White Rabbit No.9 庭 – Ⅰ/スーサイド・ファンクラブ

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     もし光が闇で

     闇が光なら、

     月は黒い穴だろう、

     夜のきらめきの中で。

     烏のつばさが

     錫のように白いなら

     こいびとよ、あなたは

     罪よりも汚れているだろう

     

    ──ロス・マクドナルド「さむけ」

     

     

     その墓所は、国道沿いのライブハウスのそばにあった。

     あるいは、そのライブハウスは、国道沿いの墓地のそばにあった。

     その国道は地方都市にならおよそどこにでもある、軽い上り坂になった道で、往来はそこまで激しくないが、近所では一番の危険地帯だった。歩道を上っていると、向こうから自転車に乗った学校帰りの中学生や高校生が9ミリパラベラム弾のように降ってくるのだ。

     重い自転車のペダルを押して、ちょうどその坂を上り切りると、今度は自分が弾丸になる。弾倉に弾を込め、装填して、引き金を引こうか、というころになって、そのライブハウスは見えてくる。

     古い三階建ての建物で、一階がガラス張りになっている。その一階は貸し物件になっていて、毎年秋くらいになると、スケートボードの専門店やら西海岸のファッションが売りの服屋やら、ブラジリアン柔術の教室やらが入っては、半年程度で消えていくのだ。

     肝心のライブハウスは建物の端にある階段を昇っていくとある。二階は事務所と楽屋になっていて、三階がステージだ。ぎゅうぎゅう詰めにしてなんとか100人程度が収まるような小さなライブハウスで、それでも町にただ一つのライブハウスだった。ツアーバンドが来ることなんてなかったけれど、月に3度か4度、地元のバンドによるライブがあった。

     

     今思うと、あれは正規のイベントではなかったのだろう。年の初めに「天使の日」が起きて、すぐの夏だった。高校はずっと休みで、テレビをつけてもACジャパンのコマーシャルばかりが流れていた。コンビニエンスストアでは平時の10倍以上の値段に跳ね上がったペットボトル飲料の棚が、それでもいつもからっぽだった。首都から遠く、遠く離れた東北の田舎町では、それがリアルな「世界の終わり」の限界だった。

     空から東京をはじめとした全世界の主要都市に降り注いだという七本の槍の映像は、僕にはできの悪いコンピューター・グラフィクスにしか見えなかったし。それと同時にやってきた異世界からの移民を名乗るモンスター達についてのニュースは、まる二日泥水に浸した上でテナガザルに書き写させたアーサー・C・クラークの小説の筋のようだった。

     ともあれそれは現実だった。不思議なほどに現実だった。サイファイ小説未満の現実の中で、彼らと人類は16の戦争をし、そしてすべて彼らが勝った。

     

     ●

     

     だからそんな中で、ライブハウスだけが当たり前に営業できるわけもない。やはり勝手に行われていたフリー・ライブだったのだ。だって僕は受付でチケット代の一つも求められたことはなかったし、PAの小太りの女の子は惨めなほどに段取りが悪く、それでも異様なまでの熱量を持って仕事に当たっていた。

     そんなわけで、やることもやりたいこともないティーン・エイジャーの僕は、あの夏じゅうライブハウスに通い詰めていた。
    今思いだしても、そこは奇妙な空間だった。バンドマンたちは皆ラディカルで、何らかの主義や主張をもってステージに上がっていた。演奏がうまいバンドは一組もいなかった。

     

     あるバンドは、人類の誇りのため、武器を持って彼らと戦え、と言っていた。

     あるバンドは、彼らこそ完璧な存在だ、人類は終わった、と吐き捨てた。

     あるバンドは、審判の時が来たから、ナントカ様の教えの下でともにハッピーになろう、と歌っていた。

     

     

     彼らは皆バラバラのことを言って、それでもステージを降りると仲がよさそうだった。自分たちの主義とは真逆のことを言う相手の音楽に首を振り、ライブが終わると一缶2000円するビールを皆で分け合い、同じ女の子とかわるがわるホテルに入った。

     そして不思議なことに、彼らはみんないつだって自殺の話をしていた。

     でもそれだって、考えてみれば不思議でもなんでもないのだ。スマートフォンを開いて、インターネットを覗いてみれば、そこは進行中の世界の終わりについてのニュースや言説で溢れていた。そこには、なにがしかの思想のために人を殺してもいいくらいの勢いの人間か、そんな人間に冷や水をかけて遊んでいる人間しかいなかった。自分で何かを考えてみようとしても、僕らが思いつくことは、どこかの歳を取った誰かが、はるかに気の利いた言い方で表明していた。

     だから、僕らに残されていた気の利いた選択は、誰かの言葉を自分の言葉だと思いこんでいい気分になるか、7月の夕暮れ時にひぐらしの声を聞きながら首を括るかのどちらかだった。そして、どちらを選んでも大差はなかった。それが、僕らの世代だった。

     そして、そんな名前のつけようもない世代の澱が生んだ奇妙な自殺同好会の中に、16歳の僕はいた。

     

     

     ●

     

     

     僕は16歳で、ライブハウスに集まった皆よりも2つか3つ幼くて、それだけで、皆からほとんど無視に近い扱いを受けていた。時々、つまらない思想を年下の少年に語って聞かせて気持ち良くなりたい誰かが近寄ってくることはあったが、それもすぐに他の誰かに止められた。

     

     

    「やめろよ、老害っぽいぞ。そういうの」

     

     

     僕への話が説教臭さを帯びてくると、すぐにそうやって制止が入るのだ、興をそがれた語り手は赤面して、もごもごと詫びを言って去っていく。たしなめたほうも僕に一言謝って、シャーリー・テンプルをおごってくれるのだった。「老害っぽくなりたくない」ただその一点に関して、彼らは夜明けの国境線を吹き抜ける風のように高潔だった。

     そんな彼らの高潔さのおかげで、僕はいつも一人だった。そして、それを大して寂しくも思っていなかった。もとより誰かと話しに来たわけでもないのだ。かといって音楽を聞きに来たわけでもない。世界の終わりに際するインターネットの狂熱に疲れて、誰かが自分の顔で物事を語っている場所が恋しかっただけだったのだ。

     それに一人も悪くなかった。変なしがらみがない、ステージの上の誰かのゴキゲンをうかがう必要もない。バンドの演奏や曲が気に入らなければ、人目をはばからずに演奏の途中で出ていける。いつでも抜け出して、ライブハウスの外の階段に腰掛けることができるのだ。そうして夏の暑さに汗を垂らしながら、スマートフォンを開いて人々の声を覗き、死にたいな、と思うことができるのだ。

     16歳の7月のある日もそうだった。シンガーは「No Woman No Cry」を歌っていた。ギターはうまかったが、歌は絶望的にヘタクソで、僕は撤退を余儀なくされたのだ。

     階段に腰掛けて、しばらくぼうっとして、いつものようにスマートフォンを開きかけた僕の首に、不意に冷たい何かが振れた。びくりと体を震わせて、振り返る。

     

     

    「ねえ、きみ」

     

     

     そうだ。彼女はそうやって、背後から僕に話しかけたのだ。チャコール・グレイのタートルネックを着ていて、切りそろえた前髪は、汗を含んで彼女の額に貼りついていた。

     

     

    「えーと、そのね、さっきの人、歌った後、皆にドリンクくれた、っていうか、その、おごってくれたんだ。だから」

     

     

     そうして、彼女は表情をころころ変えて言葉を吟味しながら、僕に向かってシャーリー・テンプルの入ったプラスチックのカップをぼくに差し出した。

     

     

    「2人分貰ってきたの。でね……」

     

     

     時々、あの日に彼女と出会わなかったら自分がどうなっていたかを考える。そういう時に思い浮かぶのは、決まって深夜三時の寝室だ。その日の僕は何かとても憂鬱なことがあって、気分を晴らすためにいつもの倍くらいの金をかけて夕食を食べ、熱い湯を張った湯船に浸かったのだ。けれど全然気分は変わらず、僕は腕を顔の上に乗せて寝そべっている。

     そろそろ窓の外で、汽笛が鳴るはずだ。僕は思う。近くに線路なんかない。でも僕は信じている。どこか遠くで汽笛が鳴って、僕の心も、地球の裏側の戦争も、世界の果ての涙の一滴に至るまで、皆をたすけてくれるのだ。

     僕はそれを寝そべって待っている。でも汽笛は鳴らない。僕は信じている。それでも汽笛は鳴らない。ただ、魂の暗闇があるだけだ。

     

     

    「いつもここでなにしてるのか、聞いてもいい?」

    「……」

    「あれ、微妙? えーっと、あ、順序違ったかな」

     

     

     くるくると表情を考えながらしばらく考えて、、彼女は全てを仕切りなおすように顔を再び明るくした。

     

     

    「そうだ、きみ、名前は?」

    「……ハルキ。染野春樹」

    「ふうん。じゃ、なくて、いい名前だね」

    「……」

    「あ、えっと!」

     

     

     そう声を張り上げて、彼女は僕の顔を覗き込んだ。

     

     

    「わたしは、つばめ。よろしくね」

     

     

     彼女はそう言って、にこりと笑った。

     16歳の7月、僕とつばめの、交際143日前の午後だった。

     

     ●

     

     つばめは僕と同じ16歳だった。そして、少なくとも僕にとっては、ものすごい美人だった。あどけなさをほとんど捨て去ることのないままにのびのびと弧を描く眉を筆頭に、顔を構成するすべてのパーツが丸みを帯びているように見えた。背たけは同じ歳の大抵の女の子よりもずっと高かったが、その顔のおかげでずっと幼く見えた。

     彼女は大体いつもチャコール・グレイのタートルネックを着ていた。ときどきはそれ以外のもの──麻をくすんだグリーンに染めたシャツを着てくることもあったが、その時もボタンを首元まで止めていた。真夏の、熱気に包まれたライブハウスではそれはきっと暑かったろう。じっさい、彼女は音に合わせて頭を振ったりするときはいかにもやりづらそうにしていたし、一つのバンドのショウが終わるたび外に出て、汗をだらだら流しながら、それを見かねたスタッフに渡された氷水を飲んでいた。

     そして、彼女はあまり頭の良くない女の子だった。正確に言うと、頭の回転の遅い女の子だった。

     何かをしながら何かを考えるというのがほとんどできないのだ。電話をしながら予定について話し、その予定をカレンダーに書き込む、ということができない。電話を終えて一息つき、それからカレンダーを取りだしてそこに刻まれた未来の日々に1日1日思いを馳せ、そしてようやっと日程を書き込む。2つか3つ記憶違いや書き忘れをしてもよさそうなところを、彼女は持ち前の清教徒的な律義さで補っていた。

     彼女は頭が良くない女の子で、それ故にバンドマンたちの歌うことを誰よりも真剣に聞いて、考えていた。いつも最前列で、ステージとの間に渡された黒いバーに寄り掛かって、まっすぐにボーカリストの口の動きを追っていた。

     そうして、演奏が終わって、バンドマンが楽屋から出てくると、彼女は彼らに駆け寄っていって、一生懸命に感想を語るのだ。思考を巡らせて表情をころころさせながら、一つ言葉を吐きだした後、すぐにまたそれを引っ込めて、表情をころころさせはじめる。

     彼女のそういうところは、多くの場合、相手をいらいらさせた。16歳の女の子は彼女の他にいなかったし、もっとちやほやされていてもおかしくなかったが、彼女のそういうところのせいで、いやらしい目線で見られることはあまりなかったし、そういうことに関する知識もほとんど無いようだった。バンドマンたちはみんな演奏を終えて、これから女の子をひっかけようというところなのだ。そんな時に自分の楽曲のメッセージに関するおよそ的外れな考察をじっくりゆっくり聞かされては、うんざりするのも無理はなかった。

     だけど、そんな百面相を伴った思考の果てにつばめが吐き出す言葉は、彼女の言葉はそのすべてを補って余りあるくらいに素敵だった。それはあるいは、彼女が何も知らなかったからかもしれないけど。

     それでも僕は、まず最初に彼女の言葉に恋をしたのだ。

     

     ●

     

    「デジタル・モンスター」

     

     交際85日前の午後。僕が呟いたその言葉に、つばめは顔をあげた。彼女は階段に腰掛けた僕の一段上で、自分の膝を抱きしめてしゃがみこんでいた。こうするとぼくたちの目線はちょうど同じ高さになるのだ。

     

    「なに?」

    「デジタル・モンスター、略してデジモン。向こう側からやってきたやつらが名乗ってた名前だよ。16番目の戦争が正式に終わって、国連と彼らの間でいろんな取り決めがされた。それにあわせて、彼らの使ってる名称を正式に使うことになったんだってさ」

     

     そう言って僕はスマートフォンに表示されたニュースサイトを示した。つばめはスマートフォンを持っていなかった。というより、何も持っていなかった。彼女が自分で金を出して何かを買うのを、僕は一度も見たことがなかった。いつも手ぶらで、財布の一つも持っていないのだ。

     

    「でじたるもんすたあ、かあ」

     

     つばめは僕の示した記事を興味深げにゆっくりと呼んで、最後にそう呟いた。でじたるもんすたあ、ひらがなでゆっくりと一文字ずつ区切ったようにそう言われると、それはなんだか異国のバザールで売られている、奇妙な形の玩具の名前のように聞こえた。

     

    「えーっと、その人たちは、機械、なんだっけ」

    「曰く、電子生命体、らしいよ」

    「それって、なに」

    「知らない」

    「そっかあ」

     

     息をするのも暑い夏だった。陽の光が肺に入り込んで、空気のやりとりをする細胞の一つ一つをじりじりと焼いているような、そんな暑さだった。

     

    「その人たち、みんな姿はばらばらなんだよね?」

    「そう。でも二種類に大きく分けられる」

    「二種類?」

    「悪魔と、機械」

     

     それが彼らの姿だった。悪魔の集団と、機械の集団。彼らはそれぞれ派閥が違うらしく、大して仲もよくないようだった。

     

     ●

     

    「他にもいろんな姿のモンスターがいるが」

     

     ニュースの中で、記者団に対して真っ赤な顔に黒いラインが入った悪魔が言っていた。

     

    「この世界に興味があったのも、そしてその興味を行動に移す力があったのも、我々《ウルド・コレクティブ》と、かのマシーン達《スクルド・カンパニー》だけです」

     

     ●

     

    「アクマと、キカイ」

     

     つばめは口の中でそれをゆっくりとかみ砕いていたようだった。

     

    「どっちも怖いもの」

    「え?」

    「どっちも、怖いものだよ」

     

     つばめはなんだかすごいことを思いついたかのように僕の方を見た。

     

    「別にすごくないよ」僕は肩をすくめた。

    「機械も悪魔もそりゃある意味では怖いけど、別にそれだけが特別ってわけじゃない。機械なんて、便利なもののイメージが強いし」

    「でも、えーっと」

     

     つばめはさらに頭をひねる。何としてでも自分のアイデアをぼくに認めさせないと気が済まなくなったようだった。そうして、しばらく、長い時間のあとに、彼女はぱっと顔を輝かせた。

     

    「過去と未来だよ」

    「今度は何」

    「だから、悪魔と機械のこと」彼女は指を二本立てた。

    「過去のことを考えるとき、私たちは悪魔に怯える。未来のことを考えるとき、私たちは機械に怯える」

    「飛躍しすぎだよ」僕は言った。「それに、だから何って話だし」

    「うーん、うーん」

     

     頭を抱えはしたが、今度は彼女はそこまで悩まなかった。

     

    「だからさ、人って怖いものを無視しようとするじゃない? 見たいものだけを見て、見たくないものは無かったことにする」

    「ふむ」

    「そうして私たちは怖いものを隠し続けた。なんていうか、世界の盲点みたいなところに」

    「世界の盲点、ときたか」

    「でもそこにもきっと限りがあったんだよ。人があんまりにも色んなものに怯えて、怖いものをぎゅうぎゅうにつめこんだから、ぱん、って弾けちゃったの」

    「その結果が、今であると」

    「そう、私たちは私たちが忘れようとしたものによって、終わりを迎えるのだ」

     

     勿体ぶった口調で話を結ぶと、つばめは得意げに鼻を鳴らして僕を見た。

     

    「やっぱりさっきの話の解決にはなってないよ」僕は言った。

    「悪魔と機械である必要はない。機械が未来的であるというのは百歩譲って分かるにしても、過去への恐怖は悪魔に限定できないんじゃないかな」

     

     つばめはわかりやすくむっとした。

     

    「じゃあ、他にあるの? 怖いもの、言ってみてよ。だいたいさっきから、私ばっかり考えてるし」

     

     その問いに僕は空を見上げた。世界が終ろうとしているというのに、入道雲はどこまでものんきに、その巨大な首をもたげていた。

     

    「天使、とか」

     

     僕はぽつりとつぶやいた

     

    「天使?」つばめは目を丸くした。

    「天使が怖いの?」

    「怖いだろう。人に羽が生えてるんだよ」

    「綺麗だと思うけどな」

    「実際に見たことないからそんなこと言えるんだ」

    「染野くんは見たことあるの?」

    「ない」

     

     僕が憮然とした顔でそう言うと、つばめはけらけらと笑った。

     

    「でも実際、いるのかな、天使のデジモン」

    「ああ、それは──」

     

     僕はさっきの悪魔の記者会見を思い出した。

     

     ●

     

     アメリカの大新聞の記者が質問に立ち上がる。彼は演台に立つ赤い悪魔にかわいそうなほどに怯えていたが、それでもジャーナリズムか何かに突き動かされて、目にはらんらんとした光を浮かべていた。

     

    「ええと、フェレスモン、さん。あなたたちの世界──」

    「“デジタル・ワールド”」

    「失礼、デジタル・ワールドには、あなたたちや機械達以外にも、様々な見た目の種がいると仰いましたね」

    「ええ、色々います」悪魔は頷く。「恐竜とか、巨大な獣とか、深海魚とか」

    「なるほど」

     

     記者はジャーナリズムではなく、単純な知的好奇心から来る吐息を漏らした。

     

    「その、ではあなたたちは、見た目通りの存在なのでしょうか。悪魔というのが我々にとってどんな存在かは、ご存知かと思いますが」

    「ある程度までは、そうです」

     

     フェレスモンは重々しくうなずいた。

     

    「とはいえ、それはある程度までです。私たちは悪魔の姿をしているが、それ以前にデジタル・モンスターだ。あなた方の魂を奪ったり、堕落させるようなことはない。あなたたちの知っている悪魔とは切り離して考えていただきたい」

    「なる、ほど」

    「行き違いから、あなたがたとの交流の始まりは争いとなってしまった。ですが、我々はあくまで友好を望みます。見た目は関係がありませんよ。個人として我々一人一人を見ていただきたい。あなたたち人類が同族に対してそうあろうとしているように」

    「では、きれいな見た目で腹黒い天使もいるかもしれない、ということですか。我々も気をつけなくてはいけませんね」

     

     記者はとしては精一杯の冗談を絞り出したつもりだったのだろう。けれど、それに返ってきたのは。あまりに冷たい沈黙だった。

     

    「いませんよ」

     

     画面の向こうの温度が3度も下がったように感じたあたりで、フェレスモンがぽつりと言った。

     

    「え?」

    「ない、と言ったのです」

     

     フェレスモンと呼ばれたその悪魔は、光のない目で記者を凝視していた。

     

    「と、いうと、天使の姿のデジタル・モンスターはやはり内面も、すばらしいとか」

    「いいえ。いません」

    「あの──」

    「天使はいません」

     

     フェレスモンはゆっくりと言った。

     

    「もう、天使は一人もいません。わかりますか?」

    「……」

    「天使は、いないんです」

     

     

     つばめは自分のことをほとんど話さなかった。話さなかった、とはいうけど、隠してた、というほどじゃない。僕が聞けば彼女はなんでもすぐに教えてくれたはずだし、実際に尋ねてみたこともあった。

     

    「そういえば、つばめって、高校はどこなんだ?」

    「高校は行ってないよ」

    「中学でて、そのまま?」

    「中学も行かせてもらってない」

     

     実際に彼女はあっさりそう答えてくれたものだから。それきり僕は彼女にプライベートなことを聞くのはやめてしまった。

     そんなわけで、僕は彼女のことをほとんど知らなかった。別に悲しむことじゃない。彼女だって僕のことはまったくといっていいほど知らなかった。

     それでも、無粋に推し量ろうとするのなら、それはある程度までは可能だった。そして交際56日前の午後、僕は無粋な人間になろうとしていた。なぜかは覚えていない。彼女のことを想う気持ちが自覚していたよりも大きかったのかもしれないし、ただ前の晩に「シャーロックホームズの冒険」を読んだのかもしれない。

     つばめはいつも、ライブを早く切り上げて帰っていた。だいたい4時半ごろ。不良少女にしてはあまりにも早い時間だった。

     

    「いつも思うけど」

    「ん?」

     

     その日、僕は思い切って口を開いた。もうすでに夏と呼べる季節は終わっていて、彼女のチャコール・グレイのタートルネックは気温に似合いの服装になっていた。

     

    「異様に門限が早いんだね」

    「あー、うん。ごめんね?」

    「あ、いや、いいんだけど。随分厳しい家なんだなと思って」

    「うん」

    「あ、ご、ごめん。気を悪くしたなら謝るよ」

     

     僕はしどろもどろでそう言った。つばめに門限のことなんか聞いたのをもうすでに後悔し始めていた。いつもこうだ。地に足の着いた、並一通りの会話をしようとすると顔が赤くなって、上手く言葉を紡げない。

     つばめは不躾な質問に不快感を覚えたようにも見えず、ただただ自分の帰りの早さを申し訳なさそうにしていた。こんな話はするべきではなかった。僕たちはいつまでも入道雲を見あげて、天使の話をしているべきだったのだ。

     

    「私も残念には思ってるの。いつもライブのトリは見れないし。それに」

     

     えっと、と言って、彼女はいつものようにたっぷり時間を置いた。ただそれは、いつものような百面相を伴っておらず、言葉に悩むというよりは、わかり切ったことを口に出すのに躊躇しているような、そんな感じだった。

     

    「その、もっと、染野くんと話してたいし、」

     

     最終的に彼女は、赤面しながら、そんな言葉を出力した。

     

    「え、ああ、うん」

     

     僕はしどろもどろになって、そんな言葉ともいえないような音の羅列を返した。自分の顔が紅潮しているのが分かって、それがたまらなく恥ずかしかった。

     僕のそんな思考をよそに、彼女はなおもゆっくりと話を進めていた。僕たちの関係は、すでに見たことの無い場所まで進んでいた。後ろを振り返ると、遥か後ろに入道雲と天使が見えた。

     

    「私ね、丘の上の家に住んでるの。大きな、赤い屋根の家。畑があって、少しは動物もいる。そこに、みんなと住んでるの」

    「みんな」

    「うん、あのね」

     

     そう言って、つばめは一層大きく息を吸い込んだ。

     

    「私、選ばれたんだって」

     

     ●

     

     つばめは自分の住んでいる場所のことを、慎重に言葉を選びながら、事細かに教えてくれた。

     それはあまりに僕の知っている世界とはかけ離れていて、僕には上手くイメージができなかったが、彼女が、何らかの団体のコミューンのような施設で、共同生活を送っているということは分かった。

     曰く、小学校にも中学校にも行ったことがないらしい。施設には「先生」がいて、必要なことはみんな教えてくれるという。

     曰く、毎朝5時に起床し、皆で本を読んだり、ヨガをしたり、畑仕事をして、自給自足の生活を送っているという。

     曰く、子どもは特別な例を除いて、25歳になるまで施設の外に出てはいけないという。

     曰く、彼女は選ばれたという。

     

    「私は“選ばれた”から、こうして時々は外に出られる。みんなは今施設で読書の時間だと思う。それが終わるのが5時。それまでには戻らなきゃなんだ」

    「本」

    「うん、預言書。地球にやってきた宇宙人の話。私はよく分からないんだけどね。カレルレン、オーバーロード、ジャン」

    「『幼年期の終わり』」僕は言った。「それは『幼年期の終わり』の用語だよ。預言書じゃない。アーサー・C・クラークのSF小説だ」

    「染野くん、預言者アーサーをしってるの?」

     

     頭痛がした。僕の腰かけているライブハウスの階段を視点に、世界がぐるりと一回転した。

     

     ●

     

     曰く、その団体はSF作家を預言者として崇めている、らしい。善悪二元論的な世界観を採用しているらしく、預言者にも善き者と悪しき者がいるようだった。聞いた限りだとフィリップ・K・ディックとカート・ヴォネガットは「悪しき預言者」らしい。到底趣味は合わなそうだった。

     

    「カルトにしたって妙だ」

     

     僕は率直な感想を口にした。

     

    「嫌になることってないの?」

    「どうだろ。分かんない」つばめは無感情に首を振った。

    「どうだろ、って。そんな静かな環境が好きで好きで仕方ないなら、わざわざこんなところに来ないだろう。そもそも君はどうやってこんな辺鄙なライブハウスのことを知ったの?」

    「社会科見学の時に見たんだ。外からでもわかるすごい音で、地響きがしてて、なにがあるんだろうって」

    「それで来てみたら、ハマってしまった、と」

    「だってみんな、聞いたことないことばかり言ってるんだもん。聞いたことないくらい音も大きいし」

     

     そういってにこにこと笑うつばめに、僕は内心頭を抱えた。こういう時、どうすればいいのかまるで分からなかった。君のいる場所はおかしい、と否定するべきなのか、それが彼女の為になるかもわからなかった。

     

    「だから、ごめんね」

     

    つばめは少し寂しそうに言った。

     

    「ごめんって」

    「変でしょ。こういうの」

    「……」

    「外を少し歩いてたら私でも分かるよ。これは変なんだなあって。施設の中にもそういうことをこっそり教えてくれる子もいるし、やっぱり、変なんだろうなあって」

    「……」

    「ご、ごめんね。やっぱり、私、もう──」

    「別に」僕は急いでいった。焦っていたのが口調にあらわれていないといいと思った。

    「悪魔がやってきて、世界が終ろうって時だよ。何が普通とか、変とか、そういうのって無意味だ」

    「でも、やっぱり」

    「──僕は、家に帰りたくない」

     

     咄嗟に僕は喋り出していた。何か伝えたいことがあったわけじゃない。ただ、つばめにこのまま話を続けさせてはいけない、そんなエゴイスティックな感情が、僕の口を動かしていた。

     

    「父さんは春に死んだ、電力会社の職員で、『天使の日』の後の激務と周囲からのプレッシャーに耐えられなかったんだ。薬で綺麗に死んで、遺書は後悔の言葉でいっぱいだった」

     

     なんでこんなことを話しているのかわからなかった。

     

    「『どうせ世界が終わると分かっていたら、一人でもっと好きなことをして生きればよかった』って、書いてた。母さんはそれから僕と一言も口を利かない。家には帰りたくない。あそこは世界の終わりよりも静かだ」

     

     そこまで一息に言って、僕は一度口をつぐんだ。つばめは呆気にとられたように、僕の眼を見つめて硬直していた。

     

    「今言ったことに別に意味なんかない。君が話してくれたから、僕も話そうと思っただけ。とにかく、僕は家に帰りたくないし。どうせかえれなくてここにいるなら、君にここに居てほしいし。それっていうのは、つまり」

     

     その、つまり。

     

    「つばめ、君のことが──」

     

     ●

     

    「なにをしているんですか。つばめ」

     

     不意にそんな声が響いた。男の、良く響く胴間声だった。

     僕は、咄嗟に階段の下に目を向けて、そしてぎょっとした。

     そこにいたのは身長2mはあろうかという大男だった。がっしりとした筋肉質の体に、びっしりとしたスーツを着ていて、小さな黒メガネをかけ、夜の闇より黒い帽子をかぶっている。もしもマグリットの「人の子」のモデルがアーノルド・シュワルツェネッガーだったら、きっとこんな感じだろうとぼくは思った。

     

    「いつもの集合時間になっても来ないので、迎えに来たんですよ」

    「あ、ご、ごめんなさい、先生」

     

     つばめが弾かれたように返事をする。とすると、僕たちは話に夢中でいつもの別れの時間を問うに通り過ぎていたらしい。今が一体何時か確認したかったが、スマートフォンを開いて時計を見ることはできなかった。本当に学校でこわい先生に睨まれた時のように、僕もつばめも固まっていた。

     

    「なにもないならいいんです。帰りましょう。つばめ。ただでさえ特別扱いなのです。遅れてしまっては皆に悪い」

    「は、はい。えっと、染野くん、それじゃ、私──」

    「染野くん、ですか」

     

     つばめの声を、先生と呼ばれた男は太い声で遮った。それと同時にどしどしと階段を上ってきて、座っている僕の前に立つ。

     

    「こちらが、染野くん、ですか、つばめ」

    「あ、その、はい。ここで知り合った人で──」

     

     不思議なことに、しどろもどろになりながらも、つばめはいつものように時間をかけて言葉を吟味しなかった。「先生」との問答に使う辞書だけは、特別に頭にインストールしているような感じだった。

    「なるほど、ここで知り合った」

     

     そう言って、「先生」は身をかがめて、僕に顔を近づけた。武骨で無表情な顔が、鼻と鼻がくっつきそうになるほど目の前にある。僕は息を止めていた。無理やり合わせられた視線を逸らすことすらできなかった。

     そうして、どれくらい時間が経っただろうか。ふいに「先生」が口角を吊り上げた。

     

    「それはよかった。これからも、つばめをよろしくお願いします。染野くんさん」

     

     つばめの前でなかったら、きっと悲鳴を上げていただろう。ぞっとするほどに醜い笑みだった。

     「先生」に手を引かれ、つばめはライブハウスを後にする。彼女は何度か振り返って口を開きかけたが、結局何も言わなかった。

     

     ●

     

     「先生」との邂逅があって、もうつばめがライブハウスに来ることがなくなるのではないかという不安は杞憂だった。次のライブの時には、つばめはいつものようにそこにいて、ちょっと気まずそうに僕に笑いかけてくれた。

     

    「その、この間はゴメンね」

    「いや、時間に気づかなかった僕も悪いよ。あの後は、大丈夫だった?」

    「うん、帰りの車でお説教はされたけど、結局門限には間に合ったし。先生、こわいけど優しい人なんだ」

    「そう」

     

     それで、その話は終わりになってしまった。僕も彼女も、あの時の会話の続きを望まなかった。いつも関係が戻ってきた。入道雲はもう見えなかったが、天使の話をするのは、やはり心地がよかった。

     その頃からだろうか、僕は周囲でだれかの影を目にするようになった。

     ライブハウスの帰りの夜道や、母がなにもしそうにない時にいくスーパー・マーケット。個人的な買い物で行く商店街にで、僕はそれをみた。

     気のせいじゃない、それは大きな男の影だった、いつでも茶色いコートを着ていて、帽子を被っている。そんな人物が、僕に付きまとっているのだ。

     頭を過るのは、あの日につばめを迎えに来た「先生」という大男のことだ。あの男のコートを茶色に変えたらあんな感じになるだろうか。そうなると、僕はつばめの所属する、珍妙なカルトに目をつけられたということになる。彼らの目的は何だろう。僕の家の本棚にある「追憶売ります」や「スローターハウス5」を焼き払うことだろうか。

     警察に相談しようにも、そんなことにかかずらっている暇はどこの交番にもなかった。交通は恒常的にマヒしていて、いつでもどこかの大きな交差点に交通整理の警官が立っていた。 交通整理をしない警官は皆やめてしまったか、抗議運動をしているのだ。デジタル・モンスターと協力した人間社会の再編成が発表され、警察も例外ではなかった。

     

     ●

     

     その日も、僕はコートの影を感じていた。いや、感じていた、どころではない。それはいつもより近くにいた。

     それを感じ取ると同時に、僕は弾かれたように走り出した。迷いはなかった。今日こそはそうしようと、前々から決めていたのだ。毎晩チャンドラーを読んで頭の中で予行練習もしたのだ。

     そこは駅前だった。世界の終わりでも、どこかにいかなければいけない人というのはいるらしい。ほとんど通常通りにそこは賑わっていた。ここなら匿名の追跡者も下手なことはできないはずだ。そんな場所を全力で走っている僕に注がれる視線も決して穏やかなものではなかったけれど、それどころではなかった。

     人ごみを3つ、駅構内の商店を5つ通り抜け、気づくとぼくは地下道にいた。ぜえぜえと肩で息をする。この地下道では呼吸音も、いやに良く響いた。これなら静かに僕を尾行することはできない。あの影が本当に僕を追ってきているか音でわかる。本当に追ってきていたら──。こんな人気のない地下道で、僕は逃げ切れるか分からなかった。

     別に死んだって苦じゃないな、と思った。それから、こら、と、つばめに言われた気がした。

     かつん。革靴の音が響いて、僕の心臓は飛び跳ねた。追跡者だという確証はない。それなら。

     僕は棒のようになった足に鞭打って走り出した。なるべく大きく足音を響かせながら。

     するとすぐに、テンポの速くなった革靴の音が僕の耳に届いた。それはやがて走る足音になる。それは僕の予想よりも幾分速くて。

     ちょっと速すぎる。そう思った時には、僕はコートの陰に追い越されていた。バカな。そこまで離れていたとは言えないが、距離はあったはずだ。こんな一瞬で追い越されるはずがない。

     そんなことを考えている間にも、帽子をかぶったコートの男は僕の前に立ちはだかる。身長はかなり高いが、想像していたよりも随分と華奢だった。「先生」はもっと大柄だったはずだ。

     僕は立ち止まり、ゆっくり後ずさりを始めた。

     

    「あ、あんた誰」

     

     男は黙っている。俯いているせいで顔は見えない。

     

    「僕に何の用があるんですか」

     

     男は黙ったまま、腕を帽子に伸ばす。どこからか機械の駆動音のような、きしきしという音がした。

     

    「つばめのことなら、彼女と僕は本当にただの友人だ。つばめは責められるようなことは……」

     

     そう言い終わる前に、男が帽子を脱ぎ、僕は言葉を失った。

     そこにあったのは、確かに人型の頭部だった。けれど決して、人の頭ではなかった。

     その顔の大半はぶこつな金属製のヘルメットで覆われていた。そうでないところからは血色の悪い肌がのぞいている。ヘルメットの鼻や目の部分には穴があけられていたが、呼吸音は聞こえない。そのうつろな目は視線こそこちらに向けているが、何も見ていない。まるで儀礼的に意味があるから穴をあけているだけ、といった感じだった。

     つまりそれは、くずのようなサイファイ漫画に出てくる、アンドロイドそのものだった。

     恐怖のままに僕はその場にへたりこむ。それを見て、アンドロイドはコートの胸に手を入れた。拳銃だ。僕は思った。きっとセンスのない光線銃が出てきて、僕はセンスのない焼死体になるのだ。

     けれど見ていれば、アンドロイドが取りだしたのは、黒い何か──手帳だった。

     

    「驚かせてすまなかった」

     

     つづけて、びっくりするほど優しいこえがその喉から洩れる。そうして彼が開いた手帳には、ドラマや映画で見慣れた、桜の代紋があった。

     

    「私はアンドロモン。警視庁に配備されたデジタル・モンスターだ」

    「警察?」僕は唖然として、それ以上のことは何も言えなかった。

    「そうだ、まだ試験的、だがね。君はソメノ・ハルキだな」

     

     黙ってうなずくと、アンドロモンはこちらに近づき、腰を抜かした僕に視線を合わせるようにしゃがみ込む。そうして、その口を開いた。近くで見ると、その口は人間のものとなんら変わりがなかった。

     

    「おねがいだ。つばめを助けるために力を貸してほしい。」

     

     ぼくとつばめ、交際40日前の午後のことだった。

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