【割暇オリ日】炎と修羅【炎神・闘神の場合】

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    【炎神の場合】

     

    『赤コーナー! 無敵の闘神、ヒグマぁ~!!』
     
     旧知の友が高らかに呼び上げる名前に顔を顰める。
     
    「……相変わらずあの人は」
     
     そうしてすぐ破顔する。相変わらずそんなリングネームを名乗っているのはあの人らしい、その感情はなかなかに甘美だった。
     強くなろうと足掻いていた成長期の頃のことを忘れない為、確かあの人のリングネームはそんな由来があったように思う。俺や幻影は生まれた時からオリンポスになることを運命付けられていたから、あの山雷さんらいさんの気持ちはちょっと理解できないが、俺自身は山雷さんのことを尊敬しているし、世界の守護者として彼のように在りたいとも思っている。
     観客席を見渡せば、一番後ろの列で煙草を吹かしている女の姿が見える。
     
    「……おや、アンタかい」
    「随分と退屈そうだな、ここの興行主オーナーともあろう者が」
    「アイツが来るといつもこうさね」
     
     つまらなさそうに女は言う。サングラスの奥の瞳は、リングで戦う山雷さんに向けられているらしい。
     この闘技場の持ち主――俺と山雷さんが作り、譲渡したというのが正しいが――である彼女は、名前をアルケニモン、ちょうど耳に響いてくる声の主、放送席に座っているのだろう実況のマミーモンの妻である。電脳生命体に夫婦も何も無いものだが、俺としては便宜上そう呼ぶことにしている。彼らは夫婦揃って人間の姿を取ることができる希有な存在だった。今俺の隣に座る彼女も本来の毒蜘蛛めいた禍々しい姿ではなく、純然たる人型である。そういった意味では、似た者夫婦と言えないこともない。
     
    「……今日出てもらってるのはアタシと旦那の古い友人なんだがね、流石に音に聞こえたオリンポス様が参戦されるとあっちゃ相手が悪い」
    「そのようだ」
     
     アルケニモンに続いて俺もリングへと目を向ける。数体の完全体が一斉に躍りかかるも、山雷さんに笑えるぐらいあっさりと薙ぎ倒されていく姿が見える。得意の関節技サブミッションも使わないそれは、山雷さんからすれば戦いとすら呼べないだろう。とはいえ、アルケニモンやマミーモンの旧友となればそれなりの手練れであることは間違いなく、事実あの中で誰もが致命傷は避けている。まだ完全体とはいえ、もう少し経験を積めば存分に相見えることができそうだ。
     自然、俺ならどう相手するだろうと考えている自分がいる。名前通り雷の如き山雷さんのラッシュを俺はどう捌き、どう反撃するだろうか。
     
    「……次はアンタが出るかい?」
     
     俺の心を見透かしたようにサングラスの女は笑う。それに「まさか」とだけ返す。
     
    「残念だね。オリンポス様同士の戦いとなりゃ、連中も盛り上がるだろうに」
     
     楽しげに顎をしゃくった先、悔しそうに歯軋りしている賭けの常連どもの姿が見える。俺は賭博のことはよくわからないのだが、彼らは完全体の側に賭けていたのだろうか。
     
    「認めたくないけど、山雷さんは強いよ。俺だって正面切って戦ったら勝てるかは正直わからない」
    「だからこそ面白いんじゃないかい?」
     
     負けるつもりもないだろう、アンタは。言外にそう匂わせて女は笑うのだ。
     当代のオリンポスの中で、陽炎の名を持つ俺は最強と謳われているらしい。そう言われるだけの力を手に入れた自覚はあるが、山雷さんや碧翼といざ本気でぶつかり合ったとして、自分が絶対に負けないとは言い切れない。俺としては苦手な手合いだが、あの幻影とて俺にはない強さを持っている奴だ。
     でも俺はそれでいいと思っている。皆それぞれが違った強さを持ち、各々の目的に向けて動いている。それはロイヤルナイツや十闘士には無い俺達だけの強みだからな。
     
    「そういえば、最近よく人間の小娘が来るんだよ」
    「……人間が?」
     
     アルケニモンの言葉に思わず反応してしまう。
     ちょうどリングの上では、山雷さんが無傷の完全勝利を手にしたところだったらしい。

     

    ◆ ◆ ◆

     

     闘技場の階段を上がると、よく言えば風情がある、悪く言えば寂れたバーに出る。
     というより、元々この場所はバーがメインだ。闘技場はバーの奥に作られた隠し階段から続く会員制の秘密のスポットにすぎない。山雷さんが元より持っていた土地にバーを作ろうと言ったのは幻影だったか、その地下に強者達が実力を競い合う施設として俺と山雷さんが闘技場を築いたというわけだ。
     俺が顔を出すと、どうも先客がいたらしい。膨れ上がった筋肉の後ろ姿が見える。
     
    「やあ陽炎、来ていたのかい」
    「……山雷さん」
     
     下戸の癖に格好を付けてカクテルなんぞを頼んでいたのは、先の戦いで完全勝利を収めた山雷さんその人だった。
     
    「ええ、見せてもらいました。素晴らしい戦いでしたね」
    「世辞はやめたまえ。この天才ヒグマ様には当然の結果だよ」
     
     並々と注がれたグラスを揺らしながら彼は言う。飲めよ。
     
    「マスター、彼と同じのを一つ」
     
     山雷さんの隣に座ると、カウンターの奥から出てきたマミーモンが「了解しやした」と笑顔を見せた。
     
    「この闘技場を作って幾星霜、なかなか僕らを感嘆させ得る強者は現れないものだね」
    「……ですね」
     
     カクテルに口を付けながら同意する。山雷さんは相変わらず飲むフリだけだ。
     このご時世、強者の存在が途絶えて久しい。ロイヤルナイツは俺達と同じく半数が死に絶えたと言うし、十闘士など今では実在すら危ぶまれている。七大魔王も生き残りが数名時折噂になる程度だ。そうなれば俺や山雷さんには退屈な時代であるのも当然と言えた。その技量に少なからず感服させられることはあっても、互いに鎬を削る戦いという奴はついぞした覚えが無い。
     ただ、印象的な相手として、そういう時に決まって思い出す顔がある。
     
    『いつか必ずお前を超えてやる!』
     
     そう言って何度も挑んできた奴がいた。別に強かったわけではない。それどころか、未来を約束された希少種でありながらその力も技量も並以下、唯一平均以上だったと言えるのは威勢の良さだけ。当時の俺は成長期で奴は幼年期だったが、その差を加味しても力の差は歴然、身の程知らずにも限度がある奴だったが、それでも究極体に到達した今も俺の記憶からは消えない。
     身の程知らずと切り捨てるには容易い。だがあれは今では滅多に見ない、強く在ろうとする戦士の目だった。少なくとも俺や山雷さんと同類だったことは間違いない。今頃はどうしているだろうか?
     
    「思い出したよ。確かギルモン……と言ったかな。いつだったか、まるで及ばないにも関わらず僕に挑んできた愚かな奴がいたものだ。まさか成長期の身空で僕に挑むなど百万年早い……とはいえ、成長期相手に本気も無いがね」
    「偶然ですね、俺が今思い出していたのも同じ奴です。山雷さんもやり合ったんですか?」
    「やり合ったなどとは言わない。軽く小突いただけだよ、天才とはそういうものだ」
     
     どういうものだよ。
     
    「ただ、その目には可能性を見た。……天才である僕と同じ目をしていたからね」
    「そっすか」
     
     山雷さんも同じことを考えていたことに一瞬ドキッとしたが、すぐ呆れてしまう。
     
    「……アイツ、俺らと同郷なんですよ」
    「そうなのかい?」
    「一緒に始まりの街で生まれました。同期で一番弱い奴でしたが」
     
     思い出すと笑えてくる。幻影の奴はアイツが随分とお気に入りだったらしいが、とにかく成長は遅い上にセンスも無い奴だったように思う。強くならんとする心意気だけは一人前どころか、誰よりも強かったと記憶はしている。山雷さんと出会ったのがいつかは知らないが、流石に成熟期ぐらいにはなっているのだろうか。
     
    「しかし時に陽炎、幻影さんとは最近仲良くやっているのかな?」
    「……なんで俺がアイツのこと、気にしなきゃなんないんすか」
     
     ちょうど幻影のことを思い浮かべていたので、俺も思わずムッとなる。
     
    「それこそ同期でライバルだろう。このご時世、そういう互いに切磋琢磨し合える存在というのは貴重だよ、天才である僕にはそういった存在はいなかったからね、天才過ぎるというのもなかなか困りものだ」
    「アンタ今何回天才って言ったんでしょうね」
    1031てんさい回……かな」
     
     イラァ。
     
    「決着付けますか、今ここで」
    「旦那らが暴れると店が壊れるだけじゃ済まないので勘弁してくれでござんす」
     
     思わず立ち上がったところを、やんわりとマミーモンに窘められた。ふむ、俺もまだまだ精進が足りない。
     
    「マミーモン、お代わりを頼むよ」
    「アンタ飲めないでしょ」
    「……陽炎、先輩からの奢りだ。受け取りたまえ」
    「あざっす」
     
     いいように出汁に使われている気がする。しかしカクテルは美味いからな。
     
    「話は変わりやすがアポロの旦那、さっき嫁と人間の話をしてやしたね」
    「ああ」
     
     そういえば山雷さんの試合中、アルケニモンとそんな話をした気がする。というか、実況をしていたはずのお前が何故それを知っているんだ。
     
    「人間の小娘なら最近三日に一度ぐらいの割合で来てやすよ。なかなかの強さで連中のことは楽しませてくれてやすんで、あっし達としては助かってやすが、旦那らには及ばないでしょうね」
    「……ふむ、このご時世に人間か……」
    「山雷さん、まさか」
     
     嫌な予感がする。というか、嫌な確信と言ってもいい。
     
    「マスター、次に彼女が来るのはいつなんだい?」
    「多分明日には来るでござんすよ」
     
     山雷さんが俺の方を振り返る。マスクの下から覗く瞳が爛々と輝いている。年甲斐もなく童心に帰った目に少し怯まされたが、同時にそこに潜む「キミの考えも同じだろう?」と言いたげな色には同意する。この人は何だかんだ言っても俺の同類で先輩だからな。
     楽しそうだなぁ、この人。

     

    ◆ ◆ ◆

     

    『彗星のように現れた新スター、あちゃこ&ズドモ~ン! 今日もリングを血で染め上げるのかぁ~!?』
     
     どうもこの実況があのマスターと同じ口から出ていることが毎回信じられなくなる。
     
    「……大したものだね、彼女」
     
     隣の席で山雷さんが感心しているが、大の究極体(おとこ)二人がガン首揃えて闘技観戦も無いものだ。というか、観客の大半は幼年期や成長期だから席もそれに合わせた大きさしか無く、俺達にとっては狭くて仕方ない。
     まあそれはともかく。
     
    「選ばれし子供って奴ですか」
    「そのようだ。興味深いね、そういったシステムはもう崩壊したものと思っていたよ」
     
     この世界には世界の秩序を保つ者ホメオスタシスと呼ばれる者がいる。
     いるというのは語弊があるか。言うなれば概念、彼の者に意思は無くただ電脳世界を安寧に長らえさせることのみを目的として動く事象。定期的に魔の側に傾くこの世界に異世界よりの光を届け、世界の調律を保つ存在。役割としては俺達オリンポス十二神に近いか。
     そのホメオスタシスが異世界から召喚する人間を、俗に選ばれし子供と呼ぶらしい。
     
    「確かに……俺も、俺達の代でそんな奴を見ることは無いと思ってましたよ」
     
     故にこの世界は不完全だ。俺達の世界は、俺達だけで続いていくことができない。
     定期的に人間という異物が混ざらなければ、ただそこに在ることすらできない歪んだ世界こそが俺達の本質だ。だからこそ召喚された人間の、選ばれし子供の英雄物語は世界の至るところに伝わっている。
     四聖獣と共に駆け抜けた者、最終戦争の名を冠した悲劇の存在を救った者、長きに渡る天使と悪魔の戦争を止めた者。
     憧れないはずが無い。求めないはずが無い。俺達にとって、人間は間違いなく英雄だったから。
     
    『ゴマモン、ワープ進化――ズドモン!』
     
     先程見た成長期から完全体へのワープ進化、それが彼女の能力というわけだ。光り輝くデジヴァイスを見てそう思う。
     飽く迄も完全体、確かにマミーモンの言う通り俺や山雷さんには及ばないだろう。それでもリングの上の彼女達には、並の完全体を容易に退けている強さがある。どうも今日もやられているのはアルケニモンの旧友達らしい。アンタらやられてばっかりだな。
     しかし相変わらず思うが、なんであの娘は“あちゃこ”とか名乗っているんだろうな。恐らくリングネーム、山雷さんのヒグマみたいなものなんだろうけど。
     
    「どうだい、やるもんだろう? あの小娘」
     
     いつの間にやってきたのか、隣にドサッと腰掛けながらアルケニモンが笑った。
     
    「そこ指定席だけどな」
    「構いやしないよ、アタシはオーナーさね」
     
     勝手な理屈を言うものだがそれは職権乱用と言わないか?
     
    「あの小娘が来たのは二月ぐらい前だったかね。それから三日に一度ぐらいのペースで来ては盛り上げてくれとるわけさ。偶然にもアンタらと鉢合わせたことは無かったが、今やここのスターだよ」
    「興味深いね、あちゃこか……」
    「確か仁科麻子にしな あさこですよ、本名は」
     
     思わず口にしてしまった。しまったと思った時には、既に山雷さんはこっちに顔を向けていた。
     
    「……知り合いかい?」
    「まあ……昔に一度だけ」
     
     自然と言葉を濁してしまったが、山雷さんは「ほう」と息を吐いただけで、それ以上追及してこなかった。
     仁科麻子、自分で言っておきながら懐かしい名前だと思った。始まりの街へパートナーを探しにやってきた彼女の姿が、昨日のことのように思い出せる。隣に立つ海獣もまた、俺や幻影にとって懐かしき友の進化した姿だろう。あのギギモンといい、ここ数日は懐かしい奴らの名前や姿をよく見聞きする。尤も、連中は俺のことなど覚えていないだろうが。
     
    『さあさあ! 今日はここからが本番だぁ! この会場に彼女達と戦う勇気ある者はいないのか!?』
    「……ん?」
     
     響く声に顔を上げる。気付けば出場選手は全て麻子達に蹴散らされたようだ。
     
    『我が闘技場の超新星! 彼女達を倒せたなら100万Bitプレゼント!』
    「あの馬鹿……」
     
     隣でアルケニモンが頭を抱えているのを見るに、どうも彼女の夫の思い付きらしい。そして当然の如く俺も嫌な予感がした、というより嫌な確信があった。
     
    「面白い……!」
     
     立ち上がったオリンポス随一の闘神は、まるで最初からそうするつもりだったかのように背中にマントを纏い、まさに悠然といった姿でリングへ飛び上がってみせた。
     
    『おーっと!? ここでまさかの乱入者だ! 我が闘技場のチャンプにして偉大な闘神! マルスモンのヒグマだぁ~!!』
     
     まさかのチャンプの登場に、周囲からワアアアアアと歓声が上がる。
     
    「あの馬鹿……」
     
     先輩とはいえ、今度は俺が頭を抱える番だった。どれだけ大人げないんだ、あの人。
     真紅のマントを靡かせ、リングに上がった山雷さんは、すぐに僕の方を振り返る。
     
    「陽炎、君も来たまえ」
    「……は?」
     
    『お~っと、チャンプから更にご指名! 来るのか、もう一人のオリンポス!? アポロモンの陽炎だぁ~!』
     
     アポロ、アポロと周囲から謎のコールが起こる。俺もこういうノリ自体は嫌いじゃない。
     それに何よりも、チラリとリング上に立つ人間の少女とそのパートナーを見やる。如何にも気の強そうな少女は、俺や山雷さんの姿に怯む様子もなく、それが俺にはとても好ましく思えた。現時点で些か未熟だったとしても、彼女達の姿は確かに英雄としての未来を感じさせた。伝説に名を連ねる数多の英雄に列席しよう可能性が、仁科麻子とそのパートナーの姿にはあったと思う。初めて始まりの街で彼女と出会った時と同じ、あの強さと気高さは今も健在ということらしい。
     だから俺も山雷さんと同類だ。ワクワクしている、大人げなく興奮している自分がいた。

     

    ◆ ◆ ◆

     

     リングに上がり、改めて対峙すると、懐かしい少女はより小さく見えた。俺が大きくなった所為かもしれない。
     
    「やっと来たわね、オリンポス! 会いたかったわ!」
     
     そこから出る言葉は、姿に反してなかなか大きく出たものだとは思うが。
     
    「僕達を知っているのかい?」
    「モチのロンよ!」
     
     強気な女だ。あの幻影とは違った方向性で、俺が苦手とする類かもしれない。
     身長は150㎝そこそこだろうから、俺達と対峙すれば小人のようにも見える。上下共にスポーティなジャージを纏う彼女は、前後逆さに被った帽子の鍔に手をやり、その不敵な笑みを更に濃いものとした。怯むことも気圧されることもない、恐らく彼女達はどんな敵を前にしてもそうなのだろう。
     まず第一試験は合格かな。山雷さんがそう言っているように思えた。
     
    「姓を仁科! 名を麻子! いずれ世界の誰よりも強くなる女よ!」
    「そしてオイラはそのパートナー! ゴマモン改めズドモン! あちゃこと一緒に世界一強くなるんだぜ!」
    「あちゃこ言うな!」
     
     べらんめえ口調で語る彼女のパートナーにも気負いはない。似たもの同士ということか。そういうところも以前会った時と変わらなくて俺には少し懐かしかった。
     
    「僕が行こう……」
     
     先に言われた。多分考えは同じだったんだろうが、一瞬だけ早く山雷さんが俺を手で制して前に出た。
     
    「いいんすか?」
    「別に目的は勝つことじゃないからね」
     
     確かめることだと山雷さんの背中が語っていた。
     悠然と立つ姿は威風堂々。彼女達の力、ワープ進化と言っていたか、それは確かに驚くべき能力ではあるが、その実ズドモンは完全体であり、体格こそ同等とはいえ俺達と互角に戦うにはまだ力不足と言える。山雷さんもそれを理解しているからこそ勝利が目的ではないと言った。その考えには俺も賛成だ。
     言うなれば試験であり、また純粋な興味だ。彼女だけではない、人間という奴が如何程の力を持っているのか、そこにどれだけの可能性があるのか。
     
    「来たまえ、戦い方を教えてあげよう」
    「行っちゃえ、ズドモン!」
     
     リング上、巨体同士が激突する様が大気を揺らす。ズドモンの振り上げたハンマーは山雷さんの右腕によって容易く止められたが、そこから衝撃波がパッと火花を散らし、その余波がこちらの肌をひりつかせてくれる。少なくともパワーに不足は無い、オリンポスの中でも肉弾戦を得意とするマルスモン、山雷さんと正面から組み合えるだけの力を彼は、彼らは有しているということらしい。
     
     やるじゃないか、同輩。
     
     思わず笑みが零れる。元より同期の中では抜きん出た実力の持ち主だったが、それは変わらずということか。
     
    「……何笑ってんのよ?」
     
     膨れっ面の少女が俺のことを見ている。きっと彼女は、俺がかつて始まりの町で出会ったコロナモンだと気付いていない。
     
    「……いや」
     
     それがおかしくて、同時に少しだけ寂しくて。
     
    「強くなったな、そう思ってさ」
     
     ついそんなことを言ってしまっていた。
     
    「陽炎! 余所見をしている場合かな!?」
     
     俺の方を見て山雷さんの激が飛ぶ。いや俺を余所見と言うならアンタもしてますよね。
     がっぷり四つに組み合う両者の姿は、最早プロレスでも総合格闘技でもない。真正面からの純粋な力比べは人間の言うところの相撲という奴の方が相応しいように思う。山雷さんとズドモン、互いの太腿の肉が軋んで震えている。一瞬でも力を抜けば投げられる、両者ともそう考えているのか刹那の油断すら感じられず、ビリビリとした互いの殺気で見ているこちらの肌が粟立つようだ。
     ふと、山雷さんの肩越しにズドモンの顔が見えた。
     
     ──久し振りだな、陽炎。
     
     その目がそう言っているように見えた。だから自然、自分も視線で返していた。
     
     ──随分と強くなったじゃないか。ワープ進化なんてもの、俺は知らなかったぞ。
     ──まだまださ。俺はもっと強くなる……!
     
     ズドモンが勝負に出た。今まで靴底に根が生えているかのように地を踏み締めていた山雷さんの足が初めて宙に浮く。信じられない力、俺とて流石に目を見張る。少なくとも今まで俺は山雷さんが投げられる姿を見たことが無かったから。
     
    「甘いね」
     
     だけど山雷さんはそれ以上に上手だった。
     
    「コロナサンクションズ!」
    「ぐあっ……」
     
     パッと火花が散り、果たしてマットに倒れていたのはズドモンの方だった。
     いつ見ても惚れ惚れする山雷さんの必殺技、目にも留まらぬ華麗な空中殺法。浮かされることまで折り込み済みだったというわけか。敢えてピンチを演出して逆転した方が盛り上がるだろう、先輩の背中がそう語っているようだった。
     全く敵わんな、あの人には。
     
    「立ってぇ! 立つんだズドモンーっ!」
    「どいてな、段平おっちゃん」
    「あちゃこよ! いやあちゃこって言うな!」
     
     三文芝居と共に立ち上がるズドモンだがダメージは大きい。究極体の技を正面から受けたのだから当然と言えよう。
     むしろ立ち上がった時点で大したものだと賞賛したい。
     
    「やるものだね、僕の技をまともに受けて立ち上がったのは君達が二人目だよ。……尤も、一人目はそこにいる陽炎だが」
     
     三日三晩飯が食えなくなりましたけどね。
     さて、どうするか。先程と同じようにアイコンタクトでズドモンに問いかけるが、彼とて既に余裕はない。それに彼女達は全力だ、奥の手があるようには思えない。この結果は最初から見えていた。元より無理な勝負である、それでいて一切の遠慮をしない山雷さんは一体何を考えているのか。
     それでも期待している自分がいる。更に先をと促している自分がいる。
     
    「頑張れ……!」
     
     山雷さんは本気だ。次の一撃で間違いなく意識を刈り取りにかかる。
     満身創痍のズドモンに対抗できるとは思えない。きっと彼は数秒後にはマットに沈められることになる。
     だがそれでもと、拳を握り締めて彼らの奮闘を願う自分がいた。先輩である山雷さん以上に人間とデジモン、目の前で戦う彼らの姿に魅せられている自分がいた。
     
    「頑張れ……負けるな……!」
     
     彼が同輩だからなのか、人間の起こす奇跡を見たかったからなのか。
     その理由は俺自身にも最後までわからなかった。

     

    ◆ ◆ ◆

     

    「……嫌な顔を見たわね。随分ト久シ振リジャナイ陽炎クン、会イタカッタワ」
     
     嫌な顔を見た。俺ノ方コソ会イタカッタゾ。
     端的に言って嫌いな女だ。何から何まで自分と正反対の存在であるディアナモンの幻影は切り立った崖の上、その悪趣味な村の全容を見下ろせる場所で素敵な笑顔を湛えつつ、俺のことを出迎えた。
     
    「アイツらが死んで、何年になる?」
    「……さあね、数えてないわ」
     
     乾いた声。普段は楽天的この上ないふざけた声ばかり出す癖に、こうした時に幻影の口は色を失う。それが俺は大嫌いだった。
     幻影が顎で杓った先、農作業に勤しむ小柄な少女の姿がある。慣れた手付きで作物を収穫していく様は在りし日の彼女そのままだったが、掻いていない汗を拭うように額に手をやる様も荒れていない呼吸を整えるべく大きく伸びをする様も、全てがどこか機械的で、それは生前の彼女のものではなかった。
     言うなれば、屍。ただ決められたルーチンをこなすだけの、動く死体でしかなかった。
     
    「あちゃこ……」
     
     呟いていた。あの時も言葉を交わすことは叶わなかった彼女の名前を。
     あの闘技場で出会った日から何日後だっただろう。あの選ばれし子供が敗れたという噂は瞬く間に世界を駆け巡り、当然のように俺の耳にも届いていた。音に聞こえた暴食の魔王、ベルゼブモンとの戦いに敗れたのだという。彼女とヴァイクモンが並大抵の相手に敗れるとは思えなかったが、七大魔王が相手となれば致し方ないと思う自分がいた。
     けれど、それ以上に俺の心は。
     
    「陽炎クン、もしかして泣いてるの? ふふ、男が泣くなんて──」
    「……ああ、そうだな……悲しい、とても悲しい」
     
     振り返った俺の顔を見て幻影が言葉を失う様が滑稽だった。
     だが俺は何が悲しいのだろう。彼女が死んだことか? 同輩であるヴァイクモンが死んだことか? それとも自分達を超える可能性を持った者達ですら七大魔王には敵わないのだという事実を突き付けられたことか?
     恐らくは全部だ。きっとそれら全てに、俺はみっともなく絶望している。
     
    「ねえ。……キミはまだ、これでも人間を好きでいられるの?」
     
     幻影のそれは窘めるような声音。普段の嘲りに近い色はそこにはなかった。
     彼女は人間が嫌いだった。理由は知らないし興味もない。けれど彼女が昨今、目に映る人を全て殺して回り、また死者の魂を集めた村を築いたと風の噂に聞いた。碧翼の力も借りた上で作られた、人間を死して尚も辱めるこの村のシステムは、なるほど俺にとってはおぞましいことこの上ない。
     相容れない、そう思う。太陽神である俺は、どこまで行っても月神である彼女とは相容れない。
     
    「人間は無力よ」
     
     それでもいつか、そんな思いがどこかにある。それはきっと彼女も同じだから、幻影は今ここで余計なことを言う。
     知って欲しいと、世界の誰に否定されようと互いにだけは理解して欲しいと願うから。
     
    「ねえ陽炎クン、人って奴は無力なのよ。魔王を倒せる奇跡なんて起こせやしない……何が英雄? 何が救世主? 伝説に語られる魔王を倒した英雄譚なんて全部眉唾、結局人間って奴らは期待させるだけ期待させといて、最後には──」
    「見ていたのか」
     
     理由はない。けれど何故かそう思えた。珍しく熱を持った幻影の言葉は、まるで無惨に殺された彼女の末路を見てきたかのようで。
     
    「……人間なんて大嫌い」
     
     幻影は答えず顔を逸らす。それでも目尻に湛えられた涙を俺は見逃さない。
     不覚である。その姿を少しだけ、ほんの少しだけ可愛いと思った。目の前の彼女が初めて重なる気がしたんだ。片意地を張りつつも泣き虫なことは隠せなかった昔の彼女、始まりの町で共に育った俺の同輩、ルナモンのミラと。
     
    「それでも俺は、人間って奴を信じているから」
    「キミって奴は──」
     
     キッと振り返った幻影の顔には殺意があった。
     俺が彼女の言葉に苛立たされてきたのと同様、俺の言葉は紡がれる度に彼女を傷付ける。それでも俺も彼女も互いを傷付け合う関係を辞められない。オリンポスとして生きる運命を知った時から俺の見据える先には常に英雄としての、救世主としての人間の姿があったし、それはこれからも断じて変わることはない。
     俺は人間が好きだ。彼らに憧れている。それだけは決して譲ることはできない。
     
    「どうしてわからないの!? ベルゼブモンに敵う奴なんていない……あの子だって敵わずに殺されたのよ!? ミラなんかよりずっと強かった、山雷先輩にも勝ったって聞いたわ、そんなあの子ですら勝てなかった……そんな魔王に他の人間が、あちゃこ以外の人間がどうやったら勝てるって言うのよ、キミは!?」
    「幻影……」
     
     それは憎悪だった。あの少女すら勝てなかった魔王に他の人間なら勝てるかもしれないと信じ続けることは、最後まで戦った彼女に対する裏切りだと幻影は言う。ベルゼブモンに挑んだ彼女を切り捨てるのか、新しい誰かを死んだ彼女の代替として求めるのか。
     
    「ミラは……何もできなかった。アイツがベルゼブモンに殺されるのを、黙って見ていることしかできなかったんだよぉ……!」
     
     膝から崩れ落ちる幻影を抱き起こすことが、俺にはできなかった。
     だって俺は幻影をこれから更に傷付ける。それを知っていながら俺は止まらない。誰よりも知っている彼女のことを、共に育った仲間である彼女のことを傷付ける生き方しか、太陽神である俺にはできないんだから。
     
    「あちゃこのこと、お前も好きだったんだな……ミラ」
     
     それでも相容れるものが一つだけある、そう気付かされた。俺と同じだ、幻影もまた彼女のことが好きだったのだと。
     
    「陽炎クン、キミ……」
    「お前が動けなかったのなら俺も同じだろうさ。きっと俺が同じ場所にいても動けなかったかもしれない……だけど、そんな大好きなあちゃこの魂を今この場で弄び続けるお前のことを俺は許せない。その点で俺は彼女を殺したベルゼブモン以上にお前の方が憎らしい」
    「キミに……キミにミラの何がわかるの!? 世界を漂う報われない魂、それを否応なしに見えちゃうミラの気持ちがキミにわかるの!?」
    「わからないさ。わかりたくもない……でも」
     
     それでも、だ。
     彼女にだけは言いたくない台詞だ。それでも今ここで言わなければならない言葉だ。
     
    「……ありがとう」
     
     もう一度彼女に会わせてくれて、もう一度彼女の姿を見せてくれて。
     心のどこかに未練があった。あの闘技場で出会った日に声をかけていれば、山雷さんではなく俺が戦って言葉を交わしていれば、そんな後悔が長らくこの身を苛んでいた。その点に限れば、俺は目の前で死に行く彼女を見せられたという幻影と紛れもなく同じだった。ただ喪失感と後悔を胸に抱いたまま、抜け殻のように生きてきた。
     
     それを変えてくれたのは、きっと。
     
    「……久し振りに会ったアイツも、人間と出会って強くなったと言っていた」
    「アイツ……?」
     
     へたり込んだままの幻影が丸くした目で俺を見上げる。
     数日前に出会った奴がいる。見果てぬ荒野で顔を合わせた彼は、俺も幻影も知っている顔だった。最後に別れてから幾星霜、彼が果たして如何なる経験をしてきたのかはわからないが、相変わらず生意気な奴だった。相変わらず身の程知らずな奴だった。
     隣に一人の人間を伴い、彼のおかげで強くなったと宣うアイツの目は、以前と変わらない好ましい色をしていた。
     
    『待ってろよ! いつかお前とは決着を付けるからな!』
     
     誰よりも強くなろうとする目。世界一強くなりたい、男なら一度は願うその夢を願い続けた奴の目だ。
     
    「ギギ……君……?」
     
     そう、ギギモン。今は進化してグラウモンだったか。俺と幻影の共に育った最後の同期。あちゃこに選ばれたゴマモンとも、オリンポス十二神になるべく生を受けた俺達とも違う、何の才能もないと言われた落ちこぼれ。
     
    「……アイツは、強くなる……人と一緒に、強くなる……!」
     
     そう確信できた。隣に立つ人間が何者だろうと、今はまだ未熟だが必ず俺達に追い付いてくる奴だ。
     
    「ギギ君……ギギ君……っ!」
     
     幻影の目に光が宿る。自分が目を掛けていた幼年期が生きていた、今もまだ同じように強さを求め続けている。その事実は彼女にとって少なからず救いとなるだろう。
     俺としては、少し釈然としないものを感じないでもなかったが、俺だって幻影と気持ちは同じだ。とっくに死んだと思っていた同期が強くなって──まだ俺には到底及ばないが──再び俺の前に現れた。子細はわからないが、きっと彼は人と共に更に強くなって俺達と対峙することになるだろう。
     見える気がした。全ての魔王が倒され、平和を迎えたはずの世界で対峙するアイツと俺達の姿を。それは全く以って意味のない私闘、得るものなど何もない無益な殴り合い。しかしそれも悪くない。アイツがどれだけ強くなったか試してみるのも一興だ。
     根拠のない未来予知。アポロモンにはそんな力などないし、そもそも誰があの最強の魔王ベルゼブモンを倒すというのか。俺達なのか、選ばれし子供なのか、ロイヤルナイツなのか、それとも俺の知らない誰かなのか。何故かわからないが、それはアイツかもしれないと思った。それは奴の胸に刻まれた混沌を示す刻印の存在故だ。意味不明、理解不能、だがそれでこそアイツなのかもしれないという証。
     自然と笑いが零れそうになる。世界の最後の時に雌雄を決するのは同期である俺達というわけだ。
     
    世界最大の大喧嘩デジタルハザード……か」
     
     そんな時が来たとすれば、どんなに楽しいだろうな?

     

     

     

     

    【闘神の場合】

     

     久方ぶりに酒を酌み交わすのは楽しいものだ。まあ僕は飲めないのだが。
     
    「そういえば聞いたよ、山雷君とうとう負けたんだって?」
    「なんや、あんさんもいよいよ年貢の納め時なんか?」
     
     やはりその話題になるのか。最近は誰かと会う度にその話をさせられている気がする。
     
    「負けたというのは正確ではないな……未来ある若者に道を譲った、それだけのことだよ。この天才ヒグマ様は後進の者達の育成も考えているということさ。何の責任も持たず無為に日々を過ごしているケセラセラな君達とは違ってね」
    「手も足も出ずに圧倒されてリングの上で派手に犬神家にされたって聞いたけど」
    「うぐっ……な、何故それを」
    「陽炎はんから聞いたんや。あんさん相当情けない負け方しよったんやな、陽炎はんも爆笑しながら話してくれたで」
    「ほう……」
     
     あの生意気な後輩をどう締め上げようか考えていると、キュウキモンのツバメが僕の顔を覗き込んでいた。
     
    「何かな」
    「なんか楽しそうだね、山雷君」
    「……まあ否定はしない」
     
     それから僕のことはヒグマと呼びたまえ。同輩の君達の前ではオリンポスという肩書は不要だろう。
     
    「言うまでもなく僕は百年に一度の天才だが、それを超え得る千年に一度の奇跡とやらもあるのだと思い知ったよ。とはいえ、僕とてこのまま終わるつもりはない。それは僕のプライドが許さないし、何より敗北を糧に立ち上がってこその天才だ。これ以上の高みに立つには天才を超えた超天才にならねばならないからね、本来であれば君達とのんびり談義している暇など無いんだ」
    「あんさんが『ヤケ酒がしたい』って誘ってきたんやなかったか? いやあんさんは飲めへんのやけど」
    「クジラよ、過去に囚われては何も見えない。未来にこそ目を向けたまえ」
     
     怪しげなゴーグルの下でケラケラと笑うのはアサルトモンのクジラ。ツバメと共に僕の古くよりの友人だ。いや友人と言うには些か彼らはレベルが低すぎるか。何せ僕は百年に一度の天才ヒグマ様だからね、如何に始まりの町で同時期に生まれた間柄とはいえ完全体の身で満足している彼らとオリンポスに到達した僕とでは文字通り次元が違う。しかし僕ほどの天才となればそうはいないし、その僕と繋がっていることは彼らにとって決してマイナスではない。だからこそ彼らがどうしても友人でいたいと言うのなら、僕も彼らとの友情を大切にしようではないか。天才とは冷徹であると同時に慈悲深くもあるのだよ。
     
    「何ブツブツ言ってんの……?」
    「聞き流したまえ。天才は時に悩むこともあるのさ」
    「そんなに強くても悩むことあるんだ?」
    「オリンポス言うてもピンキリやろうけど、あんさんはそん中でもピンの方やろ? 一度不覚を取ったぐらいで何を悩んどんねん、今の時代人間のことなんて誰も知らんのやし、そもそもあんさんほどの強者が世界にどんだけいるっちゅう話よ」
     
     酒が回り始めたのか、珍しくツバメもクジラも言葉に熱が籠もる。
     なかなか言うようになったね二人とも。かつて強くなれる自信がないと始まりの町から出たがらなかった君らだが、その君らもまた世界に揉まれて変わったということなのだろう。そのことが僕には嬉しいんだ。僕らの間にある関係こそ変わらないが、僕だけでなく君達も強くなったんだと実感できたのだから。
     そう、だからこそ君達を呼んだのさ。そんな世界に自分以上の存在がそういない天才である僕にとって、数少ない友人である君達を。
     
    「始まりの町を出た時のことを覚えているかい?」
    「何年前の話……?」
    「懐かしいで……あの頃はワイらも若かったなぁ、あんさんとワイとツバメと……他にも何人かおったやろ」
     
     確かに同輩はもう少し多かった。けれど最終的に生き残ったのは僕らだけだ。弱肉強食のこの世界、力無き者は容易くその未来を奪われ、可能性という光を摘まれてしまう。だが僕ら三人は、ベアモンとコテモンとコエモンの三体はそんな中でも時に協力し、時に反発し合いながら生き残った。やがて僕はオリンポスとしての名を授かり、ツバメとクジラもまた完全体まで進化を果たして今を生きている。
     だから僕とツバメとクジラ、そんな三人で語らえる今こそが僕にとってはとても大切な一時ではあるのだけれど。
     
    「またあの頃のように一緒に旅をできないだろうか?」
    「旅?」
    「僕はもっと強くならなければならないからね。その為にはどうすべきか考えていた」
     
     正直に頭を下げた僕にツバメが目を丸くする。天才として恥ずべき行動かもしれないが、それ以上に僕には求めるべきものがある。
     
    「ええけど、ワイらあんさんを強くできるようなツテなんざ持ってへんで?」
    「そうだよ……ボク達、ヒグマ君より強い人なんて知らないし、ボク達と旅をしたところで強くなれるの?」
     
     その言葉も尤もだ。確かに天才である僕以上の存在などいようはずもない。つい最近まで僕もそう思っていた。
     
    「ああ、その点に関しては大丈夫だよ。安心したまえ」
     
     だが今はそう言える。いる、僕より強い者は間違いなく世界に沢山いる。
     
    「世界は広いんだ、此度のことで僕はそう確信した」
     
     だから僕は、僕より強い奴に会いに行く。

     

    ◆ ◆ ◆

     

     恐らく僕が僕でなかった頃。つまり“前のマルスモン”は、人間と関わって強くなったとされるデジモンに一度だけ出会ったことがある。転生前の記憶や意識が残されていることは稀と言われているが、天才である僕にとっては造作もないことなのさ。
     オリンポスという高みがそうさせているという説もあるが、僕はとにかく天才なのさ。
     
    『アンタがオリンポスって奴かい?』
     
     出会った彼の最初の言葉は、少々不躾だった。
     ロイヤルナイツ、僕らオリンポスと並び称されるこの世界の英雄。それに属するとされる聖騎士型デジモンとそのパートナーである少年と、当時のマルスモンは出会った。面倒だし一人称は“僕”で統一するが、とにかく当時の僕はロイヤルナイツという奴に出会ったことがなかったから、興味津々で彼らと語らったと思う。
     
    『君達は噂に聞くロイヤルナイツとは違うようだ』
     
     それが第一印象。少年と共に在る薄汚れた漆黒と鎧を纏う聖騎士は、少なくともその時点で確認されていた幾名かの聖騎士とは違って見えた。
     皆の願いを背負い英雄として誕生したオメガモンとも、風のように世界を駆け抜けた少年と共に戦ったマグナモンとも異なり、その聖騎士は誰かの思いや明確な意思を背負って存在するのではなく、ただ自然に在るがままに今この世界を生きている、そんな印象を受けた。
     空白の席の主。以後、ロイヤルナイツの中から名前を消す黒衣の騎士アルファモン。既に彼と少年が自らの信念を懸けて戦い、敗れた末の落ち武者なのだということに、当時の僕は気付かなかった。
     
    『確かに違うかもしれない。俺達はもうナイツであることに疲れたんだ』
    『辞められるのかい? ロイヤルナイツというのは随分とホワイトな組織なんだね』
     
     多分に挑発の意味合いを持った嘲りの言葉。けれど彼が斬りかかってくることはなく。
     
    『さてな。同じロイヤルナイツの仲間のことなど知らないし、イグドラシルは聖騎士としての責務を放棄した俺達を許さないだろう』
     
     それでも、そう彼は付け加えた。
     アルファモンの姿が光に包まれ、次第に小さくなっていく。彼が自らの力を捨てたのだと理解した時には、そこには隣の少年と変わらぬ大きさまで退化した彼の姿が在る。ラプタードラモン、ありあまる力を拘束具でセーブした成熟期デジモン。
     そして次の言葉は、果たしてラプタードラモン自身の言葉だったのか、それともパートナーである少年の言葉だったのか。
     
    『ロイヤルナイツでなくても、世界は守れるからな』
     
     その言葉は幾度か転生を繰り返した今でも、ハッキリと覚えている。
     事実、彼は後に止めてみせたから。三大天使と魔王の激突に端を発する天使族と悪魔族の大戦争。いつ果てるとも知れない、世界を滅亡にまで追い込むのではないかと言われた二つの種族間の絶滅戦争を、彼は一人の人間の少女と共にアルファモンではない姿で止めてみせたからだ。
     だから僕も考える。ロイヤルナイツとかオリンポスとか、そんな地位とは関係ない本当の強さという奴を。
     
     未だ誰も到達したことのない、電脳世界の頂点を。

     

    ◆ ◆ ◆

     

    「アンタ達がいなくなったら闘技場はどうなるんだいいいいいいいい」
     
     翌朝、アルケニモンがキャラ崩壊レベルで絶叫していた。
     
    「世話になったね二人とも、また会おう」
    「旦那の方も息災で……」
     
     対するマミーモンの方は冷静である。陽炎もまた修行の旅に出たということだから、この闘技場は二枚看板を一気に失うことになったわけだが、彼としては他に客を呼び込む当てがあるのだろう。僕とて二度と戻ってこないつもりはないので、ギャアギャア騒ぐ彼の妻には落ち付きたまえと言ってあげるべきかもしれない。
     今の僕は成長期だ。かつて旅をしていた頃に手に入れた戦利品、使うことはないと思って備蓄したレベルリバースなる代物を食して、僕は在りし日の姿へと舞い戻っていた。
     
    「うわぁ……なんか懐かしいね」
    「ワイらまで若返った気分やで」
     
     目を輝かせて言う二人も似たようなものだ。
     コテモンのツバメとコエモンのクジラ、かつて始まりの町で共に育った僕の大切な友人達もまた成長期の姿だ。こうして三人で並んでいると遠い過去の思い出が脳裏に蘇ってくる。世界はもっと光に包まれていると思っていた、もっと優しさに満ちていると思っていたあの頃の記憶が。
     
    「これで僕は名実共に山雷ではなくヒグマというわけだ」
    「ボクらにとってヒグマ君はヒグマ君だよ?」
     
     ツバメの言葉は嬉しい。だが世には僕をオリンポスの山雷という“器”で見る者が大勢いるのさ。
     
    「……で、どこに行くんや? まさか成長期三人で行く当てのない旅ってわけやないやろ」
    「そのまさかだよクジラ。進化した僕らにとっては難なく往来できた旅路を敢えて成長期で行く……これに勝る修行はないだろう?」
    「あ、あんさん正気か!? ワイもフックモンからアサルトモンに進化した時、何度か慣れずに溺れかけたわけやけど、今のワイらは進化やなくて退化しとるんやで!? それで完全体やら究極体やらと同じ行動を取ったらあっさり死んでまうがな!」
    「それが修行なんだよ、天才でない君達にはわからないかもしれないが」
    「……うん、無理だよクジラ。こうなったヒグマ君は誰にも止められないもの」
     
     苦笑するツバメが取り持ってくれた。クジラも呆れ顔で「はいはい」とぼやいている。
     これだから、彼らとの友人関係は辞められない。

     

    ◆ ◆ ◆

     

     なるほど、自惚れていたのかもしれない。
     いざ成長期の姿に戻って数ヶ月、果たして電脳世界とは生きるだけで危険の連続だった。マルスモンからすれば何ら苦境としない川も森も砂漠も、成長期の身空では容赦なく自分達を苦しめる災害にすら感じられた。究極体の身体能力に感けてきたことを改めて痛感させられる。
     ツバメとクジラもよくついてきてくれている。少なからず侮っていたが、彼らは彼らなりに研鑽を積んでいたということだろう。
     
    「……ふむ。今日はこの辺りで休むとしようか」
    「ええ? ボクもう野宿は嫌なんだけど……」
    「ワイもたまにはフカフカのベッドで寝たいで!」
     
     前言撤回、やはり情けない二人だ。だがどうしたものか、こんな密林に宿などあるまい。
     
    「待てよ? 確かこの近くに……」
     
     周囲を見渡しつつ地図を広げる。別段マッピングしているわけでもなかったが、曖昧な記憶ながらどこかで見聞きしたことのある森だ。獣道ができているということは誰かの往来がないわけでもないのだろう。
     しばし考えて得心する。ここは森羅の経営する料理店の近くの森だと。
     
    「へえ、あんさんのお仲間がこの近くにレストランを……なんでそないなこと、はよ言ってくれへんかったんや」
    「でも今のヒグマ君のこと見てわかるの?」
     
     確かに今の僕はオリンポスではなく一介の成長期でしかないが。
     
    「天才のオーラというものは隠し切れないものだよ」
    「そういうものかしら」
     
     さてはツバメ、君は信じていないな?
     獣道を行きながら考える。森羅とは久しく顔を合わせていないが、最近は元気でやっているのだろうか。成長した彼女の剣技は僕とて驚かされるものがあったとはいえ、いつだったか滞在していた村を魔王に滅ぼされたと聞いたが。
     そんなことを考えていると、先頭を歩いていたクジラが何かにぶつかった。
     
    「痛っ! な、何やねん……なんでこないなところに壁、ルゼブモンーっ!?」
     
     そこにあったのは壁ではなく、音に聞こえた七大魔王の一人であった。
     
    「ちっ、ガキどもが」
     
     痩躯の魔王は相手をするのもうんざりといった表情で僕らを見下ろした。
     
    「……何身構えてやがる、俺はテメエらガキどもになんざ興味はねェ」
     
     そうは言うが音に聞こえた七大魔王の一人だ。少なくとも天才ではないツバメやクジラからしたら雲の上の存在を前にして死の恐怖を覚えないはずもない。
     
    「流浪の魔王が何故こんなところにいるのかな?」
    「あん……?」
     
     故に魔王本人も目を丸くする。成長期の身で何ら引かずに話しかける僕の姿には。
     
    「何者だ、テメエ」
    「まずは質問に答えたまえ、君の軽そうな頭でもその程度のことは理解できるはずだが」
    「ガキの癖に言うじゃねェかよ……?」
     
     伸びてきた魔王の手が僕の首を鷲掴み、高々と持ち上げる。
     後ろのツバメとクジラが息を呑む音が聞こえたが、気にすることではない。
     
    「ガキではないよ。僕にはヒグマという立派な名前がある」
    「さっきも嗅いだ匂いがすんな。この獣臭ェ匂い……あの飯屋の連中の同類ってわけか」
    「森羅か。彼女の料理はなかなか美味だっただろう?」
     
     真っ直ぐと魔王の顔を見据える。真紅に輝く額の第三の瞳は、どこか蠱惑的にギラギラと輝いていた。
     
    「連中は弱かったぜ」
     
     それは挑発だ。僕の首を絞め上げる腕に力が籠もる。
     
    「人間がどうとかそれを倒した俺を許せねェとか、そんなことばかり言ってやがった。……ンなことはどうでもいい、問題はこの俺に勝てるかどうかだ。オリンポスだ何だ言ったところで、俺に勝てなきゃ意味がねェ、殺してきた人間どもと変わりゃしねェ弱者だ」
    「……奇遇だね。僕もまた人間がどうだ選ばれし子供がどうだと、そういうことに別段興味はない」
     
     ゆっくりと、だが明瞭に言葉を紡いでいく。
     引く気は無い。成長期の今の姿では敵わずとも、天才である僕の在り方が誰かに劣ることなど有り得ない。
     
    「けれど一つ勘違いをしている。君はただ、人間を殺しただけで勝ったわけではない。たとえ何人の命を奪おうと、君の生き方では永遠に人の子に勝つことはできはしない……空虚なんだ、君は」
     
     風の噂に聞き及んでいた。僕を倒した少女が目の前の魔王に敗れたということは。
     そのことに別段思うところはない。だが不思議とベルゼブモンを前にして僕の心は滾っているらしかった。彼女がこんな魔王に敗れるはずがないと、根拠のない苛立ちが沸々と心の底から湧き上がってきているのがわかる。
     故に恐れはない。僕は成長期のまま、成長期だからこそ、最強の魔王と対峙できる。
     
    「なかなか言いやがるな、俺をガッカリさせやがった飯屋の二人とは違うみてェだ」
    「……彼らは僕ほどの天才ではないというだけだよ」
     
     それは事実だ。
     それでも、そうだとしても、僕の仲間である彼らが魔王風情に罵倒される謂われは無い。
     
    「俺が人間に敵わねェと? 俺が人間に及ばねェと? 数え切れねェ数のガキどもを殺してきた俺がか?」
     
     爪をカチカチと鳴らし、嘯く姿は滑稽だった。
     これ以上魔王に語る言葉を僕は持たない。それはベルゼブモンに殺された人間達への愚弄にもなると知っているからだ。それでも祈らずにはいられない。魔王に挑み散っていった、たとえ殺されても心までは屈しなかったであろう強き者達に、せめてもの魂の冥福を。
     だからせめて一言だけ。魔王への最大の侮蔑と死んだ者達への最大の賛辞を。
     
    「……君は人間より人間らしいね、見るに堪えないという意味だが」
     
     突き刺さる魔王の殺意。さしもの僕とて刹那の死を覚悟する絶対の殺意。
     だが真実だ。人間を弱き者と断じながら喜んで命を奪う姿は蟻の群れを踏み潰して楽しむという人の子と何ら変わらない。弱肉強食の戦いこそが全てのこの世界において、ただ嬲る為の戦いをもたらすベルゼブモンは、この世界において紛れもなく異質であった。
     故に人間。人の存在を否定する魔王の在り様は、その実それ以上に人間らしく、そして何よりも醜悪だった。
     
    「……ここで成長期のテメエと問答しても何にもならねェな」
     
     吐き捨てるように言いつつ、魔王は僕の体を放り投げた。
     
    「優しくしたまえ、僕はこう見えてひ弱なんだ」
    「ほざけよ」
     
     軽く尻餅を付いた僕を一瞥しながら、ベルゼブモンは笑ったように見えた。
     やがてそれ以上の言葉は不要だと言いたげに魔王は踵を返す。ドッと息を吐いたツバメとクジラはその場にヘナヘナと座り込んでしまうが、天才である僕は違う。その後ろ姿から目を離せない。
     去り際、魔王は首だけをこちらへ向けて言う。
     
    「さっきの質問は訂正してやらァ……何者だ、とはもう問わねェ」
     
     次に会う時は殺す、額の目がそう告げていた。
     しかしそれは不可能だと言ってあげよう。確かに純粋な力比べをすればパワーもスピードもそちらの方が上だろう。正面から戦えば命を絶たれるのはこちらかもしれない。だが彼の空虚な生き様では、僕の在り方までは奪えない。魂の籠もらぬ拳では、僕の信念までは砕けない。
     そう、だから負けるのだ。彼は、彼らは、永遠に人という奇跡に敗れ続けるのだ。
     
    「……何モンだ、テメエ」
    「マルスモン」
     
     迷いはない。問われているのはヒグマという“個”ではなくマルスモンという“器”だ。
     
     あと多分OYAJIでもない。
     
    「オリンポス十二神が一、マルスモンの山雷だ。……いずれ必ず相見えよう、暴食の魔王」
    「……楽しみにしてるぜ」
     
     森の奥へと消えていく細い背中。
     いずれ決着を付けることになるだろう魔王の姿を、僕はいつまでも見つめていた。

     

    ◆ ◆ ◆

     

     数日後、ようやく辿り着いた料理店は、側壁に大穴が開いた酷い惨状だった。
     ベルゼブモンが暴れたのだろうかと思い、その穴から店内を覗き込むがそこには誰の姿も見えない。魔王の口ぶりからして、森羅や青海に直接の危害を加えた様子ではなかったが、彼女達はどこに行ったのだろうか。
     そんなことを考えていると。
     
    「もしかして山雷さん……ですか?」
    「ヒグマと呼びたまえ。そう言う君は森羅か?」
     
     背後からかけられた声の主は、可愛らしい容姿の成長期デジモン。
     
    「えっ、この小さい子がヒグマ君の仲間なの?」
    「ワイらと大して変わらんように見えるで……」
     
     ツバメとクジラが驚くのも無理はない。同じ成長期の君達も大して変わらないのだがね。
     
    「山雷さんのお知り合いですか? 初めまして、バーガモンの森羅です」
    「ヒグマはんと違ってえらい丁寧な御人やなぁ」
     
     とはいえ、恭しく頭を下げる姿を見ればそうもなるだろう。
     バーガモン。ミネルヴァモンである森羅が成長期だった頃の姿だ。奇しくも今の僕もまた成長期のベアモンであり、僕らは幾年ぶりかに互いに初めて出会った頃の姿で再会を果たしていた。とはいえ、天才である僕はそう簡単には変わらないが、かつて未来に思いを馳せて爛々と輝く瞳をしていた成長期の頃の彼女の姿はそこにはなく、穏やかながらどこか沈んだ目は彼女の辿ってきた苦難の道と、それによる世界への諦観を感じさせた。
     そう。あの頃の彼女は、僕が山雷でなくヒグマであったように──僕は今でもそう自称し続けているわけだが──森羅でなかった頃の彼女は、もっといい目をしていたと思う。
     
    『私は力無き者を守る盾で在りたい……皆を守れる、そんなオリンポスになりたいんです』
     
     そう言っていた。
     
    『小さな私の手では限界があるかもしれません。でも私の手の届く場所、目に見える範囲でだけは、誰も死なせたくない……誰も泣かせない、そんな世界を作りたい……!』
     
     そうも言っていたと記憶している。
     だから手を伸ばすのだ。手の届く全てを守る為に、目に映る全てを救う為に。
     そんな甘い世界を夢想していた彼女は、今この場にはいない。いるのは世界の現実を前に擦り切れてしまった哀れな夢の残骸だけだった。僕が山雷ではなくヒグマを名乗るように、本来なら森羅でなく別の名前、全てを救える者で在れと願う名を名乗っていた彼女は、もうこの世界には存在しない幻だった。
     聞けばベルゼブモンによる直接の被害は無かったらしい。だが自らの力の無さと森羅の諦めにも似た態度に失望し、青海は出て行ってしまったという。森羅自身もまた自らの進むべき道を見据えながら──僕と同じように成長期に退化していたのは、そういうことだろう──その一歩を踏み出せないまま、今もこの場に留まっていた。
     
    「私達では、魔王には勝てないんでしょうか」
    「……どうだろうね」
     
     ふざけたことを言う。森羅よ、君の中ではとっくに答えは出ているのではないかな?
     
    「天才である僕は負けるつもりはないが、凡才の君では無理かもしれないね」
    「言って……くれますね」
     
     いい顔だね。安い挑発だったが、闘志に火が付き始めたようだ。
     
    「私だって、もう負けるつもりはありません……もう二度と、魔王にあんなことはさせたくないから……!」
    「ならば来るかい? 同志である君と切磋琢磨できるのなら僕としてもありがたいが」
    「いえ、それはお断りしておきます」
     
     即答だった。頼もしさもあるが、少しだけ落胆する自分もいた。
     
    「ヒグマ君フラれたね、ふふふ……ふごっ」
    「黙っていたまえ」
     
     それが真実だとしてもツバメ、少なくとも君に茶化される筋合いはない。
     
    「私は私のやり方でもう一度高みを目指します。……ですが、来たる時が来たのなら」
     
     拳を突き出す森羅。それに僕もまた拳を合わせた。
     
    「ああ、集おう。オリンポスの名にかけて」
    「山雷さんと私、それから陽炎君と幻影さんと青海君と碧翼君……」
     
     改めて言葉にされると、オリンポスも大概人材難だ。
     今この場で頼りになると言えるのは僕と陽炎ぐらいか。まあ目の前の頼りない少女も含めて全員に見込みはある、そう思うことにした。先代の六名がどの程度の強さだったかは知らないが、当代もまた今は原石だが磨けば光る可能性ぐらいはあるだろう。
     先だって顔を合わせた暴食の魔王のことを思い出す。あまりにも強すぎる彼ともう一人、長らく眠りに就いていると言われる最後の魔王、傲慢のルーチェモン。近い将来、彼ら魔王と僕らオリンポスが相見える時が必ず来る。その時までに力を蓄えなければと考えているのは僕だけではない。それを知ることができただけでも、今こうして森羅と出会えたことに意味はあった。
     だから告げてみた。もう呼ぶことはないはずだった彼女のもう一つの名前を。
     
    「また必ず会おう……ヘカトン」
    「……山雷……さん、その名前は、私にはもう……!」
    「君の名だ。僕が山雷の前にヒグマであるように」
     
     ハッキリと告げる。迷う彼女を嗜めるように、進む道を指し示すように。
     陽炎も幻影も碧翼も森羅も青海も、そして山雷も、それらは全てオリンポスとして与えられた“器”としての名でしかない。僕らはオリンポスである前に僕らだ。泣き、笑い、この世界を生きてきた皆と同じ一個の生命体だ。なればこそ自らの名前を忘れてはならない、自らが胸に抱いた本当の夢と願いを失ってはならない。
     
     だからヘカトン、君も思い出せ。
     
     そして立ち上がるんだ。強き者であるひぐまに憧れた僕のように、こう在れという願いを込めて名付けられた君の名前もまた、君自身に無限の活力を与えてくれるはずだ。暴食の魔王に蹂躙されて身も心も傷付いた君だが、同じオリンポスとして僕は必ず再び立ち上がれる日が来ると思っているよ。
     故に言う。先日ベルゼブモンに答えたのとは逆の言葉を。
     
    「僕はヒグマ、マルスモンのヒグマだ。……君ももう一度、思い出すといい」
     
     君にも“個”としての名前がある。もう思い出せない昔、授けられた誰かの願いが必ずある。
     
     誰かを救える腕で在れ。
     誰かを守れる壁で在れ。
     
     数多の豪腕と巨体とを併せ持つ、百腕巨人ヘカトンケイルのように。

     

     

     

     

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