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トピック
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【狗神の場合】
「……遅い」
電脳特急に揺られながら、自然とそんな声が漏れた。
トレイルモン、この世界に広がる線路を駆け巡る成熟期の列車型デジモン。このご時世、乗客は疎らで僕以外は成長期や幼年期の姿しか見えない。下手に高位の連中と同乗すれば奇異の目で見られることは間違いないので、それに関しては感謝しておこう。
元より一つの場所に留まっていることができないのが、神速の王たる僕の性分である。
同志であるところの陽炎が「つまりは根無し草ということか」と笑っていたのを思い出す。宿敵と見定めた相手ながら言い得て妙と笑ったものだ。この身には翼こそ無いが、進化と共に碧翼(へきよく)という名を得た僕は、その名及びメルクリモンという種に相応しく特定の居城や領域を持たず、この世界全域を己が活動範囲としている。神速と謳われる僕の実体を認識した者など、恐らく同志達を除けば数える程しかいまい。僕の脚力は斯様な電脳特急の速度を遥かに凌駕しており、つまるところ僕自身このようなものの世話になる意味もメリットもない。
要するに、気分の問題である。
「おっ、碧翼クン来たねー」
「……幻影か」
密林の前で列車を降り、久方ぶりに同志と顔を合わせた。ディアナモンの幻影、僕らの中でも陽炎と並び称される戦女神。
『この世界で死んだ人間の魂を呼び出し、実体を与えることってできるかな?』
どれくらい前になるのか、この同志からはそんなことを持ちかけられた。別段不可能ではない。大多数の皆は気付いていないのだろうが、この世界には無念と共に散った人の怨嗟の声が渦巻いている。英雄であれ、希望であれと召喚された選ばれし子供達の中で、その使命を果たせず散った者達は少なくない。幻影の依頼を受け、僕は自らのシャーマンとしての力を利用してそうした者達の魂を一ヶ所に集めて実体を与えたことがあった。
とはいえ、僕がしたのはそこまでだ。そこから先は幻影に任せたから、その魂どもがどうなったのかは知らないし興味もない。
「それにしても、相変わらず陰気な顔してるわねえ」
「生まれつきだからな、如何ともし難い」
「その仮面、そろそろ取ったら? 少しはマシになるわよ?」
というか、オリンポスであるにも関わらず素顔を晒しているお前や陽炎の方がおかしいと言ってやりたい。
「用件は何だ?」
「碧翼クンにはお礼を言おうと思って」
この奔放という言葉を形にしたような女からお礼? 明日は聖槍グラムの雨が降るかな。
「……何か今、ミラに対して失礼なこと思ったでしょ」
「さてね」
鋭い女だ。森羅の奴もそうだったが、女性型って連中は勘が鋭くてどうも苦手だ。
「ついてきて」
そう言って幻影は鬱蒼と生い茂る森の中へと歩を進めていく。
太陽の光が殆ど届かない密林はなかなかゾッとしない空間ではあったが、僕も彼女も生粋のウイルス種だから、そういった意味ではむしろ僕らには相応しい場所とも言えるかもしれない。少なくとも僕は不思議な心地良さを感じているし、常闇に生きる者である幻影とて同様だろう。
踏み付けられた草木が自然と獣道を成している。歩きやすくて助かるのは確かだが。
「……なるほどな」
僕にも得心が行く。やがて開けた空間に見えたそれの正体が。
果たしてそれは小さな村だった。村民達は畑を耕し、木造家屋の前で談合し、少し外れた場所にある茶屋が賑わっている。過疎化が進む山奥の寒村、有り体に言えばそんなところだろうが、そこに生きているのが全て人間だけだという点で、この村は絶対的にこの世界において異物としてしか有り得ない。
この世界に人間はそれ単体で存在し得ない。それは動かし難い事実であるのだから。■ ■ ■
パートナーデジモン、そんな言葉がある。
俗に言う選ばれし子供として召喚された人間と共に並び立ち、世界の危機を救うため邁進する存在のことをそう呼ぶらしい。パートナー、唯一無二の相棒、所詮システムでしかない癖に運命的な縁や絆を感じ得るそれは、大抵の者にとって実に耳障りのいい言葉なのだろうな。僕としては聞くだけで吐き気がするがね。
この世界にとって人間は異物だ。奴らがこの世界に存在すること自体、そもそもがおかしいんだ。
この世界で人間はただ生きていることさえ許されない。電脳世界において有機物である人間は異物として、世界そのものから排除される運命にある。それが創世記から続くこの世界の絶対の真実なんだよ。
パートナーデジモンとは、その不条理に対して構築された延命のシステムでしかない。
元より電脳生命体であるパートナーとの繋がりを以って、人間達はデジタルな世界で存在することを初めて承認される。並大抵の人間はそうして僕らとの縁を持たなければこの世界では数日と生きられない弱い生き物なのだ。パートナーと出会えぬまま、やがて衰弱して死んでいく人間の姿を僕は何度も見てきた。噂によれば、そうした繋がりを持たずともこの世界に存在できる完全なる存在(アブソリュート)と呼ばれる人間がいるという話だが、そんな人間にはついぞ出会ったことがない。
結論を言おう。人間とは脆弱な生き物に過ぎず、そんな脆弱な生き物にに僕らの世界が寄り添わなければならないこと自体、僕には極めて不愉快だった。
何が救済の英雄、何が最後の希望、彼奴らは僕らに寄生しなければ二本の足でこの大地を踏み締めることさえできやしない。数多の魔王や闇の存在は人の手で倒されたと言うが、むしろ人間が関わること自体が魔の者を生む要因となっているのではなかろうか?
『俺は……人間の可能性を信じているから』
いつだったか、僕が宿敵と見定めた男がそう言っていた。
アポロモンの陽炎。太陽の憤怒と慈悲とを体現したような、どこまでも甘い奴。一度立ち会って敗れた屈辱は今も僕を苛んでいるが、何より許せなかったのは奴が人間に対して酷く甘く、そして憧憬を抱いていること。これに関してはオリンポスの同僚である青海や森羅もそうだった。彼らは人間を英雄と信じ、善なる者だと信じている。あろうことか、世界を守護するオリンポス十二神でありながら、人間こそが世界を救ってくれると心のどこかで縋っている。
それが許せなかった。この世界は僕達のものだ、僕達の手で守っていくものだ。
『人間は脆いわよ。……脆くて、儚いわ』
だから、対照的にそう言った女は僕の理解者でもあった。
ディアナモンの幻影。陽炎とは対照的に月光の狂気と冷徹さを孕んだ、奔放な破綻者。その性格や口調に反した冷酷さを備えたこの女は不思議と僕と気が合った。彼女の過去など知らないし興味もないが、人間との間に何かトラウマを抱えているように思える。人間に対して憎しみすら抱いている僕とて、無力な彼らに対して積極的に攻撃を仕掛けたりはしないが、幻影はそれがパートナーすら持たない人間だろうと容赦なく襲いかかる。そうして今までに何人もの選ばれし子供の命を奪っている奴だ。
シャーマンである僕には、この世界で散った人間達の魂が見える。転生することのない彼らの魂は、いつまでもこの世界を彷徨い続け、恐らく救われることはない。月の力を司る幻影には、僕以上にそれが見えているのではないだろうか。そうして壊れていく、月光の狂気に取り憑かれ、更に己の苦しみの源を増やしていく。
僕と同じだ。その速さ故に数多のものを見過ぎた僕もまた、とうに壊れているから。■ ■ ■
「……いい趣味だ」
開口一番、僕の感想はそれだった。
この村に生きる人間達は皆、ただの屍だった。生前の容姿を象ってはいるし、恐らく記憶も性格もそのままなのだろう。だがそれだけだ。一度死んだ彼らに生前の感情が蘇ることはない。故にこの村の者達は皆、何ら映すことはない焦点の合わない瞳で、ただ人だった頃の記憶を元に人間らしい営みを繰り返しているだけのシステムに過ぎない。
畑を耕す男も、井戸端会議をしている女も、茶屋で働く娘も、皆そうしているだけの肉の塊。
「一度死んだ心はね、生き返らせることができないらしいんだ……」
どこか寂しげな幻影の呟きだけが真実だった。
それ以上でも以下でもない。彼らの行為はそれ以上の意味を持たず、故に何かを生み出すことはない。つまり結局は人の真似事でしかないのだ。心は蘇らず、感情を持たないままそこに在るかつて人間だったモノは、ただ人間だった頃の生活サイクルを繰り返しているだけの動く骸だ。
その光景はどこか心地良い。そう感じる僕は、大多数から見れば狂っているのかもしれない。
彼らは今、そこに確かに存在しているのだ。数からすれば数百人から千人程度といったところだろうか、今僕らが見ている生ける屍と同数の不可視の魂として世界を彷徨しているより遥かにいいはずだ。少なくとも数多の無念と怨嗟の声に苛まれてきた僕、そして幻影にとっては。
「いい趣味だ」
もう一度、噛み締めるようにそう告げた。
メルクリモンの持つシャーマンとしての力で死した人間の魂を集め、その魂にディアナモンの持つ催眠術で生きていた頃の夢を見せている。この世界は精神が具現化することで知られる世界――何せ電脳精神と名付けられた伝説の至宝が存在するくらいだ――である故、己を生きていると認識した魂は自然、生前の頃の姿を象ることになるのも必定だった。
心が死んだままである以上、彼らにこの村から離れるという選択肢は無い。無残な死を迎えた者なら、魂に染み付いた恐怖からデジタルモンスターと出会うことすら本能的に恐れるだろう。
「魂の牢獄……そんなところか」
「当初想定していたのとはちょっと違ったけど、結果的にそうなったわね。まあちょうどいいんじゃない? 私もそうだけど碧翼クン、キミは死んだ人間の魂を見るのに飽き飽きしていたんでしょ?」
「違いない」
思わず笑みが漏れた。幻影の言う通り結果的にではあるが、これは始まりの町の再現だ。
死した皆が生まれ変わり、新たな生を始める場所。十闘士だか三大天使だかが守っているというその場所とそのシステムに、奇しくも僕らが築き上げた村は酷似していた。だが正確に言えばここは始まりと呼ぶには相応しくないか。彼らは何も始まらない、ただそこに在るだけだ。彼らの時間は既に終わっている。
ならば名付けよう。ここは時が止まった者達の集う場所、屍者の村だと。■ ■ ■
世界を巡っていると、時折珍しい者に会うこともある。
「見ねェ顔だと思ったが、オリンポスの狗神様じゃねェか」
不躾にそんな声をかけられた。
特に意味があるわけではないのだが、僕は定期的にトレイルモンの世話になるようになっていた。他に誰も乗客のいない車両の中、四人掛けの席にダラリと背を預けていた僕に声をかけてきたのは、果たして音に聞こえた暴食の魔王だった。
「おや、これはこれは珍しい顔を見たね」
「そいつァこっちの台詞だ。目にも留まらぬ速さで世界を駆け回ると言われたテメエが、のんびり電車で一人旅たァどういう了見だ?」
言いながら、ベルゼブモンは僕の正面に座り込む。少しばかり狭いのだがね。
「たまには何かに身を預け、景色を楽しむというのも乙なものだよ」
「そんなことを言うタマかよ、テメエが」
クククと笑う魔王。醜悪な牙がカチカチと鳴って実に不愉快だった。
「君こそ愛車はどうしたんだい」
「……ま、似た者同士ってこたァな」
それきり僕らは会話をやめた。究極体同士で相席して語り合うこともない。
魔王とオリンポス、本来なら相容れぬはずの僕らは、それきり互いに頬杖を付いて窓の外を眺めるだけだった。自分で乙なものと言っておきながら、一面に広がる荒野はお世辞にも見ていて面白いものではない。確かこの荒野の先に広がる森、そこに今も幻影の奴が守るあの村があるのだったななどと考える。あれ以来、あの村には時折足を運んでこそいるが、少しずつながら住民が増えているようだった。それはつまり、この世界に訪れて死んだ人間が今もいるということに他ならない。
まあ僕にはどうでもいいことだ。少なくともあの村ができて以来、世界を彷徨う人間の魂を見ることはない。それが心地良い。
「……どいつもこいつも人間臭ェ」
「え?」
ポツリと、そんな呟きが聞こえた。
魔王らしからぬ弱々しい言葉に、僕は思わず正面に座る者の顔を見てしまった。きっとその呟きは誰に向けられたものでもない。それでも変わらず窓の外を見つめ続けるベルゼブモンの横顔は、どこか寂しさを宿しているように見えた。
求めているものがある。けれど、それが見つからない、求めるものが何なのかもわからない、そんな表情に思えた。
「勇気も友情も愛情も知識も純真も誠実も希望も、全部否定しやがるのがこの世界だろうがよォ……なのに、テメエらは人間臭すぎんだよ……!」
呻きにも似ていた。ギリと噛み締められた口の端は、確かな苦渋に満ちていた。
「テメエの同類も似たようなもんだったな。呑気にレストランなんぞ経営してやがった」
「……森羅か」
高い実力を持ちながら、料亭の店長に甘んじた同志の顔を思い浮かべる。暴食の魔王は彼女に会ったのだろうか。
「テメエはどうだ? 狗神の兄ちゃんよォ」
「僕は僕だよ」
「そうだな、テメエは人間が余程憎いと見えらァ」
僕の心を見透かしたように、額の瞳だけを向けて魔王は笑う。
「俺の七大魔王も人間に過度の期待を抱いてる奴らばかりで辟易してたもんよ。別に見つけ次第殺せたァ言わねェ、必要以上に敵視しろとも言わねェ……だがな、人間じゃねェ俺らが人間の猿真似をしたところで何になる?」
「君は巷で言われているより聡いようだ」
言ってやると、ベルゼブモンは「あん?」と憎々しげにこちらを見た。
言うまでもない、これは挑発だ。かつて幼い者が暮らす村を守っていたという森羅を圧倒した──情けない奴だ、守ることにかまけて己を高めることを放棄するからそうなる──という暴食の魔王の力、一度この身で味わってみくもあったからね。
しかし同時に感心したのもまた事実だ。世界を回る中で僕が聞き知ったベルゼブモンという奴は、ただ戦いだけに明け暮れた戦闘狂だった。だから僕も暴食の魔王とは野心も信念も持たず、ただ戦いたいから戦い、殺したいから殺す、そんな単純な存在だと思っていた。でも今僕の目の前にいる痩躯は、そうして勝手に抱いていたイメージとは真逆だった。
人の噂ほど当てにならないものもない、そういうことだろうか。
「テメエともいつかやり合うことにならァな」
「……今はやらないのかな?」
「今は少しばかり興が乗らねェ、それにやり合うなら互いに全力でねェとな」
まだ力が完全ではない。そう匂わせて暴食の魔王は席を立ち、車両を出て行く。
見逃してもらったのだと思うことにする。森羅のように無様に一蹴されるつもりはなく、死に物狂いで一矢報いるまで食い下がる程度のことぐらいはできるだろう。だが情けないことに、僕もまたあの魔王に勝つビジョンは全く見えなかった。少なくとも頭の中で思い浮かべた想像模擬戦で四回は殺されている。
あれで全力ではない? まだ先があるだと?
「……ハッ、面白いね」
乾いた笑いが漏れた。比喩ではなく、気付けば喉がカラカラだ。
「僕は僕だ……か」
先に口にした言葉を反芻する。
そう、僕は僕だ。陽炎とも幻影とも森羅とも青海とも山雷とも違う。
オリンポス十二神が一、メルクリモンとして僕は生きている。有事が来れば共に戦うことだろう、協力を仰がれれば力を貸すことも吝かではないだろう。青海が今の姿に到達する前は森羅の料亭をしばらく手伝っていた時期もあるし、此度のように幻影の戯れに付き合うことだってある。それでも僕の生き方は当代のオリンポスにおいて他の誰とも重ならない。ただ己の神速の脚力を以って、この世界を駆け抜けるのみ。
人に憧れる陽炎や森羅、屈折した思いを抱いているだろう幻影。
僕は彼らとは違う。僕らの世界は僕らの手で守らなければならないと思っている。人間の存在そのものを否定するつもりはない。それでも人間の手が加わる度、どこか僕らの世界が歪んでいくような感覚は消えずにいる。そうした意味で、僕は暴食の魔王の言葉に込められた真意がとてもよくわかる。
僕は僕だ。それ以上でも以下でもない。
「僕は……人間が嫌いだよ」
だからそれだけは、絶対に譲るつもりはない。【月神の場合】
例えば、アイツ。
「……何やってんだか」
村の裏手にある畑で、農作業に勤しむ年端も行かない十代前半の少女。
生前は大分やりたい放題この世界を暴れ回っていたけど、死んでしまえば同じ骸。意思の無い虚ろな瞳で、ただただ人間だった頃の生活を再現しているだけの肉の塊。
ま、そう仕向けたのはミラ自身なんだけど。
人間って奴は恐ろしいほど脆いと来てる。ミラ達デジモンは死んだ後も始まりの町とかいう場所で別の命として蘇る。そうして生まれ変わったミラ達が生前の記憶を保持してるかどうかは、まあ神様やら何やらの裁定によって変わるらしいけど、人間はそんなこともできないわけ。
死んだらそれで終わり、人間って奴の生命はただそれだけの儚いもの。
「ホント、不便だわ……」
自然、声には嘲笑の色が混じる。たった一つの命、限りある命、人もデジモンも命の価値は同じだと言った英雄がいるらしいけど、バカじゃない? ミラ達と人間達の命が同じ価値だったとしたら、すぐに壊れて替えも利かない人間なんて、死んだ後も続いていく、紡がれていくミラ達の命に比べれば価値は同じでも意味がない。ミラが少し触っただけで裂けてしまい、ちょっと鎌を振ったら簡単に砕けてしまうような肉塊に存在する意味なんてある?
ミラには全くわかんないよ。陽炎クンや他の皆はどう思ってるのかな。
「……探したぞ」
「あらあら、噂をすれば何とやらって奴?」
村をちょうど見下ろせる切り立った崖。ミラが立っているそこに、いつの間にか炎を纏った同志がいる。
「趣味の悪い村だ」
「……キミには理解できないかぁ」
きっと憤ってる。陽炎クンは前と変わらず本当に人間って連中が好きらしく、そんな人間を何人も殺してきたミラに対する嫌悪の感情が見て取れる。
まあ気持ちはわからないでもないのよ? だってミラ達の世界に数多訪れた危機を救ってきたのは確かに人間だから。ミラ達はミラ達の世界をミラ達だけで守れたことなんて無い、少なくともミラの知る限りそんな伝承はない。敢えて言うなら、創世記に傲慢の魔王を退けたっていう十体の究極体の話がそれだけど、その辺は眉唾だもんね。
だからこの世界は結局のところ、ミラ達より遥かに弱くて脆いはずの人間の干渉無くては存在し得ない。
「キミは……純粋よね」
でもね。そう、でもなんだよ陽炎クン。
そんな英雄だけじゃないんだよ、人間って奴は。
ミラはそう言いたいわけよ。英雄はいる、守護者もいる、彼らは確かにこの世界にとって救世主なのかもしれない。だけどこの世界に関わった人間はそれだけじゃない。だって訪れた人間が全て世界を守る救世主になってくれるなんて、そんな上手い話があるわけないじゃない?
ただ状況を理解することもできず、凶暴なモンスターに食い千切られたガキがいた。
出会ったパートナーの暴走に巻き込まれて命を落とした小娘がいた。
倒すべき敵を見定めながらも力及ばず敗れ去った男がいた。
そして何よりも、今さっきミラが眺めてたアイツ。あのガキだって、元々は世界を救うべくして召喚されたはずなんだ、この世界に。実際、パートナーを究極体にまで進化させた手腕は大したものかもしれないよね。少なくとも見る者が見れば、究極体を引き連れた人間の少女は英雄に相違無かったんでしょうね。
だけど死んだ。死んだんだよ、アイツは。
何よりも必死だったと思う。誰よりも頑張ったと思う。だけどアイツとパートナーは、倒すべきだった魔王に敗れ去って死んだんだ。経緯は知らないし知りたくもない、だけど自分の世界に拠り所を持たなかった小娘、だからこそ偶然召喚されたこの世界で懸命に戦い続けた選ばれし子供は、結局何も為すことができなかった。
アイツのことなんて、この世界の歴史においてはほんの一例でしかない。むしろ世界を救えた例の方が少ないくらいだと言ってもいいわ。皆が人間に憧れる中、今もまた選ばれし子供は召喚され、少数の英雄と多数の犠牲とに振り分けられている。そしてこの世界で死んだ人間には救いなんて無い。死によって肉体という枷から解き放たれたとしても、その魂が元の世界に戻ることは有り得ない。
光り輝く英雄譚の裏で、そんな風に散った連中の無念が渦巻いてるんだよ、この世界は。
「……純粋……か」
そこであの馬鹿の姿を前にして、陽炎クンは言うんだ。
「そう言うお前は歪みすぎだろう」
「言ってくれるなぁ」
ケラケラと笑う。きっと光の下で生き続ける陽炎クンには見えない。だって彼はどこまでも太陽だからね。同じオリンポス十二神として数えられていても、きっとミラとは見ている世界そのものが違う。後悔、怨嗟、憎悪、そんな禍々しく、そして醜いものは、光の世界にいる彼の目にはきっと見えないんだ。
でもミラには見える。夜の闇であるミラには、無念を抱いて死んでいった人間達の叫びが、デジモンと違って始まりの町で転生することもできず渦巻く人間達の魂が、これ以上ないぐらいハッキリと見える。
それに憐憫を覚えることなんてない。滑稽だと嘲笑するだけ。
「キミには……いえ、森羅にも山雷先輩にも青海クンにも理解できないでしょうよ」
長らく顔を合わせていない同志達を思い出しながら言う。先日会った碧翼クン……は理解できるか、そもそも協力者だし前に来た時もこの村を褒めてくれたっけ。何よりあの子はミラと同じで人間が嫌いだし。
そうして碧翼クンと作り上げたのがこの村。渦巻く人の無念と怨念を一ヶ所に集め、仮初の肉体を与える疑似・始まりの町。
そもそもミラだけでなく、碧翼クンの手も加わっているこの“村”は結局のところ、そういうとこ。ミラ達と違ってダークエリアに逝くこともできない、だからと言って新たな命として転生もできない、そんな行き場のない人間どもの魂を集めてとりあえずの肉体を与えた場所。人間界で言うあの世って奴? それを目的としてミラが作った魂の牢獄といったところかしらね、碧翼クンの受け売りだけど。
「前にも言ったけど」
隣の陽炎クンの横顔を見やる。猛々しく勇ましい、ミラでも惚れちゃいそうな勇壮な炎を象った太陽の獅子。
彼のどこまでも真っ直ぐな、敢えて悪く言うなら潔癖すぎるところは嫌いではない。むしろ好ましいとさえ思うことがある。そしてそんな彼とミラは、有事とあれば同じオリンポスの名を持つ者として共に並び立ち戦う同志だけれど、きっと根本的なところで違う。
「……キミは人間を買い被り過ぎよ」
それだけは教えてあげたい。人間は強いかもしれないけれど、それ以上に脆い生き物なのよ?
「ミラには、なんでキミがそんなに人間を買い被れるのかわかんないな」
「それでも俺は、人間を信じているから」
噛み締めるように呟く陽炎クンの視線は、あのガキから離れることはない。
馬鹿な小娘だったのよ。勝ち目なんてあるわけないのに暴食の魔王に挑んで、当然の如く殺された。見て見ぬフリもできたのに、使命を拒むことだってできたのに、それでもただ踏み付けにされる者が許せないって、そんなくだらない正義感でこの世界最強の存在と戦い、そして死んだ。
馬鹿、本当に馬鹿。馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿――!
「……あちゃこ」
そんな聞くだけでイライラする名前が、隣の彼の口から出た気がする。
口には出さないけど、その瞬間ミラは陽炎クンに殺意にも似た感情を覚えるわけ。
呼ばないで欲しい、そんな名前。
思い出すだけで身を切り刻まれるような寒気に襲われるし、何よりも一緒に始まりの町で生まれた仲なんだから、陽炎クンはミラのこと知ってるはずでしょ?
人間なんて、大っ嫌い。■ ■ ■
思い出すのも嫌なぐらい遠い昔の出来事。
『やあやあ君達! 私のパートナーにならないかい!?』
人間って奴を見るのは初めてだった。細くて小さくて弱っちそう、それが第一印象。
『は?』
そう返したと思う。多分、言っている意味がわからなかったんだと思う。
パートナーになってくれ。開口一番そう言ったその馬鹿な人間は、後になって思えば実は賢明だったのかもしれないなんて思ったりもする。少なくともパートナーを探す為に始まりの町へ来たという彼女は、大した行動力だと褒めてあげるべき?
『俺が行く! 俺がパートナーになる!』
『おお、元気がいいねー!』
『当たり前だろ! 俺は世界一強くなるんだ!』
そして、そんなことを言っていた馬鹿もいた。
思わず私は呆れて『馬鹿じゃない?』と笑ってあげたくなる。当時ミラは成長期であの馬鹿は幼年期、ミラにも勝てない奴が世界一強くなるなんて無理じゃないって、況してや人間のパートナーになるなんて無謀にも程があるって、そう思うのも当然のこと。そもそも同じ始まりの町で暮らす幼年期の中でもぶっちぎりで弱い方だったもん、アイツ。
だけどミラは大人だから、そんな馬鹿を馬鹿にしたりはしないんだ。……なんか変な台詞回しよね。
『……キミはどうして強くなりたいの?』
そう聞いてあげると、馬鹿は目を丸くする。どうしてそんなことを聞くんだ、そう言いたげなクリクリとした瞳。
本当に馬鹿だなぁ、改めてそう思う。可愛いだなんて、思ってあげないんだから。
『キミは強くなってどうしたいの?』
一拍だけ置いて、改めて聞き直してあげた。それでも馬鹿は馬鹿だから、質問の意図を全くわかってくれない。
『強くなれば格好良いじゃん! 皆から憧れられるヒーローだぜ!』
『……ふ~ん、キミが考えるヒーローって、そういうものなの?』
『そりゃそうだろ! 強くて格好良い! そんなヒーローになりたいんだ、俺は!』
そう言う馬鹿の目は眩しい。強くなればヒーローになれるって、皆から憧れられるって、本気でそう思っているらしくて実におめでたい。それでもミラだって鬼じゃない。悔しいけど可愛らしい二つの瞳を、空を見上げつつキラキラ輝かされたら、ついつい応援してあげたくならないこともないわけよね。
でも始まりの町ってそういうものなんだ。幼い子達が目を輝かせて未来を夢想する、そんなことがこの世界で許される数少ない場所。
『じゃあキミは人間のパートナーになって強くなりたいんだ?』
そんな馬鹿の姿を見て、同じぐらい馬鹿な人間はしゃがんで両手に顎を乗せながら微笑んでいる。
『勿論そうさ! 人間と一緒に世界を巡って強くなるのが、俺の昔からの夢だからな!』
『外の世界は怖いって言うわよ?』
確か始まりの町を守っている彼女がそう言っていたと思う。ミラもまだ出たことはないから詳しいことは知らないけど。
『よくわからないけど、元気な子だね! じゃあ君が私の――』
馬鹿と馬鹿、考えるだけで頭が痛くなりそうなコンビが結成されようとしたその時。
『聞き捨てならないぞぉ! 次にパートナーになるのはオイラだぁ!』
『いや、そこは俺だろう。何せ現時点で一番強いのは俺だからな』
喧しい奴らがやってきた。仲間内の成長期二体、というか同時期に生まれた中で唯一まだ成長期まで進化できていないのがこの馬鹿だけだったというだけの話なんだけど。
『わあお、またまた元気そうな子達が来たね-!』
人間は楽しそうだ。見るもの全てが新鮮で興味深い、そんな目をしている。
『あのね陽炎クン、ミラと同じでキミは無理でしょ』
『……そうだったな、忘れていた』
いやオリンポスとして生まれ付いた癖に、その使命を忘れてんじゃないわよ。
『つまり人間のパートナーの座はオイラということに……』
『ならないぞ! 次は俺が――』
『マーチングフィッシーズ』
『がああああああ!!』
ゴマモンが呼び出した無数の小魚に食い付かれて悲鳴を上げる馬鹿。
本当に世話が焼けるなぁ。仕方なく小魚を掻き分けて、痛がる馬鹿を助けてあげる。幼年期の癖に成長期相手に大きく出ればそうもなるでしょうよ。毎回喧嘩吹っかけてやられるキミを助けなきゃいけないミラの気持ちにもなってよね。
気分を良くしたのか、ゴマモンは『やっぱりオイラが最強ぉ~』と笑い転げている。
『く、くっそ~、なんで勝てないんだ……』
『お前はまず進化してから大きな顔をするんだな』
『陽炎クンの言う通りね。今のままだと誰かのパートナーになっても犬死によ、キミ』
親切心から言ってあげる。あと陽炎クン、珍しくミラと意見が合ったわね。
『あとね、キミは強くなることは諦めて平和に生きていくこともアリだと思うわよ』
『……嫌だ、俺は絶対に世界一強くなるんだから』
聞き分けが悪い。だけどミラを真っ直ぐ見て言う言葉は力強くて、弱い癖になかなか格好良いじゃないとか思っちゃった。ミラ一生の不覚よね。
『じゃあキミがキミの言う通り、本当に陽炎クンやミラより強くなったらさ』
だからね、ミラはこの時ちょっとだけ本気だったのよ?
『ミラ達のこと、この町のこと、この世界のこと、守ってみせてよ……ギギ君』
才能もない癖に、吼えることだけは一人前の稀代の馬鹿、ギギモン。
だけど応援したくなったんだ。ちょっとだけカッコいいと思っちゃったんだ。だからミラは信頼、親愛、期待、そんな決して人間じゃないミラが持っている精一杯の愛情を込めて、ただ優しく言葉をかけてあげた。
『じゃあね! 私のパートナーは! 君に決めた!』
ビシィと勢い良く、人間は相棒として選んだ子を指差してみせる。多分そうなるだろうことはわかっていたし、意見を差し挟むつもりもない。
ただ、ミラはちょっとだけ後悔してる。その選択が無ければ、あんなことにはならなかったんじゃないかって。もし違う道を選んでいたら、また変わった未来もあったんじゃないかって。
別に馬鹿な人間に同情してるわけじゃないんだ。後悔してる、それだけのこと。■ ■ ■
ねえ陽炎クン、キミはミラを歪みすぎだと嗤うけれど。
キミは知らないんでしょ?
アイツが、あの馬鹿な人間が、どんな理不尽の中で死んでいったのか。
そこに救いなんてない。希望なんてあるわけもない。別にあの人間自体に同情も憐憫も覚えないミラだったけど、あんな理不尽な死があっていいのかって思った。少なくともアイツは、あちゃこは絶対あんな風に死んでいい子じゃ無かった。
森羅が成長期達を守る村を作ると言った時、ミラは嘲り笑ったと思う。
『アンタは甘いわよね』
あの子は真面目で優しいから、理不尽に摘まれる未来の可能性を許せないんだ。
その考えを美しいと感じる心ぐらい、ミラにだってある。だけどそれ以上に、そんなことをして何の意味があるのって蔑む冷めた自分がいたわけ。だってそうじゃない? 結果論になるけど、結局森羅はベルゼブモンに負けて守るべき村を滅ぼされたんだよ。圧倒的な力の前には、ミラ達の力なんて何の役に立つわけ?
うん、多分ミラはオリンポスとしてダメなんだと思う。どこかで自分の弱さと限界を認めてしまっている。ベルゼブモンに敗れた森羅も最近まで同じように腐っていたらしいけど、風の噂に最近もう一度立ち上がったと聞いたわね。だけどミラは相変わらず腐ったまま、光のない新月のまま。
あの時だってそうだったんだよ陽炎クン。思い出すのも嫌な出来事だけど、それは間違いなく現実で。
『この時代の選ばれし子供って奴か、面白ェ……!』
見渡す限りの荒野、暴食の魔王と対峙する馬鹿二人を、ミラはすぐ傍の崖から見ていた。
戦いは互角、むしろ馬鹿達が押しているように見えた。あの馬鹿達はワープ進化とかいうよくわからない力を持っていて、それにベルゼブモンが少なからず怯んだのもあると思う。間断なく破砕球を振り回すヴァイクモンには、銃撃も爪撃も効果が望めず、初めて魔王が後退に転じた。少なくともあの狂気の魔王に戦闘で後退するという発想があることを、ミラはそれまで知らなかった。
行ける。ミラがそう思ったぐらいだから、あの馬鹿もそう思ったはず、そのはずなのに。
『よーしヴァイクモン! そのまま――』
それが、あの馬鹿の最後の台詞。
多分、本人には何が起きたのかもわからなかったと思う。突然赤い液体を吐き出した彼女は、自分の腹に突如として開いた大穴を不思議そうに数秒眺め、そのまま倒れ伏した。
痛みなんてあるはずがない。死の実感なんてあるはずがない。
彼女のパートナーもまた、全く同じ場所に大穴を開けて立っていた。瞳から急速に輝きが失われるも、獣人は最後まで倒れることはしない。勇ましい立ち往生、だけどそれに何の意味があるわけ? アンタが死んだから、アンタと契約で繋がっていたあの馬鹿まで一緒に死んじゃったんだよ!?
アンタはギギ君より強かったじゃない! いつもギギ君をイジメてたじゃない!?
ミラや陽炎クンと同じ、始まりの町で才能を見込まれたゴマモンだったじゃない!?
『……悪ィな。なかなか楽しめたが、選ばれし子供には負けねェように出来てんだ、俺ァ』
片腕を巨大なブラスターへと変えた魔王が笑ってる。黒い翼を広げた魔王は、人一人の死を何ら意に介することはない。
やめてとミラの全身が叫んでる。今すぐにでも飛び出して、魔王の糧にならんとするあの馬鹿の体を取り返したい。それなのにミラの体は全く動けなかった。オリンポスとして、他の高位の連中と互角に戦えると思っていた自分自身が、如何に井の中の蛙だったかをミラは思い知らされる。今この場で出れば死ぬって確信、その重圧に押し潰されそうになる。あの魔王なら食事(ロード)の片手間にミラを殺せるに違いない。
魔王の手が伸びる。もう動かず、生物ではなく物体になった少女の骸へと。
ミラ達を見てずっと笑っていたあの子が。
世界を救うんだと旅立って行ったあちゃこが。
魔王に食され、その糧になる。
『ご、ごめん……ごめんね……っ!』
せめてもの謝罪に何の意味があるんだろう。
パートナーじゃないから? 選んでもらえなかったから?
だから助けなくてもいいの? 見て見ぬフリをしてもいいの?
『ミラは……ミラは……っ!』
ミラは、弱いんだ。
暴食の魔王に貪り食われていく彼女とかつての仲間を助けることさえできないぐらい、弱いんだ。■ ■ ■
元々ミラには志半ばで散った人間達の魂がハッキリと見えていた。
それは碧翼クンと同じ、この種族として生きる以上、避けられないことだったけど、いつだったかどこかで彷徨うあの馬鹿の魂を見つけた時、ミラはきっと壊れたんだ。もう嫌だった、ディアナモンとして生きる自分自身が嫌で嫌で仕方なかった。
選ばれなかったのは当然だよ? あの馬鹿が始まりの町に来た時、陽炎クンとミラはオリンポスとして生きることが運命付けられていた。だからミラ達と同世代で一番強かったゴマモンがあの馬鹿のパートナーになるのは当たり前のこと、それを今更どうこういったところで何も変わらない。ギギ君は笑いたくなるぐらい弱かったし、何よりまだ成長期にも進化できていなかったし。
だけどミラがもしパートナーになっていたとしたら、絶対ベルゼブモンになんて挑まなかった。彼女に危険な道なんて選ばせなかったのにって思う。
確か家族がいないって彼女は言ってた。
家族ってものがミラにはよくわからなかったけど、ミラにとっての陽炎クンとかギギ君みたいなものかなと思って納得させた。更に聞いてみれば、母親はいるけど血が繋がってなくて冷たいんだとか困ったような顔で笑ってた。血が繋がっていないって言葉の意味はまたわからなかった。何だ、全然アイツのことわかってなかったんだ、ミラ。
『でも折角選んでもらえたんだから、この世界で頑張るんだ、私!』
始まりの町を見渡せる丘の上、そう叫んだあの馬鹿の後ろ姿が忘れられない。
人間の癖に、異物の癖に、彼女は誰よりも真っ直ぐにこの世界を守ろうとしてた。ミラはその眩しい姿を思い出す度、自己嫌悪に陥っちゃう。オリンポスとして生きるミラは、果たして彼女のように生きられる? ただ懸命に世界を守護する役割を務め続けられる?
答えは否。多分、ベルゼブモンにあの馬鹿が負けた時点でミラもまた死んだんだ。
『キミは人間を買い被りすぎよ』
陽炎クンに告げた言葉だって真実。
彼は人間が世界を救ってくれるって信じてるけど、彼女が無残に死んだことを知って尚、そう信じ続けられるんだったら、それはそれで救えない。もしかしたら陽炎クンなら、この世界にはどうしようもないことがあるんだって、そうした事実を突き付けられても「それでも俺は!」と言い続けられるのかもしれないけど。
陽炎クン、キミのそういうところ、ミラは好きよ。でも同時に、救えない馬鹿だとも思うけど。
ミラだって最初から人間を嫌っていたわけじゃない。むしろ子供の頃は好きだったようにも思う。だけどアイツが死んで、報われず壊れた魂の姿で彷徨しているのを見ていく内に、ミラの心には憎しみしか湧かなくなった。
人間なんてこの世界から一人残らずいなくなればいい、そう思った。少なくとも視界に入った人間を余さず手にかけた時期がある。だけどそうしたところで、結局ミラや碧翼クンの目に映る彷徨える魂が増えるだけ。だから無意味だと気付かされて、ミラはこの村を作る方向にシフトしたわけ。
「………………」
気付けば崖の下、農作業に勤しむ馬鹿──アイツは山奥の農家出身だったらしい──がミラのことを見上げているのに気付いた。
ただ黒いだけの生気の無い瞳は、もう始まりの町を訪れた時の馬鹿のものじゃない。元気いっぱいに叫び散らした喧しい姿を見ることももう無い。ただ生前の、それも人間界での生活を再現するだけの生ける屍と化したアイツの姿は、痛ましかったけれど彷徨う魂の姿よりは絶対に幸せなはず。
「あちゃこ……」
陽炎クンも言っていた、アイツの名前を静かに呟く。
心を失ったアイツの瞳に、ミラはどう映っているのだろう。得体の知れない化け物? 始まりの町で出会った幼い子? それとも死んだ自分を救ってくれた女神? 最後のは言い過ぎにしても、できればミラはミラだって気付いて欲しい。
アイツの、あちゃこの口が僅かに動いた。
「……ン……モン……!」
名前を呼ぼうとしている。心は死んだまま、既に感情など消え失せたのに、記憶を必死に手繰り寄せて言葉を紡ごうとしている。
「あちゃこ……!」
ミラの声も震える。情けないけど心が昂ぶってくる。
ミラは人間なんて嫌いだった。転生もできず魂だけをこの世界に遺していく人間のことが許せなかった。そんな魂が見えるミラ自身のこと、そして見えない陽炎クンその他のことも憎んでいたと思う。
だけどあの時、ミラは希望を見たんだ。ヴァイクモンに押され、ベルゼブモンが舌打ちしながら後退した瞬間、不可能なんて何もないと思えたんだ。それが次の瞬間には散らされる希望だったとしても、人間に憧れる陽炎クンや森羅の気持ちがほんの少しだけ、理解できたような気がしたんだ。
あちゃこ、そんなあなたがミラの名前を呼んでくれるなら、ミラはきっと。
「……ゴマモン」人間なんて、大っ嫌い。
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