デジモンに成った人間の物語 第二章の② ―電脳力者―

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    ユキサーンユキサーン
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      声だけが聞こえていた。

      聞き覚えなんて無いはずなのに、それは何処か身近にさえ感じられる声だった。

      それが幻聴に過ぎない『夢』なのか、過去に体験したかもしれない『現実』なのかさえ判断出来ないまま、ただそれは響いていく。

      それは、息も絶え絶えしい唸り声と、溜め息混じりな呆れた声の、言い争い。

       

      ――はぁ……ぜぇ…………っ!!

       

      ――……ったく、だから言っただろうが。いくら俺達みたいなのが嫌いだからって、相対する相手との『差』ぐらいは認識しとけ。そんな風に振る舞い続けるんなら命がいくらあっても足りねぇぞ。

       

      ――……うる、せぇ……っ!! 正義だの悪だの、そんな大義名分を掲げた奴の手で死んだ奴を、俺は何匹も見てきた……『アイツ』だって、本当だったら幸せに生きる権利ぐらいあったはずなんだ!! なのに……ッ!!

       

      ――お前の言う『アイツ』が誰の事を指してるのかは知らんが……お前、天使とかに忌み嫌われる奴を同じように嫌ってる『種族』なんじゃないのか? そいつがどうなろうと、知った事じゃないってのが本音じゃねぇのか。

       

      ――……ハッ、そんなモンは先に生まれた連中が勝手に付け加えたレッテルに過ぎねぇだろう。そんなモンに合わせる義理も理由もねぇ……。

       

      ――が、お前は現に『後悔』してんだろ。お前が本当に憎んでるのは『加害者』の方じゃねぇ。他でもない自分自身だろうに……。

       

      ――……お前に何が分かるってんだ。こんな世界で生きていく以上、どんな手段を用いてでも生き残ろうとするのはおかしいのか? 騙されるぐらいなら騙して、何でも利用出来るものなら利用して……そうでもしないと生き残れない弱者にどうしろと?

       

      ――出たよ、負け犬特有の言い訳。自分の境遇に悲観して行いを正当化すんなよ。そもそも世の中における『弱者』ってのは、本当に能力だけで判定出来るモンだと思ってんのか? 言うとアレだが、今のお前より『強い』奴なら結構居ると思うぞ。

       

      ――……っ……赤の他人の分際で知った風な口を利きやがって。ああ解ってるよ。自分の弱さぐらい自覚してる!! いくら進化しても、根っこの部分で俺は何も変われてない……だから失ったって事も、何もかも!! だが、だったらお前には解るってのか。こんな俺に、この負け犬に、必要な物が何なのか!! それを理解した上で偉そうに語ってんのか!?

       

      ――知るかよ、俺はお前じゃねぇんだ。自分の答えぐらい自分で見つけてみろ。他者の力を借りるのも勝手だが、何も信じられないのなら自分自身で探すしかねぇのが必然だろうに。いくら永く生きてるっつっても、そこまで俺は万能じゃない。

       

      その言葉に込められた意図も、その声を発している者が何者なのかも解らないまま。

      音だけが全てを表した夢は、呆気なく崩れ落ちる。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      視界が明滅していた。

      意識が朦朧とし、前後の記憶が把握出来なくなっていた。

       

      「……ぅ……」

       

      目を開けても視界の明度が不安定で、牙絡雑賀は呻き声を上げる事しか出来なくなっていた。

      最初、彼に理解が出来たのは、自分が何か薄い布のような物に被せられた状態で横になっている事と、何より自分自身の体が鉛のように動かない――と言うより、金縛りにでも遭ったかのようにピクリとも動かす事が出来ない、そんなどうしようも無い事実。

      そもそも自分は何処に居て、何が原因でこうなったのか。

      そこまで雑賀は考えた時、あまり心地良さは感じられない清掃感を醸し出す消毒用のアルコールの匂いが鼻についた。

      いつの間にか纏っている衣服に関しても普段着ている寝間着とも違う感触で、強い違和感を感じられた。

      背中を預けている物からも少し硬い感触があり、それが自宅にあるベッドではなく、学校の保健室に置かれている物とほぼ同じパイプ構造のベッドである事を推測する事は鼻につく匂いからも推測する事は出来た。

      何より決定な物として、自分の口元には酸素供給用の機材が。

       

      ……どうやら、病院に搬送されたらしい。

       

      現在時刻は分からないが、日の光が差し込んでいない所を見るに夜中なようだ。

      病院に勤めているはずの医者や看護婦の姿は首を頑張って動かしても見当たらず、室内には牙絡雑賀が独りだけ。

       

      「…………」

       

      冷静に記憶のレールを辿ってみるも、現在の状況に至るまでの経緯が思い浮かばない。

      都内のウォーターパークにて『シードラモン』の力を行使していた司弩蒼矢との戦闘した後、フレースヴェルグと名乗る男と遭遇した後からの記憶を思い返そうとすると、何故かノイズ染みた物が頭の中を通り過ぎる。

      半ば強引にでも記憶を掘り起こそうと思考を練ってみた。

       

      確か、何か凄まじい風に吹き飛ばされたような――

       

      「…………ッ!!?」

       

      そこまで考えた所で、脳裏に過ぎる激痛の記憶と共に先の出来事が鮮明になっていく。

      そうだ、自分は確かフレースヴェルグという紅炎勇輝を連れ去りデジタルワールドに送ったらしい『組織』のメンバーらしく男と相対し、会話の中で思わず怒り、その感情のままに首を取ろうとして逆に返り撃ちに遭ったんだ……と、自分がやった事も自分の身に起こったことも勝手にフラッシュバックされ、事実を受け入れざるも得なくなる。

      その中でも一番驚いたのは、フレースヴェルグが行使した圧倒的な力、ではなく。

      相手が誰にしろ、『ただの』とは付かない相手だったのしろ、同じ『人間』を自分の手で殺めようとしていたという言い訳のしようも無い事実だった。

       

      (……な、ん……)

       

      理解が出来なかった。

      自分が何をしようとしていたのかは理解出来ても、どうして『そこまで』やろうとしたのかが解らなかった。

      確かに、フレースヴェルグは悪党で、打倒するべき相手であるのは明白だった。

      だが、何も殺害しようとまでは思わなかった。

      そもそもフレースヴェルグは本当に退こうとしていたし、自分から攻撃する必要性など無かったはずだった。

      まるで、自分の意識が『別の何か』に切り替わったような……あるいは混ざり合ったかのような、これまで感じた事も無い異質な感覚だった。

       

      (……司弩蒼矢が理性抜きで動いていたのと、同じ……なのか?)

       

      冷静になって異常さに気付けたものだが、実際のところ雑賀の意志はあの場面で殺害の方針へと向かっていた。

      それに違和感も覚えなかったし、実際にそれを実行しようともした。

      もしもあの時、本当にフレースヴェルグを殺せていたら……自分は、どうなっていたのだろう。

      考えたくは無いが、フレースヴェルグの言った通り、雑賀は二度と『元の居場所』に戻れなくなっていたのかもしれない。

      姿だけならまだしも、心の方まで怪物に成り果ててしまったら――もう、普通の人間と一緒には生きられない。

       

      (……勇輝、お前は大丈夫なのか……)

       

      ふと思い返されるのは、自身がこうして事件に立ち向かう動機となってしまった友人の姿。

      先の『タウン・オブ・ドリーム』で対話した女の言葉が本当ならば、紅炎勇輝はデジタルワールドで『ギルモン』と呼ばれる種族のデジモンに成っている事になる。

      その種族の『設定』は、ホビーミックスされた物でなら雑賀も知っている。

       

      だからでこそ、不安になった。

      司弩蒼矢のように理性を保てず怪物と成り果ててしまう可能性もあれば、自分のようにいつか誰かを殺してしまう可能性すらも否定が出来ない。

      比較しても、凶暴性の面では紅炎勇輝の成っているデジモンの方が圧倒的に上なのだ。

      もしも司弩蒼矢のようにデジモンの『特徴』を色濃く引き出してしまえば、どうなるか。

      何より、もしも紅炎勇輝が『こちら側』の世界に戻って来れたとしても、その心の方が既に人間のそれと異なる物になっていたら。

      彼は、本当に『元の居場所』に戻る事は出来るのか?

       

      (……ちくしょう。踏んだり蹴ったりだ)

       

      手にした力の危険性を認識して、雑賀は思わず毒づいた。

       

      (……だが、使いこなせないといけねえ。フレースヴェルグとかいう奴の言う通り、勇輝を助けるにしても事件を解決するにしてもこの『力』は必要なんだ。どんなに危険だろうと、戦いに赴くと決めた時点で覚悟なら決まってる……決めてねえといけないんだ)

       

      雑賀は自分の右手を動かそうとしてみたが、やはり金縛りに遭ったかのようにピクリとも動けない。

      そもそも、どうしてこうも体が動かせないのだろうか? という当たり前の疑問を今更ながら思い出すが、当然ながらその答えは推測の域を出ない。

      ここが病院であるのは間違いないのだが、だとすれば全身麻酔でも投与されているのだろか。

      全身大出血レベルの大怪我を負っていたのであれば、安易に麻酔を使うと危険性も増すのだが……そもそも感覚が無いのでどの部分が怪我をしているのか、それさえも解らない。

       

      「……ったく、何なんだ本当に……」

       

      幸いにも首周りは動かせるので声も出せたのだが、話相手になれるような者はいない――はずだった。

       

      「まぁ、下手にあの鳥野郎に突っかかったお前も悪くはあるんだがな」

       

      声がした。

      夢の中の声ではなく、明らかに現実の、空気の振動から来る声が。

      より正確に言えば、雑賀が横になっているベッドの、すぐ傍から。

       

      「…………!?」

       

      それがただの声なら、病院に勤めている医者が雑賀の視界の外に居たと考える事は出来たかもしれない。

      驚く必要など無く、ただ平常通りの反応をすればいいだけのはずだった。

      それでも、雑賀が驚かざるも得なかった理由は。

      それが、ここ最近聞き覚えのある人物の声とそっくりであったからだった。

       

      (……んな、馬鹿な事が……)

       

      信じられないように思いながらも、顔だけを声のした方へと向けると。

      そこに居たのは、

       

      「……苦郎……!?」

      「……まぁ、初対面じゃねぇし解っちまうか」

       

       

       

      縁芽苦郎。

      まだ蒼矢と相対さえしていなかった時に自宅へとやってきた女の子――縁芽好夢の義理の兄であり、牙絡雑賀と同じ学校に通っていて、恐らく誰よりも事件という『面倒事』に首を突っ込もうとはしないと、雑賀自身考えていた青年の名だった。

      その容姿は白のカッターシャツに黒のズボン――ただ、それだけのシンプルな物。

      だが、その容姿から来る印象は、以前見た怠け癖の激しいものとは明らかに違う、全く『別人』にさえ見える物。

      その変化の大きさに戸惑いながらも、率直に雑賀は疑問を口にする。

       

      「何でお前が此処に……? っていうか、こんな夜更けに何してんだ!?」

      「おいおい。フレースヴェルグの野郎に吹き飛ばされて気絶し、更には大怪我まで負ったお前に救急車を呼んだのは俺だぞ……あと、俺が夜型な生活を営んでる事を知らなかったのか?」

       

      当然のように返された言葉にも疑問しか浮かばなかった。

      何故、縁芽苦郎は『組織』の一員らしいフレースヴェルグの名も、それと相対した雑賀が大怪我を負った事も、全て『知っている』のだ?

      夜型の生活を営んでいるなど、そのような発言以上の異常性が含まれているのは明らかだった。

      だから、様々な疑問を問う前に雑賀はこう切り出した。

       

      「……お前はどこまで『知っている』んだ?」

      「多分、お前よりはずっとな。だから、お前の疑問にはある程度答えを出せる」

       

      恐らくは、お見舞いに来た人物のために置かれているのであろう小さなパイプ椅子に、苦郎は腰掛けて。

       

      「……それじゃ、大体お前の疑問は予測が付くから話すとするか。お前やフレースヴェルグ、そして俺も含めた異能の持ち主……『電脳力者《デューマン》』について」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      現在時刻、午前二時四十三分。

      もうとっくに『深夜』と呼べる時間へ突入した夜の街は静まり返り、人の気配も殆どしなくなっている。

      そんな夜の中、半裸にカットジーンズで黄色い瞳の男――フレースヴェルグは、とあるマンションの一室にて文字通り羽を休めていた。

      数時間――最低でも五時間近く前に『ガルルモン』の力を宿した牙絡雑賀を吹き飛ばしたその男は、何故か気だるい感じの声で言う。

       

      「……あ~、キツかった。流石に夜勤も込みだと、このフレースヴェルグさんでも普通に疲れるんだっての……」

       

      彼の視線は、同じ一室に居る別の人物へと向けられている。

      上半身から下半身までを覆い隠せるほどの大きな青色のコートを着た、彼にとっては馴染みが薄くも無い人物。

      フレースヴェルグと同じく『組織』に属する一人であり、彼とはまた別のデジモンの力を宿している者。

       

      「……まったく、何故勝手に牙絡雑賀と接触した? またいつもの衝動か?」

      「いいじゃんかよ。俺が接触した所で何か問題起こるわけでもなし、それ以前に俺よりも先に『あの女』が接触して情報提供してる。今更俺の姿を見られたにしても問題はねぇだろ」

      「……見られただけならまだいい。が、下手踏んで牙絡雑賀や司弩蒼矢を殺してしまったらどうするつもりだった? まさか『この程度で死ぬんならどの道必要無い』なんて言うつもりでは無いだろうな」

      「まぁそういう本音もあるんだが、どっち道死なないようにはしたぞ。風力も手加減出来てたし、飛ばした方向には転落防止用のフェンスが取り付けられたビルだってあった。まぁ、見事にそれには引っ掛からなかったわけだが」

      「『ただの人間』なら死んでもおかしくない高度と言っていいと思うがな。人間の頭蓋骨は数メートル程度の高度から落下しても砕けてしまう。いくらデジモンの力を宿していようが、脳をやられてしまえばどうしようも無いぞ」

      「だからそこも考慮してたって。それに、アンタの言っている危険性は『頭から地面に落ちた場合』の話だ。腹か背中の方から落ちた場合は入らない」

      「どっちにしても致命傷の可能性はあっただろうが。胸か背中の骨でも折れれば大惨事だぞ」

       

      溜め息混じりな声で話す青コートの男は、台所のガスコンロに火を付けて何らかの料理を作っていた。

      時刻から考えると何とも生活のリズムが噛み合っていないようにしか思えないが、わざわざ青コートの男がこのような時間に料理を作っているのには理由がある。

      フレースヴェルグが「腹減ったからメシを食わせろ~!!」と煩いのだ。

      そんなわけで、台所からは食欲を増し増しにさせる匂いが湧き出ている。

       

      「まぁ、どっちにしろ大丈夫だって。救急車が二人のガキを搬送した所を確認してる。だから過ぎた事をいちいち愚痴みたいに言ってくんなよ~」

      「………………」

      「……あり? どしたんだアンタ。おい、ちょっと……ッ!?」

       

      結果論を語るフレースヴェルグに向けて、青コートの男は片手――正確にはコートの袖口を向けた。

      フレースヴェルグが言い訳を述べる前に、物理法則を無視してコートの袖口から蛇のように包帯が巻き付いて行く。

      数秒ほどで、室内には怪我をしているわけでも無いのに、全身包帯巻きでミイラみたいな姿になった元半裸の男が完成する。

      巻き付けた包帯に力を込め、フレースヴェルグの首を締め付けながら青コートの男が低い声を出す。

       

      「……お前が楽しむのは勝手だが、その一方で俺の苦労を水増しさせるな。何度お前の所為で予定が狂いそうになったと思ってる? 『組織』の計画が頓挫したらどうしてくれるんだ」

      「ぐ、ぐぇ……っ、首絞まる、首絞まるって……!!」

      「締まっても構わん。というかお前は『組織』の方針から見ても、明らかに目立ち過ぎるし被害を与えすぎる。そもそも喧騒と争いを起こすのはお前ではなく『ラタトスク』の役割だろうが。本当に、どうして『組織』でお前のようなお調子者が監視役を担っている……?」

      「ぐ、ぬぐぐっ……そ、それは俺が獲物を死角から見据える事が出来て、あまり目立たない動きも出来るから……だったような……」

      「お前の元ネタは目立たない以前に『巨人』だろうが。そして『オニスモン』の体格も本来はかなりの物だ」

       

      そんなこんなでちょっと頭痛がした風に頭を押さえる青コートの男だったが、どうやら料理が完成したらしい。

      湯気が立ち上る鍋から食材と出汁を器に注いでいくと、リビングに設置されている木製のテーブルの上に置き、フレースヴェルグの拘束も解除した。

      くんくん、と反射的に匂いを嗅ぐフレースヴェルグは、率直に疑問を発した。

       

      「……何作ったんだ?」

      「鍋物」

      「何でこのクソ熱い夏場に鍋物!? 氷でも入れて冷鍋にでもした方が絶対いいだろ!!」

      「……逆に聞くが、どうして俺がお前のためにそんな気遣いをしなければならない? こんな時間に作ってやっただけでもありがたく思え」

      「はぁ……まぁ熱い物を食うと逆に涼しさを強く感じられる、とか聞くしいいけどよ……ん? ちょっと待てこれってダシに使ってるのもしかしなくともトリ肉じゃ」

      「安くて量も確保出来るからな」

      「もしかして俺のことそういう風に見てた? 串で刺す予定なの???」

      「釜茹でも悪くない」

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      「……デューマン?」

       

      告げられたキーワードに怪訝そうな声を漏らす雑賀に対し、縁芽苦郎は言葉を紡いでいく。

       

      「お前を含めた『異能の持ち主』の呼び方は色々ある。超能力者とか魔法使いとか、この辺りは一般的な例だな。お前やフレースヴェルグとかの場合、電脳世界……もしくは電子世界とでも言うべきか? そこに存在する生命体であるデジモンの力を行使するだろ? 一番使われている名前は、そこから文字った物だな」

      「……それは?」

      「候補としては色々あったらしいが、最終的には電脳の力を宿す者と書いて電脳力者と呼ばれるようになった。語呂の良さもそうだが、一番単純で理解しやすかったんだろうな。デジモンの『デ』と人間の英語読みである『ヒューマン』を混ぜ込んだ、本当に単純なネーミングだ」

       

      電脳力者《デューマン》。

      それが牙絡雑賀や司弩蒼矢、そしてフレースヴェルグ等の『異能を宿した人間』の通称らしい。

       

      「……それで、俺や蒼矢が使っていた『あの能力』は何なんだ? 俺は直球で『情報変換《データシフト》』って呼んでたけど……実際のところ、本当に司弩蒼矢が言っていた通り『自分自身を含めた身の回りの物質の情報を書き換える』能力なのか?」

      「実際にはそこまで万能じゃないけどな。宿してるデジモンの属性や個性とか、そもそも『変換した後』の物質の情報を取り込んでいないと上手く作動はしない。俺は戦闘を見ていたわけじゃないから詳しく知らんが、司弩蒼矢って奴が宿してたデジモンの種族は知ってるか?」

      「シードラモン」

      「それなら多分、少なからず海……という『環境』の『原型情報《マターデータ》』が内包されたんだろうさ。アニメでも描写されてただろ? デジタルワールドの陸上生物は『水の中では呼吸が出来ない』と認識しちまってるから濡れるし溺れちまう。だが、一方で『水の中では呼吸が出来ない』と知性や本当で認識することが出来ない機械とかは濡れも壊れもしなかっただろ」

      「……一定の『環境』に順応出来るように、エラ呼吸の器官とかとは別に『水』のデータが組み込まれているから? だから、構造上『同じもの』であるシードラモンとかは水で『溺れる』事が無いし、水を使った攻撃を使う事が出来たって事か」

      「他のデジモンにも同じ事は言えるな。十闘士がそれぞれ宿す属性……『炎』『光』『風』『氷』『雷』『水』『土』『鋼』『水』『木』……そして『闇』。口から炎を出すとか、掌に光を纏わせるだとか、そういう事が出来る理由もそこにあるんだろうさ。そしてその過程には、多分デジモンが生息している『環境』の『原型情報《マターデータ》』が関わってる」

      「シードラモンは基本『海』に生息するデジモン。だから『海水』のデータをある程度宿していて、それを介する事で『別の水』を『海水』に変換する能力を司弩蒼矢は使えたのか」

      「まぁ、シードラモンって種族の特徴から考えても、本能の部分で『そうする事が出来る』って理解してたんだろうさ。電脳力者が何を何に変換出来るかなんて、結局は発想と確信による物が大きいし」

       

      まるで、というか確実に既に知っている情報として言葉を述べる苦郎の姿は、雑賀にとって何処か遠いようにも見えた。

      デジモンに関する知識も、多分に持っているようだ。

       

      「……にしても、大丈夫なのか? こんなに普通に話してたら、誰かに聞こえちまうんじゃ……というか明らかにお前不法侵入じゃねぇか。何処から入って来た?」

      「同じ理屈が数時間前のお前にも当てはまりそうなモンなんだが。まぁ、そこは大丈夫だ。『ただの人間』には覚醒した『電脳力者《デューマン》』の姿を捉える事は出来ないし」

      「……どういう事だ?」

       

      思えば、前々から勃発している事件の実行者は一度たりとも姿を目撃されたことが無かったらしい。

      だが、現に牙絡雑賀はウォーターパークでの戦闘の後、フレースヴェルグと名乗る『組織』の一員を目撃している。

      同じ『電脳力者《デューマン》』に覚醒したから目撃出来たのかと雑賀は思ったが、そもそも縁芽苦郎は毎日家族に姿を見られているはずなのだ。

       

      そこには、間違い無く『別の理由』が存在する。

      そして、縁芽苦郎はその予想を一切裏切らなかった。

      暗い室内の中、雑賀どころか殆どの人間が知らないと思われる真実が更に告げられる。

       

      「じゃ、お前の言う『|情報変換《データシフト》』の疑問は後回しにして、次の話題に転換すっか……『デジタルフィールド』についてだ」

       

      デジタルフィールド。

      その単語についてもまた、雑賀も『アニメ』で登場した設定としての理解があった。

       

      「……確か、それアレだろ。現実世界にデジモンが実体化する際に生じる、個体によっては小規模な、濃霧の形をして生じる力場の事だろ? 外部からは内部の状況を観測する事は殆ど出来なくて、その位置はデジモンだけが感知出来るっていう……一方で、人間は『デジヴァイス』を介さないと肉眼でしか捉える事が出来ないんだっけか? 全く視えないってわけじゃなかったよな」

      「ああ。俗な方向ではそうなってるな」

       

      苦郎は当然のようにそう返してから、

       

      「それと似ているようで、ちょいと違うモンだ。連中が使っている名称だと『ARDS拡散能力場』。それがある限り『ただの人間』には電脳力者たちの活動を感知出来ず、視界内に『本当は』存在していたとしても頭の方が情報として処理、認識出来ない。仮に監視カメラを使ったとしても、そこに残っている映像に『怪しい人物』の姿は観測出来ない。別に古いテレビがザーザー鳴っているわけでもないのに、な」

      「……それが、例の『消失』事件で明確な『犯人』の姿が観測されなかった理由……? そんな、犯罪者にとっては都合の良過ぎる情報隠蔽が可能なフィールドなんて……」

      「おかしな話だろ? その中じゃ、仮に警察官が大勢でバリケードを張っていたとしても、そいつ等が『ただの人間』なら『犯人』は顔パスも何も無しに素通り出来るって寸法だ。ハッキリ言って、電脳力者絡みの事件じゃ警察なんてアテには出来んよ」

      「………………マジかよ」

       

      言わんとしている事が、何となく理解出来た。

      死者の魂が向かう場所とされる天国に地獄や、似たように天使や神様が住まうとされている天界と、悪魔や魔王が住まうとされている『魔界』や『冥界』……そういった、名前だけは一般に浸透しているほどに知られていても『実在している光景』を見た事がある人間――正確に言えば、生きている人間はいない。

      そして、それと同じように。

      人間の目は赤外線や紫外線を見る事が出来ないし、耳で高周波や低周波を聞き取る事も出来ない。

      現実ではその強弱を専用の機械で測定し、天気予報という形で情報が世に広まってこそいるが、実際にそれを感知しているのは鉄と電子器具の詰め込まれた機械。

      宇宙へ飛び立つロケットで雲をブチ抜いても、天空に国が見えるわけでは無いように、仮に『異世界はある』と過程してみれば、人類がそれを見た事が無い理由が『高度』には無いことが解るのだ。

      つまり。

       

      「……人間が、五感を介して感じ取ることが出来ない領域。科学的に言えば赤外線を浴びた物質は熱を持つし、重力下のあらゆる物体は浮き上がるための力も足場も無ければ何処までも落ちる。それと同じで、人間の目や耳では感じ取れない『力』が何らかの膜を張った事で形成される特異なフィールドって事か……」

      「ああ」

       

      あの時、雑賀は足しいかに何らかの『違和感』を感じ取っていた。

      どうして自分が気付けたのかという疑問に対しては、先のタウン・オブ・ドリームで遭遇した『組織』の女から聞いた『特別性』とやらが絡んでいると思って処理していたが、どうやら実際に『そういう』時条があったようだ。

      そして、そこまで考えれば、雑賀が感じ取った『違和感』の正体も明白になる。

      そう。

       

      「……あの時感じた違和感そのものが、あのウォーターパークに発生していたデジタルフィールドだったわけか。だから、目や耳を使ったわけでも無いのに頭の方で感じ取れて、正確な位置さえも察知出来たんだな……」

      「電能力者が『力』を行使した歳、本人の意志に関係無く発生されるわけだからな。俺は感知出来なかったが、お前には感知出来た。多分この辺りは宿ってるデジモンの能力が関係してるんだろうが、俺が感知出来たのはフレースヴェルグの野郎がお前をブッ飛ばした辺りだったな。要するに、奴が『オニスモン』の力を使った時。当然だがあそこでの出来事は『ただの人間』には誰にも知られなかったから、戦闘で発生した破壊痕の原因も突き止められないだろうな」

      「……そうか……」

       

      ふざけた話だ、と雑賀は頭を押さえ付けたくなったが、金縛りの掛かった体は動く事もままならなかった。

      今でこそ誘拐事件で収まってこそ居るが、電脳力者は、法の番人たる警察の目の前ですら『何でも』出来るという事だ。

      人格によっては実行するであろう盗みも、冤罪の人為発生も、殺人さえも、笑顔のままに横行される。

      ……そんな事が毎日起きるような世界になってしまえば、もうおしまいだと言っていい。

      突然起きた出来事に混乱し、誰も彼も信用出来なくなる絵図が容易に想像出来てしまう。

      その不安を予想しきった上で、苦郎は言葉を紡いだ。

       

      「まぁ、お前が危惧してる事は想像付くから先に言っておくが……『そうなる』事を望まない電脳力者だって居るのも事実だ。具体的に言えば、連中――あのフレースヴェルグって奴も入ってる組織に対抗するための枠組みって所か」

      「……? アイツ等に対抗してる、別の電能力者がそんなにいるってのか?」

      「中学二年生っぽく言わせてもらうなら、光あらば闇あり、闇あらば光ありって所かね。あるいは、犯罪者に対する警備員か。ともかく、あの鳥野郎が属している組織に比べれば小規模だが、何も対抗してる勢力がいないわけじゃねぇって事だ」

       

      それを聞いた雑賀は、ほんの少しだけ安堵出来た。

      少なくとも、これから先たった一人で立ち向かわなければならないわけでは無いことが解ったからだ。

       

      「……ちなみに、俺も俺なりの理由でその枠組みに入ってる。わざわざこんな時間に顔出しした理由の一つには、お前にもそれを伝えた上で選択してもらおうと思った事もあるのさ」

       

      雑賀自身、縁芽苦郎の人格を詳しく理解しているわけでは無いが、少なくとも悪人で無い事だけは信じている。

       

      「……言いたい事は理解出来た」

       

      だが、抱く疑問はまだ残されている。

      それを払拭しない限り、安易に信じることは出来ない。

       

      「だけど、お前が俺の事情を知っている一方で、俺はお前の事を知らない。知り合いレベルの付き合いがあるとしても、お前の言葉が本当だったとしても、簡単に首を縦に振る事は出来ない」

      「……そうか」

      「お前はさっき、俺やフレースヴェルグ……そしてお前自身の事を電能力者だと言った。俺が『ガルルモン』を宿しているように、フレースヴェルグが『オニスモン』を宿しているように、お前も脳に何かデジモンを宿してるんだろ」

      「ああ」

      「お前の目的はあえて聞かない。少なくとも、奴等と敵対関係にあるって事だけは信じられるしな。だから、お前が俺の事を知っているように、俺にもお前に関する事を教えてくれ……同じ枠組みに入るんなら、お互いの情報を認知し合っていても問題は無いはずだろ?」

      「……そうだな」

       

      恐らく、その問いに関しても苦郎は予想出来ていたのだろう。

      自分だけが相手の事を知っていて、その相手は自分の事を何も知らず。

      そのような関係では、協力者としての信頼など得られるわけが無いからだ。

      溜め息を吐くような調子で肯定すると、やがて面倒くさそうに、本当に溜め息を吐いた。

       

      「……先に『警告』しておくが、俺の事は間違っても好夢には言うなよ。それさえ守ってくれれば、他はどうでもいい。俺に関する情報なんて、どうせ奴等の一部には既に知られている事だしな」

       

      その言葉だけで、縁芽苦郎の『理由』は語らずとも理解するには十分だった。

      故に、雑賀もその『警告』には異論も疑問も無かった。

       

      「解った」

       

      その返事を、確かに聞くと同時に。

      苦郎は雑賀の前の前で、その姿を当たり前な調子で変質させていく。

      何の予備動作も無く、何の無駄も無いその変容っぷりは、雑賀がこれまで想っていた苦郎のイメージを覆すほどで、まるで――いや確実に自分や縁芽好夢が『知らない場所』で戦い続けてきた証拠のようにも見えた。

      まず、制服の端から見える皮膚は全身にかけて濃い目の茶色を帯びていき、その体表の変化を基軸に頭部からは山羊のように歪曲した二本の角が。

      続けて、鋭い爪を生やした両腕の筋肉が発達するのに合わせて白い制服が粒子に分解され、両脚もまた間接が増えて獣のような形に変わると、履いていた黒いズボンや靴もまた必要だと判断された部分だけを残し腰巻きのような残骸へと成り果てる。

      その瞳に赤色を宿し、二の腕や腰元には黒色の鎖が巻き付き、終いには背から紫色の膜を張らせた六枚の翼が生えて、彼の変貌は終了した。

       

      「……おいおい……」

       

      その外見は悪魔と呼ぶに相応しい、欲望を醸し出す罪の象徴とさえ言えるもの。

      その種が司る力は凄まじく、時としては圧倒的な暴力へと変換されるもの。

      それを見た雑賀は思わずといった調子で、こう言った。

       

      「……そりゃあ、ある意味においてはお前にピッタリと言えなくも無いかもだが……いくら何でも、そんな大物を抱えてやがるとか予想外だぞ」

      「望んで宿したわけでも無いし、盛大な椅子取りゲームの結果としか言えんのだがな」

       

      その口調もまた、その種に相応しい物へと変質しているように思えた。

      雰囲気も口調も何もかもが異なる彼に向けて、雑賀はその種の名を紡いだ。

       

      「七大魔王、怠惰の『ベルフェモン』……。こういう場合は頼もしいと言うべきか、それとも恐ろしいと言うべきなのか分からないな……」

      「恐れられる覚えこそあれど、頼もしく思われる覚えは無い。……ひとまず、これで確認は済んだな?」

       

      そう言った苦朗の体から再び粒子が生じると、その体は『ベルフェモン』と呼ばれるデジモンに類似したそれから元の姿――制服を纏った青年の姿へとあっさり戻していた。

      どうやら言うところの『情報変換』を解除したらしい。

       

      「え、制服とかズボンとか、そういうのも戻るのか? 司弩蒼矢の時もそうだったが」

      「身に纏っている衣類とかは、肉体を変化させる過程で邪魔だと判断された場合、あんな感じでデータの粒子に変換して『肉体の一部』として吸収されるのさ。よく、女の変身ヒーロー物とかでも衣類が丸ごと変わった後、変身を解除した時にはあっさり『元の形』に戻ってただろ? それと似た理屈だ」

      「……ちょっと待て。『肉体の一部』として吸収されるって事は、つまるところ変身の後の姿で外傷とか受けた場合……」

      「まぁ、確実に欠損するわな。お前みたいに『獣型』のデジモンの力を行使する場合、骨や肉とか皮膚の次に『身に纏っている物』が変換の対象になる。俺みたいな悪魔……いや『魔王型』に関しては、種によって変わるんだが……三体ぐらいは衣類とかを一部『巻き込んで』変換する事になるだろうな。現に、俺は腕とか脚とかの部分的な変化が大きいから、あんな感じで制服もズボンも粒子変換されてただろ」

      「うわ、マジでか!? あの時の戦いの最後の辺りで、俺思いっきり氷の矢とか食らってたわけなんだけど!!」

       

      どうやら、原型となるデジモンの種族――そしてその骨格によって、身に纏う衣類にも影響は出るらしい。

      変身ヒーローの定番――と言えば簡単に思えるが、実際に『それ』が起きる事はまずありえないと言っていい。

      粒子だろうが量子だろうが、物体を粒状に変換して、また必要な時に『元の形』に修繕されることなど、実際はSFよりもファンタジー色の方が濃いぐらいだ。

      それならまだ、衣類の上からアーマーやら何やらを新たに纏っている方が、現実味があるレベルだろう。

       

      「……つくづく不思議なもんだ。物理法則って何なの? アテに出来ないのは警察だけじゃないって事かよ」

      「まずは『何が起きてもおかしくない』って前提を受け入れてもらわないとな。現実世界だからイレギュラーっぷりが引き立ってるってだけで、デジタルワールドではそんなにおかしい事でも無いかもしれねぇし」

       

      雑賀には当然知る由も無い事だが、実際に彼の友である紅炎勇輝は『感情』を力に変換する事で危機を脱している。

      その仲間となったデジモンも、同じく。

      物理法則を越えた力を敵味方の両方が行使出来るという事は、これまでの常識をある程度捨て去る必要があるのだろう。

      既に体験しているからか、雑賀は『それ』に対して拒絶する事も無かったが。

       

      「……ところで、結局あのフレースヴェルグ……あと、勇輝を『ギルモン』としてデジタルワールド送りにした奴の属する『組織』ってのは何なんだ? 『タウン・オブ・ドリーム』で俺に情報提供したあの女曰く、勇輝の存在が重要になってるらしいが……」

       

      根本的に、敵となる『組織』の思惑は不透明だ。

      自分よりもこの手の問題に対面してきたであろう苦郎なら、何かを知っているかもと雑賀は期待したが、

       

      「それについては俺も解らん。成った種族が『ギルモン』である事を考えると『デジタルハザード』の刻印が何か絡んでるのは確実だろうが、それで具体的に何をしようとしているのかまでは解らない。単純に世界崩壊とかを考えてるわけじゃないっぽいしな……」

       

      どうやら、その『組織』の目的は苦郎も把握してはいないらしい。

      だが、返事を返した直後に彼は言葉を紡いだ。

       

      「ただ、その組織の名前はハッキリしてる。以前相対した時、割りとあっさり口を開いたからな」

      「……俺と会話した時には『組織』としか言ってこなかったんだが」

      「知らん。犯行前に予告状を送る怪盗でもあるまいし、その時には必要性を感じなかったからじゃないか?」

       

      そう言われると、どうにも反論出来そうにも無かったので黙り込む雑賀。

      それに構う事も無く、苦郎は既に知っていた情報として告げる。

       

      「奴等の属する『組織』の名前はな――――」

       

      決定的な、それでいて不透明なその名を。

       

       

       

      「――――『シナリオライター』。そう言うそうだ」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      同じ頃、同じような状況と同じような部屋の中にて。

      とある青年の、深層にまで沈み込んでいた意識が回復し、その瞳が暗闇に開いていた。

      司弩蒼矢。

      つい数刻前までバケモノと化し、とある狼男と死闘を繰り広げていた隻腕隻脚の青年だった。

       

      「……ぅ……」

       

      その意識は朦朧としていて、実を言えばその原因たる人物も同じような状況だった事を彼は知らない。

      状況を確認する前に消毒用のアルコールの匂いが鼻に付いたので、彼は自らが置かれた状況を瞬時に理解出来た。

      そして、自身が未だに隻腕と隻脚であるままこの場に居るという事が、どういう事を意味しているのかも。

       

      (……僕は負けた、のか……)

       

      単なる競技でのそれとは、全く違う意味合いを持った二文字の言葉。

      それが、彼の頭に深く深く突き刺さっていた。

       

      「………………」

       

      あれだけの有利条件が重なった場で、敗北に繋がる要素など考えられなかったのに。

      他でもない、自分自身の『これから』が掛かっていたのに、負けた。

      顔も見た事さえ無いであろう相手に、掲げていた理由も、闘う意思さえも否定された。

      何より、こうして生かされたまま病院に送られた。

       

      「……くそっ……」

       

      悔しい、という感情が沸き立つ前に、根本的な部分で彼は苦悩していた。

      あの行動が『正しい』行いでは無い事ぐらいは明らかだった……が、それなら自分にどういう手段が残されていたのか?

      何事を行うのにも必要な腕も、地を蹴り歩を進めるための二本の脚も、それぞれ一つ失って。

      自分の個性を引き立たせる事で、その存在を認めさせるのも出来なくなって。

      病院で療養生活を送り続けていても、心中に不満は募り続けて。

      心の何処かでは、家族と会うことさえ恐れてしまっていたというのに。

      自分に、何が出来た?

      分からない。

       

      「……牙絡、雑賀……」

       

      自身を打ち負かした相手の名を呟くが、そこにはもう敵意も殺意も無かった。

      まるで、意思も何もかもが霧散してしまったかのような声だった。

      そんな状態だったからなのか、あるいは行動の起点となっていた理由さえも解らなくなっていたからなのか、今の彼には『力』を行使する事は出来もしなかった。

      そして、行使しようとも思えなかった。

      彼の意識は、再び深海のように深き無想へと沈んでいく。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      対話が終わり、病室から出て行った縁芽苦郎は自宅に戻っていた。

      彼は半ば無断で病室に入っていた立場のだが、彼が居た痕跡は現実に残されてはいないだろう。

      牙絡雑賀との会話を開始する以前に、既に彼は電脳力者としての『力』を行使して情報を遮断していたのだから。

      尤も、閉じている扉や窓を開けたままにしたり、電気を付けたりすると『記録に残る物』はあるので、彼が侵入……そして脱出に使ったルートは自動ドアが存在するロビーでは無く、洗濯物を干したりドクターヘリを利用するのに使われているのであろう屋上だった。

      落下防止用に人の背丈と同程度の柵が設置されていたが、彼はそれをよじ登る事も無く、その体を雑賀の目の前で見せた『ベルフェモン』を原型とした物へと変異させると、六枚の翼を羽ばたかせて病院の敷地内から飛び立ったのだ。

      そうして、肉体を変異させたままマンションにある自宅の玄関前へと着地し、閉じられている扉に鍵をピッキングでもするかのように慎重に差し込み、彼自身が小規模に展開している力場の効力によって音も無く室内に入っていく。

      あくまでも『ただの人間』の範疇に入る親は目撃する以前に眠っており、当然この時間帯になると縁芽好夢も同じく寝床に着いていた。

      自室に戻った彼は、状況を確認し終えると肉体を変異させている『力』を解除する。

       

       

       

      「――がふっ……」

       

       

       

      途端に、彼は自身の左胸の部分を左手で押さえ付け、口から出さざるも得なかった物を右手の中に吐き出した。

      その色は、紅かった。

      だが、それを見ても彼は何の動揺も見せず、その吐き出した物をティッシュで即座に拭き取ると、何ら変わらない調子で寝床の上に横になった。

      つまる所、そんな生活を彼はずっと前から続けていた。

      それが、彼にとっては『当たり前』の日常となっていただけだった。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      翌日。

      縁芽好夢は、今日もまた登校の時間だった。

      高校の基本的な登校時間が全日制の場合は八時頃、通信制の場合は九時頃を基準としており、中学生の基本的な登校時間と言えば前者に近い物だったりしている。

      そういうわけなので。

       

      「うおおおおおおおおおお!!?」

       

      現在位置・自宅。

      何故かそんな時間になってから意識を覚醒させるに至ってしまった現役女子中学生こと好夢ちゃん(13さい)は、デジタル時計が刻んでいる『AM7:32』という絶望的な数字を目にすると同時、開口一番からムンクの叫びの如く大声を発していた。

      意識を覚醒させて間も無いという状況の時点で当然だが、彼女が現在見につけている物は未だにパジャマのまま。

      何もかもが初期装備状態の彼女が、このような状況に陥ってしまった理由はと言えば、

       

      (……昨夜珍しく外出していた苦郎にぃがいつ頃帰ってくるのか軽く深夜まで耐久して、もう深夜近くになった辺りで寝落ちしちゃったんだ……っていうか目覚まし時計のスイッチ入れ忘れてるし!! わぁ、うわぁ、なんてこったーっ!!)

       

      まだ一般的な高校生レベルの成長さえしていない体な好夢に、深夜バージョンの睡魔に耐えうるほどの耐久力は無かったのだ。

      これは、規則正しい生活リズムで過ごして来た者が、いきなり不順な方向へシフトしようとした結果。

      そして、好夢は気になってある意味においての張本人が眠っているのであろう部屋の扉の前に立つ。

      居なかったら大変だ。居たら居たで眠っているかだらけているはずだ。

      そう思いながら扉を開けた彼女が目にした物は、

       

      「……んぉ、珍しく起きるの遅かったな。おはよう」

       

      何と、いうか。

      征服は割りとキッチリ着られているし、洗顔でも済ませてきたのか、普段と比較すると眠気を感じさせない顔立ちだし、既に登校前の準備は済んでいるようだし、なんというか余裕ありすぎだし――――と、一見悪い部分が何も見受けられない状態の縁目苦郎の姿があった。

      好夢の知る普段の彼との差異もあり、本当ならば素直に感心か疑心でも抱くべき場面ではあるのだが、それでも好夢は問いを出していた。

       

      「……なんで珍しく早起きしてると思ったら、今度はあたしの事を起こしてくれなかったの?」

       

      言っている自分自身、変だと思える言葉だった。

      対する苦郎の返答はシンプルな物で、

       

      「いやぁ、正直好夢の部屋まで入って起こすのが面倒だったし、仮に起こしてたとしても俺が得する事も無かったし、まぁ要するにメンドくさかった。それだけ」

       

      「薄情すぎる!! そりゃあ血を分けた関係じゃないのは解ってるけど、それにしたってそれが妹に対する兄の対応なわけ!?」

      「対応なわけです。つーか、逆に聞くけど普段から早起きの好夢がどうして寝坊してんだ? 根本的な事を言うけど、それはお前の自業自得って奴だよ。ほら、さっさと用意しないと遅刻するぞ」

      「うぐっ……」

       

      それを言われると反論が出来ない、といった顔で口篭る好夢。

      寝坊以前に夜更かしの理由が理由なので、これ以上食い下がろうとすると面倒な話題に発展しかねないからだ。

      しかし、それでも好夢には一つだけ聞いておきたいことがあった。

       

      「……でも、実際のところ苦郎にぃは何処に行ってたの? 昨日、雑賀にぃの家から帰ってきたら、いつの間にか家からいなくなってたし……」

      「あぁ、そんな事か」

       

      苦郎は一度、相槌を打ってからこう答えた。

       

      「別に大した事はしてないさ。ちょいと使い過ぎたシャーペンの芯と、夜を更かす用にコーヒーの補充にコンビニに行って……まぁ、後は適当に散歩してたってところだな」

      「本当に? 隠してる事なんて無いよね?」

       

      そんな事を聞いてしまえば、思惑次第で嘘を吐くか、適当に返される事ぐらいは理解していた。

       

      そして、苦郎はさも当然のように、肩を竦めながらこう言った。

       

      「お前相手に嘘を吐く理由があるかよ。大体お前、俺が隠してたエロ本とか全部掻っ攫って行ったじゃねぇか。今更隠している事があるとすれば俺が実は清純なメイドっ娘よりも墜天使染みたダーク系の衣装を着たタイプのが好みだって事ぐらいだよ」

       

      限り無く適当な声調な上に、果てしなくどうでもいい事だった。

      それだけならまだ踵を返すだけで済んだのだが、清純という言葉とは対極に位置するとしか思えないこの兄は更に余計な事を言いやがった。

       

      「まぁ、夜遊びも程々にな。好夢に十八禁モノの世界は早すぎる。もうちょっと成長して、童貞の下半身ぐらいは起こせるようになってから」

      「一生沈んでろ」

       

      そんなわけで。

      愚かにも会話の途中で視線を女性としての魅力が集約されるであろう部位即ちお胸サマの方へ向けながら地雷を踏み抜いたクソ野郎はそのまま好夢の(割りと本気な)右ストレートを受けて以下略なのだった。

      本当ならばそのまま連続で締め技の体勢に移行したかった所だが、生憎こんな事で時間を消費出来るだけの余裕も残されていないので、好夢はリビングで既に作り置きされていたトーストと温野菜のサラダと卵焼きを丸ごと物理的にサンドイッチにすると、さながら圧縮でもするかのように食べ、幸運にも先日の時点で用意を済ませていた荷物を手に、制服に着替えて出発する。

      縁芽好夢は、学校に向かう際に徒歩による通学を基本としていて、このような状況でそれを強行すればどんな事態に陥るか、理解もしている。

      つまるところ、食べて直ぐに運動をしているのに等しいわけなので、胃というか腹の中が痛かった。

       

      (残り時間は……13分!! ショートカットなんてまず無いし、もうこれ全力で走っても間に合わないんじゃ…………いや、諦めない。遅刻なんて絶対にやだ!! そんな事になったら叉美のヤツに笑われる!!」

       

      とにかく限界とか痛みとかを無視して脱兎の如く疾走する。

      大きな事件が起きていようが何だろうが、今日も東京の人だかりに変化は無かった。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      ベッドの上で横になっている状態は、長く続くと安らぎではなく苦痛を覚える事があるらしい。

      窓際にかけられた真っ白なカーテンの隙間から日光が差し掛かってきた頃、牙絡雑賀は目を覚ますと同時にそんな感想を漏らしていた。

      体が普段よりも重く、肌寒さから防護するための布団や酸素供給用のマスクさえ窮屈に感じられてしまう。

      本当に苦しそうな、あるいは開放感を宿した声と共に上半身を起き上げさせ、口元のマスクを外すと不意に欠伸が出た。

      どれぐらい眠っていたのか――それを確かめようと周囲を見回していると、ちょうど背後の方に医者や患者の視点からも診見やすいようにするためか、やけに電波時計染みた機材が壁に設置されており、それが時刻や湿度の情報を記載していた。

       

      (……病院ってのも、見ない内に近未来っぽくなってきたのかねぇ……)

       

      そうこう考えていると、何やら壮年の痩せ細った医者が一人、ドアを開けて部屋に入ってきた。

      縁芽苦郎との邂逅の際には体が金縛りの状態にあったため確認出来なかったが、どうやらこの病室は雑賀以外の病人がいない個室の空間だったらしい。

      漫画であれば横に線を引くだけで表現出来そうな目をしたその医者は、目を覚ました雑賀を見て開口一番からこう漏らしていた。

       

      「ほっほーい、とりあえずは無事なようだね?」

      「……色々すっ飛ばしてそんな事を問われても、反応に困るんですけど」

       

      自己紹介も、怪我人に対する気遣いの言葉も無し。

      いかにもマイペース一本道でやってますといった雰囲気に、割と最近は変人との絡みが増加気味の雑賀でも対応に困ってしまう。

      構わず、その医者は面白そうに言葉を紡ぐ。

       

      「見た感じ目立った怪我も後遺症も無し。強いて言うなら、多少の打撲に出血ぐらい。救急車で担ぎこまれた当時は痙攣でもしたかのように身体機能が麻痺していたようだけど、全身にスタンガンを丹念に打ち込まれでもしたのかな?」

      「そんな覚えは無いんですけど……っていうか、なんでそんな面白そうな顔してんですか」

      「面白いかどうかと聞かれると、まぁ確かにね。何と言っても、とっくに診察時間を終えた深夜の頃に病院に搬送された子がいると聞いて診察してみれば、実際には頭蓋骨にヒビが入っているわけでも無かったわけだし? ヤクザか何かに絡まれたのなら、もっと酷い怪我になっているのではと思ってたよ。いやはや、通報した『誰かさん』が強かったのか、あるいは自作自演なのかな?」

      「……自作自演で手術台に乗ろうとするヤツなんていないでしょうよ。つーか、通報したのって……」

       

      雑賀がそう問いを出すと、壮年の医者は『うん?』と首を傾げてから、

       

      「ああ、救急車の運転手に聞いた話だと、通報を受けて駆けつけた時には気絶した君の姿だけだったとの事だよ? 肝心の通報者は近場の電話ボックスを使って居場所を伝えただけで、影も形も無かったようだし」

      「………………」

       

      医者から告げられた内容に、雑賀は僅かに沈黙する。

      その意味を理解したのか、あるいはどうでも良い事なのか、医者はただ事後報告の言葉のみを残す。

       

      「まぁ、体が無事なら入院までさせる必要は無いと判断するけど、頭に巻いた包帯はしばらく外さないようにね? 打撲はともかく、頭を強く打ったのか出血はあったのだから」

       

      言うだけ言って、その医者は病室から出て行った。

      言われて初めて頭に巻かれた包帯の存在に気が付いた雑賀は、ふと後頭部の方に右手を当ててみた。

      ズキリとした痛みが奔り、自分がどれぐらいの怪我をしたのか嫌でも実感させられる。

      フレースヴェルグに吹き飛ばされた後にどんな事があったのかは解らないが、少なくとも後頭部を強く打ち付けるような出来事があったのは間違いなかった。

      その上で、

       

      (……骨は折れたりしてない。本当に、あの医者が言った通り無事なんだな……)

       

      生きている、という事実に少なからず驚いていた。

      人間の頭蓋骨は数メートルほどの高さから垂直に落とされただけで割れるらしいが、実際に落ちたことも無い状態から暴風に吹き飛ばされるという体験をした所為か、実際に起きたのであろう出来事に実感が湧かなかった。

      思えば、あの時は体を『情報変換』によって変化させていた状態だったが――それも理由の一つなのだろうか。

      考えても答えは出せそうに無いので、雑賀はやがて考える事を止めてベッドから体を起こした。

      先日の出来事の全てが現実だと指し示すように、鈍い痛みが体の各部から感じられる。

       

      「……っ……」

       

      少なくとも病院着のまま外出するわけにもいかないので、自分の衣服を回収したのであろう人の居る場所へ向かおう、と雑賀は行動の指針を決定する。

      ふと、脳裏には先日戦った男の姿が過ぎったが、

       

      (……病院に居るか、居ないかを確認するだけにしよう。アイツの問題は、きっと俺がどうこうした所で解決出来るもんじゃない)

       

      ただでさえ、抱えている問題は多かった。

      それまでの事も、これからの事も、他ならぬ自分自身の事すらも。

      友達を助けたい――そう思っていながら、彼に他者の事を優先させられるほどの余裕は無かった。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      野弧霧中学校。

      それが日本の首都とされる東京の中に健在する中学校の一つで、縁芽好夢が通う学校の名前だった。

       

      (……うぅ、滅茶苦茶お腹痛いし気持ち悪いわ……吐かないように意識しないと……)

       

      一時間目の授業を終え、束の間の休み時間に突入した頃、好夢の心境は最悪の一言だった。

      結果から言って、何とか遅刻は免れたのだが、食後五分もしない内に全力のダッシュを決行した結果として好夢の胃の中は軽くスパイラル状態になっていた。

      パン系の食べ物が割りと消化しやすい物である事は間違い無いのだが、今回は急ぎすぎた上にパリッパリに焼きが付いたトースト――それにサラダ(ドレッシング投入済み)を乗せ挟んで食べたため、流石に胃が許容出来る状況のラインを跳び越えていたのだ。

      その上、朝礼の時間を過ぎて一時間目の授業へ移ろうと指定の場所へと向かう途中、捏倉叉美から『おや? 何やら食欲をそそる香りが……おやおや、少女マンガのテンプレ展開よろしく食パンかサンドイッチでも口にしながら投稿したのかな。口元に食べカスとドレッシングが残ってるぞ』と絶対語尾には(笑)と付いているに違いない顔で言われてしまい、結局は恥をかく形になってしまう事に。

      もう、何というか踏んだり蹴ったりだった。

      一応、授業が始まる前に水道の水で最低限の洗浄は済ませたものの、過去に起きた事実は何も変わらないわけで。

       

      (……あー畜生、慣れない事をした矢先にこれだよ。あの女、犬か何かみたいに鼻が効くっての……?)

       

      心の中で笑みを浮かべるドヤ顔女子に向けて毒を吐いてみるものの、現実では確実にカウンターを食らいそうだったので結局は空しく思えてくる。

      と、

       

      「おう、ドジっ子キャラが似合わない系の好夢くん。調子はどうかね?」

      「おかげさまで最悪だよクソったれ……」

       

      突如横合いから張本人に声を掛けられ、ほぼ反射的に思った事を口にする好夢。

      一方で余裕たっぷりといった表情の叉美は、そんな反応などどうでもいいといった調子で言葉を紡ぎ出す。

       

      「案の定、今日も授業は午前中オンリーなわけだけど辛いねぇ。期末テストが迫っているのはいいよ。午後の授業が無い分として宿題が強化されるのもいいよ。例の事件があろうと無かろうと、ああいうイヤーな行事が残っている事も別にいいよ。でもなー、流石に『アレ』はどうかと思うのだよ?」

      「……あー」

       

      叉美の言葉の内――特に『アレ』と呼んでいる物に対して、好夢は心当たりを思い返すかのように気の抜けた声を発した。

       

      「そういやあんたって、運痴なんだっけ?」

      「単純に疲れる事をしたくないってだけだからその略し方はやめてくれないか。私は君みたいな運動会系ではなく、インテリ系の女なのだから」

      「まぁ、あたしは『アレ』……別に嫌いじゃないけどなぁ。遊び心も入ってるし、擬似的な警察官の真似事と考えれば貴重な経験にもなるし」

      「君からすればそうかもしれないが……うーむ、今回の『役』はどうなるのやら……」

      「あたしは『追い回される』側に立ちたいなぁ……流石に、四時間目にもなれば調子も戻るだろうし」

      「こういう時に限っては君が羨ましいよ。何というか、私は走り回ることに向いていない。抱えているモノが重いのもあるが、正直面倒だしなぁ……」

      「……流れるように巨乳アピールしてんじゃないわよ潰すぞ」

       

      一瞬で声のトーンが低くなってヒロインというかお化け屋敷のスタッフみたいな声になった好夢を無視し、叉美はうんざりしたような声調で未来に起こるであろう事を口にする。

      あるいは、こんなご時世だからでこそ、突発的なアイデアで生み出された行事の名前を。

       

      「……防犯オリエンテーション、かぁ……」

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      病院の入り口付近にて。

      牙絡雑賀は、自分のスマートフォンを手にしたまま硬直していた。

      彼が着ているものはファンタジー物に出てくる魔法使いか何かが羽織っているローブにも似た病院着ではなく、白と黒が上下に分かれた一般的な学校の制服となっていて、頭部には止血のための包帯が少し厚めに巻かれている。

      何故元々着ていたシャツとズボンでは無いのか? と問われれば、戦闘を含めた諸々の出来事が原因で生地が血に染まった上に『もうそれってシャツというかインナーだよね?』級の大惨事となっていて、衣類としての役割を担う事などまず出来ない状態に陥っていたからに尽きる。

      その一方で、司弩蒼矢を探す際には持っていかなかった携帯電話や制服が病院側で用意されていたのは何故か。

      事情を知る看護婦さん曰く、

       

      ――昨日、母親のお方が知らせを聞いてやってきたんですよ。命に別状が無い事を確認すると、直ぐ自宅に戻って必要な衣類やスマートフォンを用意してくれたんです。あぁ、そうそう。牙絡様が『意識を取り戻して病院を出る時になったら』という条件で伝言をお願いされていまして。それが……。

       

      (学校はいいからとりあえず家に帰ってきて、か。もう既に良い予感がしないんだが、行かなきゃダメだよなぁ……)

       

      先日の夜間に『すぐ帰ってくる』などと言っておきながら病院送りなのだから、確実に母親である牙絡栄華(がらくえいが)は激怒しているに違いない、と雑賀は考えるが、

       

      (……だって、仮にも逃げたりでもしたらそれこそ逆効果だし……ていうか、色々と罪悪感が込みあがってくるし……腹も減ってるし……)

       

      激おこぶんぶん丸と化しているかもしれない母親の姿を想像して、もう全力で土下座の心構えを整えようとして、それでもやっぱり超こえーので私欲な事情を刷り込ませて納得しようとする雑賀。

      何だかんだ言っても、子供は親の怒声というものを潜在的に恐れる生き物らしい。

      不思議と、歩を進めようとする足の後ろに巨大な重石でも取り付けられているかのような錯覚さえ生まれている。

      朝の東京は相も変わらず車のエンジン音や人海の環境音で賑わっており、やはり件の『消失事件』の事など何処吹く風といった『平常』通りの街並みだった。一見何も変わっていないようにしか見えないし、一般の目線からすれば本当に何の変化も存在しないとしか思えていないのだろう。

      顔も知らない誰かが突然に行方不明になりました。へぇ、そりゃあまた物騒な話だね。それがどうかしたの? と他人事を言っている風な空気を感じる。

       

      「…………」

       

      気付けないのはある意味においては普通だし、むしろ気付けている自分自身の方が異常なのは理解していた。

      だがそれでも、雑賀はいっそのこと苛立ちにも似た感情を抱いていた。

      本当にそんな事を考えているのかどうかまではともかく、視界に映る人間の大半が『明日もきっと同じ日が続くに違いない』と、まるで退屈でもしているように、安心しているかのような表情で過ごしているからだ。

       

      そう。

      たった今、雑賀がデジモンの力を使って、万が一にでも『その気』になってしまえば、簡単に大量殺人事件を発生させてしまえると他の誰でもない雑賀自身が思うほどに。

       

      (……ちくしょう)

       

      自分にも出来る事は、当然『同じ力』を持った別の誰かにだって出来る事。

      その現実を認識しただけで、過去にも見慣れた風景は一変して無防備なる狩り場という印象に早変わりする。

      危険な要素なんて、目に見える範囲には無いはずだったのに、何かが起きる事を恐れて神経質になってしまっている自分の存在がえらく場違いに思えてくる。

       

      (……平和ボケって奴じゃないんだとは思うけど、見ていて不安だ。同じ街の中で不規則に起きている出来事である以上、自分も当事者の一人であるっていう自覚が無いのか? 突然に巻き込まれちまう可能性だって十分あるのに……)

       

      いちいち不安を煽る話題に付きっ切りでいても仕方が無い――それに一理も無いわけでは無いのだが。

      疑問と戦いの一夜を過ぎた雑賀は、自分が普通の人間の五感では認識出来ないモノを認識、理解出来ることを知った。

      そして理解出来るからでこそ、一般の視野では確認出来ないイレギュラーの存在に対して神経質になってしまっている。

       

      (……にしても、なんか変な感じが――)

       

      だからでこそ、だろうか。

      ふと、道路の十字交差点――その角の部分に建築されていた五階層ほどの簡素な造りのビジネスホテルから、より正確に言えばそれと隣接している高層ビルの間に存在する隙間――裏路地の方から、捨てられたゴミ袋とはまた違う不快な何かの『ニオイ』を感じ取れてしまったのは。

       

      「…………」

       

      司弩蒼矢を探した『あの時』よりも鮮明に感じ取れる、それでいて根本的に『何かが違う』と判別出来るその雰囲気。

      周囲の人込みの中で、それに気が付いている人物の有無は不明だし、そもそも裏路地など興味心で覗き込もうとする人間は少ない。

      不意に雑賀の脳裏には縁芽苦郎――自分よりもずっと強い力を有した相手の存在が過ぎったが、思えばそもそも彼の電話番号は自前のスマートフォンに登録されていなかった気がするし、今から電話したところで苦郎が到着するより先に『ニオイの元』が何処かへ行ってしまう可能性がある。

      悩む事が出来るだけの余裕は、無かった。

       

      (……行くしか、ねぇ)

       

      自身の安全を優先し、見て見ぬフリをするという選択肢もあるにはあった。

      それでも、

       

      (……見逃したら、それ自体をいつか後悔する。そんなのは、イヤだ)

       

      この状況で『力』を使うと妙な騒ぎが起きそうなので、雑賀はひとまず人目が付かない場所へ移る事にした。

      周囲を見回し、ホテルから少し離れた位置に建築されていた立体駐車場を発見すると、彼は周りで行き交う人々の視線を下手に集めないように注意しながら移動する。

      駐車か運転ぐらいにしか使われないためか、多くの車が泊められている一方で人の姿は全く見えない。

      立体駐車場には車上荒しや不正駐車を防ぐための一環として監視カメラが設置されているが、大抵その位置は決まって天井――それも『死角』を無くすことに重点を置いてか空間の四隅の部分だったりする。

      それ故に、天井が存在しない屋上部分だけは何処にも監視カメラが存在せず、とても解りやすい『死角』となっていた。

       

      (……まぁ、本当に天井が無いってだけで監視カメラが無いのかって点に関しては半信半疑だったが、まずは何とかなったな)

       

      勘が正しければ、ニオイの元である電脳力者は、まだ裏路地の中から動いていないようだ。

      どうやら短時間で終わる用件ではなく、それなりに時間をかける要件に『力』を使っているらしい。

      エレベーターを介して屋上に到着した雑賀は、ひとまず辺りを見回して誰もいない事を確認すると、瞳を閉じて意識を一点に集中させる。

       

      一度でも経験を積んだからなのか、自分自身を書き変える感覚自体は掴めていた。

      両手には獲物を引き裂く鋭い爪を、両足には素早く地を駆ける強靭な脚を、口には爪と同じ役割を担いながらもそれ以上に鋭利な牙を、そして何より全身には誇り高き狼の毛皮を――――そんなイメージを自分自身の肉体に投影させ、それを留めるよう努める。

       

      直後に鼻と上顎が自ら突き出しマズルを形成し始め、両腕は少しだけ太く発達し、手の方は指先に鋭い爪が生え始め、腰元から細長いライオンのそれにも似た尻尾が生え始め、両足は親指の位置が踝の近くにまで移動した上で間接も増えて獣らしい形に変わり、銀色の体毛が全身各部に刃を形作りながら生える――そんな感覚が全身を駆け巡り、瞬く間に雑賀の肉体は狼男にも似た異形へと変異し、纏っていた衣類は黒いズボンだけをズタボロに残して粒子に分解される。

      そして、それと同時に牙絡雑賀の存在は普通の人間の認識から乖離した。

      雑賀の意志とは関係無く、彼の周囲に特殊な力場――ARDS拡散能力場が発生したからだ。

      力場が現実と非現実の境界線を歪め、認識のフィルターが彼の存在を隠蔽する。

       

      「……出るのは鬼か、それとも……」

       

      視線の先には狭苦しそうな路地があった。

      行って、自らに降りかかる負の可能性を思考に浮かべた。

      直後に、彼は迷わず立体駐車場の屋上から裏路地のある方を目指して跳んだ。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      社会科教師のマシンガントーク染みた二時間目の授業を終え、縁芽苦郎は三時間目の授業が行われる教室へと歩を進めていた。

       

      (……雑賀のやつ、そろそろ病院から出ている頃かね。麻酔代わりの毒も効果は切れてるはずだし、あいつ自身が『待つ』より『行く』タイプだからなぁ)

       

      街が街なら学校も学校らしく、少年少女の群れが生み出す活気は小規模ながら衰えを知らない。

      壁に申し訳程度に貼り付けられている『廊下を走るんじゃねぇよボケバカコラ!!』とでも言いたげな旨のポスターの事などいざ知らず、目的地に誰が一番先に着くかどうかを競っているらしい男子生徒達の事を少々煩く思っていると、どうやら入れ替わりで自分達のいた教室へ移動しているらしい別のクラスの群れが一つ。

      そちらもそちらで先頭をリードしているのはダッシュで移動している者だったり、背丈に比例した脚の長さの関係で歩幅が広い者だったりしていて、それに少し遅れる形で友人と世間話をしながら歩く者もいた。

       

      「――でさ、やっぱり思うのよ。夏と言えば海水浴だのキャンプだの色々と意見はあるけどさ、やっぱりトップは流しラーメンだって――」

      「――ソーの方じゃないんかい。でもさぁ、夏の風物詩って割と食べ物方面に偏ってるよな。海の家とかバーベキューとか。食欲の季節って秋じゃなかったのかって感じ――」

      「――そういえばまだ『タウン・オブ・ドリーム』でイベントがあるんだっけ? 特撮系のヒーローショーだとか何とか。ああいうのって子供っぽいとか言って忌避する連中もいるけどさ、よくあるCGとかワイヤーとか使わずにスーツアクターの人が『動く』所を見れるって普通に貴重――」

      「――えぇ~。でもさぁ、生の徒手空拳もいいとは思うけどさぁ……やっぱり特撮の見所って気合の入ったCGとかじゃね? というか、本題はアクションよりも台本でしょ。どんなに動きが良くてもストーリーが駄目だったら批判モノだってのは世の中が証明して――」

       

      何人かの話し声が耳に入ったが、苦郎はさして気にするような素振りを見せる事なく歩き続ける。

      そして、世間話で賑わいを見せていた生徒達の最後尾――から更に後ろで歩を進めている者を目にすると、一度立ち止まってすれ違い際に言葉を漏らしていた。

       

      「……で、最近はどうだ?」

      「色々とめんどーです」

       

      何の脈路も無いにも関わらず、言葉に対する明確な意味を持った返事があった。

      その少年――鳴風羽鷺(なるかぜはろ)は、ツンツンと栗のイガのように伸びた黒髪に、日光を遮る同色のサングラスを掛けていて、身長は平均的な160台――そして何より、苦郎と同じく電脳力者としての力と一面を隠し持つ人物だった。

      やる気どころか気力と呼べるものが存在するのかさえ解り難い無の表情で、彼は言葉を紡ぐ。

       

      「何と言っても殺人鬼ですよ? 情報を集める『だけ』ならまだしも、接近に感付かれでもしたらリスクがデカすぎます。正直に言うと、気が進みません」

      「一応、情報は得たんだな?」

      「まぁ何とか」

       

      羽鷺は一度言葉を区切ってから、

       

      「『人食鬼《プレデター》』アイム・ハングギスタ。『無傷の殺人者』愛紫手(あいして)マスク。『灰の幽霊(ゴースト・アッシュ)』暗路呪(あんじまじな)。つい最近この東京に入り込んだ『危険性の高い相手』を並べるとこんな感じですね。まだ『個人』のレベルですが」

      「まだ『集団』を作るほどには至ってないってわけだな。まぁ人殺しを趣味にしてるような連中だし、受け入れてくれるような連中も少ないとは思うが……実力は?」

      「低く見積もっても『レベル1』。下手をすれば『レベル2』に到達してる奴もいると思います。少なくとも僕じゃ戦えませんよ。スペックが同レベルだとしても、まず『殺しを前提にした戦い』は彼等の方が技量を持ってますから」

      「まぁ、真正面からの戦闘に関しては期待してないから構わねぇよ。活動区域の予測は出来るか?」

      「殺人鬼だろうが電脳力者である以上は普通の人間からは身を隠す必要が無いと思います。言うまでも無い事ですが、彼等がこの街にいる『枠組み』の事を知っているのであれば、基本的に能力の行使を出来る限りは避けて、電脳力者から感知されることを防いでいる可能性が高いですね。人込みに紛れるぐらいはするでしょう」

      「……てなると、やはり……」

      「個人的、あるいは何者かの指示によって行動を『実行』に移す瞬間が感知可能なタイミングでしょう。そして何より、実行されるのは『他者に状況を確認されない状況』を生み出せる場所。順当に考えてホテルにあるような密室か、単純に裏路地ぐらいでしょう。遠慮が無ければトイレとかも十分ありえますね」

       

      不可視の犯行に対応するためには、事前の予測と対処が必要となる。

      そのぐらいは苦郎も理解しているし、それが出来なければ起こり得る出来事だって予想は付く。

      でも、

       

      「……悪いな」

      「事情は知ってますから、謝る必要も気負う必要も無いですよ」

      「それは解ってるんだが、いつも後手に回る事しか出来ないってのは納得出来ないもんだ」

      「それで闇雲に動いて倒れられても困るんですけどねー」

       

      それ以上は必要が無いと判断したのか、互いの会話はそこで打ち切られる。

      苦郎は羽鷺に対して振り向く事はしなかったが、代わりに『見慣れた』街の風景を映した窓の方へ視線を向けていた。

      平時と変わらぬ風景を眺める彼の、その表情に笑みは無かった。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      裏路地という場所に不信感を抱く者は多い。

      監視カメラなど基本的に設置されておらず、大きな音や声、あるいは煙でも立ち込めていない限りは必要の無さや優先順位の関係から大抵見向きされず、一部の人間が放つ暴力の掃き溜め場所と化している事が多いからだ。

      というのも、裏路地には誰の物かも解らないゴミの不法投棄が行われている場合もあり、時と場合によっては角材や鉄パイプ――隣接している建物によってはダストボックスが置かれており、そのどれもが喧嘩の道具として『使われる』場合さえあるのだ。

      目を付けられにくいという事から解るように、トイレのように清潔感を重視されるような側面も薄い。

      空気の流れも表路地と比べると少し滞っており、ゴミやホコリの臭いが沈殿し、不思議と灰色が似合いそうな無味乾燥の空間が構築されている。

      よくあるスポ根ドラマにおいても、多少のさじ加減こそあれ、良くて歯が折れ悪くて骨を折られ最悪の場合では撲殺事件に発展するような展開がある――そんな空間では現在、世にも奇妙な状況が生み出されていた。

       

      まず第一に、裏路地に佇んでいる者達は人――の形こそ保っていながら、人間の姿では無かった。

      ある者はドクロマークが描かれた両肩に黒く太い『角』が生えている上で全身が恐竜のような形に変異している緑色の巨体と化していたり、ある者はティラノザウルスの外見を多分に取り込んだ上で両腕が異常に発達した姿をしていて、またある者は白い獣毛を生やしたゴリラにそっくりな外見をしていながら右腕にはその外見に似つかわしくない機械の砲身を装備した姿となっていて――そして、そんな三体の異形が更に一体の異形を取り囲んでいる。

      強面な三体の怪物に取り囲まれた一体の異形の姿は、まず全身が人や獣のそれとは違う深緑色の甲殻で覆われていて、両の手足は間接部分がノコギリのような形にギザギザと尖っていた。

      頭部には各所に刺青のような赤い線が刻まれている上で昆虫が持つような――というか完全に昆虫の感知器官である同色の触角が二本生えており、目元はカメラのそれとも違う生体のレンズが覆っていて、口元は他の部位と同じく甲殻に覆われ見えない状態になっていた。

      両足には三本の太い爪が生えており、獣で言う尻尾に該当される部位は蟻の腹部にも似た部位が見えていた。そして何より、その全身に刃を生やしたかのような外殻以上に存在感を放っているのが、彼の両手に携えられた二本の刃物。

      まるでそれは、日本刀がその形を草狩り鎌のように歪曲させられたかのような、草どころか獲物の首を一息に刈り取るための役割を担う大きな鎌。

       

      一本だけでも不吉な印象を与える代物が、二本。

      全身を覆う昆虫質の外骨格も合わさり、その姿は取り囲んでいる三体とはまた違う異彩を放っていた。

      彼は開口一番に言う。

       

      「……本当に、戦わないといけないのか?」

       

      対して、昆虫鎧の剣士を囲むチンピラ風味な三体の内、黒色の恐竜人間は喉の奥から唸るような調子でこう返す。

       

      「舐めてんのか? 俺達に喧嘩を売っておきながらよくもまぁそんなクールぶった台詞が出るもんだ」

       

      続けざまに、両肩のドクロマークも合わさって暴走族っぽい印象な緑色の恐竜人間が言葉を発する。

       

      「テメーの行為に対して、こちとら結構ムカっ腹が立ってんのよ。つーわけで黙って財布渡そうとしても逃げ出そうとしても命乞いしてもとりあえずボコるのは確定してる。いくら世の中のクソをブチのめす特別な力を持つ『同類』だとしても、正義の味方ぶったクール野郎は論外なの。状況解った?」

      「………………」

       

      一見、刃物を持っているという点で囲まれている側の方が優位を取っているように見えなくも無いのだが、昆虫人間を取り囲んでいる面々は手に持った二本の大鎌を見ても動揺が無く、むしろ闘争心の方が前面に出て今にも襲い掛からんとしている様子だった。

      昆虫人間の方も、特に言葉を発する事はせずとも刃物を握る両手に力が込められつつある。

      荒野の決闘にも似た物騒な空気が裏路地に流れながらも、彼等の存在に気付き関わってくるような者は表路地にいなかった。

       

      ドグシャァッ!! と。

      勢い良く斜め上から緑色の恐竜人間の後頭部へ飛び蹴りもどきを食らわせた第三者の狼人間――牙絡雑賀を除いて。

       

      「ご……ぶっ!? な、何……」

      「おっとごめんよ」

       

      突然の奇襲に驚きの声を漏らす恐竜人間に適当な声で返し、牙絡雑賀は軽めに跳んで路地に足を着ける。

      仲間を傷付けられた事に対してなのか、はたまた単に自分達の行いに水を挿されたように感じたからなのか、白色の獣毛を生やした近未来チックなゴリラ人間は真っ先に声を荒げた。

       

      「……おう、おうおうおうおう。唐突に現れたと思ったらいきなりドタマに一撃とはいい度胸してんじゃねぇか。自分が誰に宣戦布告したか解ってんだろうな?」

      「別に好きで喧嘩売りに来たわけじゃないし。変な『ニオイ』がすると思って飛び込んでみたら、なんかクソ下らない集団リンチの風景が見えたもんだから、つい……」

       

      そう言う牙絡雑賀は不良トリオに対する恐れの感情など全くと言っていいほどに無く、いっその事テキトーだと言えなくも無い調子さえ見せていた。

      舐められている、馬鹿にされている――そう認識したらしい両腕凶器な黒色の恐竜人間が、一度舌打ちをして鋭い歯を剥き出しにしながら言葉を発する。

       

      「開口一番からニオイがどうだの……あぁ我慢出来ないわ。こんなヒーローぶったピエロ野郎はこの手でぶちのめさないと気が治まらねーわ。もう何も言わなくていいからとっとと路地の滲みにされろ」

      「ふーん、まだ居たんだな。お前らみたいなチンピラって。学校にも行かず、こんな場所でリンチに精を出すとは余程ヒマなんだなぁ」

      「ぶっ殺すぞ」

      「それで凄んでるつもりか。クソガキ」

       

      互いに言い合い臨戦態勢へ移って行く中、牙絡雑賀は(恐らくは被害者なのだと断定した)昆虫人間の方へ、視線を向ける事もせず声を掛ける。

       

      「とりあえず加勢するが、お前は戦えるのか?」

      「……自信は無いけど、ある程度は」

       

      状況は完成した。

      銀色の獣毛を生やした狼男と二本の大鎌を携えた昆虫剣鬼は互いに違う方向を向き。

      世間から見向きもされない裏路地にて、二体の怪物と三体の怪物が暴力を押し付けあう、フィクション染みた形式で。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      狭苦しい裏路地には、逃げ道と言えるような道が基本的に前方と後方の二つにしか無い。

      身を隠し、飛び道具から身を守れるような遮蔽物も存在せず、喧嘩でも行われれば基本は殴り合いの一本道のみ。

      雑賀はこの場に居合わせた時点で、最低限状況の分析を済ませていた。

      目前と背後から殺気を飛ばす電脳力者達が宿すデジモンの、その種族程度は。

       

      (……目の前の奴は『ダークティラノモン』で、後ろのは『ゴリモン』と『タスクモン』か。ご丁寧に重量級のパワー系が揃ってやがるな……)

       

      目を見張るのは、取り囲んでいる相手の電脳力者の腕の部分。

      どれも『ただの人間』のそれとは明らかにかけ離れていて、一撃で人間の頭部ぐらいは吹き飛ばしかねない筋力を有している事は見るだけで察する事が出来る。

      同じ電脳力者として力を行使し、自らの体を異形へと変質させている雑賀でも、一撃を安易に受ければ怪我では済まされないかもしれない。

      狭苦しい路地では、自慢のスピードを活かしきれるほどの空間も無い。

       

      ふと、自分にとっては初戦となる司弩蒼矢との戦いが脳裏に過ぎった。

      思えば、あの場面でも地の利が自分には向いていない場所での戦いになっていた。

      人間の運とは平等な物で、その時その時で不幸な人は『溜め』の期間であるだけで、それが長くて苦しいものであるほど後々たっぷり幸運が待っているのよー……なんていう都市伝説もあった気がするが、現実を直視してみれば実際はこんな所である。

      幸運など、自分から求めるだけ無駄な物なのだと、牙絡雑賀はつくづく思い知らされた。

       

      だが、それでも幸運と言える物はあったのかもしれない。

      司弩蒼矢との戦いとは明確に違う、自分にとっては巨大なアドバンテージとなる要因。

      それは、今の牙絡雑賀は何の妨げも無い陸地に足を付けられている、という事。

       

      足に力を込め、駆け出したその瞬間。

      銀色の体毛を生やす狼男の雑賀は、黒い恐竜――ダークティラノモンの力を宿す電脳力者に肉薄する。

      元々、距離自体はそこまで離れてはいなかった。

      原型となっているデジモンの動体視力が優れているからか、黒色の恐竜人間はすぐ反応して異常発達した豪腕を振るおうとした。

      だが、それよりも先に、駆け出した勢いのままに雑賀は跳躍し、恐竜人間の顎下を右膝で蹴り上げる。

       

      「ぐっ、へぇっ!!?」

       

      ゴッ!! と、重々しい打撃の音が路地に響く。

      恐竜人間の体が宙に浮き、反動で着地した雑賀はそのまま拳で連打する。

      上殴りの打撃が腹部に捻じ込まれる度に、恐竜人間の喉から胆でも吐き出すような声が漏れる。

      が、

       

      (重っ……!?)

       

      外見は人間よりも少し大きい程度だが、それでも余程の重量があるのか、殴り付ける度に雑賀の腕に負担がかかり痛覚が警告を発する。

      更に言えば、仲間が攻撃されているこの状況――妨害の手が回ってこない方がおかしい。

      昆虫鎧の人物と相対していたゴリラの獣人な電脳力者が、その右腕に装備された砲口を雑賀の方へと向け、赤白い明らかに危険な臭いを漂わせるエネルギーを溜めて、

       

      「くたばれッ!!」

       

      その体が秘める脚力を活かして高く跳躍し、黒い感情の篭った一言と共に凶弾を放つ。

      赤白いエネルギーが指向性を伴って雑賀の背中を目指して向かって行く。

      だが、その斜線上に重なるように、昆虫剣鬼が同じく跳躍し、

       

      「させるか」

       

      その両手にて交差させ獲物として携える大鎌を振るい、その刃から発生した真空の刃によってエネルギーの砲弾を両断。

      一定の形を保てなくなった赤白いエネルギーは昆虫剣鬼の所へ届く間も無く霧散し、呆気なく風景から消滅する。

      と、そこで飛び道具を防がれた事を確認したもう一体――両肩から太長い牙を生やした緑色の恐竜人間が、迎撃のちに着地しようとする昆虫剣鬼に向けて突進を仕掛けようとした。

      無論、その突進の進行方向上にはまだ雑賀の姿がある。

      避けようとすれば、背中の方から確実に重量級の一撃を食らってしまうだろう。

      予想するまでも無くそれを理解した昆虫剣鬼は、再び両手の獲物を交差させて構える。

      鉄筋にハンマーを叩き付けたかのような甲高い音と、車両が急ブレーキした際に発するそれにも似た摩擦音が裏路地に響く。

      二本の牙の猛威を二本の刃で受け止めた昆虫剣鬼の足が、その威力によって数メートル近く押し出され、両脚の外殻がアスファルトの地面と擦れて音を立てたのだ。

       

      「……ぐっ……!!」

       

      擦れた影響で強い熱を発する外殻から痛みを感じているのか、あるいは突進の威力を無理に受け止めようとしているからか、昆虫剣鬼から篭った呻き声が漏れる。

      そして、痛みに意識を向けたその瞬間を見逃すわけも無かった。

      緑の恐竜人間が押し出す力をそのままに、太く発達した両腕を伸ばし、昆虫剣鬼の両腕を掴んだのだ。

      腕力の差異からか、抵抗しようにも動かす事も出来ない。

      無論、その場から退く事も。

       

      「!!」

      「捕まえたぜ……おい、抑えてやるから撃っちまいな!!」

      「気が利くじゃねぇか。今度何かおごってやるよ」

       

      目の前で、緑の恐竜人間とゴリラ獣人による余裕を含んだ掛け合いがあった。

      ふと声のした方を確認してみると、右腕に砲口を携えたゴリラ獣人は裏路地の壁――即ちホテルの窓縁に左手を掴まらせ、上方から昆虫剣鬼と雑賀を狙い撃てる位置に居た。

      最初に雑賀を狙って放った射撃の際、同時に狙い撃てる位置で待機したのだろう。

       

      砲口に再び赤白いエネルギーが溜まり始める。

      斜線から考えて、砲弾が途中で曲がったりしない限りは誤射が発生する確率も低い。

      腕を掴まれている昆虫剣鬼には、再び自前の武器を振るって砲弾を霧散させる事も、避ける事も不可能。

       

      故に、状況を打破するのはもう一方――牙絡雑賀の方だった。

      サンドバックのように殴り続けていた黒い恐竜人間を右ストレートで打ち飛ばすと、彼は即座に振り返り、左右の壁を力強く連続で蹴り――ゴリラ獣人の居る方に向かって跳んで行く。

      ジグザグとした軌道で迫ってくる雑賀に気が付いたゴリラ獣人は、流石に予想外だったのか驚きの声を上げる。

       

      「忍者か何かかよテメェは……!!」

      「ウェアウルフだ。悪いか!!」

       

      昆虫剣鬼へ向けていた砲口を雑賀の方へと向け、二発目となる砲弾を撃ち出すゴリラ獣人だったが、雑賀は更に壁を蹴って上方へ向かう事でそれを回避し、そのまま跳び掛かる。

      咄嗟に、ゴリラ獣人は来るのであろう打撃を窓の縁を掴んでいない方の腕――即ち砲身を供えた右腕で顔を防御しようとしたが、雑賀の右拳は防御の行き届いていない腹部へと捻じ込まれた。

      鈍い音と共に窓の縁から手が離れ、使えるようになった左腕を足掻くように振り回そうとするゴリラ獣人だったが、その前に雑賀は落下の勢いのままに左の裏拳を叩き込む。

      そして、

       

      「これで、ラストだっ!!」

       

      アスファルトの地面に激突する瞬間、ダメ押しと言わんばかりに踵落としが決まった。

      背中に落下の衝撃、腹部に踵落とし――そのダメージを同時に与えられたゴリラ獣人の口から紅い液体が漏れ、そのまま沈黙する。

      その一方で、打撃を加えたゴリラ獣人の体をクッション代わりにして安全に着地した雑賀は、目を細めながらこう呟く。

       

      「……普通の人間なら致命傷だろうが、ダメージを受けたのがその体なら死にはしないだろ? 『ゴリモン』の力を使ってんだからな」

       

      気を失ったからなのか、ゴリラ獣人だった人物の体は光の繭に一瞬覆われたかと想うと、本来の姿なのであろう――上半身に真っ黒の布地の上にペンキでも使って塗りたくったらしい白色のドクロマークが描かれたTシャツを着た青年の男の姿に戻っていた。

      その衣装に若干の疑問こそ覚えたが、雑賀は意識を戦闘の方へと戻す。

      確認してみると、つい先ほどノックアウトした(つもりの)黒い方の恐竜人間が立ち上がろうとしていて、更に昆虫剣鬼の両腕を掴んでいる緑色の恐竜人間が怒りの形相を雑賀に向けていた。

      緑色の恐竜人間は昆虫剣鬼の両腕を掴んでいる両手と腕に力を込めると、そのまま力任せに昆虫剣鬼の体を雑賀の方へとブン投げる。

      予想の外にあった行動に雑賀の反応が遅れ、半ば受け止めようとしてみたがそのまま激突。

      鈍い痛みが体を伝い、衝突し合った二人の電脳力者が路地に転がる。

       

      「ちっ……ピエロ野郎の分際で足掻きやがって。さっさと嬲らせやがれよ」

      「……っ……誰がお前等みたいなのに黙って嬲られるもんかよ」

      「同感だな」

       

      緑色の恐竜人間の勝手な台詞に適当な言葉で返しながら、狼男と昆虫剣鬼が立ち上がる。

      この瞬間、二人は背後に向かって走り出せば、裏路地から脱出出来る位置に居た。

      だが、彼等はこの場から『逃げ』ようとはしなかった。

      ここは自分達が戦わないといけない場面だと、ここで逃げたら自分達以外の誰かが被害を被る事になると、そう言い聞かせているように。

      あるいは、彼等に宿るデジモンの闘争本能がそうさせるのか。

      どちらにせよ、戦意に変わりは無い。

       

      彼等は相手に聞こえないように少しの言葉を交えると、まず雑賀の方が前へと駆け出していく。

      それに続く形で、昆虫剣鬼も両手に大鎌を携えたまま駆け出し始める。

      対する緑色の恐竜人間が人外のスピードで迫る雑賀の顔を鷲掴みにしようとしたが、雑賀は先の『黒い方』と同じように顎の下を思いっきり蹴り上げ、その威力でもって脳を揺らす。

      が、

       

      「グッ……いってぇじゃねぇか糞犬が……!!」

      「!?」

       

      威力が足りなかったからか、あるいは雑賀自身が想像していたよりもタフだったのか、緑色の恐竜人間は顎を蹴り上げられ脳を揺さ振られても倒れようとせず、そのまま雑賀の頭を本当に鷲掴みにした。

      そのまま持ち上げ、更に握り潰そうとでもしているのか、鷲掴みにした雑賀の頭部からミシミシと音が鳴り始める。

       

      思わず昆虫剣鬼は駆け出した足を止め、どうするべきか思考する。

      普通に自分の持つ武器で攻撃しようとすれば、味方である狼男の雑賀ごと斬ってしまう。

      自身は無いが、空中から飛び掛ってみるか――そう考えた時だった。

       

      雑賀が右手の指を真っ直ぐ後ろ――即ち昆虫剣鬼の方に向け、そのまま今度は指を上に向けたのだ。

      それを見た直後、昆虫剣鬼はその行動の意図の理解に時間が掛かった。

      上から行けと行っているのかと思ったが、数秒が経ってからようやく理解が出来た。

      彼は、暗にこう伝えているのだ。

       

      俺に構わず、こいつを斬れ。

       

      大きな疑問こそ残るが、この状況では信じてみる以外の方法が思い付かない。

      昆虫剣鬼は止めていた足を再び前へと駆け出させ、その最中に両手に持つ大釜を半分だけ回す。

      たったそれだけの動作で、獲物の首を捕らえ断ずる大鎌は、単純に様々な物を切り裂く役割を担う曲剣と化す。

       

      (……こいつごと斬るつもりか?)

       

      一方で、緑色の恐竜人間もまた疑問を覚えたのか、雑賀の頭を鷲掴みにしたまま視線だけを昆虫剣鬼の方へ向けていた。

      恐らくは見知らぬ仲なのであろう事は、先のやり取りの中でも想像が付いている。

      見捨てたにしろどちらにせよ、好都合な展開だと思えた。

       

      (こいつを盾にして、その後に今度はあの虫野郎を潰してやる)

       

      そこまで考えて、不敵に笑みまで浮かべて。

      ふと、自分が狼男の頭を鷲掴みにしている右手が、少し熱さを帯びたように感じた。

      そして、それに気が付いた時には全てが遅かった。

      瞬間、緑色の恐竜人間の右手が中から青色の炎によって焼かれ出す。

       

      「あ、つぅ……ッ!! がああああっ!?」

       

      余程耐え難い激痛が襲いかかってきたのか、彼は殆ど反射的に雑賀の頭から手を離してしまう。

      開放された雑賀の口元からは青白い炎が吐息のように漏れ出ていて、それは彼が自身の持つ技を用いた事実を示していた。

      雑賀は着地した後すぐに上方へと跳び、入れ替わるように昆虫剣鬼が緑色の恐竜人間の懐に潜り込み――斜めの軌道に一閃。

       

      ダメージが許容量を越えたのか、緑色の恐竜人間は後方へ倒れ込んだ。

      斬られた部分が痛むのか、苦痛を帯びた声を漏らしながら左手で傷の部分を触っている。

      やがてその姿も『元の姿』へと転じ、先のゴリラ獣人に成っていた男と同じTシャツを着た別の人物の姿が露になる。

      これで、残る敵は一体――立ち上がった黒い恐竜人間だけ。

       

      「……っ……」

       

      数の利で逆転された故か、黒い恐竜人間の表情には焦りの色があった。

      それでも逃げようとしないのは意地っ張りなのか、あるいは勝算でもあるのか――そう雑賀が考えた直後、黒い恐竜人間は大きく息を吸ったかと思えば猛烈な火炎を吐き出してきた。

      それは、ティラノモンとその亜種に該当されるデジモンが主に使う必殺の攻撃手段である。

      膨大な熱量を含んだ炎が迫り来るその時、着地していた雑賀が大きく息を吸い込んだかと思うと、思い切り地面に向けて吹き出した。

      すると、雑賀と昆虫剣鬼の目の前には瞬く間に大きな氷の壁が発生する。

      火炎は氷の壁に遮られ、焼くはずだった相手には届かない。

       

      ならばと言わんばかりに、黒い恐竜人間は口から火炎を吐き続ける。

      障害となる氷の壁を火炎で溶かし、そのまま壁の向こう側にいる雑賀と昆虫剣鬼を焼こうとしているらしい――が、それよりも先に別の出来事が起きた。

      圧倒的な炎に熱された氷の壁から大量の水蒸気が発生し、強い爆風と共に辺りを霧にも似た白い蒸気が覆っていったのだ。

      それに巻き込まれた黒い恐竜人間は吹き飛ばされこそしなかったが、唐突に発生した爆風に思わず目をつぶり、肺の中から空気が無い状態が長く続いた事もあってか息を過呼吸気味に吸い込み始める。

       

      それが、命取りだった。

       

      互いに相手の姿を捉える事は出来ず、距離感を計り切る事が難しいこの状況。

      視界を塞がれ、水蒸気に嗅覚さえ阻まれて――それでも尚、状況を正確に把握出来る者が一人だけ居たのだ。

      それは、全身を深緑色の甲殻で覆った昆虫の剣鬼。

      彼だけは頭部から生えている触角によって気の流れや熱源などを感知し、狙う敵の位置も、狙う敵との距離感さえもしっかりと『理解』出来ていた。

      故に、裏路地に満ちた水蒸気など意に解せず、彼は真っ直ぐに狙うべき相手の元へと突っ走っていく。

       

      その両手に持った刃物の役割を、あくまでも曲剣のままにして。

      刃物を携えた両腕を上に振り被り、跳躍し、そして。

       

      「――シャープエッジ!!」

       

      一閃。

      黒い恐竜人間の体を縦方向に大きく刻み、その体から戦う力を大きく削ぎ落とす。

      出血と共に発した鋭い痛みに黒い恐竜人間は絶叫を響かせ、瞳から小さな涙を垂らしながら尻餅を着いた。

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      事実から言って、戦闘は終了した。

      仲間だったのであろうゴリラ獣人――『ゴリモン』と呼ばれるデジモンの力を宿した|電脳力者《デューマン》と、緑色の恐竜人間――『タスクモン』と呼ばれるデジモンの力を宿した|電脳力者《デューマン》は意識を失った上で戦闘不能となっており、意識こそ健在だが状態から考えて抵抗するだけの力が失われた黒い恐竜人間からは、悔しそうな表情こそ見受けられても戦意はそこまで感じられなかった。

      その上で『ガルルモン』の力を行使したままの雑賀は、地面に尻餅を着く形で座り込む黒い恐竜人間を見据えながら、こう言った。

       

      「……終わりって考えても良さそうだな。この状況……お仲間さんが目覚めでもしない限り、どうにもなんないだろ」

      「ナメてんのか。殺すのならさっさを殺せよ……唐突に現れて邪魔をしやがって。何なんだよお前は!!」

      「カッコ付けで言ってるのバレバレだぞ。どうせ言うのならその震えを解いてからにしろ」

      「……クソ野郎め……」

       

      言うだけ言ってから、雑賀は続けて昆虫剣鬼の方へと視線を向ける。

      戦いが終わったという事実も相まってか、何処かピリピリとしていた雰囲気も大分和らいでいるようだった。

      彼は、軽く溜め息を吐いてから言葉を切り出し始める。

       

      「助けてくれた……って認識でいいんだな。ありがとう、正直危なかった」

      「別にいいって。それより、俺も事情を知らないまま割り込んだわけだけど、こいつ等って一体何なんだ? どうしてお前の事を襲ってたんだ?」

      「こいつ等が何なのかって点については俺も知らない。ただ、何で俺の事を襲って来たのかって点だけは察しがつくな」

       

      昆虫剣鬼は、その視線を黒い恐竜人間の方へと向けて、

       

      「お前、多分少し前に俺が戦った連中の仲間だろ。あの時は具体的な事を知る事が出来なかったけど、俺が戦った連中もそこで倒れてる奴等と同じTシャツを着ていた。暴力団か何かか?」

      「何でお前如きに喋らないといけな……」

       

      と、そこまで言いかけた黒い恐竜人間の口が唐突に止まった。

      その理由は単純――――首元に昆虫剣鬼が右手に持った刃物を『曲剣』の形で据えたからだ。

      彼は低い声でこう言い放つ。

       

      「喋らないとノコギリに斬られる木材みたいな事にするぞ」

      「っ……その外見といい、お前特撮とかだと絶対悪党側だろ……」

      「別に正義の味方とか名乗ってるわけじゃないからオールオッケー」

       

      昆虫剣鬼と黒い恐竜人間がやり取りしている横では、狼男の姿な雑賀が内心で呟いていた。

       

      (……まぁ、鎌で首を狩り取るぞーって脅迫するよりは想像のし易さから考えて効果的だわな)

       

      脅迫してる様子を見ながら関心している辺り、彼も彼で思考が残酷系なのかもしれない。

      下手をすればその辺のチンピラよりも悪党っぽい二人を前に、黒い恐竜人間の震えは更に強まっていく。

       

      「で、結局お前等は何者なんだ。暴力団か何かか?」

      「……ちっ、俺達は……」

       

      彼がそこまで言い掛けた時だった。

       

      「……お前達。何をやっている……」

       

      裏路地に、第三者たる男の声が入り込んできた。

      その人物は先ほど戦ったゴリラ獣人――ほどでは無いが、一言で『大男』と呼称しても差し支えの無い体格に、少々生地が傷んでいる安物のジャケットを羽織っており、内側から力を加えればそれだけで弾け飛びそうな印象があった。

      一見破壊の権化のような姿だが、その口調は陰鬱な物。

       

      まだ牙絡雑賀を含めた三名ほどが姿を変えたままで、裏路地には周囲から存在を隠蔽する力場が発生している。

      その上で『気付いて』近付いてきた、という事は――――入り込んできたこの人物も、何らかのデジモンを脳に宿した電脳力者だという事。

       

      「…………」

       

      裏路地に、再び緊張が走る。

      入って来た男が敵か味方かによって、雑賀達の運命も決定するかもしれない。

      一先ず雑賀が問いを飛ばそうとしたその時、何故か黒い恐竜人間が震えた口調でこんな言葉を漏らしていた。

       

      「あ、アンタ……まさか浦瓦(うらが)の兄貴か!? どうしてこんな所に……!!」

      「……お前か。まだ、こんな事をしていたんだな……いい加減にやめたらどうだ……」

       

      どうやら、このチンピラな電脳力者達と知り合い――それも、親しかった仲らしい。

      言動から考えるに、どうやら雑賀達の敵というわけでも無いようで、その一方で黒い恐竜人間を含めた三人の味方というわけでもないようだ。

      彼は視線を雑賀と昆虫剣鬼の方へ向けて、

       

      「……どうやらこいつ等が迷惑をかけたようだな。すまない……」

      「突然謝られても困るんだが……アンタ、そいつ等の知り合いなのか?」

      「……そんな所だ。少し付き合いがあった。過去の話だがな」

      「?」

       

      何やら込み入った事情があるようだが、当然ながら雑賀にも昆虫剣鬼にも解らない。

      構わず、浦瓦と呼ばれたその男はこう告げた。

       

      「……ひとまず、こいつ等については俺が通報しておこう。いくら『力』を使っている時に普通の人間から捕捉される事が無いとはいえ、そんな風に怪我をしてしまっている場面を発見されれば流石に病院行きは免れないからな」

      「でも、こいつだけは普通に変身状態を維持してるぞ。そこはどうすんの?」

      「頭でも叩いて気絶させれば早いだろうな」

       

      そこまで聞いて、居ても経ってもいられなくなったのか、黒い恐竜人間はこんな事を言ってくる。

       

      「なあ、浦瓦の兄貴!! 昔のよしみで助けてくれよ!! 俺達、前は……」

      「いいから寝てろ」

       

      が、その言葉を言い終えるよりも先に、雑賀がその足を恐竜人間の頭部へ落とし、その意識を刈り取る。

      すると、昆虫剣鬼は何を思ったのか顎に右手を当てて、

       

      「通報してくれるのはいいんですけど、俺や……このオオカミ人間もどきは帰ってもいいんです? 正直、もうここでの用事というか面倒事は無くなったっぽいんで、立ち去りたいんですけど」

      「ん。その辺りは自由だと思うが。俺は恐らく警察に事情聴取を受けるだろうが……君達の場合、むしろ加害者として疑われそうだから、どちらかと言えば去った方がいいだろう……」

       

      そうして。

      一礼した後に裏路地から脱出して、最寄の児童公園にて周囲に誰もいない事を確認すると、狼男と昆虫剣鬼は自身の肉体を元の人間の姿へと戻していた。

      そして、雑賀は軽く息を切らせていた。

       

      「……だ、ダメだ。すげぇ疲れた。見様見真似で壁キックとかするんじゃなかった……」

      「まぁ、疲れた程度で澄むだけマシじゃないか?」

      「……つーかお前余裕だな。疲れてないように見えるんだけど気のせいか?」

      「そりゃあ疲れてるけど、あそこまでハードに動き回ってたわけでも無いし。あるいは、単に基礎体力の問題じゃないかな」

      「帰宅部の弊害がこんな所で来るかよ……」

       

      吐き捨てるような調子で苦言を漏らす雑賀の目前に居るのは、先ほどの戦闘の際に昆虫剣鬼な姿だった青年。

      身長にして百七〇メートル程はあり、髪の毛は特に何かで染めているわけでもないらしい黒色のツンツンヘアー。服装としては上半身には肌着無しのまま深緑色のTシャツ、下半身には一般的な灰色のハーフパンツ。昆虫鎧な姿の時には気付かなかったが、そのポケットは財布でも入っているのか目に見えて膨らんでおり、実は小金目当てで狙われたんじゃねぇの……? と雑賀は考えたが、あの『戦隊ヒーロー物なら全員揃ってグリーンポジション』なチンピラ三人組の言動から察するに、恐らく財布は『ついで』だったのかもしれない。

       

      ふと、思い出したかのように雑賀は言う。

       

      「そういやお前、名前は? 俺は牙絡雑賀」

      「野入葉徹(やいばとおる)。多分、同じ『能力』を持った人間だと思う」

       

      通り縋っただけでも、合計五人の電脳力者と遭遇した。

      あるいは、自分が知らなかっただけで、他にも多くの『力』を宿す人間が潜んでいるのか。

      昆虫剣鬼――正確には『スナイモン』と呼ばれるデジモンの力を宿す青年と邂逅しながら、雑賀の心には拭いきれない不安が刻まれていた。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      時刻が午前10時過ぎな頃。

      裏路地での割りと命賭けな戦いを終えた雑賀は、自宅のあるマンションの玄関前で嘆息していた。

      彼の眼前には鍵穴を差し入れる部分とは別に、3ケタの番号をボタンで打ち出す事で指定した一室へインターホンを流す、マンション特有の機械が設置されている。

      尤も、その機能は本来宅配便を届けに来た業者や遊びに来た知人などを含めた『来客』が主に使う物であり、マンションに住まっている人間は基本的に合鍵を保有しているので大抵の場合は出番が無い。

      そう、大抵の場合であれば。

       

      「……やられた……」

       

      彼は現在、自宅に帰るために必要な合鍵を保有していないのだ。

      司弩蒼矢との戦いに出向いた時点では持っていたはずだが、病院で目覚めたその時点で彼が保有していたはずの合鍵はいずこへと消えていた。

      フレースヴェルグと名乗る男に文字通り吹き飛ばされる過程でポケットから抜けたのか、あるいは司弩蒼矢と戦っている中でプールの中に混入させてしまったのか――特に後者だと不法侵入罪に問われる可能性もあってとても拙いのだが、彼の頭には別の可能性が浮かばれていた。

      それは、

       

      「……母さん、病院に来たのと同時に俺の履いていたズボンからカギを抜いてやがったな……」

       

      実際どうなのかまでは定かになっていないが、経験から最も可能性を感じられる答えだと雑賀は思っている。

      というのも、彼の母親こと牙絡栄華は抜け目や容赦が無い人間として家族の間では有名なのだ。

      隠し事でもしようとすれば、微かな違和感から怪しみ手がかりを探ろうとし、実際に見抜かれる。

      月間で配分される小遣い不満を覚え、こっそり財布から小銭を少しだけ抜き取って割り増しさせた次の日の朝には、抜き取った分どころか全ての残金を財布から堂々と抜き取ったり――その行動に思わず反発して手を出そうとすれば物理的な反撃でもって黙らされる。

      現在の時刻では仕事に向かっているのであろう父親の牙絡大上(がらくおおかみ)が酔って帰宅し、泥酔のノリで度を越えたスキンシップをやらかしてしまった際の出来事は、とてもでは無いが当時小学生だった頃の雑賀には恐怖心を刻み込むに十分な効果があったらしい。

       

      「……懐かしいなぁ。今でも震えちまうわ……」

       

      とは言っても、別に当時の牙絡栄華は複雑な事をやったわけでは無い。

      単に、一本背負いよろしく床に叩き付けてマウント取って両方の拳で顔面を以下略――それを、気絶するまで繰り返し、その後『木材で作られていて背が三角形に尖った何か』に乗せ、色んな意味で殺そうとしただけである。

      そんなわけで、

       

      (……帰ったら何らかの攻撃が来る事は確定。足狙いか胴狙いか顔狙いか……そこは反射的に見極める。大丈夫だ。俺はもうガキじゃない。少なくとも初撃を避けるかガードしてやり過ごすぐらいは出来るはずなんだから)

       

      そうこう思考を練っていると、機械に内蔵された小型カメラ越しに雑賀の顔を視認したのであろう母親は、何も言葉を発することも無いまま自動ドアを開かせた。

      雑賀は開いたドアを通り抜け、次にエレベーターに乗って六階にある自宅の扉の前に立つ。

       

      (……司弩蒼矢との戦いにも勝てた。フレースヴェルグとか言う野郎には為す術も無いまま吹き飛ばされたけど、チンピラ三人組の時だってどうにか出来た。慢心してるわけじゃないけど、今の俺には力がある。こんな事で悩んでてどうするんだ)

       

      ……そもそもの問題として、自宅の前でラスボス手前の勇者様ご一行な雰囲気を醸し出している時点で何かが歪んでいるはずなのだが、ともあれ雑賀は自宅のインターホンを鳴らす。

      数秒経ってからドアが開かれ、雑賀の目の前には母親の姿があった。

      彼女は雑賀の表情を見るや、開口一番から呆れた口調でこう言った。

       

      「……何でそんな警戒心剥き出しなの?」

      「自分の過去を思い出して。こういう時はいつも恐ろしいんだよ!!」

      「親が恐ろしく無い家庭なんて、子供に対する抑止力も皆無だと思うんだけどねぇ」

       

      言いながら彼女自身はリビングの方へと歩を進めていく。

      何事も無かった事が意外に思ったのか、雑賀は若干怪訝そうな目になりながらも家に入って靴を脱ぐ。

      手を洗ってからリビングに向かうと、さっそく栄華は雑賀に向けて問いを飛ばしてくる。

       

      「で、まず当然の事から聞かせてもらうんだけど……何があったわけ?」

      「……路地裏に連れて来られて不良にボコられた……」

       

      流石に『モンスターと化した人間を探しにプールへ不法侵入してました』なんて事実を口にするわけにもいかないので、それらしい事を言って誤魔化そうとする雑賀。

      尤も、発言した出来事自体は実際少し前に発生したわけで、半分ぐらいは嘘でも無いのだが。

       

      「一応聞くけど、本当に?」

      「この期に及んで嘘吐いてどうなんのさ」

      「本当だったら今すぐにでもその不良共の住所とか特定して社会的に殺してやりたいんだけど」

      「顔や衣類に関しては覚えてないよ。思いっきり後頭部を不意討ち食らったから」

      「……そう。まぁ、冗談でそんな怪我をするとは思えないけど」

       

      栄華はそこまで言ってから、浅く息を吐いて、

       

      「とりあえず、お帰り」

      「…………」

       

      その言葉に対し、雑賀はどんな表情をすれば良いのか解らなかった。

      恐らく、遅れ気味だとしても食事を作ろうとしているのであろう牙絡栄華は、雑賀の身に『何か』があったのだと感付いている。

      その上で追求してこないのは、確信が無いからか、あるいは気遣いからなのか。

      どちらにせよ、自分から話して信じてもらえるような内容とは思えないし、そもそも話す勇気も無い。

       

      「ただいま」

       

      どちらにせよ、雑賀にはそう言うしか無かった。

      そんな言葉しか、思い付かなかった。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      「おーい、もう朝だぞー。起きろ変温動物」

       

      病室にて深い眠りに就いていた司弩蒼矢の意識を現実へ引き戻したのは、そんな声だった。

      本心から鬱陶しく思いながら首だけを声のした方へと向けると、紫色のタンクトップを着たパンクヘアーな男の顔が見えた。

      司弩蒼矢は訝しげに目を細めながら口を開く。

       

      「……またアンタか」

      「そんな目を向けられてもなぁ。こうして会うのは一応二回目なわけだが、何か嫌われるような事したっけか……? 流石にそんな対応ばっかりだと傷付くと思うんだがどう思う?」

      「疑問の言葉はこっちの台詞。あと馴れ馴れしい」

      「かーっ、いくら自分が不幸だからってそういう対応はよくないと思うぞ。本能のままに飛び回る野鳥でさえ身内とのスキンシップとかはやんのによぉ」

       

      来る事を望んだ覚えも無ければ、呼んだ覚えすら無いにも関わらず馴れ馴れしいこの男の名前は、フレースヴェルグだったか――と、蒼矢はぼんやりと確証も無いような調子で思い出す。

      一日前、どうやら蒼矢に宿っている(らしいが詳しい事は何も知らない)デジモンの力に目を付け、接触を図ったのがフレースヴェルグと名乗る男だったのだが、当時の蒼矢からすれば自身に宿る力に関する事以外の情報はどうでも良いものでしか無く、詳しい事は覚えていなかったりする。

      いつの間にか窓を開けられていたのか、夏の暖かな風が肌を撫でた。

       

      「まぁ、一部始終を眺めさせてもらってたわけだが……駄目だねぇ。お前さん」

      「……何が言いたいんだ。先日の……牙絡雑賀とか言う名前の『同類』との戦いの事か?」

      「それ以外に駄目だと言える部分はほぼ無いからな。ハッキリ言って、駄目すぎる。伸びしろが良い奴だなぁと思ってたんだが、アレならまだ本能のまま動いてた時の方がずっと良かったよ」

      「…………」

       

      散々な言い分だったが、反論しようとも思えなかった。

      実際、先日の牙絡雑賀との戦いの際――自分は躊躇していたかもしれないのだから。

      フレースヴェルグの言葉は続く。

       

      「……ったくよ。もしお前が、自分自身が負けた原因を能力の強弱だと思ってるのならドン引き物だな。戦いの場は完全にお前の方が有利だったんだぜ? お前自身が『しっかり』していれば、負ける要素なんてほぼ無しの状況だったんだ。こんなのは、何というか自業自得だ。色んな意味で」

      「……随分な言い方だな……まぁ、解らなくも無いけど」

      「お前、本当に自分が負けた原因を解ってるのか?」

      「……何だって?」

      「今さっきも言っただろ。本能のまま動いてた時の方がずっと良かったって」

       

      こんな事は解って当たり前だと、常識でも語るようなフレースヴェルグの言葉に、蒼矢は思わず疑問の声を漏らしていた。

      構わず、戦いの一部始終を眺めていた男は言葉を紡ぐ。

       

      「本能のままに動くって事を理性ゼロの状態で戦うって解釈してるんなら、そいつは大きな間違いだ。本能ってのは生き物が生き物らしく動くための原点。虫だの犬だの大抵が『生きる』ために動く事が多いから勘違いされやすいが、人間以外の生物にも生存以外を目的に行動する本能がある。デジモンの場合は闘争本能ってやつが高いらしいが、こちらも同じだな」

      「……デジモン……僕の中に宿っている存在の事か」

      「一応子供のオモチャとか、そういうので普通の人間には知られてるらしいが、お前は知らないんだったか」

      「そういう物に時間を費やす暇は無かったから。別に、必要の無い事だったし」

      「これからの事を考えると、知っておいた方がいい事なんだけどな。……つぅか、お前さんは今のままでいいのか? そんなベッドの上で引き篭もったままで」

       

      その言葉には、蒼矢も思う所があったのか口篭る。

      現在の彼は、何も取り戻すことは出来なかったどころか、誰かを傷付けただけで止まっている状態。

      そこから何をどうするのか、まだ何も決めてもいなければ考えも出来ていない。

      失った四肢を他人の物を奪い取る事で取り戻す――独善ですら無いその行動を第三者に否定された時点で、彼からは戦うどころか動き出すための決定的な力が失われている。

      宿る怪物の力も、行使出来ない。

      それ等全ての状態に対しての、質問だった。

       

      「……僕は……」

      「自分でも解らない、か。自分で自分のやりたかった事を思い出せなくなるなんて、頭いいフリしてて実は馬鹿だったのか」

       

      言われ続けて流石に苛立ちを覚えたのか、蒼矢はそもそもの疑問でもって切り返す。

       

      「そろそろ人の事を馬鹿にするのは止めろよ。そもそも、何で此処にアンタが居るのかって疑問に対しての回答がまだなんだけど」

      「……あ、そうだっけ……?」

      「まだ三分も経ってないはずのにもう忘れたのか……」

       

      案外、記憶力は高い方では無いのかもしれない。

      フレースヴェルグは寝起きの直後のように呆けた声を漏らしながら、思い出すような調子で口を開く。

       

      「まぁ、簡潔に言うと勧誘だな。この世界に対して嫌気が差してるのなら、変えようとする者達の味方らしいウチの組織で働かないかって誘いに来たわけ。やっぱり、こういうのは本人の意志も聞いておかねぇとな。俺としては命賭けた奴の意思を尊重したかったんだが、上の野郎が最低限確認ぐらいしろと言い急かすもんでね」

      「……あの後、何かあったのか……? あの、牙絡雑賀って人は……」

      「怪我こそさせたが死んではいねぇよ。もう病院には居ないらしいが、今頃家に帰ってるか何処かをフラついてるんじゃねぇの?」

       

      世間話でもするような調子の口調に多少の苛立ちを覚えながらも、蒼矢は質問を続ける。

       

      「仮にだけど、その組織に入って何かメリットはあるのか」

      「組織とは言っても、それに仕えたり従ったりするってより『目的を果たすための補助道具』ってイメージが強いかねぇ。全より個の意思とかが重視される。飴と言える要素も……まぁ『変える』事に関する補助とか、食う事や住む事に対する恩恵って感じだな。鞭と言える要素があるなら、別の個人の感に障るような事をしたら個人の手によって制裁される可能性があるって所かね。理解したか?」

      「……それ、組織として機能してるのか……? 聞いてる限りだと、要するに全員が全員で好き勝手に力を使うだけって事に聞こえるんだけど」

      「その『力を使う理由』で結合してる部分があるから、役割分担したり出来てるわけなんだがな。まぁ、好き勝手やってるって点は間違ってねぇよ。口頭で言える目的が同じでも、それぞれが考えてる最終的な目的は違う所にあるんだろうし」

      「…………」

       

      蒼矢の表情が僅かに曇る。

      フレースヴェルグの言った事が本当であれば、彼の言う『組織』とは個人の意志が全てを決める、ある種独裁と言っても過言では無い一括りの事を指している。

      力を持った誰かが、別の力を持った誰かの意思を利用したりする可能性もある、一長にしても一短にしても悪意が混じり込む枠組み。

      普通の人間なら、悪人でも無い限りは拒否反応を起こしかねないだろう。

      だが、現実を変えようと思うほどの『理由』を持った人間なら、多少の躊躇を覚えたところで実行は出来る。

      現に蒼矢自身、近い過去にて自分の力で他社を傷付けてしまっているのだから、糾弾しようにもその資格があるとは思えなかった。

      だが、その上で、

       

      「……家族は、母さんや父さん、弟はどうなるんだ」

      「それについては何とも言えんな。俺やお前と『同じ力』を持った奴等が何かをしでかして、ぽっくり死んじまう可能性もあれば、何事も無い状態に出来る可能性もある。ここの部分に関しては、組織に入る入らないはそこまで関係無いな。どっち道、力の有無で全てが決まるわけだし。協力者の有無は……居ないとも言い切れないが、頼りにすべきじゃあ無いな」

       

      結局はお前次第だな、とフレースヴェルグは付け加える。

      実際問題、身内の安否に関しては彼からしても『確定的な』情報を提示しづらいのだろう。

      蒼矢に判断を委ねているのも、当の蒼矢自身ぐらいしか基本的に『怪物』から自分の家族を守る事が出来ない――より厳密に言えば、守ろうと思ってくれる人間がまず居ないのだと考えているからに過ぎない。

      自分と同じような力を持つ人間が悪意でもって家族に危害を加えようとした時、どうにか出来るのは大前提としてそれ以上の力を有している存在のみ。

      野生動物の『親』が『子供』を守ろうとする事に対する、殆ど逆のパターン。

      守られている側であるべき存在が、守る側のための身を削り、危険を冒す形。

       

      やがて、蒼矢は呟いた。

       

      「……駄目だ、とてもじゃないけど決められない……」

      「断りはしねぇんだな。その一方で入ろうとも思えない、と」

      「…………」

      「あの時のお前さんはかなり頑張れてたのにな。入るにしろ入らないにしろ、見てらんねぇよ。まだ夏なのに冬眠し始めの蛇みたいなツラしやがって」

      「……ん」

       

      失望、あるいは落胆と形容出来る表情を込めたその声に、蒼矢は苛立ちを覚える前にふと疑問を覚えた。

      フレースヴェルグが何を思ってその言葉を発したのかは知らないが、忽然とした疑問点が蒼矢の頭の中で浮上する。

       

      「ちょっと待ってくれ。あの時ってどの時だ? 記憶の限りだと、僕は開業前の市内プールの中で泳いでいた……んじゃ……? そこで、戦って……」

       

      言葉を発してから、蒼矢自身が自分自身に疑問を覚えた。

      何か、自分自身の見解と記憶が入れ違いになっているような、何か勘違いを起こしているような。

      そんな、疑問だらけの表情を浮かべる蒼矢に、フレースヴェルグはむしろ自分の方が訳解らんと言わんばかりの呆れ顔でこう言った。

       

      「? 何言ってんだ。お前が最初に向かったのはそっちのプールじゃなくて、お前自身が通ってた学校のプールだろ。姿を変えて、力を思う存分に振るってただろ?」

      「…………」

       

      言われて、蒼矢は先日の出来事を思い出そうとしてみた。

      お節介な狼男との対決の前――何をやっていたのか。

      そこまで考えて脳裏に浮かんだのは、

       

      学校のプールサイドで血を漏らし、理解不能の恐怖に脅えた表情で倒れ込む人間の姿だった。

       

      「……あぁ、そうだった……」

      「思い出したか。まったく、あんなにハッスルしてたのに忘れるなんてよ。宿ってるデジモンの特徴なんだろうが、知性が欠落するってのも考えものだな」

      「……ははっ……」

       

      何かを諦めるような、笑いにも似た奇怪な声が漏れ出ていた。

      状況を詳しく見定めるまでも無く、記憶の中の人間が血塗れで倒れたのか――それを想像出来た。

       

      「……これじゃあ、本当に化け物だと認めざるも得ないよなぁ……」

       

      目的が果たせるなら、どんな事でもする。

      そんな風に考えての行動は、結局この程度の結果しか生み出せなかった。

      確かに生き残る事は出来たし、家族と再会する事は出来る。

      だが、こんな事をしていながら、どんな表情で顔向けすれば良いのか。

      そもそも、一人の『人間』として会う資格があるのか、それさえ解らない。

       

      「……? おい、何でがっかり顔になってんだ。アレがお前の『やりたいこと』だったんだろ?」

      「…………」

       

      違う、と言いたかった。

      だけど、現実に答えは出てしまっている。

      フレースヴェルグは、何を思ったのか自分の頭を右手で掻いていた。

       

      「まぁ、夜頃にまた来るから、その時に答えを聞かせてくれや」

       

      すっかり落ち込んでしまった蒼矢の表情を見て、フレースヴェルグは面倒臭そうにそう言ってから病室を出て行った。

      後に残されたのは、海蛇の力を宿すちっぽけな青年だけ。

      彼は、自分自身に問いを出すように、ふと呟いていた。

       

      「……僕は、何をしたかったのかなぁ……」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      風呂に入った。

      食事をした。

      自室に戻った。

       

      ……幾分簡素に聞こえるかもしれないが、自宅に帰ってから雑賀が体験した出来事を述べるとそれに尽きるわけで、実際特に何事も無いまま雑賀は日常へと帰還出来た。

      この、ちっぽけでこそあれど、大切な物だと実感出来る当たり前の日常こそが、彼の動機でもある。

       

      「……はぁ」

       

      人外の力に目覚める以前でこそ平凡だと思えた日常に温かさを感じる辺り、ほんの僅かな時でありながらも非日常の方へと順応し始めているのかもしれない。

      帰りたかった場所へと帰ってきたはずなのに、安心感を抱く一方で不安を拭いきることが出来ない。

      いっそ、このまま平穏の中で過ごしていたほうが良いのではないか――そう思えば、同時に疑問が浮かんでくる。

      人智を越えた脅威に相対出来るだけの力があるかもしれないのに、自分だけが幸せでいていいのか、と。

       

      その疑問は無論、現実にその姿を消されたのであろう紅炎勇輝の件に対しても向けられる。

      少しでも可能性があるのなら、リスクを冒してでも助け出そうとするべきではないか。

      だがその一方で、下手に首を突っ込んだ挙句、家族へ危害が向けられる事は無いのか。

      疑問が疑問を浮かべ、疑心は戦いに赴く方向性を強め、臆病な心は結局決意出来ぬまま問答を寸止めさせる。

       

      (……どうすりゃ、いいんだろうな……)

       

      縁芽苦郎は、シナリオライターと呼ぶらしい組織に対抗するための枠組みが存在する、と話していた。

      そして、その存在を伝えた上で『選択する』ように言葉を紡いでいた。

      その情報を聞いた時は、仲間と言える相手が居るかもしれないのだと一種の期待を抱く事が出来た。

      だが、心強い仲間が居るとしても、縁芽苦郎と同じ枠組みに入るということは、引く事の出来ない戦いの非日常へと赴く事を意味する。

       

      (……そういや……)

       

      ふと、雑賀は先日の出来事を思い返す過程で、とある疑問を抱く。

      実際の所、司弩蒼矢との対決は開業前のウォーターパーク内で行われたのだが、そもそも司弩蒼矢の一件に関わる以前に彼は見過ごせないファクターを目にしていた。

      それは、

       

      (……結局、昨日は救急車が水ノ龍高校に向かってたけど……被害者が発生したのなら、もう事件として報道されてるのか?)

       

      先日起きた出来事も、本日起きた出来事も――電脳力者が発生させる力場の影響によって、一般には認識されていない。

      だが、救急車が来たという事は、少なくとも怪我をしている状況を誰かに確認された――つまり、何かが起きた『後』の状況は現実の物として残されている。

      何も、その原因がまたも電脳力者による物であると限られているわけでは無いが、心に引っ掛かる何かを拭い切れず、彼は自室のパソコンを起動させて情報を検索し始める。

      この手の傷害に関する事件の情報は、大抵の場合が地域警察のホームページかネットニュースのサイトに記されている事が多いが、それ等のサイトを真っ先にアテにする前に、事件のあった場所を検索ワードに取り入れて調べた方が目的の記事を目にしやすい。

      10分も経たない短い時間で、それは見つかった。

      タイトルに『水ノ龍高校 男子生徒二名が重軽傷 加害者は生徒か』とある記事にマウスカーソルを合わせ、クリックする。

       

      「…………」

       

      記事の内容を見て、雑賀は思わず怪訝そうな表情を浮かべていた。

      加害者の正体が不明である事は、苦郎から聞いたARDS拡散能力場の事を考慮すれば、電脳力者の仕業である可能性を示唆出来る。

      救急車が走っていた時刻から考えれば、事件が起きた時に目撃者がいない可能性は低いのだから。

      だが、雑賀はそれ等の情報とは全く異なる部分に関して疑問を浮かべていた。

      あるいは、彼ぐらいしか気付けなかったかもしれない違和感に対して。

      口から、言葉が漏れる。

       

      「……被害者の怪我は……切り傷及び肋骨の骨折……?」

       

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      時刻は十二時過ぎ頃の事になる。

      司弩蒼矢は、病院の中庭に設備されている木製のベンチに座っていた。

      率直に言って、彼の心境は憂鬱そのものだった。

      その理由の一つとして挙げられるのが、彼の体に施されたとある処置にある。

      どのような処置が行われたかと聞かれれば、彼の体に失われていたはずの右腕と右脚が存在する、という事実が全てである。

      彼はフレースヴェルグが病室から去った後、医師の意向によって失われた手足を補うため、装具士の手で造られた義肢を装着されたのだ。

      こうして中庭に来たのも、装着された義肢の恩恵あってこその物なのだ。

       

      (……本当に、どういう技術で造っているのやら)

       

      蒼矢自身は材質や製造工程などに関しての知識が無かったのだが、多少の違和感こそあれど外見は本物の手と相違が無く、機能面に関しても慣れていけば問題が無くなると思える代物だった。

      義肢の製作及び装着のための金は、彼が四肢の半数を失う原因となった交通事故で結果的に助けた(事になっていた)少女の親が主に負担してくれたらしい。

      義肢に関する情報が記憶に無かったのは、ずっと病室のベッドの上で不貞腐れて他者の話をマトモに聞いてもいなかった所為なのか、あるいは義肢に関する話自体がつい最近になって浮上したからなのか。

      どちらにせよ、蒼矢自身が知らない、あるいは知ろうともしていなかった義肢製作の件に関しては、交通事故のあった後日の時点で既に進んでいたとの事らしい。

      つまるところ、彼にはもう誰かの手足を捥ぎ取るという凶行に出るだけの動機が――無いとも言い切れないが、その動機のために誰かを攻撃する事を許容出来ない。

      彼の精神は燃え尽き症候群と言うより、後悔の波に呑まれて沈み込んでいた。

       

      「…………」

       

      もし、最初から偽者とはいえ手足を与えてくれると知っていれば。

      何の罪も怨みも無い学生を襲ってしまう事も、夜間の市内プールで見ず知らずの相手を殺しかけてしまう事も無かったのか。

      そうじゃない、と彼は思う。

      そもそも、彼は思考の中から自然と除外してしまっていたのだ。

      自分なんかのために、誰かが救いの手を差し伸べてくれる可能性を。

      自分が、誰かから大切に思われていると信じられなかった故に。

      自分で自分という存在の価値を勝手に決め付けてしまっていたから。

      だから、

       

      (……きっと、こんな気持ちになっているのも、ただの自業自得なんだ)

       

      その事実を認識すると、先日自分がやっていた事の全てが迷惑極まりない茶番のように思えてくる。

      確かに、作り物で偽者の手足と血肉の通った本物の手足のどちらが欲しいかと問われれば、迷わず後者を求めていただろう。

      だけど、求めた物を得るために他人の犠牲を要するのだと知って――自分は本当にそれを許容していたのだろうか。

      もしも許容が出来ず、それでも欲する事だけが思考に残っていたのならば――本能に飲み込まれ、自我も乏しいままに行動していた件が一種の禁断症状による物だったのなら。

      結局、これは自分の意思で招いた結果だったのではないか?

       

      「…………ぅ」

       

      思わず、自分自身の手が震えを発していた。

      願望の重複が招いた禁断症状と、それによって生じた自分以外の傷跡。

      間違い無く自身の中に宿っている『力』が引き起こし、手綱を引き絞らなかった自分の浅はかさが招いた出来事だった。

      傷つけてしまった相手も、あの市内プールでの戦いの相手だった牙絡雑賀ぐらいしか正確には思い出せないが、恐らく自分が覚えようとしていなかっただけで実際の被害は更に広がっている。

      そして、そんな取り返しのつかない事をした当の本人はこうして無事に済まされ、失った物も不完全とは言え取り戻している。

      ……それで、本当に良いのだろうか?

      何の罪も何の言われも無いはずの者達がただ一方的に傷付けられ、傷つけた当人は失われていた物を楽に取り戻した上に平然と生き延びている。

      場合によっては死者が発生してもおかしく無かったはずなのに、本当に。

      こんな化け物が無事に済んでしまって、本当に良いのか?

      そんな事を考えている時だった。

       

      「あ、あの……」

      「…………ん?」

       

      耳の中に、とってもか細い声が入り込んできた。

      本当に小さな声だった故に空耳かと疑ったが、疑問のままに声がしたと思われる方へ視線を向けると、ほんの数メートルほど先におどおどした一人の少女が立っていた。

      服装はとても見覚えのある――というか間違い無く蒼矢が通っていた高校で女子が着ている制服で、その証拠として上半身に着ている白色の制服の胸ポケット付近には龍らしき生物の意匠が見えている。

      容姿の中で特徴と形容出来るのは、サラサラとした長い黒髪のみ――むしろ、特徴が無いのが特徴と言えなくも無く、世間を渡り歩く大抵の女の子のイメージとは異なり化粧や香水の匂いも無し。

      RPGゲームだったら職業は僧侶であろう風貌なその少女は、ベンチに座る蒼矢に対して遠い場所に見える物でも見るような視線を向けていた。

       

      「えぇっと……その、私の事を覚えてますか……?」

      「………………」

       

      一方で、蒼矢の方も少女の顔を眺めていた。

      同じ学校の生徒という事は、何らかの行事で顔合わせをしている可能性が非常に高い。

      そんな中、相手の方だけが知っていて、自分だけが知らない――と言うより覚えていない。

      思わず紫タンクトップの男ことフレースヴェルグの姿が脳裏にチラ付く辺り、自分に話しかけてくる人間を安易に信用する事が出来なくなりつつある気もしたが、何となくこの少女が『裏』と繋がっているとは思えなかった。

      きっと、知っている人物だろう――そう考え、司弩蒼矢は頭の中に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。

       

      「誰だっけ?」

       

      特に何らかの異能が関わっているわけでもないのに、少女の姿が現在進行形で少年漫画風のモノクロデザインに変換されているような気がした。

      何か変な事でも言ったのかな? とでも言いたげに首を傾げる蒼矢には、原因が解っていないらしい。

      すると、何とか自力で(主に自分の精神面に)リカバリーを図ろうとしているらしい少女が、再び口を開く。

       

      「わ、私は磯月波音(きづきなみね)って言います。よく水泳部の練習とかを見に来てました……」

      「……あ、そうなんだ」

       

      さして興味も無いと言うより、本当に今初めて知ったかのような蒼矢の態度に、すっぴん少女こと磯月波音のシルエットが更に時代を逆行していく。

      理由をイマイチ理解出来ていない鈍感男こと司弩蒼矢は、頭上に疑問符を浮かべつつ、

       

      「まぁ、見てくれていた事については別にいいんだけど。そんな事より、君はここに何をしに来たの? 誰かの見舞いとか?」

      「……え、えぇっと……」

      「それとも、君も入院……は無いとして、通院でもしてるのかな。見るからに顔色悪そうだし」

      「い、至って健康ですっ!! ちゃんと朝ごはんも食べてますし!!」

       

      真面目に予想を立ててみたら少女のテンションが急上昇していた。

      女の子の考えている事はよく解らない――なんて事を内心で呟く蒼矢に向けて、波音は明確に言い放つ。

       

      「蒼矢さんのお見舞いに来たんですよ!! 入院したって聞いて何度か来ていたんですけど、声掛けても何の反応も応答も無くて擬似的な面会謝絶状態で……それでやっと今日は普通に会話が出来ると思ってたら、本当に何も覚えてくれてないなんてーっ!!」

      「いやだって僕別に賢者とかそういう部類じゃないんだから道行く人の顔とか名前とか全部網羅してるわけじゃないんだから……」

      「う、うぅー……」

       

      事情を飲み込めないが、どうやらショックを与えてしまったらしい。

      何となく申し訳無い気持ちになったのか、蒼矢は自ら声を掛ける事にした。

       

      「ごめんね。こんな僕のお見舞いに来てくれていたなんて、ちょっと信じられないけど……ありがとう」

      「……い、いえ……こちらが勝手に来てただけですし……」

      「呼んだ覚えが無いのは事実だけど、それでもだよ。声掛けに気付こうともしなかったのは僕の方だし、本当に来てくれてたのなら嬉しい。少なくとも、今はそう思うよ」

       

      そう言うと、少女の顔色はみるみる良くなっていく。

      頬の部分が少し赤くなっているように見えて、蒼矢は風邪でも引いているのかと疑ったが、

       

      「……そ、そんな風に言われても、こちらからは処女以外何も差し出せるものが……っ」

      「出したら通報して檻に入れてもらうよ」

       

      一瞬の内に声色が冷たくなって告げる蒼矢。

      元気になってくれた事は良い事なので安心出来たのだが、いかんせんこの少女は気分の上がり下がりが激しすぎないか? と別の意味で心配してしまう。

      本当に、女の子の気持ちというのは解らない。

      ともあれ、見舞いに来てくれたという事に関しては、不思議と好意的に思う事が出来た。

      あるいは、そう感じるほどに人との関わりに飢えていたのだろうか。

      ただ、それに気付かなかっただけで。

       

      (……本当に、何をやってたんだろう。僕は……)

      「……はぁ」

       

      会話の最中であるにも関わらず、場違いな溜め息が漏れてしまう。

      加減など無いそれに波音が気付かないはずも無く、当然疑問を投げかけられる。

       

      「……大丈夫ですか……?」

      「……体調は悪くないよ。歩く事だって……」

      「何だか、凄く疲れているように見えるんです……病院での暮らしの所為ですか?」

      「……まぁ、それもあるかもね」

       

      実際には病院での暮らしなど大した事ではないと蒼矢自身は感じているのだが、本当の事情を口にするわけにもいかなかった。

      自分に宿る『力』についても、それを行使して何をしでかしたのかについても、知られる事はどうしても避けたいから。

      恐らく、この少女は何も知らない。

      だからでこそ、こうして安易に近付いて来ているし、自分に対して恐怖の感情だって抱いていない。

      正体が、異形の怪物であるにも関わらずだ。

      この会話だって、見方を変えればさぞ異常な光景に見えただろう。

       

      (……なんだか、色んな事が嫌になってきちゃったなぁ……)

       

      この少女ともっと話をしたいと思う一方で、どうしてもマイナスのイメージを払拭出来ない。

      いっその事、何処かに消え失せてしまった方が楽になるのでは、という思考さえ浮かんだ時だった。

      すっぴん少女は、少し考える素振りを見せたかと思うとこんな提案をしてきた。

       

      「……うーん。ちょっと気分転換でもしてみませんか?」

      「……え。どういう事?」

      「言葉通りの意味ですよ。えっと……ほら、落ち込んでいるのなら、何か楽しい事をしてですね……」

       

      確かに、発想自体は蒼矢としても悪くないものだったが、

       

      「あの、僕見ての通り患者なんだけど。というか、楽しい事と言ったって……病院の中から出れないとあんまり選択肢も無いような……お医者さんがそんな事を許してくれるの?」

      「うっ」

       

      実際の所、入院中の患者が無許可で外に出る事を医者が許すとは考え難い。

      そして、許可が必要という時点でそもそも医者からすれば安易に容認出来る事でも無い。

      確かに義手も義足もあるため、日常生活の範囲での歩行に支障が出る可能性も低いが、まだ義肢自体も装着して間もないのだ。

      確証が乏しい以上、そう易々と許可をくれる医者が居るはずが無いのだが、

       

      「良いんじゃないかな。リハビリの一環としても悪くない」

       

      ふと声が聞こえたと思えば、少女の背後にいつの間にか白衣を着た糸目な壮年の男の姿があった。

      確か、この病院内で結構高い権限を持つ人だったような――とうろ覚えの知識だけが脳裏を過ぎるが、そもそも他者との交流を殆ど蔑ろにしており、病院内での出来事などベッドの上で不貞寝していた事ぐらいしか無い蒼矢としては解らない事の方が多かったりする。

      というか、

       

      「え、良いんですか? 病院から出ても」

      「感染の危険が有る、そうじゃなくても重度の病を発症している患者なら完全にアウトだけどね。君の場合はあくまで四肢の欠損だけが問題で、それを除けば基本的に健康体だったから、本当なら義肢を装着した時点で入院の理由はリハビリ以外に無くなるんだよ」

      「……そ、そうなんですか……それじゃあ、お言葉に甘えさせても」

      「ただし」

       

      その医者は一度言葉を区切ってから、

       

      「まだ一応は入院中の身の上だからねぇ? 外出に関しても、あくまでメンタルケアと歩行機能に関するリハビリの一環だって建て前があるから許される事。ご両親に安心してもらうためにも、何らかの安全装置は常備しておいてもらわないと」

      「……具体的には?」

      「まぁ当然連絡と位置情報を知るための携帯電話を一つと、熱中症対策の飲料水を二本ほど。お目付け係としてはそこの子が居てくれると良いね。あと、義肢に万が一不具合が起きて君が行動不能になったら問題だから外出には電動車椅子を使う事。お婆さんやお爺さんが乗っている所ぐらいなら見た事があるんじゃないかな?」

      「……わかりました。その程度で良いのなら……」

       

      そんなわけで、即実行。

      流石に病院着で外を出歩くのは外観的にも熱中症の危険性からもまずいらしく、許可をくれた壮年の医者に付き添ってもらう形で蒼矢は着替る事になった。

      着替えた後の彼の服装は、水色のYシャツ(肌着は無し)と下着の上に灰色のジーンズの三種という至って普通の組み合わせになった。

      携帯電話は黄緑色の物を手渡され、飲料水に関しては自動販売機で二本のミネラルウォーターを(医者の奢りという扱いで)手に入れ、最後に電動式の車椅子に座って準備は完了。

      一人の青年と一人の少女は病院から出て行くその直前に、壮年の医者からこんな言葉を投げ掛けられていた。

       

      「うんうん。二人っきりで良い時間を過ごせるといいね」

       

      何だかよく解らないが、少女の方は無言で顔を赤らめていた気がする。

      そんなこんなで、司弩蒼矢は磯月波音と共に夏の東京を歩く事になるのだった。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      オレは自分の事が嫌いだった。

      意図も無いのに他者から怖がられる自分が嫌いだった。

      図体ばかりがどうしようも無く大きくて、力だけはあってもヒーローの真似事すら出来なくて、結果として何をやっても誰かを傷付け、何かを壊してしまう。

      嫌悪する事が日常だった。

      やめたいと思った時は少なくなかった。

      だけど、何をやってもどんなに頑張っても、望む結果は訪れてくれなかった。

       

      強い事が嫌だった。弱い奴等が羨ましかった。

      大きい事が嫌だった。小さい奴等が羨ましかった。

      と呼ばれる事が嫌だった。  と呼ばれている誰かが羨ましかった。

      この体が醜いことは承知の上。

      暗い の中から出る事を望まれていない事だって解っている。

      だけど、こんなオレの力が必要とされる時が、いつかやってくるはずなんだ。

      だから、絶対に諦めない。

      どんなに強大な敵が相手でも、どんなに苦しい目に遭うのだとしても。

      オレは絶対に諦めないぞ。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      時刻は午前十一時頃。

      学生であれば午前中最後の授業が始まっていて、自前の筆記用具を手にガリガリとしているべき時間だが、縁芽好夢は学校の敷地外――つまるところ自動車や宣伝広告で風景が構築される街の中を歩いていた。

      平日、それも午前中に割りと名門らしい野弧霧中学校の生徒が街の中をぶらぶらしていると知られればアメリカン系のイケメン外語教師は崩れた日本語を乱発し、見た感じではお上品でも実際はスパルタ系な女性の体育教師は毛の色を金色に逆立てて少年バトル漫画ばりの瞬間移動でもして来そうな所業だったが、今回に関しては正当な理由が存在する。

      彼女がスカートの下に履いている(思春期な野獣どもからすると忌わしい)短パンのポケットから取り出したプリントには、こう書かれていた。

       

      『地震!! 雷!! 火事!! 親父!! 防犯オリエンテーションのお知らせ。頻繁に発生している生徒の行方不明事件に対抗するため、此度の東京都の各小学校や中学校、及び高校では学校の垣根を取り払い、防犯に対する意識と能力を高める目的で野外でのロールプレイを実施しております。各自くじ引き等で決められた役割を演じる事でスタンプを与えられます。目指せスタンプカード制覇!! 制限時間の間に集めたスタンプの数に比例した内容の、イベント限定の学食メニューが貴方を待っています!!』

       

      (……根本的に地震も雷も火事も親父も関係無さそうなんだけどなぁ……)

       

      ひょっとしたら、最初は放火犯対策で行われていた避難訓練が犯罪の増加に伴って肥大化し、結果として包括的に犯罪全般に対処するこの行事へ形を変えていったのかもしれない。

      プリントに表記されているキャッチコピーも、あるいは天災や人災を表現する言葉として使いやすかったのかもしれないし、単に過去にも使用した題材を使いまわしにしているだけかもしれないが。

      現在進行形で実施されているロールプレイの『役割』は、そんな文章の下に記載されていて、

       

      『生徒の皆さんが演じることとなる役割は以下の三種類です。

      人質役、とにかく犯人役の生徒から逃げてください。二分間経過するごとにスタンプが一個貰えます。犯人役の生徒に捕まってしまった場合、そこまでの時点で集めていたスタンプは全て取り消しとなります。尚、治安役の生徒にタッチする事で任意の間だけ犯人役から身を守ってもらう事が出来ますが、その間はスタンプを1分間ごとに1個取り消しとなります。白色のタスキが目印です。

      犯人役、とにかく追い回してください。人質役の生徒にタッチする事で、人質役のスタンプを全て奪う事が出来ます。ただし、治安役の生徒にタッチされた場合はそこまでの時点で集めていたスタンプは全て取り消しとなります。赤色のタスキが目印です。

      治安役、犯人役の生徒を捕まえてください。犯人役の生徒にタッチする事で、犯人役の生徒からスタンプを全て奪う事が出来ます。また、人質役の生徒から保護の要請されている間は、1分間ごとにスタンプを一個押す事が出来ます。上記の人質役や犯人役と違い|襷《たすき》は付けません。

      尚、学校の位が下の人質役を犯人役がタッチしても、犯人役と治安役がタッチしても、スタンプは奪う事が出来ないのであしからず。

      また、今回のイベントを利用して痴漢や暴行に走る生徒が居た場合は厳正に対処するのであしからず。ルールを守りながら犯罪に対する免疫力を高めましょう!!』

       

      (……全体的に、これって要するに鬼ごっこよね)

       

      まぁ、実際問題何者かに『追い回される』状況をわかり易く作れる遊びの一つではあるのだが、学校の敷地だけではなく街の中まで含め、更には他の学校の生徒と合同で行うという発想の時点でスケールがぶっ飛んでいる気がする。住民に迷惑は掛からないのだろうか? という疑念を覚えなくも無い。

      ちなみに、くじ引きによって決められた好夢の役割は人質役。

      言ってしまうと、彼女は今回のイベントを楽しめてはいなかった。

      そもそも行事の方向性から考えても楽しむ楽しまないの問題では無いのだが、さしてロマンチックな話があるわけでも無く人死にやらえげつない法律やらがピックアップされる歴史の授業と同じで、善悪よりも好悪の方が優先されるのかもしれない。

      いかに欲しくなかった商品でも、期間だとか季節だとかに因んだ限定物というステータスを含んでいれば、それだけで大抵の人間は『欲する』ように思考を誘導されるものだが、彼女には全く別の方向に優先すべき事柄があったのだ。

      つまるところ、

       

      (……結局、苦郎にぃや雑賀にぃが『隠していること』って何なのよ……?)

       

      そう。

      先日から今日にかけて、脳裏から離れることを知らない総合的な疑問。

      知ろうとすれば『らしい』言葉で受け流され、いかにも彼女を『何か』から遠ざけようとしている、そもそもの理由。

      それが、知ってしまえば何か取り返しのつかない出来事に発展してしまうかもしれないなんて事は、何となく勘付いていた。

      だけど、

       

      (……それでも、知らないといけない……いや、知りたい。こんな願いは偽善でしかないのかもしれないのは解ってる。だけど、知ってる人がいなくなったんだ。あたしの学校の、同じクラスの子だって。もう、その時点であの『事件』は対岸の火事じゃない。雑賀にぃだって、そう考えたからもう動き出しているはずなんだから)

       

      自分に対して向けられている言葉が嘘である事は容易に想像が出来た。

      きっと、自分が同じ立場に立ったら、身近な人を巻き込まないように心掛けるだろうから。

      だから、知るためには自分から核心へ迫る必要がある。

      そういう意味では、この防犯オリエンテーションにおいて『追われる』事の無い治安役を望んでいたのだが、現に彼女は人質役として防犯オリエンテーションに参加している。

      役割を見分けることが出来るよう右腕に巻きつけられた白色の襷がその実情を表していた。

      ……見分ける材料として使われている襷の色が白と赤『だけ』な辺り、明らかに運動会で使う物を使い回ししている事が窺える。

       

      「……うーん……」

       

      いっその事、スタンプの事など考えずに探りを入れるべきだろうか――と思わなくも無いが、それで犯人役に見つかってスタンプを全没収される事を考えると、何処か負けた気持ちになって癪なのだ。

      人間とは、期間限定の事象に弱い生き物である。

      街の中を擬似的な鬼ごっこの舞台として設定しているのは、恐らく突然の出来事に対する逃走ルートや道順を暗器しておく意味合いも含んでいる――そう考えると、裏路地は人が多くなっている可能性が高い。

      逆に、そう考えて別の道を逃げ道に設定している生徒も多いかもしれないが、単純に一本道を走って逃げ切る事には相応の持久力を要する事となるため、どちらかと言えば逃げ道よりも隠れ場所を探す犯人役だって多いだろう。

      設定されたルールの上では、犯人役は人質役よりも遅れて行動を開始するようになっており、治安役もまた犯人役よりも後に行動を開始するようになっているからだ。

      追い回す事よりも先に、探す事。

      尤も、防犯オリエンテーション中に学校を除いた公共の建物内に入る事は禁じられており、そもそも隠れ場所があるかどうかも怪しくはあるのだが。

      スポーツ関連ならまだしも、かくれんぼや鬼ごっこといった幼子の道楽の経験に乏しい好夢には、そもそも隠れ場所なんて見当も付かないわけで、

       

      (……げっ!!)

       

      街道の曲がり角の辺りにて、RPGゲームのランダムエンカウントよろしく赤い襷を腕に巻いた何処かの生徒――つまる所犯人役の男子生徒とバッタリ出くわしてしまう。

      何処かの、と曖昧な単語が付くのは、制服の柄からして野弧霧中学校の生徒ではないからだ。

      それも、何の因果か中学生。

      高校生であればルールにもあるハンデのような設定が適用され、被害を受ける事も無いのだが、中学生の生徒となると学年も含めて関係が無くなる。

      距離にして、十メートルあるか無いか程度。

      触れられれば終わる――スタンプが全部取り消され奪われるだけなのだが、それはそれで嫌だ。

      何だかんだ言って、彼女も期間限定という言葉には弱いらしい。

       

      でもって、逃走には裏路地を通る事も無く無事成功。

      突然の遭遇ではあったので驚きこそしたが、最初の時点で距離は離れていたからだ。

      運動系の部活に所属している事もあってか、数分しない内に彼女は追跡を振り切っていた。

      単に走る速さの差から諦めたという可能性も考えられるが、このような行事で相手の事情を考える必要は無い。

       

      (……ったく……帰宅部なのかしら? 張り合いが無い。これならガチの変質者の方がスリルがあるわね)

       

      これが死角からの奇襲だったりしたならば話も変わったかもしれないが、追われる前から姿を確認出来た時点で何の問題も生じない。

      後は鬼ごっこと同じで、やる気と根気と走る速さの問題なのだから。

      さーてとりあえず逃げる事には成功したしスタンプでも押すか、と気を楽にする縁芽好夢だったが、

       

      「……あれ?」

       

      思わず、怪訝そうな声が出た。

      ルールとしてプリントにも表記されている通り、人質役は二分間逃げ切るごとにスタンプを一つ習得出来る。

      言い直せば犯人役に捕まらない限り、防犯オリエンテーション開始から経過した時間を半分にした分だけ押す事が出来るわけで、時刻を確認するために彼女は白い襷とは別に腕に付けていたデジタルな腕時計に目をやったのだが、

       

      (……何? 電波の状況でも悪いの?)

       

      時刻を表示するための電子文字が、何やらおかしなことになっていた。

      通常、デジタル時計は携帯電話と同じで電波の通じない場所では時刻を表示できないが、彼女の腕に巻かれた時計は一応の時刻が表示されている。

      ただしそれは、数秒ごとに数字の零と一をランダムに刻んでいる――そんな、下手しなくとも故障したとしか思えない異常な物だったのだが。

       

      「…………」

       

      一種の妨害電波でもバラ撒いている奴でもいるのだろうか? と考えようとしたが、そこで好夢の脳裏に言葉が奔った。

       

      ――事件とは無関係かもしれないが、少しだけ『怪異現象』ならば見つけたかもしれないという自負はある。

       

      先日前。

       

      ――簡潔に言えば、たまにこの街の空気は一部『違う』ような感じがするって感じだ。風景には何ら変化が無い『はず』なのに、どうにも『違和感』というか何と言うか。大人達には感じられないようだがな。

       

      確か、捏蔵叉美が言ってなかっただろうか。

       

      ――本当に些細なものだから私も大して感じた事は無いのだがな。強いて言えば、その『違和感』を感じる場所でスマホを弄ってみたら、何故か電波環境が少し悪くなっていたぐらいの変化しか見られなかった。

       

      怪異現象。

      電波環境の悪化。

      そして、それ等とは無関係と言い難い違和感の存在。

       

      「……まさか」

       

      好夢自身、半信半疑な情報ではあった。

      気に入らない相手の情報だからというわけでは決して無く、単に『そんなこと』が現実に起きるものなのかと疑心を抱いていたからだ。

      だが、現に怪異現象と例えてもおかしくない出来事は起きている。

      仮に妨害電波によるイタズラだとすれば、そもそも時刻は表示すらされず、画面には横線が並んでいるだけなはずなのだから。

      だとすれば、

       

      (……『何か』が近くで起きているっていうの……?)

       

      犯人役の生徒から逃げて、好夢は現在ビルが立ち並ぶ街道から少しだけ離れた場所に居る。

      距離としては然程遠いというわけでも無く、歩きでも五分ほどで元の場所には戻れる程度だ。

      周囲を見渡す限りでは大きな建造物が見えるわけでも無く、強いて言えば橋の下に恐らくは下水道に直結しているのであろう川が見えているぐらい。

      街道から少し離れているからなのか、あるいは社会人は勤務中な頃だからなのか、辺りに人の数は少ない。

      視界に映っている限りでも犯人役である赤い襷を巻いた生徒の姿は見当たらず、周辺に見えるのは散歩に出ている老人や飼い犬、あるいは自分と同じ白い襷を巻いた人質役の生徒が何人か見えているだけ。

      にも、関わらず。

       

      「……何? この、感じ……」

       

      何か、感じるものがあった。

      例えようの無い、あるいは人の気配とは何かが違う粘着質な視線のようなモノを。

      思わず鳥肌が立ち、場違いにも警戒でもするように周囲を見回してみると、

       

      すぐそこに、いた。

       

      「……な……」

       

      信じられないモノでも見るような声が、少女の口より自然と漏れ出ていた。

      形相の時点で明らかに現実より乖離した『そいつ』は、縁芽好夢が立つ位置からほんの五メートル程度――本当に、目視など容易いはずの距離に居た。

      全身の体色は外国人だとか日焼けの経験が無いだとか、その程度の言い分では納得出来ないほどに白く。

      下半身からは六本ほどの脚――いや、用途から考えるとそれは腕と言うべきだろうか――が生えており、更に上半身からは体重を支えている六本の足とは異なる太く長い触手が四本生えている。

      顔は目付きの時点で凶悪そうな笑みを浮かべており、外回りの印象が明らかに人外な一方で、全体の中心とでも言うべき胸部から顔にかけてはやけに人間的な印象を残す外見だった。

      総じて言えば、イカ人間。

      体躯の時点で大人のそれを越している『そいつ』は、

       

      「あん? 何だ、俺の事が見えるってことは『同類』だってのか?」

       

      まるで、自分の予想を裏切られたかのような、それでいて期待半分とでも言うような声調で人間の言葉を発していた。

      重要そうな言葉を発していたが、目の前に迫る脅威に好夢の頭の中は警報を発するのみだった。

       

      逃げろ。

      立ち向かうな。

      捕まれば無事ではすまない。

       

      「……ッ!!」

       

      咄嗟に踵を返して逃げようとしたが、イカ人間の方がずっと早かった。

      走ろうとした好夢の左足に向かって一本の触手を伸ばし、絡め取る事で転倒させてきたのだ。

      前方に倒れ込み、体に鈍痛が奔る。

      触手から伝わる感覚に、鳥肌が立つ。

       

      「おいおい、ただの人間の足で逃げれると思ってんのか……?」

       

      イカ人間の方は、むしろ呆れたような声でそう言っていた。

      まるで、それが当然とでも言うように、常識でも語るような調子で。

      言葉に対する疑問を発するほどの余裕も無いのか、好夢には荒い息を吐く事しか出来ない。

      どうすればいいのか。

      ここからどう動けばいいのか。

      答えは出せる。実際には出来ない。現実。

       

      「……ま、構わねぇか。やる事は変わらねぇしよ」

       

      そんな様子を見て何を思ったのか、その声には嗜虐心が宿る。

      何処へ連れて行くつもりなのか、イカ人間が無遠慮に好夢の足を触手で引き摺ろうとした、

      その直後の出来事だった。

       

       

       

      正しく、ズバッと。

      斜め上の方向より現れた背中に黄色と茶色の混じった翼を生やした鳥人が、一本の日本刀で好夢を拘束していた触手を切断した。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

       

      数分ほど前の事である。

      鳴風羽鷺は、防犯オリエンテーションを割りと楽しんでいるらしい生徒達の事を無視して、高層ビルの屋上で何の比喩表現でも無く羽を休めていた。

       

      「……あー、やっぱり徹夜なんてするもんじゃなかったです……」

       

      朝食を米にするかパンにするかを迷ってでもいるような調子で呟く彼の姿は、縁芽苦郎とすれ違った時とは違い、人間の体のそれから電脳力者特有と言える人外の体へと変貌している。

      身長にして一七〇程はあるだろうか――服装として羽織に袴、そして頭には大きな笠を被っており、江戸時代に存在していたらしい侍を想起させるような風貌だが、その体表には両腕を除き肌色が存在せず、代わりに黄色い羽毛がほぼ全身を埋め尽くしていて、顔立ちや両脚は鷹のそれと大差が無い。

      極め付けに背中からは黄色だけで無く茶の色も宿した大きな翼が生えており、それは鳥という生物にとっての両腕に該当される部位であったが、彼には人間と同じ五指が揃った両手がある。

      鷹を模した侍――そう形容すべき姿だった。

       

      (件の『殺人鬼』は、現状路上で姿を曝け出す事をしていない。それ以外なら色々見えるんですけどー)

       

      電脳力者が電脳力者の存在を察知する能力には、基本的に生物が持つ五感が関係しており、何に秀でているかどうかは脳に宿すデジモンの性質と種族によって差異がある。

      例えば、イヌ科の動物が原型となるデジモンの場合は嗅覚。

      本人が自覚しているかしていないかは別として、それは『ニオイ』と言う名の大気中を漂っている情報を取り込む事で、電脳力者の位置やそれが宿すデジモンの性質を直感的に認識するというもの。

      その一方で、鳴風羽鷺のように鳥類を原型としているデジモンを宿している場合に秀でているのは、視覚。

      電脳力者が放つ力場や携帯電話の電波など、普通の人間の目では認識さえ出来ない情報を視認する事が出来て、種族によってはそれ以外にも身近に存在する何らかの情報を『視る』ことが出来るというものである(尤も、実際に『視る』事が出来ているものが何なのか、という点にまで自覚出来ているかどうかは、また別の問題になるのだが)。

      彼はその秀でた個性を活かし、目的の情報を獲得するため高い位置から探りを入れていたのだが、

       

      「……闘ったりするのって好きじゃないんですけどねー……」

       

      休み明けの期末テストにうんざりするような調子で、羽鷺は独り事を口にする。

      広く視界を取れる高層ビルの屋上からは、距離に制限こそあれど色々なものがよく視える。

      視たいものも、視たくないものも。

      事実から言えば、彼には電脳力者が放つ力場が見えていた。

      彼は別に正義の味方というわけでも無ければ、赤の他人のために体を張らなければならない責任を背負っているわけでも無いので、視界に映る状況がそれだけであれば無視するだけで済ませ、作業とも言える索敵を続けるつもりだった。

      だが、

       

      (……アレって確か、苦郎さんの義妹さんだったような……?)

       

      視界に入った情報は、人外の力を行使している電脳力者の存在だけでは無かった。

      彼としても浅からぬ縁がある縁芽苦郎の義妹が当の電脳力者の近くに居たのだ。

      まずい、と彼は率直に思った。

      状況の判断から行動へ移るのに、三秒も掛からなかった。

      彼は自前の鞄から、収まりきらずはみ出ている黒色の袋を手に取る。

      棒状の何かを収納しておくために存在するその黒色の布の正体は、剣道などで使われる竹刀を収納するための袋だ。

      彼は鞄を左手に、そして竹刀袋を右手に持ったままビルを飛び降りる。

      落下の勢いによって生じる風を翼が受け止め、速度をほぼ殺さずに標的の元へ向かう中。

      彼の右手に掴まれた竹刀袋はその中身に存在する竹刀ごと『変換』され、瞬く間に日本刀とそれを覆う鞘へと本質の全てが変わる。

      その流れの中に、マジックショーのようなタネや仕掛けの痕跡など存在しない。

      そして、そんな事は『力』を望んで使う者にとってはどうでもいい。

      彼は軟体生物のような複数の手足を生やした電脳力者の方へと高速で上方より迫り――そして、現在に至る。

       

      彼は一度鞄から手を放し、空いた左手で日本刀を鞘から引き抜くと、縁芽好夢の脚に絡みついていた触手を中間の部分から切断し、放置していれば何らかの惨劇が起きたであろう現場へと躍り出た。

      痛みを感じているのか、あるいは単に邪魔をされたと認識してか、イカと人間を掛け合わせたような姿の電脳力者が舌打ちし、解り易い敵意を向けて来る。

      助けられた側である縁芽苦労の義妹は、状況に理解が追い着いていないのか、言葉さえ発していない。

      当の介入者こと鳴風羽鷺はと言うと、

       

      (……これ、どういう状況なんでしょう……)

       

      危機感から状況に介入したものの、彼はどのような経緯で縁芽好夢が襲われるハメになったのか、詳しい事情を知らない。

      仮に理由を知っていたとしても、この少女が襲われているという状況そのものがマズイと感じられるため、どちらにせよ介入したのだが、一応事情を聞いておく必要はある。

      そう考え、彼は口――が変化した嘴を開く。

       

      「……こんな所で何をしてい

      「何モンだテメェ!! 突然現れたと思えば人の腕切り落としやがって!!」

       

      最後まで言い切る事すらさせてもらえなかった。

      怒声と共に敵意全開の視線を向けられ、思わず溜め息を吐く羽鷺。

      こんな面倒事に発展するぐらいなら冷静に近付いて話し合いでもするべきだったか? と考えられなくも無かったが、彼は構わず刀の刃先を標的へと向け、改めて言葉を紡ぐ。

       

      「何モンだろーがどーでもいいので、さっさと手を引いてくださいませんか? 触手を切った事は謝りますので。ほら、どうせ生え変わるんでしょう?」

      「……そういう問題じゃねぇんだよクソが!! どんな育ち方すりゃあ出会い頭に腕切るなんて発想になりやがるんだ!?」

      「さぁ。少なくともマトモな育ち方はしてねーと思いますがね」

       

      じりじりと、刃先を向けながら近付き始める羽鷺。

      刃物という武器自体が触手を取り扱う電脳力者にとって相性が悪いのか、ただ刃物を視界に入れて近付くだけでも威嚇の行動にはなっているらしい。

      ただでさえ、触手の一本を切断された直後なのだ。

      無意識的だろうが何だろうが、植え付けられた恐怖心は後退という行動へ体を誘導させる。

      イカ――ゲソモンと呼ばれるデジモンの電脳力者は、苛立ちと共に言葉を漏らす。

       

      「……畜生が。昨日といい今日といい……どうしてテメェみてぇなのが現れやがる……!!」

      「退くならさっさと退いた方がいいですよー。僕なんかよりずっと危険な、同じ『力』を持った人にバレた日には何が起こるか解らんもんですからー」

       

      出来の悪い生徒に教え込むような調子の台詞に、ゲソモンの電脳力者は舌打ちしてから、

       

      「……チッ、覚えてやがれよ。お前もいずれ手篭めにしてやるからな……!!」

       

      言うだけ言うと、落下の防止として人間の胴部の高さに合わせて張られた鉄柵に触手を絡ませ、そのまま躊躇無く川へ身を投げ込んだ。

      小石を落としたと言うより、プールの飛び込み台から思いっきり飛び込んだ時に似た水の弾ける音が響き、念のため羽鷺は川の中へ撤退したゲソモンの電脳力者の姿を追うため鉄柵に身を乗り出してみたが、既に標的は羽鷺の視界から姿を晦ませていた。

      追跡を免れる意図を含んだ行動であれば、恐らくは下水道――より厳密に言えば洪水防止用に設けられた都市下水路の方へと向かったのであろう。

      ただでさえ、状況次第では『水』と言う名のフィルターが標的との間に存在し、更には日の光が届かない地下の空間。

      視覚を介して取り入れる情報を阻害される事を鑑みても、羽鷺はここでわざわざ標的の土俵へ踏み込もうとは思えなかった。

      が、逃がしたという事実を頭で理解した後になってから、彼の脳裏に一つの思考が過ぎる。

       

      (……どうせなら、闘う力も根こそぎ奪うべきでしたかねー)

       

      羽鷺がこの場を去った後、再び戻って来たゲソモンの電脳力者が縁芽苦郎の義妹を襲いに来る可能性を考えてみると、標的が川の方へ逃げる前に触手を更に切断しておくべきだったか――と思わなくも無かった。

      尤も、初撃の後に状況分析のために思考した時点で追撃の機会を棒に振っており、その時点で追撃する場合には初撃の時と違い真正面から縁芽苦郎の義妹を守りつつ七本の触手に対応しなくてはいけなくなるわけで、

       

      (……『二本目』まで使って汗水垂らすってのも面倒というか疲れますしー。戦わずに済むんならそれでいいでしょうなぁ)

       

      とりあえず、縁芽苦郎の義妹を危機から脱させる事は出来たと判断するべきだろう。

      これ以上この場に留まり続けていても何のメリットも無いため、羽鷺は自然落下の慣性から鉄柵付近に落としていた鞄を回収した後、背にある翼を広げて飛び去った――はずだったのだが。

       

      「ねぇ」

       

      背後から聞こえた声だけなら、無視するだけで済ませられたかもしれない。

      だが、直後に直接的な変化があった。

      ガシィッ!! という擬音が聞こえてきそうな程の握力で、背後から尾羽を掴まれたのだ。

       

      「ひゅわああああああっ!?」

       

      思わずといった調子で素っ頓狂な声を上げる羽鷺。

      背後から尾羽を掴んできた張本人こと縁芽好夢は、そんなサムライ系鳥人の様子など気にも留めぬまま言葉を紡ぐ。

      あるいは、度胸でもって踏み出すように。

       

      「やっぱり、仮装とかじゃないんだ。助けてくれて、ありがとうね」

      「……え、えっとー……どういたしまして。とりあえず放してもらえますか?」

      「それなら、こっちの質問にも答えてくれない? 助けてくれたって点に関してはあえて聞かないんだけど、こればっかりは絶対に聞いておきたいから」

       

      疑問に対する回答は無かった。

      ただ、一つの問いがあった。

       

      「ねぇ。この街には、あなたみたいなのが他にもいっぱい居るの? さっきのイカ人間みたいに」

      「……居るとは思います。ただ、あんまり関わらない方が身のためだと思いますけどねー」

      「そう。いきなり掴んで悪かったわね。もういいわよ」

       

      言葉の通り本当に手を尾羽から放してもらえたので、羽鷺は直ぐにその場から飛び去るため翼を羽ばたかせる。

      羽鷺の体は宙に浮き、数秒もしない内に彼は荷物と刀を手に人気の無い場所を探し飛翔する。

      視線を左右に泳がせ、人気の薄く見渡しの良い場所を探しながらも、彼の脳裏には一つの疑問が浮かんでいた。

      それは、

       

      (……あの子、どうして笑みを浮かべてたんでしょう……)

       

      答えは出ず、他に重要な事項が残っている事もあってか、興味もやがて薄れてきた。

      兄妹の問題であれば兄が解決するのが一番だと思う――そう結論付け、鳴風羽鷺は元の役割に戻る。

       

       

       

      そうして、サムライ系の鳥人間の姿が建物の影に隠れて見えなくなった頃。

      縁芽好夢は、自分が今どんな表情をしているのか解らなくなっていた。

      イカ人間に襲われた時には生理的嫌悪感と恐怖を真っ先に感じていたはずなのに、絶望と困惑が入り混じった顔はしていないという事を確信出来ていた。

       

      「……ふ」

       

      笑みがこぼれる。

      心が自然と沸騰を始める。

       

      (……あれが、苦郎にぃや雑賀にぃが見ていた景色なんだ。あたしに隠そうとしていた『何か』の実態)

       

      多分、この情報を知る事を彼等は望んでいなかっただろう。

      望んでいたのなら、もっと早々な時期から実際に証明して見せたはずだから。

      これが偶然にしろ必然にしろ、彼女は『秘密』を知る事が出来た。

      だから、

       

      「別に、待ってなくてもいいよ」

       

      彼女は、自然とそう漏らしていた。

      心の中で留めておくのでもなく、口に出して。

      たった一人で、宣言でもするように。

       

      「必ず『そこ』に追い着く。追い着いてみせる。望まれていなくてもいい。あたしはあたしがそうしたいからこうするだけ」

       

      あのイカ人間は、自分の事を『同類』だと言っていた。

      言葉の内容から推理してみるに、姿が見えているという時点で好夢にも『資格』はあるらしい。

      そして恐らく、自ら『事件』の全容を知ろうと動くだけで、自分は兄と同じ場所に立ち会える可能性が高くなる。

       

      (……多分これで進路は間違いない。例えこの道を突き進んだ結果としてあたしも人間以外の何かになってしまうとしても、構わない。今の、人間の常識では理解の出来ないあいつ等みたいな連中を越えた先に、あたしの求める次のステージが待っている)

       

      危険に立ち向かうだけの理由は十分に揃っていた。

      以前から隠し事をしている身内の秘密と、現在進行形で起こっているらしい人間の消失事件。

      それを解決するための手助けがしたいという思いと、もう一つ。

       

      「……お母さんの仇だって、きっと……」

       

      瞳に湛えているのは、何処か濁った光と暗い闇。

      きっと、この道を進む事を望んでいない者が居るとは理解していても。

      このまま、現実と言う名の行き止まりに留まろうとは思わなかった。

      輝かしい光を放つ太陽を薄い雲が隠し始める中、獰猛な笑みを浮かべる少女が一人。

      彼女は、自分の意志で、一歩踏み出す。

      一歩、一歩、一歩――踏み出す。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      時は流れて時刻十三時半頃。

      疲労から少々仮眠を取っていた牙絡雑賀も、また動き出そうとしていた。

      彼の衣装は病院から出た時の白と黒の学生服姿ではなく、赤色のTシャツと生地が薄めで黒色のズボンという組み合わせに変わっていた。

      ただでさえ帰宅する前に面倒なチンピラ三人組とエンカウントし、思いっきり汗水を垂らした服をいつまでも来ていたいとは思えなかったし、何よりこれからの事を考えるとある程度軽めの衣装で身を包んだ方が良いと感じたからである。

      母親との会話は済ませた。

      多くを語られたわけでもなく、交わした言葉も少なかったが、気持ちは多少理解出来た気がした。

      もしかしたら単に諦められているのかもしれないが、雑賀としてはあまり時間を掛けずに済んて良かった、と思えた。

      あまり多く会話をすると、決断を鈍らせる気がしたから。

       

      外出するにあたり、彼が荷物として用意した物は一つだけだった。

      現実においてはただの玩具でしかない青色の機械――デジヴァイス。

      携帯電話や財布など、明らかに必要だと思える物を部屋に置き放しにしておきながら、何故かそれだけは持って行った方が良いと判断していた。

      何も起きない可能性の方が圧倒的に高いが、縁芽苦郎の言葉が妙に頭に残っていた。

       

      「何が起きてもおかしくない、か」

       

      その言葉に込められた意味は今でも解らない。

      だが、解らずとも意味が存在しないわけでは無い。

       

      「それなら、どんな奇跡が起きたってご都合主義なんて思わなくても良いよな」

       

      どの道、時間をかけ続けている事は出来ない。

      このまま平穏の中で安らぎに浸るという道もあったが、それも長くは続かないだろう。

      覚悟を決めて、事態と向き合うべきだ。

      自分の部屋を出て、母親の居る部屋まで向かい、一言。

       

      「ちょっと外出してくる」

      「アンタ、また危険な事に首突っ込むつもりじゃないでしょうね?」

      「流石にこんな時間だし、不良に首根っこ掴まれるみたいな事は無いと思うけど」

      「というか気になってたんだけど、自転車はどうしたの? アンタが見つかった場所の付近には無かったって話だけど」

      「……うげ、もしかしたら俺を殴った奴等が回収したのかも。カギ付けたままだったし」

      「ヘマをやらかしたねぇ」

       

      母こと栄華の言葉にぐぅの音も出ない雑賀。

      ……実際の話をすると、回収されたかどうかの確認はしておらず、そもそも先日の司弩蒼矢戦から今にかけて自転車の事をすっかり忘れていたのだが、詳しい情報まで口にすると雑賀が先日やった事まで感付かれる恐れがあったため、とてもではないが喋る事は出来なかった。

      ともあれ、

       

      「それの確認も含めて用事があるから……」

      「そんな調子で『少しだけ』外出するとか行った矢先に大怪我したのは誰だっけ?」

      「流石にこんな短期間で二度もこんな事にはならないよ!! こんな昼間だし、不意を突かれる心配も無いし!! ちゃんと帰ってくるし!!」

      「……そう。そう言うならいいけど」

       

      渋々ながら納得してくれたらしい。

      そう判断し、踵を返して靴を履き、家を出ようとした時。

      その時になって、牙絡栄華はこんな言葉を放って来た。

       

      「ちゃんと、帰って来なさいよ」

      「…………」

       

      込められた意味は単純な物だっただろう。

      常日頃から聞き慣れた声の、珍しくもないただの言葉。

      それに対し、牙絡雑賀もまた珍しくない普通の言葉で返す。

       

      「解ってるよ」

       

      それだけだった。

      玄関のドアを閉め、彼は自分の居場所から出て行く。

      外の空気を吸う。

       

      (……水ノ龍高校で起きた事件の被害者。怪我の内容は切り傷と肋骨の骨折などの重軽傷)

       

      こんな事は、ただの偽善かお節介なのは解っているつもりだった。

       

      (情報源が正しければ、司弩蒼矢は事件当日あの学校に行っていた。アイツの宿しているデジモンは『シードラモン』で間違いない。だけど、あの体で出来る攻撃手段で……あの怪我の内容を再現出来るのか? アイスアローなんて撃ったら切り傷以上に凍傷が生じているはずだし、未遂だったにしろあの時点でのあいつの目的は四肢の強奪だった)

       

      自分が何かをやって、どうにかなるような問題だとも思えなかった。

       

      (もしあいつが本当に学生を襲っていたとしたら、それで被害者を生んでいたら……怪我の内容はもっと別の物になるんじゃないのか? 技を行使していなかったのなら、それはそれで攻撃の手段が限定される。なら……)

       

      だけど、この一点だけは。

      一度戦った事のある自分だけにしか、伝えられないかもしれなかった。

       

      (……昨日の事件。現場にはもう一人……別の電脳力者がいた? だとしたら……まさか!!)

       

      だから。

       

      (あいつは高校に来た時、学生を襲ったんじゃない。もう一人の電脳力者から学生を守るため、覚えも無い内に戦っていたんじゃないのか? 被害者の怪我の原因は、その『もう一人』の方じゃないのか!?)

       

      牙絡雑賀は走る。

      あの哀れな怪物が優しい人間である事を知っているからでこそ、罪悪感に駆られて日常へ回帰出来なくなる前に真実を伝えなければならない。

      そして、もう一つ。

      もしも仮説が正しくて、司弩蒼矢と戦った『もう一人』が存在するのならば。

      その『もう一人』の人格次第では、彼を逆恨みで襲いに来る可能性がある。

      その時、もし彼が罪悪感に駆られてマトモに戦えない状態だったとしたら?

       

      (……くそったれが。病院に居るって事を知られてなければいいが……!!)

       

      急がなければならない。

      場合によっては、取り返しのつかない事態に陥る可能性すらあるのだから。

      彼は肉体の情報を書き換え、狼男のような姿へ転じると、近辺に建てられている階層の少ないビルを足場に連続して跳ぶ。

      ビルからビルへ次々と飛び移り、つい数時間前には自分が運び込まれていた病院の前まで到達する。

      周りに人の視線が存在しない事を確認してから、彼は肉体の情報を元の状態へと戻す。

      急ぎ受付係のお姉さんへ、司弩蒼矢の部屋の番号を確認しようとしたが、

       

      「司弩蒼矢さまなら、少し前に友達のお方と一緒に電動車椅子で外出しましたよ」

      「えっ……何処に行ったのかは解りませんか?」

      「念のため友達のお方に専用のGPS機能有りの携帯電話を持たせていますので、すぐに解ります。少々お待ちいただけますか?」

      「出来る限り、早めにお願いします!!」

       

      焦り方か言動に圧が加わっている気がしたが、受付のお姉さんは意外とクールビューティーなタイプだったのか、雑賀とは対照的に冷静な態度で仕事をしてくれた。

      そして、情報は表示された。

      受付のお姉さんへお礼を言い、病院を出て視線の有無を確認した後再び肉体の情報を変換させる。

       

      「……何事も無いでくれよ……!!」

       

      居場所は解った。

      だが、心の中の不安感が治まる事は無かった。

      何が起きてもおかしくない――その言葉に、妙な信憑性が宿っていた。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      防犯オリエンテーションが終了し、一汗を掻いて昼飯を食する時間になった頃。

      全体の比率から見て弁当持参の生徒が少ない方なのか、あるいは単に行事で使われたスタンプカードにスタンプが溜まった事からか、食堂には数多くの生徒が集まっていた。

      辺りでは(一部は限定モノらしい)学食やらを食べながら雑談をする声が群がっており、無関係な人間が特に意識する必要は無いにしろ、少なくとも(『怠惰』を司る魔王デジモンを脳に宿している)縁芽苦郎にとっては居心地の悪い空間と化していた。

       

      (……いつも思うが、あんな茶番劇を真面目にやつ奴もいるんだねぇ……)

       

      隠そうともせずに溜め息を漏らすが、当然それを気にかける者はいない。

      ちなみに縁芽苦郎の本日の昼食は購買で手に入れた『導火線握り』と言う名のギャンブル食で、安価な代わりに中身が何なのかを全く明かされていない(高確率で残り物の寄せ集めが入っている)大きめのおにぎりである。

      夜中になって半額のシールが貼られた惣菜に近い扱いな故に、コストを気にする一部の学生からは賛否両論な人気を得ているらしい。

      一口ずつじっくり食べていると、相対する席に座る者が居た。

      紫と黄色の縞模様な長袖上着と深緑色のズボンを履いた、何とも個性的な服装の女。

      そいつは、無遠慮に苦郎へ声を掛け始める。

       

      「やぁ、縁芽苦郎くん。体の調子はいかがかな?」

      「……自称中立女」

      「いくらなんでもその呼び方は無いんじゃないか? もっと捻ってくれないと困る」

      「サツマイモ女。年齢詐称女。一番簡素なものだと腐れ女もあるが」

      「……随分と嫌われてるようで残念だよ。いやはや……というか誰が年齢詐称だ」

       

      視線の先に見える女は、一日前に牙絡雑賀へ電脳力者の情報を囁いた人物だった。

      苦郎は特に表情を変えず、握り飯を貪りながら言葉を紡ぐ。

       

      「何の用だ。『シナリオライター』への勧誘だったらお引取り願うが」

      「いやいや、そんな事は鳥野郎や『ラタトスク』の役割だからやらないさ。私は単に雑談をしに来ただけだよ」

      「……雑談、ねぇ……雑賀の奴もそんな風に唆したのか?」

      「失礼な。至極普通に語ってあげただけだよ」

      「あいつは普通の人間として過ごしていた。電脳力者としての情報なんて、マトモな認識を持った奴からすれば狂言と変わらない。……何でわざわざ促した。アイツは、紅炎勇輝と違って『シナリオライター』の目的に関連性は無いんじゃないのか」

       

      会話自体に嫌気が差しているのか、苦郎は苛立った口調で問いだした。

      日常の彼を知る者なら、あるいはその口調から伝わる響きに身をすくめていたかもしれない。

      紫と黄のサツマイモのような色合いの上着を来たその女は薄く笑ってから、

       

      「関連性が無い……だからでこそ、とは考えないのかな? 計画の重要なピースと友人関係を持った人物。胸に抱く感情が何か大きなイレギュラーを生み出すかもしれない。私はそれが愉しみなんだよ」

      「……確かに、アイツに電脳力者としての素養がある事はこちらも理解していた。だが、不可解な事がある」

      「何がかな?」

      「わざわざ特定した人物を最初に闘う相手として設定した事だ。アイツをただ覚醒させるってだけなら、あんな回りくどい方法を取らなくてもよかった。それこそ下らない事に力を使うチンピラ共に相手をさせるとかな」

      「いきなり多人数と闘わる方が死ぬ可能性だって高いだろう? まぁ、それはそれで違う展開を見られたかもしれないし、私としても構わなかったのだが――」

      「死ぬ可能性なんて最初から考えてなかったんだろう。少なくとも、優先順位が高い方は」

       

      苦郎は遮るように言葉を切り出して、断言する。

       

      「雑賀の奴が闘う事になった司弩蒼矢って男。率直に言うが『シナリオライター』の計画に使えるピースの一つなんだろ。それも、何らかの『重大な要素』って奴を含んだ、な」

      「否定も肯定もするつもりは無いが、それならキミはどう考えているのかな?」

      「雑賀の奴はともかく、司弩蒼矢が宿しているデジモンはシードラモンなんて成熟期程度のデジモンじゃない。そういう事だろ」

       

      明確な情報は、無かった。

      あくまでも、直感を口にしているだけ。

       

      「つーか、わざわざ組織の構成員が自身じゃなく他人の意志に従う形で、そいつ自身からすれば縁の無かった人物と接触したって時点で気付くに決まってる。接触を図った理由は? 四肢の半数を失った事も含めた事情で、感情がマイナスの領域に移行していたであろうこのタイミングを選んだ理由は? 何より、ただ電脳力者としての戦力が欲しいだけだったのなら、何故最初からもっと簡単な手段を取らなかったのは? 家族やら友達やら、解り易い『盾』を用意でもすれば汚れ仕事を押し付ける事が出来たはずなのに、こんな手間の掛かる流れを選んだ理由は?」

      「…………」

       

      しかし、それでも苦郎は一つの推論に到達する。

      どのような『理由』があれば、行動は実行に移されるか――それを推理する形で。

       

      「答えは簡単だ。『それ』を指示したヤツが想定しているデジモンを、厳密には宿している電脳力者を覚醒させ、あわ良くばその力を組織に取り込むため。……余程その司弩蒼矢ってヤツが宿しているデジモンは強い力を持ってるらしいな? そして、その力を自らは手を下す事も無いまま覚醒させ、手中に収めようと考えているって辺り、バックには相当臆病なクズ野郎が潜んでいるのがよく解る」

      「……ふむ」

       

      女は感心でもしたかのように声を漏らすと、いつの間にか自動販売機から購入していたらしい缶ジュース(ラベルには『煎り胡麻サイダー』とある)を一度口に含んでから、今度は自ら問いを出してきた。

       

      「そこまで言うのなら、もうキミにも『正体』は掴めているのではないかな?」

      「デジモンの事を知っていながら、この時点で気付かないのは馬鹿しかいないさ」

      「それなら、何故キミは関わろうとしなかったのかな? キミほどの力を持つ者なら、今回の一件をより簡単に終わらせる事が出来ると思うのだが」

      「ハッピーエンドかバッドエンドかは別としてな」

       

      苦郎は吐き捨てるような調子でそう言った。

      自身の『力』を理解している者の、忌々しげな言葉だった。

       

      「そう言って『誘導』でもするために来たのか?」

      「毎度毎度人聞きの悪い事だよ。君に恨まれるような事をした覚えは無いんだが」

      「好きになる理由にも覚えが無い」

       

      あくまでも素っ気無い調子で言葉を口にする苦郎に対して、女はあくまでも薄く笑みを浮かべていた。

      この会話も、彼女にとっては娯楽の一種に過ぎないのだろう。

      それを理解しているからでこそ、付き合わされている苦郎からすれば不快感を感じずにはいられない。

      さっさと飯食って帰るか、と考えるぐらいにはイラついて来た頃、

       

      「まぁ、残念な事にキミの推理には一つだけ間違いがあるわけだが」

      「……へぇ」

       

      その指摘には何らかの興味を抱いたのか、苦郎はその言葉の先を促した。

      女はスラスラと原稿でも読むような調子で述べる。

       

      「今回の一件は確かに『シナリオライター』の計画の平行線上に存在こそするし、司弩蒼矢くん自身が望むのなら加入させても構わなかったらしいけど、今回の一件を仕組んだのは別の組織だよ。まぁ、目的の規模から考えるとファーストフード並みに安っぽい組織なんだが」

      「……その安っぽい組織が、わざわざ『アレ』を狙うのか? 制御出来なければ滅びるのは自分達だってのに」

      「デメリットを考慮した上での行為なのか、あるいは欲望が先走りしてしまったのか、どちらなのかは知らないがね。まぁ、所詮は格下の組織だよ。『シナリオライター』からすれば、好きにしろって感じなんだろうね。結果的にその動きが計画の進行を早めているだけだし」

      「誰かが事を起こせば、それに応じる形で電脳力者に覚醒する人間が増える。そうして力を得た人間が新たな事を起こし、また増える…………まぁ、お前等からすれば好都合だろうな。そんな風に火種を増やす連中の存在は」

      「いやはや、近頃のチンピラグループといい、こうも簡単に組織化した枠組みが増えてくると勢力図がステンドグラスのように色分かれしそうだよね。面白い事になりそうだし、望むところではあるんだけど」

       

      実際のところ『シナリオライター』以外の組織も司弩蒼矢に宿るデジモンの力を狙っている、という情報は苦郎からしても初耳であったため、得にならない情報では無かった。

      尤も、肝心の『狙っている組織』の潜伏場所が解らない以上、潰すにしてもどうするにしても苦労しそうな話だが。

      これはどちらにせよ後で羽鷺の奴と情報の交換が必要だな、と内心で方針を決める苦郎だったが、

       

      「あのね。他人事のように言っているが、その組織の中にはキミのお知り合いが居るんだよ?」

      「………………」

       

      その言葉が、どのような意味を指していたのかは当人以外知る由も無い。

      少なくとも、苦郎の目は訝しげに細まっていた。

      まるで、悪夢か何かでも思い出すかのように。

       

      「ついでに言えば、そのお知り合いの狙いは司弩蒼矢だけではない。そろそろ、休憩も終わりにした方がいいんじゃないかな? 『怠惰』のお兄さん?」

      「……それが言いたくて痺れを切らせたわけか。下らねぇ」

       

      殆ど嚙む事もせず握り飯を頬張ると、苦郎は席を立ち食堂の出口に向かって歩き出す。

      紫と黄色の服を着た女もまた言いたい事を言い終えたためか、これ以上の言葉は必要無いと判断したためか、言葉でその足を止めようとはしなかった。

      雑踏も雑音も無視し、誰も彼も楽しげな日常を謳歌している中で。

      縁芽苦郎は、脳裏に非日常の現実を浮かべながら、呟いた。

       

      「休暇は終了だ」

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      病院を出て約一時間ほど経過し、現在時刻は一時半過ぎ。

      磯月波音と共に、周囲にアスファルトやコンクリート製の建物が建ち並ぶ東京の街道を電動車椅子で進んでいた司弩蒼矢は、激しい運動をしていたわけでも無いにも関わらず絶大な疲労感を感じていた。

      その原因が何かと問われれば、人によっては好ましかったり好ましくなかったりする、雲が殆ど見えない青天の空と言う以外に無い。

       

      「……暑い……」

       

      彼は、現在進行形で日光に焼かれていた。

      夏という季節の中では中旬に該当される七月の気温も、本番とも言える八月に比べれば幾分マシだと言われているらしいが、直射日光と言う名の凶器の前ではそんな言葉は何の気休めにもならない。

      所属している水泳部の部活動を行っている時を除くとインドアな生活スタイルの蒼矢は、本音を言えば夏の気温が苦手で、目的が無ければこんなクソ暑い日に外出などしたくは無かった。

      失踪事件の関係で下校時刻が調整されているため、街道には寄り道をしている制服姿の生徒が多く見られると思われたが、やはりこの季節――涼しい場所の方が好ましいためか、何らかの建物の中で暇を潰したり娯楽を営んだりする者の方が多いらしい。

      街道を歩いているのは単に何処かへ移動中の人間らしく、思ったほど人込みが形成されてはいなかった。

      街道を歩く人間が少ない事自体は蒼矢からしても好都合だったのだが、その一方で夏の気温は無言で彼の体力を削る。

       

      「地球温暖化ってホントに対策とか実行されてるの……? 去年よりも暑い気がするんだけど……」

      「うーん、田舎とかだと解らないですけど……扇風機よりはエアコンの方がよく使われていると思いますし、あんまりされてないと思いますよ……。まぁ、気温って一度上がるだけでも相当変わりますし、蒼矢さんはしばらく病院に居たわけですし……慣れてないだけかも、です」

      「……根性論なんて当てにならないけどさ。慣れでどうにかなるものなの? これ」

       

      実際のところ、教科書を見ても解る通り生物は長い時間の中で環境に適応するため進化を果たしているらしいが、文明や科学が発展しなかったら人間は肉体的に進化出来たのか? と問われると怪しい所である。

      猿やらゴリラやらチンパンジーやら、人間と同じ霊長類に該当される生物は確かに存在するが、あれ等が寒冷地や砂漠に放り込まれて生き続けられるのかと聞かれれば首を横に振るしか無いのだから。

      現実の環境は、根性論でどうにか出来るほど都合良くは無い。

       

      (……まぁ、僕や牙絡雑賀って人みたいに、実際どうにか出来てしまったパターンも有りはするんだけどね……暑さには全然対応出来てないと思うけど)

       

      尤も、ファンタジーの世界観でも極端な暑さと寒さの両方に適応出来る生物などそう居ないわけだが。

      喉が渇いたので事前に補充していたミネラルウォーターを口に含むと、大袈裟だが生き返ったかのような感覚があった。

      しかし、思ったよりも飲み過ぎてしまったのか、もう一本目のペットボトルの中身は底を尽き掛けていた。

      残る一本は残量に気を付けないとな、と内心で呟くと、何を考えていたのか波音が話しかけて来る。

       

      「……ところで蒼矢さん。やっぱり、本当に、わたしの事は覚えてないんですよね……」

      「さっきもそんな事を聞いたけど、覚えて無いよ。水泳部で練習してる時って、あんまり他人の事を意識してない事が多いし」

      「……それは確かに残念なんですけど……うーん……ボソボソ……」

       

      何かを言いたげにしながらも、実際には何か躊躇う理由でもあるのか口を噤んでしまう波音。

      頭上に疑問符を浮かべる蒼矢は、何とか自分の記憶と少女が一致する場面を想起しようとするが、やはり何も思い浮かばなかった。

      深く意識するような事でも無いとは思うのだが、有り得る可能性を蒼矢は口にしてみる事にした。

       

      「……もしかしてだけど、君と僕ってずっと前に出会ってたりするの?」

      「!! は、はい。そうなんですよ!!」

       

      とても解りやすく期待に満ちた声を上げる波音。

      あ、これは正解みたいだ、と確信した蒼矢は続けてこう言った。

       

      「じゃあ、どんな事があったのかを教えてもらえないかな? どうしても思い出せないみたいだから」

      「……えーっと……あ、ぅ……」

       

      すると、強く反応を示していた数秒前から一転、またも波音は口を噤んでしまい、更には顔を赤くしてしまう。

      どうにも少女が過去の出来事を口に出来ない事情が解らない蒼矢は、首を傾げるしか無い。

      ともあれ、特に何事も無いまま彼等は道を進めていた。

      会話の数こそ決して多くは無いが、不思議と不快感が拭われているような感覚を蒼矢は感じていた。

      明確な記憶こそ無いが、言われてみればこの少女と自分は何処かで会っていたのかもしれない――そんな考えすら浮かんでくる。

      と、何やら回答に困っているらしい少女は、何やら強引に話題を変えようとしているのか、こんな事を聞いて来た。

       

      「……そ、そういえば、蒼矢さん。もう一つ聞いてもいいですか?」

      「何だい?」

      「蒼矢さんが何処に行こうとしているのか、聞かないままここまで付いて来ましたけど……何処に行くつもりなんですか?」

      「……ああ、その事か」

       

      蒼矢自身、今になって気付いたようだった。

      思えば、ただ目的が気分転換というだけで、そのための目的地に関しては特に決めては無かった。

      元々娯楽施設に関心が乏しかった事もあり、その手の知識が殆ど無いという事情もあるのだが、言われてみれば目的地が設定されていない以上、このままではクソ暑い炎天下の中を電動車椅子まで使ってウロウロしているだけという始末になってしまう。

      ただでさえ広い東京の街で、自分が気分転換のために行きたい場所――それを少しだけ考えて、蒼矢は口にした。

       

      「……水の見える場所、かな。自分でもよく解らないんだけど、水のある場所の近くに居ると何となく安心するんだよ」

      「あ、それ解ります。わたしもプールに行くのが楽しみだったりするので……」

      「ふーん……奇遇な事もあるものだね」

       

      蒼矢自身、水のある場所に近くに居ると安心出来る理由はもう解っている。

      水の中で主に生息しているのであろう怪物を、宿しているから。

      その環境が自分に最も好ましいものなのだと、宿る怪物と同じように認識してしまっているからだろう。

      だが、それを磯月波音に打ち明ける事は出来ない。

      そんな事を言ってしまえば、自分が化け物であるという事実を晒してしまうも当然なのだから。

       

      (……まぁ、何となく安心するってだけで納得してくれたのが救いなのかな……)

      「うーん……海も湖も流石にここからだと遠いですし、水面の見える場所となると……うーん、プールは今行っても仕方ですし……水族館にでもします?」

      「何処でも良いよ。無駄に時間を使うより、面倒でも有意義に時間を使った方が良いと思うし」

       

      何にせよ、目的地は設定出来た。

      蒼矢からすると、水族館が今の自分にとって気分転換を出来る場所かと問われると確信出来ない一面もあったのだが、少なくとも炎天下の街よりはずっとマシだと思っての判断だった。

      波音は早速携帯電話のGPS機能を起動して目当ての水族館までの道順を調べ始め、蒼矢は回答が出るのを待つ間、無駄とは思いながらも自らに宿る力の事について考えた。

       

      (……結局、僕に宿っている力……というか、怪物の『正体』は何なんだろう)

       

      ごく自然な疑問だった。

      実際のところ、司弩蒼矢は自らに宿る怪物の事を何も知らない。

      現時点で理解出来ているのは、淡水か海水かはさて置いて水の中を生息地としているという事と、体内に取り込んだ水分を氷結化させ無数の矢として放つ事が出来る能力に、自身に宿る怪物は『デジモン』と呼ばれる存在であるという事だけ。

      肉体を変化させている時でこそ自然に闘う事を出来てはいたが、そもそも『それ』自体がおかしい事だった。

       

      (……取り込んだ水分を氷の矢に変換する。体の構造上でそれが出来るのだとしても、僕はそもそもその『やり方』を知らないはずなんだ。しかも、それを放ったのは失っていた腕を補う『蛇口』……当然そんな部位は人間に無いし、同じ理屈で僕は『やり方』を知らなかったはず)

       

      実際、司弩蒼矢はフレースヴェルグと名乗る男から、自分自身を含めた身の回りに存在する物質の情報を『書き変える』能力について聞かされた覚えはある。

      だが、そもそもその『やり方』を教えてもらってはいないし、そもそもあの男自身が蒼矢の目の前で『情報の変換』を実践していたわけでもない。

      資材が有っても設計図が無ければ立派な家を作る事が出来ないのと同じで、蒼矢が『情報の変換』を実際に行うには、そのための『やり方』を知っているという前提が必要になるはずなのだ。

      蒼矢に宿る力が現実に現れ、彼自身認識する事になったのはつい最近の事。

      そして何より、その『力』を初めて使った際の記憶は不明確。

      解っているのは、知らぬ間に自分が誰かを傷付けてしまったという事実のみ。

       

      (牙絡雑賀って人は解らないけど、僕が生まれた時から人間とは違う存在だったなんて事は考えられない。少なくとも、『これ』はいつかの過去に後付けされた力だ。そうじゃなかったら、この年になるまで怪物――デジモンの力に覚醒する事が無かった理由が解らない。ただでさえ制御出来ていないんだから、何かの拍子に『暴発』してしまう可能性だって考えられるはずだ……)

       

      何らかの出来事があって、それが切っ掛けでデジモンを宿すようになった。

      宿ったデジモンの力は何らかの条件で覚醒し、人間を人外の存在へ変える。

      予想を立てる事は簡単だが、その原因は想像も出来ない。

      情報が、あまりにも足りていない。

       

      (……一番最初に体を変える前……確かに頭の中で自然と『水の中を泳ぐ龍』のイメージが浮かんでいて、それを軸にして体が変わったけど、アレが怪物の正体なのか……? デジモンっていうのは、多分名前の事を指しているのでは無いと思うし……あれっ?)

       

      必死に頭の中から情報を引き出そうとしていると、また異なる疑問が過ぎった。

      牙絡雑賀と闘った時、よくよく考えてみれば『あの時』の自分には自我が確かに有った。

      肉体こそ人外と化していたが、頭では人間らしく思考を練りながら行動していたはずなのだ。

      にも、関わらず。

       

      (……何であの時、僕は『アイスアロー』なんて言っていたんだ? まるで、ヒーローが必殺技の名前を言うみたいに。確かあの時は何気無く言っていた感じがするけど、これじゃあまるで……僕があの姿の元となったデジモンの『技』を知っていたようじゃないか……!?)

       

      その場の思い付きだったという可能性は、確かにある。

      だが、そもそも『蛇口』から放たれる飛び道具の名前が氷の吹き矢である事を、何故あの時理性を取り戻した後の自分は攻撃を放つ前から知っていたのか。

      知っていなかったのなら、何故『アイスアロー』という技の名を口走ったのか。

      知らないはずなのに知っていた事があるというその事実に、本能という言葉が脳裏を掠めた。

      だが、行動はともかく本能というものは知識にまで作用されるものなのか……?

       

      (……デジモンの力、だけじゃなくて……記憶や知識まで……宿っているのか……?)

       

      仮にそうだとしても、蒼矢の方から宿っているデジモンの記憶を閲覧する事が出来ない。

      そもそも、本当に自分の中に一体の怪物が宿っているのだとして。

      その、当の怪物自体はどのような形で『宿って』いるのか。

      寄生虫のように宿主と共生関係にあるのか、それとも言い方を小奇麗にしただけで実際は違うのか。

      どれもこれも、解らない事が多すぎる。

       

      (……ダメだ。やっぱり答えを出す事が出来ない……知るためには、本当の事を知っている誰かに問い質すしか無いのか……)

       

      どう考えても答えは出ず、蒼矢は一旦考える事を止める事にした。

      そもそも、こんな事を考えても、過去に自身が惨劇を起こしたという事実は何も変わらない。

      ただ引っ掛かりを感じたというだけで、所詮は自己満足でしか無いのだから。

       

      「蒼矢さん。蒼矢さん!! 大丈夫ですか?」

      「……ん。いや、ちょっと考え事をしてただけで特に問題は無いけど……?」

      「いや、近場の水族館までの道順がわかったので、声を掛けていたんですが……」

      (……言葉に反応しなかったってわけか。解らない事なのに、余計な事を考え過ぎたかな……)

       

      どうやら自分で思った以上に熟考してしまっていたらしい。

      ふと波音の顔を視界に入れると、その表情がこちらを心配するような不安感を伴った物になっているのが見えた。

      その表情に、不思議と見えない傷を癒されているような錯覚を感じたが、それと同時にこのような表情を向けてもらう資格が無いという事実がその癒しを心から受け入れられない。

      もしかしたら、これを最後にこの少女とは出会わなくなるかもしれない――そんな予感さえする。

      その上で、蒼矢は思った。

       

      (……それでも、それでもせめてこれは良い思い出として記憶に残したい。どうしようもない我が侭だけど、ほんの少しでも救われる気がするから。それさえ叶うのなら、もう僕の事はどうなったって構わないから……)

       

      何処まで突き詰めても我が侭な、糾弾されでも仕方の無い願い。

      無責任だというのは解っているが、今回の一件はきっと法で裁く事が出来ない。

      裁く事が出来ないという事は、法に守ってもらう事が出来ないという意味でもあるのだから。

      罰を受ければきっとロクな目に遭う事は無いだろうと思うが、罪を償う機会すら無いまま生きたまま腐り落ちるよりはマシだと思えた。

      だから、せめてこの時だけは。

      そう願い、目的地に向かうため電動車椅子を操作しようとした、その時だった。

       

      考え事をしていた所為か、背後から迫る異質な気配に気付くのが遅れ。

      首だけでも振り向こうとしてみたが、間に合わず。

      相手の顔を見る間も無いまま後頭部を鷲掴みにされ、そのまま前倒しに地面に叩き付けられる。

      鈍い痛みが炸裂し、視界がアスファルトの色に染まる。

       

      (っ……なに、が……!?)

       

      抵抗しようと試みたが、押さえ付けてくるその手の力は、とても人間が抵抗出来るような物では無く。

      全ての判断が、対応が、遅すぎた。

      バチィッ!! と電流が迸る音を認識する間も無く、司弩蒼矢の意識は寸断される。

       

       

       

      数分もしない内に牙絡雑賀がこの場に到着したが、その場には司弩蒼矢の姿も彼の『友達』の姿も無かった。

      残されていたのは受付員が言っていた電動車椅子と、同時に携帯されていたのであろうミネラルウォーターのペットボトルと、居場所を示すはずだったGPS機能搭載の携帯電話――――そして、僅かながら足跡という形でこびり付いていたニオイ。

      その場で何があったのか、目撃する事を出来ていない牙絡雑賀は知らない。

      少なくとも、嫌な予感を感じずにはいられなかった。

       

      「……くそっ。いったい何処に……!?」

       

      確かなのは、本来居るべき地点から司弩蒼矢がいなくなっているということ。

      本人の意志による事なのか、あるいは第三者の悪意によるものなのか、定かでは無いが。

      どちらにせよ、最悪の展開になってしまった事は確かだった。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      表向きには防犯オリエンテーションが『無事』に終了したとされ、それぞれの学校に通う生徒達が各々自由に活動する中、縁芽好夢は家にも帰らず制服姿のまま街の中を徘徊していた。

      その表情からは喜びの感情が薄く浮き出ていて、第三者が顔を覗き見たら『イケメンのお金持ちからお茶会のお誘いでも受けたの?』だとか質問されてしまいそうである。

      つい数時間前、彼女は行事の関係で街の中を歩いている最中に遭遇したイカと人間を掛け合わせたかのような姿をしていた怪人と、人間の体に鳥類の要素を組み込んだ上で江戸時代の侍を想わせる衣装を着せたような姿をした怪人――それ等の非現実的な体を有した存在を目の当たりにしていた。

      街中を徘徊していれば何処かで話題に上がっていてもおかしく無いにも関わらず、実際には殆どの人物がその存在さえ認識していない存在。

      兄である縁芽苦郎が人知れず直面しているのかもしれない、そんな非現実との対面。

      正直に言って、縁芽好夢は刺激を求めていた。

      常識に縛られ、進んでいる道が正解か失敗かも判断出来ず、行き止まりに直面してしまっていた自分に新たな道を示してくれる、一種の光明とさえ言える刺激を。

      そういった意味では、例えあの場で鳥人の侍が文字通りの助太刀に来てくれなかったとしても、もしかしたらその後には喜びを感じてしまっていたかもしれない。

      そんな事を考えている自分自身が嫌になるが、もしもこのまま『進む』事も出来ないまま立ち往生し、何も出来ないまま安全圏でのびのびとしていたら。

      手を伸ばしても届かない場所に、数学的な距離など関係の無い『遠い』場所へと進んでしまう。

      その隣に立って、力になってあげたい――そんな願望を抱いているが故に、自らの現在の立ち位置に納得が出来ず、どうしても諦めきれなかった。

       

      (……背中を追い駆けるための道順はわかった。後は、あたし自身が何かの切っ掛けで『覚醒』出来るように頑張ればいいだけ……)

       

      姿自体異質なものだったが、あの怪人達は人間の言葉で話す事ができ、実際に会話も出来ていた。

      自分を助けてくれたと思われる鳥人の侍の持ち物には、刀の他に市販の物と思われるカバンもあった。

      であれば、あのカバンも含めて非現実の産物で無い限り、あの怪人達は元々『普通の人間』だったと考えてもおかしくは無い。

      そして、件のイカ人間の言う事から推理しても、自分には『非現実の力』を得る資格がある。

      後は、それに『覚醒』するため何をするべきか。

       

      (……あの変体イカ人間みたいな悪者もいれば、一方で鳥人間侍みたいに影ながら頑張るヒーローみたいな怪人だっている。もし苦郎にぃや雑賀も『力』を持っているのなら、間違い無く後者だとは思うんだけど……出会ったとしても誤魔化されるだろうし、やっぱりここは手当たり次第に『当たって』みるのが一番かな。悪い奴と対峙出来れば一発で『変身』出来るようになると思う。というか、思いたいんだけど……)

       

      つまるところ、危険を自ら冒しに向かう自傷行為。

      普段ならばまず通らないであろう道を選んでいるのも、その一環に過ぎない。

      故に、善人だろうが悪人だろうが、最低限『力』を行使出来るような人物と鉢合わせに出来れば良いと、縁芽好夢は不謹慎だと思いながらも考えていた。

       

      耳の中に、雑音混じりの絶叫のようなものが入り込んでくるまでは。

      思わず身をすくめると、頭の中が急速に冷静になっていく。

      自分がどれだけ都合の良い光明に頭を沸騰させていたのかを自覚する。

       

      「……今のは、何……」

       

      音が何処から聞こえたものなのか、方向はすぐにわかった。

      音の発生源へ向かえば彼女の求める『何か』がある。そんな予感がする。行けば解る。行くための道がある。

      そんな、求めている要素を感じられる切っ掛けを認識出来たにも関わらず、好夢の心には少し前までの高揚感などは一切無く。

      心臓の鼓動が高鳴る一方で、得体の知れない緊張感と恐怖心が感情の大半を占めていた。

       

      「…………」

       

      恐怖に従い、音のした方から離れる事こそが理性的な行動である事はわかっていた。

      だが、一方で。

      ここで逃げてしまうようならば、これから先このような機会に出くわす――いや、恵まれたとしても何の進展も有りはしないだろう。

      好夢からすれば、その結果に対する恐怖は未知の物と比べても強い。

      少なくとも、今は。

       

      故に、彼女は恐怖を押し殺して未知へと足を踏み入れる。

      感覚を頼りに人通りの少ない路地を進み、抜けた先で彼女が見たのは――

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      「……ぅ……」

       

      司弩蒼矢は口の中で小さく呻き声を発した。

      自分が何か硬く冷たいものの上でうつ伏せになって倒れている状態なのは理解出来たのだが、一方で前後の記憶が曖昧で、何故自分が倒れているのか、気絶してしまっているのか、そもそもここは何処なのか――そういった当然の疑問に対しての答えを得る事は出来ていない。

      朦朧とした意識の中、何処かから誰かの声が聞こえてきた。

       

      「――終わってみればあっさりしてんなぁ。こんなクソ真面目そうなヤツが役に立つもんかねぇ?」

      「――知らねぇよ。命令なんだから仕方無いだろ? 安易に断っても損するだけだぞ……っと」

       

      顔を見たわけでは無いが、声だけでも伝わる粗暴な印象には危険性を感じずにはいられない。

      何より、自分をこの状況に陥らせたのが声の張本人であるならば、まず間違い無く善人であるはずが無い。

      不幸中の幸いとでも言うべきか、危機感から思考能力が徐々に戻ってくる。

       

      (……意識が、無い内に殺そうとしなかった、という事は……狙いは、僕自身……?)

       

      真っ先にそんな疑問を浮かべられたのは、気を失う直前に彼自身が自らに宿る怪物の事を考えていたからだろう。

      だが、その疑問から派生する形でもう一つ、忘れてはならない優先すべき疑問が浮上する。

      そう、

       

      (……待て。それなら、あの子は……磯月波音さんは……!?)

       

      疑問から焦りが生まれ、薄かった呼吸が荒くなる。

      冷静に物事を見渡そうとする余裕など、一瞬で失われる。

      思わず腕に力を加えて起き上がろうとしたが、

       

      「おっと」

      「ぐっ!!」

       

      直後、背中に靴底を押し付けられ、地べたに縫い付けられてしまう。

      迂闊な行動だったと、後になって思い知らされた。

      呻き声を発する間も無いまま顔を上げさせられ、視界は地から正面の方へと向かされる。

      恐らくは声を出し、尚且つ蒼矢をこの場に引き摺り込んだ張本人であろう人物の姿が、瞳に映し出される。

      服装こそ黒と白の縞模様なポロシャツと灰色のズボン――と、一見すると普通な容姿をしているが、剥き出しの気配は対照的に異質なものとして認識された。

      つまり、

       

      (……この男も、僕と同じような『力』を持っているのか……?)

      「ようやくのお目覚めか。はじめまして……と言った方が良いんかね」

      「……何者なんだ、お前達は……」

       

      簡単には答えてもらえないだろうと思いながら、それでも問いは出してみた。

      すると、意外な事に軽い調子で回答があった。

       

      「ん……まぁ、アレだ。大体想像は出来てるんじゃないか? とある組織の構成員。んで、何か凄い力を持ってるらしいお前の事をボスが欲しがってて、まぁ仕事の流れでちょっと拉致らせてもらったってわけ。状況を少し理解したか?」

      「……随分あっさり語るんだな」

      「時間はあんまり取りたくないんでね。別の『組織』に先手を打たれる前にって話もあったし」

       

      組織という言葉に、蒼矢は警戒心を強めていた。

      背中に押し付けられる靴底の重さが、増した気がした。

      フレースヴェルグと名乗っていた男との会話を、ふと思い返す。

       

      『……家族は、母さんや父さん、弟はどうなるんだ』

      『それについては何とも言えんな。俺やお前と『同じ力』を持った奴等が何かをしでかして、ぽっくり死んじまう可能性もあれば、何事も無い状態に出来る可能性もある』

       

      家族の死。

      その言葉をなぞっただけでも、背筋に冷たい物が奔った。

      そんな蒼矢の心境などいざ知らずか、あるいは知った上でなのか、男はいきなり本題を切り出してくる。

       

      「で、とりあえずだが……お前さんは『組織』に入るつもり、あるか?」

      「…………」

       

      意思を汲み取らず強制するようなものではなく、意思を確かめる質問の形の言葉ではあったが、感じられる物は悪意以外に無かった。

      まず、間違い無く目前の男の背後にある『組織』は白では無いだろう。

      仮に『誰かの安全を守る』事を前提に据えた活動をするホワイトな枠組みであれば、まずこのような方法で目的の人物と接触を図ろうとはしないだろう、と蒼矢は思う。

      つまるところ、目的のために手段を選ばない類。

      返答次第では蒼矢と関係のある人物を人質に取る事も辞さないであろう事は、容易に想像出来る。

       

      質問にした理由も単純だろう。

      目の前の男、あるいはその背後にある『組織』は、蒼矢に自らの意思で『組織』に従う事を選ばせようとしているのだ。

       

      「悩むのは事由だが、あんまり時間は掛けるなよ。仕事が滞るのは勘弁願いたいんだ」

      「……答える前に、こちらからも質問をしていいかな……」

      「?」

       

      恐らく、この状況で問う事が出来るのは一つだけだと思いながら、蒼矢は問いを出した。

       

      「僕と一緒に居た、あの女の子はどうしたんだ……?」

      「あぁ、その事か」

       

      さして気にしていなかったかのような、本当に適当な調子で相槌が打たれる。

      恐らく、無事に済ませてもらってはいないだろうと蒼矢は予想していた。

       

      「おい、こっちに」

       

      男は視界の外に居るのであろう別の人物に対して声を掛けていた。

      やはり、事態に巻き込む形でこの場に磯月波音も連れ去って来たのだろう。

      場合によっては、家族以外の人質要員として利用される可能性も十分に考えられる。

      強引な伏せの状態に辛さを感じながらも、何とか首を動かし、男が声を掛けた人物の方へと振り向く。

       

      そこには、磯月波音がいた。

      目立った外傷などは見当たらず、まだ幸いにも乱暴な行為はされていないであろう事を理解した蒼矢は少しだけ安堵したが、

       

      「…………」

       

      何か、猛烈な違和感があった。

      明るさというものを感じない表情に関してもそうだが、全体的な雰囲気が病院で会った優しい少女とは掛け離れているような気がする。

      姿勢を低くして蒼矢に要件を投げ掛けていた男は、ゆっくりと立ち位置を波音と入れ替える。

      会話の猶予を与えてくれた――そう認識した蒼矢は、疑念を浮かべながらも顔を上げて波音に声を掛ける。

       

      「大丈夫? 乱暴な目に遭ったりしてない?」

      「……この状況で、こちらの心配をしてくれてるんですね……」

      「心配ぐらい……するに決まってるじゃないか。ほんの少しだろうと関わりがあるんだから」

      「……そうですか」

      「……ごめん。こんな事に巻き込んでしまって……」

       

      ただ、聞きたい事を聞いて、言いたい事だけを言う。

      ひょっとしなくとも、もっと掛けてあげるべき言葉はあったのではないかと思ったが、状況から考えてもこれが今の蒼矢にとっては限界だった。

       

      「……蒼矢さんが謝るようなことじゃないですよ……」

       

      波音は、首を横に振りながら平坦な声で返していた。

      気遣うようなその言葉を、蒼矢は否定しようとした。

      だが、その前にこんな言葉があった。

       

       

       

      「……だって、今の状況になるように蒼矢さんを誘い込むのがわたしの役割でしたから……」

       

      ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

       

       

       

      本当に、一瞬。

      自分が何を言われたのか、蒼矢は理解出来なかった。

      いいや、正確には信じられなかった――信じる事を拒んでしまっていた。

      視界がぐらつき、胸の中央に風穴でも空けられたような錯覚に陥る。

      そんな蒼矢の様子を気に留めてすらいないのか、少女は坦々と言葉を紡ぐ。

       

      「ここまで簡単に誘導されてくれるとは思ってませんでしたよ。正直、最初に病院で会った時点で疑いを持たれて、そこで寸止めになるとも思ってたんですが……」

      「…………」

      「何と言っても病院ですからね。無許可で突然いなくなったりなんてしたら、間違い無く騒ぎになります。騒ぎになったら、別の『組織』……そうでなくとも物好きな人が出て来て邪魔してくる可能性も考えなければなりません。だから」

      「……やめ、ろ……」

      「何とかお医者さんの許可を得て、病院側にも『認知された上で』外出させる必要があったんです。後は、道案内をする流れの中で色々遣り繰りして、この通り。流れは飲み込めましたか?」

      「もうやめろ!!」

       

      これ以上は聞きたくない。

      それ以上の言葉を紡いでほしくない。

      答えはもう解ってしまった。自分で考える間も無く。

      それでも、蒼矢は張り上げた声で反論する。

       

      「君は……こんな事に加担するような人だったのか? いいや、そんなはずは無い。そんな事をする人間だとは思えない!! だって、だって……っ!!」

      「そんなはずが無い、ですか……大して覚えてもいない相手なのに、不思議な事を言うんですね。わたしが、どういう人なのかも知らないはずなのに」

      「それは……」

       

      言われて、蒼矢自身も今になって気付かされた。

      自分自身、この磯月波音という人物の事を何も知らないという事を。

      最初に自分の事を覚えているかどうかを問われた事も、自身の視点から語った思い出も。

      全ては偽り。ほんの僅かでも親しみを得て、この状況に誘導するための疑似餌に過ぎなかった……っ!?

       

      そして、決定的な情報が蒼矢の視界に飛び込んで来る。

      裏切り者の少女は、懐から何か黒くて硬そうな物を取り出したのだ。

      テレビのリモコンのように平たく長い四角の先端に、数ミリ程度の短い電極がはみ出している『それ』の事を、世間では何と呼ばれていたか。

       

      「これ、何なのか解りますよね?」

      「……スタン、ガン……」

       

      様々な形で設計され、電極部を対象に押し当て電流を流す護身用の武器。

      少なくとも日常的に見られるような物ではなく、青少年による購入自体が基本的には制限されている代物なはずだが、やはり少し前まで蒼矢に声を掛けていた男の属する組織は法律も道徳もお構い無しなのだろう。

      もう、嫌でも事の成り行きに気付く事が気付く他になかった。

      気絶する前、蒼矢の意識を狩り取ったのは波音が持っているスタンガンで。

      そして、背後から突如として感じられた気配の発生源であり、振り向く暇さえ与えずに蒼矢の首筋を狙う事が出来た人物として挙げられるのは……

       

      「……本当に、君なのか……」

      「だから、言ったじゃないですか」

       

      そして、少女は笑顔を浮かべ、会話の最後をこう締めくくった。

       

      「これがわたしの役目でしたから、と。信じていてくれて、本当にありがとうございました」

       

      善意を向けられる資格自体、とっくに失われていると思っていた。

      だから、例え自分が死ぬような事になったとしても、それ以上に酷い目に遭う事になったとしても、は当然の結末なのだろうと受け入れて納得する事が出来ると思えているつもりだった。

      向けられている善意が偽りのものであったとしても、平気でいられるのだとも。

       

      そんなわけがなかった。

      心に救いを与えていたはずの物が、失われるどころか鋭い痛みを与えるためのナニカへと変じ、それを頭で理解した瞬間に悲しみが心の中を埋め尽くす。

      そして、司弩蒼矢は絶叫した。

      嘆くようなその声を聞いても、少女は何の言葉も返さなかった。

       

      ◆ ◆ ◆ ◆

       

      狼の獣人のような姿の牙絡雑賀は、現在進行形で焦っていた。

      率直に言って、嗅覚を頼りに探すのにも限界があったのだ。

      司弩蒼矢が拉致された現場と思われる場所から、明らかに人間のそれとは異なる臭いが『足跡』という形で察知出来はしたのだが、肝心の『足跡』が途中で途絶えてしまっていて、追跡に必要な情報が寸断されてしまっていた所為で。

       

      (……くそっ……こうしている間にも、何か取り返すのつかない事になってるかもしれないってのに……!!)

       

      幸いにも、司弩蒼矢かその友達の携行品と思わしきミネラルウォーターのペットボトル(飲み残し)の表面に確かな臭いが残っていたため、足跡とは異なる捜索に必要な情報を一つは確保出来ている。

      だが、足りない。

      確かに同じ臭いを感知する事が出来れば確実に移動先を割り出す事が出来るだろうが、そもそも同じ臭いを殆ど感じ取る事が出来ていないのだから、どちらにせよ拉致した側との距離を道標も無しに詰められなければ意味が無い。

       

      (……鼻は今のところ頼りに出来ない。だがそれ以外に関する情報が無い)

       

      こうなると、一度嗅覚に関する情報は頭の中から取り除いて考えてみる必要があるのかもしれない。

      運任せに都会を奔走してもどうにもならない事ぐらいは、流石に理解出来ていた。

       

      (……拉致する側からすれば、司弩蒼矢が連れ去られたり危害を加えられたりする場面を、一般の人間に見られなければいいんだ。デジモンの力を使って、力場を発生させるだけで一般の人間から目撃される事はなくなる。だけど、これだけじゃ足りない。何かをして司弩蒼矢の身動きを封じられたとしても、徒歩での移動にするとどうやっても移動中を感知される。力場の存在は、同じ電脳力者に感知される可能性を増させるわけだからな)

       

      実際、牙絡雑賀は一度、裏路地から発生した力場を感知し、不良染みた風貌の電脳力者三人と対面している。

      無論、同じ電脳力者が現場に立ち会っていたとして、見ず知らずの司弩蒼矢を助けるため動き出すのかという疑問もあるのだが、デジモンの力を使った痕跡というものは臭いという形で残されていた。

      それが寸断されていたという事は、拉致を実行した電脳力者は途中からデジモンの力を使わずに司弩蒼矢を連れ去ったという事になる。

      デジモンの力を使っていない時には力場が発生しないため、一般人の目にも入る。

      状況を一目見て通報をする人間が居てもおかしくは無いが、事実として誰かが通報をしているようには見えない。

      普通の人間からも発見される状態の上で、自分達や司弩蒼矢の姿を都合良く隠し、短時間の間に大きな距離を離す事が出来る手段。

      シンプルに考えてみると、答えはとても単純な物でしかなかった。

       

      (……車。単純だが、中の様子を外部から探られず、多人数で移動するのならこれしかない)

       

      ――次に、どのような車ならば目立たずに移動出来るかを考えてみた。

       

      (……今は『消失』事件の対策で東京都の各地域で警戒態勢が敷かれていたはずだし、別の地域にまで移動している可能性は低いはず。スモークフィルムが張り付いた車なんて、規制が入った今の世の中じゃ逆に目立つ。運転席にでも貼り付けてたら、未成年の無免許運転を怪しんで警官が確認に乗り出す可能性だってある。フルスモークだったら尚更だ。拉致する側からしても運転者の視界は確保したいだろうし、スモークフィルムを使わずに車内を隠すとして、仮に逃走中に車そのものを力場で認識出来ないようにしたら間違い無く事故が起きるから論外。だとすれば、荷物という括りで『中身』を誤魔化せる大型のトラックか?)

       

      ――そして、移動出来たとしてそれがどのようなルートを辿るのかを考えてみた。

       

      (大型のトラックなら人間を荷物扱いで乗せれば外部から視認される事も無くなるが、仕事に関係無いイレギュラーな道を進んでいたらやっぱり目立つ。だったら、移動区域はやっぱり街の中に絞られる。時間も関係無く、ルートが不規則でも目立たない、あるいは怪しく思われないもの。ネット通販なんて便利な物はあるが、運送業は無いな。決まった場所に決まった時間で向かう以上、ルートは絞られるから。だとすれば、エアコン絡みの専門業者か光ファイバーや高速無線回線を保守点検する電装業者業者。どちらも決まったルート自体が存在しないし、しっかりとした面目があるわけだから怪しまれない)

       

      後は、探すだけだった。

      広大な街の中で一つの車を探し当てる事自体が中々に難度の高いものだとは思うが、少なくとも探すべき目印を決められた事は捜索の進展の繋がるだろうと、思う。

      実際には、こうして深く考えてみれば自分は前に進めているのだと錯覚でき、不安を多少は打ち消せると思っての事に過ぎないのかもしれないが。

       

      と、当ての薄い捜索活動に再び走り出そうとした時だった。

       

      「あ、いたいたー。ちょっとそこの人待ってくださーい」

       

      思いっきり棒読み染みた声が、雑賀の耳に入って来た。

      疑問を覚えながらも一応声のした方へ振り向いてみると、侍の容姿に似せた鳥人がいた。

      誰がどう見ても人外の類で、何らかのデジモンの力を行使している電脳力者なのだとすぐに理解した。

       

      「……誰だ? その姿を見るに電脳力者みたいだが」

      「あぁ、こちらからすると初対面ですよねー。僕、鳴風羽鷺って言います。縁芽苦郎さんのパシりって言えば、大体の立ち位置はわかると思うんですけどー」

       

      縁芽苦郎のパシり。

      言い方に疑問こそ浮かぶが、少なくとも敵同士の繋がりではない事は理解出来た。

      そして、この局面で接触を図ってきた以上、ただ挨拶に来たわけではないであろう事も。

       

      「その苦郎のパシり君が何の用だ? 今かなり忙しいから要件は手短に済ませてほしいんだけど」

      「その要件というのは、苦郎さんの言っていた司弩蒼矢という人物の事ですか?」

       

      コピー用紙を吐き出すような緊張感の無い口調だったが、発言自体は重要な意味を持つものだった。

      縁芽苦郎――ベルフェモンと呼ばれる『七大魔王』を宿す電脳力者が、司弩蒼矢について何か発言をしていた。

      彼が関心を持っているという事は、今回の事件には『シナリオライター』と呼ばれる組織が関わっている可能性が浮上する。

       

      「……やっぱり、今回の件についてあいつも何か知っているのか?」

      「その口ぶりからすると、既に状況が動いてしまってるみたいですねー」

      「教えてくれ。何であいつが狙われたのか、あいつは何処へ連れて行かれたのか、知っている事を全体的に!!」

      「うーん、まずは落ち着いてほしいんですけ……その顔で迫られると普通に怖いですってばぁ!?」

       

      よほど恐ろしい表情になっているのか、鳴風羽鷺と名乗る鳥人は一歩後ろに下がっていた。

      両手の掌を前に突き出し、落ち着くようジェスチャーで示しているようだ。

      それを理解した雑賀が何とか意識して表情を和らげなものにしてみると、多少はマシになったのか鳴風羽鷺は案件を喋りだした。

       

      「まぁ、僕の方も苦郎さんからついさっき聞いたばかりなんですけど……まず、その司弩蒼矢って人を真っ先に狙うであろう組織の事です」

      「……『シナリオライター』の事なら既に聞いてるんだが。まさか、ここに来て別の『組織』だなんて話じゃないだろうな」

      「そのまさかなわけですけど。確か、苦郎さんは『グリード』って名称で呼んでましたよ。正直名称なんてどうでもいいですが、実際その組織は『シナリオライター』とは別の組織として扱うべきだって話らしいです」

      「…………」

       

      正直なところ、疑問はいくつか浮かんでいた。

      確か、縁芽苦郎の話では『シナリオライター』という組織自体、どのような思惑でもって活動しているのか詳しく解っていないとの事だった。

      その言葉自体が嘘で本当は核心に迫っているという可能性も決して無いというわけでは無いが、それはそれで話さない理由があるのかという疑問が生じてしまうので、本当に知らないのだと雑賀は思う。

      一方で、鳴風羽鷺の口ぶりからすると、司弩蒼矢を狙っているのが『グリード』という組織であるという事に関しては、確信をもって言っているような気がする。

      更に言えば、わざわざ別の枠組みとして強調している辺り、むしろ『シナリオライター』以上に危険視さえしているような……?

       

      「で、その『組織』の目的なんですけど、どうやら司弩蒼矢に宿っているデジモンの力を欲しているらしいです。苦郎さん曰く、何がなんでも『グリード』の手中に収められるのを避けたいんだとか」

      「……それで、俺にあいつを助けに行けってか? それなら元からそのつもりだし、何というか取り越し苦労だな」

      「あぁ、そういうわけじゃなくてですねー」

       

      率直に浮かんだ予想を否定され、思わず疑問符を浮かべる雑賀。

      そして、鳴風羽鷺は間延びした口調のままこう言った。

       

      「どうせ『グリード』の手に渡るぐらいなら、殺して完全に無害化した方が確実。だから、今回の事件にあなたは首を突っ込まないでくれ、との事です」

       

      呼吸が、一瞬だが確実に止まった。

      言われた言葉の意味を、すぐには理解出来なかった。

      そして、理解が追い着いた途端に、急速に頭の中が沸騰し始めた。

       

      「……おい、待ってくれ……」

      「はい?」

      「殺して、無害化……? それはつまり、そういう事なのか? 司弩蒼矢を、殺すって。あいつがそう言ったのか!?」

      「確かに言ってましたよ。そうじゃなければ、別の案件だって抱えてるのにこうして伝言を伝えさせる理由が無いですし。多分、戦闘に巻き込みたくないとかじゃないですか?」

      「そんな気遣いなんてどうでもいい!!」

       

      確かに、恐ろしくないと言えば嘘になるほどの力ではあったかもしれない。

      出会った当初は理性を失って本能に身を任せていたようだったし、視界に入った途端に攻撃を開始していた事を考えても危険性は否定出来ない。

      理性を取り戻した後も『失った四肢を取り戻す』という動機で戦闘を継続し、実際のところ死ぬか死なないかの寸前にまで追い詰められてはいた。

      だが、それにしたって。

       

      「……何でだよ。その『グリード』って組織がどういう物で、どういう奴が仕切っているのかは知らないけど……何でその組織の利益になる力があるって『だけ』でアイツが殺されないといけない!? アイツには、殺されてもいい理由なんて……!! 何を考えてやがるんだあの野郎は!?」

       

      理由の納得など、出来るわけが無かった。

      人の命を奪うという事がそもそも容易に受け入れられるものでは無いのに、ましてや利益の阻止などという理由などで認める事など出来るわけが無い。

      狼狽する牙絡雑賀に鳴風羽鷺は困ったような表情こそ浮かべているが、そこから感情を読み取る事が出来ない。

      対岸の火事でも眺めているような、他人事の反応だった。

      だから、何の動揺も無く言葉を紡いでいた。

       

      「うーん、何で殺されないといけないかって聞かれても、理由なら既に言ってますよ。宿っているデジモンの力を、『グリード』って組織の利益に繋がらせないため。要するに、司弩蒼矢という人自体が重要なんじゃなくて、宿っているデジモンの事が一番重要みたいですねー」

       

      宿っているデジモンの力が、敵である組織の利益に繋がるから。

      偶然宿ってしまったのであろう人間が誰かなど関係無く、ただ成り行きでそうなったから。

      思えば、病院で自身に宿るデジモンの事を雑賀に対して伝える際に、縁芽苦郎自身も言っていたではないか。

      これは、椅子取りゲームの結果だと。

      その言葉の意味が、ここに来て解ったような気がした。

      だが、そもそも。

       

      「……それほどまでに、殺さないといけないような『力』じゃなかったはずだぞ。司弩蒼矢に宿っているのは、成熟期デジモンの『シードラモン』だったはずだ!! 確かに危険な力を持っているかもしれないが、苦郎の奴に宿っている『ベルフェモン』に比べればずっとマシなはずだろ……!!」

      「それなんですけど、正確には現時点で『グリード』の利益になるデジモンの力を振るう事が出来るってわけじゃないみたいですね。いずれ成長した結果、危険視するようなデジモンの力を得る、あるいは力そのものが変質する可能性が高いから、未然に阻止する必要があるんだとか」

       

      確かに、本来デジモンとは『進化』というプロセスを経て、段階を繰り上げる形で個の更新を続ける存在だ。

      今でこそ宿している力は成熟期がベースの物だが、縁芽苦郎やフレースヴェルグのように究極体のデジモンの力を行使出来る電脳力者が実在する以上、雑賀自身も含めたあらゆる電脳力者の力には『進化』の可能性が存在するのは間違いない。

      そして、もし仮に宿しているデジモンの力が、ホビーミックスされ誇張表現すらされている『設定』とそう大差の無い物であれば、その脅威の度合いは確実に増す。

      つまりは、こういうことなのだろう。

      敵対する組織の益となり、脅威と考えるには十分な力をいずれ得る可能性があるから、その前に芽を摘んでしまおう、と。

       

      「……ふざけんなよ。いったい何なんだ、その……危険視してるデジモンってのは」

       

      自分で問いを出しておきながら、話を聞いただけである程度の予測は出来てしまっていた。

      七大魔王という、悪性を担うデジモン達のトップランカーとさえ呼べるデジモンの力を持つ者からして、それでも脅威と呼べるようなデジモンなど、数が限られすぎたから。

      鳴風羽鷺は、あくまでも調子を崩さぬまま嘴を開いた。

      そして、最悪の答え合わせがやってきた。

       

      「えっと、確か『リヴァイアモン』って苦郎さんは呼んでましたね。僕はそんなに詳しく知ってるわけじゃないんですけど、苦郎さんに宿っているのと同じ『七大魔王』って枠組みにあたるデジモンみたいです」

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    • #3807

       怖い女。数話を一気に纏められている為か、処女しか差し出せるものがないとかほざいといてあっという間に寝返ってオンドゥルラギッターしてくるとは。しかし複数人の視点が同時進行で一挙に進んでいくこともあって飽きさせず読み進めることができました。雑賀は性格に反して思考が論理的だし冷静に俯瞰して物事を見れているので探偵向きな気がしますね、一方の義妹はオーソドックスな少年漫画の主人公。
       1話の内にベルフェモンとリヴァイアモン、七大魔王の名前が二つも出てきまいましたぜ。そして組織名からしてバレバレな気がしませんかね強欲のジイさん。
       禁書やヒロアカ宜しく能力やキャラの立ち位置をまんま名前に落とし込んでいるのかと思い、蒼矢という名前はシードラモンにピッタリだぜと思っていたのにリヴァイアモンだと必殺技が巨大噛みつきで水属性も矢要素も消える。何故だ!!

       戦いは得手ではないと言いながらも今回に限れば大活躍しているブライモン羽鷺、あー此奴いずれ苦郎から「まさか羽鷺がこんな簡単にやられるとは……」的なこと言われて入院する未来が既に見えるぜ。レベル1とかレベル2とかの単語はまだ明確にされてませんでしたっけか。とはいえ、レベル0の処理のし方ぐらい弁えてるのかもしれん。佐天さんは別よ。
       そして好奇心で街中を走れば触手プレイに遭いかけるし、路地裏を覗けば電脳人間四体の乱闘に巻き込まれるしで、平和と思っていたこの街も気付けば治安はボロボロ。
       サツマイモ女の呼び名は何度見ても酷過ぎて噴く。

       そういえば自分のブラウザだけですかね、今回なんか全行の右側が二文字見切れてた気がする。

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