴』にあろうと、我らのやることは変わらぬ。我らは我らとしてかつてと変わらず、世界の覇権を巡り互いに鎬を削り合おうではないか」
     
     遥か頭上から響く巨人達の会話。
     それを私は聞かないフリをした。意識すれば私はきっと自分で自分を止められなくなる。今は冷静を保たなければならない。如何にこの巨人達が私の『姉』『妹』達の仇だったとしても、今この場で私に何ができるというのか。ルナのように即座に縊り殺されて終わるだけだ。
     
     ひとまず今はこの場を離れなければ。
     そう考えて惨めに忍び足でビル街を抜けようと走り出した私は。
     
    「……さて、最後にそこな残る羽虫をどう処理するかだが」
     
     悪魔の一言で心臓を鷲掴みにされたようだった。
     
    「ひっ……!」
     
     ギラリ。少なくとも私にはそんな音が聞こえた気がした。
     一斉に振り向く五体の巨人。悪魔は最初から──そういえばルナに押し倒されていたところを見られていたっけ──私の存在に気付きながらそれを気にも留めてもいなかったし、逆に他の五人は本来なら足下を這い回る人間を意識することなど無い。けれど今、六体の巨人の視線が私一人に向けられている事実、それだけで蛇に睨まれた蛙以上に動けなくなる。きっと羽虫と呼ばれるのすら過大評価、私の体なんてコイツらの内の一人が軽く手を払えば肉塊より酷い血溜まりになる。私の手には先程咄嗟に握ったロケットランチャーが握られていたけれど、そんなもの一丁で巨人の一人でも倒せるビジョンはまるで見えなかった。
     逃げなきゃ、どうにかして逃げなきゃ。私がそんな思考を脳裏に過らせるより前に。
     
    「きゃっ!?」
     
     私の体は金色の大きな左手に掴まれ、一瞬で宙に連れ去られていた。
     私を無造作に掴み取ったのは、確か金賊将軍オレーグモンと名乗っていた金色の鬼人。その巨大な手が私の両足を摘まむようにして逆さに吊る。私は無様なぐらい抵抗らしい抵抗もできず、数秒の後には金賊将軍の醜く裂けた大口が目の前に遭った。涎に塗れた汚らしい口内は醜悪と言って良く、顎に隠れて見えない胸元には私の『姉』『妹』の顔があるはずだった。
     
    (殺される……! 嫌だ! 私、殺される……ッ!!)
     
     それでも、それ以上に恐怖が勝つ。私は声にならない悲鳴を上げて、ただ遮二無二手足をばたつかせるだけ。
     
     このまま貪り食われるのか、それともルナのように捻り殺されるのか。
     惨めなぐらいグッと目を閉じてしまう私。
     けれど数秒待っても咀嚼の瞬間も最期の時も訪れない。観念して目を開けると、状況は変わらず私は足を掴まれて逆さ吊りの状態で金賊将軍の大口の前にあった。金賊将軍の外見に反してつぶらと言っていい瞳が真っ直ぐ私を映していることは恐怖でしかなく、さっき握っていたロケットランチャーは未だ私の右手にあったが、それを用いて抵抗する余裕など無い。
     
     だけどまたも見つめられていたのは私ではない。金賊将軍が見つめていたのは私ではなく、恐る恐る開かれた私の瞳だった。
     
    「ほう。壊れとらんのか? この小娘……」
     
     不思議そうに金賊将軍が左腕を振る。それだけで私の体は数メートル振り回されて頭が割れそうになる。
     なのに幾度と無く振られる度、金賊将軍の胸元には金色に彩られた私の『姉』『妹』の一人、次女のミナが存在することを改めて見せ付けられてしまった。
     ミナ。博識なミナ。金星のミナ。いつも丁寧かつ流暢な言葉で喋って私達の知らないことを何でも教えてくれたミナ。そんな彼女がこんな巨大で粗野な鬼人にきっと殺されて、喰らわれて。
     
    「嫌だッ! やめて! 離してッ!」
     
     だというのに、ここまで来ても私の口は情けない懇願を紡ぐばかりで。
     殺したのに。コイツらが私の大切な『姉』『妹』を殺して喰ったのに。
     
     それなのに私の心は未だにどこまでも恐怖が勝っていた。両足を掴まれた今では一切の抵抗などできないのに、ただ先程縊り殺されたルナのようになりたくない一心で無様に体を捩る。
     
    「オイオイ、ちょっと待ってくれよオレーグモン。この小娘の背中、懐かしい文字が見えやがるぜ」
    「文字だと? デジ文字か?」
    「アス? アシタ? よくわからねえが確か人間の文字だろ、これ」
     
     宙吊りにされた私の背中を見て嘲り笑う火烈将軍。
     何のことだかわからない。私の首元には確か、父の記した解読不能な象形文字──何度でも言うが父は悪筆だ──が記されているだけのはず。
     
    「人間の文字を見るなど何千年ぶりだろうな。……変わらず根付いているのか、彼の国の言葉は」
    「デジタルワールドと最初に繋がった国の言語か。とうに滅びちまったと思っていたがな」
     
     月光将軍と火烈将軍がそんな会話を交わしていたけど、金賊将軍の腕に囚われて天地が逆転したままぐったりと果てている私には届かない。理解もできない。
     
    「……で、どうすんだネオヴァンデモンの旦那。この小娘、オレーグモンのおっさんの言う通り壊れちゃいねえみてえだが?」
    「壊れておらぬのなら我らの捕食対象エサにはならぬよ。他の娘どもとは違い、壊れぬだけの強き心力を持っているということか、あるいは……」
     
     強き心力? 私が? 八つ子の中で最も不出来なメイビ・カザリが?
     信じ難い言葉を受けて私の胸に恐怖以外の微かな感情が宿る。壊れたとか壊れてないとか、そのカラクリはまるでわからなかったが、私自身は特に変化が起きなかった一方でルナが突然おかしくなったのには何らかの理由や要因があるということらしい。そして恐らくは先んじてこの星に訪れたマキ達もまた、同様におかしくなったらしいことは間違いない。
     
     だけど、そんな理屈染みた思考は。
     
    「お前と同じ顔をした女どもは実に美味だったぞ小娘。紅い世界の中で容易く壊れた挙げ句、同じ顔の者同士で殺し合い、または盛り合っていた」
     
     私の両足を掴んで逆さ吊りにしている金賊将軍の。
     
    「……いや、あれはもう獣だったな。人の理性なんぞ紅い花の前では意味を為さない、互いに醜く狂い穢し合うあの娘どもは獣にも等しかったものよ」
     
     笑いながら発したそんな言葉を前に全て吹き飛んでいた。
     
    「しかし我らにとっては、数千年の飢餓という地獄を経て得た極上の捕食対象エサよ。何せあのままでは我らは死に瀕して──」
     
     視界が明滅する。
     

     

     ああ。
     心は決まった。
     

     

    「今すぐ死ね」
     

     

     今度は躊躇わなかった。決壊した憎悪と憤怒は、とっくに私の視界を紅く染めていたから。
     逆さ吊りのまま、ペラペラと語る金賊将軍の大口に、その程良く脂が乗っているだろう舌にロケットランチャーを叩き込んだ。
     
    「ぐむぅ……!」
     
     爆炎と共に私の足は金賊将軍の指から解放され、地面に落下する。
     数メートルの落下と共に背中を打ったが痛みは感じなかった。すぐに体を転がして体勢を立て直す。
     
     何もかもが不愉快だった。私達の母星が紅いことも、自分の『姉』『妹』が死んだことも、それを喰らった目の前にいる魔性どもの言葉の一つ一つも、そして再び背中で押し潰した紅い花の感触も、今この場に在るあらゆるものが不愉快だ。
     
    「カカカ、不覚を取りやがったなオレーグモンのおっさん!」
    「こ、小娘ェ……ッ!」
     
     囃し立てる火烈将軍と憎悪に満ちた目で私を見る金賊将軍。けれど金賊将軍の口の端からぷすぷすと黒煙が上がっている様は実に無様で、もう恐怖など微塵も感じなかった。
     
    「もう一度私の『姉』『妹』のことを語ったなら、その地獄とやらがどれだけ生温かったか教えてあげるから」
     
     ゾッとする声。けれどそれが間違いなく私から漏れ出た音だと私も冷静に理解していた。
     
     だってやることは決まったんだ。目的もできたんだ。ならばそれを宣言するのは当たり前のこと。
     
    捕食対象エサにもならぬ羽虫が吼えたな! 貴様など今ここで──」
     
     金賊将軍が斧を振り被る。それを避けることなんてできない。だから振られたら最後、私は今ここで死ぬ、間違いなく死ぬ。
     
     だけど。
     
    「待て、オレーグモン」
     
     それを止めた月光将軍。金賊将軍が何故と問うがそれは私も同じだった。
     
    「羽虫、されど猛き羽虫よ。何よりこの紅い花の世界で壊れぬ人間というだけで貴重な検体と言えよう」
    「確かにな。俺達だってあの忌々しい姿にならなきゃ、危うく壊れちまうとこだったわけだしなぁ」
     
     同調する火烈将軍の言う忌々しい姿とは、あの漆黒の巨人のことか。
     
    「我々とて壊れた人を喰いその心臓を取り込むことでようやく顕現できている。ならば壊れぬ人間を観察するのもまた一興」
    「……一理ある。ネオヴァンデモン殿は未来を考えられていると見える」
    「心にもないことを言うねえスプラッシュモンの兄貴。どうせアンタ、また壊れた人間を見て楽しみたいクチだろ? 何せ最初にアンタが喰った娘なんざ紅い花に呑まれて壊れてヨガっちまって、あの光景と来たら──おうっ!?」
     
     火烈将軍の頬が濛々と煙を上げる。それは無論、私が叩き込んだロケットランチャーの所為だけど。
     

     

    「絶対に殺す」
     

     

     息を吐く。数秒待ってもう一度深呼吸して、天をも衝く六体の異形に私は宣言する。
     

     

    「アンタ達は、殺してやる」
     

     

     告げる。望みは一つ、たったそれだけ。
     私の大切な姉妹を喰って世に現れた六体の魔性、その存在を許すつもりはない。一秒だってその命を長らえさせるつもりはない。人の手に余る怪物をどう倒すかなんて後から考えればいい。ただ今は目の前の怨敵を必ず殺すと、そう告げることに意味がある。
     
    「へへ、言うね……好きだぜ、そういう気概はよぉ」
    「だが自惚れるなよ小娘。貴様は所詮羽虫だ。我らにとって取るに足らぬ、囀る者ウィスパードに過ぎん。今この一分一秒貴様が生き長らえているのは言うなれば我らの温情、我らの内の一人でもその気になれば次の瞬間貴様の体は千切れることになろう。それでも足掻く気概があるというのなら……」
     
     知らない。そんなことは興味すらない。
     だから返答代わりにもう一度、ロケットランチャーを撃ち込んだ。
     
    「ぬう……!?」
     
     顔に弾丸の直撃を受けた月光将軍の体が僅かに揺れる。火烈将軍や金賊将軍より防御面では劣る、そう見えた。
     
    「オイオイ、無事かい? ネオヴァンデモンの旦那よぉ」
    「ククク……面白い、実に面白いぞ」
     
     奴は右頬から煙を上げて笑うのだけれど。
     私には何が面白いのかまるでわからない。
     いずれ死体になる化け物風情が吼えるな。
     

     

    「……殺してやる」
     

     

     殺す。絶対に殺す。
     銃が無ければ殴り殺す。
     腕が千切られたら蹴り殺す。
     足が折れたなら崖から落として殺す。
     首だけになったって噛み付いて食い殺す。
     
    「貴様は今この場では殺さぬ。だが無事に生かすこともせぬ。生きることも死ぬこともできず、この紅き世界で藻掻き続けるがいい……その憤怒と憎悪を努々忘れず、精々囀れよ蒼い瞳のウィスパード……!」
     
     見定めるは尊大に吼える黒き悪魔。私の『妹』を胸に宿した月光将軍。そして他の『姉』『妹』達を喰った他の五将軍。
     この広がる世界の紅い花のように、いつかお前達の血という血を世界にブチ撒けてやる。
     
    「羽虫の如き貴様が、我らの気高き戦争に小波でも起こしてくれるのなら、それもまた一興よな──!」
     
     標的の名前は覚えた。
     
     月光将軍ネオヴァンデモン。
     火烈将軍ドルビックモン。
     水虎将軍スプラッシュモン。
     木精将軍ザミエールモン。
     金賊将軍オレーグモン。
     土神将軍グラビモン。
     

     

    「アンタ達は一人残らず、私が殺してやる──」
     
     蒼い目のまま私は吼える。何故だか私が壊れないと言うのなら、それはきっとお前らを殺す為だ。
     私の『姉』『妹』を喰ったお前らは全員、必ず殺してやるんだ。
     

     

     

     

     

     

     

     

     長官室を出て空を見る。
     あまりにも美しい無数の星々の煌き。だがそれだけだ。
     この星にはない。見ることはできない。近くにあると感じることさえできない。
     
     太陽も月も。
     水星も金星も火星も木星も土星も。
     
     それが不快だった。それが違和感だった。僕は紛れも無くあの母なる星で生まれたのに、今そこではない場所で、そこから遥か遠い星で生を育んでいる。まるで地に足が付いていないような感覚が数千年もの間ずっと続いている。この星に生きる少数の人類は皆地球人類だったが、最早地球のことなど覚えている者はいない。やがて弾けた望郷の念は、僕に異星探査委員会などというものを作らせ、千年の時をかけて異星探査の名目で徐々にあの蒼き星に皆の目を向けさせた。
     
     我々には故郷がある。数千年の過去に捨て置いたが、今も宇宙に燦然と輝く美しい母なる大地があるのだと知らしめたかった。
     
    「──────」
     
     長官室の机、その引き出しに放り込んでいたデバイスが震える。
     クロスローダー、そう名付けた。如何なる距離であろうとリアルタイムの通信を可能とする26世紀の科学の粋を集めた結晶。けれど実際にはその原型は21世紀には完成したとされていて、26世紀の科学者達は残された原型を基にアップデートを重ねただけとも言われている。この惑星の科学力は皆が移住した25世紀から全くの不変であったから、それをこの星で再現することはできない。まさしく唯一無二の僕だけが持ち得るデバイスだった。
     
     それが震えた。いつ以来かの通信、画面の先はかつての相棒からだと知っていた。
     
    「久しいね、何の用かな」
    「──────」
    「キミが問いを投げるのかい? 全て僕自身の意思だよ、僕は自分の意思で『娘』達を地球へ送り出したんだ」
     
     八人の『娘』が生まれた。僕に家族ができるなんて考えてもみなかった。
     八人が八人とも良く出来た『娘』に育った。皆が皆、僕が長官を務める惑星委員会に自ら志願したのは少々驚かされたけれど。少なくとも僕が強要したつもりはない。彼女らの内の何人かは他の姉妹に引っ張られてのものであったとは思うが。
     だから甘さだ。僕に芽生えた親心、そんな浮ついた感情こそが『娘』達を死に追い遣った。
     
    「──────」
    「馬鹿を言わないでくれ。怒ってなんていない……そんな感情は、とうに忘れたさ」
     
     相棒の声が咎めるような色に変わる。それを何とも思わないはずだけど、言わなければならないことが今の僕にはある。
     
    「なあクオーツモン、キミは僕にとって親友であり最高の相棒だ。キミと共に旅した2485年の夏の思い出は今でも宝物だ。それは永劫、変わることはないんだよ」
     
     僕には罪がある。数えるのも嫌になるだけの罪がある。
     今ここで誰に引き裂かれても文句は言えない。この銀河に広がった地球人類の全員から唾を吐きかけられて余りある。
     間違いなくこんな時代にしてしまった原因の一端は、僕にあると思っていた。
     
    「それでも」
     
     ああ、絶対に違う。
     それでも違うんだ。僕の『娘』達は僕ではない、僕とは違うんだよ。
     
     あの子達には、僕の罪の責任を負う義務なんて無かったはずなんだ。
     
    「キミの眷属は僕の『娘』達を殺したね?」
     
     それだけだ。声音も変えない、変えるつもりもない。
     だけど相棒が息を呑む音が聞こえた。
     
     ああ、まさしく文字の通りだ。僕は、今の僕は、きっと。
     
    「─────」
    「謝罪は要らない。終わったことだよ、僕の『娘』は僕とは違う。帰らない、もう……戻らない」
     
     フフ、ハハハハハ。笑えて来る。笑わずにはいられない。
     18年前に生まれた『娘』達を自分と同じであって欲しくないと願い、一人を除きただの人間だった事実に感謝さえしたのに。
     今の僕はみっともなく後悔しているんだ。
     
     彼女達が僕と同じであったなら、僕と同じ罪を背負っていたなら、こんなことにはならなかった──?
     
    「だからね、相棒。僕が今、キミに言うべき言葉は一つだ」
     
     息を吐く。数秒待ってもう一度、息を吐く。
     
    「行くよ、いずれ僕の最後の『娘』が」
     
     僕の母なる星の名を冠した『娘』が。
     相棒、キミと同じ名を持つ『娘』が。
     
    「そう、必ず地球の最奥、キミのところへ現れる。メイビが……いや」
     
     これは宣戦布告。遠い昔、共に歩んだ友への。
     
     そして。
     一度として名前を呼んであげなかったあの子への手向け。
     誰よりも不出来だと自分を苛み続けたあの子への手向け。
     偶然マキが読み違えた渾名に縛られたあの子への手向け。
     
     地球に焦がれ、地球を想う。ああ、そんな君はきっと姉妹の中で一番僕に似ている。地球のことなんて当然全く知らないはずなのに、四千年も昔に地球から、そして相棒から強制的に引き剥がされて惨めに泣き喚いた僕の遺伝子に刻まれた、母なる星への確かな望郷の念を、君は一番引き継いでくれている。僕の与えた名前ねがいを他の誰よりも宿してくれている。
     そうだろう? だから君は最後の『妹』にルナと名付けた。彼女を戦いに出したくないと願った君は、いつまでも一緒にいたいという思いを込めて、地球じぶんの隣にいつも在るあの美しい月ルナを願ったんだ。
     
     君は僕に似ている。『姉』『妹』の中で誰より優しい君は、必ず他の皆にはできないことをやってくれる。
     きっと『父』として『娘』達を差別も区別もしちゃいけないんだろう、そんなことはわかっているつもりだった。だけどね、僕は君が一番好きだよ。誰よりも優しい君も、優秀だったマキやミナに追い着こうと頑張る君も、暴れん坊なユノやウラの為に家事や事務に腐心する君も、ルナを誰よりも想っていた君も、君の全てを僕はどうしても一番に想ってしまうんだ。だから変えられると信じてしまう。届くと信じてしまう。
     
    「殺しに行くよ、キミを」
     
     だから卑下することはない。その必要はない。
     
     君は紅い花々の世界に垂らされた蒼の一雫だ。
     君の瞳は、決して何者にも侵されない青い星。
     母なる星がかつて放っていたのと同じ輝きだ。
     
    「僕の自慢の『娘』が、アシタ・カザリが、必ずキミを殺しに行くよ──」
     
     アシタ。君の『母』と同じ意味を持つ名前だ。
     アシタ。僕の相棒の、遠い日の幻想の名前だ。
     
     空を見る。
     無数の星々の先には僕の母なる星。
     きっと相棒と彼女の、僕の最愛の『娘』の戦いの場はある。
     

     

     

     

     

     

     

     

     これは私の、九人の姉妹で一番不出来だった女の物語。
     
     Death or Dominate。舞台は毒々しい紅の彼岸花に覆われ、最早人の住む世界ではなくなった地球。
     死ぬか支配するかの二進法の下に繰り広げられる、くだらない殺し合いの物語。
     
     私の『姉』『妹』を喰らった六体の化け物ども。
     それら全てを殺すまで終わらない、私一人の物語。
     

     

     西暦6018年。
     これが歴史に残るかなんて知らない、興味もない。
     でもきっと呼ぶ。後の人達はきっと呼ぶ。
     
     紅い星で起こる人間と人外の戦い。
     私達の故郷を乱した魔性どもを駆逐する為の私だけの戦い。
     

     

     異種族戦争クロスウォーズ
     

     

     

     

     

     

     

     

    【次回予告】

     孤独な戦争を始めたメイビは、執拗に追跡を繰り返す木精将軍の前に窮地に陥る。
     紅い花で狂わされた怪物達の強襲で死を覚悟したメイビの前に現れたのは、
     自分と同じ冥王星ほしを名に持つ黒き神人であった。

     

     

     次回
     Duester.02「I`ll be back.」
     

     

     

     

     

     

     

     

    【年表】
     
    21世紀
     この時期には時空間移動の理論が構築されていたという噂が存在する
     
    2155年
     国家の枠組みを超えた地球連合が発足
     平和と治安維持の名目で連合軍も同時期に開設された
     
    23世紀
     惑星間移動の理論が提唱される
     
    25世紀
     誰もが夢と浪漫を胸に地球より巣立つ、宇宙開発時代の到来
     人類の文明はこの時期に頂点に達したと言われる
     
    2485年
     或る夏の冒険の物語

     
    26世紀
     タイムマシン理論の構築に失敗(提唱者が暗殺されたのが要因という説がある)
     人類の文明に陰りが見え始める
     
    2577年
     或る宇宙探査船が地球から遠く離れた惑星D-2に不時着
     
    27世紀
     人類の八割近くが地球を見捨て、火星や木星のステーションへの移譲を始める
     人口の流出は止まらず誰もが人類の滅びを予見し始める
     
    3000年前後
     宇宙へ旅立った人類の地球への帰還が禁止される
     
    3404年
     地球上より人類が滅亡する(最終的な要因は不明)
     
    4022年
     この時期には地球上の半分以上が紅い花で覆われているのが確認されている
     
    6000年
     惑星D-2で八つ子の『姉』『妹』が生まれる
     八人は『父』より太陽系の惑星の名前を与えられる
     
    6018年
     マキ・カザリと三人の『妹』が約三千年ぶりの人類として地球に帰還
     メイビ・カザリがそれを追う形で『妹』のルナ・カザリを伴って地球に向けて出発
     地球は紅い惑星と化していた──
     

     

  • このトピックに返信するにはログインが必要です。