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トピック
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※本作はオリジナルデジモン小説アンソロジー『DiGiMON WRiTERS 02』への寄稿作品です。
十一月二〇日。
秋とも冬とも言い難い今日この頃。布団から這い出るにも苦労を要するようになりました。
十六回目の誕生日という特別な日でありながら、今日も私は布団の温もりに甘えずにはいられないのです。
「Buenos días」
いられないのです?
私は掛布団の端を抱き枕代わりにしたつもりでいました。しかし、それは大きな間違いだったようです。
それは布団ほど柔らかくはなく、私の体温を返してくれる事もなく、しかし無機物ほど硬くも冷たくもない。「冬」のイメージに引き摺られた印象を述べるとするならば、まるで死体のような――
私は不吉なそれの正体を探るべく、体を起こして眼鏡を掛けました。密着していたので必要ないと言えばないのですが、意識の切り替えのためには「眼鏡を掛ける」という行為が必要なのです。
まず目に飛び込んできたのは鋭利な……顔。はい。顔そのものが鋭利なんです。瞳は紫水晶を切り出し貼りつけたかのよう。頭髪と思わしき部位は後頭部から外側に向かって針のように伸び、金髪を逆立てているかのよう。その髪と頭部全体、そして上顎は滑らかに一体化して新幹線……もとい、鳥の頭のような形状を取っています。
下顎も上顎に合わせて細長く伸び、横から用途不明の突起が生えています。
鳥と大きく違う点は食いしばった状態の前歯が常に露出している所。……うわっ、顔の説明だけでこんなに。彼の容姿を簡潔に表す形容詞が見つからないのです。どうかご容赦ください。
服装は芸術的かつ魔的な美しさを誇っていました。黒地に金の飾り布で修飾した、胸元までしか丈が無い上着。派手なピンクの袖とそこから覗く刃。
ここで布団を剥いでみましょう。背からは二対四枚の翼が生えていてゴキゲンにぱたぱたとはばたいています。下は緑の帯と血のように紅いズボン。そして刃がついた靴……あ、この人土足だ。
ここまで書けばもうお分かりでしょう。
大胆にも私の布団に侵入し、枕の半分を占領している「彼」の正体。私にとって最も馴染みがあり、最も遠い所にいた「デジタルモンスター」の名は――
「誕生日おめでとうセニョリータ。私はマタドゥルモン。世代は完全体。分類はウィルス種アンデッド型。所属はナイトメアソルジャーズ……というのは過去の話。今の私は君のパートナーデジモンだ。以後、お見知り置きを」
寝転がったままの彼は、私に向かって手を伸ばしました。私は差し出された彼の手を、爪に触れぬよう袖の上から握り返すのでした。
「誕生日プレゼント? ええ……」
私の父が言うには、彼とデジヴァイスこそが、私への誕生日プレゼントだそうです。
いえ、不服という訳ではないのです。パートナーデジモンがプレゼントされる事自体は珍しくないですから。ただ、一般的にパートナーに選ばれるデジモンは幼年期や成長期といった小さなデジモンです。
「全身にリボンを巻き付けて登場する予定だったが、父上殿から止められてしまってな」
つまり、完全体で好戦的、おまけに性格に難がありそうな彼がここにいるというのは何かの間違いとしか思えない、という事です。
状況を計りかねる私を尻目に、彼はワイングラスから血液を呷るのでした。血が注がれた杯を聖杯に例えるというのは、朝餉の風景にしては些か大袈裟でしょうか。
「私、もう行かなきゃならないので……」
と、断ったにも関わらず、彼は私の後を付けてきます。
「あの……」
「む、どうした? 別におかしな事でもなかろう?」
彼は袖をひらひらと揺らします。ケセラセラの精神の現れでしょう。
彼の言う通りです。パートナーデジモンの主な役割は人間の警護ですから、登下校や通勤時に側にいない方がおかしいのです。問題は警察でも軍人でもないペーペーの小娘が、マタドゥルモンという種を連れ歩くと目立つという事です。
「ふむ。目立つ事は苦手か。残念だが、君には目一杯の注目を浴びてもらう事になるぞ」
次の瞬間、私の身体は細い腕に抱きあげられていました。それも所謂「お姫様抱っこ」というやつです。
「かっ、勘違いしないでよね! 体が鈍らないようにトレーニングしてるだけなんだから! ……これで良いか? 学校まで走るぞ」
何が「良い」のか尋ねる間も無く、彼は私を抱えたまま駆け出しました。
「風になる」とはこの感覚を指すのでしょうか。彼は空気を切り裂きながら、アスファルトを蹴り、通学路を走り抜けます。見慣れた景色でさえも十分に視認できぬまま、私は運ばれて行きました。ただ、人のそれとは似ても似つかない彼の顔だけははっきりと見えた……らロマンチックだったのですが、いかんせん風の抵抗が強い上に北風だったものですから、私は満足に目を開けていられませんでした。
「貴様……ゴホン! 君、姫抱きに慣れてないな?」
そんなお叱りの声が「着いたよ」の合図でした。
十二時二〇分。
女子高生と吸血鬼の奇妙なお食事会の始まりです。先程申し上げた通り、生徒達のパートナーデジモンは小型のデジモンばかりです。私達は言うまでも無く目立ちます。
「私の昼食が気になるか? 残念ながら、ただの霜降り肉だぞ」
ただの霜降り肉があってたまるか。と言いたい所ですが、デジタルワールドでは普通に「採れる」のだそうです。
「私は吸血鬼だが、血液しか摂取出来ないという事はない。たまには肉が食いたくなるんだ」
彼はどこからともなく肉の塊を取り出し、鋭い歯でかぶりつきました。彼は上機嫌で翼をばたつかせながらお肉を頬張っています。
いつもの顔、つまり前歯を食いしばっている状態でどのように奥歯を使っているかまでは解明できませんでした。悔しい。
クラスメイトから奇異の目で見られながらも、彼は平然と霜降り肉を平らげていきました。
十九時二〇分。
私は彼と並んでテレビを見ていました。
「むう、今日の番組は面白くないな」
ぼやく彼の指示に合わせ、チャンネルを変える私。彼の指はレイピアと同化しているため、リモコンの柔らかいボタンに刺さってしまうのです。というか刺さりました。ですから私は、彼の翼にはたかれながら――無意識の内にやっているらしいので責められない――ボランティアをするはめになったのです。
「あ」
ふと、私は思いました。
「そう言えば、なんてお呼びすればいいですかね?」
彼をいつまでも「彼」呼ばわりではいけないだろう。私は今更ながらパートナーの名を意識しました。
「ふむ。私は個体名を持たんからな。君の好きなように呼ぶといい」
「じゃあ……ドゥルさん」
私は少し間を置いて、何の捻りも無い名前を提案しました。
「む、そう来たか」
彼は私の肩に手を回してくれました。
彼の身長は私の倍はあるものですから、私は自然と彼の腹に寄りかかる形になりました。
彼の肉体はしなやかな筋肉に覆われ、それ故に硬い。私は今朝、彼を「死体」と称した事を恥じました。
「渾名で呼ばれるのは初めてでな。その、なんだ、こそばゆいな」
先の発言と矛盾しますが、アンデッド型である彼の肉体は死体に近く、体温らしい体温を持ちません。しかし、私には彼が温もりを持っているように感じられたのです。
やはり彼、ドゥルさんを死体と称するのは不適当でしょう。
七月二〇日。
私はとっくの昔に進級し、ドゥルさんとの生活にもとっくに慣れていました。
勝手に布団に潜って来ようがお風呂上りに全裸で闊歩してようがダンスの授業に乱入して来ようが知らない間に道場破りしていようが近所のヴァンデモンさんと喧嘩していようが、気にならなくなりました。
私は私で血液入りワインボトルをうっかり三本も駄目にしたので、おあいこです。
「ちょっと訊いてもいいですか?」
「む、どうした」
私とドゥルさんは、今日も並んでご飯を食べます。日課の最中こそがチャンスです。私は意を決し、初めて会ったあの日からの疑問をぶつけます。
「どうしてドゥルさんは『一般パートナー制度』の方に志願したんですか?」
彼は一見して――実を言うと一見でも怪しく見える――紳士ですが、その実、吸血鬼だけに血の気が多く喧嘩っ早いです。どうして戦闘の機会が皆無に等しい、一般人のパートナーに志願したのか。私にはさっぱり分かりません。
「私も初めは『上級パートナー』を志望していたのだ。だが、軍も警察もことごとく落ちてしまってな」
私はこの質問をした事を後悔しました。どうして私は余計な事を言ってしまったのでしょう。
「何が悪かったというのだ……。闇のコロシアムに入り浸っていたからか、そこで大会荒らしを繰り返したのがバレたのか……。心当たりがありすぎる……。どれだ……」
どうやら私は確かに余計な事を言ってしまったようです。
「一般の方は審査が緩いからな。防犯ならお任せくださいと言ったらあっさり通った。……おっと、今のはオフレコで頼む」
言うまでもないでしょうが、彼は性格以外の部分にも問題があるようです。
「……どのみち、パートナーを得られればそれで良かったのだ」
私にとって、それは意外な回答でした、
パートナー制度によって得られる権利ではなく、パートナー自身が目的である。と、彼の口から発せられたのは些か不自然であるとさえ、思えたのです。
「自由人のドゥルさんが、なんでまた」
またも熟慮の前に口から飛び出た私の問いに、彼は私の頭を撫ぜるという形で答えてくれました。
「二人で強くなるのも悪くない。と思えるようになっただけの話だよ」
十月二〇日。
私の誕生日まで残り一か月。父が娘の護衛としてマタドゥルモンを選んだ事。それが功を奏す日なんて来なければいいと思っていました。
と、言えば嘘になります。
テロです。都会で行われるそれと比べると遥かに小規模ですが、それは確かにテロリズムの下に行われた破壊活動です。
時々あるのです。人間への敵意を抱くデジモンが、現実世界で暴れる事件が。
大抵、犯人は無許可で渡航するのですが、都会は規制が厳しいために監視者の少ない田舎にゲートを開けるしかありません。そうした事情から、人間が起こすテロとは違い、こんな田舎でも勃発してしまうのです。
避難警報が鳴り響き、人もデジモンも我先にと逃げていきます。
一般のパートナーデジモンができる事はたかが知れていて、せいぜいパートナーの手を握って走る事しかできないのです。
まだ昼にも関わらず空は赤く、物が焼ける匂いがします。時折咆哮が聞こえるので、犯人は竜か獣タイプのデジモンであると推測しました。私なぞ一瞬で食べられてしまうでしょう。
暑くもないのに汗が出る。動いてないのに呼吸が荒くなる。心臓が早鐘を打つ。体の芯が焼けるような熱を帯びていく――
私はデジヴァイスを強く握りしめた。
「嗚呼、我が愛しの姫よ。どうか、私の我が儘に付き合ってはくれまいか」
この状況下においてドゥルさんは私を連れて逃げるべきですし、私は彼の頼みを聞き入れるべきではありません。
しかし、私達は能動的にそれを無視したのです。
「デジヴァイスを通じ伝わっているか? 私の熱が、鼓動が。私は今、かつてないほどに興奮しているぞ」
彼も息が荒くなる。寒くもないのに震えている。翼を乱暴にはためかせる。袖口から爪を露出させる。体は前傾姿勢を取る。デジヴァイスこと『感情・精神接続装置』のリミッターが外れて彼の戦意を私も共有する。
「数年前から興味があったのだ。パートナーがいれば私はどれほど強くなれる? どれほどの強敵と渡り合える? どれほど上質な『闘い』に巡り合える?」
火事による本物の熱波が私達を襲います。しかし、ドゥルさんの顔が笑っているように見えたのは、きっと陽炎のせいではないでしょう。
「よく聴け。これは合法的な闘いだ。悪逆非道のテロリストから無力なお前を守るために必要な行為だ。だから咎めてくれるなよ。嗚呼、興奮し過ぎておかしくなりそうだ! ……いや、違うな。これは私だけの感情ではない。……そうか、お前もか」
ドゥルさんは嘲笑とも歓喜とも取れる熱を帯びた声を上げ、こちらを向きました。
彼の瞳には炎が写り込み妖しく輝きます。紫と赤の光が饗宴する様は、それはそれは幻想的で……いつまでも、眺めていたかった。
「家を焼かれて逃げた者の無念よりも、娘の身を案ずる父の想いよりも、自らの欲を優先するかこの薄情者め。お前のような娘を選んで正解だった。我が情熱は正義感などという、下らんものに支配された輩には理解されなかっただろう。お前は最高のパートナーだ。さあ声援をおくれ、ミ・アモール。お前が捧げたその愛、至高の舞でお返ししよう」
炎を反射して刃が煌めいた。その輝きは、どんなスポットライトであろうとも再現できないほどに美しい。
そうだ。ずっとこの光景が見たかった。こんな小娘が叶えられる願いではないと知りながら、パートナーはマタドゥルモン以外認められなかった。
全てはこの日のためだ。
マタドゥルモンという種が自身の全てを懸けて舞うように『闘う』様を特等席で見届けるために生きてきたのだ。
「魂のラブコールを堪能していたかったが、私はもう行かなくては。さもなくば……」
地面が僅かにザリザリと鳴いた。彼の脚は押さえつけられたバネと化す。
「胸を焦がす熱で溶けてしまいそうだ」
刹那、一閃。彼の刃が煌めいた。
彼の姿が消え、私が強い向かい風を感じ、煙を裂いて恐竜が現れ、骨が砕ける音が耳をつんざく。全ては私の感覚において同時に起こった事。
彼の足は奴の下顎を正確にぶち抜いた。深紅の布に包まれた脚、同じ赤に染まった爪先、血が零れる恐竜の口、全てが一様に地面と垂直方向を向いている。
肉も骨も貫通した下顎はグロテスクだが、そんなものは目に入らないくらい、彼の姿は美しい。きっと、どんな踊り子も追いつけない。
しかし、敵もデジモンの端くれ。その程度のダメージで怯みはしない。奴は顎に刺さった異物を引き抜き、即座に民家へ叩きつけた。
「ドゥルさん!」
誰かが数分前まで住んでいたであろう家は瓦礫と化した。
舞踏家の姿が見えないのを確認すると、恐竜型のデジモンは欠損データ補完パッチを取り出した。
殆どのデジモンは見た目と関係なくヒトと同等の知能を持っている。傷薬の一つや二つ、持っていて当然だ。
ここで初めて敵の素性に興味が湧いた。下顎のワイヤーフレームとテクスチャを修復している奴の種族は、メタルグレイモン。皮膚が青い、ウィルス種の方だ。
「そのパッチを私にもくれないか。顔の、その、あれだ、突起がひしゃげてしまった」
軽薄な声と重厚感のある破壊音。役者はステージへ戻って来た。
ドゥルさん――私はこの間抜けな呼び名を彼に与えた事を、少し後悔している――は彼自身の膂力だけで瓦礫を粉砕し、這い出てきたのだ。
衣服は汚れてしまったが、その双眸の輝きは失われていない。それどころか、ギラギラとした欲望の炎は薪をくべられ煌々と燃え盛っている。
彼の左腕と首はあらぬ方向に曲がっていた。私からすると平然と立っているのが不思議なほどの重症だ。
「なんだ。くれんのか。さては貴様ケチだな」
口ではこう言うが、ドゥルさんは恐らく元から薬を必要としていなかった。
彼は左肩に右手を添えると、無理矢理本来の位置まで引っ張った。指をポキポキと鳴らす音を何倍にも大きくしたような嫌悪感を煽る音を伴い、左肩の骨は元の場所に収まった。
続いて両手で頭を掴むと、やはり乱暴に首ごとそれを捻った。彼の顔は再び正面を向く。
マタドゥルモンは死体に限りなく近い肉体と、戦闘を好む習性故に痛みに鈍感なのだろう。体が大きく、機械化されているメタルグレイモンとは違った意味でタフだ。……死体だからと言って、骨を無理矢理戻しても平気とは思えないが。
「さて、仕切り直し……む、そう来たか」
私はドゥルさんに目を奪われ、敵の狙いが変わった事に気付けなかった。
金属音やモーターの駆動音といった、大型の機械が発する音が私ににじり寄ってくる。
「嘘だ……」
嘘だったらどんなに良かったか。人質を取るつもりか、果ては私を殺すつもりか。私はどうやら無事では済まないらしい。そも、人間に恨みがあるからこそリアライズした訳で、私が狙われるのは自明である。
走馬燈を眺める内に残り五〇、四〇、三〇、十、九、八メートル――
「蝶絶喇叭蹴」
唸る健脚、弾け飛ぶ巨体、呆ける私。
私と鉄爪の間に潜り込んだ吸血鬼はその絶技を以てして、なんと機械の竜ごと爪を蹴り飛ばした。
「はあ[V:8265]」
私は『マタドゥルモンという種を過大評価している』と自虐的に認識していた。しかし、彼の力は私の想像を遥か彼方へ置き去りにして、その先の領域へ足を踏み入れていた。
凄い。素晴らしい。もっと、もっと見たい。彼の力の全てを見たい。
何度でも矛盾した表現を使おう。彼は死体に近い体を持っている。しかし、彼は今、確かに熱を帯びている。冷たく硬い体を燃え滾らせている。その矛盾を私は愛している。
見せて、もっと、私一人では用意出来なかったステージで踊り狂う貴方を、もっともっともっと!
激昂したメタルグレイモンが起き上がった。二度もきつい一撃を喰らい、怒り心頭といったところか。
「声援も盛り上がってきたところだ。第三ラウンドと洒落込もうではないか」
ダメージは五分と五分だというのに彼も私も歓喜する。
一瞬の跳躍の後に、彼の体は宙を舞っていた。右袖に隠したレイピアを投げ、彼自身は勢いを利用しメタルグレイモンの脳天に踵落としを食らわせる。
レイピア・足の刃と装甲とがぶつかり合い、甲高い音が鳴り響いた。不快なBGMだが、彼の踊りはそれさえも闘いを彩る演奏に変えていく。
ドゥルさんのキックは肉を貫く威力こそあれど、鎧を貫くには至らないらしい。そう言えばメタルグレイモンを蹴り飛ばした時も、機械の部分は破損していなかった。
有効打にならないという事はすぐさま反撃されるという事。ドゥルさんはメタルグレイモンの右手で鷲掴みにされ、幾度も幾度も建物に叩きつけられた。最後の一押しとして、メタルグレイモンは私のすぐ横の地面にドゥルさんを叩きつけた。
「ひぃ!」
私は反射的に悲鳴を上げた。制服に飛び散った血液には構わず、私は倒れ伏す彼に触れようとした。
「ひいい!」
私はまたも悲鳴を上げてしまった。彼が突然がばりと起き上がったため、彼の顔が私の顔に刺さりそうになったのだ。
「ヘアスタイルが崩れたらどうする!」
それどころではないのに軽口を叩く姿は彼らしい。本当はちっとも怒っていないように見える、という点も含めてだ。
「良いぞ、とても良い。その調子だ。私を本気で殺しに来い! コロシアムで峰打ちするのはもう飽きた」
彼は痛みではなく、その痛みを与えた敵の強さに感動していた。彼に唇が存在していれば口角が吊り上がっている筈だ。
突然、ドゥルさんは静かになると私の口元まで指を持ってきて、こう呟きました。
「コロシアムの件はオフレコで頼むぞ」
いつものお茶目な言葉を残し、彼は巨大な敵と相対するのでありました。
「今ので私も本気になった! さあ共演者よ、真の闘いを始めようか!」
前方倒立回転跳びを繰り返しながら進むドゥルさんを『トライデントアーム』が迎え撃つ。クロンデジゾイド製の爪は簡単にアスファルトを砕いた。しかし、本気を出したドゥルさんを捕らえる事は叶わない。
「ミサイルを使わんのは良い判断だ。こうも近いと貴様も巻き添えを食いかねんからな。だが、攻撃パターンが少ないのはいただけないな。そろそろ打撃以外で傷を負わせてみせろ」
左袖から大量のレイピアが、右袖から彼の自前の爪が顔を覗かせる。
「サウザンドアロー」
私はまばたきなんかしていなかった。それなのに、メタルグレイモンに紅い線が走る瞬間を視認出来なかった。
思うに、これはドゥルさんが確実にメタルグレイモンに一撃を加えようと試みた結果だ。
機械化された部分は打撃も刃も通らない。初撃のように生身の部分を攻撃するしかない。しかし、上半身は殆ど機械化されている上に中途半端に近付くと返り討ちにされる。背後は尻尾が怖い。残るはメタルグレイモンの骨格上、本人には対処が難しい真下だ。ドゥルさんは小回りの良さと体格差を利用し、見事に股下へ潜り込んで網目状に斬りつけたのだ。恐らくは。
口で言うのは簡単だが、これを可能にするためにはトライデントアームを凌駕するスピードと、タイミングを掴むための類稀なる戦闘センスが必要だ。「出来るなら初めからやれよ」と野次を飛ばす事も出来るが、ここは素直に称賛の言葉を贈ろう。
「かつてバートリ・エルジェーベトという夫人がいたそうだが、彼女はなかなか良い趣味をしていると思わないか?」
メタルグレイモンの傷からは血がシャワーのように流れ出る。
グレイモンの真下から悠々と歩いて来る彼の姿は舞台袖から現れた主役のようで、レッドカーペットを歩く主演俳優のようで、血濡れの悪鬼のようで。
ドゥルさんが赤いカーテンをくぐる間に、機械竜は胸のパッチから何かを取り出していた。即効性のパッチだ。先程使用されたそれとは異なり、回復力は低いが効き目は非常に早く現れる、応急処置のための代物だ。
「?」
今の疑問の声は容器のロックを外そうとするも手ごたえがなかったメタルグレイモンの声。と、傷薬が一瞬にして消えたのを見た私の声だ。
「おい、カメラをこっちに回せ」
私と機械の竜は一斉に声のした方を向く。視線の先では、比較的無事な塀に腰かけたドゥルさんが、大袈裟な動きでパッチを自身に適用していた。
「元気ハツラツ! オロッ……」
どこかで聞いた事のある謳い文句と共に、彼は長い尻尾で弾き飛ばされた。
「何をする! CM中の攻撃はマナー違反だ!」
せっかく治した顔の突起を指差すドゥルさんは、三枚目の俳優じみている。
「どうも貴様とは趣味が合わんらしい。何故頑なに決着を急……おっと。私も人の事は言えんな」
激しい闘いを見る内にすっかり忘れていたが、このメタルグレイモンは本来、警察や自衛隊が扱う案件だ。下手な事をすればドゥルさんも檻の中だ。
「致し方無い。私も戦い方を変えるとしよう」
彼の雰囲気が変わった。獲物を一撃で仕留め、真に勝利を得ようとする者の目だ。
モーターが回る音を合図に両者は再び動き出す。
ドゥルさんがメタルグレイモンの左腕を伝い、顔の真横へと踊り出る。彼の爪が届ききる前に機械竜は彼の腕に噛みついた。彼は左手の自由を奪われぶんぶんと振り回されながらも、左手でレイピアを投げつける。レイピアは見事にメタルグレイモンの左目に命中、メタルグレイモンは痛みのあまり雄叫びを上げた。口が僅かに開かれた隙にドゥルさんは脱出する。彼は一度地面に降りて仕切り直しを図る。
驚くべきは両者の体力と戦意の強さだ。あれほどダメージを受けながらも技のキレが無くなる事はない。
戦闘種族の代表格たるメタルグレイモンにとっては、目の負傷さえも些細なハンデにしかならないようだ。失われた距離感を勘で補い、三本の爪をドゥルさんに突き立てた。三度金属がぶつかり合う音を立て、ドゥルさんはそれを彼自身の爪で受け止めた。
「私も力には自信がある方だ」
交差させた爪で機械竜の爪を受け止めながら呟くドゥルさんだが、足は砕けたアスファルトに沈んでいた。しかし、追撃が来る前に横にいなして膠着状態から脱出する。
何かがガチャリと開く音がした。音を立てたのはメタルグレイモンの胸のハッチだ。
「げえ!」
ドゥルさんの指摘によってそれは使われないものと思い込んでいた私は、下品に叫んでしまった。
奴の胸部に見えるは『ギガデストロイヤー』と呼ばれるミサイル。私は死にたくないと心の中で唱えながら、必死の思いで塀の陰へ隠れた。
「はっ!」
それはミサイルが発射されたのとほぼ同時。ドゥルさんは剣を振るように自らの脚を勢いよく振り下ろした。
回避姿勢を取った私の目が最後に捉えたのは、真っ二つになったミサイル。その直後に聞いた事も無いような爆音が場を支配した。
伏せている時間さえ、観戦者にとっては大きな損失だ。闘いは既に次のステップへ進んでいた。
ミサイルは切りどころが良かったのか上手く爆発しなかったらしい。ドゥルさんもメタルグレイモンも煤にまみれながら戦闘を続行していた。
殴って、蹴って、跳んで弾いて振るって突いて斬って裂いて、狂い踊り叫び舞い上がって……。
私は気付いた。爪にひびが入っている、ドゥルさんの爪と、メタルグレイモンの爪に。そう、メタルグレイモンのクロンデジゾイド製の爪にだ。いくら爆発の煽りを受けたとはいえ、それだけでかの有名な金属が砕けるか?
私は勝利を確信した。初めから勝つつもりだったドゥルさんと比べれば、大分遅いけれど。
みしみしと軋む音は次第に大きくなる。ドゥルさんはとどめとばかりに大きく腕を振るった。
「意外と脆いなその装甲!」
バキンと一際大きな音を立て、両者の爪は飛び散った。これでメタルグレイモンは主力武器を失った事になる。
「待ちに待ったフィナーレだ! 歯を食いしばれ!」
短い右手しか残っていないメタルグレイモンは丸腰に等しい。潜り込む事が容易になったその懐に、ドゥルさんは乾坤一擲の一撃を叩きこむ。
「蝶絶喇叭蹴」
機械竜はその体重からは考えられないほどに軽々と蹴り飛ばされた。きりきりと舞った後に十数メートル先に墜落、ぴくりとも動かなくなった。
「礼を言おう。貴公の血は美味だった」
ドゥルさんのお辞儀は、偉大なる共演者へ最大限の敬意を表すためのそれでした。
サイレンが聞こえて、私達は多くの人やデジモンに取り囲まれて、そして保護されました。
彼らはしきりに遅れた事を謝罪していました。曰く、この町……いえ、県の警察ではメタルグレイモンは手に負えないと判断され、対デジモンテロ専門の特殊部隊が出動する事になったのだそうです。確かに私を助けてくれたのもジャスティモンやハイアンドロモンといった究極体の面々でした。
遅れたと言っても駆けつけるのに要した時間は十数分程度。つまり、あの闘いはたったそれだけの間に行われていたのです。あの格闘家はなんて恐ろしい人なのでしょう。
ドゥルさんもメタルグレイモンも、データ破損が深刻だとかでデジタルワールドの病院に運ばれて行きました。直り次第、メタルグレイモンは逮捕されるそうです。ドゥルさんは……前科がバレない限りは大丈夫なんじゃないでしょうか。
私自身も治療を受けました。爆風による影響が心配されましたが、回避行動が功を奏して軽症で済みました。
こうして私は、ドゥルさんのいない一か月を過ごす事となったのです。
十一月二〇日。
断言します。この気温は冬です。私は性懲りも無く布団の温かさに溺れていたのです。
溺れていたつもりだったのですが、私はその温かみの中に冷たく硬いものを感じました。
「Happy birthday」
私は布団を抜け出し、眼鏡を掛けてそれの正体を確かめようと試みました。
結果として、それをわざわざ確かめる必要はありませんでした。
「……お帰りなさい」
「む、ここは泣いて喜ぶシーンではないのか」
「ドゥルさんの事だから今日に合わせて帰って来ると思ってました」
私は再び布団を被り、帰って来た格闘家をぎゅうと抱きしめました。彼はハグのお返しをくれ、それから頭を撫でてもくれました。
「どうして音信不通になったんですか?」
「その、なんだ、立て込んでいてだな」
嫌な予感がします。
「入院が長引いたんですよね?」
「いや、治療と検査の二日で退院した。デジモンの治療なんてパソコンに繋いでカタカタやるだけだからな」
嫌な予感はもはや確信に変わりました。
「警察の連中にしこたま叱られてな。お前の証言で正当防衛は認められたが、一般人がテロリストに立ち向かうなと五月蠅いのなんの。それだけならまだ良かったが、うっかり前科を調べられた上に、前職はおろか闇のコロシアムの存在までバレてしまったのだ」
もしかして私、パートナーの犯罪歴を聞かされているんでしょうか? そして彼の前職はナイトメアソルジャーズでは?
「私も取り調べされるわお前と連絡は取れないわ、コロシアム仲間からの連絡は来るわ来るわ……。うちの王様、もとい前職の上司が揉み消してくださったので何とかなったが、流石の私もモン生が終わるかと思ったぞ」
彼と過ごし始めて一年が経つにも関わらず、私は彼の『異常性』を測り損ねていたようです。ところでその王様、魅了の力で記憶を改竄したりしてないですよね?
「勿論、父上殿には内緒で頼むぞ。さあ朝餉の時間だ。十七歳最初の食事を楽しむといい」
体を起こしたドゥルさんの全身には、ピンク色のリボンが巻きつけられていました。
「本当は服を脱いでから巻くつもりだったが、父上殿に止められてしまったのだ。不完全なプレゼントですまんな」
朝ごはんはお肉でした。それも畑で採れたそのままの肉の塊。
「これを食べたがっていたろう? 遠慮せずに存分に食え」
朝から霜降り肉か。そもそも食べたがった覚えはない。などと無粋な事は言いますまい。
私は程よく焼かれたそのお肉にナイフとフォークを突き立てました。滴る肉汁に目を輝かせる私を、ドゥルさんは嬉しそうに見つめていたように思います。「さあ、一か月ぶりのお姫様登校だ」
ドゥルさんはブランクをものともせずに、私を抱き上げました。一年も経つと私も慣れたもので、自分で言うのもなんですが、抱かれる姿が様になってきたと思います。
「行くぞ」
ドゥルさんの強靭な足が地を蹴りました。
私は朝の空気を目一杯顔で受け止めるこの時間を、幸せなひと時だと感じています。
不可能だと理解しながらもパートナーはマタドゥルモン以外に認めないと主張し続けた日々は、完璧な形で実を結んだのです。これを幸せと呼ばずして何と言いましょうか。
血の雨の中で踊り狂う異形の武闘家に魅入られた女は、こうしてより一層の深みへと降りていくのです。
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