デジモンに成った人間の物語 第二章の⑤ ー必死にー

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      新たな進化、不確定要素の追加。

      その事実によって齎される優劣の変化を、怠惰の魔王を宿す男――縁芽苦朗を仕留めるために攻撃を仕掛けていたメガドラモンの電脳力者、レディーデビモンの電脳力者、そしてフェレスモンの電脳力者はそれぞれ計算していた。

      元々、彼等は七大魔王たる『ベルフェモン』の力を宿す縁芽苦朗一人との交戦を想定して『組織』のメンバーの中から選出された者たちだった。

      空中戦が出来ることは当然、情報通りであれば致命傷を負ったらしい縁芽苦朗を捕縛する、それが出来ずとも別働隊が『リヴァイアモン』の|電脳力者《デューマン》を仲間に引き入れるまでの間、十分な足止めが出来るだけの能力を有した戦闘要員。

      牙絡雑賀という不確定要素こそあれど、彼等が介入を開始したその時点でそれはむしろ縁芽苦朗にとっての枷となるものでしかなくなっていて、彼等にとってそれは都合の良い要素でしか無かった。

      事実として、彼等は鎖に巻かれた牙絡雑賀を巻き込むように攻撃を仕掛ける事によって、確かに縁芽苦朗を追い詰めることが出来たのだから。

       

      (――イイ感じに攻めきれる所だったのに……)

       

      縁芽苦朗という男が、不要な破壊行為を好まない性格をしていることは事前に知らされている。

      魔王の力に任せた大規模な広範囲攻撃などは、体調の良し悪しに関わらずあまり使うことが無く。

      ベルフェモンという魔王――にかつて進化した個体――のデータが思考にどれだけの影響を及ぼしているかどうかはともかく、少なくとも縁芽苦朗という人間は、自らの力によって予期せぬ被害を齎すことを好しとしないと。

      故に、損耗の度合いから考えても、彼等の優位が崩される可能性は低いと考えられた。

      手間取っている間に目的が達成されれば、自分達の勝利は揺るがないと、そう思っていた。

      牙絡雑賀が電脳力者として地獄の番犬――『ケルベロモン』の力を覚醒させた、その時までは。

       

      (――チィッ、あと少しで仕留められた所を……この犬っコロ……!!)

       

      この状況において、戦力が一人増える事に対する意義は大きい。

      先の同時攻撃を一掃してみせた火炎放射の存在を考えても、近距離にしろ遠距離にしろ仕掛けることが容易ではなくなったことは間違い無いのだから。

      彼等の主な役割は時間稼ぎであり、それを果たすためには攻撃を仕掛け続けることで『無視出来ない』状態を作り出す必要がある。

      それ自体は難しい話ではない――これまで通り、基本は飛び道具で牽制し続ければ良いのだから。

      だが一方で、ここまで追い詰めておきながら時間稼ぎだけで済ませてしまうほど、役割と目的をお行儀よく遂行してやれるほど、彼等は欲が浅くも無かった。

      致命傷を受けているはずの縁芽苦朗を殺し、その邪魔をしようとする苛立たしい端役も殺す。

      そのつもりで動くと既に心に決めている。

       

      (……あたし達と同じ、完全体クラスの種族の力。スペックの面では侮れないだろうけど、ケルベロモンは見た目通り、空を飛べる種族では無い。いくらあたし達の攻撃をかき消すことが出来るとしても、あたし達を直接仕留めることは難しいはず)

       

      空を飛べぬ身で、されど空飛ぶ者たちに嚙みつかんと下手に跳び出しに来れば、そこにはただただ身動きの取れない無防備な犬畜生がいるだけだ。

      先の展開から考えても縁芽苦朗が庇おうと動くだろうが、それはそれで優位な状況に持ち込む余地となりえる。

      そもそもの話として牙絡雑賀が、他ならぬ苦朗の手で消耗させられていた事は彼等も目撃していた。

      より強い力に覚醒したからと言って、体力まで回復しているはずが無く。

      性能で劣る身であっても、優位性が崩れることは無い。

      とにかく空中から一方的に、それでいて複数の角度から攻撃を仕掛け続ければ、いずれ相手の方からボロを出す――そんな確信があった。

       

      「ダークネスウェーブ!!」

      「ジェノサイドアタック!!」

       

      だから、安定択を取って飛び道具を継続して放つ事にした彼等には、魔獣と化した牙絡雑賀の次の行動を予想することなど出来なかった。

      彼は火炎を吐き出す両腕の獣頭――のように見える機械染みた何か――を飛び道具の方へと向ける事すらせず、自らの足元に向かってそれを押し付けると、

       

      「行くぞ!!」

       

      掛け声と同時に、雑賀の足元が爆発し、彼の体がさながらロケットのような勢いを伴って勢いよく上方へカッ飛んだのだ。

      見れば、雑賀の両手の獣頭から火炎が吹き出ている――どうやら彼は、火炎放射機として扱える両手の獣頭をある種の推進機とする事で、体を飛ばしているらしい。

      本来の『ケルベロモン』という種族では考えられない、いや考えられたとしても到底無理のある方法。

      それを可能としたこと自体が、あるいは人間の体を軸とした別物である証明なのか。

      自らに向かって降り注ぐ凶器の雨、その外に出るように空へ飛び出した異形の魔獣は自らを浮かす獣頭の角度を僅かに変え、すぐさま方向転換――自らに攻撃を仕掛けたメガドラモンの電脳力者とレディーデビモンの電脳力者の方へ突撃しにかかる。

      後方へ火炎を噴出させながら飛来するその様は、ロケットというよりミサイルの類だ。

      どうやって仕掛けるつもりかどうかは知らないが、近付けさせて良い事は無い――そう判断した機竜が再びミサイルを両腕から多量に発射して魔獣を撃墜しようとするが、

       

      「――おおおおッ!!」

      「何ッ!?」

       

      直進の最中に魔獣は体をひねると、そのまま小規模に火炎を噴き出す事で反動を生じさせ、上下左右に軌道を変えていく。

      空中を飛ぶというよりは、跳ねているとでも言わんばかりの挙動でもって自らに向かい来るミサイルの雨を掻い潜り、その勢いのまま機竜の眼前へと迫り。

       

      そして、別の建造物の屋上に移動することで放たれた飛び道具を回避していた縁芽苦朗もまた、即座に別の角度から二体の電脳力者に肉薄しにかかる。

      その軌道を遮るようにして遠方よりフェレスモンの電脳力者がその手に携えたライフルから弾丸を何発か放ってくるが、弾丸が空を切った頃には既に魔王が墜天使との間合いを詰めている。

      回避は間に合わない――そう判断した墜天使は強く舌打ちし、

       

      「死に体の分際で!!」

       

      そうして二つの衝突が起きた。

      魔獣はさながらサッカーのオーバーヘッドキックでもするように機竜の顔面目掛けて右脚に備わった鉤爪を振り下ろし、機竜もまた両腕の鋼爪を交差させて鉤爪の一撃を真っ向から迎え撃つ。

       

      「――サーベラスイレイズ!!」

      「――アルティメットスライサー!!」

       

      グァギィン!! と。

      金属と金属が打ち合い、互いを抉り合う耳障りな音が響き渡る。

      片や両腕による、片や片足による一撃。

      翼を有している点から考えても、メガドラモンの電脳力者の優位は明白であるはずだった。

      だが拮抗する。

      姿勢を支えるものなど無いにも関わらず、魔獣の膂力は機竜の機械の腕力を抑え留め――直後に、双方共に弾き飛ばされる。

       

      「ガァッ……!!」

      「グルゥ……ッ!!」

       

      互いに一撃の威力に圧され、唸り声と共に向けられる眼差しはまさしく怪物のそれ。

      互いを敵だと断定しているからこそ遠慮は無く、言葉を交える瞬間があるとすればそれは無知を埋めるためのものか、そうでなければ大抵の場合、

       

      「ヘルファイアー!!」

      「ジェノサイドアタック!!」

       

      相手を倒すための、必殺技と言う名の言霊を吐き出す瞬間ぐらいだろう。

      互いの攻撃の威力に弾き飛ばされると同時、魔獣と機竜は共に自らの放てる飛び道具を打ち出していた。

      魔獣は左腕の獣口から業火を、機竜は鋼鉄の腕からミサイルを。

      撃ち出された業火とミサイルは真っ向からぶつかり合い、生じる爆発によって音と炎と黒煙とを撒き散らす。

      爆炎によって遮られた視界に敵の姿は見えなくなり、迂闊に突っ込むわけにもいかずに様子見を余儀なくされる――かと思えば、魔獣は両腕の獣口から炎を噴出させ、爆炎と黒煙の向こう側目掛けて突っ込んでいく。

      姿などロクに見えてはいないはずなのに、その視線は正確にメガドラモンの電脳力者の位置を捉えていた。

       

      (今なら解る。生き物のニオイだけじゃあない。悪意ってヤツのニオイがよく解る……!!)

       

      デジタルワールドの地獄を駆け回り、悪たるモノを逃がさないために発達した、番犬としての機能。

      目に見えずとも、耳に聞こえずとも、その種に刻まれた感覚でもって訴える形で。

      ケルベロモンと呼ばれたデジモンの力が、牙絡雑賀に敵の位置を知らせてくれているのだ。

       

      「おおおおおおおおおおッ!!」

      「!? チッ……!!」

       

      獣口より噴出される火炎によって加速した魔獣の両脚が、それに備わった爪が、黒煙の向こう側から様子を伺っていた機竜の化け物を再び襲う。

      まさか間髪入れずに攻め込んでくるとは考えていなかったのか、僅かに反応が遅れながらも機竜は翼を広げて後方へと飛びながら、両腕の鋼爪で防御体制を取る。

      ガガガガガガガガガガッ!! と、蹴りの形で突き出される魔獣の鉤爪が機竜の鋼爪に傷を付けていく。

      フィクション上の『設定』に曰く、ケルベロモンの四肢に生えている鉤爪は、最強の生体合金であるクロンデジゾイドでさえ純度の低いものであれば切断するに足る硬度を有しているという。

      実際にもその通りなのであれば、人間と混ざり合ったような在り方機竜の両腕の鋼爪を傷付けることぐらい、造作も無いだろう。

      だが、機竜もただただ攻め込まれるだけにはならない。

      連続した攻撃の速度に慣れてきたのか、ただ防ぐだけには留まらず、魔獣の鉤爪を所々で見切れるようになってきている。

      その適応力は人間としての才覚か、それともデジモンとしてのスペックに起因するものか。

      どうあれ、結果として――直後に反撃があった。

      連撃の隙間を突く形で、機竜の鋼爪が魔獣の胴体に向けて鋭く突き出されたのだ。

       

      「オラァ!!」

      「グウッ!?」

       

      情報の話において、あらゆる物質を切り裂くことが出来る、とされる爪。

      その一撃は確かに魔獣の全身を覆う黒き装甲を穿ち、苦悶の声と共に口から血を吐き出させた。

      激痛のショックで両腕の獣口から噴出されていた炎が途切れ、一撃の威力に圧される形で魔獣の体が後方へと吹き飛ばされる。

      強固な装甲に覆われているとはいえ、炎を用いた加速によって体重を乗せてしまった上で受けた一撃のダメージは決して少なくはなく、空中でバランスを崩した事も相まってその呼吸は乱れていく。

       

      そもそもの話、彼も彼で消耗を重ねている状態だった。

      今の姿に至る過程で|縁芽苦朗《ベルフェモン》から(必要最低限の範囲とはいえ)痛めつけられて体力を削がれ、現在は空飛ぶ敵に対抗するために必殺技に用いる火炎を推進機として常に放ち続けている。

      人間が運動の際にエネルギーを消費するように、デジモンもまた必殺技を用いる際に何かを消費している。

      本来、夏場のエアコンのように適当に使い放しにしてしまって良いものでは無いのだ。

      火炎を放射させるごとに、その威力と時間に応じて必然的に消費は発生する。

      対等の状態で追い詰めているように見えて、戦いの前提の時点で牙絡雑賀は追い詰められていた。

       

      (く……そっ……!!)

       

      どんどん、敵との距離が離れていく。

      たった一撃で自分のことを仕留めた――などと楽観してくれるほど甘い敵では無い。

      見れば、メガドラモンの電脳力者はレディーデビモンの電脳力者と交戦している縁芽苦朗の方へと視線を向けていた。

      あくまでも、この戦闘において重要なのは究極体のデジモンの力を振るっている彼の方なのだ。

      敵からすれば、雑賀のことなど放っておいて、魔王を集中攻撃して無力化させてしまいたいのだ――その目的からしても、最優先で。

      本来であれば究極体――それも最上位クラスのデジモンの力を操っている縁芽苦朗が、進化の段階で劣る完全体のデジモンの力で襲い掛かってきている刺客を相手に苦戦することなど無いはずだが、彼は詳しい経緯を知らない雑賀から見ても不調な様子だった。

      究極体のデジモンが、数で勝るとはいえ完全体のデジモンに苦戦してしまう状況――そんなものを見てしまうと、自分という人間が――此処に来ることで、どれだけ足を引っ張ってしまったのかを考えずにはいられない。

      今この時に至るまでに、彼がどれだけの負担を背負ってきたのかを想わずにはいられない。

       

      (負け、ねぇ……っ!!)

       

      解ってはいる。

      そもそもの話、縁芽苦朗がこの場にやって来たのは、嫉妬の魔王リヴァイアモンを宿すとされる司弩蒼矢のことを追って殺すためだった。

      それを止めようと動いた自分の選択が間違っていた、などとは思わない。

      でも、だけどだ。

      何も、命の危機に瀕することで足を止めてほしい、などと考えたことは無かった。

      かもしれない、に過ぎない可能性の話のためにあの入院患者を殺してしまうぐらいなら、いっそ死んでほしいだなんて思うわけも無い。

      求めるものはただ一つ。

      友達と馬鹿みたいに笑って明日を迎えられる、ありふれた日常だけだ。

       

      (この程度で……こんな、程度で、諦めちまうのなら……)

       

      両手の獣口が再び点火する。

      それまでより強く、咆哮のように、より激しく。

       

      (そもそもこんな世界に!! 首なんか突っ込まねえだろ牙絡雑賀!!)

      「お前の相手は――」

       

      魔獣はその身を敵対者である機竜の方に向かって飛翔させていく。

      決して逃がすまいと、決してその脅威を他に向けさせはしないと、告げるように。

       

      「この、俺だろうがああああああああああああああっ!!!!!」

       

      無論、魔獣の動きを機竜は爆炎の音と方向によって知覚していた。

      だからこそ即座に振り返り、動きを見切って迎撃をしようと考えた。

      だが、

       

      (――更に速くなりやがったッ!?)

       

      その速度は、それまで機竜が目撃したそれよりも更に上がっていて。

      振り向いた時には既に、魔獣の姿が眼前に迫って来ていて。

      咄嗟に凶器の鋼爪を振るったが、それが魔獣の体を捉えることは無く。

      隙を晒した機竜の下方から、右手の獣口を機竜の方へ、左手の獣口をその反対方向に向け――魔獣は再び火炎を放つ。

       

      「ヘル!! ファイアアアァァァーッ!!」

      「グ、オオオオオアアアアアッ!?」

       

      至近距離から解き放たれた地獄の火炎。

      それは機竜の電脳力者の体を瞬く間に焼き焦がし、意思に関係無く苦悶に染まった絶叫を響かせる。

      並大抵の生命でさえば肉体を炭化させて焼死、そうでなくともショック死は免れないほどの熱量。

      それを受けておいて原形を保ち、生命活動を維持している――その時点で異形の姿の根本たるメガドラモンというデジモンの頑丈さが見て取れるものだが、死なないからと言って苦痛の程度が抑えられているわけも無く。

       

      (こい、つ……コイツコイツコイツゥゥゥッ!!!!!)

       

      体以上に、その思考が一気に煮え上がっていた。

      予定には無いイレギュラー、結果的に魔王の枷となっていた端役。

      そんなモノが自分に牙を剥き、しつこく食い下がり、あまつさえ自分の力を上回る気でいる。

      そのような現実を許容出来るほど彼の沸点は低くは無く、精神は容易く激昂へと至り、

       

      (殺す……殺す殺す殺す絶対絶対ここでコロシテヤルッ!!!!!)

      「ガァァァアアアアアアアアアアアアア!!」

       

      野獣の咆哮という形で、その怒りは噴出した。

      自らの体が焼かれている事実など気にも留めず、機竜は魔獣に向かって突撃してくる――地獄の業火を真っ向から突っ切る形で。

       

      「ッ!?」

       

      炎の奔流から逃れようとするならまだ解るが、まさか炎の中からそのまま襲い来るとは予想出来なかったのだろう。

      自らの攻撃そのものが死角となってしまい、反応が遅れてしまった魔獣は機竜の鋼爪による一撃を側頭部へモロに受けてしまう。

      歯を食いしばって耐え、両腕の獣口からの炎の噴出が途絶えることだけは阻止するが、機竜の攻撃はそこで終わらなかった。

      その場で自らの体を縦に回転させ、炎の噴射によって空中に浮き続けている魔獣目掛けて長く太い尻尾を振り下ろしたのだ。

      咄嗟に避けることなど出来るわけもなく、鈍く重い音が響き、魔獣の体が地上の廃墟目掛けて勢いよく墜落する。

       

      「グゥッ……!!」

       

      どうにか両脚で屋上に着地することは出来たが、鋼爪と尻尾による攻撃のダメージからか苦悶の声を漏らす雑賀。

      痛がっている場合では無いと視線を機竜の方へと向けるが、そこで彼の表情に驚きの色が混じる。

       

      「■■■■■■!!」

       

      見れば、つい先ほど縁芽苦朗の方を狙おうとしていたはずの機竜は、明らかに雑賀の方に向かって来ていた――言語化不能の怒号を上げ、両腕の鋼爪から数多のミサイルを発射しながら。

      素早く別の建造物に向かって跳躍することでミサイルの雨を回避し、すぐに振り返って機竜の姿を目視した魔獣は、そこで驚くべきものを目の当たりにする。

       

      (――何だありゃ……)

       

      注目がこちらの方へ向けられる、というだけなら望む所であり、驚くことは無かった。

      それでも驚愕したのは、機竜の電脳力者の姿に明らかな『変化』が起きていたからだった。

      即ち、

       

      (……なんで、デカくなってやがるんだ……!?)

       

      心なしか、機竜の体が少し大きくなっていた。

      一般的な成人男性ほどの体格から、その五倍は越す巨体へと、その体積が増している。

      しかもよく見れば、頭から尻尾にかけて殆どの部位が大きくなっている一方で、メガドラモンという種族に本来存在していない両脚の方は大きくなっておらず、むしろ大きくなった尾の中に埋もれたかのようにその姿を消していた。

      まるで、最初からそのような形であったかのように。

      人間の面影、とでも呼ぶべきものを取り除いた代わりに、宿しているデジモンにより近しい姿へと変わっているその事実に、雑賀の背筋に嫌なものが奔る。

      その有り様に、一つ心当たりがあったのだ。

       

      (……あんなの、まるであの時の司弩蒼矢じゃねぇか……!!)

       

      そっくりだった。

      かつて夜中のウォーターパークで戦った、シードラモンと呼ばれるデジモンの特徴を有した異形へと変じていた、あの男の姿に。

      デジモンに近しい姿に変化した電脳力者の姿は、司弩蒼矢との戦いの後に乱入してきたオニスモンの電脳力者ことフレースヴェルグ、現在共闘しているベルフェモンの電脳力物である縁芽苦朗以外にも、裏路地の一件でチンピラの集団と交戦したことでそれなりに確認してきたが、総合的に見て一つの共通点が見受けられていた。

      宿しているデジモンが本来持たない部位であろうと、基本的には誰も彼も人間と同じ骨格の手足を有している点だ。

      デジモンという怪物の要素を含んでいようと、あくまでもその姿形は人型の域を出ないもので。

      唯一、司弩蒼矢だけは腰から下が完全に尾の形を取り、片腕も丸ごと蛇のようになっていたが、それはあくまでも彼が片腕と片足を失った人間としては不完全な状態であったからだと考えられていた。

      だが、目の前の敵の変化はその前提を崩すものだ。

       

      両腕が鋼で形作られた三本爪になっていようと、辛うじて人型という形を維持していたその姿は――もはや、人の一文字が入り込む余地がほとんど無い竜の姿へと、変じていた。

      ケルベロモンの電脳力者として魔獣と化している雑賀のことを見据えるその目には、人間らしい理性や知性の色を窺い知ることは出来ない。

      見て解るのはただ、怪物らしい凶暴な面構えと殺意と、その全身から漏れ出ている紫色の靄のような何かぐらいで……。

       

      (――ってオイ待て、何だアレは?)

       

      それ以上の疑問を挟む余地は無かった。

      正真正銘、暗黒竜とでも呼ぶべきカタチを成した電脳力者が、上方からその右腕を振りかぶりながら雑賀に迫る。

      巨大な体躯に至りながらも鈍重さを感じさせないその猛威に、真っ向から打ち合うべきではないと即座に判断した雑賀が咄嗟に建造物の屋上から飛び退いた直後。

       

      振り下ろされた機竜の右腕によって、一秒前に雑賀が立っていた建造物が真っ二つに割れて倒壊した。

       

       

       

       

      一方で、縁芽苦朗もまた苦戦を強いられていた。

      牙絡雑賀がメガドラモンの電脳力者に肉薄したのとほぼ同時、彼も彼でベルフェモンの力を宿した体の身体能力に任せて墜天使を撃破せんとしていた。

      が、見れば両腕を組んで防御の姿勢に移っていた墜天使の纏う黒衣が、墜天使と魔王の間で大盾の形を成しており、およそ架空の物語では語られる事さえないその変容が、魔王の重く鋭い一撃を受け止めていた。

      威力を殺しきれなかったのか、墜天使の体が大盾ごと後方へと押し出され、僅かに墜天使の口から苦悶の声が漏れたりしたが、その結果を見た魔王の表情は苦々しいものだった。

       

      (――確かに、言う通りかもしれんな)

       

      位にして上位に位置するとはいえ、所詮は完全体クラスのデジモンの力を引き出しているに過ぎない相手に、究極体――それも最高クラスのデジモンの身体能力を引き出しておきながら、その一撃を受け止めるという行為が成立している事実。

      それは紛れもなく彼という魔王の現状を表すものだ。

      今の彼は、咆哮一つで消し去れる程度の相手を一息に戦闘不能に出来ないほどに消耗している、と。

      考えられる理由は、先に墜天使から指摘された事実に加えてもう一つ。

       

      (ブワゾンの毒素が体内に残っている今、下手に力を使えば俺の体は内側から確実に蝕まれ死に近付いていく。ランプランツスもギフトオブダークネスもロクに使えないとなると、リヴァイアモンが覚醒した時、太刀打ちすることは難しくなるだろう)

       

      相手の宿すエネルギーが強ければ強いほど、相手を確実完全に内より滅殺する闇の猛毒。

      その影響は魔王の身を以ってしても容易に消し去れるものではなく、今もなお現在進行形で|縁芽苦朗《ベルフェモン》の体内を苛んでいた。

      戦闘中でも無ければ影響が残らないように毒素を中和することは出来る自信があるが、ただでさえ狙われている今そんな余裕があるわけも無い。

      猛毒の影響を強めないように、単純な身体能力で戦闘することぐらいしか今の彼に取れる安全策は無く、その肝心の身体能力も消耗に伴って衰えを見せている。

      その事実は、当然ながら墜天使も知覚していることだった。

       

      「フン……!! まだそれだけ動けるだなんてね。息をするだけでも辛いんじゃないかしら? マトモに戦うことも出来ないのなら、さっさと楽になればいいものを!!」

       

      だから彼女は言っているのだ、力を十分に行使出来ない今の|縁芽苦朗《ベルフェモン》は実質的に死に体当然であり、これ以上抵抗しても無駄に終わると。

      そもそも敵がこの墜天使と機竜と貴公子の三人だけとも限らない。

      ここぞという場面で援軍が仕掛けにくる可能性だって十分に考えられる――それだけの戦力が無ければ別働隊など構築出来るわけが無いのだから。

      が、

       

      「なめるな、生ゴミ」

       

      吐き棄てるような言葉の直後だった。

      肉球のついた魔王の右手の上に、まるで最初から存在していたかのように――何の拍子も無く浮かび上がるものがあった。

      薄く、あるいは厚く、幾つもの紙を金具で固定し束ねた、学生であれば誰でも持ちうるもの。

      すなわち、

       

      「なっ」

      「――リヴァイアモンの電脳力者と対峙するより前に、消費したくは無かったが」

       

      それは、一言で言えば『学習ノート』だった。

      小学生や中学生、高校生や更には社会人までにさえ利用されている、学んだことを書き記すための道具。

      縁芽苦朗という名の学生には関係があっても、ベルフェモンという名のデジモンには無縁の、まして戦いの場に持ち出すこと自体が論外の代物。

       

      「もはや温存の余地など無い事も、また事実。まったくもって最悪だ。ツケは払ってもらうぞ?」

       

      それを彼は、様々な命運の掛かったこの窮地に、さながら切り札を開示するかのような素振りで手の上に乗せたのだ。

      まるで、それこそが自らの――自らに宿すデジモンの本当の武器であると知らしめるように。

      見れば、知らぬ間に腰から足元までが赤錆色の袴のようなものに覆われていて、さながら古き世の侍、あるいは架空の存在でしかない魔法使いのそれを想起させる格好になっていた。

      女墜天使、そして遠方より狙撃の体勢を維持している貴公子の電脳力者の怪訝な視線など気にも留めず、在り様を変えた魔王は言霊を告げる。

       

      「――事象摘出《ダイアログ》、物象再現《ダウンロード》」

      「っ!?」

       

      言霊が紡がれたその直後だった。

      パラパラパラパラ、と風向きを無視してひとりでに開かれた『学習ノート』のページ、そこに描かれた記号の羅列が闇色の光を放ち、0と1の数字の羅列を浮かび上がらせる。

      それは瞬く間に色を宿し、形を伴った塊を成し――青い鞘に収められた同色の柄を有する二振りの刀となって実体を得て、縁芽苦朗の腰元に携えられる。

      おおよそ『ベルフェモン』という種族が携えていた情報など無い、未知のもの。

      だが、それよりも女墜天使の意識が向いたのは、たった今彼がとった行動そのものについての事。

       

      (本を媒体とした、情報の実体化……それに今の単語。まさか……!!)

      「……あなた、その能力は!!」

      「…………」

      (……この反応、力を得てそう長くは経っていないようだな。電脳力者の力の本質も理解していないその上で、このレベルの戦闘能力となると……)

       

      返答は無かった。

      魔王はあくまでも、冷徹に女墜天使の反応から素性を分析しており。

      そして女墜天使の方もまた、未知の能力に危機感でも覚えたのか――僅かな時間、様子見を余儀なくされて。

      ほんの僅かな油断と隙が命取りとなる、その認識がより強固なものになる。

      故にこそ、先に仕掛ける側がどちらなのかは、決まりきっていた。

       

      右腰に携えた刀の柄を左手で持ち、左腰に備えた刀の柄を右手で持ち、獲物を見据えて――魔王が沈黙を破る。

       

      「ツバメ――」

      「っ!?」

      「――二枚返し」

       

      直感に任せて女墜天使が体を後方へと動かし、黒衣の大盾を形作った直後に。

      刀を握った手に力が込められ、凶器は振るわれる。

      刀剣の軌道は見えず、速度は到底女墜天使に反応出来るものでは無かった。

      ただ結果として、その左肩と胸元に浅い切り口が生じる。

      咄嗟に回避しようと動いていなければ、左腕か首のどちらかは両断されていたであろう事は想像に難くなかった。

      そして、先に仕掛けた側としての優位をそこで途絶えさせるほど縁芽苦朗は優しくない。

      自らの攻撃が命に至らなかったことを認識すると、再び二本の刀を手に攻め立てに掛かる。

       

      「――ィッ、この……っ!!」

       

      女墜天使は刀による連続攻撃を、黒衣を変化させて形作った武具などによって受け止めながら、自らの予測に確信を得る。

      実のところ、刀自体の鋭さ自体は大したものでは無く、女墜天使の黒衣で十分受け止められる程度のものでしか無かった。

      女墜天使から見て、おそらく『勉強ノート』に記載された情報を媒体として実体化した二振りの刀、その原型となっているものは成熟期の鳥人型デジモンである『ブライモン』が持っているものだ。

      だからその殺傷能力も、完全体デジモンであるレディーデビモンの扱う黒衣と比べて劣る程度にしかなく、だからこそベルフェモンとしての力を振るっているはずの縁芽苦朗の攻撃を『受け止める』という選択が成立している。

       

      事実だけを見て考えれば、魔王の方が手加減しているようにも見えたかもしれない。

      だが、実際の話としてそれは有効な手加減だった。

      何しろ、今の縁芽苦朗の体は女墜天使の放った猛毒の影響で、強い力を行使すればするほど命を内より蝕まれるようになっているのだから。

      行使する力が弱ければ弱いほど、猛毒の効力は強くなれない。

      そしてそもそも、女墜天使の予想が正しければ、この行為に伴ったエネルギーの消費は殆ど存在しないのかもしれない。

      これは現在の努力の成果ではなく、過去の努力の結果そのもの。

      ただ単に、今より前の時間に存在していたものをタイムカプセルのように保存し、現在に取り出して利用しているだけなのだから。

      次々と『学習ノート』のページはめくられる。

      物象ではなく、今度は現象が摘出される。

       

      「事象摘出《ダイアログ》、現象再現《アップロード》――シャドーウィング」

      「っあ、ぐあああっ!!」

       

      至近距離から、まるで銃口でも向けるように。

      女墜天使の方に向けて開かれた『勉強ノート』のページから、見えざる力が解き放たれる。

      恐るべき速度を宿したそれは女墜天使の体に命中すると同時に破裂、各部を切り刻みながらその体を強く吹き飛ばしていく。

      シャドーウィング――それは『ガルダモン』と呼ばれる完全体鳥人型デジモンが有する必殺技の名だった。

      超速で真空の刃を放つ事で敵を切り刻み、時に空気との摩擦熱によって炎の鳥と化すともされる技。

      全く異なるデジモンの武器だけではなく、必殺技まで再現しているというその事実が女墜天使に確信を与える。

      つまる所、

       

      (コイツ、確実に『ワイズモン』の力も同時に使っている……!!)

       

      インターネット上に記載されているデジモンの『図鑑』に曰く。

      『本』を通じてあらゆる時間と空間に出現し、『本』が繋がる時空間のどこにでも姿形を変えて出没するため、本体は別次元に存在するのではないかと言われている摩訶不思議なデジモン。

      両手に『時空石』と呼ばれるアイテムを持ち、その機能によってデジタルワールドのあらゆる事象や物象を時空間に保存しており、それによって時空間に保存していた敵の放った攻撃さえも手中に収めるとされる――らしい存在。

      縁芽苦朗は、魔王ベルフェモンの力だけではなく間違い無くその種族――ワイズモンの力を行使している。

       

      通常、デジモンは進化に伴って進化する以前に有していた能力や特徴を削ぎ落とす構造となっており、故にこそデジモンの力を行使して戦う|電脳力者《デューマン》もまた、成っている種族の力以外は行使出来ないのが自然であるはずなのに。

      女墜天使はその疑問に対して正しい解を得ることが出来ない。

      縁芽苦朗もまた、わざわざ戦闘中に敵対者に知恵を施すような愚行を犯しはしないだろう。

      だから女墜天使はこう考えるしか無い。

      徹底的に痛めつけて、魔王を宿す者としては死に体となるほどのダメージを与えておきながら、それでも――追い詰められているのは自分達の方であると。

      認めるしか無いその現実に、女墜天使の苛立ちが膨らんでいく。

       

      (ふざけんな……ふざけんな……っ!!)

       

      あと一息で仕留められる所まで追い詰めたはずだった。

      予定外のイレギュラーの存在もあったとはいえ、追う側であった時は間違い無く優勢だった。

      どれだけ平静を装っていても、強者殺しの猛毒たる『ブワゾン』を傷口越しに注ぎ込まれた以上、縁芽苦朗の体はとっくに致命的に損壊しているはずで、こうして戦闘行為を継続出来ていること自体がおかしい事であるはずなのに。

      究極体のデジモンの力など、満足に使えなくなっていて当たり前なのに。

       

      女墜天使が苦し紛れに放つ暗黒の力の奔流も、遠方より貴公子の電脳力者が様々な角度から放っている呪いの銃弾も。

      それぞれ避けられるか、あるいは二本の刀や『勉強ノート』から解き放たれる現象によってその身に届く前に処理されてしまう。

      攻め手があと一つあれば防戦を強要させることも出来たかもしれないが、機竜メガドラモンの電脳力者は魔獣ケルベロモンの電脳力者の相手に手一杯で加勢には移れそうになかった。

      それどころか、見れば機竜の電脳力者は魔獣の電脳力者が放った火炎によってその身を燃やされてしまっていた。

      それだけでやられてしまうほどヤワな怪物では無いはずだが、仮に機竜が戦えなくなった場合、確実に魔獣の電脳力者は自分か貴公子の電脳力者を襲うであろうことは、女墜天使にも容易に考えられた。

       

      (何で殺せてないのよ……何で殺されそうになってんのよ……)

       

      隠し玉の存在など関係無く。

      自らの思い通りにいかない要因の全てを、女墜天使の理性が理不尽だと憤る。

      あまりにも身勝手な、それを悪いとさえ思わない我欲が。

      何もかもがうまくいかない、そんな現実を許せない。

      だから、

       

      「いいからさっさと……私達に殺させなさいよッッッ!!!!!」

      「!!」

       

      ヒステリックな絶叫と共に、女墜天使の体から――毒々しい、紫色の靄のような何かが生じたことも、あるいは必然だったのかもしれない。

      縁芽苦朗は僅かに目を見開くと、突如として女墜天使から繰り出された『何か』を後方に飛び退く事で回避する。

      そう――究極体デジモンの力を振るっている彼でさえ、直感的に回避の必要性を感じられるほどの攻撃を女墜天使は放っていた。

      間合いを取った直後に、貴公子が抜け目無く背後から放ってきた呪いの銃弾を刀の一振りで捌いてから、苦朗は改めて女墜天使の姿を見据える。

      そして、彼もまた『敵』の明確な変容を見た。

       

      (……レディーデビモンに、あんな武装あったか……?)

       

      それまでの女墜天使は、インターネットにも掲載されている『レディーデビモン』という種族と大して変わりの無い在り方をしていた。

      強力無比な闇の力を帯び、時には左腕と共に槍にすら形を変える黒き衣に身を包み、コウモリに似た暗黒の飛翔物を無数に放って歯向かう者を焼き尽くす暗黒の墜天使――という『設定』通りの容姿と力。

       

      それがどうだ。

      背中から生えている黒い翼はマントのような優雅さを得て、身に纏う黒き衣はより動きやすくなるよう戦闘に特化した造形となり、頭上では小さな腕を生やした使い魔とでも呼ぶべき存在が邪悪な笑みを浮かべている。

      確かに『レディーデビモン』という種族が身に纏う黒き衣には意思が宿っているかのように『顔』が浮かんでいる部分が存在していたが、ここまでの存在感は無かった。

       

      そして、元々右腕から胴体までに飾りとして巻きついていたチェーンは、その長さを伸ばして武器としての役を得て。

      時に槍と化す左腕の鋭い爪は乖離し、身の丈ほどはあろう規模の巨大な爪の武装として女墜天使の左腕に寄り添う形で浮いていて。

      極め付けに、その頭に被さった悪魔染みた造形の黒い頭巾に刻まれていたのは、

       

      (……「X」の一文字……。しかもこの、異常なまでの闇の力の発露……そういう事か)

       

      デジタルモンスターという存在を、それに纏わる大きな事象の一つを知覚していれば。

      それがどれだけ重要な事実を示すものか、あるいは気付ける者もいただろう。

      そして、縁芽苦朗は気付ける側の存在であり、彼からすればそれだけの事実さえあれば確信を得るのに十分すぎた。

      その頭脳は瞬時に女墜天使に宿っているモノの正体を看破する。

       

      「――貴様等、バルバモンの電脳力者から闇の力を与えられていたんだな」

       

      考えてみれば、だ。

      牙絡雑賀に対して縁芽苦朗が力を注ぎ込む事で、結果として新たな力を目覚めさせたように。

      同じような事を、同等の力を持つ魔王を宿す者が行えない道理など無かったのだ。

      その気になれば、必要となる事情が絡めば、自分自身が出向くこと無く目的を果たせる確立を上げられるのであれば、むしろその選択こそ当たり前だと言える。

       

      バルバモン――『強欲』の大罪を司る、七大魔王が一体。

      インターネットに記載された、基本的に大袈裟に描かれがちな『図鑑』に曰く、それは世界一つを構成するに足るほどの力を自在に操ることが出来るほどの力を持っているらしいのだから。

      どの程度の力を与えたのかは知らないが、こうして戦ってみれば嫌でも解ることがある。

       

      (……確かに、これだけの力を発揮させられるともなれば、足止めとしては十分だろう。俺が死に体であることを加味すれば、尚の事だ……)

       

      縁芽苦朗の知る限り、闇の力は怒りや悲しみといった負の感情の発露に伴って増大するものだ。

      急に女墜天使が新たな力を発揮しだした理由も、大方思い通りに事が進まないことに対する憤りなどであることは容易に想像がついた。

      どう考えても幼稚な、自らの研鑽不足や倫理観など微塵も勘定に入れていない『子供の理屈』に過ぎないが、それだけでここまで容易く強い力を発揮してしまうのだから闇の力というものは本当にタチが悪い。

      こんな邪悪な力を持った者が増えていったら、どれだけの実害が現実にもたらされるか――縁芽苦朗は考えたくもなかった。

      そして、その嫌な想像を現実のものにするが如きタイミングで、もう一つの『変化』が生じていた。

       

      ――■■■■■■!!

       

      「――――」

       

      ふと、人間らしからぬ声が耳を突き、横目で声の聞こえた方を見てみると、先ほどまで『メガドラモン』という種族の特徴を有しながらも人間に近しい体躯で戦っていたはずの電脳力者が、女墜天使と同じく紫色の靄のようなものを噴出させながら――辛うじて人型と呼べていた姿形を捨て去っているのが見えた。

      その目に宿った色を見ても、理性が保っているようには到底見えない。

      まさしく『図鑑』が語る通りの暗黒竜がそこにいた。

      恐らくあの在り様も、バルバモンの電脳力者から与えてもらった闇の力の影響だろうが、

       

      (……あそこまでデジモンに近い形に、自らを変えることが出来ている、だと……!?)

       

      それにしたって人間をやめ過ぎている、と。

      縁芽苦朗もまた、牙絡雑賀と同じ疑問を抱いていた。

      電脳力者に関係する事柄に長らく関わってきた彼からしても、あれほどの変容は今まで見た事が無かったのだ。

       

      なんとなく。

      リヴァイアモンの電脳力者をどうするか、なんて場合では無い、それ以上に見落としてはならない重大な何かが起きているような、そんな悪寒があった。

      が、そんな事はどうでもいいとでも言わんばかりに、女墜天使はこんな言葉を漏らす。

       

      「――あァ、五月蝿いわね……どいつもこいつも本当にイラつくわ……!!」

       

      その言葉に含まれる感情は、まさしく憎悪一色。

      魔王だろうが何だろうが、自分の思い通りにならないものを消し去りたいという、残虐性の表れ。

      とにかくまずはこの場を処理しなければならない――と、そこまで考えた所で、苦朗は自らの体が思うように動かしづらくなっている事に気付いた。

      呪いの銃弾を受けて、体が石化しかかっているというわけでは無い。

      動かせはするが、全身にギブスでも取り付けたように動きそのものを抑制されている感覚があったのだ。

      目下、最も原因と推測出来るものは一つ。

       

      (あの使い魔の能力か……)

       

      石化の呪いに加えて、金縛りの呪い。

      動きを制限させ、確実に仕留める布陣もここまで徹底されるといっそ関心するが、猛毒に犯されている身としてはやはり笑えない。

      片方だけならまだしも、二つの呪いを同時に受けてしまえば致命的な隙を晒すことになるだろう、と魔王は自らの能力を過信せず判断する。

      動きが鈍くなったその間を逃さずに、変容した女墜天使がその左腕を一度苦朗に向けて突き出すと、巨大な爪の武装は女墜天使の傍を離れ魔王目掛けて突っ込んでくる。

      どうやら爪の武装は女墜天使の左腕の動きと連動しているらしく、女墜天使が左腕を乱雑に動かすと、爪の武装もまた乱雑な軌道でもって苦朗の体を切り裂きにかかってきていた。

      どうにか二刀で捌きこそ出来ているが、流石に成熟期デジモンの武器で何の対策も無しに完全体デジモンの武装と打ち合うのは無理があるらしく、刀は少しずつ欠け始めていた。

       

      「――死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ、死ねェッ!!!!!」

      (……チッ、マトモに相手してもらちが明かないな……)

       

      前方の狂爪、後方の魔弾。

      魔王としての能力を存分に発揮出来る状態ならまだしも、発揮するわけにはいかない状況ともなれば捌き続けるだけでも精一杯となる。

      その上、敵はこの二体だけではない。

      衝動のままに兵器を放ちまくっている機竜の電脳力者もまた、苦朗からすれば無視するわけにはいかない存在だ。

      もし、体躯の巨大化に伴って放たれるミサイルの破壊力も上がっているのならば、ただの一発でも都市の方へ撃ち込まれてしまったら最後、民間人にいったいどれだけの被害が出るか。

      対峙している牙絡雑賀の方もそれは理解しているらしく、ミサイルを放つ鋼腕が廃墟から都市圏の方へ向けられないよう人気の無い方角に動き続けることで狙いを絞らせているようだが、状況が好転する兆しも無い。

      仮にリヴァイアモンの電脳力者の件が無かったとしても、これ以上戦いに時間をかけるわけにはいかなかった。

       

      (ならば)

      「フンッ!!」

       

      狂爪と打ち合う二刀を、それを収める二つの鞘を咄嗟に投げ放つと同時、六枚の翼を動かし地上に向けて頭から急降下していく。

       

      「うざいッ!!」

       

      無論、女墜天使は狂乱しながらも反応し、投げ放たれた二本の刀と鞘を爪の武装によって切り裂き飛沫と化していく。

      怠惰の魔王の腕力という支えさえ無ければ、所詮は成熟期の武器ということだろうー―完全体のデジモンの必殺の一撃で簡単に消し去れる程度の強度しか無い。

      より増した殺意のままに女墜天使が追撃に動き、対照的に『フェレスモン』の電脳力者はあくまでも冷静に呪いの魔弾の狙いを補正していく。

      そして地上――の廃墟の屋上の一つに向かって急降下した苦朗は、

       

      「雑賀!!」

      「!!」

       

      メガドラモンの電脳力者の殺意を一身に引き受けていた魔獣に向けて、声を放った。

      それだけで意図は伝わったらしい。

      魔獣は自らを追い立てて来る機竜ではなく、苦朗を追い詰めようとする墜天使に対してその視線を向けて。

      魔王は、翼を僅かに動かす事で降下の軌道を魔獣を追い立てる機竜に重なるように補正して。

      そして、

       

      「事象摘出《ダイアログ》、現象再現《アップロード》――」

      「――ヘルファイアー!!」

      「――ヴォルケーノストライクS!!」

       

      二つの獣口から、魔王に追従する『学習ノート』から、二人の視線の先にある『敵』に向けて色こと異なれど膨大な熱を含んだ火炎が解き放たれる。

       

      「――チィッ!!」

      「――っ!!」

       

      女墜天使は爪の武装でもって炎を両断し、貴公子は体をひねって回避をすることが出来たが、機竜は回避などせずに真正面から火炎弾に直撃する。

      当然のように悲鳴が上がるが、竜の肉体に目立った損傷は無い。

      炎そのものが、紫色の靄のようなもの――バルバモンが分け与えた『力』に相殺されているように苦朗には見えた。

       

      「――グルルルルルルルッ!!」

      (……やれやれ、憎悪一つでここまで力が跳ね上がるとはな……)

       

      空中で軽く体を回し、縁芽苦朗は廃墟の上に両脚をつけて着地をする。

      ちょうど、女墜天使と貴公子を再び牽制した牙絡雑賀と背中合わせとなる位置だった。

       

      彼等はそれぞれ理解している。

      それまで相対していた敵と戦い続けるだけでは、この状況を打開出来ないと。

      殺意のまま、考え無しとさえ呼べる早さで襲いかかってくる敵を前に、作戦会議などやっていられる暇は無い。

       

      そして必要も無い。

      理解が前提にある以上、言葉など一つで事足りる。

       

      「やれるか」

      「そっちこそ」

       

      それだけで十分だった。

      怠惰の魔王の電脳力者はその標的を『メガドラモン』へと変更し、魔獣の電脳力者もまた標的を女墜天使と貴公子の方へと変える。

      敵にとってもまた、攻撃を受けたことが切っ掛けにはなったのだろう。

      殆ど憎悪に身を任せている女墜天使はその標的を魔獣砲へと変え、同じような状態にある『メガドラモン』の電脳力者の矛先もまた、簡単に魔獣から魔王の方へと切り替わっていた。

      目の前の存在が魔王の力を内包していることなど些事だと言わんばかりに鋼爪を向け、咆哮と共にミサイルを連射してくるのを見て、縁芽苦朗は右手の上に新たに二冊目の『学習ノート』を出現させる。

      その意思に添うように勝手にページがめくられ、幾多の文字が浮かび上がり、超常が顔を出す。

       

      「事象摘出《ダイアログ》、現象再現《アップロード》――サンダークラウド」

       

      成熟期魔人型デジモン『ウィザーモン』の操る魔法の雷撃が、魔王の前方で網のように広がりを見せる。

      機竜の放った数多の有機生体ミサイルは雷撃の網に絡め獲られ、感電し爆発し炎と煙を撒き散らす。

       

      「■■■■■■■■ッ!!」

      (――やれやれ、こっちもこっちで最早闘牛の類だな)

       

      その結果を見ても安心など出来るわけが無く、間髪入れずに爆煙を突き抜けて機竜が力任せに鋼爪を振り下ろしてくる。

      当然のように、苦朗は怯まなかった。

      瞬間的に機竜の懐に向かって跳躍し、逆に機竜の胴部目掛けて右の肘を打ち据える。

      グォリィッ!! と肉が骨を打つ音が高く響くと同時、機竜の肉体が後方へと圧され仰け反る。

      流石に究極体デジモンの身体能力に基づいた一撃は女墜天使同様に効いているらしく、機竜の喉の奥から血を含んだ吐瀉物が反射的に吐き出されるが、ダメージはそれだけだ。

      むしろ、闇の力の象徴と思わしき体を覆う紫色の靄がその規模を増しているようにさえ見える。

      この調子だと一撃受ける度に――最悪、一撃避ける度にも――機竜の怒りは増し、それに伴ってバルバモンの電脳力者から与えられた闇の力が増大し、余計にしぶとくなっていくことだろう。

      一撃必殺を求めるのならば、やはり『ワイズモン』の力で攻撃するのではなく、魔王『ベルフェモン』としての力を本格的に用いる他に無いが、それは今となっては自分自身が戦闘不能となる可能性も視野に入れなければならない選択肢。

       

      「……ぐぅっ……」

      (……あの女の格好が変化してから、体の痛みがどんどん増している。バルバモンの闇の力に『ブワゾン』の毒が、あるいは同じく魔王として在る俺自身が、共鳴してしまっているのか? 今のままだと、必殺技は一回使うのが限度と見ておくべきか……)

       

      自らの状況を知覚し、分析し、そうして苦朗は一つの回答を得る。

       

      (……チャンスは、作れて一度……)

       

      そして。

       

      「があああああああああああっ!!」

      「はあああああああああああっ!!」

       

      魔獣と女墜天使の攻防は、初撃から熾烈を極めていた。

      両腕の獣口からの炎の噴射によってひたすらに女墜天使に肉薄する魔獣は、その両脚から生えた鉤爪を半ばがむしゃらに振るい、女墜天使もまたその左腕から生じている巨大な爪の武装を振るう事で鉤爪による連撃に対抗する。

      息つく暇など互いに無く、そもそも与える気も無い。

      女墜天使は、眼前の魔獣を殺したい気持ちで頭の中がいっぱいになっていて。

      魔獣は、縁芽苦朗が自分に目の前の敵を任せたその意味に、思わず背中を押されていたから。

       

      今になって、いくら『怠惰』の大罪を宿す魔王の力を使っているとはいえ、縁芽苦朗が面倒臭さを理由に戦う相手を変えるなどと牙絡雑賀は考えない。

      必ず理由は存在し、こうする事が打開に繋がると思ったからこそ彼は相手を変えた。

      それが解るからこそ、魔獣は攻撃を止めない。

      女墜天使を倒す、その一心で力を尽くそうとする。

      だが、

       

      「邪魔よおッ!!」

      「ぐ、おらぁっ!!」

       

      おそらくはバルバモンから与えられた力の影響。

      そして、魔獣自身の体力の限界が近付いているその弊害だろう。

      魔獣が振るう両脚の爪の威力よりも、憎悪に身を任せた女墜天使の左腕の先にある武装の威力の方が、上回っている。

      故に、魔獣の体は女墜天使の凶爪によって弾かれ、間合いが開く。

      間合いが開いたという事は、用いるべき手も互いに変わるということ。

      間髪入れずに女墜天使は魔獣目掛けて無数の暗黒の飛翔物を飛ばし、魔獣はバランスを崩しながらも両手のの獣口から火炎を放ち対抗しようとする。

       

      「――っ!?」

       

      と、直後に魔獣の背筋を悪寒が奔り、魔獣は左手の獣口を無造作に振るった。

      すると何かが獣口の装甲に弾かれる固い音が響き、見れば魔獣が左手を振るった方向には『フェレスモン』の電脳力者がライフル銃の銃口を向けてきていた。

      どうやら弱い方を先に潰せばいいとでも考えたのか、ここにきて縁芽苦朗ではなく雑賀に向けて呪いの銃弾を放ってきたらしい。

      装甲に覆われた部位で弾けていなければ、下手をすると石化の呪いに体を蝕まれていたかもしれない――が、対抗の対価として元々空中で体勢を崩されていた魔獣の体勢は更に崩れることになり、女墜天使の方へ狙いを定めていた獣口がその向きを変える。

      結果、放たれた緑色の火炎は女墜天使どころか暗黒の飛翔物にさえ当たることなく、見当違いの空間を過ぎ去るに終わる。

      そして、蝙蝠の群れが如き暗黒の飛翔物が魔獣の体に喰らいついてきた。

       

      「ぐがああああああああああっ!!」

       

      想像を絶するほどの痛みがあった。

      体を覆う硬質な生体外殻越しでさえ覚える灼熱、骨肉を焼き焦がす暗黒の熱量。

      それは『バルバモン』の力を付与されている事も相まってか、地獄の番犬たる『ケルベロモン』の力を身に宿してなお、牙絡雑賀を絶叫させるに足るだけの害悪を含んでいた。

       

      「ぐ……くそっ……!!」

       

      意識が煮え、視界が揺れる。

      推力となる炎を絶やさず、歯を食いしばって耐える魔獣だったが、当然敵は待ったりしなかった。

      女墜天使はその大きな爪を振りかぶりながら魔獣に迫り、貴公子もまた女墜天使とは違う方向から魔獣に接近して銃の狙いを定めていく。

       

      「死ぃねえええええええええええええッ!!!!!」

      「!!」

       

      先と同じ攻撃内容、元よりどちらか片方しか捌けなかった状況。

      どちらの攻撃も受けるわけにはいかないと解っていても、敵の位置を両腕の獣口から声なき声で伝達されていても、元より空中で自由の利かない魔獣の身一つでは二体の怪物に対応しきれるわけが無い。

      だから。

       

       

      「■■■■■■■■ッ!!」

      「――ふっ!!」

       

       

      打開の一手は、その共闘相手こそが握っていた。

      彼が行った行動は、言葉にしてみればシンプルなものだった。

      機竜『メガドラモン』そのものと言っても差し支えの無い姿となった電脳力者、その鋼の両腕から発射された巨大な有機体系ミサイルを、

       

      「――受け、取れぇ!!!!!」

       

      右の手と鎖で掴み取り、そのままブン投げたのだ。

      今まさに、死角から魔獣を呪いの弾丸で石化させようとしていた『フェレスモン』の電脳力者に向かって。

      僅かな力加減を誤れば、いやそうでなくとも掴み取ったその時点で起爆していて当たり前の兵器を、まるでキャッチボールでもするかのように。

       

      「なっ――」

       

      正確な投擲だった。

      同時に、誰も予想だにしなかった手段だった。

      貴公子が苦朗の叫びを聞き取り振り向いたその時には、既にミサイルは彼の目の前にあって。

       

      「――ぐっ、おおおおおおおおおおおおおおおお!?」

       

      気付いた時には遅すぎた。

      投げ放たれたミサイルは貴公子の背中に命中し、起爆――貴公子の体を遠くへと吹っ飛ばしていく。

      無論、他の二体と同じく『バルバモン』の電脳力者から力を付与されている可能性が高い以上、これだけで死に至ることは無いだろうことはミサイルを投げ放った縁芽苦朗自身も察しがついていた。

      故にそれは、敵を仕留めるための行動ではなく、

       

      「――受け、取ったあっ!!」

       

      絶対絶命の状況に陥られていた魔獣に、反撃の機会を与えるための行動に他ならない。

      魔獣は両腕の獣口から炎を噴出させ、咆哮と共に魔王の言葉に応じる。

      どの方向に向かって避けるべきか、などいちいち考えない。

      女墜天使の有する巨大な爪の武装、その脅威から逃れ次の手を考える――などと回り道をするつもりはもう無い。

      直感しているのだ。

      これが、魔王に与えてもらったこの状況こそが、今の自分にとっての最後の勝機であると。

      今この瞬間!! 勝つために取るべき行動は一つしか無いと!!

       

      「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

      「ッ!!」

       

      即ち、直進。

      自らに向かって突っ込んで来る女墜天使に対し、同じく真正面から仕掛けるという一手。

      恐らく、女墜天使が予想だにしていなかった選択肢。

      事実、真正面から突っ込んできた魔獣に対し、女墜天使は戸惑いを覚えてしまった。

      振りかぶった爪の武装、それを振るう絶好のタイミングを僅かに遅らせてしまった。

      そして、その僅かな誤差こそが結果を変える。

      炎の噴射によってロケットのように加速した魔獣は、直後に炎の噴射を止め、慣性に身を任せたまま両腕の獣口を前方に構える。

      剥き出しの牙、開きっぱなしの顎。

      人間の頭蓋など容易く丸呑みに出来る規模はあろう二つの獣口は、魔獣が女墜天使に肉薄すると同時――振り下ろさんとした爪の武装と女墜天使自身の胴部にそれぞれ喰らいつく。

       

      「ぎっ、アアアアアアアアアアアアア!?」

       

      絶叫。

      文字通り獣の大顎に喰らい付かれている状態となった爪の武装は微弱にしか動かず、牙を胴部に食い込まされた女墜天使自身はその咬合力と激痛に耐え切れないと言わんばかりに悲鳴を響かせた。

      半ば圧し掛かる形になったことで魔獣の体重が加わり、浮力を維持出来なくなった女墜天使の体が落下をはじめる。

      やった、と内心に呟きがあった。

      この状況から巻き返されることは無い、最悪このまま地面に激突させてしまえば確実に戦闘不能に出来る、と。

      だが、甘かった。

      彼が喰らいついた怪物は、この程度で戦う力を損なう存在では無かった。

       

      「舐めるんじゃ……ないわよォッ!!」

      「な――っ!?」

       

      獣口に胴体を喰らいつかれ、もうマトモに身動きも取れないはずの女墜天使の口から、怒号が響いた直後のことだった。

      女墜天使の右腕から伸びていた真っ黒な鎖が、突如として魔獣の胴体に巻きつき――そのまま体の中へ沈み込んだのだ。

      直後に、

       

      「――グレイエム!!」

      「ガア……ッ!?」

       

      激痛。

      体を構成する数多の細胞が爆発でも起こしたかのような、臓器や血管を串刺しにでもされているかのような、圧倒的な痛みの奔流が脳髄を駆け上がる。

      牙絡雑賀の知る『レディーデビモン』というデジモンには、およそ存在した覚えの無い攻撃手段だった。

      喉の奥から多量の血が吹き出る。

      頭の上に見える使い魔の力なのか、体を動かすための力が損なわれているのが嫌でも解る。

      消耗が許容量を超え、思考がまとまらず、意識が明滅していく。

      そんな中――至近距離で吐き捨てるような怒号が聞こえた。

       

      「――死ね!! さっさと死になさい!! 目障りなのよッ!!」

      「――っ――」

      「リヴァイアモンの力は私達が手に入れる。アンタ達はその邪魔をした。だから死んで当たり前なのよ、地獄に墜ちて当然なのよ!! だからさっさと墜ちやがれッ!!」

       

      言葉が紡がれる度に痛みが増した。

      体の中で破壊が巻き起こっているのが解る。

      同時に、魔獣の中に沸き立つものが生じていく。

       

      (――そうだ。こいつ等は敵だ。司弩蒼矢の力を狙って、そのために邪魔者である苦朗や俺を殺すつもりで、こうして殺すためにデジモンの力を使っている――)

       

      もしかしたら、無意識の内に躊躇してしまっていたのかもしれない。

      どんなに言い訳をしたところで、目の前の存在が元は自分と同じ人間である事に変わりはないから。

      怪物の力で強くなっているからある程度は大丈夫などと自らに言い聞かせる事で、戦いに対する迷いを打ち消そうとしていただけで。

      超えてはならない一線というものがある意識は、常にあった。

      それが自分自身に対する甘えである事を、今更のように思い知る。

       

      (――放っておいたら、こいつ等は勇輝を攫った奴等と同じように好き放題する。色んな奴を、暴力で苦しませる――)

       

      夜中の病院の中で、縁芽苦朗からも伝えられていた事だ。

      ただの人間では、デジモンの力を我が物とする電脳力者に抗う事なんて出来ない。

      人間であろうとする限り、怪物の理不尽から何かを守ることなど出来ない。

       

      (――大切な当たり前を、壊す――)

       

      であれば。

      どうするべきか。

      そんな事はもう明らかだった。

       

      (――なら――)

      「――そんなに地獄が好きだというなら、お前達だけで、勝手に行ってろッ!!」

      「ふざけ――グアッ!?」

       

      体中を駆け巡る痛みを無視し、女墜天使の胴体に喰らいつく左の獣口に力を込める。

      肋骨が軋みを上げ、骨肉の悲鳴が魔獣の耳に届くが、こんなものはあくまでも前準備に過ぎない。

      喰らう、だけで留める気などもう無い。

      この怪物は、この墜天使は、この害悪は、今ここで確実に――仕留めるべきだと、魔獣は決断した。

      胴体に噛み付く左の獣口、その口内に緑色の炎が瞬く間に蓄積される。

      その熱に、女墜天使は今更のように恐怖という感情を思い出したが、

       

      「や、やめ――!!」

       

      一度下された決断は、もはや覆りようも無く。

      地獄の番犬と称された怪物は、その種に刻まれた必殺の言霊を解き放った。

       

       

       

      「――インフェルノディバイド!!」

       

       

       

      言霊と共に魔獣が放った攻撃は、実にシンプルなものだった。

      胴体に噛み付かせた左の獣口から、そのまま地獄の業火を弾の形で解き放ったのだ。

      それも――何発も何発も、さながら機関銃の連射の如く。

      炎弾が一発一発放たれるごとに、女墜天使の体が緑色に燃え上がっていく。

      まるで、その存在の全てを喰らいつくさんとでも言うように。

      叫びも怒りも抵抗も何もかも――その全ては爆炎と牙によって無為と化す。

      黒き衣も死人のような白い肌もそれ以外も何もかも、ぱらぱらとしたものへと変じていって。

      そして、

       

      「ガアアアアアアアアアアアアアーッ!!!!!」

       

      魔獣が咆哮すると同時、胴体に噛み付いていた獣口が――完全に閉じる。

      バキリ、と枯れ木を折るような音が空しく響き、女墜天使の肉体が上下に砕ける。

      魔獣が片膝をついて廃墟の上に着地をした頃には、全てが灰となって何処かへと消えていた。

       

       

       

      そして。

      その事実は目撃こそせずとも、魔王も体の感覚で認識していた。

       

      (――痛み自体はあるが、やはり奴が死んだ事で『ブワゾン』の効力は消えたようだな。ならば――)

      「終わらせる」

       

      元より。

      縁芽苦朗が『メガドラモン』の電脳力者を含め、完全体のデジモンの力を振るう電脳力者達に遅れを取っていた理由は、その本来の力を発揮することに対してリスクを付随させられていたからだった。

      たった一度『ベルフェモン』としての力を行使しただけで、体内の猛毒が活性化し命を奪われる、そんなリスクを。

       

      「事象摘出《ダイアログ》、物象再現《ダウンロード》」

       

      そしてたった今、猛毒を行使した張本人たる女墜天使が死んだことによってリスクは消え去った。

      であれば、もはや今の彼に枷は無し。

      つまる所、今回の戦いはそういうものだった。

      彼が存分に力を発揮出来る状況さえ整えば、敗北してしまう事のほうが難しい戦い。

       

      「■■■■■■■■ッ!!」

      「スパイダースレッド――」

       

      言霊を紡いだ直後、魔王の手の上にあった『学習ノート』のページの一つから数多の赤い糸のようなものが噴出し、本能のままに鋼爪を振るわんと迫る『メガドラモン』の電脳力者を取り囲んでいく。

       

       

      「――エンチャット・ランプランツス」

       

      直後の事だった。

      機竜の周囲に展開された赤い糸に、黒い色の炎が薄く纏わり付いていく。

      血の如き赤は漆黒の黒に染まり、その攻撃性もまた本来のそれより高く引き上げられる。

      そして、縁芽苦朗はその右手を機竜に向かって翳し、

       

      「消えろ」

       

      一息に握り締めた。

      その意に添うように周囲の黒い線の全てが『メガドラモン』の電脳力者に殺到する。

      巻き付くとか締め上げるとか、そんなレベルでは済まなかった。

      そもそもの話、最初に放った赤い糸のようなもの――ワイヤーは、敵対者を切り刻むためにとある完全体デジモンが用いるものであり。

      それに『ベルフェモン』の力を付与した以上、齎される結果は明白で。

      たとえ『バルバモン』の電脳力者から力を付与されていようが、関係無かった。

       

      機竜の全身を数多の黒い線が通り抜ける。

      骨肉を絶つ音が響き渡った時には機竜の体は声を上げる間も無く細切れになり、残った残骸もまた黒い炎が覆っていく。

      もはや消え行くしか無い怪物の末路を前に、魔王は目を細めて内心で呟いた。

       

       

       

      (……やはり、この変わり様も織り込み済みなのか? 『シナリオライター』は……)

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      実のところ。

      牙絡雑賀と縁芽苦朗、そして彼等を襲う三体の電脳力者による激闘。

      それが繰り広げられていた事実は、離れた位置で別の敵――熊人形の怪物と交戦して辛うじて撃破した赤い竜人姿の司弩蒼矢と拳法着を着た兎の獣人姿の縁芽好夢も知覚していた。

      各々の話し声までは聞こえずとも、戦闘に伴った爆音や咆哮などはしっかり届いていたためだ。

      特に、兎の長い耳を有する縁芽好夢の耳には、聞こうと意識するまでも無く。

       

      「……多分、戦いだよね。この音は……」

      「…………」

       

      今更、自分の身の周りで起きている出来事が偶然であるなどとは考えられない。

      まず間違い無く、遠方で繰り広げられているであろう戦闘は自分の存在、あるいは磯月波音を利用して自分を無理やり連れ去った者達と関わりのある事だろうと蒼矢は思った。

      争っているという事は、少なくともそこには蒼矢を連れ去った連中の思惑を良しとしない者がいるのだろう。

      それはあるいは正義の味方と呼べる者なのかもしれないし、また別種の悪党の類かもしれない。

      願わくば前者であってほしいが、戦闘音だけでは何も判別する事が出来ない。

      ただでさえ知らない事が多すぎる今の彼等にとって、遠方で巻き起こっている戦闘の構図は知っておくべき事ではあるのだろう。

      だが、

       

      「……悪いけど、今は波音さんを連れて逃げる事を優先しよう……」

      「……うん……」

       

      今の彼等には優先事項がある。

      悪意ある者達に利用された挙句に蹴り捨てられた磯月波音を、急ぎ病院に運び出すことだ。

      何せ、時間的猶予が見えない。

      炎の魔人の人外の脚力によって放たれた蹴りが、ただの人間の肉体にどれほどのダメージを与えているのかどうか――医者でも何でも無い彼等には診断のしようが無い。

      素人目で見て解ることは、とにかく急を要する容態であることだけ。

      少なくとも、肋骨が折れて内臓が損傷している可能性は十分に考えられたが、それが命のタイムリミットをどれだけ削ぎ落としているのかどうかが解らない。

      であればこそ、他の事柄は切り捨てておくべきなのだ。

      たとえ景色の向こう側に大いなる真実が存在していようが、そんなものは後回しにしてしまった構わない。

      命を救える可能性を損なってまで得たいものなど、今の彼等には存在しないのだ。

      無論、司弩蒼矢の内に宿る怪物――リヴァイアモンもまた同意見だった。

       

      『確かめようと覗き込んだ所でバレるかもしれねぇし、気配とか感知されたら接触は免れねえ。お前の方針が今回は正解だよ』

      (……ありがとう。薄情なヤツだとか言わないでくれて)

      『馬鹿、あんな今にも死にそうな奴を放っておく方がよっぽど薄情だろうが』

       

      結論は出た。

      蒼矢は軽く頷くとその視線を好夢の方へと移し、問うべきことを口にした。

       

      「それで、波音さんは何処に? 安全な場所に隠したんだよね」

      「……それなんだけど……その……」

       

      と、そこで奇妙な反応があった。

      磯月波音を安全な場所に隠していた縁芽好夢の方から、歯切れの悪い言葉が返ってきたのだ。

       

      「? どうしたの?」

       

      疑問をそのまま口に出すと、こんな回答が返ってくる。

       

      「……あの人を隠した場所、あの戦闘音のする廃屋の辺りなんだよね……」

      『「え?」』

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      二人の電脳力者の死によって、状況は決した。

      二人の電脳力者をその力でもって討ち滅ぼした魔獣と魔王を、たった一体の――特別力で勝っているわけでもない――電脳力者がどうこう出来るわけも無い。

      苦朗が投げ放ったミサイルの爆発を受け遠くへ吹っ飛ばされた『フェレスモン』の電脳力者は、女墜天使と機竜の末路を遅れて認識するや否や、表情を僅かに曇らせながら何処かへと飛んでいってしまった。

      縁芽苦朗に、追撃の意思は無い。

      それが、他に優先するべきことがあるからであることは、事情を知る者からすれば容易に察せられる。

      故に、女墜天使をその牙と炎でもって殺めた『ケルベロモン』の電脳力者――牙絡雑賀は、すぐさま『ベルフェモン』の電脳力者たる縁芽苦朗の近くに跳び込み視線を向けていた。

      縁芽苦朗もまた、横目に視線を返す。

      その赤い瞳には親しみの情など微塵も宿っていない。

      つい先ほどまで共闘していた間柄に生じるものとはとても思えない、重い空気が満ちる。

      先に口を開いたのは、意外にも苦朗の方だった。

       

      「……だから、来てほしく無かったんだ」

      「…………」

      「解っていた事だ。お前は、お前のようなお人好しは、俺のする事を知ったら必ず足を引っ張りに来る。なまじ電脳力者としての力が目覚めてしまった所為で、物理的に追いつくための足さえ手に入れてしまったのだからな」

       

      彼にとっても雑賀にとっても、やるべき事はまだ終わっていない。

      それでも言葉を吐き出すのは、あるいはそれが必要な事だと感じたからかもしれない。

      だから、雑賀もまた苦朗の言葉に対して思ったことを口にした。

       

      「来てほしくなかったのなら、あのトリ侍に伝言なんて頼まなければ良かった。あるいは、伝言させるにしたって、偽の情報でも伝えさせてしまえば、この件に関わらせない事だって出来た。それでも、嘘の無い情報を提示したのは……お前自身、そんな事をしたくないと思っていたからじゃないのか? 殺さずに済ませるための方法を、模索しようとしたからじゃないのか?」

      「……いつもこうだ。『怠惰』を司る魔王としての性質か、あるいは呪いか……やるべき事は解っているのに、ついつい自分が楽になれる道筋を探ってしまう。それが致命的な『大罪』になると理解していても。……忌々しいものだ」

      「……それは『怠惰』と呼ぶべきものじゃないだろう」

      「結果が伴わなければ同じ事だ」

       

      もし、自分が縁芽苦朗と同じ立場だったらどうしただろうと雑賀は思う。

      特別恨みを抱いているわけでも無ければ悪人でも無いかもしれない赤の他人を殺さなければ、家族や友人といった大切な者たちを失ってしまうかもしれないという、命の天秤。

      そんなものを提示されて、一切の迷いなく選択することが出来るか。

      なまじ知識があるからこそ、現実に危機感を強く知覚出来る立ち位置にあったからこそ、恐怖は強かったはずだ。

      それでも、彼はほんの僅かでも迷ってくれた。

      司弩蒼矢という人間が、最悪の結末に至らないための道筋を、考えてくれた。

       

      (……もしかしたら……)

       

      自分よりもずっと多くの知見を有する彼のことだ。

      あるいは、こうも考えていたのかもしれない。

       

      もし仮に、司弩蒼矢の心が悪の力に染め上げられてしまったとしても。

      リヴァイアモンの力が最悪の形で目覚めてしまったとしても。

      たった一度、されど明確に一人、戦って言葉を交わした人間であれば。

      その心に触れられる機会があった、人物の言葉であれば。

      殺すことなく済ませられる道筋を、描くことが出来る可能性があるかもしれないと。

      であれば、返すべき言葉はただ一つだった。

       

      「俺も手伝う。アイツ……司弩蒼矢を助けるためならな」

      「……助けないのならまた足を引っ張る、というわけだ」

       

      魔王の口から深いため息が漏れる。

      彼等は共に大きく消耗しており、争っていられる余裕も無い。

      故に、決断は早かった。

       

      「……あぁくそ、解った。思っていた以上に強情なやつだな……」

      「!! それじゃあ」

      「ああ。可能性を見い出せる内は、俺もまた司弩蒼矢を殺さずに済ませられるよう努めよう。これ以上の面倒はコリゴリだからな」

       

      言うだけ言うと、苦朗は静かに目を閉じた。

      こんな時に精神統一でもしているのかと雑賀が疑問を覚えていると、苦朗の方から問いが投げ掛けられた。

       

      「一応聞くが、お前は司弩蒼矢のニオイとか記憶しているか? 犬らしく」

      「犬らしくは余計だ馬鹿。悪いが初対面の場所がプールだったし、嗅ぎ取れてなんていないぞ。ここまで来るのに辿ったのは病院で覚えたお前のニオイの方だ」

      「そうなると、やはり勘に頼る事になるか」

      「? というか、お前はそもそも蒼矢が連れ去られた場所を知ってて動いてたのか?」

      「そんなもの知っていたら魔術で爆撃でもしている。俺は魔王として邪念……というかさっきの連中が発するような悪意の類に敏感なだけだ。少し集中すれば、クソ野郎共の位置は把握出来る。お前が解らないのなら、面倒だが俺が感知する他にあるまい」

       

      要するに、縁芽苦朗は『ベルフェモン』としての第六感に頼る事にしたらしい。

      人間としての常識で考えれば、非現実的な捜索手段だろう。

      だが、目の前に存在するのは不思議な力を用いる存在の筆頭とも言える存在――その最強格だ。

      デジモンという存在を知る身として、雑賀もそれは可能であると考えられた。

      故に、特に疑うことはせずに精神を集中させた様子の魔王を眺めていたが、

       

      「――む?」

      「見つかったのか?」

      「逆だ。周囲の邪念が先ほどまでより薄すぎる。リヴァイアモンの力が覚醒してしまっていないにしても、先ほどの連中の仲間が潜んでいるはずだが……」

      「……単にうまいこと邪念を消しているだけって可能性は? そういうものを感じ取れる奴が敵だって解っているのなら、そのぐらいはすると思うが……」

      「その可能性は無いでも無いが……邪念というものは簡単に消せるものではない。ましてや『組織』のトップの電脳力者から力を与えられている場合、先の奴等のように場合によっては悪意を制御しきれていない可能性の方が高いはずだ。実際、つい少し前までは奴等以外の悪意を感じ取ることが出来ていたしな」

       

      言葉に疑問を覚え、牙絡雑賀もまた『ケルベロモン』としての嗅覚でもって悪意の類を嗅ぎ取ろうとした。

      だが、苦朗の言った通り――悪意や邪念の類と思わしきモノを感じ取ることは出来たが、先ほど戦った者達と比べずともそれは圧倒的に『薄い』と直感出来る程度のものだった。

      建物にこびり付いた染み付き、あるいは残滓とでも言うべきもの。

      確かに苦朗の言う通り、気付けば辺りから邪念の類は殆ど消えていた。

       

      「奴等の仲間のものと思わしき邪念が薄れていて、リヴァイアモンの力が暴走している様子も無い。……となると……」

       

      その事実が何を意味するのか。

      なんとなく、雑賀には答えが解った気がして。

      釈然としない様子の苦朗に対し、雑賀はこんな言葉を切り出した。

       

      「司弩蒼矢が自力で敵を倒して逃げたんじゃないか?」

      「……いやいや、それは流石に無いだろう。お前が戦った……つまり昨日の夜中の時点では成熟期の力までしか使えていなかったんだろう? 先の奴等を基準に考えても、司弩蒼矢を洗脳なり何なりするために完全体相当のデジモンの力を扱う電脳力者が複数ついていたはずだ。お前のように土壇場で完全体デジモンの力に目覚めたと仮定しても厳しいぞ……?」

      「でもお前曰く魔王の力を宿してるんだろ? 蒼矢のやつ。要するに滅茶苦茶強い力を秘めてる」

      「……そりゃあそうだろうが……」

      「ていうか、お前という優しい魔王がいる時点で……蒼矢もそうなる可能性があるわけだし……」

      「とりあえずテメェこのクソ犬は現実の話をしような?」

       

      到底、苦朗には信じられない可能性だった。

      だが魔王としての第六感も回答を出し続けている――三体の電脳力者と戦う以前と比べて、邪念の類が半分以上かき消えている、と。

      この場に飛んで来るまでに掛かった時間、そして戦いの中で経過した時間、そして司弩蒼矢の心を自分達の都合に合う形に変貌させて『リヴァイアモン』の力を覚醒させるために『組織』が用いるであろう手段を加味すると、もうとっくの昔に辺り一帯に邪念の類が撒き散らされていて然るべきはずなのに。

      追っ手などが迫っているのであれば尚更だ。

      信じられないが、事実から考えても信じるしか無い。

       

      「……しかし、だとしたら司弩蒼矢は何処に――」

       

      そこまでの言葉を吐き出した、その直後のことだった。

      ふと何処からか、獣の聴覚を震わす声があった。

       

      ――急いで急いで!! 戦いがあったのならいつ崩落してもおかしくないんだ!!

       

      ――解ってるわよ!! あーもう、よりにもよってこんな所で別の戦いが起きるとか……!!

       

      片方は、雑賀にとって聞き覚えのある声だった。

      もう片方は、苦朗にとって聞き間違いを信じたくなる声だった。

      ぎぎぎぎぎ、とゼンマイ仕掛けの玩具のようなぎこちなさで二人の首が動く。

       

      「「………………」」

       

      恐る恐るといった様子で、彼等は屋上の端から自分達の立っているものとは向かいの方に見える別の廃墟――元は賃貸マンションの類だったらしく、一階の部分がコンビニになっている――の下層を見る。

      ちょうど、明らかに急いだ様子の拳法着装備の兎の獣人と、体の各部に黄土色の甲殻の鎧を纏った赤色の竜人がコンビニの中から出て来たところで。

      見れば、赤い竜人の両腕の中には見覚えの無い女の子がお姫様抱っこの形で担がれており、担がれている女の子に意識は無い様子だった。

       

      ――こっちこっち!! 街にさえ出れば迷いはしないわよ!!

       

      ――い、急ごう……!! 正直、もうかなりキツい……!!

       

      屋上の端から覗き見ている雑賀と苦朗の存在になど気付くことも無く、彼等は廃墟の立ち並ぶ悪党達の『隠れ家』から、見慣れた街並みの方に向かって駆け出していく。

      あまりの状況に、雑賀も苦朗も理解を得るのに七秒は掛かった。

      どうにか冷静に、事実をゆっくり飲み込んでいく。

       

      「……おい、あの子ってもしかしなくても……好夢ちゃんだったよな? 声が記憶通りならもう一人は司弩蒼矢で、明らかに協力して動いてるっぽかったが……」

      「いや本当に待ってくれ。何でよりにもよってウチの好夢がこんな所に来てる? どういう経緯でヤツと一緒にいる? いつの間にかアイツら交友の関係にあったの? しかもあの姿は……」

       

      いつも落ち着いた様子を見せていた苦朗でも、流石に動揺を隠せないようだった。

      無理も無い、と雑賀は素直に思う。

      交友関係があるとはいえ、家族としての関係まで持っているわけではない自分さえ、驚きを隠せないのだ。

      義理とはいえ兄妹の関係を持ち、護ろうと必死になっている相手が、いつの間にかデジモンの力を使って事態の中心人物――それも、当初は殺すつもりだった相手――と協力して動いている事を知って、落ちついていられる事のほうが不自然だ。

      とはいえ、今は戸惑っていられる状況でも無い。

      動揺した様子の苦朗に対し、雑賀は確認のためにこんな問いを出した。

       

      「……お目当ての野朗が見つかったわけだが、お前はどうする気なんだ? 前言撤回してでも殺す気はあるか?」

      「……人質でも取られた気分だ。間違っても、アレを見て殺す気などもう起きんよ……」

      「そうか。じゃあ、俺は行かせてもらうよ」

       

      言うだけ言うと、雑賀はその両手の獣口から炎を噴き出させ、駆け出していった二人の方に向かって飛んでいった。

      その背中を眺める縁芽苦朗に、言葉は無く。

      代わりに一つ深いため息が漏らすと、彼は姿を元の人間のそれに戻してズボンのポケットからスマートフォンを取り出していた。

       

       

       

      そして、牙絡雑賀は。

       

      (多分、あの抱えてる女の子が病院の人が言っていた友達なんだよな。一緒にいたって事は確実に巻き込まれてああなったってワケだ……)

       

      目の前で駆けている赤い竜人――その、懸命に友達を助けようとする姿を見て。

       

      (二人の焦りっぷりから考えても危険な状態である事は確実。急いで病院に送ってやらないといけないんだろう)

       

      拳法着を纏った兎の獣人――その、事情を知らずとも力を尽くしてくれた献身に感謝をして。

       

      (……やっぱり、お前は優しい奴だったって事だな。司弩蒼矢……)

      「おおーい!! お前達ー!!」

      「「――っ!?」」

       

      久しぶりに会った旧友に対して発するような呼びかけをした直後、

       

       

       

      「――だぁッ!!」

      「――はぁっ!!」

      「ぶぐへぇ!?」

       

       

       

      縁芽好夢が反射的に放った回し蹴り、そして赤い竜人と化している司弩蒼矢の長い尻尾の一撃が左右から顔面に直撃し、あえなく撃墜された。

      あんまりと言えばあんまりな反応だが、そもそもの話として彼女は電脳力者としての牙絡雑賀の姿を知らないし、司弩蒼矢もまた彼の『ケルベロモン』を原型とした姿を知らない。

      そして、彼女達から見ても『ケルベロモン』を原型とした雑賀の姿は、どちらかと言えば悪党面で。

      故に、総合的に見ればこの対応は当然なものだと言えて。

      彼女達が疑問を覚えたのは、ドグシャァッ!! と反射的に一撃を見舞った直後のことだった。

       

      「――え? 待って、その声まさか……」

      「……グ、グゥ。こ、好夢ちゃん。いくらなんでもその反応は酷すぎると思うんだ……俺だよ、雑賀だよ」

      「ちょ、えぇー!? さ、雑賀にぃ!?」

      「え? さ、サイガって、まさか……え? あの時の!?」

       

      え? と好夢と蒼矢は互いに顔を見合わせる。

      どちらの表情も「え? コイツと知り合いだったの?」と言外に語っていた。

       

      「ごっ、ごごごごごごめん雑賀にぃ!! てっきり悪党の手先だと思って……」

      「ぼ、僕も……全体的に黒いし怖いし……敵の追っ手かと……」

      (え、初見であいつ等の仲間扱いされるぐらいに怖いの今の俺の姿!?)

       

      あまりにもあんまりな言い草に半泣きしそうになりながらも、ちょっと不細工になった犬面は両腕の獣口を支えに顔を上げる。

      今は互いの事情説明などしている場合ではないのだ。

       

      「……は、話は後だ。その子、病院に運ばないといけないんだろ? だったら俺に乗れ。二人とも、見た感じもう走るだけでもキツいみたいだしな」

      「いや雑賀にぃも雑賀にぃで明らかに疲れてるみたいだけど……」

      「そうだよ。というか、両手も塞がってて僕と同じぐらいの体格なのにどうやって……」

      「こうする」

       

      言葉の直後だった。

      成り行きで四つん這いの姿勢になっていた牙絡雑賀の姿に、更なる変化が生じる。

      ガゴン!! と機械の駆動するそれにも似た音と共に両腕の先端にあった獣口が開き、まるで服の袖を捲くるかのように雑賀の両肩に向かってその位置を移す。

      そうして露となった両手は、五指に鋭利な鉤爪を生やした『前足』とも呼べるものに変わっていた。

      見れば、両脚の関節はそれまでより四足歩行に適した形に近付き、体格が少し大柄になって尻尾も伸びている。

      人狼とでも呼ぶべきだったその姿は、よりその姿の基となった魔獣の名に相応しいカタチに寄ったものに成っていた――人間を二人ほど乗せて駆ける程度は可能かもしれないと思える程度には。

      驚いた様子の二人を横目に、

       

      (……まさかとは思ったが……我ながら便利な体になったもんだな)

       

      自分自身驚きながらも、雑賀は急かすように言葉を紡ぐ。

       

      「好夢ちゃんはともかく、お前は義肢に頼ってる身だろ。デジモンの力を使って誤魔化しているみたいだが、実はもう限界が近いんじゃないか」

      「……それは……」

      「議論してる時間も惜しい。適材適所ってやつだよ。どちらにしたって俺はお前達についていく気だからな」

      「……解りました。お願いします」

       

      司弩蒼矢は渋々とそう回答すると、磯月波音を担いだまま魔獣の背に跨っていく。

      乗馬などの経験を持たない蒼矢としては特別良いとは言えない乗り心地だったが、それはそれとして磯月波音の体を左腕で抱えたまま彼は体重を前に倒し、右手で魔獣の両肩にある内の右の獣頭を掴みバランスを取る。

      準備が整ったと認識した雑賀が四肢に力を込め、駆け出そうとした直前、縁芽好夢はこんな事を聞いていた。

       

      「ねぇ、ちなみに私は?」

      「定員オーバーだ。好夢ちゃんがもう少し軽そうなら頑張れるんだが」

      「雑賀にぃ。事態が事態だから了承するけど流石に怒るよ」

       

      言うだけ言って、赤き竜人と重傷の少女を背負った魔獣と拳法着を身に纏った兎の獣人が向かうべき場所へと向かう。

      いつかに壊れて荒れた街並み、廃墟だらけの悪党どもの『隠れ家』を駆け抜け、彼等は揃って人の気を感じられる世界へと帰還する。

       

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    • #3854

       二章最後まで行くかしらと思ったらギリギリ行きませんでした。いや逝った奴は二人ほどいたな。
       バトルオブバトルオブバトルでしたがとりあえずの決着、それはそうと戦闘エリア付近に寝返った女を隠した好夢チャンも間が悪いというかむしろ結果的に苦朗の変節を鑑みればむしろグッジョブだったのか。苦朗がちょくちょく魔王の口調と人間というか義兄としての台詞が入り混じってるのに燃え。
       それはそうと前回の『進化』を経て尚、戦いの場に未だ踏み込めなかった雑賀が後半遂に覚醒というかレディーデビモン撃破という勇姿。時系列纏めてみたらガルルモンになってから半日ちょいのはずなので、そう考えるととんでもない成長ぶりである。ただ世界観というか設定的に人間をあうんさせてるわけなので、これを賞賛して良いものかどうかはわかりませんが。
       そう考えると主人公側は覚醒した直後だというのに敵がデスメラモン&ワルもんざえモン、レディーデビモン&フェレスモン&メガドラモンといった完全体デジモン総出撃総進撃なのは敵側がすげえやる気である。風に向かって進めどころか二人ほど風になったが。というかきらめくエンジェウーモンの代わりにレディーデビモン真っ二つになったが。
       
       このインフレ速度、デジタルワールド側はまだ成熟期になるかどうかという時期であるにも関わらずなんて時代だ。

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