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トピック
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21世紀はもっと想像だにできない未来になっているに違いない。
そう言った人の心を占めていたのは、果たして明暗どちらだったのだろう。自分達の限界、己の世代では成し得ぬことなのだという諦観、それでも次の世代の子供達がきっと形にしてくれるという確かな希望。勝手に理想や夢物語を押し付けられる身としてはたまったものではないが、それでも幼い頃の自分にかつて自らも子供だった頃に夢見た未来の世界を何度だって語り聞かせた彼の、膝に抱えられながら見上げたどこか遠くへ向けられた寂しげな瞳だけを覚えている。
人類を信じていたから。
未来はもっと輝かしいものだと思っていたから。
自分の生まれた20世紀から連なる21世紀はきっと自分の及びも付かない世界になっていると信じてきたのに。
それでも果たして迎えた新世紀は、旧世紀に連なる代わり映えのしない世界だった。二度に渡る大戦と宇宙進出に費やされた前世紀を終えた人類がどこへ向かうのか、冷たい戦争が終わって尚、大人達は彼に示すことができなかった。人類は21世紀の時を迎えた今も地上にへばり付いており、かつて我が国が目覚ましい躍進を遂げた高度成長期の頃に夢見た空に、海に、そして宇宙に広がる文明などはまだ夢のまた夢。
負債だけが積み上がる世界。行き詰まる文明。
大人達もきっとどこかで気付いていた。これが恐らく自分達の、人類という種の限界なのだと。
時間も空間も支配することなどできはしない。自分達はこの母なる星、過去でも未来でもなく現代という時間にしがみ付いたまま生きていくことになるのだと。
それでも別に何も問題ではないだろうと幼心に思ったのだ。地球で生きることに不満などないし、この国に生まれ落ちたことを幸福だとさえ思う。温かな家庭と少なからず安定した生活基盤を得ればこそ、自分がこの国の人間として今ここに在ることに何の不満があろうか。
イルカが攻めてきたぞっ!
ここは地球だったんだ!
そんな突拍子もない出来事でも起きない限り、自分が目にする世界は安定しているのだ。旧世紀のような目覚ましい発展が望めなくとも、かと言って即座に崩れ去ることなど有り得ないのだ。だから漠然と父のような大人になって、母のような女性と出会って、自分もまた淡々と次の世代にこの血を繋いでいくのだろうと思っていた。それをつまらない人生と呼ぶことは断じてできない程度には、自分は父と母を含む己を取り巻くあらゆるものに感謝していたから。
タイムマシンもどこでもドアもないけれど。
戦争もない。
天敵もいない。
そんな世界で、そんな国で。
ずっと自分は生きていくのだと思っていた。
あの日までは。
あの時までは。第1章(表):糾弾
「……和馬君、和馬君ってば」
ゆさゆさと揺らされて視界がぼんやりと開けていく。
「んだよ、マヤ……俺は疲れて……」
石狩和馬が顔を上げると、そこはいつも通りの教室だった。高校二年生だというのに朝のこの時間は誰も彼も全く落ち着きがなく、自分のことを棚に上げつつも来年の受験生になった時が不安で仕方ない。やはり二年生に進級する時もう少しだけ頑張って特進クラスを目指しておくべきだったかなと後悔しないでもないわけだ。
どうやら自分を起こしてくれたのは隣の席の信濃摩耶らしい。しかし様子が変だ。
「オイ……どうした?」
「か、和馬君……今、もしかして摩耶って私のこと名前で……」
「はぁ? 今更何言ってんだよ、俺はいつも……ん?」
何か妙な違和感がある。隣で顔を赤くして立っているのは確かに和馬にとって幼馴染である信濃摩耶であるはずなのに、その顔を見た瞬間まるで歯車が噛み合っていないような奇怪な感覚が走った。彼女はそもそもこんな顔はしないとか、もっとキツい物言いをする奴じゃなかったっけとか、そんな失礼な感想が自然と浮かんでいたのである。15年近い付き合いのある相手に対して何とも奇妙なことを思うものだ。
よくわからない。確かに和馬は普段から摩耶のことは〝信濃〟と苗字で呼んでいたはずなのに、今は何故自然と名前で呼んでしまったのか。
マヤ。彼女のことをそう呼ぶ自分に違和感がある。だがどこかでそう呼んでいた記憶がある。そんな違和感。
全く覚えていないが変な夢でも見ていたのかもしれない。
「変なこと言ってないで、もうHR始まっちゃうからね」
「おう、悪かったな」
「……ホントに悪いと思ってる?」
「思ってるって、この真面目な顔を見ろ」
「心の中はどうだかね」
呆れたような苦笑いを浮かべて摩耶は自分の席へと戻っていく。とは言っても、彼女の席は和馬のすぐ隣の席なのだが。
時刻は8時26分。なるほど、HRの直前になったので寝ていた自分を起こしてくれたということらしい。そういう時折お節介とも取られがちな生真面目さや優しさが信濃摩耶という幼馴染のいいところだ。
「そんなんだから彼女もできねーんだよな、石狩はさ」
「余計なお世話だ。……で、誰だっけお前」
「オォイ! 忘れんなよ! 親友にして終生のライバルの顔を!」
「そっか、そうだったな……悪い、おはような越前」
「越後だよ!」
前の席から振り返ってきた越後楽人を冷たくあしらうのもいつもの光景である。
摩耶と同じように15年に渡る付き合いがあるとはいえ、此奴と来たら相も変わらず騒がしい奴と来ているから困り者だ。子供の頃から和馬はこの悪友の思い付きや悪戯に日が暮れるまで付き合わされたものだった。
それはそうと、和馬はそこで再び引っかかるものを感じた。摩耶の時と同じだ。
「なあ越後」
「ほう、珍しいな……親友の方から話しかけてくるたぁ」
「俺とお前、本当に親友だっけ?」
「オォイ! 親友! お前まで俺を裏切るのか!」
まで?
「越後ってばまたフラれたらしいよー?」
「うっ、言ってはならんことを!」
クラスの女子の声が響き、楽人の顔が少しだけ青ざめる。
「そもそも越後如きが女学院のお嬢様を狙おうだなんて100万年早いよね~」
「うっせえぞブス! 俺は100万年経ってもお前らは狙わんからいいんだよ!」
下手な挑発に乗り立ち上がって叫び散らす楽人。
そうしてHR直前だというのに再び騒がしくなるクラス内。楽人が発端となって教室を騒がしくするのもいつもの光景だ。別段変わったところもなければ、違和感など覚え様もない。和馬にとってのそれは日常以外の何者でもなく、騒がしくも穏やかなこの忙しない日々が少なからず和馬は気に入っていた。
摩耶や楽人に感じた違和感も一時の気の迷いだろう。それきり気にするのをやめた。
「……とにかくだ、今日は来るらしいぜ、転入生がさ」
「転入生? 随分と変な時期に来るのな」
いつの間にか戻ってきた楽人が再び振り返って言う。あと倒置法ウザいからやめろ。
「おうよ。しかもアレらしいぜ、結構なお嬢様って話よ」
「あ、それ私も知ってる。隣町の女学院から転入してくるんだよね」
隣から摩耶も話に入ってくる。彼女が自分から食い付いてくるのは珍しい。
「マ……信濃、なんでお前も知ってんだ?」
「なんでって……和馬君、十勝女学院って言ったらこの辺りの女子の憧れなんだよ?」
「へえ……そりゃ知らなかった」
確かにどこかで高名で上品なお嬢様学校という話を聞いた覚えはあるような。
「そんなお嬢様学校の子を狙ったのかよ、お前」
「愛に理由は要らない」
「帰れ」
「ハァーッ!?」
そうこうしている内に、担任の濃尾が入ってきてHRが始まった。いつもと同じ学校、いつもと同じ教室、いつもと同じ話。退屈なので自然と視線は窓の外に向けられる。梅雨の季節だけあり天気はあまりよろしくない。午後には雨になるかもしれない。
そんなことを考えていると、教室から上がった歓声で和馬は視線を教壇へと戻した。
「うわー、可愛いー!」
「超足なげー!」
「キレイな子ー!」
各々が教壇に立つ女生徒に各々の感想を漏らしている。どうやら自分が窓の外を眺めている間に教室に入ってきたらしいが、あれが件の編入生か。
「静かに静かに! 簡単ではあるが、自己紹介してもらうからな!」
担任がパンパンと手を叩きながら言い、女生徒が一歩前に出た。
「……十勝流華と申します、よろしくお願い致します」
透き通るような白銀の長髪を揺らし、十勝と名乗る少女は恭しく頭を下げる。
それ以上はない極めて簡素な自己紹介であったが、それが逆に彼女の人柄をこの上なく表していたと言える。物静かでお淑やか、少なくとも和馬から見れば全くのガキに思えてしまうクラスメイトとは雰囲気からして違っている。更にはその身に纏う如何にも上品な印象を与えるブレザー姿――恐らく件の女学院のものだろうが――も相俟って、まさしく深窓の令嬢といった雰囲気を有していた。
「十勝は……そうだな、一番後ろのあそこに座ってくれ」
担任が和馬の斜め後ろの席を示すと、十勝某は小さく一礼して教壇を降りていく。
流れるような動作にはクラス中が見惚れて声も出ないといった様子。あまり女子という奴に興味の無かった和馬も流石に目を見張ってしまう程度には完成された美しさが、確かに十勝流華と名乗った少女には存在した。
和馬の隣を通る時、少女が小さくその形の良い唇を動かした。
「……よろしく」
それ以上でも以下でもない。どうやら挨拶をされたらしいと気付いた和馬が振り向いた時には、既に十勝流華は優雅な動作で席に着いていた。鞄から数冊のテキストを取り出す様さえ絵になる女性という奴を和馬は初めて見たが、どうやら本当に筋金入りのお嬢様ということらしい。
「十勝……ね」
今更後ろを振り返って返事をするわけにもいかず、和馬は口の中で小さく彼女の苗字を反芻してみた。それは確か先程摩耶や楽人の話の中で出た女学院の名前と同じだ。無論、偶然かもしれないが、もしかして何か関係があるのだろうか?
だがそれ以上に、和馬は彼女の首に痛々しく巻かれた包帯の方が気になっていた。■ ■ ■
「校内は全面禁煙だよ?」
からかうような声に顔を上げると、保険医の播磨永礼が嫌味っぽい笑顔で立っている。
「今んとこ、煙草なんてまずいもんに興味はねーよ」
ライターの蓋をカチカチやっていることに大して意味は無い。貧乏揺すりや唇を舐める趣味を持つ人と同様、和馬は手持ち無沙汰の時にライターの外蓋を開閉することが趣味というだけのことだった。とはいえ、ただそれだけのためにライターを携帯しているから、喫煙を疑われたことも何度かある。
もし自分が煙草を吸うことになろうと、目の前の女が許してくれないだろうが。
「それは良かった……育ての親の指導の賜物という奴かな?」
「自画自賛って一番タチ悪いよな」
彼女が何歳なのかは永遠の謎である。外見だけで判断すれば20代後半といったところだろうが、覚えている限り播磨永礼は和馬が幼稚園を卒園する頃から今と変わらない容姿を保っている。相当な若作りなのか、元々大人びた子供だったのか、それ以上詮索すると命に関わりそうなので和馬は深入りすることを避けていた。
ドサッと色気のカケラも感じさせぬ動作で椅子に座り込む播磨。
「それで? キミはサボりかい?」
「違うって……なんか知らない間に手を切ってたから一応来たんだ」
「知らない間に……ね、小学生じゃあるまいし高校生としての自覚を持ちたまえよ?」
人を挑発しながらも「見せてみたまえ?」と保険医の顔に変わる辺りは流石である。
「そういえば今日、キミのクラスには編入生が来たと聞いたが?」
「ああ。なんたらってお嬢様学校から来たらしい……物好きがいるもんだ」
「なるほど……話には聞き及んでいたが、それが件の理事長のご令嬢という奴かな?」
切り傷の処置と大層に言っても、結局は軽く消毒した後は「貼っておけよ?」と市販の絆創膏を投げ渡されただけである。これで堂々と保険医を名乗り、それでいて年頃の女性とは思えぬ自堕落な生活を送っているのだから大したタマである。
口にしたが最後、命は無いだろうから決して本人に言うことはないだろうが。
「理事長のご令嬢?」
「うむ、件の学校は御一新の直後からある歴史ある学園でな……前世紀の戦乱の中で一時途絶えかけたとも聞くが、十勝家といえば予てより代々あの学園の理事長を輩出している名士中の名士なのだよ?」
すると苗字が学校の名前と同じなのも偶然ではなかったということか。
「……でもそんなお偉いさんがなんで」
お世辞にも我が校は自慢できるところなど何もない。普通の学生が普通に通う、何の変哲もない普通の高校だ。とてもではないが、お嬢様学校の理事長の娘などが通っていい場所とは思えない。
そんな当然浮かぶだろう疑念に永礼は苦笑する。
「さてね、それは本人に聞いてみた方がいいんじゃないかな?」
「……本人?」
「あの……」
聞き覚えのある滑らかな声。
「保健室はこちらでよろしかったでしょうか?」
振り返ってみれば。
「貴方は……確か同じクラスの」
件の転入生、十勝流華がそこにいた。■ ■ ■
あの女は本当に要らぬ気遣いを回すものだ。
呆れて物も言えない和馬の後ろを、十勝流華は何も言わず楚々としてついてくるのみ。元々口下手というわけでもなければ、別にクラスメイトと突然顔を合わせて言葉に困っている風でもない。ただ語る必要性を感じないから口を開くこともしない、そんな極々自然な態度で和馬の後ろを歩いてくる。
気まずい。実のところ、摩耶以外の女子と行動することなど滅多にないからスマートな接し方などわかるはずもない。
『教室までの道、わからないだろう? こいつに送ってもらうといいよ?』
永礼の告げたそんな楽しげな声だけが思い出される。実際、込み上げてくる笑いを必死に堪えている様子だったわけで、あの女は楽しんでいるのだろうが。
何より教室から保健室まで一人で来られたのだし、逆が行けないはずなかろうに。
「ご迷惑ではないですか?」
口を開いたのは十勝が先だった。特に含むところはなく、事実を確認するだけの質問。
「いや……別に迷惑ってわけでもないんだが」
「石狩君はサボり魔なのですか?」
まるで声音を変えずに失礼なことを言ってくる十勝。
「失礼な、単に怪我の手当てに行っただけだっての」
「……今は授業中と記憶していますが」
「うっ」
なかなか痛いところを突いてくる。実際、もし永礼がいなければベッドに潜り込んで午前の授業はエスケープしていただろうことは想像に難くない。そういった意味では普段からやることも無く校内をフラフラ出歩いているはずの永礼がすぐに戻ってきたことは、和馬にとって不運だったと言える。
なんでこんな日に限って、そんな思いは確かにあった。今となっては詮無きことだが。
「それならお前だって授業中に保健室来てるじゃんか」
「初対面の婦女子をお前呼ばわりするのは如何なものかと思いますが」
キッパリと言い切られて二の句が告げない。
「……私は昔から体があまり強くありませんから」
「へえ」
「サボり魔の貴方とは違って授業を休むには格好の口実です」
「自分をサボり魔って認めてるよな、それ」
「口が滑りました、忘れてください」
お高く留まった世間知らずのお嬢様かと思えば、なかなかに言うものだ。言葉遣いこそ堅苦しい色があるとはいえ、そんな彼女の軽妙な返しは不思議と和馬の気分を害するものではなかった。むしろ顔色を変えずに容赦なく毒を吐く彼女との会話を心地良いと感じてしまっている自分がいることに気付く。
聞いてもいいのだろうか。数秒の逡巡の後、躊躇いがちに口を開く。
「……なんで転校してきたんだ?」
「いけませんか?」
そんなことはないが、それでも疑念が浮かんでしまうのは確かだった。摩耶や楽人から他人に対して興味がないとよく言われる自分がこうなのだから、騒がしいクラスメイト達などは尚更興味を示すだろう。昼休みなどには彼女の席を大勢で囲んで騒ぎ立てる級友達の姿が容易に想像できた。
しかし先の会話からして、十勝自身は口下手というわけでもなさそうだし、特に問題はないだろう。むしろ無自覚に毒を吐いて誰かを傷付けたりしないか、そちらの方が和馬にしてみれば不安である。
尤も、どれもこれも和馬が心配するようなことではないのだが。
「……息が詰まるのです」
「は?」
「与えられた場所でただ生きるというのは、極めて息苦しいものなのですよ」
窓の外を見つめて十勝流華は目を細めた。
「それでこの学校に来たのか?」
「はい。……ええ、こんな行為は自分が恵まれているとも知らない愚か者の、子供染みた反抗心でしかないのかもしれませんね。でも子供だからこそ、子供である内に一度ぐらい自分の力で飛んでみたいと思うこともあると私は思うのです」
青い空を見据える銀色の瞳は、その広い世界を飛ぶ自分の姿を思い描いているようで。
籠の中の鳥という奴だろうか。日々の成績やら人付き合いやらに忙殺される自分達のような下々の人間にはまるで想像できない世界の話ではあるが、ご令嬢にはご令嬢なりの気苦労や悩みがあるということらしい。見ているものというより感じている世界そのものが違う、そんな印象を受ける。
好きになれそうだ、二心無くそう思う。取り繕うこともなくどこまでも自然体で真摯な彼女の姿は、石狩和馬にとってこの上なく好ましいものに思えた。
「それにしても、まさか転入初日でサボり魔の方とこのようなお話をすることになるとは私としては思ってもみませんでした」
「俺も毅然としたお嬢様が堂々とエスケープを公言するサボり魔とは思わなかったよ」
「……またそのことを蒸し返すおつもりですか。紳士を標榜する殿方ならそのような話、些事と捨て置いてくださるのが必定でしょうに」
どの口が言うか。そもそも最初に蒸し返したのは誰だ。
「俺は細かなことでも納得しなければ気が済まないタイプなんだ」
「それは私もですが……もしかしたら気が合うのかもしれませんね、私達は」
それだけで浮かれるほどガキではないつもりだが、年頃の男子高校生としてはなかなか嬉しいことを言ってくれるものだ。
自然とそういった言葉が出てくる辺り、きっと先程吐いてきた毒舌や些か挑発的な言動も全ては意識してのものではなく、それらもまた彼女の〝素〟なのだろうと思えた。裏表がないというのはアニメで見られるような元気娘だけではなく、こういったタイプもそうなのだなと改めて気付かされた気分だった。
そうこうしている内に教室へと辿り着く。ちょうど休み時間なのですぐに後方のドアを開けようとする和馬だったが。
「……石狩カズマ君」
「あん?」
真摯な声に呼び止められて振り返れば、そこには背筋を正して立つ十勝流華の姿。
「一つだけ」
「一つ?」
「ええ。……一つだけ、お聞きしたいのですが」
どこか非現実めいた白銀の瞳が、真っ直ぐと和馬のことを見据えている。
真正面から見つめられると、その瞳の中に吸い込まれそうになる。顔立ちでも容姿でもなく、その濁りも澱みも歪みも何もない真珠の如き瞳だけをただ、和馬は自然と美しいと思ってしまった。太陽の炎や光とは真逆ででありながら同様に人の目を焼く、山いっぱいに広がる壮大な大雪原のような輝きがそこにはあった。
(ん……?)
違和感。
その視線で頭蓋を突き刺すように見つめられる経験は、初めてではない気がした。
違和感。
そんな現実離れした白銀の長髪と瞳を持つ女を、自分を含む周囲の全員が受け入れている。
違和感。
少なくともこの数刻の間、自分は彼女に名乗った覚えは断じてない。
「……貴方は今、この世界で楽しく生きていますか?」
補足も追加も無い、ただそれだけの端的な質問。
それなのに、感じるのは糾弾の色。目の前の女の真っ直ぐな視線がただ、何故と和馬に問いかけてくる。
何故お前はそうなってしまったのかと。
何故あんなことをしたのかと。
何故お前が今ものうのうと生きているのかと。
「楽しい……と思うぞ、普通に」
それら全てが理解できなくて、和馬は震える声で返すしかない。
「そうですか。それは何よりです」
朗らかな笑顔。
そんな和馬の横をスルリと抜けて、十勝流華は教室へ入っていく。
ジワリと。
一瞬、彼女の首元に巻かれた包帯が赤く滲んでいたように和馬には思えた。■ ■ ■
「H」
■ ■ ■
「H」
■ ■ ■
「応答しろ、H」
「……ずっと聞こえてんよ、Iのおっさん」■ ■ ■
「いやね、まさかそう来るとは思わなかったよ。こう見えてポーカーフェイスには自信はある方だったけどさアタシも」
「こちらとて同じだ。……あの御方にも困ったものだ。御身の重要さへの理解が足りないと見える」
「まだまだ小娘だってことだろう? 14年前、現実世界で観測された初めてのデジタルモンスター、如何にアンタらが祭り上げたって精神性は崇高な処女性を捨て切れてないお嬢様ってわけだ。一応こっちは本来の歴史の流れを辿った世界なんだけどさ、人非人そのものの姿でこの世界に乗り込んでくるたぁ恐れ入ったわ。もしかして『本当の私を偽りたくない~』みたいなお花畑な考えで──」
「不敬だぞ。我らが今こうして在るのも現人神様があればこそと知れ」
「歴史の流れを捻じ曲げて……いや別にそれはいいか。でも自分で自分の大切なもん切り捨てた奴が不敬だ何だと、ちゃんちゃらおかしいとアタシは思うけどね」
「─────」
「まあ安心しなよI。アンタのカズマは今じゃ立派な殺し屋だ。アタシがそう育てた、あの子を捨てたアンタの代わりに」
「貴様」
「そしてカズマはアンタも殺す。そっちじゃとうにニュースになってるだろ? 人間のテロリストに大本営まで乗り込まれて現人神まで傷付けられたと来ちゃ、アンタの首もヤバいんじゃない?」
「戯れだ。本来我らデジタルモンスターは人間に劣るはずがないのだ。況してや我々は人の身を媒介としている、それ単体で存在する人如きに後れは取らんよ」
「……ま、アタシも同じなんだけどさ。とっくにアタシが一人の女なのか、それともそれを喰った化け物なのかわかんなくなってんだけど……それでもアタシはアタシとしてアタシのしたいようにするだけなんだよ」
「吼えるではないか……混沌の残滓如きが」
「そりゃ吼えるさ、吼え続けてやるさ。アタシは選ばれなかった世界の残り粕だからね」■ ■ ■
「アンタらが作った東京国、間違った歴史は、アタシが潰す」
【第弐章に続く──】
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